2020/6/30〜7/31
語り手:虎徹勇音



 走る。息を吸って、吐いて、腕を振る。
 走る。風を受けて、切って、道を蹴る。

 朝の空気といったら、多くはまずひんやり涼しいものを想像するだろう。しかし、この日はちっともそうではなかった。陽射しが熱く、空気が暑く、紺青の天の真中にどっしりと座す真白の雲、それがまた厚い。進行方向にあるその大きな雲は、走っても走っても近付けない。ちゃんと前に進めているのか分からなくなってくる。


――――――


 先刻、深夜にまた緊急の隊首会が開かれた。そこから帰ってきた山田副隊長によると「怪我人は三桁に迫るだろう」というのが涅マユリ局長の見解だという。昨日帰還した人たちを除けば合同遠征部隊は百数名――つまり、ほぼ全員が無事ではないという宣告と同義だった。
 卯ノ花隊長は、合同遠征部隊の帰還は昼頃か遅ければ夕方になると仰っていた。忙しくなるのはそれからだからしっかり休んで英気を養っておくように、とも。

 ……それなのに、私は日の出を拝むというポカをした。

 沙生さん大丈夫かなぁ。誰かが心配で寝られなかったなんて、四番隊の席官失格じゃないかなぁ。睡眠不足で治療に集中できなかったら本末転倒なのに。
 四番隊が前線に送られることはない。結局今回も私たちは詰所で待機しっぱなし、治療開始は患者が搬送されてきてから。そんなのはいつものことだ。いつものこと、なのだけど……彼女は、無茶してしまう人なのだ。そうだ、山田副隊長なんかに言われるまでもなく私だって分かっている。
 寝るために広げた布団を畳んで、死覇装に着替えた。治療道具の入った袋を肩に掛けて廊下を歩けば、私の足音だけが鳴った。

 ……というか勢いで部屋を出てきちゃったけど、こんなことしていいのだろうか。初めて卯ノ花隊長の指示に背いてまで、こんなこと。

 そう考えながらも足は止まらなくて、寧ろ心臓と一緒にどんどん早まっていった。草履を玄関に叩きつけるように出したのも私らしくない、こんな行儀の悪いことをするなんて。


「…い、行って参ります……!」


 誰もいないのに挨拶をして、私は走りだしたのである。


――――――


 瀞霊廷の北の関、黒陵門前には本来の起床時刻に辿り着いた。息を切らして、其処で初めてこう思った。


「早すぎたかな……ううん、早すぎたよね……」


 出てくる前は自分でも「部隊の帰還は早くても昼頃」って考えていたはずなのに、私ってば馬鹿だなぁ。そういえばご飯も食べてこなかった。後先考えずに勇み足。


「朝一でこがいな所に来るんが儂の他にもいるとはの。どうかしたんか?」


 背後から声をかけられて振り向くと、七番隊の射場副隊長がいた。肩が上下しているのを見るに、彼も隊舎からここまで走ってきたんだろう。


「おはようございます……えっと、私は……」


 答えようとすると、こちらに向かって走ってくる別の人影が見えた。射場副隊長も足音でそれに気付いたみたいで、二人一緒にそっちを眺める。数歩手前で徒歩に変えて此処まで来たその人は、十三番隊の志波副隊長だった。彼はきょとんとして、私と射場副隊長の顔を交互に見た。


「ん?何だ?こんな朝早くに瀞霊廷の隅っこまで。走り込みですか?」


 三人で三角形を作るように立って、おそらく三人同時に思い至った。「あ、これ、二人とも自分と似たようなことを考えて来たな」と。


――――――


 それからお二人と一緒に近くの食堂で食事をとり、更に待つこと数時間。更木隊長と志波隊長が瀞霊廷に帰還した。


「すぐに治療が必要な負傷者はいますか?」

「最後尾だ。暫く放っといても死にはしねえ程度だが、重傷のやつらは後ろの方にいる。……沙生もそこだ」


 私が尋ねた相手は志波隊長だったけど、彼をどんと追いやった更木隊長がそう答えた。ああ、やっぱりだ。
「ああいう人間は、怪我しないなんて土台無理ってものさ。だから君も、心の準備はしておいた方がいい。彼女がどんなに酷い姿で帰ってきても、できることをしてやれる準備をね」
 準備していたつもりでも落ち着いてなんかいられなかった。瀞霊廷の外に出て、最後尾を目指して走った。そこにいた朽木副隊長に促されて大きな荷車に上がると、致命傷ではないが、体のあちこちに酷い怪我を負った沙生さんが横になっていた。


