2020/2/28〜2020/3/21
語り手:浮竹十四郎



 西暦――現世は西洋の暦。
 この尸魂界ソウルソサエティ東梢局とうしょうきょくと表裏のような関係にある極東の島国においても、近頃は年号を元にした和暦を差し置いて使われる場面が多くなってきているのだという。

 本日、1901年2月10日。
 世紀を跨いでやや少し。

 ぴぃんと鳴く鳶の声につられて見上げた空はひどく薄ぼんやりとしていて、遥か遠くにあるような、すぐ目の前にあるような、曖昧な距離感でそこにある。つい上の空になるのは無理もないし、この散歩道中が果たして有意義なものになるのかというと、その答えもまた白黒濁したくなる。
 そもそも、往診に来た卯ノ花隊長に「安静に」と言いつけられてから小一時間も経っていない。部下の目を盗んでまで冷風に身を晒すとは、俺は狂いでもしたのだろうか。

 幽体離脱したみたいな足取りで歩を進め、はたと気を取り直した時、目の前にはあの梅の木があった。……無意識か。もしくは、心の底ではとうに目的地を定めていたのかもしれない。

 蕾がほころぶにはまだ早く、からからした枝周りは閑散としている。花がない様を見てもそれほど面白くはないが、ここに立っていると、鷹揚おうようかつ勇猛果敢であった友の声をはっきりと思い出せる気がする。

(あれだろ、枝が出たらぜんぶ切っときゃ宜しかろ?)

 まず思い出すのがよりによってこの台詞か。はは。冗談がうまいんだあいつは。

 いつの間にか俺の背丈をも超えてすくすくと育っていた梅の木は、見ればよく手入れされていた。きっと蒼純がまめにやってくれているのだろう。昔とある記念にと四人で一緒に植えた際、彼は自ら世話を買って出てくれたのだった。任せて良かった。

 時が経つのは早いものだ。

 ――あの子も大きくなっただろう。

 俺が最後にあの子を見たのは二十年前になるか。やっと一人で立てるようになったばかりの赤ん坊だったあの子は今、広い流魂街の何処かでもう大人になっている。
 現世で成人を迎えられなかったことについては、悔やんでも悔やみきれない。俺の責任だ。もしまた会えたその時は、俺にできることなら何でもしてやりたいと思う。例え、それが自己満足の罪滅ぼしでしかないとしても。

 懐に入れていた鷹の目貫を死覇装の上からぎゅうと握りしめると、まるで心臓を掴んだみたいに痛かった。


――――――


「浮竹隊長。あの子に会えますよ」


 寝ていた俺の額にとまった地獄蝶から声がしたのは、その日の深夜のことである。

底に鷹の影


 本編第一章『珠は転がり掌に』と同日設定のお話でお送りしました。昨年3月の蒼純副隊長、6月の京楽隊長に続いてまたまたとある“梅”。彼らと一緒に植えたというもう一人については本編更新できたらそちらで追々。
 さて、世は新型コロナウイルスの流行で混乱状態。各地のイベントが中止になり、休校やテレワークが奨められ、「兎に角おうちに引き籠りましょう(意訳)」と叫ばれるなど大変なことになっていますが、こんな時こそ娯楽を楽しむ心を大切にしたいですね。幸い、現代はおうちで楽しめる娯楽が沢山あります。
 どうか皆さま、温かくして健康に良く美味しいものを食べてよく寝て、免疫力を高めてください。手洗いうがいはいつも以上に念入りに。一見地味でも、とても大切なことなんですよね。予防は人のためならず。

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4/12/70
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