清濁それぞれ胸の内

死ぬれば死神
せいだくそれぞれむねのうち

 天幕の留め金具を地面に刺そうというとき、どうする?そこら辺に転がっている石なんかでカンと打ち込むだろう。まるでそんなものだった。根っから、出ている杭は打ちたくなる性格なんだろうさ。正面をばっさり斬ってやったというのに、血を流しながらふらふらと瀕死状態で立って寄ってきて。そんな様だから解放状態も自然と解けてしまっていた斬魄刀の鎬地しのぎじで、私の左足の甲に刺さっている苦無を思いっきり叩いた。最後に力を振り絞ってやることがそれなんだから、とんだ狂い者だ。
 確かに痛かったはずなのだが、その前に既に体の前面はあちこち裂け抉れていたから、もうどこが痛いんだか。百と百一じゃ大して変わらないとか、そんな感じだったんだと思う。力尽きて再び倒れ込んだ奴が被さってこなかったのは不幸中の幸いだ。痛みではなく、気持ちが悪くなって死ぬところだった。
 桜の木の根元に仰向けに倒れて、見上げた枝についていたのはまだ固そうな蕾だった。せめてこんなぐしゃぐしゃの気分のとき、一つくらい咲いた花を見せてくれたっていいのに。でも、無事で良かった。
 意識が朦朧とする。視界はぼやけて焦点が定まらない。そんな中、物凄い霊圧が飛んでくるのだけは、はっきりと感じた。私に苦無を投げた隠密機動が、空間を圧し潰すかのような強大な縛道で封じられていく場面がぼんやりと見えた。その途中で私の顔を覗き込んできたのは、たぶん山田副隊長だ。


「痛くてもう死んでしまいたいとか思ってないだろうね?僕はそんな患者でも見捨てないから安心しなよ。次に意識を取り戻したときにも死にたいっていうなら、もう知らないけどね」


 いや、絶対そうだ。でないとこんな言い回しをするようなやつが二人もいて堪るか。彼の掌が私の両目を覆って、すとんと思考は無に落ちた。


***


 『桜切る馬鹿、梅切らぬ馬鹿』とはよく言うが。え、聞いたことがない?そうか、分からないなら辞書を引くと良いぞ。俺は盆栽が趣味だから、それにまつわるような言い回しには詳しいんだ。
 肝を冷やしたとか激高したとか、そんな程度では済んでいなかったと思う。ここは生かして捕らえるべきだと叫ぶ理性を無視しかけていた。駆けつけてくれた見坊と砕蜂が止めてくれなかったら、危うくどうにかしてしまうところだった。俺にもこんなどす黒い感情があったのか、ってさ。そう言うと京楽は「ええ〜?今更?」なんて茶化してくるんだ。心外だ。山田副隊長が尽力してくれたおかげで、何とか命は取り留めてくれたんだが――


「お前の忘れ形見を、また死なせてしまうところだった。すまない……本当に……」


 鷹を象った目貫めぬきを握りしめて、女々しく懺悔さんげした。でもあいつ、放任主義っぽいからな。ずっと傍にいて守ろうとでもしようものなら、過干渉だとか言って顎とか殴ってきそうだな。


***


 シャッと短い音がして目が覚める。ああ、この既視感。周囲の様子を確認することも、自分の傷がどうなったのか触れてみることもしない。そんなことしなくたってあの白い病室だと分かる。体中が痛いんだから、どうせ包帯ぐるぐる巻きでいるに違いない。今しがた開けられた白いカーテンの前に誰か立っているが、首を回すことすら億劫だ。天井を眺めていたらまた眠れるだろうか。カーテンを開けた誰かが、ここから去るべく戸を引いた音がした。


「……驚いた。目が覚めてたなら何か言いなよ。気付かないで出るところだったじゃないか」


 部屋から出て戸を閉めるのに、こっちを向いたんだろう。戻ってきた山田副隊長は壁際にある丸椅子を持ってベッドの横に置き、私の顔を覗き込みながら腰を下ろした。


「もしかして目開けて寝てる?」

「……いいえ」

「そう。まだ一日しか経っていないけど、だいぶ声が掠れているね。水を飲んだ方がいい。あちこち痛むだろうけど我慢しなよ」


 そう言って、彼はベッドの背もたれを起こした。背、腰、胸、腹、腕。どこもかしこも痛い。差し出されたコップに手を伸ばそうとすると、肩に激痛が走った。


「無理そうか……僕、治療はしても世話とか介護とか普段絶対やらないんだけどな。特別だよ。ほら、少し開けて」


 言われた通りにすれば、口にコップを添えてゆっくりと傾け、水を飲ませてくれた。案外優しいところもあるんですね。口は減らないけど。


「あり……がとう…ござい、ます」

「その調子じゃ食べるのもきついだろうけど、食べないと始まらないからね。後で粥でも持ってこさせよう」


 山田副隊長はもうここから去るだろうと思っていたのだが、椅子に座ったまま、どこか空中をぼうっと見つめて動かないでいた。目の下には少しばかり隈ができている。ひょっとしたら徹夜なのかもしれない。暫くしてから、彼は椅子ごと机の方に寄って肘を突き、はぁと溜息を吐いてから話し始めた。


