舞台装置の歯車と贄

『ブライス、ガウェイン、タウロニオ、ランビーガ――【不動の四駿】あるかぎり、デイン王国は不滅なり。』

 テリウス大陸において、吟遊詩人の歌にも聞こえる彼らの名を知らぬ者はいない。もしいるとすれば、それは国境を何百年と固く閉ざし続けている未知の国ゴルドアに住むという幻の竜鱗族か、我々には未解の喃語ばかりを話す赤子くらいのものだろう。
 当代の四駿は指揮力は勿論のこと、揃って人格者であると専らの噂だ。そんな武人たちが仕える第12代国王様とはさぞや立派なお方なのだろう、というのが大衆の考えである。王家に対する支持は強固で、外交もかつてないほど安定している。この国はこの王の元でより栄えていくのだと民の誰もが信じて疑わない。


***


「ガウェイン!剣の指南を頼む」

「……殿下、今は学問のお時間のはずでは」


 ガウェインは内心で「またか」と独り言ちて、諦めたように小さく溜息を吐いた。からりとした笑顔で訓練用の剣を掲げるこの少年こそは、セヴェン・フェルスター・フィアラ・デイン。国王陛下の孫であり、第二王子コバルトの子息である。彼は週に一度、決まってこの時間にガウェインの目の前に現れる。こちらは決まった行動などしていないはずなのに、どうやってか居場所を嗅ぎつけてくるのだ。
 大人の言うことにはきちんと従う真面目で品行方正だった王孫殿下が、どうして授業を抜け出すようになってしまったのか――。その理由をつい最近になって知ったガウェインは、困ったお方だと若干の呆れを抱きつつも、好ましいと思うのが勝っていた。発する声色も自然と優しいものになっている。


「どうにも時間の無駄だ。半獣半獣とうるさい耄碌が語る歴史なんて、どうせ確かなものじゃない陋見さ。カサタイの昔話かコユージョのお茶会に付き合ってやる方がまだ有意義だね」

「表立って口外すれば後ろ指を差されます。くれぐれもその話題を振る相手は厳選なさるように。……ところで、私はその茶会に招かれたことはないのですが、どのようなものなのですか?」

「あれな、量で贅沢すりゃいいとでも思ってるのか、ポットに花をぎゅうぎゅう詰めてそれはもう鼻がひん曲がるような――……あー、続きはお前が首を縦に振ってくれれば後で教えよう」

「フッ、いいでしょう。またハフェドなどに見つかると面倒ですので、場所は変えましょう」

「別に彼に師事するのが嫌になったわけじゃないんだけどね。今は槍より剣の腕を上げたいんだ」


 嬉しそうに小走りでついて来るセヴェンのつむじを見下ろして、ガウェインは目を細めた。
 彼はデイン王家に名を連ねる者たちの中でも特にこの少年のことを買っている。旺盛な好奇心は水を吸う綿の如くに知識と経験を蓄えたがるようで、時折、親族や将校以外の来賓や商人とも世間話を交わしているところを見かける。聞けば城外の暮らしや文化、物づくりに興味があるらしい。
 この間などは、王妃の首飾りを献上しに訪れた彫金師の老人といつの間にか仲良くなっていて、テラスの隅で一緒になって工具箱を開いて何やら手ほどきを受けていた。そしてその翌日から、王城内では比較的質素だった廊下に見事な板彫り飾りがだんだんと増えていっているのだが、その納品者の正体を知る者はほんの一握りである。
 その前には、調理場の出入り口でメイドが右往左往しているから何事かと思って中を覗うと、セヴェン自ら魚を捌いていたことがあった。何故こんなことをなさるのかと問えば、王弟殿下の誕生日会で食したものが大層気に入ったので再現してみたくなったのだ、と何でもないように答えた。ガウェインは口止め料として出来上がったポワレを半ば強引に食わされたのだが、そのとき脳裏を過ったのは拗ねる料理長の顔だった。
 学問においても優秀だ。暇さえあれば書庫に赴き、大人でも思わず渋い顔をするような難解な書物をふむふむと読み漁っている。同い年の子どもが学ぶ範囲なんかとっくに飛び越えているせいで、教師たちは苦労させられているらしい。当人はいっそのこと独学で構わないと愚痴を零していたのだが、人との対話でしか得られない知識もあるでしょうという母ヘスペラの言が効いて、近頃は大人しくしている。……ただし、半獣差別があまりにも露骨な教師に対してだけは話が別だったようだが。

