桜切る馬鹿、庇う馬鹿

死ぬれば死神
さくらきるばか、かばうばか

 この夜、十一番隊舎はやけに静かだった。隊長は久しぶりの静かなひと時に浸ろうと、雲一つない夜空を見上げて月見酒と洒落込んでいる。副隊長は今朝に風に飛ばされたきり帰ってこないが、彼女の迷子は日常茶飯事であるし、寝床も日替わりで人の世話になっていることが多い。だからその内ふらりと帰って来るだろうと、特に誰も気に留めなかった。三席は七番隊舎で射場と酒を酌み交わし終えたところで、これから帰ってくる。五席はいつも通り、美容のために夜更かしすることなく就寝した。
 四席と六名の平隊士がこの屋根の下にいないことには、まだ誰も気付いていない。

 二番隊舎前。
 ちょうど日付をまたいだ頃、大前田は納得いかないと言わんばかりの面でそこに立っていた。仕事をやっと片付けて床に就いたらその直後に砕蜂に叩き起こされ、何事かと思えば「お前が送れ」の一言のみ。頭に疑問符を浮かべてすぐ、その頭の上にやちるが跳び掛かってきたのだった。


「ったく……なんで俺様がこんな夜中に餓鬼を送ってやらにゃならねぇんだ……」

「わぁすっごーい!背中なのにぽよぽよする〜!」

「やめろ俺様に乗っかるんじゃねぇ!背中を揉むな!……いやいやだからって腹も揉むな!」

「あははは、剣ちゃんと違ってやわっこいね!」

「余計なお世話だ、俺様は高貴でふくよかなんだよ!おら、とっとと十一番隊に行くぜ」


 四番隊舎前。
 大前田と時を同じくして、山田清之介もまたこの夜中に外に出てきたところだった。誰に聞かせるわけでもなく盛大に溜息を吐き、普段は人に見せないような荒い仕草でがしがしと頭を掻く。


「まったく……こんな遅くに、もう餓鬼でもない弟を探しに行くことになるとはね……」


 彼の弟である山田花太郎はまだ死神ではないし、真央霊術院に通ってもいない。すらすらと嫌味や皮肉ばかりが口から出てくる兄の清之介と、消極的で自己肯定感がいちじるしく低い弟の花太郎。端から見れば、意地悪な兄といじめられている可哀想な弟としか映らないが……其の実、兄弟仲はさほど悪くもない。休日にはそれなりに実家に帰っているし、弟から訪ねてくることもある。今日は「また鬼道を教えて欲しい」と頼んできたから暇潰しに教えてやり、気付けば夕方になっていて、もう暗いから隊舎に泊まっていけと言った。それが目を離した隙にいなくなり、散歩にでも行ったのかと暢気に考えていたらもう深夜だ。流石に放っておくわけにはいかなかった。


「この死神だらけの瀞霊廷で、花太郎の霊絡れいらくを辿るのは僕でも不可能だな」


 花太郎の霊圧はまだまだ微弱だから尚更である。駄目元で探ってみたがやはり駄目だった。愚かな弟ではあっても、非行に走るような奴でないことは重々承知している。迷子になっていたとしたらどこかしらの隊が保護して連絡を寄越すはずだ。そうでないなら、何か面倒事に巻き込まれたのかもしれない。こういうとき、偏見もあるとは自覚しつつ、まず疑うべきは普段から素行の宜しくない界隈だろう。


「……十一番隊あたり、当たってみるか」


 七番隊舎裏。
 男性隊士全員が風呂から上がるのを待って、最後に一人貸し切りで汗を流してきた狛村が廊下を歩いていると、いつもならもう眠っているはずの五郎の鳴き声がした。狛村が近付いて来たのを感じ取り、「ご主人、大変だ!」と呼んでいるのだ。何事かと思い、寝室に向けていた足を五郎の方へと直した。


「こんな夜更けにどうした、五郎」

「ワゥン、ワンワッフ!」


 五郎は主人に必死に訴えた。ワンワン!ウォフ、ワン、ゥワン。(大変だよ!沙生ちゃんが悪い奴らに連れていかれちゃったんだ)


