黒袖通して振り合つて

死ぬれば死神
くろそでとおしてふりあって

 前方を歩く大きな背中は、戦いをやめた今でも強い霊圧を放っている。垂れ流しの状態でこれなら、この人が本気を出したらどうなってしまうのだろうか。しかし右肩にしがみつく桃色髪の存在がちぐはぐ過ぎるため、もうそれほど恐ろしくも感じない。一角、弓親に続いて少し歩けば、手足の痺れや火照った霊圧も引いてきて、体の感覚が戻ってきた。……それでやっと気付いたのだが、


「ああっ!草履!」

「あぁ?草履がどうしたよ、って……お前、それでここまで来たのかよ!ギャハハハ!」

「んぶっ、ふふ、僕も失念していたけど。典型的な慌てんぼうだね」


 勢いのまま更木隊長の後を追ってあの大穴から来てしまったが、そういえば足袋のままだったのだ。足袋のまま、ずいぶん外を歩いてしまった。


「何だァ?忘れ物か?しゃあねえな」

「あはは!りんりんおっちょこちょ〜い!あたしが取ってきてあげる!」


 草鹿副隊長が更木隊長の肩からぴょこんと下りて来た道を戻ろうとしたとき、その先にさっと人影が現れた。蒼純副隊長だ。手には草履を持っていらっしゃる。あれ、絶対に私のやつ。五大貴族様であり副隊長でもあるお方に草履を持って来させてしまうとは一生の不覚。穴があったら入りたい。通るんじゃなくて。


「楠山沙生さん、忘れ物だよ」

「あぁぁすみません、ほんとにすみません!ありがとうございます……」

「白哉が気付いたんだ。何とも表現し難い表情でね、おかげで息子の新たな一面が見られたよ」

「どんな顔させちゃったんですか私……」


 草履を受け取り頭を下げる。汚れた足袋は脱いで、裸足で草履を履いた。屈んだときに視界に入った低い梅の木は、ほのかな甘い香りを放ちながら花を咲かせていた。もう少し過ぎれば桜も咲くだろう。季節というのは熟々つくづく、こういう何気ない瞬間に感じるものだ。


「白哉がああして同輩に話しかけるところも初めて見たよ。構ってやってくれる良い先輩が最近いなくなってしまったから、心配していたんだけど……君はきっと、白哉の“ライバル”というやつなのかもしれないな」

「確か……好敵手という意味でしたっけ」

「そうそう。近く白哉も護廷入りするだろうから、良かったら仲良くしてやってくれ」

「はい。手合わせの約束もありますから」

「よろしく頼むよ。じゃあ、私はそろそろ失礼する。頑張ってね」

「ありがとうございました!」


 短い会話の中からでも、蒼純副隊長は身分や位を鼻にかけない、息子思いのとても優しい人だと分かった。だから尚更、草履を持って来させたことが申し訳ない。
 意外なことに更木隊長も待っていてくれて、再び最後尾について歩き出す。十一番隊舎に着くと隊士たちが更木隊長を出迎え、次々と元気な挨拶が飛んできた。見てくれは不良者だが、そこんところはしっかりしているらしい。


「お疲れ様です更木隊長!草鹿副隊長!」
「斑目三席、綾瀬川五席も!お疲れ様です!」
「おかえりなさいませ!あれ、隊長その左肩どうしたんですか」
「怪我してるじゃないすか!」
「というかその娘っ子は誰ですか!?」

「五月蝿ぇな、いっぺんに喋るんじゃねえよ。とりあえずついて来い」


 更木隊長はそのまま建物の中へと突き進んでいくので、私は彼らに会釈してからまた歩く。玄関に上がって裸足でぺたぺたと長い廊下を進み、中ほどにある角を曲がると、ひと際に広い部屋があった。隊の集会などを開く場所だろう。更木隊長は奥にある椅子にどっかりと座る。言われた通りついて来た隊士たちもぞろぞろと部屋に入って来て、そんな様子を見掛けた他の隊士も集まって、室内はあっという間に黒で埋め尽くされた。


