4 霹靂と去来
 スター大作戦決行の日は近い。来きたるその時に向けて、スター団はポケモン勝負の特訓を積み重ねていた。
 スター団とは、アカデミーのいじめられっ子たちが一致団結した有志の集まりで、全部で五つのチームからなる新生学生組織である。卑怯で姑息ないじめっ子たちを相手取って、こちらは逆に正々堂々とポケモン勝負でやっつけて見返してやろうというのだ。

 ピーニャとメロコの二人は、オージャの湖の畔ほとりで自主特訓に励んでいた。それぞれチームのボスを務めている身だが、他の三人より実力で一歩劣っているという自覚を持つストイックな二人である。ボスが弱くては団員に示しがつかないし、何より、いじめっ子たちには絶対に勝たなくてはならない。戦闘指南役のビワは「二人とも強くなってるよ」と褒めてくれたが、自分で自分を褒められる域にはまだ到いたらず、現状に納得できていなかった。であるからしてのこの休日返上の秘密の特訓である。
 街が近い割に人気が少なく野生のポケモンのレベルが高いこの地は、然程サバイバル慣れしている訳でもない学生の身にとって、秘密の特訓に最適だった。朝からずっと雨が降っていようがお構いなしだ。「雨でも雪でもコレ一着で安心のモトトカゲライドを!」が売り文句のセグーロ製ウインドブレーカーを着てきているし、濡れパモットになることはない。何が何やらどうにも次々とひっきりなしに現れるヌメイルの群れを特訓相手として、手持ちのポケモンたちへの技の指示は止まない。そして雨も一向に止む気配はない。さすがに悪天候での連戦、こちらが倒されてしまい泥がつくことも幾度か繰り返したが、今日のためにげんきのかけらやきずぐすりはたんまりと用意してきていた。ピーニャとメロコは勿論のこと、二人を慕う手持ちたちも、早々闘志が燃え尽きることはない。伏してもまた立ち上がり、すかさず挑む。そんながむしゃらを続けて、もうそろそろ二時間は経過しただろうか。


「メロコ、そろそろ休憩にしない?」

「なんだよピーニャ、もうバテちまったのかよ?オレはまだやれるぜ」

「ボクだってまだやれるって!でも、ポケモンたちに無理を強いるのは良くないっしょ?キミの手持ちはみんなほのおタイプなんだし、さすがにやっぱ雨じゃあ、さ」

「――それもそうか。……そうだな。ピーニャだって、はがねタイプのヤツらが多いもんな」

「そーそ、あんまり長時間濡れっぱなしはね。どっか屋内でしっかり泥とか拭いてやんないと」

「……じゃあ街に行くか。こっから近いのってチャンプルだよな」

「うん、ショッピングセンターの中のポケセンとかでいいかな?」

「いいんじゃねえの。腹も減ったし、ついでにそこらでラーメンでも食うか」

「お昼にはまだ少し早いんじゃない?」

「歩ってって休んだら多分ちょうど飯屋も開く時間になんだろ」


 ポケモンたちをボールに戻し、二人並んで薄うす墨ずみ色の空の下を歩く。いつもなら風を受けてさらさらと爽やかな草原が、今日は一斉に頭こうべを垂れてしくしくと淀よどんでいるようだった。草根の合間はぬかるみ、もったりとして、気を抜いたらずるりと転んでしまいそうだ。自然と目は足元に落ち、腕はバランスを取るために胸の高さに上がっていた。
 ふと、旋毛つむじの先の方から、雨音に混じって人の笑い声が聞こえてきた。二人ともつられて顔を上げた。草っ原が少し途切れて砂路になっている所に、誰かいる。


「でさ、姉貴にはオレはピクニックに行ったってことにしてあるから、話合わせ――ん? なぁんだ、誰かと思えば元・生徒会長サマじゃん。やあ偶然偶然」


 会いたくない相手だった。ピーニャは眉間に皺を寄せてぎゅっと瞬きした。いったい何の娯楽なのか、こんな所で四人の連れ合いと屯たむろしている。
 アカデミーでピーニャと同じクラスであるこの男子生徒は、殆どの教師陣からは社交的だと評価されているし、取り巻きも多い。最近はピーニャを見かけると決まって笑顔で話しかけてくる。片手を挙げて「やあやあ」と距離を詰めてくる。周りは一見すれば気のいい友達同士だと思うのかも知れない。そう思うと、ピーニャはたまらなく気持ちが悪くなってくる。
 ピーニャは彼のことがいっとう苦手だ。ピーニャが生徒会長をしていた頃は、彼はピーニャが何を言ってもシカトした。服装の乱れを注意しても、先生からの伝言を伝えても、ただ挨拶をしても。そしてときにやっと口を開いたと思ったら、ピーニャの顔は一切見ないまま他のクラスメイトと視線を交わして「うっざ」と笑い合っていた。それなのに、ピーニャが生徒会長でなくなった途端に、彼はピーニャの顔を見て笑うようになった。「元・生徒会長サマ」。名前は一度だって呼んでくれたことはない。


