3 朝上がらず日柄は赤し
 チャンプルタウンの北東には滝がある。幅はあんまり、高低差はなかなか、滝壺の深さはそこそこ。パルデア十景が一つ列柱洞れっちゅうどうを西から東へ抜けた先で見掛けられるそれより、一回り立派ではある。あるのだが、ヒスイの地にあったものと比べてしまうと、心持ち迫力に欠けていた。


「……落ちたらじゅうぶん死ねそうではある」


 雨に紛れて、ぽつり。狂った戯れ言は落葉流水。小雨といえど降っているのも相あい俟まって、辺りは大自然の水音で騒々しい。雨粒は着ているカッパと地面を打ち、滝は昨日よりもずっと太い。女のか細い呟き程度、轟轟ごうごう瀑瀑ばくばくとした音の波に掻き消されて一溜りもなくなるのであった。

 ただいまの時刻は午前十時。
 アケヒは、昨日訪れようとしていた滝の上ではなく、下にやって来ていた。あの親切な背広の人が言っていた通りに、一つ左隣の道を歩いて来てみたのだ。滝壺から少し離れた下流に渡されている飾り気のない木橋の真中に佇んで、今しばらく時間を無駄にしてみる。ひっきりなしに跳はねてくる微細な水みず飛沫しぶきのせいで、フードの下の顔までしっとり濡れていった。手に提げている例の重たい旅行鞄には、ホテルをチェックアウトする際に貰った撥水はっすいカバーを掛けているから、心配は要らない。
 アケヒはかつて進んでギンガ団の調査隊に入っただけあって、好奇心や探究心は旺盛おうせいな方である。見たことのない景色を見るのは好きだし、行ったことのない場所へ行くのも、知らない世界を知ることも、ずっと憧れていた夢のひとつだった。誰しも一度は『世界一周』なんて大それた夢を見るだろう。アケヒもその凡例はんれいに漏れないだけの、ちっぽけな少女であった。それからこうして大人になって、形としては一応その夢は叶っているといえる。シンオウ、イッシュ、アローラ、ガラル、そしてここパルデア。風土も文化も様々に異なる世界各地を放浪してきた。一つ所にいては不可能なほどに見聞を広めた。ただし、それを喜んでくれる家族も、羨んでくれる友人もいない。ゆえにか喜びより悲しみが勝っていて、実のところ自分の夢とは、あのままヒスイの地で皆と暮らすことだったのだと日々痛感していた。旅先で買ったポストカードを天国にも送れたなら、この淋しい心も少しは救われたろうに。
 そもそもアケヒが旅する理由……もとい、させられている原因は、ちっとも楽しくないものである。仕方なしに世界を巡っても、それはもう夢は夢でも悪夢でしかない。ワクワクいっぱいの冒険にはなり得ない。捜さがされて、逃げて、探して、見つかって、逃げて、見たくなくて、逃げて、逃げるのに疲れて、それでも惰性で逃げて、逃げて。実体を伴うものと、そうでないものからも逃げ続ける毎日だ。強迫観念に駆られて回る世界なぞ、いても浮き足立つばかりだ。そろそろ本当に終わりにしたいと思っていた。

 ――もう、やめてしまおう。
 次にいずれかの機会がきたら、逃げないことにしよう。

 あの者。私を研究対象とみて人間扱いしない、非人間。あの者に見つかったら、また捕まる前に死んでやろう。

 あの人。私の心を奪ったまま、海の彼方に消えたニア。あの人は死んだのだと分かれば、安心して後を追おう。

 あの子。私が手を取ってしまった、浮かばれない気球。あの子に見つかったら、おとなしく連れていかれよう。

 あの変事。私は落ちて死ぬと覚悟した先で歪んだ時空。あの変事を再現できそうな滝があれば、次こそ飛ぼう。

 ――思いつく終わり方は以上の四通り。いつか時が来るまでは、いつも通りに旅をしよう。冥土の土産話は、多ければ多いほど喜ばれるはずだ。

 方針を決めたアケヒは、足取り軽やかに滝を後にする。上に行く手段がないのだから、ダラダラ留まっている理由もない。
 今朝方チャンプルタウンの本屋で買ってみた『パルデア観光ガイドマップ』によれば、この川は結構な長さで、いま通り過ぎた滝壺から海に着くまでの間には三つの橋が架けられているという。一つめのこの橋を渡って最初の別れ道で左を選んだ先には、ピクニックにぴったりの静かな湖畔こはんが広がっているそうだから、まずはその辺りを観光してみることにしよう。


