徒花は然れど結びあり

死ぬれば死神
あだばなはされどむすびあり

 深夜に瀞霊廷の隅で事件が起きた翌朝。場所と時間のせいもあって、そのことを知る者はまだほんの一握りであった頃。

 六番隊隊士の朽木白哉は、早朝の自己鍛錬の最中に楠山沙生との手合わせの約束を思い出していた。学び舎で共に過ごすこともなかった、入隊試験に突如ひょっこりと現れた一等手強い実力を持つ同輩である。手合わせについて、実のところ今まで空いた時間が無かったわけではない。ただ、既に始解を習得している様子の彼女と手合わせするには、自分もそこに至ってから挑みたいという思いがあった。約束を交わした場に居合わせていた父に、いつにする予定なのかと問われたこともあり、正直に答えると「やはり負けず嫌いだな」と微笑まれたのは記憶に新しい。
 それが先日、漸く物にすることができた。祖父と父の次に披露目するとなれば、やはり彼女だろう――珍しく浮つく気持ちを抑えながら、さっそく日時を取り決めようと十一番隊舎へと赴いた。

 初めて足を踏み入れた十一番隊舎は、何やら騒がしかった。いつもこんな感じなのかと思えば、どうも様子がおかしい。とある隊士の私室から何もかもが次々と運び出され、中には刑軍も行き交い、「本当にやったのか」とか「今後いったいどうなるんだ」といった不安そうな声がぽつぽつと上がっていた。とにかく沙生を探そうと奥へ進もうとしたとき、すれ違った隊士の台詞を聞いて白哉は思わず足を止める。


「楠山四席、暫く入院だって」
「くそ、何がどうなってんだ」

「待て。今、なんと」

「何だあんた……あっ?く、朽木様」
「どうしてこんな所に……」


 その二人は白哉にとって見覚えのある顔で、確か同期であったかと思い出す。詳しく話を聞こうとしたが、まだ隊内でも情報が錯綜しているようだった。分かったのは、隊士の何人かが罪を犯して牢に入れられたということと、沙生は巻き込まれて怪我をしたらしいということだけだ。二人が青い顔で心配そうに沙生の話をするのを上の空に流していると、背後から不機嫌そうな調子で「ちょっと」と声をかけられた。振り向けば、そこには重たそうな箱を重ね持っている綾瀬川弓親がいた。


「通路で立ち話はよしてくれ。嫌ってほど忙しいときに」

「すみません!綾瀬川五席!」
「よ、避けます!今すぐ」

「……失礼しました」

「ん?君は、ウチに何か用かい?」

「楠山沙生に用があって訪ねたのですが……いないようなので、私はこれで」

「沙生に?じゃあ、僕の代わりに見舞いに行ってくれないかな。執務室に行きがてらでいいなら、事件のことも教えてあげるからさ」


 このときまだ五大貴族の朽木白哉という人の顔を知らなかった弓親は、至って普通にこう持ち掛けた。十一番隊の新人二人はそんな上司に驚き不安そうに見守っていたが、当の白哉は特に気に障った様子はなく、ただ了解するのみだった。
 そうして弓親から件の話を聞かされた白哉は、動揺を隠せないでいた。死神が拉致暴行をはたらいたことは許し難いが、それよりも、沙生の怪我の程度が想像していたよりずっと酷いと知って、生きた心地がしなかったのだ。


「大丈夫?病室でもそんなに霊圧が揺れるようなら頼めないんだけど」

「……すみません。落ち着いてから、行きますので」

「まぁ、僕も運ばれる沙生を見た時は心臓が止まるかと思ったし。無理もない話さ」


 そこまで話し終えたところで執務室に着いた。弓親は開きっぱなしの戸から中に入り、抱えていた箱をどんと置いて一息つく。隊長副隊長は不在のようだ。


「それで、これをさ。入院してる沙生に渡して貰いたいんだ」


 徐に副隊長用の机の引き出しから取り出されたのは、白い兎柄の千代紙で包装されている小箱だった。何故そこから贈り物が出てくるのか謎であるが、あの副隊長が机を真面に使うはずもないから勝手に収納として利用しているのだろう、と白哉は見当をつけた。実際その通りなのである。