「……何だと?楠山が?」

「ワン!!」


 ――狛村左陣、特技は“動物と会話ができる”。愛犬の五郎との意思疎通に一切のとどこおりはなかった。五郎はじっと座っていた場所から退いて、沙生が白伏で意識を失う間際に残してくれたものを狛村に示した。五郎が座るとちょうどすっかり隠れる大きさの、そこの芝生が燃えた跡だ。


「これは……桜の絵か?」

「ワフ……ワゥン!ワンワン!」


 彼女が残したのなら、これは間違いなく連れ去られた場所の手掛かりだ。咄嗟にやったことを考えると、回りくどい暗号や謎かけである可能性は低いだろう。ここは単純に桜という名の付く場所か、或いは桜の木がある場所か。しかし瀞霊廷内だけでもそのような場所は山ほどある。商店街や公園、街道、貴族街にも桜という字を含む地名は少なくないし、隊舎や家々の出入口だとか庭だとか、十三ある地区それぞれの敷地には数えきれないほど桜の木が植わっている。何か、他に絞り込めるような条件がなければ彼女に辿り着くのは現実的でない。それでもきっと彼女なら――その“何か”は残されているはずだ。漠然とだが、狛村はそう思った。


「ワンワン、ワォン」

「そうか。担いで運ばれたのなら鼻で追うのも厳しいな……」

「隊長!五郎が珍しゅう夜分に吠えとりますけど、どうかされ――」

「鉄左衛門。訊くが、最近楠山が何か桜に関する話でもしていなかったか」


 普段おとなしい五郎がずっと騒がしくしているのを聞きつけて、若干酒臭い射場がやって来た。しかしすっかり酔いは醒めているようで、引き締まった表情をしている。


「桜ですかい?それならさっき、一角が楠山に花見に誘われたんじゃと話しとりました」

「その場所は?」

「す、すいやせん!儂のことも誘ってきよったんですが都合が合わんけぇ断って、どこでやるんかまでは……」

「そうか。鉄左衛門、斑目を追うぞ。事情は移動しながら話す」


 その追われる男はというと、涼しい夜風を楽しみながらゆっくりと帰路を歩いていた。昼間の強風のおかげで一帯の雲はすべて取り払われて、くっきりとした半月を仰ぐことができる。ほろ酔いの良い気分で隊舎に帰り着くと、十一番隊の敷地では一等月のよく見える縁側に更木が陣取り、猪口ちょこで酒をあおっていた。今宵は静かだ。一角の気配に気付いた更木は、こちらを向かないまま口を開く。


「よお、遅かったな。沙生は一緒じゃねえのか」

「俺よりだいぶ先に帰ったはずですけど……え、帰ってないんですか?」


 沙生は「疲れたし早く休みたい」とはっきり言っていた。それは言葉通りで、今までそう言った彼女が寄り道をしたことはなかったはずだ。いい大人なんだから夜に空けていようと別に構わないのだが、どうも胸騒ぎがする。


「見てねえだけだ。今日はやちるもどっか行ったせいでよく分かんねえしな」

「ああ、俺らが夜中に女性棟に行って見てくるわけにいかないっすもんね」

「……弓親は」

「あいつだって男なんですけど……まぁでも、俺らよりは沙生も気にしないかも……」


 気にするかしないかは本人にしか知り得ないが、この二人ともやや酔っているせいで深く考えないままそうすることにした。一角は既に寝ていた弓親を起こし、理由を話して沙生が帰っているかどうか見てくれと頼んだ。眠たい目をこすり、彼もまた若干ふわふわした思考のまま女性棟まで行き、部屋の障子戸を軽く叩く。


「ふわぁ。まったく人使いが荒いよね。沙生いるかい?……沙生?」


 返事はない。弓親は霊圧も探ってみたが、そこに彼女の存在は感じられなかった。寝ていたとしても、こんなに近くにいて霊圧を少しも感じ取れないはずはない。念のために戸を開けてみると、やはりそこには誰もいなかった。弓親はハッとして来た道を戻り、男性隊士たちのいくつかの部屋の霊圧も探った。睨んだ通り、その部屋にも主は不在だった。