「君の怪我は素人しろうとが見ても重傷だった。出血ははなはだしく、傷の深さは医者でも目を覆いたくなるような有様さ。花太郎もショックで動けなかったみたいだ、まったく。少しの時間も惜しかったから……悪いけど、あの場で僕が応急処置をしたからね」

「それは別に……少しも、悪くありません」

「血を見慣れている僕でもあれは心臓に悪かったよ。なんであんな馬鹿なことしたんだい」

「……見てたんですか」

「遠目にね。苦無が刺さってつくばったところから」

「じゃあ分かるじゃないですか。どうせ痛くてあそこから動けなかったんです」

「嘘だね」


 ばっさり。平坦な調子の癖にずけずけと言ってくるものだ。ここまでくると、一周回って清々すがすがしい対応のように思えてきた。けれど今は、変に気を遣われるより良いのかもしれない。自分でも「あれは駄目だったな」と思うようなことを、他人が「大丈夫、駄目じゃない」と無理して励ましてくるときの苦しさったらないんだから。


「でもそういうことにしておいたよ。でないときっと、君の行動は無駄になるだろうからね」

「……山田副隊長って、怖い人ですね」

「普通、怖いと思う人に直接言うかい?やっぱり馬鹿なのか」

「ええ、もっと言ってください。その方がすっきりします」

「……君、そういう趣味な訳じゃないだろうね」

「まさか。ふっ、あは、はは――いだぁ!?」

「馬鹿、笑ったりしたら腹の傷が……あ。ああもう、実に馬鹿だ君は」


 避けられない攻撃ではなかった。私は、十三番隊が大切にしている桜の木を護りたくて……庇った、ということになる。皆が花見を楽しみにしていた。何より私がそうしたかった。しかし唯でさえ、大変なことが起きたからと皆が花見を自粛してしまいそうなのに、その桜を庇ったために私はこうなったと知ったらどうなるか。もちろん一様の反応ではないだろうが、気まずく思って花見をしなくなる人が殆どだろう。みんなみんな優しいから。でも、せっかく咲いた立派な桜を誰も見ないなんて忍びない。
 ――そういう私の考えなど全てお見通しな山田副隊長は、勘が良いのかさといのか。やはり怖い人だと思う。


「最善を尽くしてもこれさ。僕もまだまだだね」

「……お手数かけます」


 腹部に巻かれた包帯が、じんわりと赤く染まっていく。ああ、痛い。生きている。あのとき本当に死んでしまってもおかしくなかっただろう。まるで、この人に無理矢理生かされているみたいだ。かざされた掌から、回道の霊力が注がれていく。


「ねえ、これは言い訳なんだけど」

「なんですか」

「心臓に近いところから優先していって、体の末端は血止めだけして後回しにするしかなかった。今は包帯で見えないけど、君の足の状態は極めて良くない」


 二度も同じ箇所に穴が開けられたのだ。ご丁寧に、念入りに。こればかりは運が悪かったせいで、治療してくれた人のせいではない。どうか気負わないで欲しいと思うのだが、彼なりの矜持というのもあるだろう。さっきの私と同じで、下手に励ましたりして欲しくはないはずだ。だからといって、私は馬鹿とののしったりはしないが。


「分かりました。経過をみましょう。痛むときはちゃんと言いますから」

「……ああ、そうだね。じゃあ僕はこれで」


 ひとまずの処置を終えた山田副隊長が立ち上がる。後で、ショックで応急処置のために動けなかったという花太郎を叱ったりしないといいのだけど。しかし弟を探すために夜中に出て来ていたわけだから、こんな性格でも大切には思っているんだろう。私も、もし喜之助が隊舎まで遊びに来て、夜中に急にいなくなったりしたらと思うと気が気でないもの。花太郎が山田副隊長の弟だと分かってからは、私は喜之助と重ねて見ていた節があったと思う。何としても彼を護らなくては、と。


