かわりものによるかわりもの(げ)
※『変はり者に寄る変はり者』には(上)と(下)があります。
四月。朝、起きたら肌寒いなんてことも少なくなってきた。若い草花の芽吹く香りと優しい風に包まれながら、自室の前の縁側で座禅を組む。毎日こつこつ仕事の合間に、女性用のこの棟の掃除と庭の手入れを地道に頑張ってきたおかげで、居心地はだいぶ良くなっているのだ。埃でくしゃみをすることはもうなくなった。変わりやすい気温とか花粉のせいで、たまにちょっとムズっとくることはまだあるが。
(――っくしゅん)
(おはよう沙生。くしゃみをしつつここに来るとは、もう我との同調は朝飯前か)
(へへ、失礼しました。おはようハク。もう春だね)
初めて見たときには、白い花畑と見間違えた白焔の海。そこの一部をじっと見つめて、ひょいと花が咲く想像をすれば、焔はかわいい花の形になった。自分の精神世界なのだから、これくらいはできる。
(ほう、器用なものだな。何の花のつもりだ?)
(
(あの盆栽か。どこから持ってきたのだか、やけに立派だったな。しかしまだ花はついていなかったろう)
藍色で丸みを帯びた大きな鉢に植わった白鳥花。土は苔むして、中心から生える幹は良い感じにくいっと曲がりうねり、そこには小人が座れそうな。
「りんりん!これあげるねー!」と、自身よりもずっと重そうなそれを軽々と頭上に担いで持ってきた副隊長には驚かされた。素人目から見ても立派なその盆栽はいったいおいくらなのか。何という種類なのかも分からないでいたが、先日ここで御厨さんと勇音さんとお茶をしたときに、二人が白鳥花であると教えてくれたのだ。葉の形で分かったらしい。ハクの言う通り花はまだついておらず、開花の時期は一月ほど先のこと。しかしどんな花なのか気になった私は、四番区の図書館で調べてみたのだ。はっきりと五つの花弁が開き、桜にも少し似たかわいい白い花だった。八重咲きになる株もあるそうだが、これはどちらなのか、今から楽しみである。
(咲いたらこんな感じかなあって。それにしても白鳥花なんて、ハクにぴったりじゃないかい)
(……そうだな。あの副隊長が何を思って選んだのか、我には知る
ハクは私の隣からさっと飛び立って、翼で焔を扇いだ。綿のように浮かび上がった火の粉は、私がやったのと同じように花を
(綺麗だね……あ、ねぇ、焼き鮭のにおいしてきた。早く行かないと朝ごはんなくなっちゃう!)
(……花より団子)
(ハクだって知ってるでしょ、うちの隊みんな残しておくとか考えないんだから)
(分かっとるわ。そら、行ってこい)
ぱちりと現実の身の目を開いて立ち上がり、食堂へ急ぐ。まず、お釜を確認。残りはちょうど茶碗一杯分。こちらに向かってくる足音はおそらく新入りのものだろうが、知らない振りをしてご飯を盛った。朝ごはん確保、成功である。最後の一つの焼き鮭と漬物もお盆に乗せ、鍋を確認すると味噌汁も残り少なく、沈んだ味噌っかす多めの一杯になった。今度ここの壁に『味噌汁はおたまでかき混ぜてから分けましょう』って標語でも貼っておくか、なんて考えながらいつもの席に向かう。
「おはよう、沙生」
「おーす、ちょっと遅かったな。寝坊か?」
「おはよう。いやぁ、春風が気持ちいいな〜なんてぼんやりしてたら、ちょっとね」
もう半分ほど食べ終えている弓親の隣であり、口の横に米粒をつけた一角の斜め向かいの席にお盆を置く。いま食堂に入って来た寝坊した新入り数名は、空のお釜を覗き込んでがっくりと肩を落としている。入隊したてのくせに
「隊長、副隊長、おはようございます」
「おう」
「おっはよ〜!」