「くそっ、尾焼津たちか……!」


――――――


「……ん……どこだ、ここ……?」


 沙生が目を覚ますと、そこは暗い建物の中だった。しかし座っている場所の感触が床板や畳ではなく土であることから、蔵の中なのではないかと予想がついた。明かりは二階の窓から差し込む月光だけで、目が慣れるまでは辺りの様子を窺うこともできない。


「! め、目が覚めましたか……?」

「誰だ?……いや、その声は……山田か」

「は、はい。ぼく、山田花太郎といいます」


 少し目が慣れてきた。声のする方を見遣れば、向かい側の壁に背を預けている山田花太郎がいた。逆に覚えにくい名前だな、とは思ったが口には出さない。彼は沙生と同様に手足に鎖を巻かれ、満足に身動きが取れない状態でいる。残念なことに、あの後も解放してはもらえなかったようだ。


「すまないね。奴らの目当ては私なのに、君を巻き込んでしまって」

「いいえ!そんなの、ぼくの方が……すみませんでした!」

「あんな状況じゃ仕方ないよ。私は十一番隊の楠山沙生。君は何番隊なの?」

「ぼ、ぼくは……ぼく、まだ死神じゃないんです」

「へぇ、驚いた。あんな高位な鬼道を使えるのに――」


 しかし思い返してみれば、使えていたとはいえ彼の繰り出した六十番代の縛道はその数字には見合わない弱いものだった。人ひとりの動きを封じるのには十分だったろうが、見栄えばかり派手で強さは伴っていなかったのだ。それでつい、前に縛道で縛られたときのことを思い出して苦い顔で呟く。


「でも、まだ山田副隊長の這縄の方が上……かな」

「え、清之介兄さんですか?」

「ほ」


 山田。成程、合点がいった。聞けば彼は四番隊の山田副隊長の弟らしい。……兄弟でも目付きはだいぶ似ていない。それはさて措き、今日は兄に会いに来て縛道を教わった後、一人になった隙に尾焼津らに捕まってしまったんだそうだ。おそらく奴らは「縛道が使えて気の弱そうな者なら誰でもいい」と四番隊に行ったんだろう。それで花太郎が目を付けられてしまったのだ。
 何とか抜け出せないものかと腕を動かしてみたが、鎖はきつく巻かれているうえに南京錠が掛かっていて、力でどうこうするのは不可能である。これが縄だったら“燃やす力”ですぐに解くことができるのだが、鎖ではいくら燃やす対象を絞ったところで頑丈な金属が熱をもつばかりで、肌に触れている部分を大火傷して鎖は断てず仕舞いになるだろう。それは不毛というやつだ。


「うぅ……兄さん、ぼくを探してるんだろうな……迷惑を…」

「弟を探すのに迷惑も何もないでしょう。大丈夫、山田副隊長ならきっと君を見つけてくれるさ」


――――――


「……おい山田」

「なんだい」

「お前が弟を探してるっつーのは分かったけどよ、なんでまだ俺様の後ろをついてくんだよ!?」

「好きでついていってると思うかい?大前田副隊長殿。僕はあてもなくうろうろしている訳じゃないんだ。しらみ潰しに探していては時間がかかって仕方ないだろう」

「だって〜!あはははは!!」


 前頭部をぺちぺちと軽快なリズムで叩く音がした。先ほど瀞霊廷の中心あたりでばったり出会した副隊長三人は、揃って十一番隊舎に向かっていた。相変わらずやちるは大前田の髪やら襟やらを掴んでその背にぶら下がり、好き放題にしている。大前田はここまでの道中で既に怒り疲れていて、されるがままだ。


「おら、もう十一番隊が見えてきたぜ。そろそろ降りろ」

「おや。お出迎えかな?隊長殿がいらっしゃるね」


 小走りで進んでいた一行が門に近付くと、そこには更木が立っていた。更に続いて一角、弓親も外に出てくる。こんな夜遅くから飲みに行こうという感じでもない。斬魄刀をたずさえ、ぴりぴりした空気を纏っていた。


