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 脳天から引きこまれるような感覚で目が覚めた。
 微かな揺れを体全体で感じ取る。地震かと思ったがそうではないらしい。何故なら、人の肌の温もりを感じるから。恐らくは人に抱かれているのだろう。そして声を発しようとしても「あー」や「うー」という発音にしかならない状況を考えると、どうやら私は赤ん坊になったみたいだ。つまり今回はここから始まるということだろう。
 乳幼児でもせめて西暦くらいは知りたい。恐らくここは家だから、どこかにカレンダーくらいあってもおかしくないのだが。
「それにしても随分大人しい娘ね」
「君と僕の子どもなのになぁ」
 なるほど、私を抱いているのが今回の母親。向かいに座っているのが今回の父親というわけか。私は……いったい何歳? 何ヶ月? これで神野事件まであと数ヶ月とかだったら今回も諦める他ない。そういったことも今まで無かったわけではないので一刻も早く現状を把握したい。
「まだ2ヶ月だけれど、とっても賢そうじゃない」
「ほーら、これが巡の生まれた日だぞー」
 その時父がカレンダーを持って私に見せた。でかした! 神野事件まであと16年強……。残念ながら前回のようにヒーローになることは難しい。いや、まだ諦める必要は無い。今回は珍しくあの日まで16年もある。無個性か、没個性でないなら十分に強くなれるはずだ。
「カレンダーじっと見つめて……読めるのかしら?」
「数字が好きなのかな? 個性の発現が楽しみだ」
 楽しみだと? こちらとしては死活問題だ。と睨むわけにもいかないので「キャッキャッ」と赤ん坊らしい反応をすると両親は喜んだ。さて、前回は17歳から23歳までを過ごした。事件まで5年もあればだいぶ長い方だ。個性にもよるけど、今回は幸先の良いスタートだといえる。あとは個性発現までをどう過ごすかだな。
 両親は若干阿保……おしどり夫婦と呼べる程に仲が良いが、頭が悪いわけでも無さそうだった。そして家も和風建築で広いことを考えると、そこそこ良い家だと推測できる。そして重要なことが、私が望まれて生まれてきているということ。余程のことが無い限り、きちんとした教育を受けさせてくれるだろう。これは重要なことで、何度か育児に積極的でない家の子どもとして過ごしたけれど、あれは酷い。毎回もう御免だと思う。
 ふと、脳裏に2222という数字が浮かぶ。それは毎回始まりに起こるカウントだった。数えることも放棄したくなる回数を見兼ねてか、そこら辺の神様が気を利かせてくれたんだろうか。そんな考えを心の中で嘲笑する。神様など存在しない。私はきっとただの異端だ。悲観する心など疾うに消え去っていた私は、今度こそはとルーティンの様に気合を入れるのだった。

 時の流れは早いもので、あれこれ考えている内に14年弱が経過していた。只今絶賛帰りのホームルーム活動中で脳が暇なので今回の私に関する情報を纏めるとしよう。
 まず、私が生活している場所である静岡県。実は初めての地域である。日本から遠すぎる外国でのスタートの時は自害を考えたレベルだから国内ってだけで運が良いと言える。
 そして両親。2人共自由奔放。そして永遠のバカップル。まあ仲が良いのは良いことだ。案の定人気作家家と評判が高いデザイナーだそうで、基本オフィスにいるため家にいない。休日の都合が合うと大体2人でどこかへ行ってる。だからといって娘の教育を怠っているわけでもなく、勉強がしたいと言えば家庭教師を。ヒーローになりたいと言えば武道教室へ通わせてくれたりと手を尽くしてくれるありがたい存在。愛情も沢山注がれていると思う。言ってしまえば親馬鹿というやつだ。
 肝心な私の個性だが、両親の【仮想実現】と【幸運】という個性が混合したのか、言うなれば【たられば】という厄介だが使い道の多い個性が手に入った。この段階でここまで幸運が重なった時点で既に奇跡が起こっているようなものだろう。それにしてもここまでで2000回以上も掛かるなんて流行りのソーシャルゲームのガチャより酷いのではないか。
 しかし、私はあと2年強でオール・フォー・ワンを倒す為の計画を完遂させなければならない。個人的な訓練はもうとっくに始めているが、それだけでは到底足りるはずもない。相手は言わば“個性の倉庫”……並のプロより強くならないと一矢報いることすら望めない。だから私はとある特別な高校を目指すことにした。全国最難関の国立ヒーロー養成校にも関わらず、今まで繰り返してきた世界でも常に高い受験倍率を誇った高校。
 雄英高校。今までも強個性に巡り合った数百回は挑戦してきたが、合格することはできなかった。だが今回は学力も、個性も水準を満たしている。何より、雄英高校で学べなければいくら強い個性を持っていたとしても高校生で敵を倒すなんて不可能に近い。それに、雄英を中心に起こる事件。その概要を私は繰り返された世界の中で把握している。上手くいけば、事前に何らかの対策を練ることが可能かもしれない。
 今回しかない。こんなチャンスをまたあと2000回も待つ前に、きっと私の精神が死んでしまう。だからそうならないように徹底的に抗う。オール・フォー・ワンを倒し、そして、8月のあの日の向こう側へいく為に。
「クソモブ」