一列向こうの席では、更木隊長が食後の茶を飲んでいるところだった。隊長は背が高くて体格も良いから、目の前にいるよりもこれくらい距離がある方が目が合って話しやすい。一角と弓親によれば、私が入隊するより前は、隊長が朝の食堂に来ることは少なかったらしい。それがどうして毎朝ここで顔を合わせるようになったのかというと、原因は――
「今朝も総隊長殿と?」
「ああ。昨日より手応えあったぜ……!」
「剣ちゃんその調子!明日もがんばろうね!」
この通り総隊長にある。入隊試験乱入事件のときの、あのやり取り。
「ここまでにせい。暴れ足りぬなら儂が稽古をつけてやろう。好きなときに一番隊隊舎に来れば良い」
「爺が相手してくれんのか?そりゃいいかもしれねえな」
あの翌日には、隊長は総隊長とやり合おうと一番隊舎に意気揚々と乗り込んだ。ところが、どうやらそこでうまいこと総隊長の口車に乗せられたらしい。何を言われたのか知らないが、何故か毎日早朝限定の剣道の稽古を受けているのだ。力がついてきているという実感があるみたいで今は満足気だが、そのうち乗せられたことに気付いてぱったり止めてしまいそうだ、とは十一番隊の誰もが思っているが口には出さない。おかげですっかり規則正しい生活を送っている隊長は、稽古の後、腹を空かせてちゃんと食堂に来るようになったという訳だ。
「ところで、沙生」
「はい、何でしょう隊長」
「昨日も涅んとこ寄ったそうじゃねえか」
「あら、どうしたんです?浮竹隊長みたいなこと訊きますね」
「……何もねえなら別にいいんだがよ」
「あそこ雰囲気は怪しい施設ですけど、局員の皆さんは気さくですよ」
「お前ぐらいじゃねえか、そんな風に思ってんのは」
「大丈夫ですって。でも、ご心配ありがとうございます」
そんな風に言えば、隊長は「違ぇよ」みたいな顔になったけど、面倒くさくなったようで何も言わずにまた茶を啜った。敵に回せば死ぬほどおっかない人だけど、普通にしていれば案外わかりやすいし良い上司なんだよな、と最近は思い始めていたり。
瀞霊廷は十三の地区に分けられ、そこにそれぞれの数字を背負った護廷隊が拠点を構えている。中央付近にも各隊の駐屯所は存在するが、大勢の隊士が寝起きして仕事をこなす場は拠点である各隊舎が基本だ。十一番区にある十一番隊舎から他地区にある他隊舎への移動は割と時間を食うため、その日の内に書類を届けるには比較的瞬歩が得意な者でないと務まらない。運ぶだけでも立派な仕事なのである。
私は入隊前のあれこれのおかげで十三番隊とは仲良くさせてもらっていて、それを知る十一番隊の部下は十三番隊あての書類があれば私に回すのがお決まりになりつつあった。それがなくても海燕さんや仙太郎さんに鍛錬に混ぜてもらったり、浮竹隊長や見坊さんと庭を眺めながら休憩したり、清音さんや沢子に誘われて食事を向こうの隊舎でとることもある。そうして十一番隊と十三番隊を行き来していると自然と他隊の人たちともよく会うのだが、どういう訳か十二番隊の人にはなかなか会えない。会った
「楠山四席。これ十三番隊になんすけど、お願いしていいすか」
「はいな、そこ置いといて」
「俺も!これ、十二番隊への書類です。俺なんかあそこ苦手で……」
「なんだぁ?肝の小せぇ野郎だな」
「一角、別にいいから。任せて」
「あ、ありがとうございます!」
今日はどちらにも行く用事ができた。大切な書類は折れない様に厚紙に挟み、肩掛けの鞄に入れて運ぶ。十三番隊を後に回せばまた夕食に誘ってもらえるだろうが、今日は十一番隊の献立が好物だから早めに帰ってきたい。先に十三番隊での用事を済ませるとしよう。
「ごちそうさまでした。じゃあ、行ってきます」
「待ちなよ。何か、僕に頼みたいことがあるんじゃないかい」
「……夕飯、私の分もよそっておいて貰えますかね」
「了解。行ってらっしゃい」