「――そうだ、肝心なことを言い忘れていた」


 山田副隊長は、病室の戸に手を掛けたまま、振り向かずに言った。


「奴らの気が弟に向かないようにしていただろう。あれを盾にすることだってできたのに、君はそうしなかった。ありがとう」


***


 ん?僕が誰かに礼を言ったことなんていつ振りだったかな。……いいか、そんなことは。気に留めていないだけで、割と言っていたかもしれないし。けど、はっきりと覚えている記憶だと二十年は前になる。どうして覚えているかって、何せ言った相手はその後すぐにいなくなったんだ。


「……おっと。不謹慎だったかな」


 そんな縁起の悪い法則、あるはずないけどね。


***


 四番隊隊士にお粥を食べさせてもらってから休んでいると、病室の戸を開けるには随分と乱暴な音がした。続いて、また背が高いせいで頭をぶつける音もした。


「チッ。こん中はどこも上が低いんだよ」

「隊長の背が高すぎるんですよ」

「よう。口きけるくらいにはなったか」


 ずかずか、どっかり。何度も言うようだが、ここは病室である。更木隊長が静かぁにしてたら、それはそれで心配になるのだけど。


「そういや昨日、隊舎にどっかの隊のなんたらなんたらってやつが来てたぞ。お前に用があったってよ。弓親が事情を説明してやったらしいから、そのうち見舞いに来るんじゃねえか」


 ――どっかの隊のなんたらなんたらって。せめてどれかは覚えていてください。伝言能力が低いにもほどがあります。己が隊長ながら、ちょっと心配になった。


「……あれ?副隊長はいらっしゃらないんですか?」

「後で来るとよ。やちるに遣う気があるのか知らねえが」


 そんな気を遣うような話をするつもりですか。口きけるくらいになったとはいっても、呼吸するだけであちこち痛い今の私に、更に頭や胃も痛むような話は持ち掛けないで欲しいというのが正直なところだ。


「あいつら全員、今は牢の中だ。やっと十一番隊の膿が出せたってとこだな」

「隊長が隊長になるずっと前からいた隊士ですよね」

「ああ、先々代の剣八の頃からだが……お前を使って炙り出したみたいになっちまった。悪かった」


 更木隊長にしては、話す調子がいくらか弱々しい。ただ突っ走っているだけの人のように見えて、隊内不和のことはそれなりに気に掛けていてくれたようだ。責任も感じているのかもしれない。
 一角は私のために激怒した。花太郎は私のために泣いた。山田副隊長は私に礼を言った。更木隊長は私に謝った。私が人の心の中にいるのだ。それは嬉しいようで苦しくて、うまく言葉にできない。私のためにありがとうという気持ちと、私のせいでごめんなさいという気持ちが混じって、よく分からないのだ。


「沙生。もしお前が……異動したいと思うなら、手を回してやれる」

「…………は、い?」

「俺はお前の強さを気に入って十一番隊に入れた。だが、それでお前がどんな生活に置かれるかまではろくに考えなかった。男だらけで不便も多いだろ」


 その言葉は、気遣いと優しさからできた刃だと思った。私を傷つけるつもりで出したものでなくとも、鋭く、鈍く胸を穿った。ああ、痛い。現世で死んだときみたいだ。
 一角や隊士たち、海燕さんとの鍛錬で少しずつ力をつけてはいるものの、目指すところはずっと先だ。倒すべき人に勝てるほどの強さが欲しい。だから今は十一番隊で、更木隊長の下でどうしても強くなりたいのに。


「お前が戦いの中で死んだとしたら、俺も誰も何も言わねえ。本望だろうってな。それが今回みたいな卑劣のせいで死んだらちげえだろ。嫌な思いをしただけだ」

「それは、でも」

「今すぐじゃなくていい。ゆっくり考えろ。お前を他にやるのは惜しいが、」

「やめて。やめて、ください」


 もうそれ以上は聞きたくない。私のためを思って私を殺さないで欲しい。どうせ殺されるなら、言葉の刃よりも腰のそれの方がいいです。よく分からない自分の気持ちが更に分からなくなって、もう、分からない。泣きたくなんてないのに視界が滲んでいく。思い通りにならない涙腺が恨めしい。


「隊長は馬鹿ですか」

「あん?」

「惜しいと思うなら手離さないでください。指名入隊させると言われたとき、私が考え無しに返事をしたとお思いですか?そりゃ、そりゃ……草履も履かずについて来たやつなんて、何も考えてない馬鹿みたいでしょうけど」

