白蛇は急がず影を落とす

死ぬれば死神
びゃくだはいそがずかげをおとす

「ただいまもど」

「りんりんおっかえり〜〜!!」

「わ、副隊ちょっ」


 十一番隊舎へ足を踏み入れると、さっそく草鹿副隊長が降ってくるではないか。思わず身構えるも衝撃は殆どなくて、ぽむ、なんて擬音が似合いそうな軽さで腰にしがみつかれた。


「退院おめでと!ねえ、もうどこも痛くない?なおった?」

「ありがとうございます。一ヶ月殆ど寝てたので体力は落ちた気がしますけど、怪我はもうすっかり大丈夫ですよ」

「よかったー!えへへ」


 こんなに幼くて可愛いらしいのに上司というのも奇妙だが、いい加減に慣れた。甘えるように抱き着いてくる副隊長の背中に手を添えて、ぽんぽんとあやす。そうしていると、彼女の良く通る笑い声を聞きつけてか、近くにいた隊士たちがぞろぞろと集まってきた。


「楠山四席、おかえりなさい!」
「お元気そうで良かったです!」
「復帰いつですか?」
「稽古つけてもらいたいんすけど」
「こいつ毎日めそめそしてたんすよ」
「そうそう、一人で十二番隊に行くの恐いよ〜って」
「う、るせぇ!頑張って行ったわ!」
「でも局長に会えなくて書類溜まっちまってんだよな」

「ただいま!隊長から一週間は休み貰ったよ」


 初めて会ったとき娘っ子と呼んで来た先輩に、食堂で食事しているといつもお茶を淹れてくれる下っ端根性甚しい先輩。最初は私に反抗気味だったが、木刀で熨してやってから素直に認めてくれた何人か。よく寝坊しては朝食を食べ損ねる同期に、一角から肝の小せぇ野郎呼ばわりされている十二番隊が苦手な同期、等々。
 流石にもう全員が事件の詳細を知っているだろうに、普段と変わらない態度で快く出迎えてくれた。変に暗くなられるよりずっといい。寧ろ、普通であることが今の私にとっては何より嬉しく感じられる。


「おう沙生、戻ったか」

「隊長。はい、おかげさまで」


 更木隊長が来たことに気付いた隊士たちは、素早く左右に分かれて彼が通りやすいように道を空けた。特にそう躾けられたわけでもあるまいに、隊長の放つ雰囲気がそうさせるのだろうか。それにしても、今朝は意気消沈といった風でおとなしかったのに、いやに機嫌が良さそうだ。……獲物を見つけたときの獣のような不敵な笑みをこう受け取れるようになったのは、自分としても進歩だと思う。


「何かいいことありました?」

「ああ、来月に討伐遠征が決まったぜ」

「やっと仕事で戦えるってことですね。そっかぁ、そうですか……分かりました」

「楽しみだね!剣ちゃん、りんりん!」


 副隊長は軽い身のこなしで皆の周りをぴょんぴょん跳ね回ってから、いつもの定位置である隊長の背中に戻っていった。五、七、九、十の四人の新隊長に気を取られて忘れかけていたが、ウチの更木隊長もまだその地位に就いてから一年も経っていない身だった。であれば当然、志波隊長が話していた『総隊長が経験を積ませたい新隊長』とやらにも含まれることになる。今は九番隊が出ているらしいから次はてっきり十番隊だと思っていたのに、まさか飛んでこちらに出番が回ってくるとは。


「それまでに勘は戻しとけよ。おい、てめえらはどうせ暇なんだろ。ちっと体動かすから付き合え」

「はいっ!お願いしゃす!!」
「俺はまた十二番隊に行ってみないと、そろそろ書類の期限が……」
「こんなときばっかり言ってんじゃねぇぞ!!逃がすかコラ」
「おらァさっさと道場行くぞ」
「じゃ俺ら行くんで四席はお大事に」