「隊長には頼めないし、ウチの隊士は物の扱いがなってないから、君みたいな人にお願いしたいんだ。病室は……多分、一切火気厳禁ってわけじゃ……ないと思うし」

「……危ない物ですか?」

「いやいや、そんなことないよ?これくらいは卯ノ花隊長も許してくれるはずさ」

「贈り物ならば、ご自分で渡されては」

「尤もだけど、今回起こった事が事で暫くは仕事の手が離せないし、あとは……悪く思わないで欲しいんだけど、君に言っても仕方ない理由もあってね。お願いできないかな」

「構いません。分かりました」

「ありがとう、じゃあ頼むよ。別にすぐじゃなくてもいいから」


 渡された小箱は、受け取ると割としっかりと重さのある物だった。中で何かがざら、と動いた感覚もある。入っている物は一つではなさそうだ。


「何か、言伝などはありませんか」

「特にないよ。言いたいことは、沙生が帰ってきたら自分で伝えるし。さて、僕は二番隊に行かなくちゃいけないんで、あとはよろしくね」


 そう言うと、弓親は執務室を後にした。

 死神になってから、周囲の者の白哉への対応はだいたい二分される。一つは、貴族であるからと畏れて敬語に様付け。殆どがこちらだ。もう一つは、貴族であっても死神としては新入隊士であるからとそれなりの接し方。これは上司にあたる者に数人いる。他隊とはいえ五席である弓親は上にあたるため、今のような対応でも気にすることではない。入隊の折、祖父と父から先輩は敬うようにとしつけられたせいもある。あとは、例外がひとり。
 自分のことを「白哉さん」などと呼んでくる者はそういない。貴族でないのなら尚のこと、その場に清家でもいようものなら、初対面であろうと小言のような説教を喰らわされ矯正されていたことだろう。実際、今まで何度か似たようなことはあったし、白哉もそれを当然のことだと思っていた。けれど、何故だかあの朗らかな声でそう呼ばれるのは嫌ではなかった。距離を感じさせない態度も大貴族の御曹司にとっては新鮮で、同年代で対等な友を初めて得られたような気がしていた。

 その矢先の事件に、胸中は悲しさ、悔しさ、怒り、心配でぐるぐるしている。そして何も知らず、何もできなかった自分への嫌悪が少し。どうしようもなかったことは明らかなのだが、それでも、落ち着くにはもう少し時間が要りそうだった。


「誰だ?そこにいんのは」


 声がしたのでハッとして沈んでいた思考を目の前に移すと、いつの間にか入口に更木剣八がいた。普段の白哉なら、彼の雑に垂れ流し放題の霊圧のおかげで数キロ離れていようと接近して来ていればすぐに分かるはずの男だ。


「……六番隊の朽木白哉です」

「で?何か用か」

「楠山沙生に用がありましたが、先ほど綾瀬川五席に事件のことを教えていただきました。……他に用はありませんので、失礼します」

「? そうかよ。じゃあな」


 交わされた会話に、意外と威圧感は無かった。初見の印象が“斬り合いを愉しむ出鱈目な霊圧をした大男”というものだったせいで、もっと横柄で面倒な性格に違いないと思っていたのだ。しかしそうだとしても、できる限りは付き合いたくない男だとも思った。
 十一番隊舎を出た白哉は、小箱を優しく抱えて六番隊舎へと戻ることにした。早く沙生に会いたいという漠然とした気持ちがあったが、聞いた通り重傷ならばまだ面会できる状態ではないかもしれない。仮に面会できたとしても、彼女は重傷の姿をあまり見られたくないかもしれない。男に酷い目に遭わされた後だと、まず男に会いたくないかもしれない。とはいえ、自分は頼まれごとをされてしまった身であるから……と、それを無意識に言い訳にすることで、明日には行ってみようとどこか渋々と決めたのだった。

