03.帰る場所を失くして

「……お前、なんでここに居るんだよ……?」

ひゅうひゅうと風の吹き付ける、正史世界のニ・アケリア霊山山頂。
ミュゼとの死闘を終え無事に帰還した一行の顔に笑顔はなく、ルドガーの手に残った歯車――カナンの道標だけが、その勝利を称えるかのように光り輝いている。

そんな中、シンは分史世界のミラを見て愕然としていた。
彼女は何が起こったのか分からない様子で、周囲を見渡しながら答える。

「なんでって……さっきからずっと一緒に居たじゃない」

「いや、そりゃそうだけどよ、そうじゃなくて……」

お前は分史世界と一緒に消滅する筈だろ。

口から出かかったその言葉を、シンは既の所で止めた。
口八丁手八丁なルドガー達の嘘せいで、彼女はまだ真実を知らない。本来ならば知る事も無いままに世界諸共消えてなくなる筈だった彼女に今それを伝えていいのか。決めることが出来ずにシンは口を噤む。

「それより、姉さんはどうなったの!? 何が起こったのか説明してよ!」

ミラの目はルドガーの方を向いていた。
いよいよ追い詰められたルドガーは、シンに代わって真相を打ち明ける。

「……お前の世界は、俺が壊した」

「は? じゃ、此処はなに? まさかシンみたいにパラレルワールドだなんて言わないわよね」

「そうだよ、あなたのとは違う世界なの」

「それじゃ姉さんは!? 元の姉さんに戻るのよね?」

「あんたの知ってるミュゼは消えたんだ」

「あなたの世界と一緒に」

ルドガー、アルヴィン、レイアの言葉が、ゆっくりとミラの心の中に沈んでいく。その心境は彼女の表情から見て取れた。

「……ひとつだけ、わかった。――私を騙したのねっ!」

そしてミラは徐に立ち上がると、ルドガーの頬に向けて拳を振り抜いた。
よろめいたルドガーと尚も怒りの収まらないミラの間に、エルが割って入る。

「やめてミラ! ルドガーの仕事なんだよ」

「ふざけないで! 世界を壊す仕事なんてあるわけ――」

「あるんだよ、それが」

ユリウスの言葉に、ミラは他の面々を見た。
そしてこれが冗談ではないのだという事を理解して押し黙る。

そうして誰も何も言えなくなってしまった場の沈黙を破ったのは、ルドガーのGHSだった。
村で待機していたジュード達からの連絡の様で、あちらも全員無事に正史世界へ戻って来ていたらしいとルドガーが皆に伝える。

「任務達成だな。合流しようぜ」

「うん……」

「ミラも、行こ」

「…………」

立ち尽くしたまま動かないミラの手を引いて、エルが歩き出す。
何と声を掛けることも出来ないシンは、その後ろを黙って着いていく事しか出来なかった。








「そんな……」

ニ・アケリアに着くなり駆け寄ってきたジュード達に、ルドガー達が経緯を説明する。
ルドガー達がミラに嘘を吐いて騙した事、その上でミュゼを殺した事などを聞いたジュード達は、先のミラ達と同様に言葉を無くした。

「ルドガーを責めないでくれ。こうでもしなきゃ、ミュゼは倒せなかった」

「…………」

「わかった筈だ、ルドガー。こんな思いはしたくないだろう」

俯き、拳を握りしめていたルドガーの手から、ユリウスがカナンの道標を奪い取る。
だからもうこれ以上、お前は関わるな――恐らくはそう続く筈だった彼の言葉は、第三者によって掻き消された。