「うん、行ってらっしゃい。頑張って」


 弱腰な若干名はやる気あふれる先輩方に首根っこを掴まれ、騒がしく廊下の奥へと消えていった。しごかれるのは辛かろうが、強くならなければ弱音を吐くことすらできなくなるかもしれない。死神として虚と相対するとはつまり、そういうことだ。
 さて、一角と弓親にも会いたかったが隊舎にはいないみたいだし、夕食には早過ぎる。「夜にでも」と言われたが他にやることもなし、自室へ帰ってハクとの対話でもすることにして、女性棟へと足を向けた。持ち帰った荷を置いて畳に寝転がると、一月帰らなかったこともあって埃っぽさが鼻につく。弓親から貰ったお香でも焚こうかと考えていたら、ふわりと甘い香りが鼻を掠めた。一体どこからだろうか。起き上がり、開け放したままの戸口から外を見遣ると、ついさっき目にしたものとそっくりな形をした花がちらほらと咲いているのが見えた。


「本物も咲いたんだ……ちっちゃい、可愛い」


 蕾は薄桃を帯びているが、開いた花は真っ白。花弁に陽を浴びているせいでより眩しく見えるのかもしれない。草鹿副隊長が入隊祝いに贈ってくれたこの白鳥花の盆栽は、なんだかんだでハクも気に入っていた。話を聞きに行く序でに開花報告もしてやろう。うたた寝したくなるような暖かさの縁側で座禅を組み、斬魄刀を膝の上に乗せて目を閉じた。そうすれば、すぐに美しい幻想のような精神世界に辿り着く。見渡す限りに広がる東雲の空、黒の巨塔の群れ、眼下には白の焔海。


(――来たな。まだ陽も高いようだが、暇なのか?)

(病み上がりには周りが気を遣ってくれるのさ。ねぇ、あの白鳥花が咲き始めていたよ)

(そうか。どれ、後で見てくるかな)

(……そういえばさ。ハクって内から話しかけてくるときは私と同じように見えたり聞こえたりしてる感じなのに、今さっき私が見た花は見えてないんだね。どうなってるの?)


 これまでにも何度か、私が危機に陥ったときはハクが自分の目で外の様子を見たかのように判断し、助けてくれたことがあった。見えているときと見えていないときには、何か条件の違いでもあるのだろうか。


(……初めて斬魄刀を介してお前と話したときに我は言ったな。ひとつに融合したのだ、と)

(うん。ひとつの体にふたつの魂……ってことじゃないの?)

(少し違う。我は沙生の中に居るが、その体が有する魂は沙生のひとつだけ。我はお前と五感を共有している訳ではないのだ)

(うーん、ややこしい。何だか分かりづらいなぁ)

(お前の“魂”という囲いの中に、我の“心”が住んでいるものと思ってくれれば良い。ひとつの体という器にれることのできる魂もまたひとつだけ。ふたつ以上になれば、それは歪んだ存在といえる。例えば……他の魂魄を喰らった虚とかな)

(えっ、なにさ。じゃあハクの魂はどこ行っちゃったの)

(さあな。どこかに落ちて眠っているか、輪廻しているのではないか)

(適当な神使だなー……)

(人の子に教えることでもない。それにそういったモノの概念を人の言葉で説明するのは難しい。我がこの沙生の精神世界の外、つまり現実世界の様子を見聞きできるのは、斬魄刀のお蔭だ。あれが我の目であり、耳である。お前が我を具象化できればまた違うのだが)

(小難しい……それで結局、どうして見えないときがあるの?)

(……気分だな)

(はい?)


 長々と分かるような分からないような難しい話を展開するものだから、置いてけぼりくらわないように一生懸命聞いていたのに。この相棒たら今なんと仰いました?


(説明が面倒になったんじゃなくて?)

(気分。普段はここでくつろいで、たまに斬魄刀を介して外を見ている。だから、言うなら「見えないときがある」のではなく「見ているときがある」の方が正しい)

(危ないところで助けてくれたのは?流石に偶々じゃあないでしょ)

(初歩だぞ。ここは沙生の精神世界、お前が危機に瀕すれば空模様や焔の様子で分かるわ)

(あぁ、成程。そこは納得した)


 しかし基本は気分である、と。何だかなぁ。白哉さんがハクを指して言った『風流を好む気分屋』とは、言い得て妙であったらしい。


(して、そろそろ本題に入りたいのだが)

(あぁ、うん。答えてくれてありがとうね。本題に入ってどうぞ)