 そしてその翌日。
 更木に「どっかの隊のなんたらなんたら」などとぞんざいな伝え方をされていたとは露知らず、仕事を早目に片付けた白哉は四番隊の綜合救護詰所を訪れていた。沙生の個室番号を尋ねてその部屋に向かうと、中から何か話し声が聞こえてくる。


「……に――……なくて………きっと私、……――……落ち込んで……――」

「――……でもね、りんりんのまわりには良い人のほうがいっぱいいるよ!」


 僅かだが聞こえてきた沙生の声に、話せる状態ではあるようだと分かって胸を撫で下ろす。はっきり聞こえてきた方は、草鹿やちるの声だ。最近、朽木家の屋敷に勝手に出入りすることが増えてきている困った子どもである。そうだ、ここにもうひとりの例外がいた。距離を感じさせないとか友のようだとかとは違う(無論悪い意味で)、人様の領域を無遠慮に踏み荒らし燥ぎ回る嵐のような子ども。こちらとも、できる限りは付き合いたくないと思っている。
 やちるが帰るまで待っていようと、とりあえず戸の横に立つ。その間ひとり色々と考え込んで、時間が経つにつれ眉間に皺が寄っていく。陽も傾いてきて、向こうから配膳の台車を押す四番隊隊士が近付いて来ていた。どうやら、もう夕食の時間になってしまったらしい。それならば仕方ない、また日を改めることにしよう。何故だか少し安堵して、それに罪悪感を覚えつつも立ち去ろうとすると、病室の戸ががらりと開かれてやちるが飛び出してきた。ふと目が合ってしまい、白哉は柄にもなく「げ」と声を上げそうになる。


「あー!びゃっ」


 その巫山戯たあだ名で呼ばれれば、中にいる沙生に来ていたことがばれてしまう。白哉は咄嗟にやちるの腕を引き、目にも留まらぬ速さで廊下の窓から外に飛び出した。間もなく、自分は何をしているのだと実に馬鹿らしくなった。人気のない中庭の芝生に着地して、小さく細い腕から手を放す。


「びっくりしたー!どったのびゃっくん」

「……すまぬ。何でも」

「ないわけないじゃん!ヘンなの〜アハハ!」


 誤魔化すには無理があり過ぎた。白哉は「はぁ」と小さく溜息を吐いて項垂れる。


「ねぇねぇ、りんりんのお見舞いに来たんじゃないの?きのうは隊舎まで来てたし」

「どうしてそれを」

「だってあたし、剣ちゃんの背中にぶらさがってたんだもん」


 そういえば、この子どもはいつも更木にくっ付いている。更木の霊圧が強いからとはいえ、すぐ側にいたやちるにあのとき自分は気付けなかったのだ。己の間抜けっぷりを笑いたくなった。悪い報せに動揺してゆるがせになるとは、まだまだ未熟である。


「びゃっくんはりんりんとお友達なんでしょ?会わなくていいの?」

「それは……もう、夕食の時間になってしまったようだから…」

「ほんとに?それだけ?」


 首をこてんと傾げて、やちるは無垢な目で真っ直ぐに白哉を見つめる。こういうことは子どもの方が案外鋭かったりする。そして大人より知りたがりな分、往々にして面倒なことになる。


「びゃっくん、いつもよりずっとむずかしい顔してるよ」

「余計な世話だ」

「本当は会いたくないの?ここまで来たのに」

「そんなことは……ない」

「じゃあなんでにげてるの?お友達じゃないの?」

「それもない。そんな風には思っていない……ただ…」

「うん、ただ?」

「…………会って、何と声をかけたらいいのか……分からない」


 押されて、本音がぽろりと出た。
 先ほどは、沙生に会ったら何と切り出そうか考えていた。落ち込む友にかけるべき見舞いの言葉とはどんなものだろうか、と。大変だったな、だがそう落ち込むな……そんなこと、言われたくらいで落ち込まずにいられるなら苦労しない。早く元気になってくれ、そして手合わせできる日を心待ちにして……いや、これだとその為に急かしている雰囲気にならなくもない。纏まらない。かといって、ありきたりな言葉で果たしていいものか。いっそのこと、頼まれた物を渡すことだけして帰れば楽かもしれないが、そんな薄情な接し方はしたくなかった。
 だから、会うことを先延ばしにした。