 セヴェンは器用で、何をやらせても平均以上にこなしてしまう。溢れんばかりの才能に恵まれているのである。しかし、それを鼻に掛けることもなく、あくまで学ぶ立場と姿勢を崩さない。両親に甘やかされすぎたきらいのある第一王子の子らよりもよほど精神が自立していて、幼いながらに広い視野を持っている。聡明で堂々とした人柄にはどこか惹かれるものがある。遊び心があってお堅すぎないところもいい。
 兎角、ガウェインはセヴェンに大いに期待しているのである。


「ッ、くっ……!」


 カンカンと打ち合っていたのも束の間で、訓練用の剣が宙を舞った。丸腰となったセヴェンに向かって、ガウェインはすかさずもう一撃を振り下ろす。しかし剣先に手応えはなく、ヒュッと風を切る音がしただけだった。


「お見事です。得物を弾き飛ばされても動きを止めず、冷静に見切るとは」

「あっさり負けたのに褒めるねぇ」

「訓練を受けた軍人でも、呆けて止まる者や迂闊に背を見せる者がおります。戦いではその一瞬が命取りになることもあるでしょう。その点、殿下はまだ諦めておられなかった」

「武器を失くした相手なんていい狙い処だ。敵は待ってなんかくれないだろ?」


 ガウェインに教えを乞う門下には可愛く上品な剣を振るう貴族出が多いのだが、この少年はなかなかどうして、実戦で光る考えを自ずと導き出すのであった。セヴェンはガウェインを注視したまま低い姿勢で走り、再び剣を手に取る。それから猪のように真っ直ぐ飛び込んでは来ず、リーチを目で測り、こちらの足の向きなどもよく観察しながら軽やかに迫る。次の瞬間には一息で距離を詰め、ガウェインからすれば肘に力を入れづらい向きから打ち込んできていた。流石に手加減してやっているとはいえ、競り合う最中もセヴェンは隙を見せない。
 柄を握る拳を見比べれば、自分のものより一回りも二回りも小さかった。やはりまだまだ子どもなのだなと微笑ましさが込み上げて、ガウェインの口は知らず知らず緩い弧を描いた。


「ちぇ、余裕そうだな!」

「ええ。申し訳ありませんが、せめてあと十年ほどは片手であしらわせていただくつもりです」


 剣の峰を撫で上げるように払いのけてやれば、今度は得物を手放すことこそしなかったが、体勢を崩してそのまま斜め後ろに倒れ込んでしまった。それでもセヴェンは焦らず、腹に剣を突き立てられることまで想定し、すぐさま転がって距離を取ってから飛び起きるのだから大したものである。


「うーん、重心が悪かったか……」

「それもややありますが、殿下はまだ体ができていないのですから仕様のないことです。日々の食事と鍛錬を欠かさず励めば、特に心配することもないでしょう」

「……最近よく思うんだが……こう、もっとないのか?技術指導というか、欠点の炙り出しみたいな……普段、部下には鬼みたいに接しているそうじゃないか。俺には随分と甘くないか?」


 どうやら投げられる言葉の角が丸すぎてお気に召さなかったらしい。口を尖らせて不満げだ。その年で賛美よりも駄目出しを求めるとは可笑しなことである。ガウェインはますます喜ばしくて、声をあげて笑った。


「いいえ、殿下にはそうする必要はないと判断してのことです。何事も怒ればよいという訳ではありませんので」

「怪しいな。子ども相手と思って、息抜きついでに手も抜いてるんじゃないだろうな?」

「とんでもない。殿下、あなたは良い“目”をお持ちです。相手の筋や瞳の動き、風に吹かれる葉の一枚一枚までもを仔細にその目に映し、脳に刻めているでしょう。……剣は頭より体で覚えよ、と多くの使い手は申します。しかし、あなたは他者の優れた体捌きや技を観察し、記憶し、分析することができる。先の手を予測し、周囲の状況も加味して最善の一手を選び取れる」