 神妙な面持ちに変わる白鳶。人間の表情と違って分かりづらいはずの鳥の表情がここまで窺えるとなると、相当な話なのだろう。これまでずっと一緒にいながら一度も見たことのない相棒の様子に、思わず固唾かたずを呑んで言葉を待つ。


(我はお前の入院中にも、病室の片隅に置かれた斬魄刀を通して外を見ることが何度かあった)

(山田副隊長も御厨さんもしつこいくらい「ここでは斬魄刀に触っちゃダメ」って言ってきたから……やっぱり暇だったでしょ)

(治りかけてきたからといって隙あらば稽古しようとするからだ。あの二人もお前のために苦労するな)

(うっ……そ、それで?何かあったの?)

(お前が眠っているとき、病室に市丸ギンが来た)

(えっ)


 市丸ギン、五番隊副隊長。私が警戒する要注意人物三人の中の一人であり、魂魄消失事件および隊長格虚化実験の黒幕の片腕。白髪で狐目の男。
 私は“あの夜”に初めて彼の存在を認識し、それ以降は一度も会ったことも話したこともない。しかもそのときはハクが“隠れる力”を揮っていた。彼は私があの場にいたことには気付いていないはずである。そんな風に、私という存在を認知しているかどうかすら危ういはずの人物が、いきなり初対面で見舞いになど来るものだろうか。可能性があるとすれば、私の入隊経緯や拉致事件について瀞霊廷通信で読んだから気になった……とか、野次馬な理由しか思い浮かばない。しかし、考えたくないもう一つの可能性が頭をよぎる。あのとき、彼とは目が合った気がしたはずだ。話しかけられることもなく素通りされたし、隠れられたのだと思っていたが、もし違ったら。ぞわり、と冷や汗が背中を伝う気がした。


(奴が来たときの様子を見せてやろう。話すより早い)

(なにそれ、一体どうやって……)


 尋ねようとすると、ハクはいきなり両翼で白焔を巻き上げ、辺り一面がもやのようなもので覆われていく。座っていたはずの塔の黒い階段すら見えなくなって、視界はすぐに白一色になる。何が起きたのかと立ち尽くしていたら、徐々に靄は晴れていった。そして見渡してみると、そこは見慣れた白い病室になっていて――


***


 コンコン。誰かが白い戸を叩く。
 この日もいつもの時間に治療を施してもらった沙生は、回道によって自己治癒力を引き出されたために幾らか疲労し、すやすやと寝息を立てているところだった。外の誰かは、中から返事がないことを確認した後、音を立てないように慎重に戸を開いた。


「よう眠ってはる…よね?お邪魔しまー……」


 極めて小声で呟きながら中に入って来た人物――市丸ギンは後ろ手でゆっくりと戸を閉めると、隅に立て掛けてある沙生の斬魄刀を見留めてそちらに歩み寄っていく。このとき斬魄刀を通して様子を見ていたハクは一気に警戒を強め、ギンの一挙一動を見逃すまいと睨みつけた。万が一の場合には、相棒である沙生に断ることなく“燃やす力”を揮うつもりで。目の前まで迫ったギンは、腰に差していた刀を徐に鞘ごと・・・引き抜いた。そして、立て掛けてある斬魄刀と己の刀の柄の高さを合わせるように持ち、反対の手では顎をさすりながら小声でこう言った。


「この子のもそこそこ長いんやな……ボクの斬魄刀、やっぱ短いわ」


 こいつは何がしたいのだ、とハクは拍子抜けした。態々沙生が眠っているところを狙ってやって来て、まさかこんな背比べが目的ではないだろう。ところがギンはそれきり何をするでもなく、斬魄刀は早々に腰に戻し、ただじっと沙生の寝顔を見つめ続けるだけで五分近くが経過する。
 ふと、ギンは驚いたように顔を上げて背後を振り向いた。つられてハクもその方向を探ってみると、朽木白哉がここに近付いてきていると分かった。この距離になるまで気付かなかったということは、ギンも相当集中していたのかもしれない。何に集中していたのかは、彼にしか分からないことであるが。