「沙生、前に来い」

「はい」


 壁際に立っていたけどまあそうですよね。更木隊長に呼ばれて隣に立てば、ここにいる全員の目が一斉に私に向いた。私も全体を見回してみるが、あっちもこっちも男性ばかり。十一番隊は女性を受け入れない訳ではないが、戦闘部隊という性質と荒い隊風から、女性の方からご免こうむる場合が多いと聞いている。急な集まりだからここにいない隊士もいるだろうが、私以外には女性は草鹿副隊長だけだと考えていいだろう。


「こいつは今日から十一番隊だ。あぁーと……」

「りんりん!自己紹介して〜」

「楠山沙生です。強くなりたくて来ました。よろしくお願いします」


 しっかり一礼すると、ぱらぱらと拍手が起こる。「女がきた」とか「なんでこの時期に」とか、不思議そうにする声もあがっている。


「さっき入隊試験に邪魔して斬り合ってきた。沙生はまァ五席でいいだろ」

「ちょっと隊長、いい加減に覚えてくださいよ。僕は四席を辞退して五席なんですよ。沙生は四で良いんじゃないですか?ちょうど空いてますし」

「そうだったか。じゃあ四席だ」

「総隊長の前でも席官指名での入隊だとは仰っていましたが、席官って二十までありますよね?新参の私など末席で……」

「強ぇんだから問題ねえだろ」

「そうだぜ。俺と弓親が苦戦した虚を倒した。隊長とやり合えた。十分だろ」


 剣の腕に自信はあるが、ぽっと出がいきなり高位に就くと色々と面倒になりそうだとも思う。さっき入口で更木隊長に挨拶していた彼らは口を閉じて平然とし、不満を漏らすことはない。しかし他には不満げな表情を浮かべている者がいるし、小馬鹿にするような悪口もちらほら聞こえてくる。「鬼道系の斬魄刀のくせして」と言う者もいるから、どこからか私の戦い方の話を聞いたんだろう。隊長が変わってからまだ一年と経っていないためか、隊内は一枚岩ではないのかもしれない。見かねた一角が木刀でガンと壁を叩くのと同時に、ドンと床板を踏んで立ち上がった者がいた。最前列のいかつい黒眼鏡の男だ。サングラス、というのだったか。死覇装の前は大きく開き、腹巻が覗いている。


「馬鹿たれ共が!!ウチは強い奴が上につく!当たり前じゃろが!楠山が女じゃからと馬鹿にしとんのか!なっさけないのう!!」

「射場さん……」


 一角に「射場さん」と呼ばれたその男は、そのまま私の隣に来た。懐に片手を突っ込み、険しい顔をしている。皆が彼に注目して静かになったことから、十一番隊の中でも中心的な存在に違いない。


「文句があるなら戦って勝ちゃええんじゃ!正々堂々、一対一で!のう!?」

「……そうですね、手合わせならいつでもお受けします。負ければ甘んじて席次を捨てましょう」

「楠山はよっぽど漢気があるのう!」


 射場さんは今度はにかっと笑顔になった。どんな表情でも厳つい造りであることには変わりないにしろ、思ったより気さくそうな人だ。彼のおかげで漸く場は収まり、黙って様子を見守っていた更木隊長は立ち上がって口を開いた。


「やるなら木刀にしとけよ。でねえと今日の俺みたいに爺に叱られるぞ」

「気を付けます……私闘は厳禁でしょうからね。それと更木隊長、そろそろ傷の手当てしに行きませんと」

「こんくらい別にいい。お前はやっとけ」

「……強さの割に傷痕だらけなのはそういうところのせいですね?」

「ほっとけ。やちる、後で沙生に部屋とか教えておけよ。てめえら!話は終わりだ、散れ散れ」


 集まっていた隊士たちはけていき、更木隊長も「じゃあな」と言い残して出ていった。あとここにいるのは私と、草鹿副隊長、一角、弓親、射場さんの五人だけだ。


「ほいじゃあ楠山は儂についてきぃ。まずはその傷、手当てせんとな」
「じゃああたしは後で保健室にお迎えにいくから、りんりんはそこで待っててね!」

「分かりました、お願いします」

「俺は汗かいたしひとっ風呂あびてくるわ。また夕飯時にな」
「僕は暇そうなやつ捕まえて、ちょっと仕事してくる……全く、指名入隊だって手続きはあるのにさ。沙生にもちょっと書いてもらうものがあるから、後で渡すよ」

