03.帰る場所を失くして

陽が落ちて空に星が瞬く時間帯。
忙しかろうと店長に一声かけるだけのつもりだったシンは、あれよあれよと話が広まり集まった職場の皆の歓待を受けて、結局こんな時間まで長居してしまっていた。

まあ少しだけでも手伝えたし、お土産も貰えたしいいかと、夜食にと渡された弁当の入った袋を手に、ロド・マンションまでの道程を歩いていく。

その途中、店の前に何やら人集りが出来ているのを見かけて、シンは一度立ち止まった。
何か催しでもやっているのか、時間帯的には酔った奴らが暴れているだけの可能性もあるなと思いつつ野次馬根性で近寄ってみると、その輪の中心には一人の男が立っていた。

店の明かりに照らされて浮かび上がるその容貌を捉えたシンは「これは声をかけるべきか、見なかったことにして立ち去るべきか」と決めあぐねていたが、その結論が出る前に相手がそれに気付いた。

男は人々に丁寧な断りを入れてから、人壁を割いてシンの傍へやって来る。集っていた人々はそれを見送ると、散り散りに何処かへと去っていった。

「あんた、こんな時間にこんな所で何やってんだ?」

「それはこちらの台詞だ。以前話したきり連絡が無かったので心配したぞ」

「心配って……、お前はいつから俺の保護者になったんだよ。前に言ってたローエン達とのゴタゴタはもう解決したし、今後は暫く一緒に行動する予定だから、もう何も心配いらねーよ」

「そうか、それならば良かった」

本当に、心底安堵したといった様子で表情を和らげる相手――アーストに、その感情の所以を知らないシンはただ困惑する事しか出来ない。

「そういや、そっちこそ前に話してた件は済んだのかよ? なんかあの、遠回しな相談みたいなやつ」

「相談? 俺がお前にか?」

「覚えてねーのかよ。なんかウニャウニャ言ってただろ、償いがどうとか何とか……」

「ああ……、いや、あれは相談というか……、そうだ、それがあったな。シン」

「なんだよ?」

「俺を殴ってくれ」


――――沈黙。


夜風が吹いて、二人の間をひらひらと舞う木の葉が通り抜けていった。
至極真面目な顔で言い放ったアーストに対し、シンは心の底から引いていた。

「いや……悪いけど、俺はそういう趣味ねぇからよ……そういう店行ってやってくれるか……?」

「ん……? それはどういう意味だ? 俺は以前、お前が言っていた要求に応えているだけなのだが」

「俺はお前を殴りたいだなんて言った覚えは無い」

「確かに言っていたが」

「言ってねぇよマジで何なんだよお前、酔ってんのか? 全然そうは見えねぇけど」

理解が及ばない。及ばなさ過ぎて怖い。
シンが本気で嫌がっているのを見て、説明が足りていないせいでとんでもない誤解を受けている事を理解していないアーストは首を捻った。

「まあ、お前がそれで良いのなら良いが。ところで、ルドガーは今何処にいる?」

「ルドガー? あいつなら多分家で休んでると思うけど、なんか用か?」

「今お前たちが関わっている話……分史世界の件について、大凡の事はローエンから聞いた。その上で、あいつに分史世界の破壊という役目を任せておいていいのか、あいつがこの世界の命運を担うに足る男なのかどうかを、この目で見極めておきたいと思ってな」

先程までとは打って変わって、この上なくまともな話を始めたアーストに、笑い半分で受け答えしていたシンも姿勢を正す。

「まるで指導者か何かみたいだなお前。どっかいいとこのボンボンだろうとは思ってたけど、実は大企業の社長か何かか? だったら早めにそう言っといてくれよ。今更遅いだろうけど、態度改めっから」

「…………。仮にそうだとしても態度を改めて貰う必要は無いが、何故そう思う?」

「勘」

正体を見破られそうになって内心で焦っていたリーゼ・マクシア国王ガイアス兼アーストは、あまりにも単純な答えに緊張を削がれてしまった。
その反応を見て、シンが端折ってしまった詳細な理由を付け加える。

「見極めるって言うからには、もし駄目だったらどうにかしようって考えてるって事だろ。言い換えれば"お前はそれが出来る立場に居る"って事だ。世界規模の話に対してそんな振る舞いが出来る奴なんて限られてる。……俺はお前が"一般市民として扱って欲しい"と思ってる内は無理に正体を暴こうとも思わねーけど、全員が全員俺みたいに他人に無関心な奴ばっかじゃねぇからよ、隠してんなら気ぃ付けろよ」

「……成程な。忠告感謝する、胸に留めておこう」

「そーしろ。あと、そんな奴がフラフラ一人で出歩くなよ。ローエンがお目付け役なんじゃねぇの?」

「否定はせん。が、常に共に行動するよりも、バラバラに動いていた方が効率が良い。もし何かあったとしても、大抵のことなら俺一人で対処も出来る。ローエンもそれを認めてくれているのでな。お陰で、ある程度の自由は利く」