「なんや今日も来るんかいな、どんだけ間ァ悪いねん。可哀想やけど――」


 ギンは己の斬魄刀を緩慢な動作で一撫でした。まさかここで抜く気なのか。ハクはいつでも行動に移せるように構えた。白哉も、もうすぐそこまで迫っている。


「――見られたないし、今日も会われへんで」


 ギンがそう独り言を発すると、ハクは一瞬だけ、この部屋の空気が揺れたように感じた。僅かに、微かに。鬼道は目視できない。斬魄刀も結局は抜かれなかった。特に妙な霊圧が漂っているわけでもない。ギンは一体何をしたのだろうか。ハクは数秒の内にあらゆる可能性を考えたが、これだという見当がつかなかった。

 白哉がここに来るまでは。

 数回のノックの後に遠慮がちに開かれた戸から顔を覗かせた白哉は、きょろきょろと病室の中を見回すと、こう零したのだ。


「……いないようだな」

「いてへんいてへん。ほなさいなら〜」


 おどけた調子でひらひらと手を振るギンのことも全く認識できていない様子だ。小さく肩を落とした白哉によって再び戸は閉められ、しんと静かになる。そしてギンは眠っている沙生に視線を戻し、更に驚愕の事実を口にする。


あの夜・・・、藍染隊長はほんまに気付いてへんかった。キミ何したん?まさか……今のと同じに、やろか」


 そこにいるのに、人の五感も霊圧知覚も完璧に欺いて隠れることのできる力。知らぬ鬼道か、抜かずして斬魄刀の何らかの能力を使ったのか、それとも。ギンは沙生の頬にそっと右手で触れたが、彼を警戒していたはずのハクは動かなかった。何故なら、その男はどこか嬉しそうに微笑むばかりで、殺気を全く感じさせなかったから。


「気になるわ。今度ゆっくりお話ししよな、初めましては改めてそんときや。ほな、また」


***


 ――さっきと同じように視界は白い靄で覆われ、直に晴れた。気付けば元いた塔の黒い階段にいて、正面には何とも言えないといった顔のハクがいる。


(……何ですかコレ)

(我がききたいわ。というよりまず開いた口を閉じろ、凄い間抜け面だぞ)

(どっこいどっこいじゃない、ハクも変な顔してるよ)


 たったいま見せられたのは、恐らくは幻影の類だろう。相棒が焔で作り出した再現ならば幻焔げんえんとでも呼ぶべきか。何れにせよ、これが私が熟睡中に起きた出来事らしい。分からないことだらけだが、残念なことに確定したことが一つある。幻焔を見せられる前に危惧した通り、どういう訳か、あのとき市丸ギンには私の姿が見えていたということだ。


(な、どう考えてもおかしいだろ。さっきお前が小僧といたときにも言ったが、我の力は――)

(一人にだけは見えるようにしたまま隠れるなんて器用なことはできない。そのはずだよね)

(ああ。できたとしても、あの状況でそんなことはしないがな)

(誰か一人にでも見つかっていたら力が無効になるなら……私は途中から、あそこにいた人たちから実は見えてたかもってこと!?)

(落ち着け、そしてよく思い出せ。浦原喜助の肩にぶつかるまでは確かに隠れられていたはずだ)


 そうだ、そうでないと辻褄が合わない。ぶつかって初めて浦原隊長は私の存在に気が付き、とても驚いていたではないか。当時は副隊長だった藍染隊長と五席だった東仙隊長、それに地に伏していた平子隊長だって、私のことが見えていたならあそこまで無視して放置する理由がない。しかしそうなると、どうして彼にだけは私が見えていたのか。どうして見えていたのに告げ口しなかったのか。どうして口封じに殺さないのか。駄目だ、考える程いよいよ分からなくなる。私など泳がせて何の得になるというのだ。


(私たちの“隠れる力”と似たような力を扱えるから、彼にだけ効かなかった……のかな)

(現状ではそれくらいしか考えられぬ。だがいくら考えたところで、本人に訊かねば闇の中だろうよ。手を出してこない理由もな)


 結局はそれしかないか。彼はやろうと思えば簡単に私を殺せる立場にある。霊圧や瞬歩その他諸々の力量差だって、あの場で肌で感じた私自身が一番よく分かっている。どんなに頑張ったところで手も足も出ないだろう。私はいつ殺されてもおかしくない窮地に立たされている。しかしそれでも、殺気なんて微塵も感じられないあんな顔を見せられては、調子が狂うというものだ。


