拐かすのは風でなく

死ぬれば死神
かどわかすのはかぜでなく

 晴れた薄水色の空が眩しい。しかしどうしてか風が強い。いくつか浮かぶ綿雲はおされてどんどん流れていく。木の幹を登る蟻ありをちょっと眺めている隙に、さっき見た雲はどれだったかなと見失いそうになるくらいだ。外で立っている分には気持ちが良いが、自転車なんかは向かい風だとなっかなか進まない、そんな朝。


「きゃはははは!りんりん面白〜い!じょうず!」

「副隊長!だんだんコツ掴んできましたよ!」


 手に持っているのは、どこからか飛んできた大きな袋。広げて持って、中に風が吹き込む瞬間にぴょんと跳べば体が浮いたまま勢いよく後ろに流されるのだ。死神スキップ然しかり、草鹿副隊長とは度々こんな風にちょっと馬鹿をやっている。着地、記録更新。また元の場所に行き、強い風を待つ。…………きた!


「おい沙生、先行ってていいっつったろ……って、今度は玄関先で何やってんだ」

「うこ行に緒一!角一ねたっか遅」


 ちょうど隊舎の玄関から出てきた一角の目の前を横切って浮いたまま右から左へ流れる私と、それを追って右から左へ動く一角の黒目。なんだか可笑おかしい。


「今日もつるりんとお稽古?」

「そうですよ、いつもの裏山で」

「ふーんがんばってね!りんりん、袋ちょうだい!」

「構いませんけど、副隊長は軽いから……あ、」

「!い〜ゃしっらてっい!〜ねあゃじ」


 今日外に出てから一番強い風が吹いた。袋を受け取って早速それを広げた副隊長は、あっという間にたんぽぽの綿毛みたいに飛ばされ、風にさらわれていく。でも楽しそうだし、何も心配いらないか。


「おし、じゃあぐるっと走っていくぞ」

「了解。こう風が強いと大変だね」

「それも鍛錬の内だ」


 十一番隊舎から七番隊舎まで、直線ではなく瀞霊廷を円く沿うようにして走っていく。まだ朝早いから人通りは殆どない。風に抗ったり背中を押されたりしながら黙々と走り続けていくと、八番隊舎付近に差し掛かったところで京楽隊長に会った。挨拶するために、私も一角もいったん足を止める。


「おはようございます、京楽隊長」
「おっす、おはようございます」

「おはよう。お二人さん、今日も鍛錬かい?」

「はい。京楽隊長はこんな強風の中をお散歩ですか?」

「浮竹のとこに行こうと思ってね。おっと。いやぁ、笠も羽織も抑えていないと飛んじゃうねぇ」


 また一段と強い風が吹き、京楽隊長は浮いた笠を慌ててつかまえた。顎紐は結んで、羽織には袖を通せば問題ないのに、それは頑としてやる気はないらしい。お洒落というのも大変だな、と他人事のように考える。
 京楽隊長と浮竹隊長が同期の友人同士だと知ったのはごく最近のことだ。忙しそうだった清音さんに代わって、浮竹隊長の氷枕を交換しに一人で雨乾堂に行ったことがあった。そのとき浮竹隊長は眠っていて、声をかけても肩をとんと触っても反応がなかった。失礼して左手を後頭部に回しそっと持ち上げたところで、御簾が開かれたのだ。
「浮竹〜、調子はどうだ……い?」
 右手で氷枕を交換しつつ誰かと思って振り向けば、派手な羽織を見紛うはずもない、八番隊隊長京楽春水がそこにいた。つい「あっ、更木隊長を止められなかった人だ」と思ったことは内緒である。ご挨拶だけして、その後はすぐ仕事に戻ったからそんなに話したわけでもない。けれど今みたいにすれ違うことは頻繁にあって、朝の通学路とか買い物帰りによく見掛ける近所の人みたいな感じがある。


「今度、見物させてもらってもいいかなぁ。斑目クンも沙生ちゃんも腕が立つってよく聞くよ。二人の剣捌さばきを見てみたいと思ってさ」

「見物されたうえでご指導くださるなら、私は大歓迎ですよ」
「俺も別に構わないっすよ。差し入れが酒ならなおいいっす」

「……中々ちゃっかりしてるよねぇ。まぁ考えとくよ。じゃあ頑張ってね」

「はい」
「うっす」


 止めていた足を再び動かし、走り続けてようやっと七番隊舎の裏に回る。道場の方から小気味いい音と射場さんの喝が聞こえるから、向こうは向こうで奮励しているようだ。そして、この辺りまで来たなら会っておかなければならない、癒しのあの子の元へ。