「"効率"ねぇ……、何調べて何やってんのか知らねーけど、目付けられたくなかったらほどほどにしとけよ、さっきも思いっきり目立ってたぞ。――で、どうする? ルドガーに用ってんなら、家まで連れて行くぐらいはしてやってもいいけど」

「いや、今日はもう遅い。次の任務がまだ決まっていないのであれば、明日以降に声をかけさせて貰おう。なかなか捕まらないようであれば、お前に連絡させて貰うが」

「なんで俺だよ、直接連絡しろ」

「ルドガーの番号は知らん」

「じゃあせめてローエンにしろ。それなりの身分にある奴がそうホイホイ一般市民に連絡するもんじゃ――」

と、何を見たのか、シンは突然言葉を切ってアーストの影に隠れた。
軽く周囲を見渡してみれば、シンと同世代であろう制服姿の少年達が、談笑しながら歩いて来るのが目に留まる。

「……知り合いか?」

「いいから動くな。喋んな。あんまそっち見んな」

切迫した様子のシンにそう言われ、アーストはひとまずそれに従った。
少年達はこちらには目もくれず、そのまま通り過ぎて雑踏に消える。

「……行ったぞ。どういう関係だ?」

「……ダチだよ、同じ学校のダチ」

「友人ならば隠れる必要も無いだろう。俺の目には、お前が怯えているようにも見えたが」

シンは縮こませていた身体を元に戻しつつ、未だ戻っては来ないだろうかと彼らの去った方角を見つめていた。
ただ単に喧嘩中で顔を合わせるのが気まずいだけ、と言うにはあまりにも過剰なリアクションだ。

「ダチだってのは本当だよ。別に、あいつらがヤベー奴って訳でもない。ただ……」

「ただ?」

「…………。……なんでもない。じゃあな、他に用がねーんなら俺もう帰るわ」

そう言ってとぼとぼと去って行こうとするシンに、アーストがすたすたとついて行く。

「……なんだよ?」

「心配なのでな」

「何がだよ。別になんもねーよ」

「そうは見えん。どのみち、今日はもう予定も無い。宿もまだ決めて居なかったのでな」

「宿……って、家ついて来る気かよ?」

「それが一番手っ取り早い。お前に付いていれば、わざわざ探し回らずともルドガーに会えるだろう」

「いや、そりゃお前はそれでいいかもしれねーけどよ……ちょっとは遠慮しろよ……」

「寝床や食事を用意しろとまでは言わんぞ、俺は何処ででも眠れる」

「そういう問題じゃねーんだわ……」

折れるつもりの無さそうなアーストに、追い払うのも面倒になったシンは仕方なく彼を連れてマンションに戻った。

ルドガー達の住まいに比べれば少々散らかっている部屋を適当に綺麗にして、物珍しそうにしているアーストに手に持っていた袋を突きつける。

「これは?」

「トリグラフ中央駅の食堂のメシ。俺が夜食にでも食うつもりだったけど、別に腹減ってねーからお前が食えよ。飲み物とかはそのへんに置いてあるやつ飲んでいいから自分で用意してくれ。俺はシャワー浴びて寝る」

そう告げるなり、シンは浴室へと消えていった。
残されたアーストはとりあえず言われた通りにしようと、授かった夕食を有難く食べ始める。

一方で、シンはさっさと服を脱いで、頭からお湯を浴びて今日の汚れを落としていく。
脳裏には先程見た友人達の姿が浮かんでいた。久しく見ていなかったが、どうやら元気でやってはいるようだ。それを知れてホッとしたのと同時に、忘れていた感情が湧き上がってくる。

どうして今、自分は彼らと共に居ないのか。
どうして彼らの前に姿を現す事が出来ないのか。
どうして普通に話すことすら出来なくなってしまったのか。

その理由を思い出して、シンは拳を壁に叩きつける。
奪われた日常。当たり前だったものが全て変わってしまった現実。

『……シン? 大丈夫か?』

シャワーに打たれながら何処かへ行ってしまっていた意識は、扉越しに聞こえてきたアーストの声によって引き戻された。

どうやら先の拳に力を込め過ぎてしまったらしい。それにしたって一度大きな音がしたぐらいでわざわざ様子を見に来るとは。どれだけ心配性なのかとシンは呆れる。

「ちょっとぶつけただけだ、なんでもねーからあっち行ってろ」

『そうか。ちなみに、机の上に置いてあるあの箱のようなものは何だ? 黒匣か?』

「箱? 黒匣? ……ああ、もしかしてテレビのリモコンの事か? ボタン押せば分かる」

言葉で説明するよりはその方が早いだろうと考えたシンにそう言われて、扉の向こうのアーストは首を傾げながらリビングへと戻っていった。
目次へ戻る | TOPへ戻る