2023/4/30〜5/31
語り手:有昭田鉢玄
例えば、風呂に包丁があるようナ。庭に白虎がいるようナ。よく考えてみれば決してあり得なくはない、しかし真っ先に『何故』と思わせる光景。かけ離れているハズの二つが、近しくあるという異様。ただそれだけ、それだけのものが放つ違和感は、ただ漠然と、恐ろしさを
「こんにちは、お仕事帰りの
或る芳春の
一瞬、時が凍りついたように思えたのハ、ワタシの肝が冷えたことに因る錯覚だったのでショウ。不変に流れ続けているという証明ならば、脈の上がったこの体と、水路の雪融けの音が成し立てていましたカラ。それでも、どうも温度だけハ、今少し取り戻せませんでシタ。
彼女の艶のある椿色の髪は通り風に踊り、しかしそれと同じ色の瞳は揺れることなくワタシを捉えていマス。ワタシはそれに
「ねぇ、助けてあげられますか?」
――何を。
「崩れた土砂から掘り出しました。ついさっき、息をやめてしまったの。でもね、この子は
彼女は慌てる様子もなく、流麗な足取りでワタシの目の前まで来ると、スッと彼をより高く持ち上げて見せてきまシタ。虚……が……人命救助?普通は繋がらナイ。遠いものであるハズの二つ。発言の意味も殆ど不明。……ワタシの、今すべき事。ワタシは、何を。
「託します。ありがとう、看取れる
この時のワタシは、思考と理屈を放棄してしまったのデショウ。それは果たして賢明といえるのカ。しかし命が懸かっていマシタ。気付けば彼を受け取り、彼女に背を向けて走っていたのデス。
その後のことは、正直よく覚えていまセン。ただ、助けようと、懸命に。
青年は、村の診療所で息を吹き返しまシタ。折れた腕や潰れた片目の痛みに時折呻きながらも、命あることを喜んでくれマシタ。いつの間にか傍らにいた彼のご家族は、何度も何度もワタシに頭を下げて感謝してくれまシタ。
もうとっぷりと日が暮れてから仮宿へ帰ると、耳が早い仲間たちは誇らしいと称賛してくれまシタ。
それらの心を示すべき相手は他にもいるのだということを、ワタシはとうとう誰にも告げられませんでシタ。
それから一週間が過ぎ去りまシタ。本格的な春が到来し、北国の
「こんばんは。今の
仲間内で取り決めた24時間交代の見張り番がワタシに回ってきていたその日。仮宿の庭先に、何の予兆もなく、黒夜に浮かぶ花々の色彩に紛れるようにして、またあの椿色の彼女が顕れたのデス。それだけでも只事ではないのに、彼女はとんでもない事をしてくれていまシタ。
ワタシは、内なる虚を抱えるようになってから、自身の鬼道の力が変質していることに気付いていマシタ。普通の死神が放つ鬼道とは全く別物の、死神と虚の性質が混じった、他に存在しないようなものデス。そして、その力を元に、最近新たな結界術を開発し始めていまシタ。きっと誰にも真似できず、解析も容易でないハズの結界デス。それをなんと彼女は、術者であるワタシに気取られずに、するりと通り抜けて来たのデス。
「……何故なのデスか?」
「その問いは何に対して?
「……尋ねたい事は沢山ありマスが……まずはアナタのご用件を伺いまショウ」
「そう? それはご親切に。でも、困りました。
「デハ、こちらから一つずつ尋ねマス。最初の質問デス。アナタはたった今、どうやってワタシが張った結界を通り抜けたのデスか?」
「……さあ。目には見えていたから、ぶつかる覚悟で突き進みました。けれど不思議と、ぶつからなかった」
「特に何か意識してやった訳ではナイ、と?」
「はい。ああ、でも――現世には
『ニル』とは誰か知りまセンが、そう言われて初めて、彼女の体表にぴったりと張り巡らされている結界の存在に気付きまシタ。結界を服のように纏ったまま動き回るとは、どんなに難しい事でショウか。しかし彼女は、高度で繊細なその操作を、何でもないことのようにやってのけていマス。
最上級大虚である彼女がこれほど近くにいるというのに仲間の誰も気配すら感じ取れていない現状モ、霊力を全く持たない人間を抱えていたにも拘わらずその魂魄を潰さずに済んでいたという事実モ、そんな高度な結界のおかげだとすれば、理屈に合いマス。
……合うのデスが。それはつまり、彼女の作る結界とワタシの作る結界は、極めて同質に近いものであるという意味になりマス。死神と虚の性質が混じった、他に存在しないようナ――。
「二つ目の質問デス。アナタは先週、どうしてあの青年を助けたのデスか?」
「おかしな問い。助けたのは
「……彼を放って置かなかったのは、何故デスか?」
「ああ、それなら。それなら答えられる。それは、
彼女は右の手首を胸の前でくるりと回すと、整った手指をワタシに向けて、当然のことだと笑わんばかりでシタ。
虚が何故、人を。腹の足しにもならぬ善行を。姿が人に回帰したような
「……何故……」
「
何故、そんな、知己を見るような瞳で。
「…………?
「……三つ目の質問です。アナタは……誰なのデスか……?」
大虚はその成り立ちから、幾百、幾千、中には幾万億もの魂魄を有する個体も存在しているという。そう、霊術院の教本通りだとすれば――これも、よく考えてみれば決してあり得なくはない話。
「
「わえはもう助からぬ。……よい、よいのだ鉢玄殿。いずれ戦場で果つる命と定めていた」
「
「貴殿が涙することはない。さあ、憂いなく置いていけ。他の、まだ助けられる命の為に――」
「落ちた命の塊。人に
彼女は装うまでもなく平静に答え、そして呆然と立つワタシに対して律義に「さようなら」と礼をした後、この場を去りマシタ。
ホラーのようで、切ないような、摂理のお話(そうかなあ?)。原作26巻のハッチさん描写を元に私が二次創作をするとこうなります。魔改造もいいところだね。原作で彼が織姫ちゃんに向けて言った台詞、『人間のままでそんな能力を持っているなんて……少し信じがたい話デスけどネ』と『ワタシと能力が似ているのならやっぱりアナタは戦いに向かない』をしみじみと噛みしめてから再読すると、ラルビーへの理解をもう3mmくらいは深められる……かもしれない。しかしこれは番外編にでも載っけておくのが正解だったような気が今更ながらしてきた。しかも名前変換一箇所もない!おおそれみよ、御免あそばせ。
“ラルビー”は『このほの』本編第一章でいいますと合同遠征部隊帰還の際に主人公さんたちを急襲したあの人型虚です。当サイトのオリキャラの一人ですが、特に複雑な生い立ちを持つとても変わった子なので、生みの親の筆者でも彼女のセリフ回しには振り回されます。筆の迷うこと迷うこと。
今月お送りしたこのお話は本編には一切関与しない内容です。外伝でなら、将来多少触れることもあるでしょう。
“ラルビー”は『このほの』本編第一章でいいますと合同遠征部隊帰還の際に主人公さんたちを急襲したあの人型虚です。当サイトのオリキャラの一人ですが、特に複雑な生い立ちを持つとても変わった子なので、生みの親の筆者でも彼女のセリフ回しには振り回されます。筆の迷うこと迷うこと。
今月お送りしたこのお話は本編には一切関与しない内容です。外伝でなら、将来多少触れることもあるでしょう。