2019/12/31〜2020/1/31
語り手:狛村左陣



 大晦日。この日の世間というのは、いつにも増して一言では形容し難い空気を漂わせる。

 浮かれ、改まり、慌ただしく、懐かしい。

 しんと静まり返る早朝の冷えに冷えた無人の廊下であっても、何故か特別に明るく感じられた。鉄左衛門が主導しての七番隊舎の大掃除は、その行程をすべて昨日に終わらせている。本日の天気は雪だが、風はなく視界も良好で、皆それぞれ思い思いに穏やかな休暇を過ごせることだろう。

 ちょうど裏庭の雪掃きを終えたとき、木塀の向こう側からキュッキュと軽快に雪を踏む音が聞こえてきた。こんな日の朝であろうと構わず其処を散歩するような変わり者――思い当たるのは一人だけであった。霊圧を探るまでもなく、呼び掛ける。


「お早う楠山」

「わっ狛村隊長、お、おはようございます!」


 澄んだ空気を、同じく澄んだ声が震わせた。彼女は足を止めて少しの間だけ静止した後、遠慮がちにそこの裏戸を開いて姿を見せた。仕事は休みであるからか、死覇装ではない。樺色かばいろの着物にしま半纏はんてんを羽織り、いつも腰に差している斬魄刀の代わりに草色の蛇の目傘を差している。


「……お庭にいらっしゃったんですね」

「どうやらまた驚かせてしまったらしいな」

「あのこれはその、毎度ですが狛村隊長が悪いのではなく」

「ああ、分かっているとも」


 鼻の頭と頬がやや赤らんで見えるが、指摘すれば「元々寒さで」とでも言うのだろう。楠山が死神になっておよそ十月、似たような遣り取りはこれまでに何度もあった。そろそろ驚かなくなって欲しいと思うが、声の調子や仕草からして、怖がられている訳では無いとは薄々分かっている。なら何なのかと訊かれると、はて、分からぬのだが。


「ワンッ!」

「五郎もおはよ。元気そうだね、雪でもへっちゃらみた……っヘクシュ、」

「ワォン?」

「楠山、上がって少し温まっていくといい。儂も一息つこうと思っていたのだ」

「あ、ありがとうございます」


 五郎の首周りをわしゃわしゃと名残惜しそうに撫で回す彼女に「雪が入るから」と理由をつけて早く縁側から上がるよう促し、掘炬燵に座らせる。茶の用意を始めた儂を見て立ち上がりかけるのも制すと、諦めたように苦笑された。
 雪見障子からは、降る雪と戯れる五郎の楽しげな様子が窺える。彼女はぼんやりとそれを眺めながら、ぽつりと言葉を零した。


「……水って不思議です」

「水?」


 沸かしたての湯をやかんから器に移しながら、唐突に振られた話題について考える。水。彼女はこちらで立ちのぼっている湯気を一瞥すると、小さく頷いた。


「透明な液体なのに、白い雪にもなって、白い湯気にもなって」

「……冬は、吐く息も白くなるな」

「そうですね。冬は白く変わる水を最も目にする時季かもしれません」

「寒くて雪が降り、温まろうと湯を沸かす……確かにそうだ」


 湯呑みに熱い緑茶を淹れ、炬燵の上に二つ置く。彼女は礼を言って、両手で包むように一つ持つ。


「熱いぞ」

「思っていたより悴んでたみたいで、あんまり感じません」

「次からは手袋も忘れぬようにな」

「……はい……」


 そう言ったときの目線が、手甲を外した儂の手に向けられていたことには目を瞑ろう。


「私たちの体も殆どは水でできているんですよね。こうしてお茶も飲まないと、干からびちゃったり」

「夏ほど汗をかかずとも、水分はしっかり摂らねばな」

「……あ、とっても美味しいです」

「それは良かった。この茶は儂も気に入っている」


 急にガタ、バサ、という音がしたので庭を見遣ると、縁側に立てかけておいた楠山の蛇の目傘が倒れて雪の中に沈んでいた。すぐ脇では五郎が申し訳なさそうに耳を垂らしてしょんぼりしている。嗅いでみている内に鼻先が触れてしまったらしい。


「いいよぅ、気にしてないって」

「ゥワウッ!」


 五郎は嬉しそうにぴょんと跳ねて、また雪と戯れに駆け出していった。本当に、よく懐いている。儂の次に。


「……蒸気機関車はご存じですか」

「ああ、現世ではだいぶ普及している乗り物らしいと」

「はい。あれ、炭を燃やして煙をぽっぽと吐きながら走るんです。冬に走り込みとかしてると、ふと頭を過ることがあります」

「白い息を吐きながら走る様は、まぁ、遠くない……か」

「あ、あの……」

「うむ?」

「私、さっきから何だかとても脈絡なく話してるのに……律儀に応えてくださって、ありがとうございます」

「……いや、こういう時間は良いものだ。儂は好きだぞ」

「そう……ですか?」


 丸められた目が、どこか喜びを孕んだように光る。己で言ってから少し気恥ずかしかったが、この反応なら相応に報われたのかもしれない。


「今の私にとって十一番隊は家みたいなものでもありますし、落ち着くのは落ち着くんですけど……どうしてか此処の方が安らげる気がします。騒がしくないし殺気立ってないからかなぁ……この辺に来ると、いつも気がゆる〜く緩んでしまって……」

「ほう」


 成程。そこへ儂が声を掛けるからああなる、と。何となくだが分かった。合点がいったところで、彼女はうとうとと舟を漕ぎ始めていた。


「昨日はあまり寝られなかったのか?」

「……溜まってた仕事、隠してた阿呆がいましてね……外を歩いていれば、今夜まで大丈夫かなって思ったんですけど……駄目っぽいですね……」

「午後の予定は?」

「一心さんとお蕎麦作って、皆に……配らなきゃ……」

「そうか。そういえば言っていたな」

「……。」

「昼には起こしてやろう。おやすみ、楠山」

水はいて白む(ミズハイテシロム)


 大晦日独特の雰囲気が好きな管理人です。月末更新が完全に習慣と化しました。年末年始、皆様は如何お過ごしでしょうか。
 このお話は去年の12月の一心さんのものと同日の設定で、主人公さんが護廷入隊した年の大晦日の出来事みたいです。ゆるゆるです。ポイントは狛村隊長がさり気なく手甲その他諸々も彼女の前では外して寛いでいるところです。過程はおいおい本編にて。
 2019年も当サイトを見守ってくださいまして誠にありがとうございました。のんびりですが2020年も引き続き運営して参りますので、どうぞよろしくお願いいたします。

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