「五郎!おはよう!」

「ゥワン!ワンッ!」


 狛村隊長が隊舎裏で飼っている犬の五郎だ。利口で人懐こく、とても大切にされているから毛並みも綺麗でふわふわで、風が吹く度に靡なびくそれはさながら麦畑のようである。しっぽをぶんぶん振って駆け寄ってきてくれるその姿はとんでもなく可愛い。背中と首の下あたりを撫でてやれば、気持ちよさそうに目を細めてクゥンと鳴いた。


「お前ほんとに犬が好きだな……」

「犬がというより五郎が、かな。飼ってたこともないし、見たこともあまりなかったし」

「ふむ。五郎は楠山によく懐いているな。儂の次に」

「狛村隊長!おはようございます」

「おはよう。今日も剣に励むようだな。裏山は好きに使うと良い」


 平時でも欠かさず鉄笠を被り、手袋の上から更に手甲を着け、いつ見てもどっしりと構えている狛村隊長。更木隊長もよっぽど壁みたいな人だが、この人は更にずっとでかい。彼より大きい人を私は知らない。
 一角に連れられて初めて裏山で稽古した日の夕方。十一番隊舎に帰ろうとすると、射場さんが隊長を紹介してくれるというのでご挨拶に行ったらまぁ度肝を抜かれたことよ。
「瀞霊廷通信で見るよりどでっかい!?」
 なんて口を突いて出たときはしまったと思った……が、狛村隊長は器も大きかった。
「驚かせてしまったか。儂が狛村左陣、七番隊隊長だ。貴公のことは鉄左衛門から聞いている」
 笑って無礼を許してくれて、ちょうど飼っている犬と散歩に行くというのでご一緒させてもらったのだ。インタビュー記事の受け答えでもお堅い言葉遣いだったからもっと恐い人だと思っていたのに、良い意味で裏切られたのだった。鉄笠で隠れているから窺うことはできなかったけれど、散歩しながら五郎の話をしてくれたときの狛村隊長は、きっと優しい顔をしていたに違いない。


「はい!じゃあね五郎、行ってくるよ」

「…………おい。おい、沙生。言ってることとやってることが違うだろうが。いつまで五郎にしがみついてんだ、今日は丸一日っつったろ。おら、行くぞ」

「それなら夕飯は七番隊の食堂でとっていって構わないぞ。二人分くらい間に合うだろうからな」

「あざっす!」
「ありがとうございます!」


 一角に引き摺られてこの場を後にする。ふわふわが名残惜しいが仕方ない、切り替えていかなければ。気持ちもふわふわさせたまま一角と斬り合おうものなら、うっかり死にかねない。木刀や竹刀を使うただの剣技の稽古なら、態々ここまで来る必要はないのだ。裏山は開けた地もあり坂もあり、ごろごろとした岩肌の起伏の激しい場所もあれば、身を隠すのに十分な森もある。様々な地形を移動しながら真剣でやり合う一角との鍛錬は、限りなく実戦的なものである。


「うおっ。こんだけ強風の中でやるのは俺も初めてだな」

「それも鍛錬の内、でしょう?」

「分かってんじゃねぇか」


 立って構えを崩さないでいるにはきつい風だ。砂埃が巻き上がり、森の枝葉は絶え間なく騒いでいる。開始地点は山の中腹にある開けた所。腰の斬魄刀を抜き、向かい合って視線も外さない。