「お友達、なんでしょ?」

「……そうだ」

「だったら会ってあげて。会って自分の気持ちをそのまま伝えてあげればいいの。素直になんなきゃ。そのほうが、りんりんもきっとうれしいよ」

「……そう、か…分かった」

「ほんと?びゃっくん約束だからね!じゃああたし、おなかすいたから剣ちゃんとこ帰るね!ばいばーい!!」


 落ち着いていたかと思えば途端にいつものうるささに戻ったやちるは、中庭を囲う壁を立ったまま登り、そこにつむじ風を起こしながら上から脱していった。


「やはり嵐か……」


 白哉は自分が飛び下りてきた窓の方を見上げて沙生の霊圧を探った。弱々しいそれに、また胸が苦しくなる。暫くじっとして夕方の涼しさをその身に沁み込ませてから、帰路についた。

 次の日、やはりかけるべき言葉は纏まっていなかった。けれどだんだんと何とかなるような気がしてきていて、午前中の内に再び綜合救護詰所を訪れた。ところがこの日も先客がいて、今度は東仙らしかった。預かり物の小箱を落とさないように持ち直し、また戸の横に立って待つ。
 暫く経って、病室から東仙が出てきた。音を立てないようにゆっくりと戸を閉めた彼は、こちらに誰かがいると気付いたようだった。


「おや?君は……」

「六番隊の朽木白哉です」


 白哉は以前に東仙と会ったことがある。といっても、祖父と共に瀞霊廷を歩いていたときに偶々すれ違い、隊長同士が軽く世間話を交わす様を横から見ていただけなのだが。


「以前、編集部の者が迷惑を掛けてしまったそうだね。取材の無理強いはしないようにと言っておいたよ」


 彼の部下が、混雑する蕎麦屋の前で取材しようとしてきたことを言っているのだろう。店にも迷惑を掛けるし沙生も困っていたようだった。しかし遁走したのは流石に拙かったかもしれない……と後から思ったりもした出来事だ。そういえば、あのときは手合わせの場所について沙生と話した。七番隊の裏山にしようということになって、頷いて――
「はい!ではまたいずれ」
 ――いずれ。それきり、彼女とは顔を合わせていない。最後に見たのは笑顔で小さく手を振る姿だ。思い出して、じわりと胸があたたかくなった気がした。


「それから待たせていたようで悪かった、楠山さんなら今――」


 東仙がそこまで口にしたところで、白哉は三つの霊圧を感知して今度は逆に一気に背筋が寒くなった気がした。瀞霊廷で最も出会したくない人物格付(白哉の独断と偏見による)の上位常連の一人が近付いてきている。お供の二人は別に嫌いではないのだが、あの男にここで会うのはご免だ。


「申し訳ありません。急用を思い出しましたので、失礼いたします」

「え?あ、ちょっと。……ああ、成程」


 白哉が早足でこの場を去ると、入れ代わりで反対の方から賑やかな三人組が登場した。東仙は察して苦笑し、すれ違う志波海燕たちと挨拶を交わした。

 そしてその次の日にも白哉は綜合救護詰所に足を運んだのだが、どうも間が悪い。京楽に先を越され、昼休みの時間に見舞いをすることは叶いそうになかった。仕事に戻ろうと踵を返すと、すれ違った狐のような目をした男に声をかけられた。


「キミ、そこの病室の子に会いに来たん?京楽隊長は一緒になっても気にせんと思うけど」

「……また来ることにしますので」

「そう?なんや前の瀞霊廷通信にも載ってた子らしいなぁ。面白そうやしボクも会ってみたいんやけど、見舞いで初めましてはないしなァ……あ、引き留めてゴメンな。ボクも仕事に戻らな」


 この日の午後から、陽光を受けた瀞霊廷の桜は一斉に見頃を迎えていた。白哉が六番隊舎に戻るまでにも、何本かの満開の桜があった。辺りにはふわりと甘い香りが漂い、白く柔らかそうな花弁が舞う情景には通りの多くの人々が足を止めて感嘆の声を上げていた。白哉もまたそれを美しいとは思ったが、沈む気持ちを晴れ晴れしくさせるには至らなかった。