「お、おい」

「男性ばかりなことだって、隊風だって百も承知でした。それまで入りたいと思ってた隊に行くのもやめようと思ったのも、隊長の、せい、なのに。隊長の下でなら強くなれるって……思った、から……あんな強さ……」

「泣くんじゃねえ」


 更木隊長は布団を引っ張って、雑に私の目元を拭う。痛い、目もそうだけど引っ張ったせいで布団が擦れて足とか何もかも痛い。お生憎、この涙腺は私の意思でどうにかなるものではないのです。


「隊長の強さに惚れたんです。私、まだ隊長の戦う背中を見てません。それなのに余所に行けとか……言わないでください。二度と」


 拭う手を止めて、更木隊長は真っ直ぐに私の目を見た。負けじと睨み返す。こんなに目を合わせているのは、入隊試験でやり合う中、白焔に包まれながら剣を圧し合っていたとき以来だ。視線は逸らさないでいたけど、どうしてもまた視界が滲んできてしまってよく見えない。零れ落ちそうになったところでまた雑に拭われた。痛い。


「分ぁかった。気が済むまでいろ。好きなだけいろ。そんで、しっかり見てろ」

「二言は、」

「ねえよ。ねえし、二度と言うか」


***


 俺は戦いを求め続け、存分に戦える護廷の隊長に就いた。要請がくりゃあ先陣切って敵を斬る。強いやつと戦える。最低限の仕事をしてりゃ文句を言うやつもいねえから好きにやっていた。それが部下の問題行動だとか男だとか女だとかで、普段から使わねえ頭使ってこんがらがって、らしくもなく悩んじまった。情けねえ。隊長って面倒くせえな。


「だがな。あーあ、見せてやんなきゃいけなくなっちまったしな」


 泣きやがって、やっぱり女は何考えてんだか分かんねえなと最初は思ったが、それは間違いだった。あれは貪欲に強さを求める、見込んだ通りの俺の部下だ。


***


「やっほ〜!!」

「うわっ」


 乾いてしょっぱくなった目がひりひりするなあと考えていたら、突然の窓からの来客がこんにちは。頃合いが丁度良いのは、やはり見計らっていたのか、それとも偶然なのか。そこが何階であっても窓から草鹿副隊長が来ること自体は驚くことでもないのだが、如何せん急に出て来られたから驚いた。お化け屋敷は怖くなくてもびっくり箱には弱い、というのと似た理屈だ。


「りんりん目が赤いよ?剣ちゃんが泣かしたの?」

「ええと……そうですね。酷いこと言われました」

「む!あたしがあとで怒っとくからね!」

「いいんですよ。すぐに仲直りはしましたから」

「う〜ん……でも、まだつらそうだよ?」


 言いながら、副隊長は机の上にあったちり紙をコップの水にちょんとつけて、私の目元をとんとんと優しく拭いてくれた。さっきの隊長とは大違いだ。


「隊長に言われたことだけじゃなくて……きっと私、今回のことでいろいろ落ち込んでいるんですね」

「りんりん……でもね、りんりんのまわりには良い人のほうがいっぱいいるよ!剣ちゃんだって、ほんとは早く元気になってほしいっていちばんに思ってるよ」

「副隊長……」

「つるりんとゆみちーはずっとお稽古してるの。もっと強くなってりんりんといっしょに戦いたいんだって!」

「一緒に、か。それは……私もそうです」

「あたしも待ってるからね。あ、りんりんは甘いの好き?」

「え?はい」

「甘いのは元気になるよ!あ〜ん」

「あー、むぐ。……あまい」


 からんと口に入れられたのは、副隊長がいつも持ち歩いている金平糖だ。一気に三粒もお裾分けしてくれた。確かに苦いものとか辛いものよりは穏やかな気分になる。でもこういうのは、味がどうのよりもくれた人の気持ちだと思う。副隊長の優しさが、甘さと一緒にみてくるような。


「りんりんが帰ってくるまで、あたしがお花に水やりしてあげるから心配しないで!じゃあまたくるからね、ばいばい!」


 とびっきりの笑顔を向けてから、副隊長は今度はちゃんとした出入口から出て行った。どうして私がりんりんなのかはまた訊けなかった。剣ちゃんとかつるりんとかゆみちーとかは分かるんだけどなぁ。それからすぐそこで副隊長が「あー!びゃっ」と言っていたのが聞こえたのだけど、何だったんだろう。変わったくしゃみかな。