「なるほど、そういう訳で連れが増えたのか。かなり興味深いな」

一体いつからそこに居て、どこから聞いていたのか。
イバルを引き連れてやって来たリドウの顔を見て、ユリウスが忌々しげに舌打ちを零す。

「もう手を回したか」

「リドウさんが、何で!?」

「だって俺、分史対策室室長だから。――お疲れ、ユリウス元室長。道標の回収ご苦労」

「お前と話す方が疲れる」

などと憎まれ口を叩き合う二人の後ろで、イバルはじっとミラを見つめていた。

ああそうか、あいつは正史世界のミラの付き人のようなものだったか。
先日村人から聞かされた話を思い返して、シンはその心を理解する。

「なに動揺してるんだ? ニセモノだぜ、アレ」

「そんな言い方!」

「無礼だぞ!」

条件反射なのか、上司であるリドウの物言いにジュードと揃って噛み付いたイバルは、しかし直ぐに我に返って縮こまった。
その様を見て、リドウがケタケタと笑う。

「ナイーブな若者たちだ。――ああ、ユリウス元室長は、こういう若者の邪魔が趣味だったな」

意味ありげに送られてくる悪辣な視線とニィと歪んだ口元を見て、相手の思考を読んだユリウスは声を荒らげた。

「リドウ!」

「例えば……ルドガー君が入社試験で不合格になるように仕組んだりさ」

「!?」

その口から発せられた言葉に目を剥いたのはルドガーだった。
他の面々同様、静かに彼らのやり取りを聞いていたシンも、突拍子もないリドウの言動に「はぁ?」と片眉を上げる。

ルドガーはまさかそんな事をする筈がないと兄を見たが、ユリウスはその視線の先で気まずそうに口を結ぶ。

「なんだアイツ、弟想いの良いオニーサンと見せかけて、実は腹黒系かよ?」

「さぁな。俺の見てる限りじゃそうは見えなかったが……」

「何か事情があるんだよ、きっと」

とヒソヒソ声で話すシン達ギャラリーの前で、リドウにカナンの道標の奪還を要求されたルドガーは、暫くの沈黙の後に首を横に振るった。

兄を信じているのか、はたまた裏切られていたとしても兄とは戦いたくないのか。
その胸の内は分からないが、リドウは反抗的な態度の新入社員に溜息を吐く。

「おいおい、勘弁してくれよ……兄弟揃って面倒だなっ!」

そして、今のやり取りで意識が逸れてしまっていたユリウスに、躊躇なく飛び蹴りを噛ました。

「ぐあっ!」

「ユリウス!」

「業務命令に反する部下にはお仕置が必要だな」

兄弟の仲を割くようにして間に立つリドウが、ルドガーを前に武器を抜いた。
戦いになる事を予期した皆はルドガーに加勢すべく直ぐ様駆け出したが、最後尾に居たジュードの前にイバルが立ち塞がる。

「お前の相手は俺だ」

「っ!」

何か因縁でもあるのだろうか。その場に残っているミラやエルと共にそれを見ていたシンは、さてどうしようかと思案する。

彼の意識は今ポケットの中にあるディスク――以前ルドガーから巻き上げたもの――に向いていた。これがなくとも、クランスピア社のエージェントとやり合うのは出来るだけ避けて通りたい。
別に今更彼らを傷付けることに抵抗がある訳では無いが、ここで消耗して後に本当に必要な場面での戦闘に響いては困るからだ。

が、ここでルドガー達を――特に分史世界から連れてきてしまったミラを置いていくのも気が引けた。
単に心配だというのもあるが、彼女がどうして今ここに在れるのか、その理由が知りたい。

通常、分史世界のありとあらゆるものは、分史世界の消滅と共に全て消えて無くなる。
例えば時歪の因子を破壊した際に、何かその世界の物を手に握っていたとしても、それは正史世界に帰還した際には消失しているのだ。

だが今回、ミラはそうはならなかった。
ミラが特別なのか、或いはなにか別の理由があるのか。もし他の存在も同じように連れてくる事が出来るのだとしたら、その方法を突き止めたい。

(……ま、いつまでも追っかけ回されんのも鬱陶しいしな)

シンは一人イバルと対峙するジュードの隣に並んだ。
ジュードは一瞬驚いた顔をしてから、嬉しそうに微笑む。

「有難う、味方してくれて」

「あー、言っとくけど今だけだからな」

増援にムスッとした顔をしているイバルの後方で、ルドガー達は既に戦端を開いていた。
複数人相手に一人で立ち回るその実力は流石は室長と言ったところか。シンは視線をイバルに戻して、双刀を繰る相手の初撃を躱す。

「お前、元はマクスウェルの巫子なんだろ? それが何で今はクランスピア社で俺のストーカーなんざしてんだよ」

「う、うるさいっ! お前には関係ない!」

「こうやって戦いになってる時点で多少は関係あるっつの。いい迷惑なんだ、よっ!」

シンが振り翳した拳を、重ねた剣の腹で受け止めたイバルに、後ろへ回っていたジュードの拳が迫る。
それを察知したイバルはシンの拳を押し返して、皮一枚のところでジュードのそれを躱した。

