2021/11/30〜12/31
語り手:黒崎遊子



 具合が悪くて一ヶ月ずっと寝ていたおにいちゃんが、学校に行けるようになってから最初の祝日。時刻は朝の八時過ぎ。さわやかな秋晴れの行楽日和で、駅はとても混んでいた。


「おにいちゃん大丈夫?無理してない?」

「本当にもう何ともねえって、心配すんな。見ろ元気だ元気すこぶる元気、だからほら、はぐれんなよー」


 ……とは言うけど、相変わらずの仏頂面。朝ごはんも小食だったし心配だなあ。
 おにいちゃんはこういうとき、いつもあたしの前を歩く。こういうときというのは、二人で人混みの中を歩くとき。とがっているお船の先が波を切って進むように、ムッとした顔のおにいちゃんは人の波を左右に分けてしまう。あたし一人だったらこんなふうにはいかない。
 特に駅の中って、大人の人はみんな下なんか見ないで急ぎ足だから、小さいあたしのことなんて目に入らないみたい。四年前、電車で少し遠くへお買い物に行ったお父さんが帰ってくる頃に雨が降りだして、あたしは傘を持ってお迎えに行ったことがあった。そしたら、あたしピンボール玉かな?ってくらいドンドン人にぶつかっちゃって、いったい何回しりもちついたか。しかも誰にも言わないで勝手に家を出たから、後でお父さんにたっぷりやさしく叱られた思い出。おにいちゃんは一時的に心配性になって、あたしがどこへ行くにも付いてきてくれた。
 そういえばおにいちゃん、あの頃は一緒に歩くときに手を繋いでくれてたなあ。いつからだっただろう、繋いでくれなくなったの。


「あっ、一兄!ユズ!こっちこっち!」

「トイレ混んでなかったか?」

「男子はガラガラ」

「あたしはちょっと並んだよ、待たせてゴメンね」


 手を合わせて言うと、夏梨ちゃんは「いーって」って笑いながら、人差し指に引っかけた小さなレジ袋を軽く振ってみせた。あたしがおトイレに行く前に見ていた秋限定マロンチョコスナックを買ってくれたみたい。夏梨ちゃんはじゃがるこ、お父さんはイカのおつまみバラエティパックが旅のおやつの定番。おにいちゃんはいつも「べつにいい」って言うから、あたしたちが買ったものを少しずつお裾分けしてあげるんだ。


「じゃあ改札行く前に券配るぞ〜」


 新幹線、久し振りだなぁ。お泊りも久し振り。おにいちゃんの具合がやっぱりまだ心配だけど、ワクワクする気持ちは抑えられない。
 『E席』と書かれた券を持って、お父さんの後に続いて改札を通る。長いエスカレーターではしっかり手摺を握って、下から吹き上げる風で帽子が飛ばないように反対の手で押さえた。そのまま少し振り返ると、リュックサック越しにおにいちゃんと目が合った。そうそう、お父さんが先頭のときはおにいちゃんはよく一番うしろにいるの。「危ないから前向け」だって。はぁい。

 新幹線が来る音って何度聞いてもドキドキしちゃう。黄色い線から離れていても、ワンピースの裾がバサバサ鳴った。ホームと新幹線の間のスキマに落っこちないように大股で乗り込んで、お父さんがくるんと回した座席の窓際の方に落ち着く。あれ、回したからこっちがD席?……お父さんも座っちゃったからいいかな、これで。
 暫くして発車すると、後ろ向きにぐーんと進んだ。なんかへんな感じ。でもこれはこれで楽しいからヨシ。おしゃべりをしておやつを食べて、車窓からの景色を眺める。ビルから家々になって、田んぼになって、トンネルを通ったら街が見えてきて、またビル、田んぼ、ビル、田んぼ。やっと降りた駅にあったお蕎麦屋さんでお昼ごはんを食べていると、一瞬、おにいちゃんのボストンバッグからボスタフの手が見えた……ような……「気のせいだ、これは靴下だ」とかアワアワして。靴下が勝手に飛び出てきちゃうほど荷物パンパンに詰めてたの?……あやしい。