「た、助けて!助けてくれ!たっ大変なんだ、誰か……!」


 行き先の方角から、尋常ならぬ様子で走ってくる人がいる。緩やかな坂であっても、見たところ必死の全速力を出しているおかげで、その人の呼吸は上がり乱れていく。アケヒの歩調は乱れない。次第に勢いを増してきた雨に打たれてなおそちらへ下る彼女の顔は、穏やか且かつ晴れやかである。


「どうされましたか?」


***


「どうされたんです?」

「……少々、外の様子が気掛かりで」


 窓の向こうをじっと見る横顔は平時と変わらなく見えたが、声色はいつになく真剣そのものだった。だから、喉まで出かかっていた「深窓しんそうの令嬢なんて柄でもないやろ」とか「じゃれついてたキラーメまた髪に絡まっとんで」といったツッコミは、どうにか寸でのところでコーヒーと一緒に飲み込んだ。淹いれたて熱々すぎて、無理をした食道が若干ひくついた。
 ここはパルデアポケモンリーグ本部。リーグ委員長であるオモダカとその部下であるチリは、激務に追われつつ本日最初の休憩をとり始めたところであった。


「気掛かり?そらまぁ日の出前からずっと雨続きですけど、大して強いワケでもないし別にそこまで……」

「他の地方の出身であるあなたの感覚ではそうなのでしょう。しかしパルデアでは、雨といえば俄か雨・通り雨が常なのです。広範囲かつ一日中というのは滅多にないのですよ」

「へーぇ。でもたまにはそんな日もあるんやないですか」

「ええ、これまでにもなかったとは言いません。問題なのは時期です」

「時季?あー、まだこっちの季節感覚とかよう分からんしなあ。なんや異常気象って感じなんです?」

「時期。タイミングですよ」


 そう言うと、オモダカはまだ一口もつけていないコーヒーカップをソーサーに戻してPCパソコンに向き直った。チリはマグカップ片手に彼女の後ろに回り込み、黙って液晶を覗き込む。
 カチカチ、カチカチ。細指が操作するマウスの固い音と、窓の外で柔らかく跳ねる雨音だけが、暫し執務室の音響を支配する。
 まず開かれたのは、インターネットのリアルタイム気象情報ページ。現在、厚い雨雲がパルデアの西半分を広く覆っている。風は弱々しいため雲は動かず、午後になってもまだまだ降り続く予報となっているようだ。
 確認を終えるとタブは縮小され、お次はホーム画面にあるショートカットアイコンをダブルクリック。更に何度かのダブルクリックを経て手前に落ち着いたそのファイル名は、『ポケモン大量発生報告』。膨大な記録は更に年毎のファイルに振られていて、デフォルト設定では作成日降順に並んでいる。発生場所やポケモンのタイプ等に基づいて一つ一つに詳細なタグ付けがされているおかげで、絞り込み検索は容易だ。画面上部にある検索ボックスに早速打ち込まれた単語は「ドラゴン」。検索の結果、該当件数はあまり多くなく、表示は一ページに収まっている。各地のポケモンセンターや物見塔に配置されているリーグ職員に「大量発生を見かけたら報告を」と義務付けるようになったのはオモダカが委員長に就いてからのことであったらしいから、この記録の歴史は決して大層とはいえない浅いものだ。が、それを加味しても、ドラゴンタイプのポケモンの大量発生報告件数は、他タイプのものと比べれば極端に少ない。
 オモダカは徐おもむろにスペースキーを押し、検索ボックスに「オージャ」と足した。すると、該当する報告は片手で足りるほどしか残らなかった。それも昨年以前のものばかりである。


「……これが何か?」

「ナッペ山を越えなくては辿り着けない北3番エリアと、どの町からも遠く離れ奥まっている南4番エリアは、このさい除外しましょう。強くないトレーナーが誤って足を踏み入れる可能性は低い場所ですから。パルデアの西半分にある残る湿地といえば、オージャの湖周辺です。そこに生息するドラゴンタイプは主にヌメラとシャリタツ」

「ドラゴン最弱とかよく揶揄されてまうあの丸っこくてカワイイのと、『スシスシー!』言うて寿司に擬態ぎたいしとるっちゅうアレですね。……いや寿司に擬態ってなんでやねんここ寿司発祥の地でも何でもないやんか何回聞いても冗談みたいな話やわホンマ」

「今はそれは問題ではありません」

「はい」

「記録によれば、ヌメラの大量発生は過去に一件。一昨年の今頃だったそうです」

「ほうほう」

「そして、進化系であるヌメイルの大量発生も過去に一件。昨年の今頃でした」

「……んん?」

「このときは大変でしたよ。何しろ、ヌメイルが分泌する粘液は何でも溶かしてしまう代物ですからね。少々後手に回ってしまいましたが、緊急の立ち入り制限をかけ、後日には学生ボランティアも募つのって埋め立てに地固め、植栽しょくさいなどしなくてはなりませんでした」