「剣ちゃん、ただいま!」

「やちる。夜中でもぶらぶらしてんのはいつものことだが、副隊長二人も引き連れて何してやがった」

「……俺、別に引き連れられてたんじゃないんすけど…」

「それには同感だね」

「山田副隊長、それに大前田。暇ならちょっと手伝ってほしいんですが」

「おいおい綾瀬川、なんで俺様だけそんな呼び方なんだよ!俺だって副隊長だぞ!?」

「威厳じゃない?それで、何かな」

「はーーーーっ!?」


 弓親にとって大前田は、敵前逃亡した腰抜けで肥満のくせに逃げ足は速い副隊長、という認識だ。これまで直接の関わりはなかったものの、そういう訳で敬おうという気が起きないのである。大前田は、弓親の無礼な態度とやはり感じ悪い清之助のあしらいに米噛みをひくつかせつつ、「こいつらちょっと似てやがるな」と思ったりした。


「うちの四席が帰ってないんだ。それに尾焼津とその手下みたいな五人も隊舎にいない。どういうことか、君なら分かるだろう?」


 弓親は大前田の方を向いてそう言った。そう、二番隊副隊長である大前田には心当たりがある。実は、尾焼津というのは前々からその素行や思想が問題視されていた隊士の一人で、改められないようなら近々“蛆虫の巣”行きになることになっていた男の名だ。彼が虚討伐に出向いた際に犠牲となったとされる流魂街の民の死因に不可解な点があったことに加え、仲間内での暴力に私闘、上司の命令無視といった規律違反を重ねたことで監視対象となっていた。取り巻きの他五名はというと、目に余る素行不良の数々、そして最近では主に隊内の女性隊士である楠山沙生に対しての性差別的な言動、行動。奴らの危ない点は枚挙に暇がない。改めるどころか悪化してきていると先日二番隊に報告したのは他でもない、弓親だった。蛆虫の巣の存在とその制度は一般の死神には知らされていないため、弓親も当然それを知らない。だがあまりに危険分子であると断言できる場合には、刑軍による暗殺や捕縛が許可されることがあるとは知っていた。だから二番隊に報告を上げてきていたのだ。
 尾焼津という男は、蛆虫の巣の代わりに牢獄に入ろうというのか。最後の悪あがきと取れなくもないが、奴に情報が漏れたとは考えにくい。きっと元々、今日ことを起こすつもりでいたのだろうと大前田は考えた。


「尾焼津は前から沙生を狙っていたんだ。奴が沙生を拉致したと考えてほぼ間違いないだろうさ」

「ふうん。それで、これから彼女を一緒に探して欲しいということだね」

「はい。ご協力願えますか」

「駄目だ、こいつは弟を探してるん」
「いいよ。僕も手伝おう」

「はぁーーー!?」

「五月蝿いな。耳元で大声を出さないでくれるかい」


 清之介は片耳を押さえて、鬱陶しそうにじとりとした目で大前田を見――いや、元からこんな目付きだった。
 花太郎を探している身としては、これこそが弟に辿り着ける案件だと思った次第である。今しがた近辺の霊絡を確認してみたが、弟の気配は微塵も感じられなかった。先ほど呟いていたように、流石にどこにいても瀞霊廷中を探れるわけではないが、清之介は元々霊圧探知に長けている。ここまで来てしまえば、十一番隊の敷地内を探ることくらい造作もなかった。どうやら此処で絡まれていたのではないらしい。となれば、弟はその事件に巻き込まれたのだろうと当たりをつけたのだ。


