03.帰る場所を失くして
「よくやった、ルドガー。期待以上の成果だ」クランスピア社社長室。そこに通されたルドガーは、開口一番ビズリーからそんな賛辞を贈られた。
だがルドガーも、他の面々も、それに笑顔を返すことなく俯くだけ。
「実に優秀な弟だな、ユリウス」
「こいつをこんな事で評価するな」
「こんなこと……人の世界を壊しておいてそれ?」
ニ・アケリアからここまで一言も言葉を発していなかったミラが、怒りを抑えきれない様子でそう言った。
ビズリーは神妙な顔でそちらに顔を向ける。
「話は聞いた。君が……」
「ミラよ。元マクスウェル」
「冗談ではなく?」
「世界を壊す会社こそ冗談でしょ」
「望んでやっているのではない。全ては正史世界を守る為、そしてカナンの地へ辿り着く為だ」
「カナンの地……クロノスが守る無の大精霊、オリジンの玉座ね」
姉さんから聞いただけだけど、と常人であれば知る筈の無いそれを当たり前のように述べたミラに、ビズリーは彼女が真にマクスウェルであったのだろう事を認めながら肯定する。
「事実だ。そして精霊オリジンは、最初にその前に辿り着いた人間の願いを、どんなものでも一つ叶えてくれるという。これは太古に人と精霊――原初の三霊が交わした契約なのだ」
「原初の三霊……マクスウェル、クロノス、オリジンの事ね」
「奴らは、これをオリジンの審判と呼んだ」
――審判。
そういやクロノスの奴もそんなこと言ってたなと、つい先日の事をシンは振り返る。
「彼らはなぜそんな契約を?」
「力、意思、欲望――人間自身を試す為だと言う……が、人間が足掻く様を見て面白がっているかもしれんな」
ああ、正しくあの陰険な大精霊クロノスが考えそうな事だと得心するシンの隣で、そうは思わないらしいジュードが声を荒らげた。
「精霊がそんなこと!」
「人の為に尽くす存在でもあるまい」
「う……」
「……真実かもな。事実、クルスニク一族は、カナンの地の一番乗りを巡って骨肉の争いを繰り返してきた。時に父と子が……」
「時に、兄と弟がな」
そうそれは、正に今のユリウスとルドガーのように。
そういった含みを込めてのビズリーの発言に、シンは嘲笑。
「クソの極みだな。世界の為だ何だって大義名分掲げながら、結局はてめーらの薄汚い私利私欲かよ」
「いや、私利私欲の為に勝者の権利を使うつもりは無い。が、我々をそう評するという事は、君が我々の邪魔をするのにはそれなりの理由があるのだな?」
「別に俺のやってる事を正当化するつもりはねぇよ。ただ、同じ穴の狢だからって傷の舐め合いするつもりもねぇ。どんな理由があったって、それに世界を巻き込んでるって点では、お互いにやってる事は同じだろ。てめーの行いで犠牲になってる奴が居んのに、さも正義みたいに語るんじゃねぇ」
「シン……」
ミラはその言葉に、寄せていた眉根を僅かに離した。エルも「見直した」と言いたげな顔でシンを見上げる。
だが、ビズリーの表情は険しかった。
「では君は、分史世界の人々の為に、正史世界に生きる我々を――今ここに居る皆を犠牲にしてもいいと?」
「……そうは言ってねぇだろ」
「だが君のやっている事はそういう事だ。どちらか片方しか救えないと言うのなら、我々は今居るこの世界を選ぶ。君が逆の選択をすると言うのなら……君は我々の、この世界の敵だ」
断言するビズリーに、シンは唇を噛み、拳を握りしめた。
そんな事は言われずとも分かっている。だからこそルドガー達からも離れたのだ。
心配そうにその様を見ていた仲間たちの内、アルヴィンが口を開く。
「なあ、それってさっきの話……オリジンがどんな願いも叶えてくれるって話が本当なら、両方の世界を救う事も出来るんじゃないか?」
俯いていたシンは、顔を上げてアルヴィンを見た。
それから、その問いの答えを求めてビズリーを見る。
「……成程な、確かに望めばそれも叶うかもしれん。だがどの道、カナンの地へ至る道標を得る為には分史世界の破壊が必要だ。それだけはどうあっても変えられん」
「は? 道標なら今ルドガーが渡したやつがあんだろ。まだ他にあんのかよ」
「カナンの地に辿り着くには、カナンの道標が五つ必要なのだ。その一つが、この"マクスウェルの次元刀"」
「残りは"ロンダウの虚塵"、"海瀑幻魔の眼"、"箱舟守護者の心臓"。最後の一つは不明ですが……」
「ところがさ、道標は正史世界じゃもう失われちゃってるんだ」
「だから、分史世界で手に入れる……」
「ご名答。分史世界に道標があれば、それは必然的に正史世界と最も異なるものとなる」