「あちゃー、ひょっとしてその辺の草とか溶けまくりで荒れに荒れて、ごっつ大変やったってことですか?それはそれは……」

「当時の私には、ヌメイルの個体数は一見すぐ落ち着いたように思えていたのですが――」

「……いやでも、ハナシ聞いてたらそれって」

「――いいですか?チリ。大量発生はそれほど珍しい現象でもありません。ほぼ毎日どこかしらで起きています。しかし、同じポケモンが同じ場所で何日も続けて大量発生していたという記録は、実はとても少ないのです。増えすぎたある種のポケモンが、全頭その場に留まるということはまずありません。大抵の場合は一日もすれば何処かへ姿をくらまします。縄張り争いが起きたり、食料が足りなくなったりして、移動を余儀なくされるからでしょう。鳥ポケモンであれば空を渡り、泳げるポケモンであれば川や海を流れ、陸上型のポケモンであれば方々に散り――」


 オモダカは話しながら検索ボックス内の「ドラゴン」の文字を消した。表示件数はいったん倍増する。


「――なかでも特に、むしポケモンやくさポケモンであれば、他のポケモンたちの糧かてとされて数が淘汰とうたされていったことも少なくなかったでしょう」


 「むし」と「くさ」の文字が追加される。ところが、表示件数はさほど代わり映えしなかった。


「一方ここ数年、オージャの湖周辺におけるどくタイプのポケモンの大量発生報告件数は――他の場所と比較してみると、一目瞭然です」


 検索ボックス内がクリアされて、「どく」と打ちまれる。表示件数はそこそこ多めだ。だが、「オージャ」と加えた途端にどっと急減した。


「ヌメラ、そしてヌメイルは、常にヌメヌメの粘液を分泌しています。ヌメラのそれは雑菌を多く含み、素手で触れることは推奨されません。ヌメイルともなると、先に述べた通り、より危険なものとなるのです」

「いくらドラゴン最弱いうてもちゃっかり生き残ってるだけあるゆうことですか」

「ドラゴンという括くくりに属する他のポケモンたちが強すぎるために、相対的にヌメラが実際以上に弱く思えるだけなのではないかとも思いますね。さて、そんなヌメラたちの天敵となり得る存在は、最近の研究では主にどくタイプのポケモンなのではないかと目されているそうなのですが……」

「あそこらへんに生息しとるどくタイプっちゅうと……グレッグルとか、マルノーム?たしかにそいつら相手やったら粘液もあんま効かなそうやし、マルノームなんて当たり前みたいにヌメラ丸飲みとかしてそ……あぁでもさっき、全然大量発生してへん、って」

「ええ。ですからおそらく、オージャの湖周辺には今もヌメラやヌメイルたちが予想以上にたくさん潜ひそんでいるのではないかと。体の殆どが水分で出来ている彼らは、皮膚が乾燥すると呼吸不能となり、死に至るといいます。危険を冒おかしてまで長距離移動し分散するとは考えにくいと思いませんか。人目につかない小さな洞窟内や岩の裏、崖下の水辺……考えてみたら、隠れ場所は結構あるのですよ」

「いやー、それ……あるある、あり得ますって!だってスジ通ってますもん!フキかっちゅうくらい!」


 近年、彼らにとって餌エサとなるむしタイプやくさタイプが近辺でやたら大量発生し、逆に彼らを餌とするどくタイプは大量発生してこなかった。つまり、このうえない絶好の生育環境に置かれていたと推測できるのである。


「そうやったとしたら、去年大量発生してたっちゅうヌメイルたちは、今までずっとたらふくやったうえに自分らを食う敵はおらんもんやから、数も減らさんままで?多分どっかにぎょうさん隠れとって?んで、だいたい一年経った今日、いい感じに長雨――って、それ大分だいぶマズいんとちゃいます?」