 お腹が空いてきたなと思ったら、ちょうど四番隊隊士が夕食を持ってきてくれた。もうそんな時間だったか。早く自分一人で食べられるようになりたいものだ。


***


「剣ちゃ〜ん!!」

「おう、やち る゛っ!?何しやがる」

「えへへ」


 いつもより強めに飛びついちゃった。剣ちゃんもまだちょっとだけ辛そう。でもね、こういうのは時間がかかるんだって、卯ノ花さんも言ってたよ。早く、みんなが楽しそうに笑うお顔が見たいな。


「きれいな鈴みたいな音がまた聞こえたよ。りんりんは強くなるんだからね、剣ちゃんももうひどいこと言っちゃだめだよ!」

「鈴だぁ?……そんなもん、近くにねえだろうが」


***


 今朝は御厨さんにお粥を食べさせてもらった。ふんわりたまごも入った優しいお出汁の味は最高だった。料理上手な彼女のおかげで食欲は回復してきている。しかし怪我の回復はまだかかりそうだ。回道とは術者の霊力による治療だけを指すものではない。患者の霊力を回復させて治癒能力を高め、双方の力で怪我を治すものだ。だから私の体力が戻りきらない内に一気に、とはいかないのである。とはいえ、四番隊隊士が交代で少しずつ治療を施してくれているから、昨日よりは痛まないようになった。

 ……あ、ぼうっとしていた。手を十分に動かすこともできないから、暇潰しに本を読むこともできないし。誰か来ないかなと思っていたら、コン、コンと丁寧なノックの音がした。


「楠山さん。お見舞いに来たんだけど、入っても大丈夫かい?」

「は、い。どうぞ」


 誰か来ないかなとは思ったけれど、まさか東仙隊長が来るとは思わなかった。以前に取材されたときには特に変わったことは何もなくて、寧ろ真面目で親切な印象だった。でも、この人は……正直いって、苦手だ。身構えざるを得ず、自分が話す一言一句に常に気を張らなくてはいけないから。


「失礼するよ。果物を持ってきたんだけど、私も君も綺麗に剥くのは厳しいかと思って、ここの厨房に預けてきたんだ。デザートに出してくれるそうだよ」

「そうなんですか。ありがとうございます、東仙隊長」

「君も私をそう呼ぶことにしたのか。まだ慣れないものだな」

「あ、そこ。斜め前に椅子がありますので、どうぞ」

「ありがとう」


 東仙隊長は丸椅子に座り、抱えていた鞄を膝の上に置いた。瀞霊廷通信の編集長でもあるから、常に何か書類やら取材道具やらを持ち歩いているのだろう。


「酷い怪我を負ったようだね。前に会ったときより、霊圧が不安定だ」

「はい。起き上がることも、まだ一人では無理そうです」

「そうか……でも、ここの救護班は皆とても優秀だ。時間はかかってもきっと良くなるだろう」


 まただ。その声色にその科白、まるで善人そのもの。演技にも見えない。あの夜に仲間を斬った場面を見たりしなければ、私は何も疑うことなく彼を尊敬していたことだろう。こんな人がどうしてあんなことを、と思わずにはいられないのだ。人の頭の中を覗ける道具でもあったら、真っ先にこの人の頭の中を覗くのに。


「嫌なことを思い出させてしまうだろうから本当は話したくないんだが、君は当事者だからね。手短に、件のことを話そう」

「お気になさらず。必要なことなのでしょう」

「すまない。……大方のことは狛村や山田副隊長の弟から聞いている。十三番隊の敷地で争ったことについても、斑目三席や山田副隊長、大前田副隊長が話してくれた。それから、浮竹隊長もね」

「ん?浮竹隊長、ですか?」

「ああ、今回の首謀者に加担した隠密機動隊員を浮竹隊長が捕縛してくれたんだ。その後は砕蜂隊長が奴らの身柄を引き受け、厳重に拘束したうえで牢に入れている。今後の処遇は……四十六室は砕蜂隊長に一任したから、まず許されることはないだろうね。君は何も心配しなくていい」


 浮竹隊長があの場に来ていたのか。てっきり、縛道で奴を封じたのは山田副隊長がやったんだと思っていた。隅とはいえ敷地内でドンパチやったんだから、お休み中に起こしてしまったのかもしれない。入隊前から私のことを気にかけてくれていた人に、血塗れで倒れている姿を見せてしまったのだ。申し訳ない、心配をかけてしまった。


「瀞霊廷で死神が起こしてしまった刃傷にんじょう沙汰ざたを、瀞霊廷通信で取り上げないわけにもいかない。被害者である君と山田副隊長の弟の名は伏せるが、来月号にはこの事件のことが載る……それを、断っておきたかったんだ」