「りんりんがいなくなっちゃったの?剣ちゃん、すぐさがしに行こう!」

「面倒くせえがウチの隊のごたごただしな。さっさと沙生見つけて、奴らはぶった切るか」

「すぐぶった切っちゃ駄目ですよ。一応、捕らえる努力はしてください」

「おーし、じゃあ手分けして探すぞ!」


 一角がそう言うと、この場にいた六人は方々に散った……かと思ったのだが、何故か清之介と大前田は一角の後について来ていた。


「何だァ?手分けするっつったろが」

「気にしないでくれ。君は常々『自分はツイている』と吹聴ふいちょうしていただろう」

「おい山田、まさかそんな理由で俺様も引っ張ってきたってんじゃねぇだろうな?」

「それだけじゃないさ。僕、勘は冴えてる方なんでね」

「そんな理由じゃねぇか!!」


 出だしの一歩目で半ば強引に引っ張られ、仕方なく一緒に来ていた大前田は本日渾身のツッコミを入れた。
 三人で廷内の道を走りながら沙生の霊圧を探していると、向こうから誰かがやって来るのが見えた。あれは護廷隊屈指の大男の影。鉄笠を被った七番隊隊長狛村と、それに続くのはサングラスをかけた副隊長射場である。


「待て斑目。この夜更けにその様相であるなら、楠山がいないことに気付いたのだろう」

「はい。狛村隊長はどうして……」

「楠山は七番隊の隊舎裏で攫われたのだ。五郎が教えてくれた」

「そうですか、五郎が――えぇ!?五郎が!?」


 思わずって叫んだが、この場で驚いているのは一角だけだった。後ろの二人は五郎が犬だということを知らないから首を傾げている。勿論、射場は狛村の特技のことは既に知っていた。


「楠山は手掛かりを残してくれた。斑目は桜と聞いて、何か心当たりはあるか」

「芝生を鬼道で燃やすかなんかして桜の絵みたいのを残していったんじゃ。ほれ一角、花見に誘われたとか言うとったじゃろう」

「桜……」


「十三番隊に立派な桜があるんだって。お花見に誘ってもらったんだけど、一角もどう?弓親も一緒にさ」


「……十三番隊だ!あいつ晩飯のときも『普段はひっそりしてる場所らしい』とか言ってやがった」

「成程。桜の開花前のあの辺りは、瀞霊廷の端なこともあって本当に人が寄り付かない場所だよ。尾焼津って奴は良い場所を選んだね」

「おい山田!敵を褒めるんじゃねぇ!」

「何だか『おい山田』が僕の名前みたいになってきてないかい。でもやっぱり、僕の勘は冴えてただろう?」

「ぐっ……」


 熟々むかつくやつだと思ったが、その通りであるだけに反論もできない。大前田が謎の敗北感に襲われて両手の曲げた指をぴくぴくさせていると、清之介は更に勝ち誇ったような表情をした。「この野郎!」とでも言ってやろうとしたが、狛村が口を開いたので何とか抑えてフンと鼻を鳴らすだけに留めた。


「ならそこは任せよう。儂らは念のため他の場所を当たる」

「分かりました、お願いします」


 狛村と射場とは別れ、また夜道をひた走る。十三番隊裏手の端の方にあるという桜を目指して、三人は速度を上げた。

 そこは十三番隊の敷地内ではあるものの、隊舎からはずっと離れた裏手の端のさらに奥。聳える一本の立派な桜が満開にでもならない限り、人っ子ひとり寄り付かない場所だ。桜の後ろにまたひっそりと建つ古い蔵の中に、沙生と花太郎は監禁されていた。


「はぁ……ぼくたち、どうなっちゃうんでしょう……」

「気持ちは分かるけど、溜息ばかりつくのも良くないよ」


 花太郎は憂い、めそめそとべそをかいていた。沙生と喜之助のような義理の関係ではなく、清之介とは血の繋がった兄弟であるなら、花太郎は尸魂界で生まれた身であるはずだ。見た目では少年と言っても差し支えないが、現世の少年よりずっと年は上だろう。もっとしっかりして貰いたい。あまり目の前で不安そうにされると、こちらも心細くなってきてしまう。
 ざり、と足音が聞こえた。蔵の出入口の方からだ。


