05.悲しみを超えて
「……どういう事なんですか、きちんと説明して下さい」一方、置いていかれたヒューバートは、同じく残されたマリクに詰め寄っていた。
マリクは今追いかけても火に油かとルーカスを探すのは諦めて、その問いに答える。
「どうもこうも聞いた通りだ」
「経緯を話して下さい経緯を! 一体いつから、どうしてそんな話になったんですか!!」
ここで隠したところで事態が好転する訳でもないと判断したマリクは、自分が知り得る限りの事を洗いざらい話した。
聞き終えたヒューバートは神妙な顔で暫く考え込んでいたが、やがて口を開く。
「それ、貴方の他に知っている人は居るんですか?」
「さあな。だが先のリアクションを見るに、誰彼構わず吹聴しているという事は無いだろう。……あいつはきっと、誰にも知られずに独りで死んで、楽になりたいんだろうな」
「同調する割にはやっている事が正反対じゃないですか、どうして僕に話したんです?」
「俺も必死なんだ。言えば怒ることくらい分かってたさ、それでも、嫌われてでもあいつを引き止めたいんだ。この世界があいつにとって地獄でも、他の誰があいつを見放しても、俺は諦めたくない。……ここまで来れば半ば意地かもしれんな、あいつが魔物を護る事をやめようとしないのと同じかもしれん」
ルーカスも魔物も、彼らをよく知らない人からすれば人に害をなす脅威でしかない。
だがそうでは無いと知ってしまえば、死なせるのは惜しいと感じてしまう。
「お前はどう思う、ヒューバート? お前にとっては一応、あいつは恋敵のようなものかもしれんが」
「こっ、恋敵!? ななな何を言って、僕にはなんの事かサッパリ分かりませんっ!!」
あからさまに動揺したヒューバートは、震える手で眼鏡を正しながら咳払い。
「それはともかく、僕もあの人が悪い人では無いという事は知っています。ですから、貴方と同意見ですよ。ただ……最終的に判断するのは彼自身でしょう」
「……それで納得出来るものなのか?」
「所詮僕はあの人にとって、少し前に出会って暫く行動を共にしていただけの知人、良くて友人、といった所でしょうから。知った以上は一言くらい言わせて頂きたいところですが、僕の言葉が彼の決意を変えるほどの効力があるかと言われると……」
その先は否だと言うのは、表情を見ればマリクにも分かった。ヒューバートはそれほど強くルーカスを止める気は無いという事も。
「兄さんやシェリアやパスカルさんであれば、また違った答えにもなるのでしょうが……、僕としては、貴方がそこまでして彼を止めようとしている事が意外ですよ。貴方はもっと他者と自分の線引きが出来ている方だと思っていましたから」
「それは……」
言われて、確かに自分はそういう性質だった気がするなとマリクは思った。
相手に深く踏み込むのならそれ相応の責任を負わなくてはならない、ヒューバートもそれを理解しているからこそルーカスの考えを無理矢理捻じ曲げる事は出来ないのだろう。
(責任……責任か。確かあいつも似たようなことを言っていたな)
隠していることを話せと問い詰めた時にルーカスにかけられた言葉を思い出して、マリクは苦笑した。
「貴方にとって、ルーカスさんは何なんです?」
純粋に疑問に思ったヒューバートの問いに、マリクは「適切な表現が浮かばないんだが」と前置いてから答える。
「幸せになって欲しいと思う相手、だな」
「……それは結構ですが、彼も幸せになれるものならとっくになっているでしょう、なれなかったから諦めようとしているのでは無いんですか?」
「あいつはまだ若い、世界にはまだあいつの知らないものが沢山ある筈だ。死ぬのはそれら全てを見た後でも遅くはないだろう」
「その気力がもう無いんですよ、きっと」
「なら俺が見せてやる、あちこち引き摺り回して、いつかあいつが生きるに足る理由を見つけられるまで、俺が――」