「うん、ありがとう」


 そうして射場さんの案内で隊舎内にある保健室にやって来た。こういう部屋は普通、消毒液や包帯が整然と並ぶ清潔な場所であるはずなのだが、如何せんここは雑然としている。薬瓶の並びがガタガタだったり、引き出しが開きっぱなしだったり、切った短い包帯のくずが落ちていたり。怪我人がしょっちゅう出る割に、揃いも揃って物を丁寧に扱わない者ばかりだとこうなるのだろう。


「あいつら、またわやくちゃにしおってからに。何べん言うても駄目じゃ」

「巻く包帯がばい菌だらけとかじゃなければ構いませんよ」

「すまんのう。ほれ、そこ座りんさい」

「どこに何があるか教えていただければ、自分で……」

「ええんじゃ。後釜とゆっくり話がしたいからの」


 そう言うと、射場さんは消毒液、脱脂綿、包帯を用意してから向かいの椅子に腰掛けた。ここはお言葉に甘えるとしよう。金属の鑷子せっしで脱脂綿を摘まんで消毒液に浸し、私の腕を取って優しく傷に当てていく。やけに手際よく、物の扱い方も丁寧で、人は見掛けによらないものだと思った。


「儂は来年度……ゆうてももう再来月じゃけど、異動することになっとる」

「すぐじゃないですか!せっかく良い先輩に恵まれたと思ったのに……」

「なんじゃ照れること言うのう。儂はあと一ヶ月ちょいで七番隊の副隊長じゃけぇ、何かあれば力になる。異動した後でも頼ってくれて構わんからの」

「副隊長昇進ですか!おめでとうございます」


 確か、海燕さんが小椿刃右衛門副隊長は今年度いっぱいで依願除隊されると言っていた。射場さんはその後任ということになる。副隊長という職に就くには、四十六室から辞令が下るか、隊長から指名してもらう必要がある。七番隊は愛川隊長が行方不明になってから隊長位が空いているから、射場さんの昇進は前者だろうか。


「あの、七番隊は隊長不在のままですか?」

「いいや、隊長はもう決まっとる。あの事件で隊長格がごっそりおらんようなって、四十六室も総隊長殿も焦っとったんじゃろう。ここ最近で卍解が使えるっちゅうモン皆に隊首試験を受けさせたんじゃと」

「へえ……それで、どんな方なんです?」

「狛村左陣っちゅうお方での、普段から鉄笠を被っちょって顔は見えんが、実力も人格も立派な人じゃけぇ。儂ゃ選んでもらえて幸せモンじゃ」

「ご指名いただいたんですか?」

「そうじゃ。斬拳走鬼どれも安定して能力が高ければ、よく推薦してもらえるけぇの。ほいで目に留まったんじゃろ」


 消毒が終わり、今度は包帯がくるくると巻かれ始めた。きつ過ぎずゆる過ぎず、まるで四番隊であるかのように上手だ。戦いの強さに加えて手当てもこれだけできるとなると、射場さんは文句無しの万能型だ。赤火砲しかろくに鬼道を撃てないような私とは大違いである。


