2022/7/31〜8/31
語り手:矢胴丸リサ



 不屈っちゅうんは、卑屈の上位互換なのかもしれん。
 はひふへほ・・・・・やと下やのにね。


――――――


 外で蟬が鳴いとる。ジリジリミンミン、飽きもせず連日連昼れんちゅう。二つ折りにした座布団を枕代わりに寝っ転がっとったひよ里は、もぞもぞと億劫そうに畳を這っていって、林に面した障子窓の縁に指先をかけ、押し込むように閉めた。


「……うっさい」


 なんや覇気のない。ていうか、あたし景色みてたんやけど。とはいえ「コラ」と咎める気力も、なあなあにして「そうやね」と同意しておく器量も、今のあたしには無かった。自然と無言で顔を顰めることになったけど、ひよ里はこっちを見もせえへんからいざこざもなく話は終わった。……ああ、話してすらないか。湿気た空気がぬるくて重たいせいで口まで重くなったんだか、口だけ軽いんだか。
 そんで蝉の話やけどな、山奥にしたらこれでも静かな方やと思うわ。先週の強い長雨のせいでそこらじゅうグズグズになったから、羽化前に殆ど死んだんやない?土から出る前に泥水で溺れたり、生えたての羽根が濡れて駄目になったり。せやから、いま鳴いてられるんは幸運やったっちゅうこっちゃ。せめて精々短い生を謳歌しといたらええやろ。


「どーもー御三方、こんにちはっス。昼食の用意できましたよー……」


 背にした襖の向こうから、浦原喜助が遠慮がちに呼び掛けてきた。ひよ里はまた「うっさい」とだけ言った。白は何処で何しとるんか知らん、そのうち拳西が首根っこ掴んで連れて来るやろ。
 あたしは返事の代わりにとっとと部屋から出た。浦原はヘコヘコしながら笑っていた。楽しくも可笑しくもないってのに、誤魔化しようもどうしようもない罪悪感から浮かぶ笑顔モドキはよく制御できんらしい。

 ――あんたが悪いワケでもないやろ、そう気負いなやぁ。

 八人の仲間の命を救うか、介錯するか。浦原はそういう選択を迫られて、生かす方を選んだ。それだけの話や。まぁ当然やし、人らしいやないか。
 顔を合わす度にこんな風に心の中で繰り返すものの、声に出して伝えたことはまだない。慰めるとか面倒やし。そういや「黙っとったら美人」て言われたことあったな。レディに対して失礼もいいとこやけど。どや?今のあたし、寡黙美人やろ?これで内なる虚なんて物騒なモン飼ってへんかったら完璧なんやけどね。
 それもこれも藍染のせいや、浦原のせいやない。それは解っとる。解っとるけど、気が落ち込んどると時々こうも思ってしまう。

 ――あんたにとっても、あたしらは“実験材料”なんやないの?


――――――


「ウチの聞き違いか!?あ゛!?もっぺん言うてみぃ!!」


 或る夕暮れ。ひよ里の物凄い剣幕の怒声が屋敷中に響き渡って、厠からの帰り途中だったあたしは足を止めた。近所で一生懸命鳴いとった蝉も驚いたのか、一帯の音は不気味なほどにピタリと止んだ。
 ひよ里はここ最近ずっとイライラしとったけど、ここまで声に怒りを滲ませる理由が何かは見当つかんかった。浦原への八つ当たりであれば、この前「虚化を治す手段はない」と聞かされたときに十分に済ませたはずやったから。
 霊圧を辿って現場に行ってみると、ひよ里は真子に羽交い絞めにされとった。もしその拘束が解かれたら、目の前の浦原に飛び掛かって噛みつくに違いない。


「落ち着け!ひよ里!」

「放せアホンダラ!!コイツ許せいうんか!?無理や!!もう土下座したっても許したらん!死んだって、」

「ひよ里!!」


 ひよ里は獰猛な獣のように藻掻いて暴れ続ける。真子は苦しそうな表情を浮かべ、浦原は何も言わず項垂れるようにしてじっとしとった。罵倒も暴力も甘んじて受けんとするみたぁに。
 ふと真子があたしの存在に気付いて、ハッと息を呑んだ。なんやそのオバケ扱い、ウケんぞ。


「リサ……」


 呼んできた真子を一瞥してから、浦原の側に詰め寄った。


「あんた、ひよ里にナニ言ったん」


 そう問うと、三人が目を丸くしてあたしを凝視してきた。本当なんやの、揃いも揃って。鬼の形相やったひよ里もぽかんとしとる。


「ナニ言ったん」

「あ……いえ……ええっと……」

「ハッキリ言いや」

「……アタシが、その……『御厨さんも怪しい』と言ったんです。藍染が黒なら、恐らく彼女も……と」


 御厨といやぁ、今は四番隊で前はひよ里と同じ十二番隊やった。あたしはちょっとしか話したことなかってんけど、ひよ里にとっては数少ない親友といえるかもしれへん存在。それを悪く言われたんなら、こうなったのも納得いく。