「元生徒会長サマってばお世辞にも強いとは言えないのにさぁ、こんなトコいて大丈夫?えっなに、しかも女子連れてんの?まさか彼女とか?」
「ッハ、ないない、ぜってぇないわ」
「あれ一緒にいるのひょっとしてメロコちゃんじゃない?ねぇ?あっ、ホラやっぱそうだ!うーわっ」
「アンタ目ェいいね、地味過ぎて誰だか分かんなかったんだけど」
「やだーお似合いじゃん」


 たとえ稀なる霖ながあめを以てしても、人を小馬鹿にして見下すような性根は流し去れないものらしい。彼らのそれはどうせ腐っているのだから、それなりに脆くあっても良いものを。メロコはチーゴの実を噛み潰したような顔で舌打ちした。炎がカッと立つように怒りと反抗心が沸いたが、それらと相反するような湿っぽい感情までもが綯ない交ぜになって、喉元に迫せり上がって、不本意にも返す言葉に詰まってしまった。
 正義か悪かで人を分けるなら、絶対あっちが悪なのに。「オレが正しい」と、怯ひるむことなくどっしり立っていて良いのだと、解っているのに。嘲あざけりをはらむ瞳めを向けられると、どうしても身は竦すくむし、気は重くなった。逆三角形に丸を載せているみたいに、心の臓おきばがグラグラ揺れて、おかげで息も苦しくなってくる。


「残念だったな、せっかくのデートなのにこんな雨になっちまってさぁ。朝の時点で降ってたけどすぐに止むと思ったんだよな?いやぁカワイソウに」
「……陰気ジメジメカップルなんだしむしろピッタシなんじゃん?」
「やば、ウケるからやめろし」


 否定したところで今度は「ムキになってる」と捉えて更に茶化してくることは経験上もう知れていたので、ピーニャもメロコも反論はしなかった。面倒だから反論したくない・・・・・という訳ではない。本心では反論したい・・・、したいのだ。「違う」「聞いてよ」「分かって」と声を大にしたい。でも、いじめっ子はいつも聞く耳を持ってくれない。そのくせ「言ってくれなきゃ分からないんだけど」とも言うんだ。どうせ言っても聞かないのに。まったく自己矛盾が激しいし、最低な屁理屈だ。どっちが間違っているかなんて火を見るより明らかだ。非はあっちにある。はっきり言って、いじめっ子のその挙動は頑かたくなに相互理解を拒む愚者のそれで、究極的に頭の悪い行いだ。それなのに、言い合って結果疲れてしまうのはいじめられっ子の方なんだから、本当にずるい。いじめっ子とはなんと狡ずるくて猾わるがしこい人種なのだろう。間違っているのに強いなんて、卑怯にも程があろう。
 “弱いものいじめ”という言葉があるが、いじめられる人が弱い悪いのではない。いじめをする奴が強い狡いのだ。ズルが罷まかり通って自己矛盾を貫かれたら、自己矛盾で護られたら、理論は通じない。論破は不可能になってしまう。


「二人っきりでお楽しみだったのにオレらお邪魔虫だったよなぁ、悪い悪い。まだお散歩デートするんだろ?どうぞ行ってらー」

「……もう帰るところだよ」

「あれ?じゃあこの後ろの橋渡りたかったんだ?あっはは、そうとは知らずとおせんぼしちまってた」

「そう。なら、よけてくれない……?」

「さてねぇ、どうしようかな」


 ――まただ、また矛盾しまくってる。これ会話になってる?なってないよね?……嫌ってるなら、構わなけりゃいいのに。ボクに嫌がらせするために嫌いなボクと話したがるなんて、殊勝もいいとこだ。

 人の話を聞かないくせに会話をしようとするなら、それは無茶な話である。当然成立しない。遣っても取ってくれないなら遣り取りにはなり得ない。彼がしているのは言葉のキャッチボールならぬ啖呵のドッジボールだ。そもそも、嫌うものに時間と労力を費やす彼らの捻くれた精神は、好きなものに真っ直ぐ向き合っていたいピーニャには理解不能だった。一応理解を試みてはみたが、無理だった。試みただけ大目に見てほしい。あっちと違って、こっちは遣られたものを取ろうとはした。
 とおせんぼされて動くに動けない二人を見ながら、彼らはまだ笑っている。事情も聞かないで本当を見ないで、好き勝手に捏こねた妄想で茶化して邪魔して、そんなのが面白いのだろうか。いじめって楽しいだろうか。甚はなはだ疑問だった。しかしあんなに笑って勤しんでいるのだから、少なくとも彼らは楽しくて仕方がないのだろう。ピーニャは「もし自分が彼らの側だったら」とちょっと考えてみたが、すぐに「何も楽しくないや」と思った。自分と彼らでは、笑いのツボも楽しみの腱ケンも何もかも違いすぎる。一緒になって誰かをいじめることで成っているグループって、それって友達って言えるのか怪しくない?呆れるやら悲しいやらで、彼らもカワイソウな人だよな、と思った。しかしこんな風に考え込んで傷心するのもやっぱりこっちばっかりなんだから、彼らはどこまでも狡い。