そういえば、こないだ食堂の出入口で立ち話したときに、献立表を見ながら好物の話とかしたんだっけ。弓親は人に関心がないように見えて、けっこう些細なことを覚えていたりする。気の利く同僚がいるのはありがたいことだ。こちらに背を向けたままひらひらと手を振る弓親には見えないだろうが軽く手を振り返して、食堂を出た。廊下ですれ違った隊士の中で、上司……主に私に対して反抗的な数人が嫌な視線を送ってきたが、ここは無視だ。関わらないのが一番いい。
十二番隊舎の門の前を通り過ぎる。ここら一帯は午前中はいつも静かだ。技術開発局には夜型の人が多いから、今の時間だと起きている人もまだ少ないんだろう。そこからは早歩きというには人間業ではなく、瞬歩というには少しばかり遅い、微妙な速さにステップを加えた独特な歩き方で十三番隊舎前まで行った。私のこの変な歩法は、草鹿副隊長によって死神スキップと命名されている。完璧に習得しているのは私と副隊長だけで、面白がって真似しようとした一角がすっころんで犬の糞の上で尻もちをついたなんてこともあったのだが、まあそれは今どうでもいいか。
渡り廊下を歩いている清音さんを見つけた。水の汲まれた重そうな
「手伝いますよ、一緒に持ちましょう」
「沙生さん!ありがとう、助かるわ。よっこい……しょっ」
「よいしょっと。どこまで運ぶんですか?」
「
たぷんと中の水が揺れて、二人で運ぶのもけっこう難しい。ゆっくり慎重に歩いて、やっと雨乾堂の前まで辿り着いた。木盥はいったん置いて、清音さんは中にいる浮竹隊長に声をかける。
「浮竹隊長ー!清音です、入っても大丈夫ですか?」
「ああ……大丈夫だ」
「じゃあ私はこれで……」
「遠慮しないで、ちょっと会っていきなさいよ。浮竹隊長も喜ぶわ」
とん、と背中を押されたので中にお邪魔する。浮竹隊長は布団に横たわり、額に右手の甲をのせて目を閉じていた。元々病弱な人である。最近まで調子良さそうだったのが寧ろ珍しかったらしいのだ。せっかくいい天気なのに、新年度を迎えてからというもの、こうして伏せっていることが多い。
「沙生……?せっかく来てくれたのに、すまないな。こんな調子で…」
「ああ、起き上がらなくていいですから。すまなくもないです」
上体を起こしかけた浮竹隊長の肩をそっと支えて、また寝かせる。清音さんは木盥に浸してあった小さな手拭いをぎゅうと絞って、浮竹隊長のおでこに優しくのせた。彼女は四番隊にいた経験はないそうだが、手当や看病がとても上手な人だ。先月、確か隊首会が開かれた日に、どういう訳かそれをすっぽかした海燕さんが私に修行をつけてくれたことがあった。そのとき腕に木刀をくらってできてしまった痣を、清音さんは手際よく治療してくれたのだ。回道の筋の良さは勇音さんにも引けを取らないもので、感心したものである。
「ところで、沙生」
「何ですか?浮竹隊長」
「昨日もまた技術開発局に行ったそうだけど…」
「ふっ、ふふ」
「どうして笑うんだ。心配してるんだぞ」
顔を合わせる度にこうなのだ。更木隊長も浮竹隊長も心配し過ぎだと思う。ちょっとしつこいくらいだけど、そこがまた、ああ本当に心配してくれてるんだなと分かって嬉しかったりする。
「分かっておりますとも。何も問題ありませんでしたよ、ご心配なく」
「……それなら良いんだ。……ゴホッ、」
「ご自分の体の方を心配してくださいな。ちょっと良くなったら、皆でお花見でもしましょう」
「そうか、もうそんな季節だな。どんな頃合いだろうか」
「見頃はまだ先じゃないですかね?だからゆっくり焦らず、です」
「ああ……楽しみが増えると、早く元気になれる気がするよ」
