05.悲しみを超えて
どこへ向かうつもりも無かったが、一人になれる場所を探しているうちに裏山へと戻ってきてしまったルーカスは、海を臨む崖際に足を放り出して座る。とても静かで、穏やかで、心地の良い夜だった。フーリエやアスベルの言葉を思い返しながら、水平線を眺める。
まるでお膳立てをされたかのようだとルーカスは思っていた。「これがあるからまだ死ねない」と自分をこの世に縛り付けていた問題が一気に解けていく。
ジルを奪った自分が居なくなれば、フーリエが怒りの矛先を失うのではないかと恐れていた。けれど、彼女はもう悲しみを乗り越えたのだ。パスカルと向き合えた今の彼女は、きっともう大丈夫だろう。
そして、アスベルや仲間が魔物を守りたいという意志を継いでくれるのなら、もう自分が頑張る必要は無い。
「……もういいよね、ジル」
自分は頑張った方だと思う。成果の方は褒められたものでは無いが、ジルの居ないこの世界で、絶望しながら今日まで生きてきたことだけは、自分を称えてやりたかった。
あとの心残りといえばリチャードのことくらいか。パスカルの思いつきで始まった関係とはいえ、ここまで共に旅をしてきたアスベルたちには恩も情もある。自分がどれだけ力になれるかは分からないが、せめて最後まで付き合うのが筋だろう。
それが終われば、もう未練はない。
ルーカスは後ろに倒れて花畑に埋もれた。遠くに見えていた空がいつもより近くに見えて、必死に手を伸ばす。
するとその手を、誰かに掴まれた。上を見ていたせいで、それが誰なのか嫌でも解ってしまう。
「……こんな所で寝てくれるなよ」
どうして、いつもあんたが邪魔するんだ。
マリクに咎めるように言われて、ルーカスは立ち上がる。
「そんなつもりじゃないよ、ちょっとボーッとしてただけ。ちゃんと戻って寝るよ」
「そうか、ならいい」
「うん、おっさんも早く寝なよ」
また話を掘り返されることを恐れて、ルーカスはさっさと撤退する事にした。だがマリクも当然のように隣に並んでくる。
「裏山に何か用があったんじゃないの?」
「いや、お前を探していた」
「なん……」
なんで、と出かかった疑問をルーカスはすんでのところで止めた。
ここでそれを聞けば相手の思う壷だ、墓穴を掘らないように極力発言を控えようと、何も言わずにルーカスは足を動かす。
「ルーカス、一つだけ言わせてくれ」
だがそんなルーカスには構わず、マリクが強引に話を切り出した。逃げようとする相手の腕を掴んで、その場に押し留める。
「お前がこれまでどれだけ苦しんで、どんな気持ちで自ら命を断つ覚悟を決めたのか俺には分からない。それを話して聞かせるほどの信頼を得られて居ないのなら、無理に話せとも言わないさ。だがそれでも俺は、例え無責任だと言われても、お前が死ぬのを黙って見過ごす事は出来ない」
振り向いたルーカスの顔に拒絶の色が浮かんでいても、マリクは手を離さない。寧ろ、より強く握った。
「俺にとってお前はもう、そんな簡単に切り捨てられる存在じゃないんだ」
「……それはおっさんが優しいからでしょ、例え今目の前に居るのが別の誰かでもきっと同じ事を言うよ」
「そうだとして、俺が今お前を諦めなければならない理由にはならんだろう」
「なるよ。他の誰かなら、そりゃあ長生きした方がきっと良い。でも俺は、俺はそうじゃない」
言いながら、ルーカスは手を振り解こうとしたが、純粋な力比べではマリクには敵わない。
「昔、俺が故郷で何やったかって話、まだしてなかったよね」
徐にそう切り出したルーカスに、マリクは肯定の意味を込めて「ああ」と頷く。
「魔物の声が聞こえるようになってすぐの頃、街の近くに魔物が巣を作ってさ。危ないからって駆除しに兵が派遣された時、俺はこっそり先回りして魔物を逃がしたんだ。何もしてないのに殺すなんて可哀想だ〜ってね。でもその結果、大繁殖した魔物は束になって街になだれ込んできた」
街の人を守ろうと必死に戦う兵の姿を覚えている、逃げ惑う人の悲鳴も、人と魔物の血で汚されて行く街並みも。
「凄い被害が出たんだ。当時の俺は、それをただ見ている事しか出来なかった。あの頃の俺はまだ全然弱くて、自分の身一つ満足に守れない無力な子供でしか無かった。騒ぎが収まると当然、どうしてこんな事になったのかって、父さんの所に沢山の人が押し寄せて来たんだ。警備に問題は無かったのかとか、もっと早くに気付けなかったのかとか、何の罪もない人達が責められてるのを見て、俺は自分がやったんだって言った」
それは父や兵を庇う為、自分の犯した過ちの責任を取る為ではあったのだが、それを聞いた街の住民たちは幼いルーカスを責めはしなかった。子の過ちは親の責任であると、ダヴィド達を殊更に責め立てた。
「俺は何も分かって無かったんだ、自分がした事がどんな事態を招くのかって事も、自分はまだその責任を取る事すら出来ないって事も。人が……人が死んだりもしたのに、俺は結局、何も償えやしなかった」
逃げるようにして街を出て行った自分を、ダヴィドは止めなかった。あの頃は呆れて見棄てられたのだろうと勝手に傷心していたが、実際はただ街に居づらい自分を見逃しただけ、そうやって守られただけだったのだろう。それに気付いてからは、父に合わせる顔も無くただただ関わる事を避け続けた。
