02.破壊と救済

本当ならこんな事をしている場合では無いのだが、新たな分史世界の情報もユリウスの行方も分からない以上、仕方が無い。

最初のうちは港の中を歩き回って、建物の間や積まれた木箱の隙間などを見て回っていたシンだったが、あまりにも成果が得られないので早々に聞き込みへと転じる。

幸いそちらの成果は上場で、すぐに目的の猫を見つけることが出来た。
大事に飼われていたのだろう、港の隅っこであくびをしている綺麗な毛並みの黒猫に、身を屈めたシンはじりじりとにじり寄る。

「よーし、そのままじっとしてろよ〜、動くんじゃねぇぞ〜」

「こんな所で何をしている?」

「ぅわっ!?」

「ナァーッ!」

声に驚いた黒猫は素早く立ち上がり、風の速さでシンの脇をすり抜けて行った。
突然のことに反応が遅れたシンは、慌てて立ち上がったところで背後に居た人物とぶつかる。

「痛ってぇな! 急に声掛けて来たりして何なんだおめーは!」

一体どこの誰だと怒りながら顔を上げれば、そこにあったのは知った顔。
相手もそれに気付いたようで、驚きに目を丸くする。

「また会ったな、シン。相変わらず威勢の良いことだ」

「……なんであんたがここに居るんだよ」

前と同じく赤のラインが入った黒いコートを身に纏ったアーストを見上げて、シンは素直にそんな感想を漏らした。

「たまたま通りがかっただけだ。お前こそ、こんな所に一人でどうした?」

「依頼で猫探し。あんたが驚かしたせいで逃げられちまったじゃねーかよ」

「そうか、それは悪い事をしたな。手伝ってもいいが……ローエンは一緒では無いのか?」

「ローエンならそこの宿で怪我人の看病してる、用があんならそっち終わってからでいいからマジで手伝えよお前」

「そういう事ならば、先にお前の依頼を片付けるとしよう。特に急ぎの用がある訳では無いのでな」

「じゃあとっとと捕まえんぞ。つっても、どっち逃げたんだあいつ」

ざっと見渡してもそれらしき姿は見当たらない。これはまた最初からかと嘆息するシンをよそに、アーストはスタスタと歩き出す。

「おい?」

「恐らくはこっちだ」

迷いなく進むアーストに半信半疑でついて行ってみると、そこには確かに先程の黒猫。

「……エスパーかよ?」

「走り去ったところは見ていたからな。――俺が反対側から追い込もう、お前は逃げてきたところを捕まえてくれ」

そう言ってアーストは猫に気取られぬよう静かに回り込み、スタンバイが完了するとシンに目で合図を送った。
その手際の良さに感心しつつ、今度こそ逃がしてなるものかとシンも身構える。

アーストがゆっくりと猫との距離を詰めていくと、先程と同じように猫は立ち上り走り出した。逃げた先に居たシンが、それをゴールキーパーさながら両手で受け止める。

「おっしゃあ! もー逃がさねぇぞ観念しやがれ!」

「フシャーッ!!」

じたばたと暴れる猫を全力で地面に押さえつけるその様はともすれば虐待のようだが、猫の扱いに慣れていないシンにはそれが精一杯だった。

無事務めを果たしたアーストもやって来て、「上手くいったか」と安堵の息を漏らす。

「大人しくしろっての、往生際の悪い猫だな」

「怯えているのだろう、早く飼い主の元へ帰してやれ」

持ち上げるのにも苦労しながら、爪を立てた脚を振り回す黒猫を何とか仲介人の元へ運んだシンは、報酬を受け取ってホッと息を吐いた。

「あー疲れた、猫一匹捕まえんのがこんなに大変とはな」

「ルドガーが居ればもう少し楽だったかもしれんな。……そう言えば、そのルドガーはどうした?」

「クランスピア社に用があってトリグラフに戻ってる。そういや、そろそろ着く頃か」

徐にGHSを取り出したシンは、慣れた手つきで操作を終えるとそれを耳に押し当てる。

ザーという雑音混じりに目当ての音が拾えた事を確認しつつ、受け取ったばかりの報酬の一部をアーストに押し付ける。

「これは?」

「手伝って貰った分。ローエンの方も治療は終わってるかもしれねーし、顔出しに行ってこいよ」

アーストはそれに是と返して、しかし報酬は受け取らずに去って行った。
せっかく分けてやったのにと渡しそびれたガルドをポケットに突っ込んで、シンは受話器の向こうの音に耳を澄ませる。