「つまり、時歪の因子がカナンの道標。道標を正史世界に持ち帰るのが、エージェントの本当の目的なんですね」
「そういうこと。だが、誰にでも出来るわけじゃない。分史世界の物質を正史世界に持ち帰るには、特別な力が必要でな」
「我々は、その力の持ち主をこう呼んでいます。"クルスニクの鍵"、と」
「ルドガー、お前がそうだ」
成程、ミラが正史世界へ来れたのはそういうカラクリか。
シンは納得しつつルドガーを見たが、相手は何やら困惑した様子でエルと視線を交わしている。
「んじゃ、その道標をルドガーと集めてくりゃいい訳だな」
「協力してくれるのか?」
「協力っつーか、その審判の報酬とやらで本当に俺の願いが叶うのなら、お前らと生存争いする必要も無いからな。……クランスピア社みてーな腹の底が読めねぇ奴らに、そんなもんが渡っても困るしよ」
「酷い言い草だな。我々がカナンの地を目指すのは、大精霊オリジンに全ての分史世界消滅を願う為だ。増え続ける分史世界は、既に個々の破壊では間に合わない数に達している。だが、君のこれまでの妨害が分史世界を尊んでの事ならば……分史世界を消さずともこの世界を救う事が出来るのなら、君に願いを叶える権利を譲ってもいい」
「本当かよ? 善良な市民を騙して法外な治療費要求して借金背負わせてるような会社に言われても信憑性がねーんだけど」
「人命救助をそんな風に言われると心外だなあ。それに、それっぽっちの負債なら、道標を揃える頃には完済出来てるさ」
多額の借金をそれっぽっちと称されたルドガーは顔を引き攣らせた。シンはリドウへの嫌悪感を顕にしつつ、ルドガーに同情を寄せる。
「君が我々を信じるかどうかは自由だが、協力出来ないと言うのであれば、我々は今後も君を世界に破滅を齎す脅威として対処するほかない。見る限り、君はルドガーと対立する事を望んではいないのだろう? ならばここは手を結んだ方が、互いにとって良いと思うのだが」
数秒の沈黙。
皆の視線を一身に受けながら、シンは盛大な溜息と共にポケットからディスクを取り出した。そしてそれをビズリーに投げ渡す。
「助かる。これがあれば、道標の探知精度を高められるだろう。――では、今日これより君は我々の協力者だ。他のエージェントにもそう通達しておこう」
なんかこのオッサンの言いなりになったみたいで癪だなとシンが苦い顔をしていると、突然場に「ぐうぅぅ〜」という音が鳴り響いた。
音の出処に居たのはエルで、彼女は顔を赤らめながらお腹を押さえている。
「すごい音」
「勝手に鳴っちゃうのー!」
「お食事をご用意します」
「エル、ルドガーのご飯がいいな」
「ほう、ルドガーは料理が得意なのか?」
「ルドガーもミラも、まーまーね」
何故か誇らしげにふんぞり返って言うエルに、ビズリーは穏やかに微笑んだ。こうして見ると子煩悩な父親に見えなくもない。
「次の任務の前に、お嬢さんのリクエストに応えてやるといい。――ルドガー、お前ならカナンの地へ辿り着けるはずだ」
「……やってみます」
「期待している」
「エルも」
「ルドガー、お前はこんな……」
と、言いかけたユリウスの言葉を聞かず、ルドガーは足早に社長室を出て行った。エルやジュード達もそれに続き、口惜しげなユリウスもリドウに引っ張られていく。
最後に残ったシンも、とりあえず暫くはルドガーについて行くかと扉を潜ると、そこに居たミラと視線がかち合った。
「どうした? お前は行かないのかよ」
「…………。……わからないのよ。これから、どうしたらいいのか」
そう言って不安げな顔で腕を抱くミラに、その心境を理解したシンは近くにあったベンチに彼女を連れて移動。
「……怒らないのね」
「何が?」
「私が、貴方の忠告を無視したことよ。そのせいでこんな事になって……馬鹿よね、本当に」
落ち着いた、というより、落ち込んだ様子のその語り口に、シンはミュゼの最期を思い浮かべた。足先に視線を落としているミラも、恐らくは同じものを見ているのだろう。
「本気で彼らの言い分を信じた訳じゃないの。頭では、そんな都合のいい話あるわけが無いってわかってた。でも……信じたかったのよ。姉さんが、あの優しかった姉さんが戻ってくるって信じたかった。またかつてのように過ごせるって思いたかった。だって姉さんは、姉さんだけが私の……」
平坦だった声が熱を帯びていくのを、シンは黙って聞いていた。ミラから零れ落ちていくその思いの丈を、静かに拾い集める。
「……ねえ、教えて。私はどうすればいい? 帰る場所も失って、待っていてくれる人すらもう居ないのに、知らない世界でたった一人で、この先どうすれば……」