 今度は普通列車を乗り継いで、気付けばもう午後三時。着いたのは周りを山に囲まれた田舎の小さな駅だった。駅員さんは切符を回収してくれたこの人だけみたい。


「わーすご、あたしこんなのテレビでしか見たことねー」


 夏梨ちゃんはぐるりと見回しながら感心したように言った。レトロ、そう、昭和レトロな雰囲気。深呼吸すると、木のにおいがする。
 ホームを出てすぐの待合室には長椅子が二つあるだけで、その向こうはもう外だ。右手の廊下はこじんまりとしたお土産屋さんに繋がっていて、植物のつるを編んで作られたカゴや、地元の和菓子屋さんのお饅頭に大福なんかが売られていた。あっ、このお菓子は知ってるかも。知る人ぞ知る老舗名店特集の番組でやってた、ドン・観音寺さんも大好物なんだって!買っていこ!

 お父さんがケータイを確認しているので待っていると、ブロロロロ、と車の音が外から聞こえてきた。今どきウチの近所では見かけなくなった、大きくて年季が入ってそうなその車は、ゆっくりバックして駅前の空き地に停まった。前のライトはまるくて黄色、黒と銀のラインが渋い車体の背中にはゴツゴツしたタイヤが一本くくり付けられている。映画の中で強いおじさんが乗り回してそうなやつだ!と思ったけど、運転席からサッと降りてきたのは、先月に会ったあの親戚のお姉さんだった。今日は着物と袴じゃない。カーキのモッズコートにインディゴのジーンズ、黒のショートブーツ……か、かっこいい!おにいちゃんもああいうの似合いそう!


「やぁ黒崎家御一行様!こんな田舎まで遥々ようこそ!」

「沙生お姉さん、こんにちは!」
「ちわーっす」
「よう!暫く世話になるぜ!」

「どうもどうも!さ、荷物は後ろに載せて。一護イッチゴォ、挨拶ナシは飯抜きよー」

「おっ…オウ……お世話になります……」

「……どーしたどした、せっかく紅葉真っ盛りの秘境に家族でお泊りに来たってのに、暗い顔しちゃって。此処にいる間は難しい事考えない、存分に持て成されていっぱい楽しんでいきなさいな」

「あ、ああ……」

「よし、じゃあ乗り込め〜!我が屋敷はそんじょそこらの温泉宿には負けない良いとこぞ〜!」


 ……おにいちゃん、いま笑った?ずっと心ここにあらずって感じだったのに……いいなあ!すごいなあ!魔法みたい!
 お父さんの話では、お姉さんってあたしたちが赤ちゃんだった頃にはよくウチに来てたらしいし、おにいちゃんとは仲良しなのかな。あたしも仲良くなりたいな。もっとお姉さんのこと知りたい。


「助手席だれ乗る?一心さん?」

「そうなるか?乗りたい人〜?」

「はい!あたし乗りたい!いいですか?」

「お、遊子ちゃん?もちろん!」


 さっそく乗ろうとしたら、近くで見ると思ったより車高があって……いけるかな?シートを掴んで、足を掛けて……


「う〜ん……よい、しょっ……」

「遊子ちゃん手だして、引っ張ってあげる。それっ」

「ありがと!」


 お姉さんが運転席から引っ張り上げてくれて、まだ乗っていなかったお父さんは背中を支えてくれた。何とか座れて一安心。わ、なんか目線が高いよ!お父さんに肩車してもらったときの感覚と似てるかも。


「皆シートベルトオッケー?じゃあ出発〜」


 乗り心地がタクシーとかとは全然違って、遊園地のアトラクションみたい。お姉さんの車にはカーナビがないけど、さすがに慣れてて、標識も看板も何もない山道を迷いなく危なげなく進んでいった。途中、河原を突っ切ったのにはびっくりしちゃった。お姉さんの他にこの山の上に住んでる人がいないから、あんまり道路整備とかされてないんだって。


「到着〜!長旅お疲れさま。お茶淹れて持ってってあげるから、好きな所でくつろいでてね」


 うなるエンジンが徐々に静まり、お姉さんはこなれた様子でサイドブレーキをかけた。お礼を言ってぴょんと降りたら、足元が少しふわふわ覚束おぼつかない。揺られたもんね。
 お山の断崖から見える夕焼けは周りの紅葉に溶け込んだようで、今まで見た中でいちばん綺麗だった。