「ハァ……あんた、能はあるのに馬鹿やな。あんたかて夜一とかテッサイとか、身内をそんな風に言われたら気分悪いやろ」

「それは……」

「あぁ、ひょっとして違うか。あんたの場合、ほんの少しでも可能性があるなら斬り捨てとかんのやろ。……でもな、普通のやつは言われたらそらァ怒るで。言ったらアカン事と相手くらい分別つけやぁ」


 脇で真子が「喜助はフツウやないてことかい」て呆れた目でこっち見てくるけど無視や、無視。


「あんたとひよ里は相性悪すぎる。そんで多分、あたしともな。腹芸の上手い男はどうも好かん」


 どっかから「オマエ例外もおるやんバレバレの嘘吐くなや」とか聞こえた気もするけど多分空耳やろ。


「このまま全員で一つ屋根の下におっても、お互いのためにならん。もう薄々解っとるやろ」

「ですが、いざというときの対処が遅れたら取り返しがつきません。内なる虚の暴走を抑えられるワクチンだって、アタシしか……」

「異端は異端なりに、自分らで何とかして方法を探る。当事者はあたしらや。あんたはどう足掻いてもあたしらと同じにはなれへんの。あんたが善意のつもりでも、悪いけどもう注射も経過観察も懲り懲りや。距離置いて、お互い頭冷やした方がええと思う」

「……そう、っスね。分かりました」

「それとあんた、“アタシ”って何やねん。確か“ボク”やったろ。そんなん変えて仮面被りでもせえへんとやり切れんようになってきてんと違うか」

「え?い、いやっスねぇ!なんですその観察眼……京楽隊長譲りですか?」


 神妙に話を聞いていた真子は油断したらしく、腕からひよ里がバッと抜け出した。それから浦原が鼻っ柱を折る勢いでぶたれたのは当然の結末やった。ようやった、ひよ里。

 そんなやり取りがあってから数日後、仮面の軍勢は浦原と離れた。つまり別居や。袂を分けたとか喧嘩したとかいうのとは少し違う。虚化という力をもって異端になったあたしらは、浦原みたいな普通の死神に対して嫉妬のような感情を抱くようになってしまった。虚化の研究をしていたことがあった浦原は、異端になったあたしらをついつい研究対象として見るようになってしまった。あの夜の前には戻れない。一緒にいても拗れていく一方やと悟ったからには、別れる道しかなかったんや。
 八人で山を下りて、麓の空き家にでも移ろうということになった。その道中、深緑の森はおどろおどろしく騒めいて、空はどんよりと灰色に曇っていた。白南風しらはえが山の頂から蝉の鳴き声を運んでくるものの、水っぽくて弱々しい。足元には抜け殻が一つ落ちていた。


「湿っぽいの、嫌いや」


 ひよ里が抜け殻を蹴飛ばしながら言った。しかしながら、その表情は幾分か晴れやかに見えた。無理に仲良しこよしなんてしようとせんでも、単純に物理的な距離を置いてしまうのが正解という時や場合もある。世の中の問題の全部が最後は美談になれる訳でもないし、角張った収まり方だってある。「全て丸く収まる」なんて言葉は幻想や。そんな甘っちょろいモン、虚にでも食わせとき。


「なァ、ひよ里」

「何やリサ」

「あの時、なんであんな間抜け面やったんや。あたしがあそこでアイツに物申すのがそんなに意外やった?」


 ひよ里は肩の荷物を背負い直しながら、ふるふると首を振った。ちょうど拓けた草っ原に出た辺りで「あんな、リサは自覚ナシやったかもしれへんけど」と前置きして、こう続けた。


「あの時まで、ずっと何日も一言も喋らんかったやろ。ショックで口利けんようなったんやないかって皆で話しとったんやで」


 予想外の返しに唖然とした。振り返って皆の顔を確認してみると、ウンウン、と頷かれた。「おう」とか「せやせや」とか「心配してたんだよ〜」とか「お話しできるようになられて良かったデス」とか。ハハ、あたしが?ンなまさか。


「あたし暫くただの美人やったんか……」

「冗談キツイで」

「なんやて真子」


 容赦なく顔面に平手を打ち込めば、フギャッと一瞬だけ真子の鼻が曲がった。ひよ里は満足そうに笑っていた。


牴牾ていごの鼻は折れ


 今年もまた台風の季節が巡ってきましたね。でいごの花は咲き風を呼び嵐が来ますが、このお話とは全然関係ないです(ちょっと意味分かんないって方は『島唄』をお聴きください)。タイトルの着想はそこから得ましたが、全く以て歌詞とこのお話の内容は関連がありません。なんてこった。
 浦原さんと仮面の軍勢が現世に逃亡してから一月半後くらいの様子をイメージして書いてみました。筆者の妄想と捏造で構成されているので、一介の二次創作として読んでやってください。浦原さんと平子隊長の扱いがなんだか可哀想な感じになってしまいましたが、原作でも彼らとひよ里ちゃんが絡むとこう……こうなりますよね?このバイオレンス乍ら確かな絆が感じられる関係性は他に類を見ません。難しい、けれど尊い。

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11/12/70
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