2022/1/31〜2/28
語り手:山田花太郎



 うちの庭には藁人形がある。
 真っ先に連想されそうな、打たれた釘がお似合いな片手で持てる大きさの呪いのアレじゃない。地面に突き立てた一本の細い木柱を骨として適当に藁を巻きつけたもので、頭部はひょっ・・・とこ・・みたいに白地に青玉の手拭いで括ってある。等身大で……そうだ、案山子かかしって言った方がいいのかも。
 そこに積もりに積もっていた雪は、今年最初の小春日和となった昼間の日差しですっかり消えていた。うずもれていた全貌が三が日以来に露わになっている。顔なんて書き与えていないのに、「よくもほったらかしたな」と睨まれているような心地がして据わりが悪い。

 ここまでほったらかしたのは初めてかもしれない。彼、ううん、これとは長い付き合いなのだ。


「…………よし」


 悪かったよ。どんなに惨めでも、今日からまた、ちゃんとやる……!


「――縛道の四、『這縄』!」


 光る霊子の縄を伸ばして藁の体を締め付ける、そのときだった。誰かが真正面の木塀を華麗に飛び越えてきた。


「やっぱり花太郎だ!ごめんちょっと失礼!」

「えっ!?沙生さん!?」


 驚いて手元が狂い、縛るはずが胸の辺りをぐっさり貫通させてしまった。うぅ、これが人じゃなくて良かった。


「ど、どうしたんですか?」

「シーっ……ごめんね、どうしても顔合わせたくない人が向こうにいてさ。少しだけ置いてくれる?」

「はい、いいですよ。えっと……お茶……お淹れしましょうか?」


 沙生さんは少し迷ってから、申し訳なさそうに眉尻をさげて笑いながら頷いた。ぼくなんかに遠慮しなくてもいいのに。
 縁側の雨戸を開けようとしたけど、彼女は律義に玄関に回った。ぼくはその背を追って、急いで草履を脱ぐ。それから「こちらへどうぞ」と案内しようとした矢先、彼女は「お邪魔します」と礼をして迷わず客間へと歩いて行った。何故だろう、我が家の勝手をご存知かのような……瀞霊廷にある平均的な家屋って何処も似たような造りだったりするのかな。
 数分後。粗茶をお出しして、「ありがとう」と一口召し上がってからの、最初の一言。


「花太郎、もしかして毎日あの案山子くん縛ってるの?いい趣味してるね」

「ぶゅフっ」

「ごめんて、もちろん冗談だよ、解ってるから。縛道の練習してるんでしょう?」
 
「ッほ、けほ……はい」


 まるで清之介兄さんみたいな台詞を言うものだから、小匙程度のお茶で溺れそうになった。そうですよね、まさか沙生さんがそんなこと冗談以外で言うはずないですよね。びっくりした。


「実を言うと……ここ暫くはサボっていたんです」

「へぇ。まぁそういう時があっても別にいいんじゃないかな。まだ死神でもないのに、縛道の腕前はかなりのものだと思うし」

「いいえ……ぼく、まだまだで……」

「またまた。私なんて『塞』すら真面に使えない、からっきしだよ?」

「沙生さんは戦えるじゃないですか。強くて一騎当千で、鬼道ができなくても御釣りが来ますよ!」


 それに引き替え、ぼくは鈍くさい。どんなに鍛えても虚と一対一で戦えるようにはなれない。単なる挫折とか、諦め、根性なしだとそしられても仕方ないと思う。けどこれは客観的に自分を評価した場合、何度視点を変えて考えても変わらない事実だ。戦士としての才能の無さなら既にお墨付きをもらっている。


「ついこの間も、清之介兄さんに『その程度じゃ四番隊でもやっていけない』、『お前が死神になれる訳がない』って……言われてしまって」


 親からも『無理をして死神にならなくていい』と言われている。うちは代々死神の家系らしいけど、過去に兄さんの他には高位に就けた栄光も無し、そこまで死神業に誇りがある訳でもないと。
 向いていないのは百も承知二百も合点。それでも、二百の後にあるたった一が、嫌だといって利かない。ぼくも兄さんみたいに誰かを助けられる人になりたい。こんなんでも治癒霊力はあるからいつかきっと、と思ってしまう。だから、いつまでも未練たらしく縛道の練習をやめられないでいる。


