2020/7/31〜8/31
語り手:浦原喜助



「お帰りなさーい!どうでした?アッチは」


 地下室の真ん中に開いた“門”から出てきた彼女にそう尋ねれば、返ってきたのは無言だった。


「ちょっとォ、無視しないでくださいよ」


 彼女は足元をすり抜けて先に地上に行ってしまい、そのまま林を抜けて屋敷の縁側に一つだけある座布団を陣取り、丸まって楽な姿勢をとる。こちらをチラリと一瞥して、あとは曇天を眺めるばかり。


「も……もしかしてまだ気にしてるんスか?」

「……フーッ……」

「機嫌直して下さいよぉ!スミマセンでした!もう絶対、ゼーッタイ『変な声』とか言いませんから!今度マグロ買ってきますからぁ!」

「……言ったな?覚えておけよ」


 鼓膜を揺らすはネコが発した男声。ひとまずホッと胸を撫で下ろす。座布団は譲ることにして、自分は雨戸の敷居部分に腰掛けた。今日は特に湿気が多いから、座ってすぐに尻がジットリした。木材が濡れて蒸れた独特な匂いが鼻を掠める。肺をゆっくり膨らませれば、空気は大鋸屑おがくずみたいな味がした。


「あ、でもあの子の反応どうでした?アタシなんかよりビックリしたんじゃ――」

「喜々として訊くことか莫迦者。あやつはおぬしと違って、物分かりも良いし細かいことなど気にせぬ男じゃ。フン、おぬしの時と似た反応をされて喧嘩してきたとでも思っておったのか?」

「やーそんなコト!しかしサスガの動じなさっスね。それなら予定通りにいってました?」

「当然じゃ」


 それは朗報、こちらとしても大助かりだ。万が一狂いや穴が生じていれば他の手もない訳ではなかったにせよ、順当に事が運んでいるのは喜ばしい。つい癖で扇子を開こうとしたが、パッとうまくはいかなかった。そうだった、中骨がちょっと壊れてたんだっけ。


「何じゃ、見窄みすぼらしいのう。新調したらどうじゃ」

「そーっスねぇ。また江戸に行ったときにでもシャレたやつ見てみましょうかね」

「東京じゃろ」

「でも街に降りると皆サン結構そう言うんスよ。いつになったら馴染みますかね、トーキョー呼び」


 下駄を放るように脱いであがり、それからすぐそこの障子が開けっ放しの居間に入る。裸足で踏んだ畳は少し古くなっているが、このあいだ裏返してみたらまだまだ綺麗で使えそうだった。今度晴れたら裏返そうと思う。
 部屋の中央にある栗梅色の卓は彫り細工や仮漆ワニス塗りが施された見事なもので、年季はかなり入っているが傷は少ない。元の持ち主はさぞ大切に使っていたのだろう。上に置いていた、これもお古である菓子桶を手に取って縁側に戻る。


「お菓子食べます?お饅頭。美味しいですよ」

「儂の機嫌取りに用意しておいたのか?どこの店のじゃ」

「麓にできたばかりのお菓子屋さんがありましてね。北海道で栽培し始まったっていう小豆を使ってて、餡がもう絶品なんスよ!」


 鉄道もまだ通り切っていないらしいのにどうやってこんな田舎の店が特別な小豆を仕入れているのかと。失礼を承知で、しかし興味本位で店主に訊いたところ、店主は「実は独自のツテがあって」と笑顔で答えた。なんでも、ご自身が北海道の生まれらしい。天涯孤独となりこちらに流れ着いてから色々苦労もあったが、やっと夢だった店を開いたとかで。若いのにめげなくて偉いなぁ、と感心したものだ。


「ほう。この時世に和菓子屋を新しく始めるとは気骨を感じるのう。近頃の流行は食い物もそれ以外も、舶来モノに傾いてばかりだそうじゃからな」

「文明開化の御一新、てやつスね。諭吉サンは向こうで元気にしてますかねぇ」


 既に故人となった、現世における学の道の開拓者に思いを馳せる。機会があれば彼とはもう少し語らってみたかったのだが。


「あれ?ところで、その姿のまま食べるんスか?」

「何じゃ、ここで儂に全裸になれと?」

「別にアタシは全然気にしませんよ!ええ!他に誰もいませんし戻っちゃって構わ目が痛い!!」


 間髪入れずにネコの拳を喰らわされた。潰れてもどうとでもできると分かってからというもの、ツッコミの際の攻撃にどんどん容赦がなくなってきている。


「ま、慣れれば楽じゃし便利じゃぞ。饅頭ひとつで十分に腹が膨れる」

「そんな倹約しなくても……お金はまだちゃんとありますからね?」

「おお、そうじゃった。でかいクロマグロを丸ごとうてくれるんじゃったな」

「あー……釣ってきます!アタシこんど自分で釣ってきますね!」


 彼女は意地悪そうにフフンと笑うと、あぐあぐと饅頭を食べ始めた。漁船の造り方を考えながら自分も一口頬張る。なめらかで程よく甘く、ほっとする良い香りだ。あの店にはよく通うことにしよう。


「なかなかじゃな。清乃のものと比べても遜色ない」

「でしょう?」

「しかし向こうだとこの姿で菓子を貪るわけにはいかんからのう。いつまた食えるか」

「え?じゃあ向こうで何食って過ごしてたんスか?」

「なに、猫は猫らしく、じゃ」

「頼めば喜んで用意してくれると思いますけど」

「あやつも忙しいのよ。邪魔はしとうない。儂の飯の世話くらい儂でどうにかする」


 ぽつり。転がっていた下駄が水玉模様になっていく。空を仰げば見渡す限りの黒い雲。これはまた長く降りそうだ。


「……雨戸もちゃんと閉めましょうか。ささ、中にどうぞ。今後の予定をお話ししますから」

「そうじゃの、儂も土産話がある。面白いものを見てきたぞ」

「へぇ〜何でしょ?」


 ――あ。雨戸閉める人手、アタシだけっスよね?

 一人でぜんぶ閉めてくるのは大変だ。とはいえ、持ち主が大切にしていた屋敷、勝手に屋根を借りている身のアタシらも大切にしなくちゃあ、ね?

黒猫と梅雨の仲


 浦原さんと夜一さんの遣り取りを執筆するのは初めてでした。勝手がよく分かっていません。でもなんとかしましたよ!あんこはキーアイテム(?)。
 黒猫姿の夜一さんの声、最近BLEACHにハマったけどアニメを見たことがない、という方はどんなイメージをしていらっしゃるのでしょう?私は原作を読むより先にアニメで声を聞いていたので、声を知らないうちに漫画を読む、という体験はできませんでした。破面篇以降は単行本を発売日にワクワクと買うようになったので、そこからは新キャラがどんな声なのか想像したり声優さんを予想したりという楽しみ方もできました。懐かしい。

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