04.すれ違う各々の想い
――――痛い 苦しい 辛い 助けて――――人が憎い 人が憎い 人が憎い
真っ暗な世界の中で、そんな無数の声に囲まれたルーカスは、思わず耳を塞いだ。だが音は鳴り止まず、彼らの受けた痛みを容赦なく突きつけてくる。
逃げ出したい。そう願うと、暗闇の中に一筋の光が現れた。
光の中に佇む女性に、思わず手を伸ばす。この暗闇の中では、その光だけが救いに見えて。
けれど伸ばしたその手は、別の何かに阻まれた。
まるで、彼女を追おうとする自分を、引き止めるかのように。
「……気がついたか」
悪夢から抜け出したルーカスが最初に聞いたのは、マリクの安堵の声だった。
視線を動かせば、声色と同じ表情を浮かべたその人と目が合う。
「ここは……」
「ラントの領主邸だ。お前が魔物との交戦の後に倒れたから、部屋を貸して貰っている。気分はどうだ、まだ辛いか?」
言われて、先ほどまで聞こえていた騒音が消えていることに気付く。完全に無音という訳にはいかないが、頭痛を起こすほどではない。
「そうか、なら良かった。実はソフィも同じように倒れてしまってな、今別室で休んでいるんだが……、誰も呼びに来ないということは、あちらはまだ目覚めていないんだろう」
「倒れたって……、大丈夫なの?」
「怪我を負ったわけではないからな、今すぐにどうにかなる事は無いだろうが……、具合が悪そうなのは相変わらず、といったところだ。とにかく、ソフィが回復しない事にはここから動けん、お前も今はゆっくり休んでおけ」
まあそういうことならと、寝返りを打とうとしたルーカスは、そこで漸く自分が手を握られていることに気付いた。
その感覚は、夢の中で彼女に手を伸ばそうとした自分を阻んだものと同じ。
「……っ!」
慌てて手を振りほどいたルーカスは、布団を被り直してマリクに背を向けた。マリクは「そんなに露骨に嫌がるなよ、傷付くだろ」とおどけた様子で言う。
だがルーカスはその冗談に乗れるような心境ではなかった。胸のざわつきを鎮めようと必死にマリクの存在を意識の外へ追いやろうとする。
マリクはその心中を推し量ろうとして、彼なりに考えを巡らせた。
「お前のその最近の冷たい態度は、俺に気を遣っているからか? もしそうなら、それは要らん気遣いだぞ。俺は好きでお前の世話を焼いているんだ、大統領閣下に言われたからじゃないぞ」
「…………」
「遠慮意外の理由で俺を避ける理由があるのなら、それを話してくれないか? お前にとってはお節介かもしれんが、俺は割と本気でお前のことが心配なんだ」
「…………」
「口では色々と言っていたが、最初はそれほど嫌がって無かっただろう。俺が何か気に障るようなことをしてしまったのなら謝る、だからお前も少しは俺に歩み寄ってくれ」
「……別におっさんが何かしたとかじゃないよ」
「なら尚のことわからん、どうして避けるんだ」
「…………」
「俺はお前みたいに心が読めるわけじゃないんだ、言葉にして貰えんとわからんぞ」
「俺だって人の心は読めないんだけど」
「知っている。だから俺は、俺の気持ちをちゃんと言葉にして伝えているだろう。俺に遠慮している訳でもなく、嫌っている訳でもないのなら、何故話すことを躊躇うんだ」
「……どうでもいいじゃん、そんなの。俺のこと気にするから気になるんだよ、恩を仇で返す嫌な奴だって分かってるんだから、さっさと見限れば? 俺みたいなのと仲良くしてたって、おっさんに良いことなんか何も無いよ」
「逆に言わせて貰うが、それでいくなら俺がお前を気にかけることで、お前が損をすることは無い筈だろう。なら素直に甘えておけばいいと俺は思うんだが」
また無言。この沈黙は何を意味するのか、何を考えているのかが全くわからず、マリクは溜息を吐く。
せめて表情から感情を読み取ろうにも、相手は自分に背を向けたまま、頑なにこちらを向こうとしない。
