03.帰る場所を失くして
今度は一体どこへ飛ばされるのだろうかと思えば、座標が示した先はハ・ミルに隣接する分史世界のキジル海瀑だった。一見して正史世界と変わったところはなく、エルは砂浜に貝殻を見つけて駆けていく。
「あんな子供を連れ歩く気が知れないわ」
まあそれはごもっともだ。そう思うからこそ、ミラの手厳しい言葉で落ち込むルドガーに何と声をかけてやる事もシンは出来なかったが、代わりにミュゼが答える。
「人間って、守るものがある方が強いんじゃないかしら」
「貴女もそうだった?」
「さぁ? 私は人間じゃないから」
「……そうよね」
「でも、ひとりぼっちはもう嫌」
含蓄のある言葉だなとシンは思った。「もう」と言うからには、彼女はかつてその孤独を味わった事があるのだろう。
ミラは切なげに瞼を下げて、ミュゼの言葉を肯定する。
ルドガーはそれを黙って見ていたが、不意に何かに気づいたように岩礁の方へ歩いて行った。ミラは思い思いに行動する一行に呆れながらもその後に続く。
「それで、貴方はどちら様? 前にルドガー達と会った時には見かけなかったけれど、新しいお友達?」
エリーゼもエルの方へ行ってしまったので、その場にはシンとミュゼだけが残った。
声をかけられたシンは「今は協力関係だな」と返す。
「そっちこそ、あいつらの知り合いなんだな。ミラ=マクスウェル繋がりか?」
「あら、こっちのミラの事を知ってるの?」
「いや、人伝に聞いただけだ。ジュード達と昔になんか色々あったらしいな?」
「ええ。本当に、色々あったわ。……あの頃の私は、マクスウェル様の操り人形でしかなかった。与えられた任務だけが全てで、ミラの事も自分と同じマクスウェル様の駒の一つでしかないって思ってた。嘘を信じ込まされた哀れな人間だってね」
「ん? ちょっと待て。……人間? 精霊じゃねーのか?」
「そうよ? ミラは元々、マクスウェル様が自分の身代わりをさせる為に作った人間だったの。今は"本物のマクスウェル"になったけれどね」
「なんっだそれ……って事はまさか、今ここに居たミラもそうか?」
彼女が歩き去った方角を見据えて言うシンに、ミュゼも同じ方を向いて頷く。
「そうでしょうね。あの子からは精霊の気配を感じられないもの。私の知るミラと違って、あの子は最後まで人間のままだったのね。……正史世界のミラも、本当ならそうなる筈だったのよ。けれど彼女自身の意思と、彼女を慕う四大精霊の願いと、ジュード達の想いが結末を変えた。……今こうしてエレンピオス人である貴方と話している事も含めて、全部まるで夢みたいだって、今でも思うわ」
「へぇ……もしも当初の筋書き通りになってたらどうなってたんだ?」
「そうねぇ、今とは色々と違っていたでしょうけれど……私が貴方を殺していた可能性もあったかもしれないわね」
のんびりとした口調で、にっこりと微笑んでそう告げるミュゼに、シンは顔を引き攣らせた。自分の知らない所でそんな危ない綱渡りをさせられていたのかと思うとゾッとする。
「でもそうはならなかった。ジュード達と……私の場合は特にガイアスには、感謝してもし切れないわ」
「ガイアス? その名前は初めて出たな。……いや、でもなんかどっかで聞いた覚えあるような……」
「うそ、知らないの? 有名人なのよ? 元々凄い人だったけれど、今はもっと凄いことになっているって、ジュード達が言ってたもの」
「漠然とし過ぎだろ……つーかそもそも、お前らの人間関係は大体全員凄い奴しか居ねーじゃねぇか。著名人だの大精霊だの、次から次へと……」
「それでもガイアスは特別よ。私の知る人間の中でも、とびきり素敵な人だもの。私も人間界に来てからはまだ会えていないけれど、精霊界から見ていた時はよくローエンと一緒にエレンピオスを彷徨いていたりもしたわよ? 貴方もすれ違ったことぐらいはあるんじゃないかしら」
「ローエンと一緒に? ……それってまさか」
「きゃあああ……っ!」
突然響いたそのエルの悲鳴に、シンとミュゼが会話を打ち切って駆け寄る。
どこから現れたのか、そこには禍々しいオーラを纏った巨体の魔物の姿があった。エルはその近くの浜辺で苦しそうにのたうち回っており、傍でエリーゼが治癒術をかけながら懸命に呼びかけている。
