明転、死は終幕にあらじ

死ぬれば死神
めいてん、しはしゅうまくにあらじ

 はっと気が付いた瞬間には、私は何のものかも分からない行列の最後尾にいた。前に並んでいる人々は心ここに在らずといった風で、何を疑うこともなくただ前が空けば一歩、また一歩と進んでいく。
 どういう状況に置かれたのか、考えてもさっぱり分からない。しかしおとなしく後に続くのが正しいような気がしてそのまま歩いていると、いつの間にか私の後ろにもぽっと人が現れていた。成仏したら誰もがまずここに来るとか、そういうことだろうか。

 やがて、簡素な椅子と机が横並びになっているだけの受付に辿り着いた。座っているのは黒袴ばかり……とすると、恐らく彼らもみな死神なのだろう。


「はい次どうぞ、西ね」


 疲れ目の死神に木札を渡され、見ると『西ノ三』とだけ書いてある。どうしたら良いのかと思考を巡らせる暇もなく、木札からぱっと光が広がりあっという間に周囲の景色が変わった。今さっきまでいた何も無かった空間からは一変して、目の前には美しい緑に囲まれる村落があった。死んで驚くこともないだろうと思っていたのだが、死んでからの方が生きていたとき以上に驚かされるとは。どうやら、瞬時に別の場所に飛ばされたらしい。


「来なすったか。ようこそお嬢さん、こちらにおいで」


 背後からの声に振り向くと、少し背の丸まった翁がにこやかにして待ち構えていた。何も言えずにいたら杖をついてずんずん向こうに行ってしまったので、とりあえず置いて行かれないように小走りで背中を追いかける。他に軒を並べているものより少し大きめの家に入っていく翁に続いてお邪魔すると、上がって座るように促されたのでそうさせてもらった。


「儂はこの西流魂街三地区、鯉伏こいふしの長老で名は源信げんしんという。お嬢さんは?」

「楠山沙生といいます」

「そうかそうか、良い名じゃな。沙生や、来たばかりで分からんことだらけじゃろう。色々と説明するから、聞いていきなさい」


 長老は懇切丁寧に説明してくれた。この死後に来る世界は尸魂界ソウル・ソサエティといって、死神や貴族のいる中央は瀞霊廷せいれいてい、流れ着いた者が住まう街は流魂街るこんがいと呼ばれている。流魂街には東西南北それぞれ八十までの地区があり、死した者はああして死神に行き先を振り分けられて、説明も無しに飛ばされるのだとか。長老は長い間ここに暮らしているおかげで、新しく人がやってくる頃合いがだいたい分かるから迎えに来てくれたのだという。親切だ。
 数字が小さい地区ほど治安は良く、とりあえずここらには何か悪さを仕出かすようなやつはまずいないらしい。私はたまたま運が良かったが、あんな機械的に振り分けられて治安が最悪の地区に飛ばされる人はなんとも気の毒なことだ。
 また、流魂街では生前の家族を見つけるのは難しく会えるのは希であり、殆どの者は近くに住む者同士で自然と家族のような共同体を作って暮らしているのだそうだ。出身も死んだ年代もばらばらで、生きていたときより成長や老化が極端に緩やかであるため、見た目では年が分からないのが普通らしい。だいぶややこしい。


「ざっくりとじゃがこれくらいかの。今後も何かあれば儂に訊くといい」

「あの、早速ひとつ訊ねても宜しいでしょうか。真央霊術院とは、何処にあるのですか」

「真央霊術院?死神になるためのあそこかの。来たばかりでよく知っておるのう」

「実は、送ってくれた死神に言われたんです。お前は死神になるといい、と」

「ほう……そうかそうか、沙生は力のある者じゃったか。場所なら知っておるぞ。地図を写してやろう」

「ありがとうございます」

「うむ。しかしすぐに発つこともなかろう。この辺りなら食うものだって山を探せばたんとっているし、死神になるならばこの世界についてもう少しり慣れた方が良いはずじゃ」


 それもそうだ。私はついさっき死んでここに来たばかり。説明も受けて何となく分かったつもりにはなったが、正直いって頭はこんがらがっていた。だってまさか、死後の世界が極楽でも地獄でも黄泉でもなく尸魂界なんて所だとは、思いもしなかったからだ。お釈迦様も閻魔様も伊邪那美命も、結局は人間の創った絵空の存在なのか……もしかしたら、ここより更に異なる次元に御座すという可能性も無きにしも非ずだが。