顔色はあまり優れないままだが、浮竹隊長は目元を緩ませて微笑んだ。この人と話していると自然と肩の力が抜けるというか、時間の流れがゆっくりになる感じがする。とても落ち着くのだ。てきぱきと手を動かしていた清音さんは、今の花見の話題に目を輝かせて私の方に身を寄せてきた。
「お花見なら、十三番隊の敷地内にも立派な桜があるわよ!普段はひっそりしてる場所なんだけど、満開になると他の隊の人も見に来るの」
「へえ、見てみたいです。ここのお庭、植物の種類は豊富だし整っていて綺麗で、飽きませんよね」
「隊士みんなで大切にしてきた自慢の庭だから、そう言ってもらえると何だか嬉しいわ」
それから、三人で桜以外にも色んな花の話をした。向こうの小道は今は緑一色だが初夏には
「近々一緒にお花見しましょうね!」
「是非。では失礼しますね。浮竹隊長、お大事に」
「ありがとう。沙生は鍛錬もいいが無理はしないようにな」
「はい」
今日は夜に稽古場に顔を出すくらいになると思います、おそらく。手の豆や軽い打ち身、
雨乾堂を出て、もうすっかり迷わなくなった廊下を歩いていると、見覚えのある背中が見えた。引っ掴んでぶん投げようとしたけど敢えなく未遂に終わった、真っ直ぐの。
「白哉さん、こんにちは」
「ん……楠山沙生か」
当然だが、いま彼が着ているのは死覇装だ。入隊試験では白い着物に紺の袴だったから新鮮な感じがする。振り返って立ち止まってくれたので近くに行くと、横に並んだところで自然と歩き出した。会うのはあれ以来だが、息が詰まることはない。身近な貴族様代表が海燕さんであるせいか、私の貴族に対する距離感が麻痺しているのかもしれないが。
「今から帰るところですか?」
「ああ。父様――……いや、副隊長に頼まれたものを提出してきたところだ」
言い直した。新入隊士名簿が各隊に配られた日、私はまず十一番隊に何人来るかを確認し、次いで白哉さんは何番隊なのか探した。やはり彼は六番隊で、自分の祖父が隊長、父が副隊長である。仕事中かそうでないかで呼び分けするのは慣れるまで大変そうだ。長い廊下を進んで玄関までやって来たところで、白哉さんはふいに私の方を見て少し笑った。
「……草履を履くのを忘れるなよ」
「なっ……も、もう忘れませんよ!ていうか白哉さんは忘れてください」
「っ、あはは、はは、」
ついさっきまで仏頂面みたいだったのに。でもこの人もこういう笑い方もするんだな、と親近感が湧いた。ひとしきり――といっても短かったが、まあまあ笑った後「ふう」と一息つくと、私がちゃんと草履を履いたのを見届けてまた歩き出した。
「もうお昼ですけど、隊舎に戻られます?」
「昼食はいつも六番隊舎でとっているが、今からではな……どこか店にでも寄ろうかと思う」
十三番隊と六番隊は殆ど正反対に位置している。白哉さんならぶっ続けの全力の瞬歩で帰ればそう時間はかからないだろうが、ご飯を食べに帰るのにそれは滑稽である。まずやらないだろう。
「この辺だと美味しいお蕎麦屋さんが……あ、でもお口に合いますかね」
「…………。」
「白哉さん?」
ごそ、ごそ。並んで歩いていたはずなのに私の視界から消えていた白哉さんは、後方で立ち止まって自分の懐やら袖の下やらを探っていた。
「……もしかしてお財布」
「……黙れ」
「ぷ、っははは!そりゃないですよ」
人のこと言ってからに。自分でもそう思っているのか、私が抑えきれなくて笑ってしまっても強く言い返してこない。しかしまあ、彼は瀞霊廷随一の貴族だから、財布を持ち歩く習慣がなくても仕方ないのかもしれない。入隊してからそう間もないし、仕事中にここまで六番隊舎から離れたのも初めてなんだろう。
「お代は私が持ちますから、一緒にお蕎麦屋さん行きましょう」
「恵んでもらうなど」
「別に貸しにしようなんて思ってませんよ。お昼にお誘いしてるだけです」
「しかし…………」
