04.その情を何と呼ぶ

「今の声は……シンさんからですか?」

所変わって、同刻のマクスバード。

早朝からローエンと待ち合わせて、今後の方針の打ち合わせをしていたアーストは、ツーツーと素っ気ない電子音を鳴らすGHSに視線を落としたまま「ああ」と返す。

もうシンとは、以前のように話すことは出来ないのかもしれない。
そう思っていた矢先の着信だったので、嬉しくなって何も考えずに出てしまったが、相手のリアクションからして今のは間違い電話か何かだったのだろう。

ぬか喜びに終わって、憂い気な顔で深い溜息と共にGHSを置いたアーストに、ローエンが「まるで恋煩いのようですね」と感想を零す。

「患った事がないのでな、俺にはその例えは分からん」

「近頃の貴方の行動は大体当て嵌っていますよ。ですがまあ、実際はそのように甘酸っぱいものでは無いのでしょうが」

「甘さなど微塵も感じんな。苦さしかない」

「ご自分でそうなさったのでしょう。甘くて楽しい関係に留めておく術もあった筈ですよ」

そんなローエンのいつもの小言が、今日は一段と耳に痛い。

もし本当にローエンの言う通りにしていたら、もう少しシンの傍に居られたのだろうかとアーストは一瞬考えたが、首を振ってその幸せな空想を追い払う。

「その関係性は、あいつを騙し続けることで得る紛い物だろう。俺にこれ以上の罪を重ねろと言うのか?」

「はい。それがリーゼ・マクシアの為になるのでしたら」

宰相としてのローエンはそう言って、ただの市政のアーストになってしまっている男を見据える。

「貴方もそうであった筈ですが……最近はもう、一般人のフリがフリでは無くなってきているのではありませんか?」

「……いや……そんな事は……」

無い、と、アーストは断言する事が出来ずに口篭った。

自分はリーゼ・マクシアの王だ。
そんなこと、誰に言われずとも、自分が一番良く分かっている。

分かっているのに──それでも、堪えることが出来なかった。

「私はこうなる気はしていましたよ。貴方がシンさんのお宅で寝過ごしたとお聞きした時から」

普段、ガイアスが寝坊するようなことなどまず無い。
それはアーストとしてお忍びで行動している時も同じことだ。

だが、あの日の彼はGHSの着信にすら気付かぬほど熟睡してしまっていた。
それはシンの隣が、彼にとってそれほど心地好いものであったからなのだろう。

(……恋煩い、とはよく言ったものですね、我ながら)

それが恋愛感情では無いにしても、アーストにとってシンが特別好ましい人間であることは明白だった。

アーストの理性を欠いた行動の理由を、本人がどう捉えているのかは定かでは無いが、ローエンからすれば、それは好いた相手の信頼を裏切るような真似はしたくないという、誰もが持ち得るありふれた気持ちによるものだと思えた。

恋は人を盲目にさせる──今のアーストの状態は、限りなくそれに近いのではないだろうか。

「…………最初は、本当にただ、ほんの少しでも贖罪が出来ればという気持ちだけだったんだ。ここまで入れ込むつもりは……」

黙って聞いていたアーストの口から出てきたのは、言い訳じみたそんな言葉だった。
ローエンは申し訳なさそうにする歳下の主君に眉を下げて笑う。

「まあ、過ぎたことを言っても仕方がありませんね。お説教はこのぐらいにしておきましょうか。ただ、調印式でまで上の空になるような事だけは無いようにお願いしますよ」

「分かっている。……苦労をかけてすまんな」

「それは今に始まった事ではありませんので、お気になさらず。それに宰相としてはともかく、シンさんを騙し続けるのが心苦しいというそのお気持ちは、私にも充分に理解できますので」

「……そうか」

「ですが惜しいですね。貴方とシンさんの関係は、私にとってもかなり好ましいものだったのですが……」

「……ん? どういう意味だ」

「見ていて飽きない、という意味ですよ。貴方がテレビを斬ってシンさんを怒らせたと聞いた時は、それはもう笑わせて頂きましたから。貴方とシンさんには漫才の才能があるなと思ったものです」

「……………………」

「あんなに面白い体験が失われてしまったのは、非常に惜しいですね。アルヴィンさん達もよく話のネタにしていましたから、きっと悲しまれる事でしょう」

そうしみじみと語るローエンに、反省中の身であるアーストは何も言い返せなかった。

と、その時再びGHSが振動し、シンからの連絡かと思ったアーストは直ぐ様画面を開く。

「……ん? なんだ?」

「どうしました?」

「いや、反応があったので、てっきり着信かと思ったのだが……特に画面に変化が無くてな」

故障か? と訝しむアーストを見て、ローエンはアーストのGHSを借り受けて調べる。

「……ああ、これですね。メールが届いていますよ」

「メール?」

「リーゼ・マクシアで言う手紙のようなものです」

ローエンから返されたGHSの画面には、確かに手紙のような文面が表示されていた。

未だ電話機能しか満足に扱えていないアーストは、エレンピオスの文明の利器に感心しつつ、差出人の名を確認。

「……なるほど、クラックからか」

「どなたですか?」

「エレンピオスの学生で、シンの友人だ」

アーストは彼らとどういう経緯で知り合ったのかを手短に説明しつつ、肝心の本文に目を通す。
その内容は、要約すると「相談があるので、トリグラフの宿まで来て欲しい」というものだった。