「さて……住む家が要るじゃろう。空いているのに案内あないさせよう。おうい喜之助、出てきて挨拶しなさい」

「は はいっ、長老さま!」


 奥の間から元気よく出てきたのは、髪を結い上げている色白な少年だった。ぴしっと正座をして頭を下げ、礼儀正しく挨拶をしてくれた。


「初めまして!相楽さがら喜之助きのすけです!よろしくお願いします!では、参りましょう!」

「あぁ待て待て、少し話があるんじゃ」


 元気も元気、若干だが気圧されてしまった。それにしても彼も一度死んだ身であろうに、こうも生き生きしているとは。なんだか可笑しくて、つい目尻が下がった。
 長老は喜之助に何か耳打ちしているから、終わるまで畳の目の数でも数えて待つことにしよう。

 さて、話を終えていざ死後の新居へ。喜之助はずんずん進む。ついて来いというのに早くて容赦がないところは、さっきの長老の歩き方とそっくりだ。二人とも人はさそうなのに、意地悪なのか抜けているのか。おそらくは後者だ。


「長老さまが『そろそろまた来る頃だからしゃっきり用意しておけ』と仰っていたので、いつ呼ばれても大丈夫なようにあそこに控えていました!あなたは強い霊力を持っているようですね。実は僕も、弱いですが霊力があるんです」

「じゃあ、君も腹は減るのね」

「はい!鯉伏には食べなきゃいけない人は僕しかいなかったので畑とかやってますし、ちょっとした料理なら得意ですよ!今晩、あなたにも作って差し上げましょうか」

「いいの?それは助かるよ」


 さっき長老様には遠回しに「山で何かとって食え」と言われたからいささか不安だったが、心配いらないようだ。
 歩きながらたくさんの家を見掛けるし、人通りだってそれなりにある。にもかかわらず、ここら一帯でものを食べるのが私と喜之助しかいないということは、霊力とは思っていた以上に希少な力らしい。


「先ほど聞かされたのですが……本当なら、長老さまはあなたをうちに招いて一緒に住もうと考えていたそうです。でもあなたの霊力はとても強い。霊力を全く持たない人の近くに長くいると悪影響が出てしまうおそれがあるので……村から少し離れた空き家に案内して差し上げよ、と」

「そうだったのか。わざわざ申し訳ない、ありがとう」

「いいえ!しかしその……家族になるはずだったということなので……僕、ええとその……」

「どうした?」

「そのっ!ね、ねえさま……沙生姉さまとお呼びしても、よ、宜しいでしょうか!!」


 顔を真っ赤にして叫ぶものだから面食らった。初心うぶな告白でも受けているかのようだ。しかも、それを止まらないままずんずん歩きながら言うんだから絵面がおもしろい。愉快な子だ。


「好きに呼んでくれて構わないよ、喜之助」

「うぉわ!ありがとうございます!あ、ここです!着きました!!」


 恥ずかしさを誤魔化そうとしているのか、最初よりだいぶ元気でうるさい。
 離れた空き家というのでみみっちい小屋のようなものを想像していたのだが、見てみればしっかりとした平屋建ての家屋だった。中に入ると部屋も幾つかあるし、使う者が少ないはずの台所だってある。


「ここには色んな本が置いてあるのでよく暇潰しに来ていたんです。たまに掃除もしましたし、住むのには問題ないはずですよ」

「うん、ほこりっぽくないね。本ってのは私も読ませてもらって構わないのかな」

「はい、勿論!長老さまによると、前に住んでいた方は死神になったそうで、本も霊力の扱いや死神に関わるものが多いですよ。強い霊力を持つ者が現れたらここを自由に使って欲しいと言付かったとか」

