03.帰る場所を失くして

ヤレヤレと思いつつ、しかしお陰で黒い感情に飲み込まれずに済んだシンは、一通り身体を洗い終えてから浴室を出る。

用意してあった寝巻きに着替えて、濡れた髪をタオルで拭いながらリビングに向かうと、そこには綺麗に片付けられた弁当の容器と、何故か抜刀しているアーストと、真っ二つになっているテレビの残骸があった。

シンはタオルを動かしていた手を止めた。相手に気づいたアーストが鬼気迫る様子で口を開く。

「ああ、シン、丁度良い所に」

「…………。……とりあえず聞くけど、お前何やってんだ?」

「お前に言われた通りにそこのリモコンとやらのボタンを押してみたのだが、突然この板に人の姿が映し出されてな。それも何やら大規模な抗争の真っ最中だった。状況を把握しようと暫くはそれを眺めていたのだが、そのうちに兵の一人がこちらに気付いてな。話も聞かずに襲いかかって来ようとしたので、とりあえずこの板を斬ってみたのだが……何とかなったようだ。察するに、これはマクスウェルの次元刀と似た性能を持つ黒匣なのだろう? 空間を繋げるような技術がエレンピオスにもあるとは……」

と、アーストは感心したように言っていたが、その話はシンの耳には殆ど入っていなかった。

それでも何が起こったのかを理解出来たシンは、先程風呂場で壁を叩いたのと同じように拳を作り、それをアーストの顔面目掛けて振るう。アーストは反射的にそれを避けてしまった。

「!? どうした急に」

「どうしたもこうしたもねぇわ!! 何してくれてんだお前!!」

「この黒匣を破壊した事を怒っているのか? だがこうでもしないと敵が今にもこの部屋に――」

「来ね〜よ!! お前、お前マジで本当にふざけんなよお前!! もうリーゼ・マクシアに帰れよお前は!! 全然適応出来てねーじゃねぇか!!」

相手の胸ぐらを掴んで力いっぱい叫んだシンは、ぜぇはぁと荒い呼吸を繰り返してその場に崩れ落ちた。
アーストは「何だかよく分からないがマズかったらしい」という事だけは理解して、その場に正座する。

「すまない」

「ごめんで済んだら警察は要らねぇんだよ馬鹿野郎……お前はまずローエンに黒匣についての必要最低限の知識を教わってくれよ頼むから……何で俺ばっかりお前のその無知の被害に遭わなきゃならねーんだよ……」

「すまない」

もうとにかく謝るしかない。本気で憔悴した様子のシンにアーストは狼狽えながらそう思った。
何度かそのやり取りを繰り返して、最後にシンが溜息で締め括る。

「もういいから、お前もシャワー浴びて来い。シャワーの使い方は分かるよな? ――ああいや、もう怖いからついて行くわ。シャワーまで壊されたらいよいよこの部屋で生活出来なくなる……」

「すまない、恩に着る」

「恩はいいから弁償しろ」

シャワーの使い方など浴室周りの黒匣についての説明をして、一人リビングに戻ったシンは綺麗に半分になってしまったテレビを部屋の隅に移動させた。正直泣きたい気持ちでいっぱいだったが、泣いたところでテレビが戻ってくる訳では無いし、何よりこんなくだらない事で涙を流したくも無いので我慢した。

恐らくアーストが見たのはドキュメンタリー番組かドラマか何かだったのだろう。もっと他の、音楽番組や天気予報の類であればこんな目に遭う事は無かったのだろうと思うとやりきれない。運が悪すぎる。

せめて笑い話にしてやろうと壊れたテレビの写真を添付したメールを仲間達のGHSに送信していると、程なくしてアーストが戻ってきた。
アーストのサイズに合う寝巻きや下着は持ち合わせがなかったので、今彼が着ているのはマンションに帰ってくる前に近隣の店で調達した安物なのだが、いかんせん顔とスタイルが良いせいで無駄に高そうに見える。

「風呂場のもん壊してねーだろうな?」

「大丈夫だ。……恐らくは」

「もし壊れてたら後で纏めて請求するからな……あと出禁にする。二度とうちの敷居を跨ぐな」

「すまない」

「それはもういい」

仲間達からのリアクションを知らせる通知音がGHSから上がっているが、それらを見る余力も無くなったシンはソファーに突っ伏した。雨ざらしになった仔犬のような顔で立ち尽くしているアーストに、ベッドを指し示して言う。