 来る日も来る日も、間が悪い。或るときは虎徹姉妹が沙生と長話していて日が暮れて、また或るときは別室で検査でもしていたのか沙生がいなかった。技術開発局の久南ニコと病室の前で鉢合わせしたこともあった。忙しい合間を縫って、というか局長の目を盗んで何とかお見舞いに来たのに、とあまりにも絶望したような顔をされるものだから譲ってしまった。いい加減にしないと、まだ預かり物を渡せていないことが弓親に知れてもいけない。

 沙生に会えないまま悶々と日々を過ごしていたが、遂に機会は訪れた。先客もおらず、病室には確かに沙生の霊圧を感じられる。やっとだ、とどっと疲れた気分になりつつ戸に手を掛けたとき、中からすすり泣く声が聞こえて白哉は固まった。同時に焦りを感じ、体の芯は冷たくなったみたいなのに首には汗が滲みかける。どこか痛むのだろうか、それとも誰かに何か言われたりでもしたのか。


「ひっ、……う…桜、ほん、とは、やっぱり見たかった、な……」


 かけたい言葉はたくさんあったはずなのに、頭の中が急に真っ白になった。


「…………」

「こんにちは、楠山四席のお見舞いですか?中に入らないので?今なら起きていらっしゃると思いますが」

「……いい。また改める」

「? そうですか?あっ、伊江村四席!さっき山田副隊長が探していらっしゃいましたが――」


 気付いたときには駆け出していた。すれ違った四番隊隊士の咎める声を無視して外に出て、探して――やっと見つけたそれは、とっくのうに葉が茂るだけになっていた。足元を見て、ここに辿り着くまでに見る影もなくなった花弁を散々踏んでいたと気付き、乾いた笑いが出る。見頃が始まった最初の日より後、桜が好きであるはずの己は、景色に目を向けることをしてこなかったのだ。
 今は、桜花の儚さを呪ってやりたい気分だった。


***


「沙生さん。お迎えが来ていますよ」


 こちらを振り向いて笑顔でそう言った卯ノ花隊長は、「では私は失礼しますね」と付け加えると、私の荷を奪って廊下にいる誰かに押し付けて帰ってしまった。おおかた、海燕さんとか十三番隊の誰かだろう――そう思って部屋を出た。


「迎えとは……いや、違うと思うのだが……」


 そこにいたのは白哉さんだった。押し付けられた荷を律義に抱えて真面目に考え込んでいる。その様子が可笑しくてつい小さく笑いを零すと、気付いた白哉さんは顰め面を解いて笑い返し、優しい声色で続ける。


「――まあいい、そういうことにするか。沙生、このあと特に用事などなければ一緒に来てもらいたいのだが」


 どんなご用件だろうか。一応、今日はずっと空いている。退院しても暫く安静にしているようにと御厨さんに言われたし、それにどうも彼女は更木隊長にも念押ししたらしい。数日前には「お前が戻ったらさっそく鍛えてやるよ」と意気込んでいた隊長が、今朝早くにまた来て「一週間は仕事なしだ。休んでろ」とおとなしくなっていた。


「いいですよ。でも、一度隊舎にその荷物を置きに」

「気にするな、私が持って歩く。行くぞ」

「ええっ、それ結構重いですって」

「構わぬ」


 そのまま歩き出した彼に続けば、自然とすぐに横に並ぶことになった。病み上がりゆえにまだ本調子とはいかず私の歩き方はだいぶゆっくりなものなのだが、歩幅を合わせてくれているみたいだ。一方で、先ほどから目が合わない。進行方向を真っ直ぐ見つめたまま、白哉さんは口を開いた。