「仕方のないことです。構いませんよ」

「……すまないね」

「いいえ。東仙隊長は、こういう事件の記事を面白半分で書いたり載せたりしないでしょう。これから規律を正していくため、隊員の気を今一度引き締めるための大切な報です。私に悪いなんて思わないでください」


 うつむき気味だった東仙隊長はばっと顔を上げて、めしいた目を私に向けた。じっと見られている気分だ。私の顔に何かついていますか、なんて言いたくなる。……流石にそれはないな。


「……ありがとう。君は、立派な志を持っているね。早い復帰を願っているよ」

「は、はい」

「そろそろ失礼する。辛いところ、話をしてくれてありがとう。お大事に」


***


 私は目が見えない分、人の気配や霊圧の些細な変化にも敏感だ。彼女が私を見掛けたり私と話したりするとき、どこか堅いというか、いましめているような感じがする。気のせいかもしれないがね。嫌われるようなことをした覚えは、残念ながらない。しかしどうであれ、彼女が立派であるというのは私の本心からの言葉だ。
 十一番隊の粗野な隊員たちは好ましくない。隊長の更木剣八もそうだ。あれはここに居て良い男ではない。だが、彼女がいるならもしかすると――何か、好転することもあるのかもしれない。


「おや?君は……以前、編集部の者が迷惑を掛けてしまったそうだね。取材の無理強いはしないようにと言っておいたよ。それから待たせていたようで悪かった、楠山さんなら今――え?あ、ちょっと。……ああ、成程」


***


「邪魔するぜ!まぁたこんなとこに逆戻りしやがってよ。元気か!」

「元気じゃないです。海燕さん、ノックって知ってます?」

「そこで東仙とすれ違ったんだよ。起きてんだからいいだろ」


 ババーン!とでも効果音が付きそうな登場を果たした海燕さん。後に続いて沢子と見坊さんも入って来た。海燕さんより二人の方が申し訳なさそうな顔をしている。こんな上司だと大変だよね、うん。分かる分かる。


「だから邪魔じゃないですってば、お見舞いです!」
「副隊長。東仙隊長、ですよ」

「細けぇなぁ、お前ら俺の母ちゃんかよ!ほら、今日は花瓶だってばっちり持ってきてんだぜ!」

「おぉ〜偉いです!」
「ええ、素晴らしいです本当に」

「てめぇらコノヤロウ」


 三人ともいい笑顔だ。彼らは場の空気を変える天才なのではないかと思う。前に入院したときも、試験勉強と特訓に追われた一週間も、この明るさに何度救われたことか。自分たちの持つ元気を、当然のように私に分けてくれている気がするのだ。窓辺に置かれた花瓶には、オレンジ色の鮮やかな花が挿されている。


「前もお花もってきてくれましたけど、もしかして十三番隊のお庭の?」

「そうですよ!最近は西洋品種の花壇も作ってて。パンジーとか、アザレアとか。それはガーベラっていうんです」

「へぇ、ガーベラかぁ。綺麗な花ね」

「えへへ、そうですか?へへへ」

「なんで南舘が照れてんだよ……」


 丸椅子は向こうにもう一つあるのだが、海燕さんと見坊さんは立っていることにしたらしい。沢子は遠慮なく椅子に座って、また色々と庭の様子の話をしてくれた。浮竹隊長と清音さんもそうだったが、沢子も植物は大好きみたいだ。


「ねえ、ご覧の通りお花見には行けそうにないけどさ。皆は楽しんできてくださいね」

「でも……沙生さんが大変なのに、」

「その楠山が言ってんだぜ?こないだ隊費でカメラ買ったんだから、山盛り写真撮って見せてやりゃいいだろ」

「そうですよ。扱い方も九番隊の方に教えていただきましたし、撮影は某が致しましょう」

「あ、交代でだぞ!俺も撮ってみてぇんだから」


 見坊さんは今は持っていないカメラを構える仕草をした。それにしてもいつの間に買ったんだろう、知らなかった。そういえば一緒に瀞霊廷通信用の写真撮影をしたとき海燕さんはやけに面白がっていたし、案外カメラや写真が好きなのかもしれない。しかし、だとしたら個人的な趣味であるはずなのに隊費で買うとか……やるな、海燕さんならやる。


