04.その情を何と呼ぶ
何とか最後まで言い切ったアーストは、知らずと掴んでしまっていたシンの両肩から手を離した。シンは大きく見開かれた両目にその姿を──探し求めていた仇の姿を写す。
「なんで……なんで、今更になって……言うなら言うで、もっと早くに……言わねぇなら最後まで隠せよ……なんで今このタイミングで……」
衝撃に脳と視界が揺れる。
胸中にじわじわと染み出してくる感情が、怒りなのか悲しみなのかもわからず、シンは呆然としたまま口を動かす。
「なんだよ……じゃあ、今までの全部……全部その償いが目的って事か……? それでお前あんなに……」
自分で言って、シンはひどく納得してしまった。
アーストの態度がおかしくなったのは、ローエンにヘリオボーグでの事件の話をした後だ。恐らくはローエンがアーストに伝えたのだろう。
「そりゃ、言えねーわな……俺、殺してやりてーとか言っちまったしな……自分でお前らが話せねー理由作ってたんじゃ、しょーがねぇわ……」
「シン、俺は────」
「いい。もう、いいから。それ以上なんも言うな」
これ以上何も聞きたくない。
グチャグチャに掻き乱されてしまった感情とは裏腹に、シンの思考は不思議なほどクリアだった。
アーストに気にかけられる理由として、これ以上納得のいく答えもない。
「よく分かった。……約束通り口外はしねーから安心しろよ」
もっと他に何か、ぶつけるべき言葉があるような気がするが、何も浮かんでこなかった。
道を塞いでいるアーストの体を押し退けて出ていこうとするシンを、予想より遥かに静かなリアクションに戸惑っていたアーストが引き留める。
「待てシン。それだけか? 他に俺に何か言うことが……」
「無ぇよ」
シンは手首を掴むアーストの手を振り払って、足早に部屋を出た。
広い城内の壮麗な造形には目もくれず、雪の降る夜のカン・バルクの街からも出て行く。
冷たい夜風に吹かれ、白い息を吐きながら、シンは迷いなく前へと突き進んでいく。
特にどこへ行こうと決めている訳でもない。ただ今はあの場所から離れたかった。
(……なんだよ、そんなショック受けるような事でもねーだろ。最初っからおかしいと思ってたんだしよ)
彼のような、見るからに住む世界の違う人間が、自分と友達になろうなどと本気で思う筈が無いのだ。
隠していることがあるのは知っていたし、それがあるからこそ彼は自分と関わろうとしているのだという事も、全て分かっていた筈だ。
分かっていたのに。どうして、こんなにも裏切られたような気分になってしまうのだろう。
(信じてたって言うのかよ? あんな正体不明のリーゼ・マクシア人の言うことなんかを。バカじゃねーの。頭お花畑かよ)
自分はそんな単純な人間では無かったはずだ。そんな簡単に、知り合って間も無い人間のことを信用するような、不用心な人間では無かったはずだ。
(……でも、アイツは、嘘言ってるようには見えなかったんだよ……)
友人だと言った時、本当に嬉しそうに見えたんだ。
別に俺と友達になったところで、大して良いことなんざ無いだろうに、子供みたいにはしゃぐから、柄にもなく大事にしてやらないとなんて思ってたんだよ。
(なんだよ……これじゃ、俺一人でバカみてぇじゃねーか……)
頭では大したことでは無いと思っているのに、それに反して視界は滲んでいく。
いつの間にか雪道は土の道に変わっていた。
モン高原からシャン・ドゥへ至る地下道の端で突っ立っていると、街の方面から歩いてきた人物に見つかる。
「おわっ!? 吃驚した、脅かすなよ!」
持っていた懐中電灯を向けてきたその人物は、そう言ってからそれが知り合いである事に気付く。
「って……お前、シンか? 何やってんだよ、こんなとこで」
シンもそこで漸く相手を見た。
そしてそれがアルヴィンである事を知るなり、慌てて顔を背けて目を擦る。
「は? ……泣いてんのか?」
「泣っ、いてねぇよ! お前、何でこんなとこに居んだよ!?」
