2021/2/26〜3/30
語り手:卯ノ花烈



 ぜわしいのも漸く落ち着いて、窓の外を見遣ればもう夕陽は名残りすらない。

 いつもなら廊下を走ったりしない隊士たちも、今日はどたばたとして大変だったことでしょう。走っているときに私とすれ違った者は揃いも揃って「しまった」という顔をしましたが、私だってそこまで頭が固い訳ではありません。一度にこれだけ大人数が運ばれてくることは中々ないですし、急がなければならない正当な理由があったのですから、こんな時くらいは目を瞑ります。
 「御苦労様」と労いの言葉をかけただけで鷹の前の雀のようになられては、流石にちょっと傷つきますよ?

 まだ顔色の悪い学生たちが寝並ぶ大部屋から出て、隊首室への道を行く。渡り廊下に差し掛かると、右手の方からこちらに向かって歩いてくる人影がひとつ。揺れる牽星箝けんせいかんを見留めて、私は足を止めた。


「こんばんは、朽木副隊長」

「こんばんは。お帰りのところお引き止めしてしまったようで申し訳ありません」

「構いませんよ。用件を伺いましょう」

「……ここで立ち話をしては、お身体が冷えてしまいませんか?」


 彼は案じるように、些かばかり眉尻を下げた。私に対してそんな心配をしてくれるのは彼くらいだ。私をひ弱と思っていたり、畏怖を欠いていたりするのでは全くなくて。おそらく、誰が相手でも同じことを言うのでしょう。まさに君子の鏡、何かにつけて私のことを「おぉ怖い」なんて言っている誰かさんとは大違い。その誰かさんは、夕方に大量の患者を置くだけ置いて、さっさと何処かへ消えてしまったのですけれど。


「ありがとう、大丈夫ですよ。寧ろさっきまで駆けずり回っていましたので、涼んで丁度よいくらいです」

「そうですか、では。お尋ねしたいのは、今日こちらに運び込まれた入隊試験受験者たちについてです。小椿副隊長は、希望者には明後日にでも実技の再試験を……とお考えらしいのです。どうでしょうか?二日あれば、みな回復が見込めますか?」

「外傷のある方はいませんでしたから、一晩安静にしていれば八割は問題ないでしょう。ですが、残り二割……特に間近で更木隊長の霊圧を浴びてしまった何名かは、拍動がとても不安定です。万全の状態になるには、長いと一週間ほどかかる場合も考えられます」

「一週間……分かりました。採点や振り分けの予定が押してしまいますが、もう何日かの延期をご検討いただけないか、お願いしてみようと思います」


 自ら使い走りの伝令役を負うとは、本当に人が好い。それに再試験の日程など、彼が気にしなければそこまで気を回す者は他にいなかったでしょう。殆どの死神は「軟弱な学生をふるい落とせて良かったのでは」と考えるでしょうから。
 ――他人に興味がないというか、温情を失くしたというか。中堅と呼べる層の死神は、何故かそういう傾向にあります。一方、新参がぬるいのはまだ分かるにしても、古参が死神らしい冷徹な振る舞いを忘れて人らしく回帰する傾向があるのも不思議ですね。人間でいえば、反抗期、更年期を経て悟るようなものなのでしょうか。
 とまあ、あれこれ推してはみましても、彼はこの例から漏れるのですが。初めから今まで、一貫して優しすぎるくらいです。


「そういえば、今年は御子息も受験されたとか。巻き込まれてはいませんでしたか?」

「白哉なら無事でおります。更木隊長が探していた女の子と同じ班だったようで、駆けつけた先で鉢合わせました」

「ということは、ほぼ渦中にいたのでしょう?それで無事なら将来は有望ですね」

「どうもありがとうございます。自慢の息子です……けれども、もしお会いになった際には厳しくしてやってください。少々、甘やかした自覚がありまして」

「お任せくださいな。そうする必要があるときには、遠慮なくそうさせていただきます」


 京楽隊長が部下に言付けていったことには、「あと三人残ってるけど、あの子らは大丈夫」と。そのとき斬術の試験場で更木隊長の霊圧に耐えてみせた受験者が沙生さんの他にも二人いたとは意外でしたが――そう、一人は彼ですか。