「誰か来た……?に、兄さんかな」

「いや。残念だけど――」


 重く軋む音を響かせながら蔵の戸が開かれた。そこに立っていたのは花太郎が待ち侘びる兄ではなく、下卑た笑みを浮かべている尾焼津の手下たち五人だった。


「気分はどうです?楠山四席」


 分厚い戸が閉まり、蔵の中は再び暗くなる。奴らはにじり寄ってきて沙生を囲むように並び立った。どうも人を見下すのが好きな連中のようだ。沙生は毅然とした態度を崩さないでいるが、花太郎はぶるぶると震えてしまっている。


「尾焼津さんは貴方を殺せればそれで良いらしいけど」
「俺らはちょっと楽しませてもらわないと気が済まないんですわ」
「どうせ蛆虫の巣にぶち込まれんなら、その前に……」
「調子乗ってるあんたに教えてやるよ!」
「上に立つ女はいらねえってなぁ!!」


 五人のうち一人の男が、沙生の胸倉を掴んで恫喝する。至近距離なものだから汚い唾がいくらかかかり、嫌悪感でつい眉を顰めた。その様子を見た男は胸倉を掴んだままガンと壁に叩きつけ、身動きの取れない沙生を掲げるようにして持ち上げていく。花太郎は嗚咽おえつ混じりに「やめて」と言い続けているが、その言葉に耳を貸す者はいなかった。


「足の鎖だけは解いてやるよ。邪魔だからな」


 さっと血の気が引いていく。それと同時に、怒りが込み上げてきた。
 足にかかる鎖の鍵が外され、じゃらじゃらと音を立てて落ちた。沙生は自由になった足で胸倉を掴む男の鳩尾に蹴りを入れようとしたが、見越していたかのように他の者がそれを掴んで止めた。ならばと力を込めて上半身を振り、正面にいる男の鼻に頭突きを喰らわせる。今度は真面に入り、一人を昏倒させた。それでもあと四人。乱暴に掴み上げられたせいで死覇装の胸元はあわやというところまで開きかけ、そこに手が伸びてきた。沙生はさっと腰を折り、その手首に噛みついて抵抗する。だがその隙に別の者が袴の裾を裂き、もう一人は噛みつくのをやめさせようと肩を殴ってきた。


「、うっ」

「おとなしくしやがれ!!」


 よろけた沙生を背後から抑えつけ、うつ伏せにさせた上に一人が跨がってきた。
 もう、駄目だ――


「ここか!!沙生!!」


 駆けつけて力いっぱい戸を押し開けた一角が目にしたのは、ちょうどじわりと目に涙が滲んだ沙生の姿だった。


「――貴様らァア!!!!」


 沙生はこのとき初めて、一角が激怒する様を見た。鼻血を流して倒れている男の背中を思い切り踏みつけた後、躊躇なく斬魄刀を抜き、沙生に跨がっている男に斬りかかった。しかしその刃は後方に立っていた別の男の斬魄刀に防がれる。そうしている間に、五人のうち三人が戸外に逃走していった。


「三下ァ!!その程度で防いだ気になってんじゃねぇぞ!!」


 十一番隊第三席の剣を受けて、奴が稼げた時はほんの僅かであった。あっという間に圧しきられ弾かれて、前が空いたところを容赦なく袈裟斬りにされた。


「花太郎。やっぱりいたね」

「あ……せ、清之介兄さん……!」

「ぶるぶる震えてくれるなよ。鎖が外しづらいだろう」


 清之介は斬魄刀を真っ直ぐにして、柄の天辺から押し込むように鎖に突き立ててそれを断ち切った。花太郎は兄が来てくれたことと沙生が寸前で助かったことにほっとして、またしくしくと泣き出した。泣き腫らした目はもう真っ赤だ。


