2020/5/31〜6/30
語り手:名もなき十番隊隊士



 誰もいない執務室。開いたままの窓からは、気持ちのいい北風がそよいできていた。未処理のまま積まれている書類の山のてっぺんには、文鎮代わりに漆塗りの菓子桶がのっけられている。


「……今日はどらやきか。しょうがないなぁ」


 自分で熱い緑茶を淹れてきて、花台の上の花はなんとなくこっちに向け直し、本来は隊長が座るはずの立派な椅子に「どっこいしょ」と腰掛ける。照明は点けなくても作業するのに差し障りない暗さ。こんな日のこんな時間帯は、芝生の上に寝っ転がって昼寝でもすれば、さぞ気持ち良いことだろう。


「何処でサボってんのかなぁ……」


 ときどき剣道場から響いてくる竹刀の音。鶯の声。自分の手が紙を捲る感触。仄かに香る花のかぐわしさ。合間に啜る新茶の甘み。一束書類の処理を終えて、小休憩に頬張るどらやき。フケて帰って来ない上司。
 いつも通りの日常。


――――――


「…ぃ……おい……おい、起きろ!」

「……ん?ふわあぁ〜……」

「もう晩メシの時間過ぎたぞ。お前、もしかしてまだ食ってないのか?」

「……そうですね……誰かさんがやんなかった仕事してたら…眠たぁくなっちゃったんで」


 にゃむにゃむと目をこすり、顔を上げればへへへと笑う上司の顔。「悪いな」と一言いえば許されると思っている顔だ。いつも「今度こそ怒ってやるぞ」と思うのだが、対面するとつい毒気を抜かれてしまう。怒ってやったところで効き目なさそうだなぁというのもある。あと何だかんだ、さっきみたいな時間がけっこう好きだ。


「悪いな。侘びに今からメシ奢ってやるよ。顔洗ったらついて来い」


 こういうとき連れて行かれるのは割と庶民的な店で、流魂街出身の僕は気兼ねしないで済む。最初の頃は気を遣ってくれているのかと思っていたけど、付き合いが長くなるにつれ、この人は五大貴族という肩書がありながら元々そういう嗜好なのだと理解した。堅苦しいのを好まず、わちゃわちゃしている空気を楽しむ。


「そろそろ考えてくれたか?例の話」

「僕より竹添の姐さんとかいいと思いますよ」

「あいつ確かに腕はいいが、こう、厳しいし……」

「何ですか?緩いから僕がいいってことですか?」

「あーそれだけじゃなくてよ……お前、ちゃんと強いだろ」

「どうなんですかね。他の隊の副隊長さん見てると、肩並べるなんておっかなくて気後れしちゃうんですけど」

「余所のことなんて気にすんな。つうか謙虚だなぁ?実際に模擬戦でもしたら結構いい線行くと思ってるぜ、俺は」


 彼は蕨わらびの醤油漬けを挟んだままのお箸でビッと僕を指した。つゆが飛ぶからやめてくれないかな。というか、お酒も一応頼んだみたいだけど、さっきからそればっかりつっついてるなぁ。好きなのかな?白米を口に運びながらぼんやり考える。僕もお酒は飲めるけど、今はお腹が空いてしょうがない。鰆さわらの揚げ焼きに大根おろしがのったおかずが美味しい。


「副隊長って、なったらやっぱり忙しいもんですか?」

「まぁ副隊長会とかあるからな。あと知らないやつに顔も名前も覚えられるから面倒っちゃ面倒か」

「隊内の仕事は……」

「もう既にお前に頼っちまってるし、新しく増えることは別にねぇぞ?」

「じゃ、隊長がサボる回数減らしてくれるなら考えます」

「…………そう?」


 ここで濁すのがなんとも彼らしい。即答してくれれば引き受けてあげてもいいんだけどなぁ、本当に。にらめっこしていたら、店員さんがにこにこしながら蜊あさりの酒蒸しをコトリと置いていった。あまり広い店内ではないから、話が聞こえていたんだと思う。


「でも僕、やっぱり一番いいのは逆藤さかふじさんが戻ってきてくれることだと思ってます」

「前にも言ったが、そうするとあいつにも酷な気がすんのよ」

「……あのとき、僕が身代わりになれたら良かったのに」

「バーカ。絶対あいつの前でそんなふざけたこと抜かすんじゃねぇぞ」

「まぁ……逆藤さんよりあなたが偉くなるっていうのはちょっと想像できませんね」

「ちょいちょい、俺の前でもふざけたこと抜かすんじゃありませんよ」


 本心ですけどね。それに、目の前の彼もきっと同じことを思っている。そういう期間の方が長かったんだから、どうしても違和感は拭えない。


「そういえば、来月十一番隊と合同で遠征あるんですよね。それまでに決まってなくて大丈夫ですか?」

「別に大丈夫じゃねぇの?京楽さんとかまだ決めてないし。東仙だって決まってないままこないだ遠征いってきたんだからな」

「そうですか……じゃ、この話は保留でもいいですね」

「そりゃ急ぎじゃねぇけどよ……」

「せっかくの機会ですから、遠征で色々経験してみて、それから決めます」

「お?それは前向きな返答と受け取るぞ?」


 整った眉をぴくりと上に動かして、はにかむ。なかなか恰好いい仕草のはずなのに、手元では蜊の貝柱がさっきから取れないみたいで箸が忙しなく動いているから何だか面白い。この人の残念なところであり、良いところだ。


「ただし、サボる回数ちょっとは減らしてくださいね」

「…………お、おう。考えとく」

「それ僕の台詞のはずですよ?」


 目を泳がせて酒を呷あおった彼は、ぷは、と一息ついてから笑った。僕もつられて笑った。
 少し幸せだった。

満月の夜に死ねたなら


 今月は名もなき十番隊隊士さんでお送りしました。本編第一章『縒り糸転りと片蛇腹』の前に読むか後に読むかでまた印象が違ってくるかと思います。筆者本人は当然この先のネタも分かっているので、ネタバレなしで読むとどう感じるものなのかは推測するしかないんですけどね。どうなんでしょう。いっぺん自分の頭の中から自分の小説に関する記憶を消して確認してみたいものです。
 もし良かったら、彼のことを覚えておいてあげてください。

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