「なら、霊術院に通うことになる前に予習できるかも……」


 本棚から適当に一冊の本を取り出して、ぱらぱらと捲ってみる。霊力を言霊にのせて放つ技や人の霊力を探知するコツなどについて、易しい言葉で順序立てて説明されていた。現世でいう魔法や呪術に似たたぐいだろうか。そんなものでも練習すればできるようになるかもしれないというのは、正直いってわくわくする。


「喜之助は、ここに載ってる……鬼道きどうてやつは使えたりする?」

「いやぁ……霊力をもやもやっと手の平に集めたりはできるんですが、ちゃんとした鬼道となるとまだ難しくて」

「そうか……ねぇ、一緒に練習していかない?本も後でしっかり目を通すつもりだけど、喜之助はちょっと詳しそうだし」

「よ、喜んで!是非ともご一緒させてください!」


 喜之助は私の両手を握りしめて上下にぶんぶん振りながら快諾してくれた。彼は流魂街の先輩でもある。もっと色々な話も聞いてみたい。

 その後は霊力の固め方を教えてもらったり、死神の仕事内容とか戦い方の本を一緒に読んだりして過ごした。喜之助は物知りで、その項目は別の本にはこう書いてあっただとか、有名な隊長格の死神の得意技がそれだとか付け加えて教えてくれた。十三ある死神の隊の一つである九番隊は、死神と死神を志す人向けに月刊誌を発行しているそうで、喜之助はそれを好んで読んでいるのだと言って見せてくれた。

 夕飯はお言葉に甘えて、全て喜之助お手製のものをいただく。勉強に夢中になっていて気が付かなかったが、空っぽになっていた胃に温かい菜っ葉の味噌汁がしみて幸せな気持ちになった。二つ隣の地区のお婆さんに習ったというしわきゅうりの漬物もとても美味しくて、よくご飯が進んだ。


「ご馳走様でした!あぁ美味しかった。片付けは私がやるから、喜之助は長老さまのとこに帰っていいよ」

「こんなに長居するなんて言ってこなかったから心配されてるかも……じゃあお願いします!あの、また来てもいいですか……?」

「いつでも来てよ。家の裏に竹刀もあったし、今度は剣の稽古でもしようか」

「姉さまは生前に剣術を嗜まれていらしたんですよね!素振りしかやったことないのでからっきしですが……やってみたいです!」

「うん、じゃあ好きなときに来てちょうだいな」

「分かりました。では姉さま、さようなら!また明日!」

「はいはい明日ね、気をつけて帰りなよ」


 この一日だけで、喜之助とは随分仲良くなれた。彼は十二歳で死んで、流魂街に来てから五年とちょっとしか経っていないというから、一応は私の方がちゃんと年上みたいだ。少しだけだけど。
 死んでから義理の弟ができるなんて思ってもみなかったし、死んでも飯がうまいなんて考えたこともなかった。そして、死んでもなお命を脅かす虚という存在が、私が死んだ原因だ。死神になって少しでもその脅威を取り除けるようになりたい。志波に言われたからではなく、今日たくさんのことを学んでみて、本心からそう思った。

 喜之助はあれから毎日のように家にやって来て、一緒に霊力を放出して固める練習や剣術の稽古をして切磋琢磨する日々が続いた。怪我をしたりさせたりなんてこともあったが、そんな場面でさえも死神になるための良い訓練になるのだと、二人で回道かいどうといわれる治癒の鬼道を試してみたこともあった。私はできなかったが、喜之助は良い筋をしていた。食事は自然とこの家で二人で交代で作っては一緒に食べるようになっていたし、その食料確保のために二人で元からあった小さな畑を広げて開墾もした。体力作りと食料探しを兼ねて、山に特訓に入ることもしばしばあった。
 初めこそ喜之助が「姉さま」と呼びたいなら呼ばせておこうとか、弟がいたらこんな感じかなとか、そんなくらいにしか考えていなかったのだが。こうして家族のようにずっと一緒にいたおかげで、私たちは本当の姉弟になれたと思う。義理とは付くが、「家族はいるのか」と尋ねられることがあれば、私は迷わず「喜之助という弟がいる」と答えることだろう。
 ――そんな日々を送り、私が鯉伏に住むようになってから数年が過ぎた。まさに光陰矢の如し。