「いや、そりゃこっちの台詞だって。ここ、俺がリーゼ・マクシアに居た時の地元。仕事の仕入れでこっちに来たから、ついでに昔住んでたとこの片付けもしようと思って寄ったんだよ。──で? そっちは?」
見られてしまったのは最悪だが、お陰で幾分落ち着きを取り戻したシンは、「別になんでもねぇよ」と鼻を啜る。
「何でもねぇって事はねーだろ。ガイアスと何かあったのか?」
「……何でそこでアイツの名前が出るんだよ」
「いや、レイアからお前が任務の後に倒れて、ガイアスが付き添いで残ってるって聞いたからよ。それが一人でこんなとこに居るって事は、それぐらいしかねーだろ?」
「…………」
「ま、話したくねーなら無理に言わなくていいけどよ。こんなとこ居たら風邪引くぞ。行くとこねーならウチ来いよ」
確かに、先程までは放心状態だったせいでまだ耐えられていたが、我に返ると死ぬほど寒い。
身体を震わせてクシャミをするシンにやれやれと苦笑しながら、元々シンの容態を聞きに行くつもりで街を出てきたアルヴィンは、彼を連れて来た道を戻り始めた。
「すまん、ローエン。シンに全て話した」
シンが部屋を出て暫く。
一人部屋に残されたアーストは、GHSを片手にそんな報告をしていた。
ただでさえ少ない貴重な睡眠時間を削られたローエンは、たっぷりの間を置いてから言葉を返す。
『そのご報告は、出来れば朝になってからお聞きしたかったですね……』
「すまん。だが、話が漏れて騒ぎになる可能性もあるかと思ってな。早めに伝えておくべきだと判断した。シンは口外はしないと言っていたが……鵜呑みにする訳にもいかぬだろう」
『そうですか……ちなみに、シンさんは何と?』
GHSが軋んだ。
アーストは真実を告げた際のシンのリアクションを思い出しながら、簡潔に答える。
「あいつは……特に何も言わなかった。ただ、わかったとだけ……」
もっと、声を荒らげて怒るのだと思っていた。
胸ぐらを掴まれて、ありとあらゆる罵詈雑言を並べられて、最後には渾身の右ストレートでも食らうのだろうと思っていた。
せめてもの罰にそうして欲しいという気持ちもあったし、それでシンの気持ちが少しでも楽になるのならそれで良いと思っていた。
「俺は、怒りをぶつける価値すらないと看做されたのかもしれん」
虚しさを感じながらそう呟くアーストに、ローエンは逡巡。
『……或いは、怒りよりも悲しみの方が大きかったのかもしれませんよ。まだ実感が湧いていないだけで、後々言及される可能性もあるでしょう。何れにせよ、知られてしまった以上は対策を講じねばなりませんね』
「ああ。……すまん」
受話口越しに素直に謝り続ける王に、一年仕えてある程度はその為人を理解している宰相が眉尻を下げて笑う。
『貴方が私情を優先するのは珍しいですね』
「そうだな……玉座に座るのならば己を捨てるべきだと、偉そうに語ったばかりだったが……」
『それだけシンさんの存在が、貴方にとって大きなものだったという事でしょう』
「不思議なものだ。まだ出逢ってそれほど長く時間は経っていないというのに」
『運命の出会いとはそういうものですよ』
随分とロマンチックな言い回しをするなと、アーストは苦笑を零した。
実際はそんなに良いものでは無かっただろう。特にシンにとっては。
「……真実を隠したまま、最後まで友として在り続けた方が、あいつにとっては良かったのだろうか」
いつも自分で勝手に決めて一人で突っ走り、後ろを振り返る事など滅多にしないタイプのアーストに意見を仰がれたローエンは、シンが彼に与える影響の大きさを改めて感じながら答える。
『それは、シンさんにしか分かりませんよ』
「ほら、これでも飲んどけよ」
コト、と机の上に置かれた湯気の立ち昇るマグカップを手に取り、その中に注がれた茶色い液体を見たシンは、対面の席に座ったアルヴィンに問う。
「なんだこれ」
「ホットココア」
「酒は?」
「欲しけりゃその服着替えてから来いよ」
その服、というのはシンがいつも着ているエレンピオスの学生服。
要は学生に酒を飲ませるつもりは無いという事らしい。
自身はホットワインを飲んでいるアルヴィンに、顰めっ面のシンは文句を垂れる。