「どうしても気になるなら、いつかお返ししてくだされば良いじゃないですか」
「……はぁ。分かった、誘われよう」
暫くじぃっと難しい顔をしていたが、とうとう観念したらしい。雑貨店や食事処が並ぶ商店街を進み、目当ての蕎麦屋までやって来た。混む時間はこれからだから、まだ席は空いているようだ。店の横には枝垂桜の木が植わっている。
「おっ、日当たりの良いところはもう
「そうだな。我が屋敷の桜も、もうじき咲く頃だ」
「良いですねぇ……お屋敷の桜はそれは見事なんでしょうね」
「……桜が好きか」
「はい。散るところも含めて、美しくて情緒があって」
「そうか。私もだ」
店に入って奥の方の席に座り、天ざるを二つ注文して、待つ間は窓からさっきの蕾を眺めた。蕎麦は白哉さんの口にも合ったようで一安心だ。庶民といえど毎日蕎麦を打っている職人さんの老舗なのだから、美味しいに決まっているのだが。私がこの店は海燕さんに教えてもらったのだと言うと、白哉さんは少し焦った様子で周りをきょろきょろと見回した。前に海燕さんの話をしたときも「志波家のあの」とか言っていたし、知り合いなのはほぼ間違いないだろう。私たちが店を出る頃には並ぶほど混んでいて、少し早めに来て良かったと思った。
「馳走になったな。礼を言う」
「どういたしまして」
「あれ?楠山さんじゃないですか!そして一緒にいらっしゃるのは……」
並んでいる内の一人が声をかけてきた。誰かと思って見てみれば、前に取材されたときにカメラで写真を撮ってくれたあの九番隊隊士だった。周囲の他の人には見覚えがないが、皆こちらに注目して一様に何か話し始める。
「白哉さん有名人ですね、皆さんこっち見てますよ」
「……どちらかというと兄の方を見ていると思うぞ。今月号の瀞霊廷通信、読んでいないのか」
「忙しくてまだ。そういえばもう発行されてましたっけ」
「ネタに事欠かな……いや編集部の救世主!お二人はご友人だったのですか!?ちょっとお話を」
そういえば、訊かれなかったし話す必要性も感じなかったから別に構わないだろうと思って、白哉さんのことは話していなかったか。九番隊隊士の声を聞いて、蕎麦屋に並んでいない人まで集まってきた。白哉さんはあからさまに嫌そうな顔になってきたし、これはちょっと。
「午後も仕事がありますから、今は……」
「少しだけでも!お願いします!」
「いえ、ですから」
「沙生」
白哉さんがぽんと肩に手を乗せてきたので振り返ると、どこか向こうを指差した。その方角を見ると周囲の人もつられてそっちを向いて、その瞬間にびゅんと景色が動いて、止まった。瞬歩で離れた場所まで引っ張ってくれたようだ。
「さすが、やっぱり速いですね」
「まったく……」
商店街を出た所の曲がり角の先、人通りもまばらな水路の脇道だ。「ここまで来ればもう大丈夫」なんて、よく聞くようだけど実際に思うことになるとは考えなかった台詞が思い浮かぶ。
「まだ仕事があるからな。六番隊舎に戻る」
「私もです。十二番隊に行かなきゃ。あ、そうだ」
「? 何だ」
「手合わせ。今度都合のいい日に、七番隊舎の裏山でどうです?狛村隊長なら快く貸してくださいますよ」
「入隊して二月足らずだというのに、兄は顔が広いな」
「副隊長の射場さんがついこの間まで十一番隊だったので、そこから伝いで」
「成程。分かった、空きができたら連絡しよう」
「はい!ではまたいずれ」
軽く手を上げて返答した白哉さんは、瞬歩でぴゅんと水路を飛び越えると六番隊の方へ帰っていった。私はまた死神スキップで十二番隊舎前まで行き、技術開発局内に足を踏み入れた。ちょうどそこを歩いていた鎖のお下げの久南ニコさんと挨拶を交わし、日中なのに薄暗い通路の奥へと進む。それにしても、何度見ても独特な髪型だ。しかしここには髪型以前に角が生えていたり、レバーを回すと眼球が出てくるような人もいるから、この程度で驚いてはいられない。局長さんなんて白黒だし。以前ニコさんから聞いた話だが、猿柿副隊長は彼のことを度々『妖怪白玉団子』なんて呼んでいたらしい。
