04.その情を何と呼ぶ
正史世界のカン・バルクに戻り、コロコロと足元に転がってきたカナンの道標を拾い上げたエルは、それをルドガーに手渡した。「えっと……ルドガーは、がんばったと思うよ」
気遣うようにルドガーを見上げてそう述べるエルに同意しつつ、アーストもルドガーに労いの言葉をかける。
「ご苦労だった。……俺も、カーラの為に王位から退くべきか、苦悩した時期がある。だが結局、王であることを選んだ。何故かわかるか?」
「……ガイアスが強かったから?」
「強い……か。孤独に耐えられたのは、四象刃達のような、俺を支えてくれる人々が居たからだ。俺を強い王にしてくれる彼らを、裏切ることは出来なかった」
そしてそれは、今も変わらない。
最期まで自分を信じ、全てを託して消えていった忠臣達のことを思い返しながら、アーストは王として君臨し続ける決意を改めて固める。
「ルドガー、これはお前の問題でもある。分史世界破壊の過酷さは、どんな強き者の心も蝕んで行くだろう。一人で戦い続ければ、いつか孤独に呑み込まれるぞ」
「…………」
「コドクって、ひとりぼっちってことでしょ? ルドガーはちがうよ、エルたちが居るし」
「言うことだけは一人前ね」
「そう! エルは一人前!」
えっへん! と胸を張るエルに、皆の口から笑いが零れた。
いつもの穏やかな空気に戻った事に安堵しつつ、アーストは黙ったまま俯いているシンを見遣る。
出来ればこのまま立ち去って有耶無耶にしてしまいたいのだが、流石に今回はもう言い逃れ出来ないだろう。
であれば、せめて追求される前に自分の口からきちんと説明したい。
そんな風に、身分を明かす覚悟を決めたアーストの目の前で、不意にシンの身体がフラリと揺れた。
そして、糸が切れたかのようにその場に倒れる。
「!? シン!」
突然意識を失ったシンを抱き起こしたアーストは、顔面蒼白で荒い呼吸を繰り返すその様を見て、何が起こったのかを理解した。だが、以前よりも症状は重い。
「えっ、何何!? どうしたの!? 大丈夫!?」
「大丈夫──では無いだろうが、俺は前にもこうなっているのを見た事がある。あの時と同じならば、暫くすれば治まる筈だが……」
「そう言えば、前に分史世界から戻ってきた時も苦しそうにしてたな……原因は何なんだ?」
ルドガーの問いに、アーストは正直に話すべきかどうか悩んだ末、何も言わずに首を振った。
原因が分史世界の破壊にあると知れば、ルドガーの覚悟が揺らいでしまうかもしれない。そうでなくとも、ただでさえ重い責任が更に重くなることは避けられないだろう。
世界の為にとシンに痛みを強いる事で、苦悩するのは己だけでいい。
そんな想いで、アーストはシンの身体を抱えて立ち上がる。
「とにかく、今は休ませるしかない。こいつの事は俺に任せろ」
「……わかった。じゃあ、俺達は先にトリグラフに戻って、クランスピア社に報告してくる。もし何かあれば連絡してくれ」
「ああ」
街を後にするルドガー達を見送ったアーストは、シンを近くの宿に運ぼうと歩き出したが、途中で足の向きを変えた。
この際、城に連れ帰った方が話が早いか。
看病するにしても、より設備の良い城の方が都合が良いだろう。
そうして久方ぶりに居城の床を踏んだアーストを、衛兵達は喜んで迎え入れた。
いつ何時、誰が来ても良いように整えられている客室の綺麗なベッドに、苦しむシンをゆっくりと下ろす。
分史世界が消えれば、それに紐づいているパーツも消える、という事は理解したが、実際に身体の一部が欠落する訳でも無い様だ。今の彼の身体は、普通の人間とは根本的に造りが違うのだろう。
だがそのせいで、傍から見ただけでは、彼がどんな状態にあるのか判断し難い。
今ルドガーの手元にあるカナンの道標は3つ。3つでこの有様だ。
こんな調子で、残り2つを集め終えるまで、彼の身体は持つのだろうか?
それに、仮に耐えられたとしても──アーストの懸念はそれだけでは無かった。
「お帰りなさい、ガイアス。シンが倒れたんですって? 具合はどう?」
ルドガー達から事情を聞いたのか、姿を現すなりそう声をかけてきたミュゼに、アーストは「見ての通りだ」と答える。
「ミュゼ、オリジンの審判の報酬とやらで、分史世界と正史世界の両方を救うことは可能なのか?」
「両方を救う……? そんな事が出来るだなんて、誰が言ったの?」
咎めるような物言いには、否定の意味が込められていた。
ローエンに話を聞いた時から抱いていた疑念が確信に変わって、アーストは拳を握る。
「この世界はね、オリジンが魂の浄化──人が抱く負の感情から生まれる穢れを綺麗にしてくれているから、存続出来ているの。穢れを放置すれば、この世界はあっという間に瘴気に呑まれて滅んでしまう……けれど、いくらオリジンでも、浄化出来る魂の量には限界があるわ。だから、今の総量から更に魂を増やす事は出来ないのよ」
「……ならば総量を増やさずに、今ある魂をそれぞれの世界に均等に分配すればどうなる?」
「それは今この世界で実際に起こっているでしょう? 今ある魂の数だけでは、正史世界一つを維持する事しか出来ない。分史世界に魂を分配すれば、その分だけ一つ一つの世界に存在する生命の数も減っていく。そうなれば、草木は枯れ、人や精霊も死に絶える……最終的には、何も無い荒野だけが残るでしょうね。……だから、両方を救うだなんて、どうやっても無理なのよ」
「そうか…………」
アーストは力無く言って、ベッドの端に腰を下ろし頭を抱えた。
ミュゼはどうして両方の世界を救いたいなどと言い出したのか、その理由を考えて、ベッドに横たわっているシンに行き着く。
「……その子一人を救うだけなら、オリジンにそう願えばいいわ。人一人生き還らせる事くらいなら出来るでしょうし」
「だが、オリジンが叶える願いは一つだけなのだろう? 俺がそれを願えば、この世界は滅びる事になる」
「そうね」
「…………なら、俺の答えは決まっている」
天秤に乗せるまでもない。どちらの方が重いのかは分かりきっている。
リーゼ・マクシアの王として、どちらを選ぶべきなのかも。
だが────
(……俺は二度も、こいつを殺すのか? 何の罪も無いこいつを?)
シン一人を選ぶことなど出来るはずも無いのに、それでもアーストは、そう自問せずには居られなかった。