 ヌメイルの進化条件は、雨が降っている間に一定以上の高いレベルに達することだとされている。進化系は言わずもがなあのヌメルゴンである。カロス地方のリーグチャンピオン兼大女優である一流スター・カルネや、SNSフォロワー数ダントツトップの人気を誇るガラル最強のジムリーダー・キバナの手持ちでもあることから、一躍有名になった経緯をもつポケモンだ。進化前はドラゴン最弱だのと言われがちであるが、最終進化系ともなると能力値は軒並み高い水準を誇るようになり、立派なドラゴン最強の一角へと生まれ変わるのだ。
 ヌメラとは元々生息地がごく限られているレアなポケモンであり、しかもヌメイルとなっても自然と先述の最終進化条件を満たすのは困難であるため、ヌメルゴンといえばまず誰かの手持ち個体でしか見られないものだと言っても強あながち間違いではない。野生個体のヌメルゴンの目撃例は、ぐるっと世界中を見渡してみてもほんの僅かだ。それこそパルデアでは、高エネルギーに満ち満ちた結晶洞窟の奥深くでしか発見例はなかったはずだ。チャンピオンクラスの実力をもつトレーナーでもなければ、そんな所には危なくて近寄りもしないだろう。というか、してはならない。子どもでも誰でも知っている、命に関わる常識である。

 しかしオージャの湖は、チャンプルタウンを出たら道なりに陸路を行って簡単に辿り着ける場所にある。もしそこに、ヌメルゴンのような強力なポケモンが野生でうじゃうじゃ現れていたとしたら――大惨事に発展しかねない。


「誰か強ぉいトレーナーに、そこらの様子見てきてもろた方がええんやないですか?」

「仮に私の危惧した通りの事が起こっていたとすれば、今更もう手遅れかもしれませんね。ですがまだ報告は何も上がってきていませんので、現段階ではこの危惧も机上の空論でしかありません」

「いやぁでも説得力ありましたって」

「ヌメルゴンは、私の知る他のドラゴンポケモンより気性はずっと穏やかであるはずです。もし野生個体に遭遇したとしても、よほど逆鱗げきりんに触れるような下手なことをしなければ、危険性はそれほどでもないでしょう」

「万が一って言葉もあるんやで。チリちゃんはイヤーな予感しとりますけど?」

「そもそもヌメイルが現在レベルアップして進化を遂げるには、野生のポケモンとであれトレーナーとであれ、とにかく何者かとバトルする必要があるわけです。この雨のなか。大量に姿を現したヌメイルたちを相手取って、この雨のなか、それはもう次々と」

「なんやたったいま自分で立ててった仮説、今度はダルマ落としみたいにスコンスコン崩してくやないですか。結局どっちやねん」


 そのとき、ピロリン、とEメールの通知音が鳴った。オモダカは反射的に、その通知のフキダシをクリックした。チリは身を乗り出し、食い入るように画面を見詰める。
 ――『件名:ポケモン大量発生のご報告』
 ――『送信者:オージャ第1物見塔担当』


「ホラぁ!キタキタ来たでぇ!」

「本文を確認しましょう。現在、大量発生しているのは…………シャリタツ?」

「なんでやねんそっちかーい!」


 チリもまた反射的に、ジョウト節ぶしのツッコミを炸裂させた。さすがの小気味良さ。叩はたいたのは勿論、ちょうど手近にあった上司の肩である。


「チリ」

「すんませんホンマすんませんでしたもう全然つい思わず不覚にも」

「……まぁ、杞憂であったのならそれは良いことです。しかしドラゴンタイプの大量発生が珍しいことには変わりありませんので、湖周辺の警戒は引き続き必要でしょう」

「一応、誰か向かわせたりします?」

「野生のシャリタツはレベルも高いですからね。物見塔担当者一人に任せるのは些いささか懸念も残りますし、そうしましょうか。ドラゴンタイプ相手となれば、やはり適任はハッサクさんでしょうか」

「あー、残念ですけど今日ちょうど有給消化中ですわ。大将もタイミング悪いなぁ。せやからここはまぁ――……」

「…………。」

「…………。」

「チリ、あなたが」
「無茶いわんといてください、チリちゃんにしか捌さばけんような書類仕事たぁんと溜まっとるの分かっとりますよね?」
「ならば誰が」
「アオキさん」

「……アオキですか」

「そうやアオキさんや。アオキさんしかおらんやろ、場所だって近いんやし」

「……仕方ありませんか。連絡は入れてみましょう」


 オモダカは目を閉じてゆるゆると首を振った。言外の「やれやれ」の感情があまりにも大きい。それから、ものの一分でオージャ第1物見塔担当者に返信した。色々な連絡事項を伝え、本文の最後には「役に立つかは分かりませんが、念のためアオキも向かわせます」と添えたのだった。休憩時間中であったというのに、随分と頭を使ってしまった。
 ただいまの時刻は午前十時二十九分。もう間もなく仕事再開の刻限となる。オモダカは漸ようやくコーヒーに口をつけた。


「……ぬるいですね」

「チンします?」

「いいえ結構です」



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