「五番隊と九番隊、それから十番隊も新隊長が決まったそうじゃ。誰なのかは儂も知らんが、五番隊はまず藍染副隊長じゃろうな」

「へぇー……そうですか……」


 あんな罪を犯しておきながら姿をくらましもせず護廷に居続けているのだから、なんとなく予想はしていたが。やはり彼は高い地位に就くことで、権力と自由を手に入れ、更なる企みを実行しようとしているのだろう。藍染副隊長は、大鬼道長の鬼道や隊長格の刃でさえも易々と退しりぞけるような怪人だ。隊首試験など彼にとっては他愛ないお遊びのようなものだったに違いない。そして九番隊の新隊長というのも、恐らくは彼による下準備の一つ。配下の東仙要も隊長にすることで、より動きやすくなるという訳だ。厄介なことこのうえないが、力の伴わない今の私には静観することしかできない。


「十番隊って、ずっと前から隊長も副隊長もいなかったんですよね」

「二十年近くおらんかったのう。じゃが、隊長格ゆうんはそれに相応しい力を持っとらんとな。空いとったとしても、妥協する訳にゃあいかんかったんじゃろう」

「二十年前かぁ……実は私、その頃ってまだ現世でちびっこだったんですよ」

「なんじゃと!?っちゅうことは、楠山はそがいにわこうして死んで流魂街に来て……そう経たん内に入隊試験を受けに来たんか」

「ええ、そうなんです。更木隊長のおかげで、頑張って受験勉強した意味はあんまりなくなっちゃいましたけど」

「はっはっは!大変じゃったの。しかしそれで四席となると、新星というやつじゃのぉ……いや、新風、かもしれんな」


 射場さんは私の右腕に包帯を巻き終え、はさみでちょきんと切ると先端を巻きに差し込んで留めた。流れるような動きがお見事だ。次は左腕を差し出し、同じように巻いてもらう。


「儂はな、先々代の隊長の頃から十一番隊の四席だったんじゃ」

「ああ、だから私を後釜と仰っていたんですね」

「更木隊長を追うてきた一角と弓親が入隊したとき、席官を一新したらどうかと儂から進言したんじゃ。儂は異動する予定もあるし外してくれともな。ほんでてっきり弓親が四席じゃと思っとったのに、四の字は美しくないから五席が良いです〜やら抜かして辞退しやがっての」

「肩書の数字にまで美しさを求めてたか……どういう基準なのかさっぱりだけど……」

「じゃけぇ、四席は空いとったんじゃ。少のうとも弓親と同じか、それより腕が立つ奴でないといけんけぇのぉ」


 弓親の腕がどれくらいなのか、私はよく知らない。一緒に窮地を乗り越えた仲ではあっても、あのときは殆ど一角だけが虚の相手をしていた。それに、どっかんばったん転がりまくるような敵を基準にしてしまってはまずいし、一角の強さだってあれだけで測るのは良くないだろう。私は本当に、彼らの間にいられるような死神なのだろうか。
 ――いけない、消極と悲観はいけない。例え及ばず未熟であるとしても、これからその席に相応しくなっていけば良いのだ。選んでくれた隊長と、推してくれた一角と弓親のために。何より、自分自身が強くなるために。入隊試験の合格を待って志望する隊に入ることをやめたのだって、この戦闘部隊に身を置くことで強くなれると思ったからだ。ここなら、きっと他のどの隊より戦いの経験を積むことができるはずである、と。


「頑張れよ、楠山!ただし、頑張るというなぁ無理たぁ違うけぇな。そこは間違えんさんなや」

「……はい!先輩のお言葉として、肝に銘じておきます」

「おう、ええ返事じゃ。どれ、ひとまず見える所の手当ては終わったでぇ。脚やら他ん所は自分でやった方がええじゃろ?包帯は好きなだけ持ってってええ」


 射場さんは新品の包帯を私に手渡すと、「どっこいしょ」と立ち上がって使った物を元の場所に片付け始めた。すると廊下からはトットッと走る軽い足音が聞こえてきて、ここ保健室の前でキキッと音を上げて止まった。