「よォし、そんじゃ始めるぜ。分かってるな?手加減したら……」

「「ぶっ殺す!!!」」


 気合が入るのか何なのか、一角は最初に必ずこう叫ぶ。一方的に言われて気分の良い言葉でもないから、私も付き合うことにした。一角流だと「お願いします」は「ぶっ殺す」。なんとも野蛮な挨拶である。
 叫んだ後、一角は私の視界から外れるほど高く跳び上がった。毎度のことながら初撃は派手にいくのがお好きなようで。これを目で追うと太陽の眩しさにやられるだけだから、ある程度下に来るまで見ない方が良い。体重をかけた一刀と共に落ちてくるが、やはり今日は風に煽られて勢いが殺されている。重い攻撃を敢えて受け止める必要もないだろうと避けるつもりでいたが、これくらいならば問題ないはずだ。ぐっと腰を低くして構え、衝撃に備える。振り下ろされた刃を刃で止めると、その一点だけを支えにして、一角は地に足をつけないまま逆立ちのような恰好になった。まったく驚異的な平衡感覚だ。右からくる鞘の一撃には右足で対応しようと砂ごと蹴り上げると、彼はそれを避けるために後ろに飛び退のいた。


「最初に比べたらだいぶ、全身を使うようになってきたじゃねぇか」

「木刀一本の勝負とはわけが違うからね。喧嘩は何でもありだ」

「喧嘩、か。染まってきてんなァ」

「お綺麗に戦ったところで負けてちゃしょうがないし」

「そりゃそうだ」


 お互いが一振りの剣しか使わない屋内での形式じみた戦いであれば、相手の剣にだけ注意していれば事足りる。だが今はそうではないし、虚と戦うときだってそうはいかないことが殆どだ。場合によっては飛び道具が飛び交う戦場や多対一という状況に追い込まれることもあるだろう。決して剣法を軽んじるつもりはないが、それ一つでやっていけるほど甘くないのが実戦というものだ。
 一角は鞘も使って二刀流に近い戦い方をするし、斬り込む瞬間や振り向きざまに左右を持ち替えてきたりもする。なんなら砂かけ目くらましだとか頭上の枝を切って落としてくるとか、足を引っ掛けようとしてくることだってある。競技じゃないんだから決まりなんかないのは当然で、もう何でもありだ。こちらとしてはおかげで臨機応変に戦う力が身に付くし、手を抜かないでくれるのが何より嬉しい。女だからとかいう下らない理由で馬鹿にしてくる隊士も一部いる中で、対等に、全力で鍛錬に付き合ってくれることが純粋に嬉しいのだ。
 射場さんは『あいつは戦うとき、意外に駆け引きっちゅうんを混ぜ込んでくるけぇの』と言っていたが、私からすれば、これは駆け引きというより博打ばくちじゃないかと思う。私の不意を衝けたとしても、一角自身にも同じくらい危険が付き纏う。まさに一か八か、伸るか反るか。でも、これが“らしい”一角の戦い方だ。


「なぁに笑ってんだァ?まだまだ余裕そうだな!」

「何さ、そっちだって開始からずっと笑ってるでしょうに」

「しゃあねぇよ、愉しいんだからな!」

「お互いさまだぁ……ねっ!」

「うおっ!?」


 ぎりりと鍔迫り合いが続き、圧されてきていた。やはり正面からの力勝負だと私は一歩及ばない、そこは認めなくては。そのうえで、足りない分は技と戦術で補っていけばいい。ふっと力を抜いて膝を曲げ、思い切り上体を逸らしてやった。目一杯の力を入れていた一角はよろけて倒れ込んでくる。この一瞬だけ、横から見れば上から一角、私、地面が平行だからまるで『三』の字みたいになっていたと思う。被さってくる前にさっと彼の下を潜り抜け、背中を取ることに成功した。


「そら、隙だ」


 背中に平打ち。先に一本取ってやった。


「ぐっ!……くそ。こりゃ一回死んだな」

「どうする?少し休むかい?」

「いーや、仕切り直して続けんぞ。次はお前が死ぬ番だ!」

「おぉ怖。いいよ、続けよう」


 一角は出足が鈍のろい。後になるほど調子を上げてくるから油断ならず、先に一本取ったからといって浮かれている暇はない。
 今度は瞬歩も使いながら剣戟を繰り返し、数秒の間に広い範囲を行ったり来たり。そうしている内に、戦いの場は森の中へと移っていた。木々は風に揺すられてざわざわと騒がしく、音で相手の位置を探るのは困難だ。気配や霊圧といったものを辿って探るしかない。……いた、斜め後方の木の上だ。向かっていこうとすると、一角はまだ離れた位置であるのに刀を振る動作に入り、その動作の途中で瞬歩で間合いを詰めてきた。成程、律義に間合いを詰めてから斬りかかってくるよりずっと防ぎにくい。死神になってから浅い私には考え付かなかった戦い方だ。ついこの間まで瞬歩なんて使えないただの剣士だったから、無理もないのかもしれないが。