そこまで言って漸く、マリクはそれが"責任の取り方"なのだと気が付いた。
ヒューバートも笑って「いいんじゃないですか」と肯定する。
「きっとあの人に必要なのは、そう言ってくれる誰かだったんでしょう。貴方がその誰かになると言うのでしたら、止める権利はありますよ。――という訳で、そろそろ彼を呼び戻して来て下さい、明日が正念場なんですから」
僕は先に戻っていますからね、と断りを入れて、ヒューバートは未だ灯りの点る街へと消えて行った。
マリクはその背に礼を言って、ルーカスの足取りを追って駆け出した。
(……そろそろ戻らないとなぁ)
星の瞬く夜空を見上げながら、風を冷たく感じ初めたルーカスは、ぼんやりとそう思っていた。
だが意思に反して体は立ち上がる事を拒んでいる。戻って、ヒューバート達に何と言えばいいのかがまだ浮かんでいないせいだろう。
このまま立ち去りたい気持ちでいっぱいだが、リチャードの件がある以上そういう訳にもいかないだろう。穏便に事が済めば1番良いが、力ずくで止める事になった場合、自分が欠けていればそれだけメンバーの負担になる。
それもこれも、あのおっさんが余計なこと言うから……とお門違いな怒りを募らせていたルーカスは、すぐ近くに現れた人ならざる者の気配に気付かなかった。
『漸く人と袂を分かったか?』
「な……っ!?」
慌てて武器を構えたルーカスは、夜の闇に浮かぶ黒い靄を見た。それは繭の中で見たものと同じ。
「ラムダ……!? どうして此処に、リチャードの中に居る筈じゃ……」
『お前に用があってな。お前は他の人間共とは違う、器を介さずとも我の声が聞こえる筈だ、我の与えた力によって』
警戒して距離を取ろうとしたルーカスは、その言葉に足を止める。
「……何だって?」
『覚えていないのか? お前はかつて、プロトス1から逃れこの地をさ迷っていた我を助けた。我を化け物と呼び消し去ろうとした人間共の中で、唯一救いの手を差し伸べた。お前のその力は、我がその時に授けたものだ』
過去の記憶を掘り返してみても、明確にこれだと断言出来るものは見当たらない。恐らくはそれだけ幼い頃の出来事だったのだろう。
「それが本当だったとして、どうして俺にそんな力を……」
『お前ならば或いは、我の思いを理解出来るのではないかと期待したからだ。お前は何故、魔物が人を襲うのか、考えたことはあるか?』
「……そんなの、ずっと前から考えてるよ。でも、答えは分からなかった」
『ならば教えてやる。あの魔物は、我の憎悪から生まれたものだ。かつてフォドラで我を実験台にした研究者共の手によって産み落とされた、我の分身のようなものだ。……言葉で説明するよりも、見せた方が早いだろう』
ラムダはそう言って、その実体のない体でルーカスを飲み込んだ。
靄に包まれたルーカスの頭に、何かの映像が流れ込んでくる。
映っていたのは見知らぬ幼い少年だった。表情の乏しいその少年に、男性が優しく笑いかける。ラムダ、と名を呼ばれたその少年も、同じように男性に笑顔を向けた。
その温かい光景は一変して、今度は研究者らしき人々に取り囲まれた少年、ラムダの姿が映る。人々は嫌がるラムダを手術台に縛り付けて、その体にメスを入れた。瞬間、ラムダの絶叫が響き渡る。
その光景はあまりにも痛々しくて、ルーカスは見ていられずに目を背けた。ラムダの発する怨嗟の声は、いつもルーカスが聞いている魔物の声とよく似ている。
『……理解したか? これが魔物が人を憎み襲う理由だ。全ての発端は我を捕まえ、我を利用しようとした人間共にある』
気がつけば、視界は元の夜景を映していた。今の映像が実際にあったものなのならば、人を恨むのも無理はないとルーカスは思う。
『お前は我と同じ、人の愚かさを嘆き糾弾する側の存在だ。そう思ったからこそ、我らの声を聞かせる力を与えたのだ。そうすれば我らと共に、悪しき人間共を滅ぼさんとするだろうと思っていた。だというのに、お前はそうしなかった。我はずっと見ていたぞ、お前が人にも魔物にもつかず、一人苦しむ姿を。全く理解に苦しむ、何故そうまでして人を庇う?』