コンコンと戸を叩けば、中から「入り給え」と声がした。やはり今日もこの研究室に籠っているようだ。
「失礼します。十一番隊の楠山です。局長さん宛ての書類をお持ちしました」
「御苦労。そこに置いておいてくれ給え」
モニターを見つめたまま、右手中指のひときわ長い爪で机の上を指す。そしてそこには、またこれ見よがしにお茶とお菓子が用意されていた。三度目に十二番隊を訪れたときからよくあることなのだ。貰い物だが食べきれないから、とかなんとか。
「まだあったんですか?いくら日持ちするといっても味落ちしますよ」
「つべこべ言わずに処理するんだネ」
「はぁい。いただきまーす……ん、これ凄く美味しいですよ!おひとついかがですか」
「コラ、こっちに持って来るんじゃないヨ!鍵盤にカスが挟まったらどうしてくれるんだネ」
「分かりましたよ。じゃあ放るんで口でキャッチしてください」
「莫迦なのかネ!?」
局長さんは思わずといった風に振り返り、私がずいと菓子を差し出せば諦めたように一つ摘まんで口に入れた。ほら、こんなに美味しいものを頂いたのに食べないなんて勿体ない。こんな感じのやり取りは今までも何度かあって、甘いものが苦手だとかそういう訳ではないことは知っている。
ここにある怪しげな機器の中の一つには、大玉の林檎ほどの大きさに成長した“眠五號”が薬液に浸かっている。阿近少年いわくこれは局長さんによる“被造死神”で、母親のお腹の中にいる胎児とそう変わらない姿をしているらしい。生まれて出てきた赤ん坊しか見たことがなかった私は、その姿を初めて目にしたときは衝撃を受けたものだ。そんな様子だった私に声をかけてきた局長さんの声色は、最初は冷たいものだった。
「君も、倫理がどうのこうのと口を挟んでくるのかネ」
私は田舎の山の上にあった道場の跡継ぎ娘。最低限の読み書き算盤はできても、倫理についての学など零に等しかった。成人を迎えるより先に死んだわけだし、常識や道徳だってそれほど積めた自信もない。こんな風にしてできた命が正しいか正しくないかなんて、到底判断できるものではなかった。だからこう答えたのだ。
「私にとっては科学とか倫理とかは
すぐにそっぽを向かれてしまって、その日は気まずさを抱えたまま帰ることになったのだが……以降、こうして訪れたときにはもう冷たさはなくなっていたように思う。更木隊長と比べるとだいぶ分かりづらいし、そもそもこの人のことを少しでも理解したつもりになることが既に
「そっちに十一番隊宛ての束があるから、ついでに持って帰ってくれ給え」
「了解です、結構ありますね……あ。これ一枚だけ、技術開発局じゃなくて十二番隊の方の判子でお願いします」
「ム……どれ、貸せ」
ただの判子と朱肉が、プシューと音を立てながら普通じゃない引き出しから出てきた。薬品ではないのだから、そんな所に仕舞わなくてもいいのに。さっさと訂正された書類を受け取って、また確認する。
「はい確かに。では、失礼します」
研究室から出ると、今度は阿近少年と鉢合わせした。何だかこれから実験や研究というより、手術かはたまた大工仕事でもするみたいな道具をたくさん抱えている。彼の顔は窺えず、辛うじておでこは見える。
「わ、これはまた。何が始まるの」
「斬魄刀の改造です。何日かここ締め切られると思いますけど、用事はお済みで?」
「へぇー……うん、大丈夫。じゃあ頑張ってね」
「はい。お疲れ様です」