「遅いぜ、そこだ!」


 当たる寸前に刃を返して、横っ腹に峰打ち。一本取られた。


「あいたたた……死んじゃった」

「どうするよ、そろそろ休むか?」

「まだいけるよ……って、一角。足」

「あん?足?何が――あ、こりゃ痛いてぇや」


 言われて気付いたらしい。枝から枝に飛び移ったり走り回ったりしている内に、ささくれた木の破片がいつの間にか一角の左足に刺さってしまっていた。そんなに大きい破片でもないしざっくりというほどではないにしろ、流れた血がじわりと草履を赤く濡らしていく。


「こういうのって気付いてから急に痛ぇ気がしてくるよな」

「あっち川だったよね?傷口洗わないと。肩、貸そうか?」

「いい、けんけんして行くわ」

「けんけん……」

「……なんだよ」

「いや、いいから早く行っとこ」


 鍛錬をしていると時間が過ぎるのも早く感じる。けんけんして進む一角の長い影を踏んで歩き、小規模な滝のある場所まで来た。滝修行には向かないが、黒い石の上を透明な水がさあさあと流れて中々に味のある場所だ。一角が破片を引っこ抜き、綺麗な水で洗い流す。彼の足からは、赤い糸が伸びていくかのようにして血が細く、しかし止め処なく流れていく。


「血管のとこやっちゃったかね。止まりそうにないでしょ、それ」

「……そうかもな。なぁ、沙生は足は何ともねぇか」

「へ?足に傷は創ってないよ。今は横っ腹が痛いだけ」

「そうじゃなくてよ。今の俺と同じところに怪我、したことあったろ」

「あぁ、ああ。うん。いつの話してるのさ」


 達磨型の虚にやられた左足の甲のことを言っているのだろう。確かに、今の一角とちょうど同じところだった。朿が深々と刺さって、その後も無茶して動いたから悪化して、あと少しで貫通しそうだったという怪我。顔の傷、体中の火傷は御厨さんが治療してくれたおかげで綺麗に治った。命の危うい状態から回復してまた元気に走り回れるようになったのは彼女のおかげだ。感謝してもしきれない。だから私は気にしないでほしいと言ったのだが、退院する前日に彼女は頭を下げた。――実は、足の傷だけは痕になって残っている。


「初めて十一番隊に来たときお前、足袋脱いで上がったろ。その……」

「ははあ。とっくにバレちゃってたのね。やだぁ、どこ見てんの」

「どこって、足だよ!足!スケベ〜みたいな言い方してんじゃねぇ!!」

「あっはは、冗談だよ。いちいち面白い反応するなぁ」


 興奮すると余計に血が止まらないぞ、とか言うと却って興奮しそうだからやめておこう。
 痕といったって、ふとしたときに疼うずくようなことは未だにない。何年かして古傷が痛むようになる場合もあるらしいが、今のところは大丈夫だ。走っても踏ん張っても違和感は特にないし、日常で不自由することもなくて、ただ少しばかり見てくれが悪いというだけなのだから。足の甲から裏まで開通しそうだった穴が塞がっただけでもありがたい。


「痛んだりしねぇか」

「一角が気負うことでもないでしょう。心配しないで、本当に大丈夫なんだから」

「……そうかよ」

「というかね、今は怪我人はそっちでしょ。優しいのもいいけど自分の心配して」

「五月蝿ぇ、これくらい屁でもねぇよ」

「血、止まってないでしょうが。ちょっと貸してみ」

「っだぁ!?いきなり人の足を引っ掴むんじゃねぇ!!」


 こういうのは何といえば良いものか、当たり所……ではないから刺し所か。刺し所が悪かった。傷の小ささの割に、血はまだ止まらず流れ出ている。帯に括くくっていた腰巾着から薬を取り出して、一角の左足の傷にそれを塗ってやった。上から包帯も巻いておけば動いても大丈夫だろう。そういえば、人に包帯を巻いてやるなんてあまりやったことがなかった気がする。