「そういうどうしようもない奴なんだよ。俺は沢山の人を傷付ける、そのつもりがなくても結果的に。最初は住んでた街の皆、俺を助けようとしてくれた兵士、育ててくれた親に、仲良くしてくれた友達、挙句の果てには一番大事にしてた人まで死なせた。そんな風になっても、未だ懲りずに同じ事を繰り返してる」
もうこれ以上大事な人を傷つけたくないと願っても、悲痛な魔物の声が自分を呼び続ける。助けを求め続ける。自分はそれに応えずには居られない、それが人を傷付ける結果になると分かっていても。
「駄目なんだよ、何度も自分を抑えようって思ったんだ、魔物なんて見捨ててしまえって。でも出来なかった、出来ないんだよ。せめてシェリアみたいに癒しの力でも使えたらまだ救いようもあるだろうに、どれだけ鍛えても俺が出来るのは傷付けることばっかりだ。自分でも、もうどうしたらいいのか分からないんだよ……」
力なく言って俯くルーカスに、マリクが掴んでいた手の力を緩める。
時折強く吹く風が、足下に広がるクロソフィの花と2人の髪を揺らした。
「……だから死んで終わりにしようと思ったのか」
「……そうだよ、それが理由。馬鹿だと思われるかもしれないけど、俺なりにちゃんと考えて選んだ事なんだ。だから、止めないで欲しい」
相手が軽々しく言っているわけでは無いのだろう事が分かるからこそ、マリクは悩んで、長い沈黙の後答えた。
「……すまん、無理だ」
「…………。じゃあ、もう、いいよ。あんたが見てない所で、知らないうちに勝手に死ぬから」
「それも嫌だ」
「いい加減にしてよ、子供の駄々じゃ無いんだから」
「何と言えば考え直してくれるんだ」
「……別に父さんに言われたからって、あんたがそこまでする必要無いんだよ。ほんと義理堅いよね」
「……待て。お前、俺が大統領閣下に言われたから今引き留めていると思ってるのか?」
違うの? と目で問うてくるルーカスに、マリクは嘆息。
「お前は俺を何だと思ってるんだ……」
「何って、お人好しでお節介焼きのおっさんでしょ、人誑しの。悪いけど俺はそんな簡単にあんたに誑かされたりしないよ」
「誑かすって何だ人聞きの悪い、俺は真剣に話してるんだぞ」
「真剣なのは分かってるよ。でも俺は、あんたよりもっと真剣なつもり。だからあんたの言葉で考えを変えようとは思わない。もう何年も前から決めてた事なんだから」
「……っ、どうしてお前はそう頑ななんだ! 少しは他人の意見に耳を貸そうとは思わないのか!?」
「姿が見えないと思ったら……、こんな時にまで喧嘩なんて、大人のする事ではありませんよ」
いよいよ堪えきれずに怒り出したマリクを冷静な声が窘める。
見ればいつもと変わらぬ様子のヒューバートが、いつの間にかそこに立っていた。
「どうしたのヒューバート」
「明日の段取りについて皆に説明していたのですが、貴方達だけ見当たらなかったもので探していたんですよ。全く、普段ならいざ知らず、今日ぐらいは街で大人しくしていて下さい」
「ごめん、もう戻るよ」
マリクがヒューバートに気を取られている隙にその手の拘束から抜け出したルーカスに、マリクが慌ててついて行く。
「待て、まだ話は終わっていない」
「終わったよ、これ以上話すことなんて無い」
「……ッ!!」
取り付く島もないその態度に、収まりかけたマリクの怒りがついに爆発した。
「いい加減にしろ!! 仲間が自殺しようとするのを容認など出来る訳が無いだろうが!!」
ルーカスは弾かれたように顔を上げてマリクを振り返った。その顔には驚愕と焦りが浮かんでいる。
理由は単純、すぐ近くにヒューバートが居るから。
「……今、なんて言いました? 僕の聞き間違いですよね、自殺だなんて……」
「聞き間違いじゃない、こいつは死ぬ気らしい」
まさかマリクがそれを他の誰かにバラすとは考えていなかったルーカスは、殺気に近いほどの怒気をマリクに向けながら、しかし何もせずに背を向けて駆け出した。
背後からかかる呼び声も何もかも無視して、ルーカスはそのまま街の外へと逃げるように飛び出す。
どうして、なんで、バラしてしまうんだ。
ヒューバート達には知らないままで居て欲しかった。優しい子達なのだと知っているから、自分の勝手で死のうとしている事を知られたくは無かった。知ればきっと彼らは自分を止めようとするだろうし、余計な心労をかける事にもなる。
自分は今のこの生から逃げたいだけで、多くの人に看取られて死にたい訳では無い。寧ろなるべく誰にも知られずに、悟られずにひっそりと居なくなりたかった。誰にも迷惑を掛けることなく、全てを終わりにしたかっただけなのに。
(どうして……なんで、あの人は……ッ!!)
ぶつけ損なった怒りを近くの岩壁にぶつけたルーカスは、そのままズルズルと背を預けて座り込んだ。
マリクはこの気持ちを理解してくれると思っていた。或いは理解は出来なくとも、考えを尊重してそっとしておいてくれるだろうと信頼していたのだ。
なのにそれを裏切られた。それも一番最悪なやり方で。
(なんで……何でそこまでして止めようとするんだよ……)
俺が一番って訳でも無いくせに。
無意識に口から零れたその言葉に、ルーカスは気付かなかった。