「そもそも、キミたち何しに来てるの?わざわざボクらの邪魔しに来たんじゃないっしょ……」

「自意識過剰じゃなーい?んなワケないじゃんキモ」


 取り巻きの女子の一人が、片手で口を隠しながら言った。だから、そうだと言っているのに。最早なにも通じない。いっそ言語学のテストでもそんな風にディスコミュニケーションして是非とも落第してもらいたい。
 彼らは飽きもせずクスクス笑っている。何がそんなに可笑しいのか、自分達のおかしさが一番ヤバイだろうに。やがて、ピーニャの前から退いてくれないままの彼が一つ咳払いして、得意そうに口を開いた。


「いやね、シャリタツを捕まえに来たんだ。最近クラスでも人気だろ?欲しいってヤツらのためにもう何匹も捕まえてきた後さ。なんでか思ったよりウヨウヨいたけど、まぁオレにかかれば問題ナシだったね」


 自慢ができそうなときには都合よく頭のネジが締まって、たまに会話になるらしかった。取り巻きたちは興奮した様子で彼を褒めそやしている。


「ねぇ凄かったー!みねうち一撃!」
「シャリタツカワイイよね!ウチも一匹欲しかったんだぁ」
「大漁大漁!さすがだぜ、これで大儲け――」
「おいバカッ!口閉じろ」

「――は?今なんつった?」


 メロコは大股で一歩前に踏み出して言った。
 何やら口を滑らせた取り巻きの男子は慌てて口に手を当て、差していたビニール傘を取り落とした。ブレイズ種のケンタロスの鬣たてがみのように逆立っていた彼の髪は、あっと言う間にウォーター種仕様に変わって下に垂れた。顔にはケンタロスのような威厳など全然なかったが。


「おい、オマエ今なんつった」

「こ、これで……おお、もう……けっこう、けっこうたくさんです」

「くだらねえウソつくんじゃねえ!誤魔化されねえぞ、この――!」


 パルデアでは目下、高額報酬と引き換えると誘さそい囁ささやいて未成年にポケモンハンターの真似事をさせる、いわゆる闇バイトが問題となっていた。アカデミーにも『やめよう!麻薬と闇バイト』といった啓発ポスターが貼られ、教師陣もよく注意を促していた。だからピンときた。彼らは、自分たちの手持ちとする必要分以上に、シャリタツを乱獲したに違いない。悪どい闇業者に売り飛ばすならそれは違法、立派な犯罪だ。学生とて赦ゆるされない。だがそれよりも何よりも、メロコは彼らがポケモンを小遣い稼ぎの商品と見なしているその根性が許せなかった。
 メロコは相手の胸ぐらに掴みかかった。ぼうふうの如く荒ぶる感情に従って、拳を振り上げた。


「やめろメロコ!」


 拳が顔にぶち当たる間一髪のところで、ピーニャがメロコの手首を握って止めた。あと少しで殴られそうだった彼の表情筋は、情けなく引き攣つっている。一方、それをやや遠巻きになって見ていた取り巻かれの彼は、本日会って最初にピーニャに向けたのと似たような笑顔を浮かべていた。


「あらら止めちゃったか、残念!あーあ、傷の一つでも付いたら『元生徒会長サマに殴られた』って教師にチクるのに」

「なっ……ヤってんのはピーニャじゃなくてオレだろ!汚ねえぞ!」

「アハハハッ、汚いのは君の口だろ」

「このクソカス野郎!!」

「メロコストップ!頼むから抑えて……!」


 またも勢いに任せて飛びかかりかねないメロコを、ピーニャはやや遠慮がちに羽交い締めしながら何とか宥なだめかかる。自分の悪口を言われるより、他人やポケモンが蔑ないがしろにされることに怒れるメロコのことを友人として誇りに思うが、暴力はいけない。彼女はカッとなりやすいから今はこうなだけで、考えは同じはずだ。だから仲間たちとスター団を結成して、ポケモン勝負で正々堂々見返してやろうと計画しているのだ。止めてあげないと、彼女が後悔することになってしまう。
 彼らを許せないという気持ちはピーニャも同じだったが、ここで二人で説教して反省させるなんてことは、きっと出来ない。彼らは狡いから、いくらちゃんとした理屈を並べてやっても、受け取ってはくれなかろう。誰か大人を頼るべきだ。説教ならば法師か教師の仕事である。ただし、現在のアカデミー教師陣は、ピーニャたちのようないじめられっ子が追い詰められている状況にろくに気付いてもくれず、訴えても真剣に聞き入れてくれないような似非者エセモノが殆どだから、あまり期待できないのだけれど。


