04.すれ違う各々の想い
そして、突然下ろされてふらついているルーカスの頬を、容赦無く叩く。ばしん! と乾いた音が、洞窟内に反響した。
横面を張られたルーカスは、何が起こったのか理解出来ずに目を白黒させる。
痛みは後からやって来た。熱を帯びてじんじんと疼き出す頬を呆然とさする。
「な……」
「どうした、今まで誰にも叩かれたことが無かったのか? そんな考え方で、咎めてくれる奴は一人も居なかったのか?」
馬鹿にされたと感じて、ルーカスは反論しようと顔を上げた。だが、出来なかった。
マリクは怒っていた。いつも皆に説教するのとは違う、静かな怒り。
「お前が死んでも俺には関係無いだと? ふざけるなよ、本気でそんな風に思っているのか、お前は」
マリクはルーカスの胸倉を掴んで引き寄せる。ルーカスは蛇に睨まれた蛙の如く、指一つ動かすことが出来なかった。
「お前のその考えがどれだけ馬鹿げているかわからんと言うのなら、今の言葉をパスカル達の前で言ってみろ。それが出来るなら、お望み通り俺は今後一切お前とは関わらないでやる」
「……っ」
胸倉を掴んでいた手を離して、ルーカスの腕を掴んだマリクは再び走り出す。シャトルの中でアスベルらと共に二人が来るのを待っていたパスカルは、「早く早く!」と手招き。
二人が乗り込むと同時にシャトルの扉が閉まり、シャトルはゆっくりと動き出す。外ではポアソンが装置を操作しながらカウントダウンを続けていた。
「いやー間に合ってよかったよ〜、ってあれ、ルーカスそのほっぺたどうしたの?」
経緯を知らないパスカルが、片側だけ赤く腫れているルーカスの頬を見て首を傾げる。決まり悪そうに顔を背けるルーカスに追い打ちをかけるように、マリクが席に移動しながら言う。
「フォドラに着いたら説明する、こいつは救いようのない馬鹿だ」
「……? 教官と何かあったの?」
「……別に何もない。そろそろ座ってないと危ないよ、パスカル」
「あ、そっか」
聞こえ始めるエンジン音に、パスカルは素直に着席した。数分してシャトルは猛スピードで発射され、外に伸びるレールの上を滑走する。
シャトルの前面はガラス窓になっており、前列に座っていたシェリアとアスベルが進路を塞いでいる魔物に気づいて声を上げた。が、すぐにそれらの魔物は合成獣と共に現れたフーリエに撃ち落とされる。
「お姉ちゃん!?」
「……っ!」
複数の魔物の絶叫に、ルーカスが身を強ばらせた。自分の腕を掴んで、なんとか耐えようとする。
胸が痛いのは、きっとこの声のせいだ。自身にそう言い聞かせながら、ルーカスはきつく両目を閉じた。
「おぉーい、ルーカスしっかり〜!」
ぺちぺちぺち、と頬を叩くパスカル。だが相手は小さく呻くだけで、目を開こうとはしない。
射出されたシャトルは無事に空の海を越えてフォドラへと到着した。ただ安全に着陸する為の機能は備わっていなかったらしく、墜落と言っても過言ではないほどの衝撃を受けた一行は皆気絶してしまっていた。
最初に目を覚ましたアスベルに起こされた面々は殆どが無事に復調したが、ただ一人ルーカスだけが伸びたままになっていた。触診していたシェリアは困り顔。
「頭を打ったわけじゃ無いみたいだけど……」
「ラントの時と同じで魔物の声のせいかもしれないな。かといってルーカスさん一人を此処に残していく訳にもいかないし、どこかに休める場所があればいいんだが……」
アスベルはソフィを背負いつつ外に出て辺りを見渡したが、そこにあるのは岩と土が広がる荒野だけ。
「ここがフォドラ……なのか? 見渡す限り廃墟のようだ。ここが本当に、ソフィの故郷かもしれない場所なのか?」
「このあたり一帯でかつて大きな戦いがあったようだな、それらしき痕跡があちこちに残っている。いつ頃の物かは不明だが」
「緑が見当たらないせいかしら、なんだか寒々しい感じがするわ」
各々そんな感想を交わしつつ、無視できない壊れたシャトルを見る。
「ひとつ聞きたいのだが、このシャトルはもう一度動かせるのか?」
「う〜ん、さすがにここまで豪快に壊れちゃうと難しいかもしれないな〜」
「それじゃぼくたちは、このままでは元の世界に戻れないんじゃないですか?」