前も見えないし重たいだろうに、抑揚のないいつもの調子でそう話した阿近少年は、いそいそと研究室に入っていった。暫くの間ここには近付かない方が良さそうだ。
外に出るともう陽が沈み始めていた。技術開発局には窓がないから、時間の感覚がちょっとおかしくなりがちだ。夕飯のことは弓親が頼まれてくれたし、帰るのはゆっくりでも大丈夫だろう。空は淡く夕焼けて、私の精神世界の空に少し似ている。綺麗だしちょっと眺めていこうかなと思って瓦の屋根に上ると、そこで思いがけない人に遭遇した。
「……あ、」
「あっ?」
真新しい「十」の羽織を着て立っていたその人は、私を見るとぽかんとして目と口を開いたまま、少しの間だけ固まった。
「こ、こんにちは……お疲れ様です、志波隊長」
「……お、おう。お疲れ。どうしたこんなとこ来て」
「志波隊長こそ、」
「志波た〜いちょ〜〜!!どこですか!?この辺にいますよね!?」
「やべっ、伏せてくれ」
しーっと口に人差し指を当ててから、志波隊長は焦った様子で私の両肘を掴んでしゃがみ込み、私も引き摺られてしゃがみ込む恰好になった。前にもこんな状態になったことがあったな、とふと思った。そういえばこの人も志波だし、顔も海燕さんに部分的に似たところがあるようなないような。
「たぁいちょ〜〜!!おっかしいわねぇ……違う所に行っちゃったのかしら」
目の前のこの人を探している様子の金髪の女性隊士は首を傾げた後、向こうの道を走って行ってしまった。彼はほっと息を吐いて、やっと私の肘を解放してくれた。
「すまんな、急に」
「いえ。でもどうして隠れていたんです?」
「それは…だな。あー……」
「……私、ちょっとさっきの人おいかけてきま」
「ダァメ!!ちょいちょい、何してくれようとしてんの!回し者!?」
今度は私の片手首を捕まえて、また驚いたような顔をしている。なんとも表情のころころ変わる人だ。
「分かりました、追いかけませんから放してください。私は仕事帰りに夕焼けを見ようと思って来ただけです」
「あぁ?そ、そうかよ……って、仕事ってここ十二番隊じゃねぇか。お前は十一番隊だろ?」
初対面だというのに私の所属を知っているようだ。今月の瀞霊廷通信とか噂話で見聞きしたのかもしれない。陽は更に落ちてきて、風も涼しいものに変わり始めた。志波隊長は鼻が高めではっきりとした顔立ちだから、顔半分に影がかかる。
「それこそ、志波隊長だって十番隊ではないですか」
「ぐ、」
「というのは
「……涅のとこにも行ったりしたのか?」
「今日それ訊いてきたの、志波隊長で三人目です」
「マジか?」
「マジです。行ってきましたよ、お茶とお菓子をごちそうになりました」
「ばっ!?何ともないか?腹壊したり」
どうして隊長さんは皆揃って涅局長をそこまで警戒しているのだろう。ああ、静かにゆっくり見たかったのに。もう暗くなってきてしまった。
「やだなぁ、してませんよ。変な人ですね」
「なら良いんだけどよ……お前も大概、変わってるぜ」
お互い初対面で何を言っているんでしょうね。隠れてしまった太陽の方を向いてぼうっと夕焼けの名残りを見届けていたら、志波隊長のお腹が鳴った。
「私もお腹すきましたし、帰りましょうかね。さような」
「待ってくれよ、俺まだ帰れないんだわ」
「知りませんよ。隊舎に戻りたくないなら、お店で済ませたらどうです」
「そうしたいんだが、財布を忘れちまってよ」
「……仕方ないですね」
志波隊長を連れて月が照らす夜道を歩き、十一番隊舎に帰り着く。綺麗な夕焼けを見ようと思っただけなのに、まさか志波隊長を食堂に連れてくる破目になるとは。一角と弓親の目が点になっていたのはちょっと面白かった。志波隊長には、大好物を半分も分けてあげた私の心の広さに感謝してもらいたい。
あとがき(memoの追記に飛びます)