「そっか……うん、分かりました!沙生さん、写真いっぱい撮りますから、楽しみにしててくださいね!」

「うん、楽しみにしてる。それにお花見なら、桜じゃなくても十三番隊に行ったら年中できるよ」

「確かに。では、季節の花と一緒に定期的に皆で撮りませんか?良い思い出になりますよ」

「それいいですね、アルバムとか作りたいです」

「俺も賛成!じゃあフィルムも追加で買っておかねぇとな〜隊費で」

「……程々にお願いしますよ。では、我々はそろそろ失礼します。お大事に」
「沙生さんバイバイ!」
「早く治せよ、みんな待ってんだからな」


***


 あんな様子の浮竹隊長を、俺は初めて見た。副官といっても俺はまだ死神になって浅い身だ。そういうもんだろうと思っていたが、見坊でも一度しか見たことはなかったと言っていた。見坊はずっと昔から死神らしいし、隊長との付き合いだって長いのに。
 試験勉強のために隊舎を貸してやったり、涅局長の手から護ってやったり。南舘たちが楠山を慕っているからだろうと特に深く考えてこなかった。でも、多分なんか違うんだよな。それだけじゃない気がするっつうか。思えば当時、現世の駐在任務に就いていた見坊の応援に向かったのだって隊長の指示だった。

 ――でもま、あいつが何だろうと変わんねぇさ。俺の命の恩人。そんで、可愛い後輩だ。


***


「邪魔するぜ!よぉ楠山、調子どうだ!」

「……なんだ、志波隊長でしたか」

「なんだとはなんだ!」

「ノックくらいしたらどうです?」

「そこで海燕のやつとすれ違ったんだよ!起きてんだし別にいいだろぉ?」


 デデーン!とでも効果音が付きそうな登場を果たした志波隊長。はじめ、海燕さんがまた来たのかと思った。やり取りまで似ると妙な気分だ。時間を巻き戻してやり直しさせられたみたいで。


「ん?それ、何もってるんです?」

「何って、お前の晩飯だけど」

「……四番隊のどなたかは」

「急患が何人か運ばれて忙しそうだったからよ。引き受けてきた」

「…はあぁ……」

「そこぉ!盛大にため息つかない!食わしてやんねぇぞ!!」


 どうして隊長サマが怪我人に飯食わせるのを引き受けるんだ。お人好し過ぎるだろう。そも、どうして来たのか。志波隊長とは、一度だけ十一番隊の食堂でご一緒したくらいだ。彼の手にある土鍋の中には、かまぼこがのったかぶせり入りのお粥がある。


「そら、口開けろ」

「……いただきます」

「どうだ?」

「塩味もちょうどで美味しいですよ」

「そうか?そりゃ良かった。なーんか途中までこれ運んでたやつがしかめっ面してたからよ。出来が悪いのかと思ったぜ」

「あぁー……勇音さんだったんですね」


 大嫌いなかまぼこの話をしているときの勇音さんは凄く嫌そうな顔になる。お盆をできるだけ体から離そうと腕を伸ばして運んでいたに違いない。急患と志波隊長がやって来たのは、彼女にとっては僥倖ぎょうこうだったことだろう。不謹慎だけど、想像してみたらちょっと面白かった。


「急患って、何かあったんですか」

「なに、そんな大したことはねぇさ。虚討伐のために流魂街遠征に出てた七番隊の平の何人かが、ちょっと怪我して帰って来たってだけだ」

「そうですか。七番隊が出てるんですね」

「総隊長は新隊長の俺らに経験積ませたいんだろ。先週は藍染が任されてたらしいぜ」

「じゃあそのうち志波隊長も」

「そうだろうな。心配いらねぇぞ、俺は強いからな!虚なんてぱっと斬って燃やして終わりだ」


 かっかっと笑う志波隊長。腕っぷしには自信があるようだ。隊長なんだし当然か。かまぼこがのせられたレンゲがずいと差し出された。かまぼこ、美味しい。


「志波隊長の斬魄刀、炎熱系なんですか」

「おうよ。……そういやお前もそうか」

「ええ、まだ未熟な解放しかできませんが」

「俺が稽古つけてやってもいいぜ?同じ炎熱系のよしみだ」

「えぇっ」

「何だよ、海燕のやつとしょっちゅうやってんだろ?たまには十番隊にも来いよ、距離そう変わんねぇだろ」


 それは、そうなんですが。まさか他隊の隊長が直々に稽古をつけてくれると言ってくるなんて思わなくて、少し驚いたのだ。驚いて口を開けていたら、レンゲを入れられた。蕪、美味しい。