「そんな! それじゃソフィを治せたとしても帰れないわ……」
落胆するシェリアを、ソフィを治す方法と並行して修理方法も探せばいいとパスカルが励ます。一方、周囲を探索していたマリクは、荒野の先に宙に浮いた建造物を見つけて皆を呼んだ。
「う〜ん、あれがもしかしたらフォドラの街なのかもよ」
「だとしたら、あそこに行けば誰かに会えるかもしれないわね」
「よし、とにかくあの施設まで行ってみよう」
「異存ありませんが、そうとなれば彼はどうします?」
ヒューバートがシャトルを、厳密にはその中に未だ放置されているルーカスを見ながら問う。
「流石にあたしは運べないよ〜」
「私も……というか、私たちの殆どは無理よ、ルーカスさんより体格の良い人じゃないと……」
シェリアの言葉に、皆の視線がマリクに集中した。マリクはその期待の眼差しに溜息を吐く。
「……わかった、俺が運ぶ」
「あ、そういえば出発する前のあれ、何だったの?」
「ちょっとした口論になってな、カッとなってつい手が……。さっきの不時着で俺も少し頭が冷えた、すまん」
「あたしじゃなくてルーカスに謝りなよ〜、あたしだってルーカスと喧嘩したことなんて無いのに、何が原因でそんなことになったの?」
「いや……それは……」
「二人とも、込み入った話は歩きながらにして下さい、置いていかれますよ?」
ヒューバートに言われ、マリクは慌ててシャトルからルーカスを引っ張り出してくる。目を覚ましているんじゃないかと期待したが、ルーカスは未だにぐったりとしたままだ。
マリクはその身体を背負って、ヒューバートに言われた通り歩きながらパスカルと話を続ける。
「こいつは生に無頓着過ぎる、昔からこんななのか?」
「まぁ自己犠牲的っていうか、そういうところはあるね。喧嘩はそれが原因?」
「ああ、自分が死のうがどうなろうが関係無いだろうと言われてな」
「ありゃ〜、それはショックだね」
「ショックというか、腹が立つだろう」
「そっかな? でもだからってビンタするのもどうかな〜」
「……それは後でちゃんと謝る」
親に叱られた子供のような顔をするマリクに、パスカルはケラケラと笑いながら、
「でも、それで教官が怒ってくれたのは嬉しいな。……里の皆はね、ジルの事があってルーカスが居なくなっても、殆ど無関心だったからさ」
当時のことを思い出しているのか、パスカルは辛そうに眉を下げる。
「ジルが生きてた頃はさ、ルーカスが無茶する度に叱ってたんだよ。でもジルが居なくなって、ルーカスを叱る人が居なくなっちゃった。あたしにはお姉ちゃんが居るし、ソフィにはアスベルが居るし、アスベルにはシェリア達が居る。でもルーカスにはさ、今誰も居ないんだよ、自分が危ないことした時に叱ってくれる人が。だからそういう考えになっちゃってるんじゃないかな」
だからね、とパスカルは悲しい顔のまま笑ってみせる。
「教官がルーカスを叱る人になってくれるなら嬉しいよ、あたしには出来ないからさ」
「……なんでお前には出来ないんだ?」
「あたし叱られるのはしょっちゅうだけど、叱るのはやったことないもん」
確かに。全く理屈は通っていないが、その言葉には謎の説得力があった。
「そういえば、お前はルーカスが隠している事について何か知っているのか?」
「へ? なにそれ?」
「最近こいつが俺に対して妙によそよそしいんでな、問い詰めたんだが俺には言いたくないそうだ。お前になら何か話しているかと思ったんだが……」
「ううん、全然何も聞いてないよ。……でも、そういえば里を出ていく前のルーカスもそんな感じだったかなぁ」
二人は目を見合わせた。それから、気絶しているルーカスを見る。
「……目を離さない方がいいな」
「うん、あたしもそう思う」
「ルーカス、ねぇルーカス」
声がする。とても優しくて、愛おしい声が、俺の名を呼ぶ。
気がつくと隣にジルが居た。ああそういえば、確か近くで暴れている魔物を鎮めて、里に帰る途中だったっけ。
空からは雪が降ってきて、白銀の世界を殊更白く染めている。
ジルは白い息を吐いて手を擦り合わせながら、「今日は一段と冷えるね」と呟く。
「帰ったらお風呂入らなくちゃ、ついでにパスカルも入れようかなぁ」