「大前田副隊長殿、ぼうっとしてないで逃げた奴らを捕らえてきてはどうかな」

「い、言われんでも分かってらぁ!しかし追いつくのは簡単だが、何で捕らえりゃいいんだ……?」

「は?何って、君は腐っても隠密機動だろう。標的を捕らえるのに縛道以外の何があるって言うんだ」

「俺、鬼道は苦手でよ……つうか、腐ってもとか言うんじゃねぇ!!」

「そうなのか、君の御父上は鬼道の達人だったのに。そんなんでよく副隊長をしているね。七光りかい?」

「てめえは言葉選びが絶妙に陰険なんだよ!とりあえず熨してくりゃ文句ねえだろ!?っ潰せ!『五形頭げげつぶり』!!」


 こんなときでもツッコまずにはいられない。主にやちると清之介のせいで、嫌でも板についてきてしまったようだ。しかし二番隊副隊長ともあろう者が鬼道が不得手とは、果たして本当に大丈夫なのだろうか。大前田は斬魄刀を解放し、鎖の先に星球の付いた武器に変形させると、逃げた奴らを追っていった。


「やれやれ。あんな形状じゃ誤って殺しかねないじゃないか……花太郎、ここは任せてもいいか」

「は、はい……!」

「応急処置だけでいい。できるね?」

「だ、大丈夫です!行ってください、兄さん」

「頼んだよ。あと、念のため――縛道の四『這縄』」


 一角に袈裟斬りされた男と、鼻血を流して倒れている男に向けて放つ。沙生が評すには花太郎の六十番代の縛道よりも強いというそれは、的確に二人の手足に巻き付いて身動きが取れないよう封じた。これなら万が一奴らの意識が戻ったとしても危険はないはずだ。清之介は大前田に代わって逃走した三人を縛道で捕らえるべく、蔵から去っていった。


「沙生、起き上がれるか」

「うん……一角、来てくれてありがとう」


 もう彼女の目から涙は消えていて、にっこりと普段通りみたいに笑う。けれど一角はどこか遣る瀬無くなって、一瞬だけ、心臓が止まったような苦しさを感じた。


「あっち向いててやっから、とりあえず襟を直せ」

「あ、わわっ、ごめん!」

「謝んなチクショー!」

「えぇ、どうして一角が泣くのさ。泣かないでよ」


 沙生はおろおろしながら襟を正し、眉尻を下げて困ったような表情を浮かべている。花太郎が応急処置を施そうと立ち上がると、突然、一角は目にも留まらぬ速さで沙生を抱えて瞬歩で花太郎のすぐ隣に来た。そしてその直後、蔵の戸が凄まじい音と共に吹き飛んだ。ついさっきまで二人のいた場所は、飛んできた斬撃のようなものの所為で地面が無惨にえぐられているではないか。


「……けられてしまいましたか。残念」

「首謀者が見当たらねぇんだ。警戒を解くわきゃァねぇだろ」


 今の攻撃を放ったのは尾焼津だった。手下たちの余興には加わらず、沙生を殺しさえできればそれでいいと、陰に身を潜め機を窺っていたのだ。


「まさかこんなに早く見つかってしまうとは。楠山四席、何かしてくれましたね?」

「……言うわけないでしょう」

「はっ。……そういうとこだ!この期に及んで!上に立った気でいやがる!!」


 尾焼津は再び斬魄刀を振りかぶった。こちらは奴の斬魄刀の名も能力も知らない。形状はアイスピックを巨大にしたような物だ。先ほどの攻撃を見る限りでは、先端から見えない衝撃砲のようなものを飛ばし、それが着弾した所がズタズタに切り裂かれる。これは能力というより技の一つだろう。放たれてから着弾まで可視的でないため、避けるにはあの斬魄刀の先端がどこを向いているのかよく見ていなければならない。


「一角、離して!散ろう!」

「おう!おいそこの山田弟!てめえはとにかく逃げてろ!!」

「は、はいぃ!!」


 次々と衝撃砲が飛んできて、古い蔵の壁のあちこちが崩れていった。このままでは建物がまるごと潰れてしまう。沙生は棚の上にある己の斬魄刀を見つけ、それを手にしてから壁に開いた穴から外に出た。一角と花太郎も、それぞれ別の穴から蔵を脱出する。


「クソアマが!ちょこまかすんじゃねぇ!でないと――」


 先端は花太郎のいる方に向けられようとしていた。気付いた一角が瞬歩で尾焼津との間合いを詰め、その刀身を切り上げて先端を何とか上空に向けさせた。衝撃砲は天に撃ち上がることになり、尾焼津もまた瞬歩で距離を取る。