「暫くぶりだ。結局、病室に顔を出すことはできなかったからな」

「ん?……そういえばそうですね。でも毎日誰かしら来てくださって賑やかで、おかげで寂しくはありませんでした」

「だろうな。何度出直したことか、数えるのも面倒だ」

「あれ。まさか……何度もご足労いただきまし…て?」

「それだけ兄が人に恵まれているということだ。私は別に気にしていないぞ」


 言葉通りとは少し違う、若干含みのある調子で言い放つ。この人は案外こういうところがある。細かな気が利く一方で、見た目に反してちょっと意地っ張りというか、拗ねっぽいというか何というか。それでこちらもつい、子どもっぽく対抗したくなったりして。


「そうですかそうですか。ええ、ありがたいことです本当に」

「…………」

「……な、なんです」

「いや……」


 綜合救護詰所の玄関を出たところで足は止まり、二人して無言になってしまった。なんだこの空気は。周囲に人はおらず、風も吹かないせいで音がない。


「…………駄目だな。人付き合いは鏡のようなものと思えと、爺様からも言われているというのに……」

「はい?」


 白哉さんはひどく小さい声で、独り言のように何か呟いた。よく聞こえなかったので近くに寄ると、さっきまではてんで合わなかった目が、今度はしっかりと私を捉えた。逸らすのもなんなので、まじまじと見合うことになる。


「それに先日も、素直にと言われたばかりだ」

「……そうですか」

「白状しよう。沙生はそうでなくとも、私は……少し、寂しかったのだ」

「きゅ、急にどうしました」

「私が沙生を心配していたはずなのに、仕事にも稽古にも身が入らず、私が父様に心配される始末」

「あらら。それは、ご心労をお掛けしまして――」

「兄が謝ることはない。それで……その、回復したようで良かった。我ら死神は常に死と隣り合わせではあるが、やはり友には無事であってほしいからな」


 白哉さんは真顔で、至極真面目に言ってくれていると分かる。しかし急にこうも素直になられるとは思わず面食らってしまった。少々小っ恥ずかしさを感じなくもないが、そう思ってくれていたことは私も素直に嬉しい。
 死神になってからの私の交友関係は割と広い方だと思う。他隊に書類を持っていく仕事をよく請けるものだから各隊に知り合いができたし、隊長格にもそこそこお話しする仲の人がいる。瀞霊廷通信の影響で街の人々にも顔と名前をおぼえられているようで、適当なところを歩いていても必ず誰かが声をかけてくる。お見舞いにも沢山の人が来てくれた。でも、私のことを“友”であると言葉にしてくれたのは白哉さんが初めてだ。


「白哉さん」

「……な、なんだ」

「ありがとうございます。あまり友人を心配させてしまわないように、もっと気を付けるようにしますね」

「!……ああ。では、行くか」

「はい。それで、どちらまで向かうんです?」

「我が屋敷まで。近い所ではないから、休み休み向かうとしよう」


――――――


「わあ〜!立派ですねー……こんなに大きなお屋敷、初めて見ました」

「それはそうだろう。尸魂界で一番の建築と言っても過言ではない」

「あそこの池の鯉も、遠近間違ってるんじゃないかと思うくらい大きいですね!ところで白哉さん」

「何だ」

「どうしてご自分のお屋敷に塀登って入らなきゃならないんです?」


 六番区内貴族街にある建物は、全てが気品と豪華さを具える素晴らしいものだった。その中でも一際目を引く、巨大で立派な五大貴族の一である朽木家の邸宅。門だけでも現世の国宝建築に勝るとも劣らない荘厳なたたずまい。濃紺の瓦屋根は青空に調和しながら日差しでキラキラと輝き、高貴な存在感を放っている。何故ここに引き連られて来たのかと考えることも忘れ、観光にでも来たみたいに気分が上がったところで、裏に回って塀に上が……何故に!?