「……なんだよ、いつにも増して饒舌だな。要は?お前が言語化せずとも俺は頭が良いから勝手に理解して成長できるだろ、って?」

「はい、まさに」

「……本気なんだか物臭なんだか……」

「どうされました?耳に鎌鼬でも掠りましたか」

「あぁもう、赤くなってるって言いたいんだろ!なんでそう要らないところでばっかり口達者なんだよ!」


 こちらが言わせたようなものとはいえ「俺は頭が良い」などと自画自賛してしまって恥ずかしかったのだろう。つくづく愉快で、ガウェインは堪えきれずにまた笑った。


「長い時をかけて達人たちが研磨してきた成果ですから、基本や型はもちろん大切です。でも、それは既にハフェドが十分よくお教えしていることでしょう」

「ああ、彼はいい師だ、感謝は尽きないよ。槍ばかり持たせようとしてくるのは玉に瑕だけどね」

「……殿下は何故、剣を極めたいと思われたのですか?」


 セヴェンは手の中にある剣をじっと見詰めた。訓練用のそれは色や光を映し返すことはない。しかし、まるで其処には無限の景色が見えているかのように、美しい琥珀色の目を輝かせている。


「なに、別に大層な理由はないさ。純粋な憧れ、それに夢、とでも言っておこう」

「…………殿下も男の子ですね」

「なっ、なんだその間は!うるさい!ニヤけるな!」

「フ、間がうるさいとは?」

「ったく……ガウェインもそんな顔するんだな。ほらほら、俺は見て盗むんだから、バシッと切り替えていいとこ見せてくれよ。仕切り直しだ」

「承知。お気が済みましたら、約束の茶会の話をしてください」

「いいよ。さぁ、俺は次代の王の参謀兼四駿になって国を良くしたい。まずはあの剛腕アシュナードを負かしてやれるくらい、俺を強くしてくれ!」


 ――ご自身が王になろうというお考えはないものだろうか。

 王位は伯父か従兄が継ぐものであると決めかかっているセヴェンは、齢一桁の頃から将来の夢を変えたことがない。ガウェインはお家騒動を起こそうなどという野蛮な思考は持たないが、かくも有望であらせられる殿下ならば王が後継者を指名する際にあるいは、と思わずにはいられない。


***


「……未来が輝かしいものであると信じている若者が励む姿は、私の目には毒ですね」


 青い芝生の上で親子のように笑い合う二人を、離宮の高いところにある窓から眺める男がいた。長い黒髪がそよ風に流されて明らかになった相貌は愁いを湛えており、ひどく儚い。触れたら消え入りそうなこの男が、これから世の人を全て消そうと画策しているとは誰が気付けるのか。


「何を見ておるのかと思えば……フン、セヴェンか。確かにあれは、貴様にとっての毒であろうな」


 冷たい壁に預けていた背を正し、仄かに蒼白い光を放つ青銅のメダリオンを厳重に包み直しながら、別の若い男がクツクツと嗤った。やわらかな陽が降りそそぐ長閑な午後にはとても似合いそうにない、頑強な雰囲気を纏っている。


「……あの子も王族なのですか?」

「二番目の兄の息子だ。我の甥よ。頭が切れてセンスもある。仮にあと十年早く生まれておれば、我が道において最たる障壁になり得たかもしれぬ」

「あなたがそこまで評価するとは……優秀な人物なのですね」

「引き込もうなどと考えるでないぞ。あやつはこちらの色には染まらぬ。生きておれば、この国を平和に導いてしまうようなやつよ。クク、貴様もそれでは困るのであろう?」

「……今更、国が一つどうなろうとも、私の関知するところではありません」


 諦観と憎悪。苦い期待と泡のような加虐心。何もかもを飲み込んで無に帰した古の大洪水と同じく、胸の内で轟々と複雑に入り混じった感情の後に残る物は何もない。深く沈んだ地の底より凪いだ水面へと顔を出せる芽はこの世の何処にも存在しないのだ。必ず半ばで腐り果てる。


「ただの無関心であれば、我を唆す道理もないはずだがな。貴様の根底にある思惑など知らぬし、知ろうとも思わぬ。だが、面白い。乗ってやろうではないか」

「……色よいお返事をお待ちしております、と……今日の所はすぐに下がるつもりでいたのですが」

「貴様が我を歯車の一つ程度に考えていようと、我が我の野望を果たさんがため、好きなようにできるのであれば一向に問題ない」


 カツンと靴を鳴らして、暗い青髪を撫でつけた男が一歩、黒髪の男の元に近寄る。その足音はやけに反響して聞こえて、凪いでいた水面にざわざわと波風が立っていく気がした。


「――なれば、セヴェンにも疾く死んでもらわねばな」


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