(今後、より警戒するに越したことはないが……気を揉むことはない。いずれ奴の方から接触してくるだろう)

(分かった。とりあえず普段通りに過ごすことにするよ)


 とは言ったものの、暫くはどう頑張っても気を休めることはできなそうだ。斬魄刀との同調を解き、現実の身の目を開く。体感よりも長く同調していたみたいで、もう夕方になっていた。空の色は上から藍、青、橙、赤。そして太陽は真っ赤に燃えている。漸次ぜんじ的に変化していく様はとても美しいのだが、今の私の心境ではそれが不気味であるようにも映った。

 それからは、隊舎にいても一角と弓親とは出会さなかった。隊士たちから聞いた話によれば、二人はずっと七番隊舎に泊まり込みで鍛錬を続けているらしい。道場より派手に暴れられる裏山も近いし、射場さんにも相手をしてもらえるから色々と都合が良いんだろう。それに加えて、食堂に行くのが遅くなってもちゃんと飯が食える保証付きだ。
 私はというと、仕事もしなくて良いから毎日が暇で暇で。でも復帰するために適度に体は動かさないといけないから、女性棟全体を掃除したり、隊舎の周りをぶらぶら散歩したりして過ごした。あとは、沢子に招待されて十三番隊に行き、五月に咲く花々を背景に皆で記念撮影をしたりもした。撮る係は海燕さんと見坊さんの交替で、海燕さんは皆を笑わせて笑顔を撮るのが上手く、見坊さんは構図や絞り具合を調節して被写体を美しく撮るのが巧かった。
 ――そして、更木隊長から貰った一週間休みの最終日に、その時は訪れた。


(沙生。気付いているか)

(うん。この角を曲がってずっと行った先に……十一番隊舎の門の近くに、市丸副隊長がいる)


 午前中に十三番隊の庭園を散歩させてもらい、今は十一番隊舎まで帰る途中だ。これほど離れていると、普通なら霊絡を辿らねば誰の霊圧なのか分からない距離だ。しかし、ここ最近の私は彼の霊圧に関してだけは特に敏感であるように努めてきた。一週間ずっと気は休まらなかったが、心の準備もないままばったり会ってしまうようなことはけられたのだから、その甲斐はあったといえる。彼がその場から動く気配はなさそうだ。きっと仕事で寄ったとかではなく、私を待ち伏せするためにそこにいる気がする。


(ハク、試してみたいことがあるんだけど)

(何だ?迂回して避けるとか、先延ばしならばあまり勧めんぞ)

(右翼の“隠れる力”を使って隠れたまま近付いてみようと思う)

(……成程。本当に奴には効かないのか、確かめるというのだな)

(うん、お願い。――行くよ)


 周囲に人がいないことを確かめてからハクに頼み、隠れる。これで、人々からは私の姿は見えず、気配も霊圧も感じることはできなくなった。深呼吸をしてから角を曲がり、真っ直ぐ十一番隊舎を目指す。通りの先に小さく見える市丸副隊長は竹の縁台に腰掛けてぼうっとしていて、まだこちらに気付いていないみたいだ。座るのに邪魔だったのか、彼の物と思しき刀が二振り横に置かれている。ここから見渡せる範囲に私と市丸副隊長以外の人影がいないときを見計らって、早足で近付く。あと少しで彼の視界に入る辺りだ。……もうちょっと。ここで、どうだ!


「あ、こんにちは。十一番隊の四席の子やね?」

「……!? そうです。こんにちは」


 普通に話しかけられた……だと……!?
 いや、可能性を考えていなかったわけではない。私を待ち伏せするにあたって、私が隠れていようと見つけられるように、予め力を使っておくなど準備をして待ち構えていたのかもしれない。だが、あまりにも声の調子が自然すぎる。「隠れても無駄」とか「ボクには効かない」とか、そういう一言があってもおかしくないのに。
 まるで……まるで、私が力を使っていることにも気付いていないみたいではないか。


「初めまして、五番隊副隊長の市丸ギンや」

「存じ上げております。私は楠山沙生と申します」

「どうも。ボクも知ってるで、キミ何かと有名人やから」

「光栄です。あの、何かご用でしょうか」

(沙生、直に通行人が来るぞ。市丸ギンに独り言を言わせておく訳にもいくまい。力は解除して構わないな?)