「ねぇ、前からどうしてかなって思ってたんだけどさ」

「? なんですか?」

「どうしてそこまで縛道ばっかり?」

「え……それは、清之介兄さんが『死神になって四番隊に入りたいなら、縛道は全部使えないと話にならないよ』と仰るので……」

「……ふ〜ん、そう。ははあ。そういうこと」

「えっ、な、なんですか?えっ?」


 沙生さんはあやしく笑う。愉快な花鳥でも見たように、小春の風月でも愛でるように。そんな目で見詰められると、訳も分らないまま何とも表し難い羞恥心が込み上げてくる。


「これ私が言っちゃって良いものかなぁ。でもなぁ。うーん……よし、いっか!積年の意趣返しといこう」

「えっ、え?」

「よく聞いて。そりゃ清之介さんなら全部使えるだろうね。でも六十番代とかになると、四番隊さんでも多分八割は未修得なのよ」

「……うそ?」

「嘘じゃないんだなぁ。私と清之介さん、さてどっちが正直者でしょう?」

「沙生さん……」

「何事も濁しがちな君がそこは即答なの?ふふふ、まったく面白い兄弟だこと」

「あの、えと、その」

「焦らなくても。告げ口したりしないよ」

「うぅ、すみません……でも兄さんはどうしてずっとそんな嘘を……意地悪…はいつものことですが……」

「うーん……そんな嘘を何年も信じてしまうような弟だから、ってとこかなぁ。そこまで素直で騙されやすいと、前途を心配するのも納得というか……おや」


 再び湯呑に口を付けた彼女は、窓の外を見遣って少し驚いた様子だった。つられてぼくも見てみれば、案山子の頭に白い鳥が留まっていた。珍しいなぁ、何ていう鳥だろう。けっこう大きいなぁ。


「案山子に鳥が寄ってちゃ仕方ない」

「そう言われれば確かにそうですね」


 あれは僕の縛道の練習台だから、案山子本来の鳥除けとしての役目は果たさなくても構うことはないけれど。羽休めなら、近くの木に留まった方が快適そうなのに。


「……昔々、鳶を寝殿に留まらせないために、鳶除けの縄を張らせた公卿様がいたそうな」


 唐突と思える話を、沙生さんは子供に絵本を読み聞かせるように、やや芝居がけて語り始めた。


「それを見たある僧侶は、『鳶が留まって何に困るものか』と、公卿様の心の狭さを嘆いたとか」


 あぁ、もしかして、沙生さんの中では案山子とその縄が繋がったのかな?


「時は流れてのちの時代。ある法師が宮様の御屋敷を訪ねると、そこには烏除けの縄が張られていた。法師はそれを見て、公卿様と僧侶の鳶除けに纏わる昔話を思い出した。はて、では宮様も御心が狭いということか?」

「……違うんですか?」

「しかし法師は、ある人からこう聞かされた。『宮様は烏の群れが池の蛙を取って食う所をお見かけになり、蛙を可哀想に思って縄を張られたのです』」

「じゃあ、宮様は寧ろ優しかったんですね」

「まだ少し続きがあるよ。ではもしかすると、昔の公卿様にも何か理由がおありだったのかもしれない……ってね」

「あ……そうか、僧侶は公卿様に特に何も訊かないで決めつけちゃったから……」

「うん。本当にただ心が狭かっただけっていう線も消えてはないけど」


 案山子の上の白い鳥は、まだじっとそこを動かないでいる。何度か目が合ったようにも思うけど、人に馴れてるのかな。
 沙生さんはお茶をくいっと飲み干して、「ごちそうさま」と席を立った。顔を合わせたくないっていう誰かも、もう遠くに行った頃だろう。


「趣旨から外れる蛇足になるけど。私としてはコレ、烏だって蛙を食わなきゃ生きられないでしょうが〜って思うんだよねぇ」

「優しい……というより、独りよがりだったんでしょうか」

「いいね。それ、是非お兄さんにも言ってやりなさい」

「えぇっ何故……というかそれはちょっと……」


 わかったような、わからないような。結局どういうことなんだろう?
 すたこらと歩いて玄関に向かう彼女の後について歩く。お見送りはさせてほしい。


「じゃあね花太郎。今日はどうもありがとう」

「はい、いえいえ」

「……死神になりたいっていう目標、私は応援するからね。君を心配しているからこそ諦めさせたいと思う人がいるとしても」

「ありがとうございます。でも、どうして……」


 彼女が帰るべくガラリと引き戸を開けると、門の近くには人影があった。あれは――


「清之介兄さん!」

「ひぇっ。じゃ、さらば!!」


 鬼に見つかった子供みたいに慌てて走って行ってしまう。顔を合わせたくなかったのって、もしかして――?


「いや、清之介さんから隠れてたんじゃないけどね!」


 そんな、ぼくの心が読めるんですか?あっという間に物凄い速度で遠ざかっていく。でも、何軒か先のお宅の瓦屋根の上で、最後にもう一度だけ振り返ってくれた。


「さっきのだけど!私もそうだったから!!」


 そうどこか楽しそうに叫んだ彼女の肩には、いつの間にやらさっきの白い鳥が留まっていた。

鳶よろしくゐさせじと


 分かる人には分かる徒然草。この後は何だかよく分からんけど逃げられたので追いかけてみる施薬院総代との鬼ごっこが始まることでしょう。主人公さんは瞬歩は得意な方ですが、多分あの這縄からは逃げられない。南無三。
 『このほの』本編15話で花太郎が色々と縛道を使えたことの説明を兼ねた、複雑怪奇な山田兄弟の絆のお話でした。

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5/12/70
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