2018/9/3~10/15
語り手:東仙要



 リリリリリ、コロコロコロ。リーン。
 秋の夜長に人知れず繰り広げられる饗宴。

 この時期の夜の散歩は最高の贅沢だ。静かでいて、賑やかでもある。素敵な声を聴かせてくれる彼らをおどかしてしまわないようにゆっくりと。時々立ち止まっては、見えない空を仰ぐ。

 つい先ほどまでは、如何にして復讐遂行のための手を打とうかとそればかり逡巡し、胸の内は沸々としていたというのに、今は心が半回転したみたいに穏やかだ。我ながら、あまりに異なる己の二面を恐ろしいと思うことがある。人とは、度し難い。しかしそうさせるのは悪であって、抑え込んでしまっては報われないものがここにはあるのだ。

 ガサリ。自分のものではない、草を分ける音が微かに聞こえた。


「そこに誰か――ああ、分かった。楠山さんだね」

「わっ。こ、こんばんは……東仙隊長」


 彼女はそこにじっと座っていた。鍛錬なり散歩なり、動いていればこんなに近付かなくても彼女の気配に気付けたはずだ。それにしても、私に声を掛けられたときの驚きよう。急に声を掛けられたらそれは当然の反応だろうが、彼女の場合は少し違うのだ。それでだけではない……気がする。相変わらず、気を許してくれてはいないのだろう。


「どうしたのかな。こんな夜更けにこんな場所で」

「それはお互い様です」

「それもそうだね。私はただの散歩だよ。とてもいい夜だから、自然と足が向いて」

「私も似たようなものです。ここ、周りに人工的な灯りがないから星がよく見えるんですよ」

「そうか、星が。今宵は晴天なのかい」


 道から少し逸れたこの場所は緩い傾斜になっていて、腰かけるのに丁度いい。彼女とは広めに距離を取って並んだ。……うん、逃げないでいてくれるようだ。


「いいえ。見える範囲の半分は雲がかかっています」

「そうなのか。それだと、観察には向かなそうだ」

「鑑賞であればそうとも限りません。帯状の薄い雲は風で流れていきます。間を置いて覗く星月も綺麗です」

「なるほど」


 彼女は目の見えない私を気遣って、空の様子を教えてくれる。
 星とは、月とは、雲とは、どんなものなのか。教えてくれたのはあの人だった。夜空を世界に例えては、小さな光を覆い隠そうとする雲を取り払う人になりたいのだと言っていた。私はその声が心地良くて、本当は雲が好きだというのをいつも言い損ねた。
 あの人の声は優しく包み込むような、歌うような声。希望に満ちていて、それこそ星のようだった。一方、彼女の声は淡々としていて、小説を読むと脳内に流れてくる誰かの声に似ている。要は、説明的だ。本心はうまく隠していて、掴めない雲のようだと思う。
 声色は随分違っても、してくれていることは同じだ。


「朧月って知ってますか。春のもやかすみで輪郭のぼやけた月」

「知っているよ。風情だから詩なんかにもよく使われるね」

「……愚問でしたね。文芸家さん相手に」

「悪気がないのは分かるよ。見えない私に気を遣ってくれているんだろう。ありがとう」

「……今日の月はそんな感じです。秋なんですけど、薄い雲のおかげで」

「おかげでか。はっきり見える月よりも今日の月の方が好きかい」


 そう尋ねると、彼女は考え込む。会話が途切れても虫の声は止まず、空気は軽やかだ。やや冷たい風が吹き抜けて、余計に秋を感じさせる。


「言われてみたら、そうかもしれません。眩しすぎるよりも、朧気な方がずっと見ていられます」

「雲ですっかり隠されてしまうこともあるだろう。そうなるとうとましかったりしないかい」


 何を訊いているんだろうな。向こうからすれば、苦手な隊長がひとりの時間を邪魔してきたうえに、どうでもよさそうな質問ばかり振ってくる状況。帰らずに律義に答えてくれる楠山さんは本当に根が優しいんだろう。


「雲で隠れていたとしても、いつもそこにありますよ。それさえ確かであれば、どんな空でもいいものです」

「当たり前が当たり前であることに、安心するということかな」

「そうですね。それに、いろんな形や色になる雲を見るのも、私は好きです」

「そうか……私も、雲は好きなんだ」


 初めて口に出した、あの人には言えなかった言葉。
 本当は雲が好きだ。些細な告白だ。それが何だと思われることだろう。しかし私にとっては、これを人に打ち明けることは特別なことなのだ。今日のことは、この先も忘れはしないだろう。どうして相手が彼女だったのか、自分でもよく分からないけれど。

 いつか私が復讐を遂げるとき、そのときの私をこの人には見られたくない。
 一瞬だけ頭を過った。復讐を正義と信じるならば何も恥じることはないのだと、矛盾していることには気付けないまま――

それは虫の声が掻き消した


 秋、夜長、虫の声といったらこの方でしょう。しっかし東仙さんにスポット当てて文章書くのは難しすぎるって本編の方で分かったはずなのに何故にまた挑んだ私、って感じなんですけどね。
 台風が続々と押し寄せる季節、雲は一面すべてを覆ったり一つもなくなったりと忙しないですね。洗濯物が乾かない!湿気っぽくてジメジメする!雷あぶない!……と、雲は嫌われ者になりがち。ぼうっと見上げて楽しむ分には乙なとこもあると思います。

prev - bkm - next
9/12/70
COVER/HOME