「沙生姉さま……本当に、もう行ってしまわれるのですか」

「うん。楽しくてあっという間だったね。こんなに長く留まるつもりはなかったのになぁ」


 私は今日、この鯉伏を発つ。喜之助に借りた瀞霊廷通信に拠れば、瀞霊廷内にある真央霊術院の入学試験日はまだ半年以上も先だ。ここは西流魂街三地区だから、瀞霊廷に行くには真っ直ぐ二と一の地区を超えればすぐである。しかしせっかくなので、瀞霊廷に入ってしまう前に長い寄り道でもして流魂街の他の地区を見てみようと思ったのだ。生憎、観光ではなく社会科見学と武者修行のような意味合いで。
 一緒に特訓して力もついてきたのだし、なんなら二人で試験を受けないかと誘ってみたのだが、喜之助はまだ共に暮らす長老の源信に死神になりたい旨を伝えられていないらしく、憧れてはいるもののまだ踏ん切りがつかないと言っていた。源信を一人にしてしまうことも少し後ろめたいのだろう。


「僕はこのあと、ちゃんと長老さまと話してみようと思います。試験を受けるのがいつになるかは、はっきりしませんが……」

「それがいいよ。喜之助の霊力ぐんぐん上がったから、長老も薄々気付いてるんじゃない?」

「姉さまは最初から霊力も剣術も凄かったのに、更に腕を上げられましたよね」

「こら、私よりお前が現実から目を背けてどうするの。鬼道は」

「いえ!鬼道だってすぐなんとかなりますよ!姉さまに出来ないはずがありません!!」


 目も気持ちも真っ直ぐにして言ってくるもんだから、ちょっとぐさっとくる。そう、私は鬼道がからっきしみたいなのだ。鬼道を放てるだけの力は持っているはずなのだが、霊力を固めて技にして出すという感覚がまったく掴めていない。やってみようとすると霊力は固められないままただだらだらと垂れ流されて、離れているはずの鯉伏の人たちがそれにあてられてしまったことも何度かあった。それをやらかして落ち込む度に、「姉さま!瀞霊廷には鬼道が使えなくても立派に死神を務めている方が沢山いるそうですよ!ほら!」なんて瀞霊廷通信を開いて見せてくるのだが、その筆頭である十一番隊の皆さんは写真で見る限り捻くれた不良者ばかりで、いっそう落ち込んだ。一方の喜之助は鬼道の才能が高いようで、死神の初歩の鬼道は独学で習得できている。


「霊術院に入ったら、きっと僕なんかとは比べ物にならない物凄い達人の先生が教えてくださいます!だから心配いりませんって」

「あー……そうだといいんだけどね。頑張るよ。じゃ、そろそろ行こうかな」


 筆記具と地図と、大量の保存食を入れた風呂敷包みを胴に巻いた。それから、目的地に辿り着くまでは一人ででも稽古は続けたいので背には竹刀袋を取り付ける。道中はまあ、最悪野宿でも何とかなるだろう。生前は山頂あたりに住んでいたし、爺様と森に籠って修行することもあった。数々の強者を輩出してきた道場の跡継ぎ娘という肩書は伊達ではないのだ。


「旅の途中では難しいかもしれませんが、落ち着いたら必ず文をくださいね!」

「分かった、学院に着いたら必ず出すよ」

「はい!沙生姉さま、いってらっしゃいませ!!道中息災で!!」

「ん!いってきます!!」


 いつも元気な喜之助に負けないくらいの大きな声で挨拶をして歩き出す。そういえば、死神になれたらこの家に以前住んでいたという死神にもそのうち会うことができるだろうか。その死神が残してくれた本のおかげで、死神のことやこの世界の仕組みについて詳しく知ることができた。おそらくは頭が良くて、気遣いのできる素晴らしい人に違いない。

 真っ直ぐに進んできて、そろそろあの家が見えなくなる辺りだ。振り返ってみると、豆粒ほどに小さくなった喜之助がまだ大きく手を振っていた。こちらも大きく振り返してやると、喜之助はぴょん、と跳ねて応えた。さあ、これからどこに向かってみようか。


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