「邪魔しないでくれますかね斑目三席!あんたのことはそこまで斬りたいと思ってねぇんですよ!」

「黙れ。ぎゃあぎゃあえるばっかでよえぇ奴が」

「チッ……楠山沙生!俺はてめえが気にくわねぇ!女が上に立って何になる!?無理なんだよ!!どんなに足掻こうが所詮は弱者だ!!どうせ……クソッ、クソ!!蛆溜まりみてぇなとこに隔離される前に――俺が殺してやる!!」

「なら私を斬り伏せてごらんよ。正々堂々やりもしない貴様に言っても、馬の耳に念仏かな」


 剣の腕ならこんな奴に負けはしないのだ。今度は沙生が尾焼津との間合いを詰め、斬り込んでいく。
 女だから。新入りだから。気にくわないから。どれも下らない理由だ。何かと因縁をつけてはおとしめるなぞ臆病者のすることだ。受け入れ難い真実から目を逸らして自分を正当化するのは楽でいいだろう。だが、それだとそこから先は何も生まれないし、成長もしない。


(ならば沙生。目を逸らせなくなるほど、我らの強さを其奴の身に刻んでやろう)

「そうだね。そうしてやろう、ハク」

「俺が、負けるはずが……!!」


 剣を見切れず、尾焼津は体にいくつもの傷を創っていく。最後に、沙生は駄目押しの一振りを叩きつけた。正面から斬られた尾焼津は、両膝を突くとうつ伏せに倒れ込んだ。卑怯な手を加えなければ、奴が彼女に勝てる道理はない。


「やったな、沙生」

「加減はしたよ。反省してもらわなきゃならないし。あとは刑、ぐ……!?」

「なっ……!?くそ、上か!」


 またしても彼女の左足の甲にぐっさりと突き刺さったのは、今度は苦無くないだった。高く聳える桜の木の上からそれを投げてきた者を見留める。口元を布で覆い隠した黒ずくめの独特な装束は、隠密機動のものに相違ない。左足に刺さった程度は奴からすれば外れだったのか、今度はより急所に狙いを定めて二投目を寄越してきた。一角はすかさず鞘で払い、痛みで動けない彼女を苦無から護る。


「ンだよ……てめえ、何者だ!」


 一角は隠密機動が沙生を襲うことを理解できないままでいたが、まず奴を捕らえようと飛び掛かっていった。桜の木から塀の上に移り、両者は戦いを始める。
 隠密機動所属でない一角や沙生には知り得ないことである。どうにも尾焼津らは自分たちが“蛆虫の巣”行きになることを知っている風だった。表向きには脱隊という扱いにして秘密裏に行われてきた制度であり、これから収容される予定の者であろうと事前に知らされることはない。それを知っていたということはつまり、情報を漏らした内通者がいるという以外にない。この見知らぬ隠密機動は、尾焼津らの仲間だったのだ。


「ああ、ひどい……!沙生さん、今すぐ止血を…」

「! 花太郎、寄るな!!」

「え、」

「死ねえぇ!!楠山!!!」


 胸のあたりから血が流れるのも構わずに、倒れ伏せっていた尾焼津が渾身の霊圧を込めた衝撃砲を放ってきた。足は酷く痛むが、少し無理をすればこれをけることはできる。それでも、沙生はすぐには動かなかった。
 ――背後に、一本の桜の木がある。

「ああ……楽しみが増えると、早く元気になれる気がするよ」

「隊士みんなで大切にしてきた自慢の庭だから、そう言ってもらえると何だか嬉しいわ」

「あいつは好きそうだから喜ぶんじゃねぇか?俺も花見酒はしてぇな」


 ほぼ無意識だった。
 刀を抜いて精一杯の霊圧を込め、同時に詠唱破棄した赤火砲も出し、向かい来る衝撃を相殺に掛かっていた。


「馬鹿野郎!!けろ!!」

「沙生さん!!」


 一角と花太郎が叫んでもどうにもならなかった。倒れた彼女の後ろには、一本の桜の木がある。


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