「志波隊長って、やっぱり海燕さんの親戚なんですか」

「知らなかったのか?あいつは俺の甥っ子だぜ」

「へぇ……道理で、似ていると思いました」

「似てるかね。……んー……似てる、か……」


 そこまで考え込まなくても。志波隊長は上の空になったみたいで、レンゲでぐるぐると土鍋の中をかき混ぜている。食べさせてくださいと催促するのもなんだから、私も暫くぼうっとしてみる。
 十回は混ぜた後、志波隊長はこちらを向いた。


「お前は……うーん、どうなんだろうな」

「はい?なんのこ、んぐ」

「ほら、ちゃっちゃと食え。食って寝て、元気になったら十番隊にも顔出せよ」


 飲み込んだら間髪入れずに次の一口を押し込まれて、あとはそんなに話さなかった。ちゃっちゃとって、あなたが上の空だったせいなんですがね。


***


 面影がないのかといえばそうではないんだろうが、どっちかといえばあいつはお袋さんに似たんじゃねぇかな。目元もそんなに下睫毛は主張してねぇし。ああでも浮竹さんも言ってたけど、心の根っこみたいなところはそっくりなんだと思うぜ。


「斬魄刀の系統が俺と同じなのは、全く偶然だろうけどなー……」


 似てる、か。似てる、ねぇ。


***


 ――誰も近くにいる気配もないし、少しくらい良いよね。なんだか涙脆くなったみたいだ。怪我と、やっぱり気落ちしているせいかな。みんなみんな優しい。奴らみたいに悪意の塊みたいなのの方が滅多にいないんだから、当たり前かもしれないけど。副隊長も最初に来たときに言ってくれた。「良い人の方がいっぱいいる」って。本当にそうだ。

 でもこうして一人になったとき、どうしても思い出してしまうのだ。怖かったこと、苦しかったこと、痛かったこと。真っ黒な悪意に晒されて、殺意を向けられたこと。

 いけない、嗚咽が止まらなくなってきた。あんまり泣き腫らしてしまうと会った人を心配させてしまう。


「ひっ、……う…桜、ほん、とは、やっぱり見たかった、な……」



***


「…………」

「こんにちは、楠山四席のお見舞いですか?中に入らないので?今なら起きていらっしゃると思いますが」

「……いい。また改める」

「? そうですか?あっ、伊江村四席!さっき山田副隊長が探していらっしゃいましたが――」


***


 入院期間、一ヶ月。連日代わる代わる、たくさんの人がお見舞いに来てくれた。一角と弓親は来なかったが、草鹿副隊長は来るたびに彼らが鍛錬に励んでいる様子を教えてくれた。そして毎度、金平糖をお裾分けしてくれた。七番隊はこの期間はちょうど遠征に行っていたそうだし、砕蜂隊長も奴らの処遇のことで忙しくしていたらしいと小耳に挟んだ。涅局長さんはもちろん来ない、あの人がお見舞いになんて来たりしたら天地がひっくり返る。浮竹隊長はお花見はできたそうだけど、その後また体調を崩してしまったんだと海燕さんが言っていた。

 四番隊の皆さんがあつく治療とお世話をしてくれたおかげで、歩けるくらいには回復した。退院してもまだ暫くは激しい運動は禁止と言われてしまったが、ここまで来ればもう大丈夫。……左足の甲には、木の洞みたいな痕があるけれど。黒ずんでしまっているせいでそう見えるがそこまで酷く凹んではいないし、今のところは体重をかけても痛みはない。しかしぶり返さないとも限らないから、注意は必要だ。


「沙生さん、卯ノ花です。入りますよ」

「へ、」


 荷を纏めていたら、卯ノ花隊長がいらっしゃった。こうしてお会いするのは初めてだ。もしかしたら、私が眠っている間に何度か治療してくださっていたかもしれないが。朝目覚めたときに何度か感じた霊圧の名残と、目の前の霊圧は似ている気がする。


「体の傷はある程度は回復しましたが、まだ無理はいけませんよ。荷も、誰かに運ばせましょうか?」

「いえ。大丈夫ですよ、そんなにありませんし」

「そうですか……お大事になさってくださいね。体も、心も。ゆっくりでいいのです。何かあれば、遠慮なく私も頼ってくださいね」

「ありがとうございます、卯ノ花隊長」


 いろんな人から貰ったお見舞いの品を詰め込む様子を、卯ノ花隊長はじっと見ている。玄関まで一緒に行ってくれるつもりなんだろう。私が纏め終わるのを見た彼女はがらりと戸を引いて、先に廊下に一歩踏み出した。


「――あら。こんにちは」


 そこに誰かいたようだ。卯ノ花隊長は誰かに挨拶すると、こちらを振り向いて笑顔で言った。


「沙生さん。お迎えが来ていますよ」


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