「ん……?おお、血ィ止まったな。いつも腰巾着さげてるから何が入ってんのかと思ってたぜ」

「真剣での鍛錬に四番隊も連れてきてないってのに、応急処置の用意のことも頭にないの?こんなので死んでちゃ笑えないよ」

「何て薬だ?効きも良いし俺も欲しいわ、それ」

「話きいてた?まったく……あ、動かないでよ。包帯ずれちゃうでしょ」


 ただでさえ巻くの上手くないのに。一角は裸足で草履を履く人だから、足の裏の皮が厚くて固めだ。こんな感じだと柔やわい人より包帯が密着しづらくてずれやすいから、少し工夫しないといけない。くるっと巻いて、挟んで留めた。こんなものか。


「ありがとうな。助かったぜ」

「どういたしまして。この血止め薬は御厨さんから貰ったの。軽い切り傷と刺し傷に効くから持ち歩くと良いって」

「成程、今度四番隊に行ったときにでも頼んでみっかな」


 真っ赤な夕焼けが綺麗だから、明日は晴れだろうか。朝からやけに強かった風はいつの間にか落ち着いていて、辺りはとても静かだ。滝の音と烏の鳴き声だけが聞こえる。それに耳を傾けながら、岩の上に腰を落ち着けて一息ついた。結局、鍛錬の合間に休憩を挟むことはしなかったから、まあまあ疲れている。


「……桜、大丈夫だったかなぁ。強風で蕾が落ちたりしてないかな」

「どうだろうな。そういやこの辺には桜の木がねぇな」

「十三番隊に立派な桜があるんだって。お花見に誘ってもらったんだけど、一角もどう?弓親も一緒にさ」

「あいつは好きそうだから喜ぶんじゃねぇか?俺も花見酒はしてぇな」

「うん。来週か再来週か、そろそろ見頃らしいから空けておいてよ。じゃあ戻ろうか、七番隊舎に」

「おう」


 ゆっくり歩いて山を下り、七番隊舎にお邪魔する頃にはちょうど夕飯時になっていた。もしかしたら狛村隊長のお顔を拝見できるかも、なんてちょっと期待したのだけど、食堂にはいらっしゃらなかった。食事はいつも自室で一人でとっているらしい。七番隊の誰も、狛村隊長が鉄笠を外しているところを見たことがないと言っていた。おそらく五郎だけが鉄笠の下の素顔を知っている、とのことだ。それにしても、七番隊は見た目は厳つい男性隊士が多いのだが、皆さん素晴らしく行儀が良い。余所者の私たちにも挨拶はするし、隊舎のどこを見ても綺麗で壊れている所なんてないし、何といってもご飯がちゃんと人数分あって戦いにならない!……いや、十一番隊が行儀悪すぎるんだな。本来ならそれが普通ってところにも感動してしまった。
 十一番隊みたいに私と草鹿副隊長だけというほど極端ではないが、七番隊も女性隊士は少ない方だ。大浴場を独り占めして、汗を流してさっぱりさせてもらった。


「ふぅ。いい湯だった。一角、そろそろ帰ろう」

「俺は射場さんと飲んでいくわ。沙生も来るか?」

「んー……今日は疲れたし早く休みたいかな」

「そうか?気ぃつけて帰れよ」

「じゃあね。あ、傷が膿うまないようにちゃんと手当てしてからにしてよ」

「ああ、分かってるって」


 射場さんが異動する前から、二人はよく一緒に酒を飲んでいた。どっちも強いものだから、けっこう長く酌み交わすのだ。付き合っていると日付が変わってしまうだろう。言ったように、今日はもう本当に早く横になって休みたい。あ、でも。帰りに五郎に会っていこうかな。

 朝にも寄った隊舎裏。人の気配はなく、狛村隊長も今はこの辺りにはいないみたいだ。私が来たことに気付いた五郎は、またしっぽをぶんぶん振りながら駆け寄ってきた。しゃがんで視線を合わせ、ぎゅっと五郎に抱き着く。


「おぉよしよし、五郎もごはんちゃんと食べたかー……って、狛村隊長はちゃんとしてるに決まってるか」

「ワン、ァウン!」

「今度おやつとかあげてみたいな。三時にここ来たら狛村隊長いるかなぁ」

「ワフン!」

「ふわっふわだ……んん、名残惜しいけどそろそろ帰るね。おやすみ、五郎」

「ゥワフッ」


 頭を撫でてやれば、五郎はしっぽをより激しく動かして嬉しそうにした。この子はとても利口だから、私の言っていることがちゃんと分かっている気がする。さて、ちょっとだるいけど瞬歩でちゃっちゃと帰ろうかな。