「お前がそんなお堅いキャラだとは思わなかった」
「前はそうでも無かったけどな。今はそのへんキッチリしないと、ヤイヤイ言ってくる奴がわんさか居るんだよ」
「ふーん」
多分ジュード達の事なのだろうなと思いつつ、シンはアルコールの摂取は諦めて甘い液体を啜る。
「何でそんな連中と連んでんだよ」
「色々あったんだよ」
「またそれかよ」
「話すと長〜くなるからな」
「今がその長〜い話をするのに丁度いい機会なんじゃねぇの?」
「何だよ、聞きたいのか? 話してもいいけど、正直あんまり楽しい話じゃねーぞ。俺の色々≠ヘ特にな」
苦々しく言うアルヴィンに、お前が気乗りしねーならいいけど、とシンは黙々とココアを減らしていく。
「俺が昔アルクノアだったって事は話しただろ? 今でこそ友達みたいな面して一緒に居るけど、元々俺はジュード達の……ミラ=マクスウェルの敵だったんだよ」
事故によって望まずリーゼ・マクシアに流れ着いたエレンピオスの一団。
エレンピオスへ帰る為には、リーゼ・マクシアを覆う断界殼を破るか、それを作ったマクスウェルを殺すしか無かった。
「俺は自分の正体と目論見を隠したまま、暫くミラ達と行動を共にしてた。嘘を吐いて、騙して、裏切って……ミラを見殺しにしたり、仲間を殺せばエレンピオスに帰してやるなんていうミュゼの甘言に乗って、レイアの事を撃ったりもした。……でも結局、それらは何の意味も成さなかった」
最終的に帰って来れたのは、それらの努力が実った訳ではなく、ただの成り行きのようなものだった。
エレンピオスに乗り込もうとするガイアス達に対抗する為に、先代のマクスウェルが道を開き、ミラ達と一緒にエレンピオスへと飛ばされたのだ。
あれだけ苦労して、手を汚して、二十年もかけてやって来た事は全て無駄だったのではないかと思ってしまうほど、それはあまりにも唐突で、あっさりとした帰郷だった。
「残ったのは、あいつらを何度も裏切って傷付けたっていう事実と、罪悪感だけだ。そうやって、ただのクズになっちまった俺を、それでもあいつらは傍に置いてくれた。俺の居場所になってくれたんだ」
「……すげーお人好しだな」
「ホントにな。でも、そのお陰で今俺は、こうして普通に過ごしていられる。それが同情でも何でも、俺はあいつらと居られて幸せだよ」
アルヴィンは部屋を見渡して、かつてここに居た母の姿を思い浮かべながら言った。
出来ることなら、今の自分の姿を、変わった世界を見せてやりたかった。
「過去の過ちってのは、一生無くならねーだろ? 加害者側がこんなこと言ってるとまた怒られるだろうが……それって結構キツくてな。特にレイアと喋ってる時なんか、滅茶苦茶死にたい気分になる。でもだからこそ、今度はあいつらの為に何か出来たらなって、それが生きる原動力になってんだ」
「…………そうか」
「ま、償ったからって、それで全部チャラになるとは思ってねーけどよ。償うことすらさせて貰えない、なんて事にならなくて良かった。あいつらには感謝してもし切れねーな」
アルヴィンの話を聞きながら、シンはアーストの事を考えていた。
彼も同じように、罪の意識に苛まされているのだろうか。
「……でも、あいつらと一緒に居ると、そうやって色々思い出して辛くなるんだろ? ならさっさと離れちまった方が、お前は楽になれるんじゃねーの」
「あー、どうだろうな。それで綺麗さっぱりあいつらの事を忘れられるなら、それもアリかもな。……でも、あいつらの事は、そんな簡単には忘れらんねーよ」
だったら苦しくても、傍に居る方がずっといい。
「俺の事、見限らずに居てくれたのは、あいつらだけなんだ。やっと見つけた居場所を自分から捨てるくらいなら、死んだ方がマシかもな」
そう言って、アルヴィンは屈託なく笑った。
罪の意識から逃れることと、ジュード達と共に居ること。彼にとってどちらが幸せなのかは、その笑顔を見ればわかる。
(……加害者だって辛い、か)
罪を告白した時のアーストの表情を思い返しながら、シンはこれから彼とどう接するべきかをぼんやりと考えていた。