2020/12/30〜2021/1/31
語り手:綾瀬川弓親



 最悪だ。雪に降られて髪は濡れるし、足袋にはさっきすれ違った宝石商の車が撥ねた泥水がついた。
 大晦日は明日だというのに、どうにも気が早い連中が多くて、酒の匂いが消えない消えない。だから絡まれない様にと外に出たはいいが、着の身着のままなど流石に考え無しだった。この調子で雪が続いたら霜焼けてしまうだろう。

 冬夜の風は冷たい。一方時折、何処からか聞こえてくる豪快な笑い声は暑苦しい。

 人は男の付き合いがああだこうだと言うが、酒を呷らないと盛り上がれないってのも何だかね。僕も嗜むことはあるけれど、酒だけ美味しくても味気ないし、つまらない奴のつまらない話は欠片も肴にならない。そう、連中には雅さや趣が、美しさが足りていないのさ。今日はせっかく空気が澄んでいるのだから、雪のなか星か月でも仰げばいいのに、なんて。


「あれ、弓親?」

「……沙生?」

「よかった。やっぱりそうだ」


 ちょうど街灯の真下で振り返ると、一つ向こうの街灯の真下に沙生がいた。二人の姿だけが闇にぽつりと浮かんでいるかのようだ。
 彼女はにこにこしながらさくさくと雪を鳴らして隣まで来た。大きな手提げ袋に豊富な種類の魚や野菜がこんもりしているところを見るに、年末年始のための買い出し帰りだろうか。僕と違って傘を差している辺り用意周到だ。綿入れを羽織っているし、足元は藁沓だし、ちゃんと温かくしているのを見て安心した。


「こんな寒い夜にそんな恰好で出歩いて。今の時季、風邪なんて引いちゃったら楽しくないでしょうに」

「ごめん、心配掛けたかな。でもそろそろ帰るからさ」


 さり気なく荷物を奪い取ったら視線で抗議されたけど知らない振りをする。次の街灯まで進んだところで漸く諦めてくれたのか、彼女はふっと笑って前を向いた。何も言わず同じ傘に入れてくれる優しさが少しこそばゆい。


「ははぁ……さすがの弓親でも、一角と少し距離を置きたくなったかい?」

「……最初は僕も一緒に飲んでたよ。ほろ酔いで軽く舞ったりもした」

「うんうん。おつまみ作って差し入れに行ったとき、射場さんが隊長にお酒あげてたあたりまでは見てたよ」

「あぁ、その辺で帰って正解」

「どうしたどうしたー」

「『墨をくれ』って頼まれたから一旦出て戻ったら、みんな腹とか尻とか出してた」

「あーらら……」

「こう……僕も馬鹿だけどさ……『祝いに一筆認めよう』とかかと思ってた分……」

「物凄く引けちゃったワケね」

「しかも京楽隊長なんて、酔いすぎて尻の男女の区別がつか……あ…いや……うん。忘れて。ごめん。君に聞かせたい話じゃない」

「はいはーい、聞かなかったことにします」


 僕としたことが、他人に何とかかんとか言ってもまだまだ、ああ、気の利かない。他にいい話の種を探そうとこの一年を振り返ってみるも、彼女が見せてくれた様々な表情がくるくると頭の中で再生されるばかりで、何を声にすればいいのか分からなくなった。
 結局は聞く側に回り、沙生が明日に志波隊長と一緒に作る蕎麦の配達先の人たちの食の好み、という平和な話に相槌を打って歩く。


「酔っ払いに見つかると面倒そうだからさ、こっちこっち」


 隊舎に帰り着いたはいいが、広間の方ではまだ馬鹿騒ぎが続いているらしかった。大口を開けているであろう笑い声と、畳を踏み鳴らす音、酒瓶をぶつけ合う音。こういうのを“ドンチャン”とよく表すが、まさにそう聞こえてくるから不思議だ。
 彼女の先導で木塀に沿った狭い道を行き、立て付けの悪い戸から中に入る。その小さな裏口は台所に行く途中にある廊下の方に繋がっていて、こんな風になっていたのか、と今更ながら知った。

 月明かりが僅かに射し込むだけの廊下は外と変わりない寒さだ。さっきより喧騒を少し遠くに感じていると、割と近くで、ゴトンと何か重たい物の音がした。


「ん?」

「あれ、そんなとこにどなたか……?あっ、こんばんは!」


 角を曲がった先にある古い土間からひょこりと顔を出したのは金矢だった。「なんだ金矢か」と口が揃う。一番可笑しそうにしているのが金矢というのがまた。


「どうして一人でこんな所に。宴会はいいのかい?」

「綾瀬川五席こそ。いやぁ、俺は酒より好きなものが年明けにありますんで。さっきまでアッチでその準備してました」

「なるほど。その臼とか、埃かぶってたんじゃない?」

「きいちゃいます?……それがもう、埃どころじゃありませんでしたよ!得体の知れない崩れやすい塊とか、干からびた虫とか……」

「ひぇ……」

「ついでに大掃除!と思って片付けてたらこんな時間になってしまいまして、うぉっ」


 まだやり残しがあるのか、金矢は話しながら奥に戻ろうとした。が、足が縺れてよろけ、背の高い茶箪笥に倒れかかる。引き出しの取手金具が揺れてガチャンと鳴った。


「あいたた……」

「大丈夫?頭ぶつけなかった?」 

「はい、頭はだいじょうブブん!?」


 どさどさ!と彼の頭上から白いものが降ってきて暫し視界を覆った。ここは屋内、もちろん雪ではない。足元に舞い落ちたそれを一枚拾い上げてみる。沙生と金矢もそれぞれ手に取り、同時に目を通して察した。


「これは……」

「げ、まさかコレ年内の……」

「うわ。あの、見なかったことに……は、できませんよね、あは、ははは……」


 元々ウチの隊は真面目に事務仕事をするような柄でもないし、やれ抜けがあるとか紛失したとか、よくあることなのだが。


「何枚だ、に、し、ろ、は、と、に……このくらいなら何とか!なる……はず」

「沙生、律儀にやるつもり?」

「だってコレ総隊長に出さなきゃならないやつだよ……来年からウチだけ予算と給料削られたりしたら嫌でしょう……」

「……はぁ。とにかく、場所は変えよう。此処だと隙間風が酷くて凍えるし」

「手伝ってくれるの?」

「朝がくる前までにどうにかするさ」

「よーし、俺もやりますよ!あったかいお茶淹れて頑張りましょ!」

「うん……二人とも、ありがとうね」


 今頃は何処かで不真面目に遊んでいる誰かが隠していた書類に違いないのに、君が礼を言わなくても。本当に、そういうところが。

暗けれど君を知る


 本編が進まないうちに拍手文12月もとうとう3回目。3回目……?時間が経つのは早いですね(時候の挨拶)。去年と一昨年の大晦日のお話の一日前、ということでお送りしました。
 それでは皆様、良いお年を!どうか健やかに新年を迎えられますように。

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6/12/70
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