その言葉にはありありと絶望が滲んでいた。
シンは少し悩んでから言葉を返す。
「わからない。けど、お前を一人で放り出したりはしない。お前がどうするか決めるまで、俺でいいなら傍に居るし、生活していけるようにはする。……それぐらいの事しか出来なくて悪い。あの時、俺がちゃんと守ってやれれば良かったのにな」
「……どうして貴方は、私たちの……分史世界の味方をしてくれるの? さっき聞いてた感じだと、分史世界が存在するとこっちの世界が危ないんでしょう? なのにどうして……」
「色々あってな。……ただ、お前を騙すようなことはしたくねぇから一つだけ言っておく。俺は他人の為に自分を犠牲に出来るような聖人君子じゃない。分史世界の破壊に反対してるのは、そこに居る人達の為って訳じゃねーんだ」
「……? でもさっきは……」
ビズリーの行いで犠牲が出てるって言ってくれていたじゃない。
ミラは言いかけて、そこではたと気付く。
彼の行いが他人の為では無いと言うのなら。
その上で分史世界の破壊を厭うのは――
「……もしかして、貴方も私と同じ分史世界の……?」
恐る恐るといった様子で、しかしどこか希望を抱いているかのような目で尋ねるミラに、シンは困り顔。
「まあ、半分正解ってところだな」
「はぁ? 何よ半分って」
「俺は正史世界のシンでもあるし、分史世界のシンでもあるって事だよ」
シンは立ち上がってうんと背伸びをした。ミラは疑問符を大量に浮かべながらそれを見上げる。
「何よそれ、どういうこと?」
「だから色々あったんだって。それを全部説明しようとすると長くなるし、そもそも俺自身、今の俺の状態が厳密にはどうなってんのか、原理とかはよく理解してねーんだ。ただまあ、どこぞの大精霊様の気紛れと嫌がらせの結果って感じだからよ、詳しく聞くならそっちに聞いてくれ」
「貴方、大精霊に会ったことがあるの? まさか、じゃあ、この世界のミラ=マクスウェルにも……?」
「いや、俺が直接会って喋った事があんのはクロノスだけだ。そんで俺のこの状況を作ったのはオリジンだって聞いてる。マクスウェルは知らないな」
「……そう」
落胆とも安堵とも取れるような面持ちで、ミラは僅かに目を伏せた。
そんなミラに、シンが手を差し伸べる。
「そこんとこ気になるならジュード達に聞いてみろ、あいつらはこっちのミラ=マクスウェルと知り合いっぽかったし。とりあえず、今は飯食いに行こうぜ。俺も腹減ってきた」
「……でも、私は……」
「お前が今後どうするかは、ゆっくり考えて決めてきゃいいだろ。とりあえず、答えが出るまではルドガー達と一緒に居たらどうだ? 俺も道標を集めきるまではあいつらと行動するつもりだし。……まあ、お前にとっては憎い相手かもしれないけどよ」
「憎いというか……ルドガー達が何の考えもなくああした訳じゃないって、今は理解してるのよ。エルは良い子だし、そのエルがあれだけ懐いてるルドガーも、彼と親しくしてる人達も、悪い人じゃあないんだろうって事はわかるの。でも、世界を壊された事を、姉さんを奪われた事を、正史世界の為だから仕方がなかったって……まだそこまでは割り切れてないのよ」
「そりゃ当然だろ。誰だってそうなる。無理に割り切る必要も無いと俺は思うけど、お前がそれで苦しいんなら、尚更あいつらと一緒に居ろよ。これからのあいつらを見て、お前の世界を犠牲にしてでも守る価値があったのかどうかを見定めればいい」
「……それでもし、そんな価値は無かったっていう結論に至ったらどうするのよ?」
「あー、そん時は、お前も俺の仲間入りだな。晴れてこの世界の、人類の皆さんの敵って訳だ。気が済むまで暴れるなり何なりすりゃーいい。……少なくとも、どっちを選んだって、お前は一人にはならねぇよ」
だから安心しろ、という意味を言外に含むその言葉に、ミラは眉を下げて微笑んだ。そして、差し出されていたシンの掌を掴んで立ち上がる。
「心強いわね。……有難う、少しは落ち着いたわ」
「そりゃ良かった。ま、俺としてもお前がこうして居てくれると正直助かる。これまでは何一つ救えず終いだったからな。いや、お前にとっては今のこの状況はあんまり良くもねぇんだろうが……助けられる見込みがあるって分かっただけでも、俺にとっちゃ希望だよ」
「……貴方は、これまでずっとそうやって戦ってきたの? 一人で?」
その言葉に、シンは「まぁな」と自嘲気味に笑った。
そこにどんな苦労があったのか、どんな葛藤や孤独があっただろうかと推量したミラは、慰めの言葉の代わりに彼の手を強く握った。