「お前の寝床はそっちな。俺はもう寝るから、お前は好きにしろ。黒匣には絶対に触るなよ」

「待て、お前がこちらを使うべきだろう。俺は何処でも眠れると言った筈だ」

「それなりの身分だろう奴をンな扱いに出来るかよ。俺だって別に何処でも寝れるから気にすんな」

そう言われても納得出来ないアーストは、寝に入っているシンを持ち上げて強引にベッドへと運んだ。
そして、自分はソファーに身を沈める。

「……おい」

「…………」

「狸寝入りすんな。……ったく、変なところで頑固だなお前。テレビ割った事を反省してんならもういいから、こっちで寝ろって」

「…………」

「聞いてんのかよ」

「…………」

終始無言。
その態度にシンは説得を諦めて眠ろうとしたが、不意に頭に激痛が走って飛び起きる。

「――――ッ!! ぁ、ぐ……っ!!」

「……ん? どうした?」

その様子に気付いたアーストは立ち上がりシンの傍へ。
なんでもないからお前は寝てろと、そう言葉を紡ぐことも出来ないほどの痛みに、シーツを握る手に汗が滲む。

「おい、しっかりしろ。医者を呼んだ方がいいのなら――」

「……っ、いい、平気、だから……いつもの、発作、みたいなもん、で」

途切れ途切れに声を絞り出すのが精一杯だ。
アーストが本当に大丈夫なのかと何度も問うてくるので、シンはそれに合わせて何度も頷く。

やがて痛みが引いてまともに喋れるようになった頃には、脂汗で全身ベタベタになってしまっていた。ああせっかくシャワーで流したばかりなのにと、シンの頭に真っ先に浮かんだのはそんなことだった。

「……悪い、もう大丈夫だ」

「持病があったのか?」

「病気っつーか……まあ似たようなもんだけどよ。医者にどうこう出来るもんじゃねーから、呼ぶのはナシな」

「……だが、今の苦しみ様は放っておいて良いものでも無いだろう」

傍らに膝を着いて心配そうに見つめてくるアーストに、シンは「大丈夫だ」と繰り返す事しか出来なかった。

原因は解っている。そしてそれが、現状はどうする事も出来ないものだとも知っている。故に耐えるしかない。

「何か俺に出来ることはあるか?」

「いいって。その気持ちだけ有難く貰っとく。騒がして起こして悪かったな」

「……そうか」

歯痒そうな顔で拳を握るアーストを、ベッドに倒れ込んだシンが90度傾いた視界で眺める。

「……なあ、お前さ、何で急にそんな風になったんだよ?」

「そんな風、とは?」

「俺のこと、やたらと心配するようになっただろ。別に嫌じゃねーけどよ、そこまでされる心当たりがねぇから」

「それは……」

と、出かかったその先の言葉を、アーストが告げることは無かった。
ひどく辛そうな顔で、口を真一文字に結んで、視線を床に落とすだけ。

「言えない事情があんのかよ」

「……すまん」

「謝んな。俺は別に困ってねぇよ。言えねーなら言わなくていい。でも、それを前に言ってたような償いとかの類でやってんなら、もうやめろ。どんな理由だとしても、俺はお前にそんな風に扱われる事は望んでない」

「それは……、だが俺は……」

アーストは首を振るって、続く言葉と己の無念を振り払った。自分がどうあれ、相手がそれを望んでいないのなら、これ以上押し付けるべきではない。
代わりに、頭に浮かんだ一つの可能性について問う。

「シン、その症状はいつからだ? 生まれつき在ったものか?」

「いや……こうなったのは、大体一年くらい前からだよ」

「一年前と言うと、断界殻が無くなりリーゼ・マクシアとエレンピオスが繋がった頃か」

「ああ。……厳密に言えば、そのちょっと前。あんたが知ってるかは分かんねーけど、その頃にヘリオボーグの研究所で黒匣が破壊される事件があったんだ」

――アーストは息を飲んだ。

知っている。何せ自分は当事者だ。破壊したのは俺だ。
当たって欲しくはなかった予想が的中している事を察して、アーストは表情を強ばらせた。シンはそれに気付かない。

「丁度その頃に交通事故に遭ってな。まあ、そんなデカい事故でもなくて、バイク走らせてたらガキが飛び出してきたから、慌ててそれを避けようとして横転したってだけなんだけどよ。打ちどころが悪くてな。その日届く予定だった最新式の医療用黒匣さえあれば何とかなったんだが……」

「……まさかそれが、ヘリオボーグに保管されていた物の中にあったのか……?」

「そういう事。で、その結果治療が遅れに遅れて……これはその後遺症みたいなもんだよ」

話し終えたシンはくぁ、と欠伸をして瞼を閉じた。今日一日で色々とあり過ぎたせいで、身体が疲労を訴えている。

「そろそろマジで眠ぃから寝るわ……おやすみ……」

「……ああ、おやすみ」

シンが静かになり、すぅすぅと寝息を立て始めても、アーストはその場から動けなかった。
ただじっと相手の寝顔を見つめて、かつて自分が行ったことを、取り返しのつかない過去を反芻する。

「……すまん、シン。俺は過去のお前を助けてやる事も、今のお前を楽にしてやる事も出来ん。王だ何だと大層な肩書きをいくら背負った所で、人一人救うことすらままならん。俺は……」

いくら力があったとしても、結局は自分も彼らと同じ人の子だ。何でも願いを叶えてやれる大精霊のようにはいかない。

だがそれでも、ガイアスを捨ててアーストを選ぶ訳にはいかないのだ。個の為に全の安寧を揺るがせる訳にはいかない。故に今彼に真実を明かしてはならない。

相手に伝えられない謝罪を、後悔を、胸の内を吐露したアーストは、せめてその縛りの中で自分に出来ることは何かと考え続けた。
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