「沙生さん、今すぐ、少しでも痛まないようにしますからね……!」

「ありがとうございます。それと、ごめんなさい。またご心配とご迷惑お掛けしちゃって」

「そんなの良いんです!帰って来てくれたから……私、報告を聞いたら、悪いことばかり考えちゃって……沙生さんにもう会えなかったらどうしよう、って……」


 後ろ向きなことを言っている場合でも泣いている場合でもないのに、涙腺がいうことをきいてくれなかった。回道を両手で使っているから拭うことも出来ずにいると、沙生さんが起き上がって私の目元を指で拭ってくれた。動作も表情もとても優しいものだった。こんなに優しいなら、私にじゃなくて、自分の体にもっと優しくしてくれたらいいのに。でも、彼女はそういう人なんだ。そうであるから彼女なんだ。変えられない芯がそこなんだ、きっと。『思考する人であるなら譲れないものが一つはある』。昔、卯ノ花隊長が意見も信念も性格も合わなかった山田副隊長のことを肯定して言った言葉だ。


「こんにちは、戦帰りの傷兵さん。病葉わくらば、朽ち葉、桑原くわばら々々くわばら。ねぇ、彼方あなた此方わたしですか?」


 斑目三席と西五辻三席の治療にも同時に取り掛かり始めた時、ズシリと重たい霊圧がこの身を、臓腑を圧迫した。椿色の髪をした女性の人型虚。これは命の危機だと本能が叫ぶも指先一つ動かすことが出来なかった。そんな中でも沙生さんは私を庇うように抱きすくめ、上半身を捻り、目の前に舞い降りた人型の虚を射抜くように睨みつけていた。
 彼女の胸に敵の剣が刺されようとしている。その刹那に、私は「ああやっぱり」と諦観していた。それと同時に「死なせない」と処決もした。私の力で虚をどうこうできるとは思っていない。けれど、死力を尽くして彼女を治してみせよう。どう諭しても無茶ばかりしてしまう人なら、他人が支えればいい。私はその一人になる。殉職者名簿にお友達の名前を書くなんて、絶対に嫌だ。


「……そ……蒼純副隊長……!?」 


 だが、凶刃に倒れたのは沙生さんではなく朽木副隊長だった。


「蒼純副隊長!のど…のどが……!」


 彼女の声にはとてつもなく悲壮感が表れていた。自分の命を顧みないで人を庇うのに、当人は庇われることに耐性がないらしかった。彼の喉からどくどくと噴き出している血を止めようと両手で傷を抑える姿は、必死で、痛ましかった。応急処置は私がすべきなのに、虚の重く強い霊圧に抗うことが出来ないでいた。
 志波副隊長が虚に攻撃して引き離してくれたことでやっと動けるようになった私は、朽木副隊長の喉の止血を試みた。大量の血が流れ出てしまっていたが、死に至る一線には辛うじてまだ届かない。しかし油断はできない、早く傷を完全に塞いで、安静に――……急に背筋がぞっとしたので顔を上げれば、敵はまたこちら側に狙いを定め、迫ってきていた。そして、沙生さんは当然のように間に立ったのだった。


――――――


 二日後。夕食を持って白い病室に行くと、沙生さんはベッドの上で瀞霊廷通信を読んでいた。


「……あ。こんばんは勇音さん、一昨日以来ですね。そういえば、あのあと虚の霊圧にあてられたせいで体調を崩してしまったと聞きましたが……大丈夫でしたか?」

「そ、そんなのもう大丈夫ですよ……!自分の心配をしてください!」

 彼女は少し困ったように笑って、これに対する返事はしてくれなかった。……いいです、別に。沙生さんが我を通すなら、私もそうするまでですから。

端役のつもりでいる勇者(二)


 本編33話『逆巻ひて逆捩ぢ』の別視点でした。いつか(二)も書くと言ったときは割と無計画だったんですが、思ったより早く続きました。ここで語り手二度目を務めたのは勇音さんが初!ということになりました。さて(三)はいつになるやら。
 山田副隊長が海燕さんと勇音さんをさり気なく導いた風になっていますが、本人にその気はゼロでしょう。言いたいこと言った結果偶々そうなっただけ。偶々そうなってなかったら主人公さんと蒼純さんは門前で絶命確実だった訳ですが……。山田清之介についてはmemoページのブログでも散々語ってきたので、ご興味のある好事家さんはそちらで過去の燥ぐ管理人の残像をお楽しみください。
 これを書きながら倒した蚊の数は三です。いれば処す。この時季はムヒかウナコーワが必須ですね。

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12/12/70
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