「りんり〜ん!おまたせ!一緒にお部屋いこう!」

「副隊長。ちょうどえかったの」

「お世話になります。では射場さん、失礼します」

「こっちこっちー!」


 とたとたと走る草鹿副隊長を小走りで追いかけると、あまり人気のない棟までやって来た。先ほどいた場所からはそんなに離れていないのに、異様に静かである。同じような障子戸が奥までずらりと並び、雨戸が開かれたままの縁側からは少し冷たい風が吹き込んでいる。


「このへんはね、女の子のお部屋なの。どれでも好きなの使っていいからね!」

「だから閑古鳥が鳴いてるんですね……草鹿副隊長のお部屋はどこですか?」

「あたしは剣ちゃんのお部屋とか、うっきーのとことか、お外とか!毎日いろんなところをぐるぐるするの」

「お外……」

「宝石の会社とか豪邸にも行ったことあるよ!」


 部屋って何だっけ。そしてこの言い方から察したが、草鹿副隊長は気の向くままに色んな人の部屋や建物、庭に勝手に入って好き放題していそうだ。
 それにしても、十一番隊にもちゃんと女性用の棟があったとは知らなかった。一応は造ったものの、これまで使われることは殆ど無かったに違いない。どの部屋でもいいなら、端の方は移動距離が増えるだけだ。十三番隊ほど庭も凝っていないみたいだし、仕事場から一番近いこの目の前の部屋にしようと思って障子戸を開くと、少し埃っぽい空気がもわりと流れ出た。しかし十分に広い空間で、中々に立派である。畳敷きで壁は鶯、床の間に押し入れまである。更に鏡台、衣桁、火鉢、文机といった家具まで揃えられていた。見た感じ、埃は被っているがそこまで骨董品でもなさそうだ。不思議に思って他の部屋も開けて中を見てみたが、家具は一つも置かれていなかった。昔に一人だけ、ここに誰かが住んでいたのだろうか。


「誰の物だか知らないけど、ありがたくお古を使わせてもらおうかな……ここにします」

「はーい!あとで、お引っ越しのお祝いもってきてあげるね!」

「そんな、お気遣いなく」

「じゃあ荷物はおいて、そろそろごはん食べにいこう!ゆみちーが食堂で待ってるって!」


 草鹿副隊長は飛び跳ねながらそう言うと、両手を広げてまた駆け出して行ってしまった。後を追おうと急いで荷物を置けばまた埃が舞い、今日は廊下にでも寝て明日は部屋を掃除しようと思った。来た道を戻り食堂の入口に着くと、夕餉を食べている隊士たちの皿からおかずをつまみ食いする草鹿副隊長がいた。あまりに素早い所為で、当人たちは気付いていない。自由だなあと感心していると、向こうで手を振っている一角と弓親が目に入った。


「おーいこっちだこっち!飯もよそっておいてやったぜ」

「あれ、ほんとだ。ありがとう」

「十一番隊の食堂はあんまり遅く来ると白飯がなくなってるから、気を付けなよ」

「なるほど覚えた。いただきます」


 白飯、鶏モモのたれ焼き、野菜の天麩羅、水菜ともやしのお浸し、しじみ汁。隊風の割には健康的じゃないか。しかし周りを見渡せば、店から買ってきた味が濃くて脂ごってごてのつまみや刺身盛り、酒を持参している様子が見受けられる。外に飲みに出た者もいるだろう。だが私はこのお膳とお茶で十分だ。


「食べながらで構わないから聞いてくれ。手続きとか仕事とかについて話すから」


 弓親は隣に座り、書類を指さしながら説明してくれた。ありがたいことに、手続きで面倒なところは既に手を回してくれたらしい。私は何枚かの届け出や書類に名前を書くだけで済むとのことだ。死神の仕事については受験のために頭に叩き込んだので、大方は把握している。戦闘部隊だからといって戦うだけが仕事ではない。十一番隊でも、隊舎が建つ轡町くつわまちが属する十一番区の治安管理や住民の要望を聞く職務もある。とはいえ、他の隊ほど量はないそうだ。治安はあまり良くなさそうな印象を持たれがちだが、死神以外の住民たちの中にも「強いやつが上」という意識が根付いていて、十一番隊が出動すれば逆らったり暴れたりということは少ないのだとか。それ以外には、現世の駐在任務中の死神と連絡を取ったり、報告を受け取ったりもするらしい。