 例の先月の銀杏は、あの後ここの庭先に埋めたんだって。それで半月くらいそのまま放置したのを掘り起こして、洗って、乾かして、食べられるようにしておいてくれたって。お姉さんは「移動でお疲れだろうし料理も私がやったげるよ」って言ってくれたけど、やっぱりお手伝いしたくて並んで台所に立った。最新のシンクや調理器具があるのに、土間の方は昔話の世界みたいで、竹でフーフーして炊く大きなかまどとかがあって面白かった。
 一緒に作った献立は、釜炊き栗ご飯に大きななめこのお味噌汁、銀杏入り茶碗蒸し、銀杏と秋野菜の素揚げ、寒独活うどの煮びたし、そしてメインは牡丹ぼたん鍋!豪華でしょ!ところでこの食材、全部沙生ちゃんがとってきたんだって!すごい!

 夏梨ちゃんもおにいちゃんもお父さんも、美味しそうに食べてくれて嬉しかったなあ。私もたくさんおかわりしちゃった。沙生ちゃん料理上手だから、また色々教えてもらいたいな。
 みんなで囲んだ栗梅色?の和風なテーブルは、二百年以上は使われてるんだって。こんなにピカピカなのに!大事に使われてきたんだなあ。

 食後は少し休んで、いよいよお風呂。なんと、お屋敷を出て百歩くらい歩いた先に温泉が湧いてるの!うらやましいなあ、沙生ちゃんの家ってほんとに温泉宿みたい。大きな露天風呂に夏梨ちゃんも珍しくテンション高くなってた。三人で背中流しっこして、すっごく楽しかったなあ。あと、トランプしたのも楽しかった!

 お布団に入る前にもう一回おトイレに行った帰り、ひんやりする廊下を早足で進む。そしたら外からおにいちゃんの声が聞こえた気がして、あたしは素足のまま靴を履いて、そっと玄関を出た。
 壁に沿っていくと、角を曲がった先の縁側でおにいちゃんと沙生ちゃんがお話していた。気になってこっそり近づい……たつもりだったのに、すぐ気付かれちゃった。沙生ちゃんは「遊子ちゃんもこっちおいで」って手を振ってくれたけど、おにいちゃんはどうしてかそっぽ向いてた。覗き込もうとしたら「バッ、見んな!」て怒られちゃった。でも少し見えたの、おにいちゃん照れてた!照れてるおにいちゃん!なになに?よけい気になっちゃう!


「なんのお話してたの?」

「うーんと……進路相談みたいなもの、かな?」

「そうだ、遊子にはまだ早い話」

「え〜っ」

「ふふ、遊子ちゃんも何か相談があればいつでも聞くよ。君たち兄妹きょうだいの力になれるのは私も嬉しいからね」

「うん、ありがとう沙生ちゃん!」

「……今日だけでずいぶん仲良くなったな?」

「そうだよ、もうおにいちゃんだけの沙生ちゃんじゃないからねっ」

「ぶッ、」


 湯呑みであったかいお茶を飲んでいたおにいちゃんが急にむせた。よしよし、と。大丈夫かな?


「遊子ちゃんもどう?寝る前のあったか茶は和むよ〜」

「じゃあ一杯くださいな」

「……またトイレ行きたくなんねえか?」

「もうっ おにいちゃん!」


 もう。でも、今朝と違って本当に元気になったみたい。いつの間にかすっかり自然に笑ってくれるようになってる。
 ――わあ、星ってこんなにきれいに見えるんだ。またみんなでここに来たいなあ。何回でも、きっと楽しいから。

天衣無縫な年の頃


 先月の続きでした。
 黒崎一家に楽しく旅行してもらいたい。たくさんしてもらいたい。原作後の公式ノベライズで一回は西日本に旅行に行ったことが判明していますが、彼らなかなか空座町とお隣の鳴木市から出てなさそうじゃありませんか?黒崎一家に世界をもっと見せたい。田舎もいいけど次は人気観光地巡りとかどうでしょう?世界遺産とか、半島とか。
 このお話は時系列でいうと48巻のすぐ後です。死神の力を失ったばかりの一護なのでこんな感じになりました。「なんのお話してたの?」という遊子ちゃんの疑問は今はお預け。
 百年前には一時あの胡散臭い商店店主がこの屋敷の屋根を借りてたんだよ、とか教えちゃうと双子ちゃんはひっくり返ってしまうに違いないので秘密にしておきましょうね。

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7/12/70
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