2020/11/30〜12/30
語り手:檜佐木修兵



 初雪だ。鼻先にのって、しゅわりと融けた。

 そこそこの大きさをしていた粒が一瞬で水になると、自分は熱をもっているんだなとおっかなびっくり再認識する。俺が流魂街に流れ着いてからもう何年も経った。それでも、朧気になりつつある“生前”から持ってきた固定観念というか一般論というか、そういう記憶だけは頭にこびり付いているようで、ふとした時に「いっぺん死んだのに可笑しなことだ」と思ってしまうワケだ。まさに死んだ気がしない。
 死んだら冷たくなってもう動かない。そいつの魂はお化けになるか、天に召されるか、地獄に堕ちるか。そんな風に考えるのが普通で、もし現世にいながら尸魂界なんてのがあると知っている奴がいたら、まず間違いなく何かの間違いで記憶を維持したまま生まれ変わった奴だろう。
 あーあ。今あっちで生きている奴らに、「俺は死んだけど死ぬ前とあまり変わり映えしない世界で生きるために畑をやってるんだぜ」とか伝えたらどんな反応が返ってくるかな。俺が聞かされる立場だったとしたら意味わかんねぇと思う。心底。悪戯心がむくむくと芽を出して、お化けってやつになってみたい気がしてきたが、どうやって現世に行けばいいんだか。やっぱ死神にならないと無理かな……いやいや、俺が死神になりたい本当の理由はそんなんじゃないけどよ、ちょっと思っただけだって。


「よいしょっ……と、とと」


 大根と白菜、それと芋もごろごろ入れた籠を背負って立ち上がったら、重くて少しよろけた。ぐっと踏みしめた右足が柔らかい地面にめり込んで、爪先が積もった雪に触る。


「ひゃっこ!」


 足袋は源信長老が持っているから無いことはないけど、面倒くさがって裸足に草履の恰好で来てしまったものだから寒い、寒いのなんのって。この天気だと、今日は川で魚を獲ってくるとか言ってた喜之助はもっと寒い思いをしているはずだ。でもあいつは俺と違っていつも用意がいいから、心配しなくても大丈夫か。先に帰って湯でも沸かして待っててやろう。
 さてと、と歩きだそうとしたところ、爪先の先に虫が一匹ころがっていた。死んだコオロギ。山に出入りしたり畑なんてやってりゃ尚更、生きてる虫も死んでる虫も全然めずらしくなんかない。誤って踏んだこともあるし、くわで耕した場所にいたのを運悪く殺したこともある。それなのに、なんだか今ばかりは無性に気になった。そういや、俺は今年こいつらの声を聞いたっけか。聞いていても印象に残らなかっただけか、或いは例年より数が少なくて俺の耳まで響かなかったか。兎に角こうして冬が来て死ぬまでこいつらを気に掛けてやれなかったことは悪かったような気がして、雪を被り始めた死骸に畑の良い土をちょちょいと被せてやった。なんとなく。そう、なんとなく。こっちの方がちょっとあったかいだろって。死んでるのにな。


――――――


「虫が鳴いてなかった、とな」


 炬燵にあたって蜜柑を頬張りながら、現世で約一年間過ごして思ったことを沙生さんに報告した。といっても任務とは関係ない、虚との結びつきも何もない話だ。仕事については既に報告書やら虚討伐記録やらをしっかり纏めて直属の上司に提出したし、この人と家でお茶するときくらいは気軽にあれこれ話したい。


「そうなんすよ。籔の中でもよぉく耳を澄ませて一匹二匹確認できるのがやっと、っていうか」

「今回修兵くんが行かされた所ってば割と田舎の方だったのにね」

「はい。山に囲まれてるし、沢もあるし。土がコンクリートで覆われきってるようなとこじゃないっす」


 俺は東仙隊長の指導の一環で清虫の卍解を受けてみてから、虫の声をよく気にするようになっていた。どれだけ取り繕って見栄を張っても、俺の根っこは恐がりだ。あのとき体験した音のない無明の世界はとても恐ろしかった。恐怖した。時々、何かの拍子にまたあの世界に引き摺りこまれやしないかとか馬鹿なことを考えてはビビッている。
 だから、光があり、草木や土のにおいがし、自然の生き物がいると、そこはいつも通りの世界だと感じられて安心できる。「恐怖こそ戦士としてかけがえのないものであり、大切にすべき心なのだ」と教えられ、それをきちんと理解していても、流石に四六時中恐怖に寄り添っていたい訳ではない。俺は頻繁に俺の世界を確かめては安心材料を探し求めている。


「これはまぁ迷信みたいな話なんだけどさ」


 沙生さんは濃い緑茶のおかわりを注ぐと、雪見障子の向こう側に目を遣って話し始める。


「季節の虫が鳴かないとか、逆に鳥は騒がしいとか、深海の生き物が浜辺に打ち上げられたとか。そういうのがあると、天災がくる証……不吉の予兆だとか言うらしいよ」

「あ。そういうのなら、外国では烏を見ると不吉ってのは聞いたことあります」

「こっちには烏なんてそこら中にいるのにね?」

「そうそう、だからまぁ、元々あんまり信憑性ないでしょ」

「うん。確かめるのも難しいし、そういうことを話す人も面白がってる節があるからね。でも私はね、他の生き物って私より敏感だなぁと思うことは多々あるよ。蛙が鳴いたら雨が降ったし、羽虫の群れを潜った後に夕立ちに遭ったこともある。山で鹿に突っつかれて、『来い』って言われてる気がしてついて行ったら、すぐに地震がきてさっきまでいた場所は地滑りで崩れてなくなった……とかも」

「なんすか最後の、本当なんですか?」

「あれれ、修兵くんにウソ言ったことなんてないのになぁ、疑うんだ」

「う……やーでも……実体験を話されると……あながち、あんま馬鹿にするもんでもないと思わなくも……」


 ジトッとした目つきになった沙生さんが炬燵の上を越えんとばかりに身を乗り出してきて、覗き込まれた顔に熱が集まってしどろもどろになる。近い、近いです。


「まぁ、ただ偶然に重なったことに人が理由を付けたがってるだけかもしれないけどさ」


 やっと元の位置に戻ってくれた沙生さんはにっこりと笑顔だ。表情の変化は見ていて飽きないが、適切な距離というのがある。どうも俺からすれば昔みたいにはいかないのだ。


「そうだ、生き物は関係ないけど、ベタなのだと茶碗に罅が入るとか」

「ああ、物語なんかでもよくある」

「あれね〜、昔はお化けが何とかしてお知らせしてくれてるんだと思ってたんだ」

「はは、死神の台詞とは思えませんね」


 二人で一頻り笑ってから茶を啜る。ぱりん、と音がして俺の膝がびしょ濡れになったのは、それからすぐのことだった。

鳴かじさやけし


  当サイトの長編の檜佐木さんにとって、主人公は命の恩人の一人であり、流魂街の家族みたいなものであり、姉のような友人のような師のような。微妙〜でなかなか調理が楽しそうな間柄なので、今後を描くのが特に楽しみなコンビだったりします。
 炬燵に蜜柑の季節がまたまた巡って参りました。朝起きて素足で廊下なんて行けば途端に目が覚める。私の住んでいる地域はもう初雪が降りましたし、防寒にも力が入ります。暖房器具の用意は勿論ですが、羽毛のパワーを侮ってはいけません。部屋の中が暖まるまではくるまって頼りきり。それからですね、今年の蜜柑、例年よりずっと美味しい気がするのは私だけでしょうか。今のところハズレは一つもなしです。農家さんありがとう!ビタミン!

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7/12/70
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