「チッ……分かったピーニャ、オレからはどうこうしねえ」

「うん……もう行こう」

「おっと待ちなよ、逃げるのか?」


 こっちが“無視”しようとすると“逃げ”ととる。つくづく狡い。じゃあそっちこそ、今まで何十何百回と逃げたことになるんじゃないのか。


「勝手にそう思ってろ、真っ黒コゲ腹野郎。どけ」

「いいや帰せないね、ごめんな。まぁコイツが口滑らせたせいだ!そっちも勝手に悪く思え」
「……マジすまん。あっ、てめえらに謝ってるんじゃねえからな、履き違えんなよ」
「ど、どうすんの?」
「先公にバレたらさすがにさぁー……面倒になんじゃん?」
「チクらないって言質ほしいよな。弱味とか見せてくれるのでも良いけど」

「……どけよ」


 メロコは一段と低い声で言った。ピーニャの目には、メロコはイライラで爆発寸前に見えた。まずい。彼は咄嗟に彼女の左肩に手を置いた。


「――え?」


 水音べちゃり、そして無意識、反射的にするり。今の「え?」はピーニャの発声である。
 メロコの左肩に手を置いたその瞬間、ピーニャは同時に自分の左肩にもやや重い衝撃を感じとった。恐らく雨粒ではない。それだったら今朝からずっとザアザア浴びているし、こうして違和感を抱くはずもない。対面しているいじめっ子は五人全員そこにいる。何だか皆さっきよりも変な顔で自分を――違う、自分の背後を見ている。ピーニャはまず目玉だけ動かして、自分の左肩を見た。誰の手も置かれていない。でも、セグーロ製ウインドブレーカーの撥水生地の皺しわ窪くぼみに、見慣れない何かがあった。白い生地だからよく見える、カラマネロの頭の触手をもっと淡く明るくしたような灰に近い青色の、これは――粘液?
 ピーニャは次こそ首を回して、見た。


「えっ?」


 なんか、まるっこいおなか。おなか?薄めのラベンダー色。近いせいか全貌が視界に入りきらない。今度こそ正体を捉えようと、背後の空を仰ぐように首を捻って、見た。


「え!?」


 あれは、たぶんあご。まるっこいおなかからなだらかに繋がる長い首の先についているから、あごだろう。まるっこいあごの下から、あの粘液がまた滴り落ちてくる。今度は左肩からは少し外れて地面に落ちた。ビッチャァン!さっきのよりも大粒だった。当たらなくてよかった。首が曲がる。あ、目が合った。


「え〜!?」


 でっかいなんてもんじゃない。大きな大きな、見たことのない巨大な殻を背負い、首が悲鳴を上げそうになるくらいグッと見上げないと目に入りきらないほど超ビッグな――ひょっとしてヌシの、ヌメルゴン?


「ッ喧嘩してる場合じゃない!!みんな逃げて!!とにかく距離を!!」

「「う゛わ゛あ゛ぁ〜!?」」
「「キャーーーーッ!!」」
「ンだありゃ……冗談だろ!?」

「なっ――ピーニャ!!どうしたてめえも急げ!!」

「メロコ……ボ、ボク、腰抜けたかも」

「なんだと!?ったくこのコシヌケ!!」

「だからそうだよ!!??」


 いじめっ子たちはグループの仲間には目もくれず、それぞれ一目散に逃げ出した。刹那、ピーニャの視線の先で巨大な稲妻が迸ほとばしる。まさに雷霆らいてい、怒りの鎚つち。凄まじい衝撃と轟音を伴って、超巨大ヌメルゴンがくりだした『かみなり』が木橋に直撃した。周囲に木こっ端ぱと火の粉を撒き散らして、見事に真っ二つになった。みるみるうちに火の手が上がり、雨にも打ち勝つほどの勢いで燃えていく。これでは、あそこはもう渡れない。
 さすがのメロコも驚いて放心してしまったようだ。橋だった物を見詰めて口を開けたまま固まっている。もう抜ける腰のないピーニャは、再びおそるおそる振り向いて、見た。ヌシと思われる変わったすがたの超巨大ヌメルゴンの背後で、普通のすがたのヌメルゴンたちが犇ひしめくように闊歩かっぽしているさまを。


「い、いつの間に……」


 諦あきらか、逃げ場なし。
 ただいまの時刻は午前十一時。転機は――。


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