「ば……縛道の四、這縄!」

「!?…なっ……」


 身動きが取れない。何者かと気配を探れば、背後の繁みの方に身を隠している者が複数人いるのが分かった。


「まだだ!あんな弱よえぇのじゃ心許もとねえ、もっとマシにやれ!!」

「ひいっ、わ、分かりました、分かりましたからどうかっ!どうか命だけは……!」


 この霊圧は……一人を除いて知っている者だ。繁みの奥で、きらりと月の光を反射した刃が見えた。それを喉元に突き付けられている者は誰だか知らないが、脅されてこんなことをしているのは明らかだ。可哀想に。汚い、やり方が汚い!気にくわないなら堂々と戦えというのに!


「縛道の六十一、六杖光牢!」

「くっ……!」

「もっとだ!てめえ、ヒヨってっと殺すぞ」

「ひいぃ!ご、ごめんなさい!ば、ば……縛道の六十三、鎖条鎖縛さじょうさばく!」


 這縄に六杖光牢、そして鎖条鎖縛。私は更木隊長じゃあないんだから、ここまでしなくてももう動けないのに。用心深いことだ。いや、こいつは臆病と呼ぶべきか。


「悪巫山戯が過ぎるぞ、尾焼津おやいづ」

「……おや、動くこともままならないってのに。そんな口の利き方でいいんですかね?楠山四席」


 私ががっちり縛道で縛られてから姿を現した腰抜けは、茶色い短髪で上背がある筋肉質――尾焼津を筆頭とした、十一番隊隊士六名。私が入隊したときからずっと反抗的だった輩やから共だ。すれ違う度に舐めつけるような嫌な視線を寄越し、指示には従わず、他にも餓鬼のいじめみたいなことばかりしていた。道場にて正々堂々の勝負を挑んできた者達は、熨して以来、私の力を認めて素直になったから可愛いものだ。だがこいつらは違う。私だけでなく、弓親、一角、更木隊長の言うことすらも聞かない不穏分子だ。


「ワンッ!!ゥワン!!ワン!!」

「……喧しい犬だ。黙らせろ!麻袋でも被せておけ」

「「ウッス!」」

「五郎!貴様ら、よくも」

「おっと、破れないにしてもまだそれだけ動けますか。おい、鎖でも縛っとけ!念入りにな!そしたら手筈通り、十三番隊の桜んとこまで運べ。その前に……山田!白伏はくふくできるだろ。やれ」

「っ、そん、な……ぼ、ぼくは」

「口答えすんじゃねぇよ。何様のつもりだ?それともやっぱり……死にたいか?」

「ひっ……う…あ……」


 尾焼津の斬魄刀が、脅されている者の首の薄皮に触れた。こいつは本当にやりかねない。何のために死神になったのか、きっと給料目当てとか威張り散らしたかったとか、そんな下らない理由だろう。仲間であるはずの者に本物の殺意を向けるなど、誇りある死神ならば到底できないことだ。山田と呼ばれた彼はとうとう泣き始めてしまった。こんな風に縛られてさえいなければ、どうということはないのに。“燃やす力”を使ったとして、一瞬でどうにかできる火力でないと山田の命を危険に晒すことになってしまう。


「さっさとしろよ。俺は気が短けぇんだ」

「……ひっく…うぅ……」

「やれ」

「ご……ごめんなさい……ごめんなさい、ごめんなさい…ごめ……」


 どれだけ涙が出るんだ、君は。いいからやってしまえばいい。私のために歯向かって殺されてしまったりしたら後味も悪いし。向こうに麻袋を被せられた五郎がもがいているのが見える。狛村隊長の愛犬だから、このあと更に酷いことをしたりはしないだろう。ばれたら困るのはこいつらだ。山田も五郎も、十一番隊のいざこざに巻き込んでしまって申し訳ない。

 白い光で意識を手放す前に、五郎の足元の近くにある芝生をちょっとだけ燃やしておいた。狛村隊長、勝手にこんなことしてごめんなさい――


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表紙・家