「書類が回されたら、その都度きいてくれれば教えるよ。まあ、隊長に判子もらって、あと他隊に持って行ったりするくらいだろうけど」

「ふむ」

「そういのがなくて暇なときは、街をぶらぶら見回りしたり、道場で鍛えたりすればいい」

「一気に適当になったね……」

「戦いはいつ起こるか分からねぇから良いんだよ、それで。強い虚が出た場合、応援で呼ばれるのはだいたいウチだしな。最近じゃ技術開発局の使いっ走りもやらされてるが」

「いつでも出られるように鍛えておくってことか。一角と弓親も相手してくれる?」

「おう、いつでもいいぜ」
「気が向いたらね」


 相変わらず、弓親は一歩ひいているのが標準のようだ。完食し「ごちそうさまでした」と手を合わせると、弓親は見計らって、傍らに置いていた手提げの中から包みを取り出した。


「これ、沙生の死覇装だよ」

「へ……ありがとう!支給されるまで、もっとかかるかと思ってた」

「怪我すると、死覇装が破れたり穴が開いたりもするだろう?だから四番隊には死覇装がたくさん保管されているんだ。それを貰ってきた」

「大きさとかは……」

「たまたま御厨さんに会ってね。事情を話したら、君はこのサイズで大丈夫だろうってさ」

「そっかぁ。御厨さんには自分でも報告しに行こうかな。参考書のお礼も言いたいし」

「参考書ってなんのことだ?」

「実はね、退院してから入隊試験を受けるまで、十三番隊でお世話になってるときに……」

「沙生お前、十三番隊にいたのか!?初耳だぜ」


 今日あの場に更木隊長が乱入してくるまでのことを話せば、二人は興味深そうに相槌を打つ。海燕さんからも何も聞いていなかったらしい。暫く三人で楽しげに雑談していると、平隊士がぺこぺこと頭を下げながらお茶のおかわりを注いでくれた。そんなに気を遣ってくれなくていいと言ったのだが、どうにも下っ端根性が染みついている人で、何を言っても駄目だった。反対に、遠くの席からはねたましげな視線も感じられた。新入りで四席になった女が三席と五席に対等な口を利いているのが面白くない、とでも言いたげだ。近いうちに突っかかってくるかもしれない。もしそうなっても、木刀でせばいいだけだ。

 一角と弓親とは食堂で別れ、ひとり与えられた部屋に戻った。傷もあるし今日は風呂は休むことにして、念入りに体を拭いていて思い出したのだが、せっかく射場さんから包帯を貰ったのに脚に包帯を巻くのを忘れていた。慎重に巻いてまあまあの仕上がりになったが、射場さんにはやはり及ばない。
 鏡台の埃を払い、鏡の曇りも磨いて綺麗にし、正面に立つ。死覇装を試着してみると、丈も腰回りもぴったりだった。さすがは、付きっきりで看病してくれた御厨さん。


「……どっからどう見ても死神」


 現世の都市の初等科に通う前の子どもか。ぴっかぴかのランドセルを背負ってはしゃぐらしいというのは田舎の道場の跡継ぎ娘には分からない感覚だったが、なるほどこういう感じなのか。海燕さんに「死神になると良いぞ」と言われたあのときにはまだ、特になかった感情だ。勉強して死神のことを知り、六車隊長の戦いを目にして、生前に十三番隊に助けられたときのことを思い返して――そんな数年の間に、死神に対する“憧れ”が育っていたのだ。

 私は明日から正式に死神になる。そこからは、もう“憧れ”は不要だ。使命と矜持と強さをもって、魂魄と世界の守護に尽くそう。

 そうだ、床に就く前にハクにも会っておこう。きっと、「馬鹿」とか言いつつ相棒を祝ってくれるんだろうな。


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