(分かった、頼むよ)


 そして“隠れる力”が解除されても、市丸副隊長がそれに対して反応した様子は何も見受けられなかった。混乱しているのは私ばかりで、彼はやはりごく自然に話を続ける。


「副隊長会についてあれこれ書かれとる大事な書類持ってきたんやけどな。本人探しても見つからへんし、誰かに預けよ思てここまで来ても仕事部屋にも誰もおらへんし。待っとったら帰ってくる人いーひんかなぁてここ座っとったら、キミが来てくれたってワケや」

「そうでしたか。ではお預かりします。副隊長に確かに渡しておきますので」


 ウチの副隊長がこういう書類にちゃんと目を通すのかはちょっと、いやかなり怪しいが。書類を受け取って、さてこれで失礼するべきか、何か話を振るべきか。ボロも出したくないし今回は撤退しようと決めて口を開きかけたのだが、市丸副隊長に先を越されてしまった。


「ちょっとお話していかへん?ここ座り」


 自分が座っている縁台を軽くぽんと叩き、細く狐のような目で私を捉える。本音は「嫌だ」の一言なのだが、断るのは今後のためにも体面上にも得策とは思えない。委縮する気持ちを何とかふるい立たせ、いざ。


「……お隣、失礼します」

「付きうてくれるん?おおきに、色々訊いてみたかってん。あ、置いとるソレ邪魔やったな。斬魄刀こっちに寄越してや」


 警戒する相手に刀を手渡さなきゃならないなんて。「自分で取れ」と言ってやりたいが彼は副隊長であるし、私を口封じに殺そうという算段がもしあったとしても、流石にこの往来で斬りかかってくることは考えにくい。震えそうになる手にぐっと力を込めて抑えてから、言われた通りにそこにある二振りをそれぞれ手に取って差し出した。


「それな、片方は誰かの忘れ物やで。平時やからって置き忘れるなんて気抜き過ぎなんがおるなぁ。見つけたとき笑ってもうたわ」

「はぁ、それは……持ち主を探して注意しておかないといけませんね」

「せやな、おおきに……あ。アー……」

「? どうされました」

「いや……よう分かったなぁて。ボクの斬魄刀がそっちやて」


 今一度、自分の手元に目をやる。差し出している右手には短い刀。引っ込めた左手には長い、というよりよくある普通の長さの刀。しまった――そう思ったときにはもう遅い。無意識ゆえの行動は、場合によっては命取りにもなる。


「えっと……その」

「ボクの、短いせいで斬魄刀やのうて護身用かなんかの脇差と間違われるんが常なんやけどなぁ。あんまり人に見せることもせえへんし……ん……キミ、まさか」

「な、何でしょう」

「……ふぅん。ふふ、頑張ってはるんやろうけど、目泳いでるで」


 市丸副隊長は縁台からすっと立ち上がり、私の耳元に口を寄せてささやく。


「――狸寝入りが上手なんやね」


 すぐに離れ、意図の読めない笑顔を見せた。彼が病室を訪れたときに実は私が起きていたのだと勘違いしているようだが、どちらにせよ、そのときの彼の行動の一部始終を目にしたことはバレてしまった。こうなったのも全て、こんな所に刀を置き忘れた間抜けのせいだ。誰だか知らないけど。
 この人はもう、あの夜に私が見えていたと隠す気がない。緊張が走る。何かおかしな動きがあればいつでも距離を取れるように身構えた。


「そんな睨まれた蛙みたいにならんでも、何もせえへんよ。ほな改めて、三度目ましてや。座って座って」

「……分かりません。これ以上、あなたは私と何の話をしたいんです」

「んー?友達になれへんかな思て。お互いのことよう知らんと、色々と大事なこと話してええかどうか判断できひんやん。キミ、十三番副隊長さんと仲ええらしいね。他にも友達多いやろ?」