『待っていたよ、ルドガー君。早速で悪いが、例の物を渡してもらえるだろうか』

最初に聞こえてきたのはビズリーの声。そして、それに答える気まずそうなルドガーの声が続く。

『いや……それが……此処へ来る途中に奪われてしまって……』

『奪われた? 一体誰に』

『シン……って言えば分かりますか?』

『……ああ、成程。またあの少年の仕業か』

すんなりと納得したビズリーに、ジュードが「知っているんですね」と確信を持って問う。

『前々から我々にちょっかいをかけて来ているのでな。――それで、彼はそれと引き換えに何を要求しているのかね』

『え?』

『アレを持って行った所で、彼にとって有益な情報が引き出せる訳でも無いだろう。となれば、彼はそれを交換条件に我々に何らかの取引を持ちかけると考えるのが自然だ。私宛に言伝でも預かっているのだろう?』

「話の早ぇオッサンだな」

一人呟くシンのその声は、GHSの向こうの相手には聞こえない。
ルドガーは預かっていた脅し文句をそのままビズリーに伝えた。

『……やはりそれか、彼も懲りないな』

『あの、分史世界っていうのは……?』

『そうだな、君達にも話しておこう。……分史世界と言うのは、我々の今いるこの世界、本来の歴史が流れる正史世界から分かれたパラレルワールドの事だ。心当たりがあるだろう?』

『……もしかして、前の列車の時のおかしな現象も、ドヴォールで見たローエンも、さっき戦った源霊匣ヴォルトも全部……?』

『……あれが分史世界か!』

『分史世界が生まれると、正史世界に存在すべき魂のエネルギーが拡散していきます』

『拡散って……まずくない?』

『放置するとどうなるんですか?』

『この正史世界から、魂が消滅するだろう。……当然、人間も死に絶える』

場に静寂が降りた。
既にそれを知っていたシンも、GHSの向こう側にいるルドガー達と同じ顔つきになる。

『そんな話、いきなりされても……』

『エレンピオスの荒廃、源霊匣の実用化失敗。それが、魂のエネルギーが消失している影響だとしたら?』

『まさか!』

『実際に起こっているだろう。……クランスピア社は世界を守る為、秘かに分史世界を消し続けてきたのだ』

『世界を消すなんて、どうやって……』

『ルドガーは既に成している。ルドガーの変身、骸殻こそ、分史世界に侵入し破壊する力なのだ。――ルドガー、世界の為、君の力を貸して欲しい。君には現状に立ち向かう意思、そして何より力がある。協力して貰えるのなら、君を我が社の正式なエージェントとして迎えよう。そうすれば、君の借金などすぐに返せるようになる。列車テロに関与していたという疑いも晴らせるだろう』

『……ユリウスも関わっているのか?』

『最強のエージェントだった。ユリウスが消した分史世界は百以上になるだろう』

『ユリウス前室長が分史世界に逃げ込んでいる可能性も高いと思われます』

『奴を見つければ、一石三鳥だ』

ルドガーがその誘いに何と答えるのかは、シンにとっても重要な事だった。故に、静かにそれを待つ。

『……なぁ、今の話が本当なら、なんでシンは分史世界を破壊するあんたらに対抗してるんだ?』

『それは私が聞きたい。あの少年は一年ほど前に突然我々の前に現れてな、何の説明も無いままに襲いかかって来たのだ。もしかすると、クロノスの手先なのかもしれん』

『クロノス……って、あの大精霊クロノス?』

『分史世界が生まれるのも、カナンの地に住む奴の仕業だ』

「好き勝手言ってくれやがって……誰があんな陰湿ヤローの手先になんざなるかよ」

『恐れることは無い。我々には、奴に対抗する力がある。――地下訓練場に来い、骸殻の使い方を教えてやろう』

話し合いは、ビズリーのその一方的な言葉で締め括られた。

まだルドガーの答えは聞いていない筈だが、この調子では丸め込まれてしまうだろう。シンは移動する足音から耳を離して盗聴を終える。

(あいつらまで敵に回るとなると、こんなディスク一枚持ってるくらいじゃ太刀打ち出来ねーな)

話を聞けば、ルドガー達はビズリーの側に着くだろうとは思っていた。
何せ彼らにとっては死活問題だ、自分達に何の関係も無い他所の世界の為に、自分の生きる世界を差し出す馬鹿は居ないだろう。

だからこそ、彼らには何も知らないままで居て欲しかった。
こちら側には来ずに、何も知らない一般人のまま、この件からは手を引いて欲しかったのだが。

「……ほんっと、クランスピア社の連中は余計なことばっかりしやがるな」

リーゼ・マクシアの港から晴れ渡る青空を仰ぎ見て、シンは一人そんな悪態を吐いた。
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