先の凄惨な光景の名残を頭を振って追い払ったルーカスは、杖を下ろして答える。
「……俺には、人の良いところを教えてくれる人が、いつだって傍に居てくれたから。もし俺が人じゃなく魔物として生まれてたら、人の言葉を理解する事が出来ていなかったら……、あんたの期待通り、人間の敵になってたかもね」
『……魔物も人も憎まず、代わりに自らを消そうというのか、お前は』
「それが一番良いと思ったから、俺にとっても、皆にとっても」
『我はそうは思わぬ』
間を置かずに返ってきたラムダの予想外の言葉に、ルーカスは目を瞬かせる。
『お前は生きるべきだ、この世界には、お前のような人間こそ存在すべきだ。何故、己が欲望の為に他を犠牲にするような者共が生き残り、他の為に自らを犠牲にする者が消えなくてはならない? そのような不条理を認めてたまるものか。お前は、我らと共に来るべきだ』
「ルーカス!!」
突然割って入った第三者の声に、ルーカスは元々自分が悩んでいた事を思い出す。
場に乱入してきた声の主、マリクは、ルーカスの傍に浮かぶ黒い靄に気付いて投刃の柄を握った。それを見たルーカスが慌ててラムダの前に出る。
「待った! いきなり攻撃しようとしないでよ」
「何を言っている、それはラムダだろう!?」
「ラムダだけど、別に俺は何かされた訳じゃない、ちょっと話してただけで……」
「お前に何もしていなかったとしても、そいつが各地で暴れ回って多くの人々を傷つけた事に変わりはない、陛下から離れている今なら……!」
『見よ、あれが人の本質だ。多くの人間は対話の余地もなく我々を敵とみなし攻撃してくる。お前はそんな人間共を庇い、そんな人間共の為に死のうというのか? よくよく考える事だ、お前が命を賭けるに相応しい相手が誰なのかを』
その言葉を残して、ラムダは夜の闇に溶けて消えた。武器を投げ損なったマリクも、それを見て渋々柄から手を離す。
「どういうつもりだルーカス、お前は陛下があいつに乗っ取られたまま、アスベル達と殺し合う事を望んでいるのか?」
「そんな訳ないだろ!!」
「ならどうして邪魔をしたんだ!!」
「それは……っ、だって、あいつにだって事情があって……」
「……どんな事情があったとしても、奴のやろうとしている事を放ってはおけん。お前はラムダの味方をするつもりなのか?」
「味方とか敵とか、そういう線引きしようとしないでよ……。俺はただ、分かり合える可能性があるなら諦めたくないだけで……」
次第に弱々しくなっていく相手に、マリクは怒りを引っ込めて溜息を吐いた。
「それで? 何を吹き込まれたんだ」
「吹き込まれたって何。別に、ただラムダの身の上話を教えて貰っただけだよ」
「それを信じたのか? お前を味方に引き入れる為の嘘かもしれんぞ」
「そんな感じじゃなかった。おっさんが信じる信じないは自由だけど、俺は信じる」
「……なら聞き方を変えるが、お前は明日どうするつもりだ? さっきのようにラムダを庇うつもりなら、ラントで留守番でもしているんだな、戦いの邪魔になる」
「そんなのおっさんに指図されたくない、俺がどうするかは俺が決める」
2人は互いに退かず睨み合っていたが、やがてマリクはルーカスに背を向けた。
「もういい、勝手にしろ。お前には付き合いきれん」
違う。本当は、こんな事を言いに来たんじゃない。
こんな風に突き放すつもりで、追いかけてきた訳では無い筈なのに。
マリクのその心中を知らないルーカスは、長い沈黙の後、
「……分かった、そうする。今まで有難う、迷惑かけてごめん」
覇気のない声で、いつになく素直にそう言った。
そうして何処かへ歩き出すルーカスに、マリクはかけるべき言葉を見つけられなかった。