「思いつきゆえ、世話係にも誰にも兄を連れてくると伝えておらぬ。見つかると面倒だ」

「まぁ流魂街出の私みたいなのが気軽に出入りさせてもらえる場所ではないでしょうね……」

「番がいないのはこちらだ。身を低くして来い」

(おっ白昼堂々の盗人ごっこか?隠れるか?我に任せろ)

(うわ、どうでもいいときに)


 久し振りの対話がこれってどうなんだ。私以外には聞こえない声で語り掛けてきたハクは案外元気そうだった。入院中は斬魄刀に触れることも許されなかったから、対話も同調もずっとしていなかったのだ。私と違ってハクの話し相手は私だけだから退屈だったことだろう。


(やらなくていいからね?そりゃ見つかると面倒になるんだろうけど、白哉さんに急に消えたと思われても面倒でしょ)

(そうだ。小僧一人にだけは見えるようにしたまま隠れる、などという器用なことはできぬからな)

(はいはい却下却下)

(それは残念だ。……沙生。後で話したいことがある。夜にでも、落ち着いたら塔に来い)

(……分かった。じゃ、あとは変な茶々入れてこないでくださいよ)

(はいはい)


 考えることで語るこの対話は、中々神経を使うものだ。ついうっかり口に出してしまいそうになる。もしやらかして人に聞かれたりすれば、独りで喋る危ない人に見えてしまう。気を付けなければ。


「ここからなら大丈夫だろう。下りられるか?」

「だいじょ……いや結構高いかなこれ……」


 死神であればなんて事はないはずの高低差なのだが、今の体ではできる限り無茶はしたくない。そう考えていると、白哉さんが手を差し伸べてきた。


「掴まれ。衝撃を受けないように補助しよう」

「ありがとうございま」


 お言葉に甘えることにしてその手をとると、ひょい、からのびゅん、そしてすとん。こんなこと前にもありました。コンマ数秒とはいえその、所謂お姫様抱っこのような体勢であるわけで。こういうことをサラッとやってしまうあたり、浮竹隊長も白哉さんも育ちのいい紳士であるのは同じなようだ。


「……す」

「そこに掛けるといい。もうこの辺りは私の庭だ。庭師に手入れを頼んでいる日でもなければ、勝手に人が来ることもない」

「へぇ。これが白哉さんひとりの……はぁ……」


 落ち着いた雰囲気をかもす東屋の長椅子に腰掛けて、庭園全体を見渡してみる。十三番隊の庭は比較的明るく親しみやすい癒しの空間だとすれば、ここは高潔な美しさをたたえる空間で、自ずと背筋がピンと伸びるようだ。しかし息が詰まるような堅苦しさは一切なく、寧ろ心地よいくらいである。


「まずこれを渡しておこう。綾瀬川五席からの贈り物だ。沙生が入院した日にはもう預かっていたのだが……遅くなってしまった」

「弓親から?あ、包み紙かわいい。兎だ」


 びりりと破いてしまわないように丁寧に糊の塗られた箇所を剥がした。そして渋い抹茶色の小箱を開けると、更に大中小の箱が三つ。まずは大きい箱の中身を確認してみようと蓋を開ければ、透き通るような白い磁器が入っていた。


「香炉のようだな」

「香炉……あ、そうそう!そうだった。十一番隊の女性棟って私が入隊するまで長らく放置されていたみたいで、そのせいで掃除しても埃っぽさがなかなか抜けなくて。弓親に相談したら、良い香りのお香を焚いてみたら良いんじゃないかって勧めてくれたことがあったんです」


 持ち上げてぐるりと眺めてみると、側面に黄や薄桃といった淡い色で小さく可愛らしい花々が描かれていた。そして蓋のつまみ部分はまるい兎の形をしている。流石は弓親、確かなお眼鏡だ。一目でお気に入りになったそれをそっと置いて、残りの二つの箱も開けてみる。


「となると……うん、お香と擦付け木だ」


 お香の初心者である私のために、沢山の種類が少しずつ入っている詰め合わせを選んでくれたようだ。色々試して好みを探す楽しみができた。隊舎に帰ったらお礼を言わなくては。


「さて。それで、本題はなんですか?」

「……ああ。私有地であるここでなければ、そう派手にできぬことだからな。東屋の後ろに木があるだろう」


 振り向くと、これまた立派な太い樹木があった。樹齢は四桁に届いているのではないかと思うほどの――


「 散れ 『千本桜せんぼんざくら』 」


 ぶわり、桜花が息を吹き返す。
 瞬きの間に現れた無数の花弁は薄紅に寄った色をしていた。けれど陽光を受けると真白く輝いて、それは風に揺れる度にきらきらと変化する水面を想わせる。もう散り尽くしたはずなのに、ここだけ時が巻き戻されたみたいだった。