「また何日も入ってないの?」
「そう、今頃フーリエがパスカルのこと追い回してるんじゃないかな」
そんな二人の光景が目に浮かんで、ジルと揃って苦笑する。
「そうだ、せっかくだから今日はそのままフーリエのところに泊まろうかな。ね、ルーカスも一緒にどう?」
「いや、流石に俺はまずいと思うんだけど。一応男だよ」
「一応なの?」
「……自分ではれっきとした男だと思ってるけど、ジルがいまいち俺の事男だと思ってなさそうだから」
「そんな事ないけどなぁ」
ならどうして平然と女所帯の家に招こうとするのか。
俺の視線でその心を読み取ったのか、ジルは「ルーカスはフーリエやパスカルにとっては家族みたいなものでしょ?」と語る。
「……ジルにとってはどうなの」
「え、私?」
そうだなぁ、と考えるジルに、なんと答えられるのか期待と不安の入り交じった感情が渦巻く。
「ごめん、やっぱいい」
耐えきれずに言うと、「何それ、自分から聞いたのに!」と呆れたように笑われた。
そんなやり取りをしているうちに里に着いて、俺は宣言通りパスカルと風呂に入りに行ったジルを見送って、居候させて貰っている彼女の家に帰る。
一人お風呂に浸かりながら、この国でこうして温かい風呂に入れるのは幸せなことなのだろうなぁとしみじみ思う。風呂から上がって夕餉を作っている時も、同じように火を使える事の有り難さに感じ入る。それもこれもアンマルチア族である彼女らが居るお陰だ。
「ただいま〜!」
「くんくん、いい匂いするー!」
暫くして、玄関からジルの声と、分かりやすいパスカルの声が聞こえてきた。我が物顔で部屋に上がり込んできたパスカルは、机の上に並べてある料理を見てヨダレを垂らす。
「あれ、帰ってきたの? しかもパスカル連れて」
「それが、フーリエは今日帰り遅くなるんだって。だからお泊まりは中止。パスカル一人だと寂しいだろうから、帰ってくるまでこっちで見てようと思って。……ダメだった?」
「いいよ別に」
「ルーカス!ごはんごはん!」
「俺はご飯じゃありません」
ナイフとフォークを手に準備万端なパスカルと俺のやり取りに、ジルがくすくすと笑いながら席に着く。
「ほらやっぱり、兄妹みたい」
「どこが」
「んー! 美味しい!」
そんな賑やかな食事の時間が終わって、元気に部屋を走り回るパスカルの相手をしているうちに、フーリエが迎えにやってくる。
「悪いわね、面倒見て貰っちゃって」
「いいのよ、お仕事お疲れ様」
フーリエはジルに微笑むと、後ろにいる俺をじろりと睨んでから去っていった。相変わらず彼女にとっての俺は、ジルについた悪い虫でしかないらしい。
「さてと、それじゃあそろそろ寝ようか。ね、今日寒いから一緒のベッドで寝てもいい?」
ほらまた、すぐそういう事を言う。
やっぱり男扱いされてないんだなぁと感じながら、今に始まった事でもないので「いいけど」と簡潔に答える。
寝支度を整えて、子供のような無邪気さで布団に潜り込んでくるジルに対し何をどうする度胸も男気も無い俺は、ただひっついてくる彼女にされるがままになるしかなかった。
「……ジル、そんなに引っ付かれると眠れないんだけど」
「だって寒いから」
「はいはい……」
「それに、こうしてると落ち着くから」
俺は色んな意味で落ち着かない。渋い顔をしている俺に、ジルが子供に言い聞かせるような声色で囁く。
「大丈夫、私は何処にも行かないから。ルーカスを独りになんてさせないから」
「…………」
「どれだけ危険な事があっても、どれだけ辛い目に遭っても、私だけはずっとルーカスの傍に居るよ」
「……俺は、ジルを危険な目に遭わせるくらいなら、他のことはもう諦めたって……」
「ダメだよそんなの、私のせいでルーカスが大事にしてるものを手放すなんて。……生き辛いかもしれないけど、私はそのままのルーカスで居て欲しいよ」
だって私は、そんなルーカスが好きなんだから。
深い意味など無いのであろうその言葉に、それでも嬉しくなってしまった俺は、堪え切れずになって
彼女を抱きしめた。嬉しそうに笑う彼女は、俺の気持ちになんて気付いていないんだろう。
それでも良かった。ただこの温もりを傍で感じていられれば、それだけで良かったんだ。