04.その情を何と呼ぶ
なんか、懐かしくてすっげぇムカつく夢見てた気がする。ベッドの上で意識を取り戻したシンはそう思いつつ、上体を起こして薄暗い部屋を見渡した。
間接照明に照らし出されている壁や柱の意匠からして、ここはカン・バルクの王城の一室なのだろう。
という事は、ここはまだ分史世界なのかと考えて、いやでも記憶の最後には正史世界に戻っていたなと思い出す。
カナンの道標を回収して戻ってきた頃はまだ周囲は明るかったが、窓から見える景色はすっかり夜になっていた。
GHSを取り出して時刻を確認してみると、日付は変わり今は深夜の2時過ぎ。
随分長いこと気を失っていたようだ。
それにしても、どうして王城なんかで寝かされているんだと首を傾げたシンは、ノックの音と共に部屋に入ってきたアーストを見てハッとする。
────ああ、そういやそうだったな。
出来る事なら知らないままで居たかった真実を知ってしまったシンは、安堵した様子のアーストに苦い顔を向ける。
「具合はどうだ?」
「……平気。世話かけて悪かったな、王様=v
わざと強調して言えば、アーストは分かり易く面食らった顔をした。
「……アーストだ」
「王様なんだろ」
「…………。ああ」
観念した様子で肯定したアーストに、シンははぁ〜と深い溜息を零した。
確かにエルはそう呼んでいたが、まさかそれが本当の事だとは夢にも思うまい。
「王様って、もっと年寄りがやるもんじゃねーのかよ……ローエンが王様でお前が付き人って言われた方が、まだ納得するわ」
「そうか? これでも民や兵からは、王としてそれなりに支持されているのだが」
「まあ、慕われてるとこは何となく想像出来るけどよ。王様ってあれだろ、要は分史世界でリインとかいう男が座ってた、あのご大層な椅子でふんぞり返ってるのがお前って事だろ? 全ッ然想像つかねーわ」
そう断言するシンに、実際そうしていた時期もあったアーストは、なんと答えていいのか分からず閉口する。
「そもそも、王様ってそんな軽々しく出歩いていーもんなのかよ? お偉いさん同士の会合ならともかく、他国の民衆に混じって一人で街中ウロウロすんのはヤベーだろ」
「まあ、多少危険はあるかもしれんが、人伝に聞いた話だけでは分からん事も多いのでな。特にエレンピオスの事については、少し前までこちらはその存在すら知らずに居たのだ。和平を結ぶにも、まずは相手のことを知らねばならん」
「そりゃそうかもしれねーけどよ……ローエンの胃に穴空くぞ」
可哀想に、と同情するシンの前に、それはともかく、とアーストが片膝を着く。
「騙していてすまなかった。成り行きで明かす事になってしまった点も含めて詫びよう」
「ちょっ──おい、馬鹿、何やってんだ!」
頭を下げられたシンはギョッとして、跪くアーストを慌てて立ち上がらせた。
「お前自分の立場分かってんのか!?」
「普段は弁えているが、ここなら周囲の目を気にする必要も無いだろう」
「んなもん何処で誰が見てるかわかんねーだろ!? リーゼ・マクシアじゃどうだか知らねーが、エレンピオスじゃ有名人にはゴシップ狙いの記者が年中張り付いてんだぞ!」
日頃はその記事を読んでケラケラと笑っている立場だが、書かれる対象になるとこうも肝が冷えるものなのか。
窓の外に人の影が無いか念入りに確認しつつ、シンは今更もう遅いとは思いつつも分厚いカーテンを閉める。
「大体な、別にお前が俺に正体明かさなきゃならねぇ理由もねーだろ。王様だってんなら尚更、そう簡単に話していいもんじゃねぇよ」
──というか、今こうして馴れ馴れしく話しているのも、これまでのあれやそれも、不敬罪にはならないのだろうか?