「女の子と、御子息と……もう一人いたと小耳に挟みました。どんな受験生でしたか?」

「とても元気な男の子ですよ」


 そんな、まるで生まれたてみたいに。可笑しいこと。時々、彼は抜けて突飛になる。


「ええと……白哉とのやり取りを聞いていた感じでは、どうやら霊術院で同じ学級だったようです。彼と話しているときの白哉は、夜一殿といたときのような砕けた表情になって……あんな友達がいたなら、家に招いても良かったのにと思いました」

「まあ、そうなのですか。気の置けない友人がいたようで良かったですね」

「はい。それに、十一番隊に入ることになったあの女の子も。白哉と気兼ねなく話してくれていて、優しそうな良い子でした」


 頬を少し緩ませて嬉しそうに話す朽木副隊長は、その女の子が“あの子”であるとは知らされていない。
 私は彼には話しても何ら問題ないと思っていますが、浮竹隊長は現世で彼女を護りきれなかったことが余程うしろめたいのか何なのか、自分から打ち明ける勇気がないようですね。今はまだ、気持ちを汲んで黙っておいてあげることにしましょうか。
 それに、勘の冴えている貴方のことです。近い内に自ずと答えを導きだせるでしょう。

 ――そのとき、東風はるかぜが吹き荒んで。

 渡り廊下の端のそばに植えられていた梅の花弁が舞い、辺りをささやかに彩った。その光景を見た彼は、ハッと目を見開いている。偶然にも「彼女」の話をしてすぐにそれから「梅」とくるとは、これはまた運の良い。突如端緒いとぐちが飛んできたようなもの。彼の頭の中では、もう点と点が繋がったのではないだろうか。


「そうか、梅が――……咲く時季になっていましたか。今日はあちこち飛び回ったはずなのですが、どうやら景色に目を向ける余裕が足りていなかったようです」

「それはそれは。大変お疲れ様でしたね」


 彼は腕組みをすると少しずつ目を細め、ふいと梅の木がある方を向いた。春を告げる可愛らしいその花をじっと見つめ、瞼を閉じ、またゆっくりと開く。そしてとても穏やかな眼差しになって、静かに話し始めた。


「――『梅は花の兄』とも言いますね。春のはじめに、どの花よりも先駆けて咲くから、と」

「そうですね。梅が香ると、春が来るのだと感じられます」

「卯ノ花隊長。これは私の勘に過ぎないのですが……あの女の子は、白哉や皆より一足先に死神になることで、同期の花となりますよ」

「あら。その子はまるで梅みたいですね?」

「はい、重なって見えるようです。しかしやはり女の子ですから、『花の兄』ではなく『花の姉』とするのが適当でしょうか?」

「まあ。うふふ、それもそうですね」


 さて理由はよく分かりませんが、彼は大層ご機嫌になられたようです。浮竹隊長の危惧は見当違いの取り越し苦労、杞憂も杞憂だということですね。


「明日は裏山の梅の様子でも見に行ってみようと思います。お呼び止めして長々とすみません、ありがとうございました」

「いいえ。今日はゆっくりお休みなさい」

「はい。お休みなさいませ、卯ノ花隊長」

風よ百花のさきがけ


 2月26日は『このほの』主人公さんが十一番隊入りした日なので、その日の裏話をお送りしました。
 「多分こういうことが裏であったけど本編には組まなくても良いかな」と思っている内容がだいたい此処に載ります。本編の進行もゆっくりが過ぎると裏話の方が多いとかいう謎状態になりかねない……?
 扱うテーマ的に、梅花と梅雨の時季がそれぞれやってくると毎年焦っている管理人なのでした。

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