以前、船の上で無理矢理振り向かせて見たあの表情。今もあれと同じ顔をしているのだろうか。
どのみちこのままでは拉致があかないと、マリクは腰掛けていた椅子から立ち上がってベッドに乗り上がり、壁の方を向いているルーカスの肩を掴んだ。そしてそのまま、力任せに引っ張って仰向けに転がす。
マリクはその体を跨いで、またすぐにそっぽを向かれないようにルーカスの両手首を掴んでベッドに縫いとめた。傍から見れば押し倒したような姿勢で、マリクは露になった相手の目を真っ直ぐに見る。
マリクの予想通り、ルーカスは以前と同じような顔をしていた。怒っているような哀しんでいるような、色んな感情の入り混じった顔。
「は……っ、離してよ、何すんの」
ルーカスはこの状況でも尚も視線を合わすまいと顔を背ける。動揺なのか、はたまた別の理由からか、口から出た言葉は僅かに震えていた。
「お前が正直に話せば解放してやる」
「だから、そんなのおっさんが気にするようなことじゃ無いって言ってるじゃん!」
語気を強めて抵抗するルーカスを、マリクは冷静に観察する。
心理学に精通している訳ではないが、目線を合わせることを嫌がる時の心理ならば、彼にもわかった。
嘘を吐いているか、何かを隠しているか。理由は様々だが、一様に自分の心を暴かれたくない時の挙動だ。
「……ルーカス、俺の目を見ろ」
「……っ!」
ルーカスの表情が雄弁に動揺を語った。
顔さえ見えていれば存外分かり易い奴だなと思ったが、いやでも普段のこいつはそれほど感情を表に出しはしないなとも思う。
初めて森で対峙した時も、想い人の話をした時も、自分の生い立ちを語った時も、ルーカスは表情を殆ど変えなかった。
それが今はどうか。自分が組み敷いている相手は、焦りや怒りを全く隠せていない。
マリクはその意味を考えて、何かとてつもなく嫌な予感を抱いた。
「お前は……、何を考えている? いや、俺たちに黙って何をやろうとしている=H」
ルーカスは答えない。だが、反応を見てマリクは自分の読みが外れていない確信を持った。
ルーカスの手首を握る手に力が込もる。
「アスベル達に何か危害を加えるつもりなら許さんぞ」
「……それは違う、そういうんじゃない」
「ならどういうのだ」
ルーカスは彷徨わせていた視線をやっとマリクへ向けた。
「……少なくとも、アスベルやあんたや他の皆に影響するようなことじゃないよ。というか、世界中の誰にも関係の無い話」
そう言って、またすぐに目を背ける。
「俺個人の問題だよ。……だから、頼むからそっとしてて」
「……本当にお前の個人的な問題で、俺に全く関係も影響もしない話なら、どうして俺を避ける?」
まだだ、まだ真実には辿り着いていない。
マリクはここで逃がすものかと眼光を鋭くした。
「お前の言ってる事は矛盾している」
「……もう、いいから、離してよ」
「離さない」
「おっさん何でそんなにしつこいの」
「お前もどうしてそんなに頑固なんだ」
言ってから、全く同じやり取りを以前にしたことを思い出して、思わずマリクは苦笑する。
あれから、自分達の関係は何も変わっていない。なら、今が一歩を踏み込むべき時なのではないか。
「ルーカス、俺はこれまでの旅の中で、色々とお前のことを知った。そしてお前も俺のことを知った筈だ」
何の話を、と不思議そうな顔をするルーカスに構わず、マリクは続ける。
「つまり、もうお前は他人じゃない、仲間だ。少なくとも俺はそう思っている。だから例えお前の個人的な問題だったとしても、関係無いなどと言って突き放さずに話して欲しい」
ルーカスが息を呑む。表情はまた最初に戻った。
「……俺は、お前の力になりたいんだ」
静寂が下りた。
暫く、部屋に備えられた時計の針が時を刻む音だけが部屋を満たす。
やがてルーカスは視線を脇に落としたまま、ぽつりと呟いた。
「おっさんって、天然タラシなんだってね」
「……は?」