「良くしてくださる方には恵まれていると思います。友達……と呼ぶとなると、しっくりくる人はそれほど――」

「あれやろ、六番隊長さんとこのお孫さんとか」

「……よくご存じで」


 知っていて当然だ。幻焔で見た限り、彼は何度も出直してまで見舞いしようとしてくれていた白哉さんを見掛けている風な発言をしていたのだから。


「あとな、隊首会でびっくりしたんやけど、隊長さんらとも随分顔なじみなんやね」

「隊首会……?そんな大層な場で、私についての話が挙がったのですか?」

「え、もしかして知らん感じ?ははぁ……知らんならボクからは言わんどくわ。自分とこの隊長さんにでも訊いたらええんちゃう」

「問題視されるような心当たりは全く……」

「なに、そんなんやないから安心しぃ。世間話みたいなもんやった。でも、ちょーっとまずかったかもなぁ」

「……?」


 お互い目を合わせずに通りを眺めたまま話していたのだが、彼は少し間を置いてからこちらを向いて、薄く片目を開く。珍しい水色の瞳に魅入る暇も与えず、彼は言った。


「“あのとき”はせっかく眼中になかったのに、幾らか興味持たれてしもたかも分からんで」


 狐目と口角はまた弧を描き、どこか楽しんでいるかのようだ。興味を持たれた。誰に?決まっている。この言い方だとまず間違いなく、彼の上司に。


「……ちゃんと伝わったみたいやね。あっ誤解せんでもらいたいんやけど、ボクは黙っとるで」

「…は……?」

「キミがあそこにおったこと」

「何故です。私一人が知っていようと、何も支障はないという意味ですか」

「ちゃうって。そうやないと、まず友達になってくれへんくなってまうやん」

「友達って……どうしてそんな、」

「あぁーーーーっ!!あったぁ!!!」


 どでかい声で私の言葉を遮ったのは、知らない男の死神だった。今までの重く鹿爪らしい空気はどこへやら、どたどたと騒々しくこちらに駆け寄ってきたそいつは、なんと更木隊長よりも若干背が高く、ごつい体つきをしている。それよりも驚くべきは、その髪型である。こんな巨漢がどうして左右に三つ編みのおさげをこさえているんだ!?


「ひゃあ。なんやねん、びっくりしたわ」

「こっこれは市丸副隊長!!そしてそちらは楠山四席!!私は八番隊所属の円乗寺辰房であります!!」

「もしかして、この斬魄刀はあなたの?」

「はいっ!不覚にもとある方に見惚……いや目を奪……いえいえ、はい!忘れました!!」

「困ったさんやねぇ。賑やかやし」

「……阿保で五月蝿いのをよくそんな柔らかく言えますね」

「ぐうっ」

「みてみぃ、見かけに寄らず繊細みたいやで。あんまり直球やと落ち込んで……って、なんや嬉しそうやない?」

「? 何だか知らないけど……斬魄刀を置き忘れるなんて気が緩みすぎでしょう。京楽隊長に言いつけますよ。もっとしっかりなさい。分かったならはい、これ」

「はっ!!ありがとうございます!!!」


 普通に差し出してやったのだが、円乗寺は深々と頭を下げながら膝まで突き、まるで勲章を貰うみたいに仰々しく斬魄刀を受け取った。変な人だ。私の周りの人はよく涅局長を変人だと言うが、こっちの方がずっと変人だ。


「肝に銘じます!!それでは、お話し中に失礼いたしました!!」

「……行ってもうた。キミ、よう変なの引き寄せるんやなぁ。災難な体質やね」

「それ、ちゃんとご自分のことも含めてますか?」

「はは、おもろい冗談やね。空気ぶち壊しやったけど、肩の力抜けたんなら良かったんかも」

「……どうして」

「言うたやろ、別に何もせえへんて……まぁゆっくりでええわ。ほな楠山ちゃん、またな」


 市丸副隊長はひらひらと手を振って、短い斬魄刀を腰に戻し去っていった。何だろう。あの人はどうしてあんな風に笑うのだろう。一見ひとの好さそうな笑みで凶悪さなどは感じられない。それでも、近くで向き合っていたというのに、私には彼の感情が少しも読めなかった。


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