「何だよ、ルドガーにボコされてたから木偶の坊かと思ったら、それなりに動けるんじゃねーかお前」

「ふっ、当然だ! 何せ俺はミラ様の――じゃなくて、クランスピア社のマルチエージェントだからな!」

居丈高にそう宣言するイバルに、ジュードは苦笑。それらを見たシンも、やれやれと肩を落とした。
先のリドウへのリアクションからして、ミラ=マクスウェルが精霊界に帰ってしまった今でも尚、イバルのミラへの信奉心は消えてはいないのだろう。

「女に振られて未だに未練タラタラって感じだな、可哀想な奴」

「勝手に哀れむなぁっ!」

などとコントのような受け答えをしながらも、ジュードの足払いをしっかりと避けてみせたイバルは、続くシンの右ストレートを腹に食らって顔を顰めた。

だが膝を着くことなく反撃し、その刃がシンの頬に一筋の赤い線を入れる。

「痛っ……お前、そんな危ねーもん振り回してねぇで素手で来いよ素手で。直撃したらどーすんだ」

「そうだよイバル。僕はともかく、シンは殆ど武装もしてない学生さんなんだから、そんな相手に大怪我させちゃったらどうするのさ」

「やかましい! そう思うのなら抵抗せずに大人しく捕まれ! 大体、お前の今の拳の方がよほど痛かったぞ!」

「まあオトすつもりで殴ったからな、無駄にタフだなお前」

「無駄とはなんだ無駄とは! これはかつてミラ様をお守りする為、長い長い修行によって培われた汗と涙の――ぐはぁっ!?」

「あ、ごめん」

不意にジュードの正拳突きを後頭部に食らって、イバルは勢いよく顔面から地面に転がった。
よろめきつつ立ち上がろうとするイバルの背中を、シンは情け容赦もなく踏み付けて地面に押し戻す。

「ぐえっ。……お、お前ら、お前らに人の心は無いのかあっ!」

「ごめんってば。でも、先に手を出してきたのはイバルでしょ?」

「そうそう、俺たちのは正当防衛だろ」

そう言いながら、シンは足を退けてイバルの上に座った。椅子にされたイバルは手足をばたつかせながら憤慨する。

「貴様ぁっ! 覚えていろ! この屈辱はいつか必ず……!」

「はいはい。……こっちがじゃれてる間に、あっちも終わったっぽいな」

ルドガー達の方も何とかリドウを凌いだようで、肩で息をする皆の背中越しにその姿を認めたジュードもホッと息を吐く。

が、地面に蹲っていたリドウは、その視線の先で立ち上がった。
まだ余力があったのか。終わったものだと思い込み隙だらけになっていたルドガーに迫る攻撃を、ユリウスが受け止める。

「やめろ、リドウ!」

「過保護過ぎだろ、お兄ちゃん!」

「がはっ!」

またも吹き飛ばされてしまった兄に駆け寄ろうとしたルドガーを、リドウが剣で制する。
そしてジュード共々そちらに気を取られていたシンは、勢いをつけて身体を反転させたイバルによって地面に倒された。

「おわっ!?」

「ふん、形勢逆転だな」

今度はイバルが仰向けに倒れるシンの上に乗る。声でそれに気付いたジュードは、ルドガー達とどちらを助けに行けばいいのかと視線を彷徨わせた。

「最終通告だ。カナンの道標を持って本社に帰還しろ」

冷ややかなリドウのその命令に、喉元に刃を突きつけられたルドガーは頷くしかなかった。
悔しげに奥歯を噛むルドガーに、同じく悔恨の情を滲ませるユリウスが弱々しく謝る。

「全員連れて来い。そこのお尋ね者も、そっちのお嬢さん二人もだ」

そっち、とリドウが示した先に居るのはミラとエル。
その指示を受けたイバルは、立ち上がってミラ達の元へ向かうと、手に持っていた刀の切っ先を向けた。

「……ご一緒願います」

「……っ」

果たして、このミラにとっても、イバルは巫子なのだろうか。
悲痛な面持ちのまま、抵抗せずに黙ってエルと共にルドガー達と合流するミラの後ろ姿を、イバルは暗い顔で見詰める。

一方で、解放されたシンは逃げるべきかどうか悩み、しかし結局諦めて、ジュードと揃って彼らの後を追った。
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