今度はマリクが「何の話を」といった顔になる。ルーカスは構わず続けた。
「あんたはさ、人の弱いところを見抜くのが上手いよ。その上で、相手が望む言葉をかけるのも上手い。だから皆勘違いする、この人は自分を幸せにしてくれるんじゃないかって。でも、そうやって期待させておいて、肝心のあんたはそんな気はなかった≠ナあっさり相手を突き放す」
ルーカスは眉根を寄せて、苛立ちの混ざった声色で言う。
「俺がやろうとしている事、そういう無責任な人には絶対に言いたくない。おっさんを避けてたのは、その言動で気持ちを揺さぶられたくないからだよ。……わかったらどいて」
明確な拒絶を示すルーカスに、彼の手首を握っていたマリクの力が弱まる。その機を逃さずルーカスは拘束から逃れて、彼の下から這い出た。
「教官、ソフィが起きましたよ。ルーカスさんの具合はどうですか?」
ドアをノックする音と共に聞こえてきたのはシェリアの声。ルーカスはドア越しに「俺ももう起きてるよ」と返す。
「心配かけてごめん、もう大丈夫だから」
「良かった……、でも、くれぐれも無理はしないで下さいね? そろそろ出発するみたいなので、準備が終わったら玄関に集まって下さい」
「わかった、有難う」
「お! ルーカス起きたの!?」
「駄目よパスカル、まだ病み上がりなんだから」
ドア越しにパスカルの声も聞こえたが、声の主はシェリアに捕まったようで、情けない声を出しながら遠ざかっていく。
ルーカスは立てかけてあった武器と荷物を手に取って、マリクに声をかけようとして――結局、何も言わないまま部屋を出て行った。
一方のマリクは、ドアの閉まる音を聞いてようやく姿勢を崩した。投げつけられた言葉のせいで硬直してしまっていたのだ。
耳の痛い話だった。ルーカスの言っていた事は確かに身に覚えがある。自分としては人並みの心配りをしているだけのつもりなのに、最初はそれで皆笑顔になってくれるのに、最終的には何故か頬にビンタが飛んで来る事がこれまでに何度もあった。
無責任、という言葉が、マリクの心に重く圧し掛かる。かつてフェンデルから逃げた己の本質を見抜かれたようで、言葉に詰ってしまった。
自分が踏み込むのは間違っているのだろうか、彼の言う通りこのまま離れてしまった方が、彼の為になるのだろうか。
マリクは決断出来ないまま、今はとにかく先へ進むべきだなとベッドから下りた。向かうは領主邸の玄関だ。
既に自分以外の皆は揃っており、明らかに具合の悪そうなソフィをアスベルが支えている。
「よし。みんな、フェンデルにある熱線発射施設へ向かおう。パスカル、詳しい場所はわかるか?」
「北ラント道に沿って進んでベラニックを越えた先だね」
アスベルらの母であるケリーに見送られ、一行は二度目となる雪の大地目指して歩き始める。
その道中、ルーカスの耳にはソフィの心の声が聞こえ続けていた。
(体が重い……、だめ……ここで倒れちゃ……わたし、みんなと一緒にいたい……だから……まだわたしは……)
その葛藤も虚しく、ソフィはついに力尽きて倒れてしまう。慌てて抱き起こしたアスベルがその体温に驚く。
「ソフィ、しっかり! すごい熱だ」
「大変! ソフィ、これ以上は無茶だわ、引き返しましょう」
「大丈夫……冷たくて気持ちいい。ごめんね、アスベル……わたし……フォドラに行かないと治らないんでしょう……。それはわたしが……みんなとちがう……からだよね……?」
「違わない! お前は俺たちと何も違わないさ」
「これ以上みんなに迷惑かけたくない……」
「何を言っているんです、ソフィ」
「気をしっかり持つんだ!」
「わたし……もう……みんなの顔も……何も……みえな……」
「ソフィ!」
仲間達の呼びかけも虚しく、ソフィは気を失ってしまう。
早く装置を動かせるようにしてソフィをフォドラへ、と急かすパスカルに皆が頷きを返し、意識の無いソフィを背負ったアスベルを筆頭に、懸命に雪道を駆けた。