「これをみせたかった。桜が好きだと言っていたからな」

「きれい……」


 立ち上がり屋根の下から出れば、目に映る景色はより明るさを増した。もっと近くで見たい。一歩また一歩と近付いてみると、その枝が纏っているのは五枚で一つの“花”ではなく、“ひとひら”が寄り集まったものだと分かった。それでも、目の前の奇跡はこんなにも美しい。

 ――触れてみたい。

 思わず手を伸ばしたら、白哉さんが咄嗟に私のその手をとった。ぶつかりそうな距離にある目がぱちりと合う。


「……あと少しだったのに」

「触れるのはいけない。指が落ちるぞ」

「ふふ、物騒ですね」

「今の言葉を聞いて笑む兄も負けず劣らずだ」

「これに触れて失くすなら悪くない気もしまして」

「……友を心配させないのではなかったか」

「それもそうでした。ごめんなさい」

「まったく……」


 とられた手は離されないまま下ろされた。そんな怪しむような視線を向けてくれなくても、もう触れようとしたりしませんって。


「始解を習得されていたんですね。それもこんなに奇麗な。流石です」

「何を言っている。兄も既に習得済みだろう」


 表向きはそうなっている。燃やす対象を絞れる白い焔が私の斬魄刀の始解の能力である、と。ところが実際は、その焔は斬魄刀がなくても操れる私とハクが持つ本来の力だ。ハクは「斬魄刀から発せられるように」とか言っていたから、おそらくは始解の能力も同じものになるのだろう。
 けれども今は嘘を吐きたくない気分だ。差し支えのない程度に留めて、白哉さんには話してしまってもいいような気がする。というか、いつまでこの手は握られたままなのだろう。


「……実はまだ、ちゃんとした名前だって聞けていないんですよ」

「そうなのか?あれほどの焔を出せるというのに」

「絶体絶命っていうときだけ特別に力を貸してくれるんです。変わってるでしょう?」

「聞いたことがないが……ふむ。兄がそう言うなら、そういうこともあるのだろうな」

「もう少しで教えてくれそうではあるんですけどね。もっと強くなって、認めてもらわないと」


(そうだな、何度も死にかけおって。しかし――この情景は好いものだ。我も花を添えるとしようか)


「えっ」

「ん?」


 結局また茶々を入れてきたかと思えば、腰の斬魄刀が陽炎かげろうのようにぼやけて光った。そしてそこから、これまたぶわり。前に精神世界の中でやったみたいに、綿のような白い火の粉が無数に浮かび上がり、それらは徐々に花を象って花吹雪になった。千本桜の散る刃の周りを飛び交い、幻想的な光景が広がっていく。


「これは……」

「えっと……花を添えたくなった、そうで」

「そうか。ふっ、はは、沙生の斬魄刀は風流を好む気分屋なのだな」


 全くそのようだ。それから千本桜への対抗心もちょっとありそう。でも、おかげでこんな嘘みたいな光景が生まれたのだと思えば相棒には感謝したい。風光絶美とは、まさにこの目の前のことだろう。


「そうだ、折角ですしお香も焚いてみましょうか。確か桜の香りのも……って」

「どうかしたか?」

「もう触れようとしませんから。そろそろ、その、手をですね……」

「あ…すっ、すまない……焔の花に目を奪われて、すっかり頭から抜け落ちていたようだ」

「いや別にそんな……いいんですけどね」


***


「変わった霊圧を感じたから様子を見に来てみれば……おやおや。このまま戻った方がよろしいかな」


 その庭園を臨める廊下の柱の陰には、微笑む父がいた。季節外れの美しい桜吹雪と傍らの二人の姿をその目に焼き付けてから、彼は静かに屋敷の中へと戻っていくのだった。




あとがき(memoの追記に飛びます)


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