「おい、大丈夫か!?」
「私は平気です! でもエルが……! あの魔物が変な精霊術を使って……!」
「回復が効かないー!」
「これは……呪霊術!?」
「危ない!!」
同じく騒ぎを聞き付けて戻ってきたミラとルドガーの注意喚起のおかげで、シンは魔物の一撃を既のところで躱して事なきを得た。エリーゼとエルに伸ばされた蟹のような爪は、いつの間にかルドガー達と合流していたらしいユリウスが弾き返す。
その瞬間、魔物の姿が陽炎のように揺らめいて掻き消えた。
「今のは……この世界の時歪の因子か!」
「呪霊術とは何だ?」
「生き物の命を腐らせる精霊術。解除するには、術者を倒すしかないわ」
「術者……さっきの魔物?」
「そう、"海瀑幻魔"……正史世界では絶滅した変異種。姿を隠して呪霊術で獲物を襲い、動かなくなった後、その血を啜る魔物よ」
海瀑幻魔と言えば、ビズリーの言っていたカナンの道標の一つだ。
であれば、倒して道標を手に入れなければならない。それ以前に、このままではエルの命が危ない。
身を捩りながら苦しそうに荒い呼吸を繰り返すエルに、ルドガーが意を決して立ち上がる。
「俺が幻魔を誘き出す!」
「はぁ? どうやって……」
と、エルを心配そうに見ていたミラが振り向いた先には、己の腕に剣の刃を添えるルドガーの姿。
誰が止める間もなく、ルドガーは剣を横方向に勢いよく引いた。裂かれた皮膚からは大量の血が溢れ、ボタボタと滴り落ちていく。
「ばっ……お前……!」
「何をするんですか!?」
「すごい血だよ〜!」
「まさか……血の臭いで幻魔を誘き出す気!?」
その狙い通り、魔物は大気を震わせるような咆哮と共に再び姿を現した。
ユリウスは弟のその勇姿を見て、彼に己が持っていた道標を投げ渡す。
「……大切なら守り抜け。何に換えても!」
ルドガーはそれに力強く頷き、流れる血も厭わずに魔物に立ち向かった。
「――ったく、やる前に一言くらい相談しろってんだ、馬鹿野郎」
と、ぶつくさ言いながら、シンはルドガーの腕に包帯を巻いていく。
主にルドガーの活躍によって幻魔を無事退治した一行は、正史世界のキジル海瀑で互いの怪我の治療を行っていた。エルの治療で既に疲労困憊だったエリーゼにこれ以上頼るのは忍びないと、軽傷レベルにまで治癒術で持っていった後はエレンピオス流の手当てに切り替えている。
「しかも何か進化してやがるしよ」
「進化って言い方されると、魔物みたいでなんだかなあ……成長って言ってくれよ」
「成長って感じじゃなかっただろ。何だよあのヤバそうな力」
道標の影響なのか、ルドガーの言うように単なる成長なのかは判然としないが、戦闘の最中ルドガーが発現させた骸殼能力はこれまでとは姿も性能も違っていた。
ルドガー自身、己の意思でやった事では無いらしく、シンの問いに「俺にもよくわからない」と苦笑を零す。
「まあでも、こうして道標は手に入ったんだし、エルも皆も無事だったし、結果オーライって事で。……それより、そっちこそもう大丈夫なのか? 正史世界に戻ってくるなり、凄い苦しそうにしてたけど……」
「あー、あれはいつもの発作みてーなもんだから気にすんな。でもアーストには言うなよ、めんどくせーから」
「はぁ……それはいいけど、調子悪いならあんまり無理するなよ」
「お前にだけは言われたくねぇよ。……ユリウスの野郎はまたどっか行ったのか。お前、いつからあいつと一緒に居たんだよ」
「幻魔が現れるちょっと前に見つけてな。……無事だといいけど」
戦闘が終わった頃には、既にユリウスの姿は無かった。
心配そうに周囲を見渡すルドガーの不安を和らげるように、ミュゼが答える。
「きっと大丈夫よ。……守るものがある人は強いもの」
「ルドガー! ――あっ!」
すっかり元気になったエルが砂に足を取られて転んだのを見て、ルドガーは苦笑しつつ立ち上がった。
「守るものがある人は強い、か。……その通りなのかもな」
だからお前らはそんなにも強くて、自分の為にしか戦えない俺では勝てないのだろうか。
エルに手を差し伸べるルドガーの姿を、そこに集う仲間達を見ながら、シンは寂しそうに呟いた。