後々言及される事を恐れてシンは身震いした。
これ以上罪を重ねる前に立ち去ろうと、ベッドから這い出て扉へ向かう。
「おい、何処へ行く」
「俺みたいなのが城ん中居たら迷惑だろ。もう体調は悪くねぇし、適当に宿でも取るわ」
「何がどう迷惑になるのか分からんが、わざわざ改めて宿を取る必要など無いだろう。今日はここで休め」
「落ち着かねーんだよ」
「ならば別の部屋を用意しよう」
「そういう事じゃねぇよ! お前がどういうつもりか知らねーけど、俺みたいなのが傍に居たらお前の沽券に関わんだろ」
「……先程から言っているその俺みたいな≠ニいうのはどういう意味だ?」
「どういうって……」
本気で分かっていない様子のアーストに、シンは口元を引き攣らせた。
別に卑屈な訳でもないが、流石に王の友人として自分が相応しくない事ぐらいは分かる。
ジュードのように立派な肩書きがある訳でも無いし、ルドガーのように傍に居なければならない明確な理由も無い。
エレンピオスのただの学生。それも決して素行が良いとは言い難い、つい最近までクランスピア社のお尋ね者だったような人物。
そんな者と親しくしていれば、アーストの印象が悪くなるのは必定。そう考えるのが普通では無いだろうか。
「とにかく、今日はもう帰るから、そこ退けよ」
シンが出て行こうとしている事を知るなり扉の前に先回りして通せんぼし出したアーストは、間髪入れずに断る。
「夜は一段と冷えるぞ。そんな薄着で彷徨いていては風邪を引く」
「別にちょっとぐらい平気だろ。ここに居る事に比べりゃマシだっつの」
「……それほど俺と居るのが嫌か?」
「いや別に、お前が嫌とかそういうんじゃねーけど……」
「ならばここに居てくれ」
「居てくれって……俺が居てもお前に何もメリット無いだろ」
「損得の問題では無い。ただ、俺がお前と居たいだけだ」
至極真剣な顔でそう言われ、シンは言葉を詰まらせた。
そこまで言わせるような魅力が自分にあるとは思えないのだが、一体何が彼をそこまで執着させているのだろうか。
「……せめてこれぐらいの事はさせてくれ」
訝しんでいたシンは、思い詰めた顔でそう呟くアーストを見て、その理由に思い至った。
「そっちが本音か? お前、俺に隠してる事もう一つあんだろ」
身分に関してはさして興味も無かったし、隠されていたことにも不満は無いのだが、アーストが過度に心配し世話を焼いてくる件に関しては別。
これまで深く追求しなかったのは、あくまでアーストが民間人──ビズリーと同じような大企業の社長──であろうと思っていたからだ。
それが国王となると流石に訳が違う。
「ただの酔狂でやってるんじゃねぇんだろ。話せよ。実は俺は前王の隠し子で、お前は俺の兄貴だったりすんのか?」
「いや……そういう訳では無いが……」
「じゃあ何だよ。今回は話すまで退かねーぞ」
アーストは唇を噛んだ。
ローエンとの約束。リーゼ・マクシアの民達。自分が守るべき多くのものが脳裏を過ぎる。
守る為には口を閉ざし続けなければならない。秘密を保持しなければならない。
道標を集めてカナンの地へ辿り着こうとも、二つの世界を救うことなど出来はしないのだという事も。
どちらか一つしか救えないのなら、自分は正史世界を救うつもりなのだという事も。
それを最後まで告げないまま、同志のフリをして事を進めようとしている事も。
シンがこうなった原因の全てが、自分にあるのだと言う事も。
「……シン、俺は……」
今にも泣き出しそうな顔をしているアーストを見て、シンはやれやれと肩を竦めた。
どうにも自分はこの男のこういう顔に弱いらしいと、以前テレビを一刀両断された時のことを回顧する。
「別に、どんな内容だったとしても、今なら怒らねーでやるからよ」
「責められることを恐れているのではない。ただ……」
「口止めされてんだろ? じゃあ口外もしねーでおくからよ。ローエンにも聞いたことは黙っといてやるよ。それならいいだろ?」
「…………」
「まだなんか他に渋る理由があんのかよ」
アーストは答えない。
日頃のアーストはどんな事であれハッキリと物を言うタイプだ。それがこんなにも歯切れを悪くしているのは、隠しているものがそれだけ深刻なものだからだろう。
だからこそ、知らないままで居たくはないとシンは思った。
自分に関係している事なのなら、彼を今の苦しみから解放してやれるのも自分しか居ないのだろうから。
そんな慈しみと思い遣りを以て、シンは自白を促すようにアーストの名を呼んだ。
その優しさを含んだ声色が、アーストの良心を殊更に苛む。
彼は自分を友と呼んでくれた。
嘘に嘘を重ねて、彼の信頼を裏切り続けるような事はしたくない。
助けることも出来ず、償うことも出来ないのならば、せめて誠実でありたい。
アーストは覚悟を決めて、彷徨わせていた視線をシンに向けた。
「……以前の、リーゼ・マクシアではなく、ア・ジュールの王であった頃の俺は、融通の効かない男だった。己が選択を疑わず、正しきは己であると信じ、自分だけがこの世界を、民を救ってやれるのだと慢心していた」
シンは突然そう語り出したアーストを不思議そうな目で見つめたが、そのいつになく真剣な面持ちに黙って耳を傾ける。
「故に俺は、何の犠牲も出さずに全てを救おうとするジュード達の在り方を否定し続けた。そんな生温いやり方では、世界を守る事など到底出来はしないと断じて、彼らが守ろうとした物をこの手で壊してしまった」
黒匣を無くせば困る者が居るというジュード達の主張を、自分は正しく理解しているつもりだった。
理解した上で、その重みを背負う覚悟を持って、ジュード達と相対したつもりだった。
けれど今こうして、シンという存在を前にして初めて、自分が切り捨てようとしたものがどれほどのものだったのかを、アーストは痛感する。
「もしあの時、俺がジュード達の声に耳を傾けていれば……己が選択が常に正しいのではないと気付けていれば……お前を死なせるような事にはならなかった」
「……え?」
シンはどうして死んでいることを知られているのかと困惑し、それから数秒かけて、アーストが今口にした言葉の意味を理解して青冷める。
一国の王であるアーストが、一庶民たる自分にこれほどまでに執着する理由。
ローエンにわざわざ口止めされている内容。
懺悔のように語られる過去。
彼が破壊してしまったもの。
全ての点と点が繋がり、恐ろしいスピードで解を導き出す。
「おい……ちょっと待てよ……まさかお前、お前が……」
嘘だろ、と、口から思わず零れたシンの声は僅かに震えていた。
そうであって欲しくないという気持ちから出たその言葉は、アーストによって否定される。
「一年前、ヘリオボーグに保管されていた大量の黒匣を破壊したのは……お前が探していたその犯人は……俺だ」