 さて、訓練も大事だけれど差し当たっては受験勉強か。雄英の試験は何度か受けているし、正直中学生の範囲なんて繰り返しやりすぎて暗記してるくらいだけど、偏差値79となれば応用も出来なければいけないわけだ。そうなると勉強せずに油断していたら足元を掬われかねない。
「おいてめェ」
「……物理と数学か」
 理数系科目は侮れない。計算ミスなんていうもので失点しましたなんてお粗末なものでチャンスは潰せない。確実に勉強しなくては、と人のいない廊下で決心した。
「シカトか殺すぞ!?」
 肩に捕まれた様な衝撃が走る。その感覚は間違っていないと気付くのに時間は要さなかった。乱暴な肩の掴み方からして、穏やかな話ではないのだろう。無視して逃げることも考えたが、クラスメイトであるなら出来るだけ波風は立てない方が良いと考え、さり気なく腕を払って向き直った。
「……何か?」
 肩の手をやんわりと払って声の主を見ると、あの爆豪勝己が私に話しかけてきたらしい。
 そうだ、今回はこの人と距離が近いんだ。いつもいつも渦中にいる爆豪。そんな人物が目に見える範囲にいるというのは、吉と出るかは今のところ不明。けれど神野事件も、この人がいなければああはならなかった可能性だってある。だって、平和の象徴は爆豪を庇って全力が出せずに崩れ去った。彼が誘拐されなければ……いや、これは難しいか。爆豪は悪くはないのだ。もし、彼が別の誰か・・・・に救出されたのなら、オールマイトは全力で戦えたはずだ。そうすればオール・フォー・ワンを倒せたかもしれない。
「てめェも雄英志望らしいな」
 ああ、この時期によくあるクラスメイトどうしの進路の話か。意外と中学生らしいじゃ……
 「辞退しろ。てめェにゃ無理だ」
おっと、何やら対話の雲行きが怪しいぞ。
「一応、理由を聞かせてくれる?」
「てめェの個性を言え」
 うーん、と返答に困りしばし頭を抱える。私の個性は人に言わない方が掛けやすいからだ。同じ高校を目指すのなら競争相手に手の内は見せたくない。もっとも私は、彼の個性を知っているが。そして雄英高校合格よりもオール・フォー・ワンを倒して生き抜くことを考えるのなら、私はここで爆豪勝己に個性を話すべきではない。そのことは明白だった。
「個性は言わないし、志望校も変えるつもりはない」
「はぁ!? ふざけてんのか」
 彼は彼で切羽詰まっているのだろうが、私もそれどころではない。そんなに気にするのなら人と高校が被りたくない彼が士傑高校にでも行けばいいのだ。
「お互い頑張ろうじゃ駄目な理由でもあるの」
「箔だよ、箔」
 箔……ね。おおよそ、こういう市立中学校からは雄英進学者なんてそうそう出ない。どころか合格したら本校初だろうから、それを狙ってるとかそんな感じだろうか。
「爆豪君ともあろうお方が随分みみっちいね?」
 言っちゃ悪いけど、そんな“箔”の為に私の今までを無駄にする気なんて毛頭無い。故に一歩も譲る気は無いし、そのような筋合いもない。私のスタンスを理解した爆豪は鋭い目を更に吊り上げる。
「良い度胸してんじゃねえか……あ"ぁ!? クソモブの癖によぉ」
「……例えば、爆豪は個性を発動できなくなったらどうする?」
丁度良い。ここにいるべきではない私が彼の進路を邪魔してしまったお詫びに少しだけ個性を見せてあげよう。ついでに彼がどれくらいかかりやすいか見ておくことにした。
「何言ってんだてめェ馬鹿にすんのも大概にしろよ」
 その右手が派手な音を立てながら私の胸倉に迫る。首と顔の近くで爆ぜる音に私は怯む。そのはずだった。突然、派手な音はパタリと止み、体が少し上に引っ張り上げられる感覚だけがあった。案外苦しいので普通に怯んでしまうが、思ったような結果にならなかったせいか爆豪は私を投げ捨てるように手を離して距離を取った。
「自慢の個性、使いどころ考えた方が良い。折角強いんだから」
 よれた制服の首元を正しながら忠告した。爆豪勝己は雄英高校で行われる体育祭でも毎回優勝する程の実力者だ。それは私が確認した範囲でどの世界でも変わらない事実だった。だから私は私の個性が爆豪に効くか試したかった。結果は大成功。というか、多分この人プライド高いから凄い掛けやすい。
「っ……気色悪ぃ女」
 突然開放された体はまだふらりとぐらつく。個性より人間の扱い方を学んでほしいものである。
「家に帰る頃には戻ってるよ、それ」
 個性が突然無くなるっていうのはショックが大きいだろうから、一応教えてあげる。そう思って教室を出る後ろ姿に声を掛けた。
 返ってきたのは大きめの舌打ちのみで、仕方がないけれど嫌われたかな、と小さく溜息を吐いた。まあ、さして支障は無い筈だ。敵は作らないに越したことはないけれど、彼と懇意にすることは少々骨が折れる。雄英高校に進むなら心象を挽回する機会もきっとあるだろう。
 爆豪勝己……いつも、誰だったか。ああそうだ緑谷出久にちょっかいを出している。2人は幼馴染らしいけど、仲が良いわけではない。むしろ最悪。主に爆豪が緑谷を目の敵にしている。さっきも雄英行くって緑谷が言われてた時に何か喚いてたし。どれだけ箔に拘っているのか。いや、仕方ないか。何も知らずに、ただ真っ直ぐ前だけ向いているのなら、爆豪のような目的があってもおかしくはない。この歳で志望校と目的までハッキリと決まっているのは褒めるべき点ではあるし。だからといって……って部分はあるのは否めないけれど。
朝腹の丸薬