今日この後は、目前に控えた和平条約の調印式に向けて、エレンピオスのマルシア首相との会談がある。

流石に欠席する訳にはいかないが──アーストは腕に巻いた時計で時刻を確認し、ローエンに時間までには必ず戻ると言って席を立った。








「アースト! 来てくれたんだな!」

トリグラフ港内の宿屋に入るなり、アーストは嬉しそうなクラックに迎えられた。
彼の他にも以前一緒にいた面子が揃っていたが、リーダーであるターネットの姿が見当たらない。

「ターネットはどうした?」

「それが……最近ずっと顔を出さないんだ。相談ってその事でさ。俺達の中じゃ誰も何も聞いてなくて……アーストなら何か知らないかなって」

「本人に連絡はしたのか?」

「一応。でも、電話には出ないし、メールの返事も無いしで……俺、あいつにシカトされるような事、何かしたのかな……」

思い当たる節は無いんだけど、と気落ちした様子で俯くクラックに、確証は無いが、と前置いて、アーストが以前ターネットと揉めた事を話す。

「なんだよ……なんだよ、それ! ターネットをボコったって、どういう事だよ!?」

「仕方が無かった」

眉一つ動かさず、至極あっさりとそう言い切ったアーストに、彼が日頃から感情を表に出すタイプでは無いという事をまだ知らないクラックは掴みかかって、その頬を殴打する。

アーストはそれを避けることも、掌で受け止めるようなこともしなかった。
素直に殴られたアーストを見て、彼の心境を多少なりと理解したクラックは、それでも溜飲を下げる事が出来ずに言葉を絞り出す。

「ターネットはリーゼ・マクシア嫌いで……俺はあいつのそういう考え方、正直嫌いで……けど! 俺の幼馴染で、大切なダチなんだよ!」

そう言うなり、彼は仲間達と共に宿を飛び出して行った。
すれ違うようにして入ってきたルドガーが、目を丸くしてアーストに尋ねる。

「何があったんだ?」

「……ターネットが居なくなったらしい。恐らくは前回、奴を叩きのめしたせいだろう。それを伝えたのだが……」

「……怒って出ていった?」

「すまん。俺の伝え方が悪かったのかもしれん」

「と言うより、親友をボコボコにされたのが気に入らなかったんじゃないか? 見るからに結束強そうだしな」

「……そうか。友とはそういうものなのだな」

まるで未知の存在にでも遭遇したかのような言い方をするアーストに、ルドガーがきょとんとする。

「そんなに珍しい事でもないだろ?」

「いや、俺にとっては……俺にはその心情は分からん。結束力で言えば、四象刃も負けてはいなかったと思うが……」

もし仮に、四象刃の誰かがターネットのように誰かと言い争いになり、怪我を負わされるような事があったとして。
自分はクラックの様に、怪我を負わせた相手に報復するような事はしなかっただろうとアーストは思う。

それは四象刃の皆がどうでもいいという訳ではなく、彼らの問題は彼らが解決すべきものだという考えによるものだ。

仕事や自分に関係するものならばともかく、それ以外の──例えばプレザとアルヴィン、アグリアとレイアなどが抱えていた個人的な問題に、無関係の自分が首を突っ込むのは無粋だろう。

わざわざ自分が間に入らなくとも、彼らは彼らだけで、きちんと決着をつけられる。
それはアーストなりの信頼の証であり、彼らへの配慮でもあった。

故に今回のクラックの行動は、アーストにとっては不可解なものでしかない。
だがルドガーの反応を見るに、世間一般とズレているのは己の方なのだろう。そう悟って、アーストはむうと唸る。

「ルドガー、お前がクラックの立場だったのなら、同じように俺を殴ったか?」

「え? いや……どうだろうな。今回のは正当防衛というか……先に襲ってきたのはあっちだし……でも、大事な人が痛め付けられたって聞いたら、やっぱり少しはムカッとするかもな」

「……そうか」

「──っと、悪い、メールだ」

着信音でクランスピア社からのものだと気付いたルドガーは、分史世界が探知されたらしい事をアーストにも伝える。

「行くぞ、ルドガー。大事な仕事だろう」

「え、でも……いいのか?」

言外に「クラック達の事は」という意味を含んだその問いに、アーストは頷いた。

クラックにしても、ターネットにしても、今の自分には掛けるべき言葉もわからない。そんな状態で追いかけても、火に油を注ぐ事になるだけだろう。
ならば、ルドガーの仕事を手伝っていた方がまだ有意義だ。

ルドガーはそれに理解を示しつつ、何かを探すように周囲を見渡す。

「どうした?」

「あー、いや、えっと……ごめん、ちょっと待ってくれ」

ルドガーはGHSの文字盤を忙しなくカチカチと押し込んで、電子の文字を綴っていく。
出来上がった文面を送信すると、数分で返事が返ってきた。

「……うん、よし、もう大丈夫だ。行こう」

「?」

クランスピア社か、他の仲間にでも連絡していたのだろうかと思いつつ、アーストはルドガーと共に分史世界へと突入した。
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