夜駆け反攻記

死ぬれば死神
よるがけはんこうき

 大福は飲み物。
 「そんな馬鹿なことがあるか」とお思いですか?では目を背けず、どうぞご覧ください。桃色の悪魔がそこにいます。


「んももむむむむむもむぅ……ごっくん。ごちそうさまー!」

「うわっ副隊長!?今の量、どう見てもその小さなお腹に納まらないはずだと思うんですけど!?」

「おさまった!おいしかったよ!」

「えーん……俺も一つくらい食べたかったですよぅ……」

「かっつんはお給料で買ってね!んじゃ、おやすみ!」

「あっ、寝る前にすすぐくらいはした方がいいですよ!おやすみなさーい」


 夕飯の後に皆で食べようと楽しみにとっておいたようですが、それは一瞬にして桃色の悪魔に吸い込まれてしまいましたとさ。
 金矢はがっくりと肩を落とすも、すぐにいつもの調子に戻って挨拶を返し、草鹿副隊長を見送っている。お人好しか。一箱十六個入の塩大福を三箱、計四十八個を平らげてご満足……と、いうことにしておいて。他の隊士たちがガハハと笑い飛ばしながらそれぞれの天幕に帰っていくのを見届けてから、後ろ手に隠していた物をさっと取り出す。


「金矢、見張り番は最初だったよね。二つだけとっておいたから一緒に食べようか」

「へ……楠山四席!わぁっ!ありがとうございます!」

「しーっ、静かに」

「あっはい……すみません……」


 辺りはすっかり真っ暗闇だ。月が雲間から顔を覗かせるのも疎らで、篝火かがりびを焚いても少し心細い夜である。見張り番の第一陣である私と金矢は、十一番隊天幕の群れの東の配置につく。素朴な床几しょうぎを二つ並べて座り、塩大福にかぶりついた。


「……ん!うまい!こりゃ絶品ですね」

「それは良かった。私もこれは好きなんだ」

「特に餡が最高だぁ……俺もあんころ餅つくるのに煮たことあるんですけど、中々こんな風にはいかないですよ」

「へぇ作れるんだ。そういえば、さっき炊事も手伝ってくれたけど手際よかったよね」


 刀は一端いっぱしに振る癖に、乱切りと短冊切りの違いも分からなかったり、米とぎで米をぼろぼろ川に流したり。殆どの男衆が足引っ張りだった中で、金矢だけは監督も要らず大助かりだった。


「死ぬ前は貧乏一家の長男だったもんですから、家事炊事はやれますよ」

「道理で。何となくだけど、そんなんかなって」

「楠山四席こそ。俺、前から勝手に親近感持ってるんですけど……そんなんじゃないんですか?」

「衣食住に困るほど貧乏ではなかったけど……母を早くに亡くしてしまったから、嫌でも鍛えられたかな」

「やっぱりそうでしたか。若いのに手馴れてますもん」


 金矢は相変わらず覇気のない顔で緩く笑う。何だか感染しそうだ。鏡を見たら、私も似たような顔をしているんじゃないかと思う。二人同時に大福の最後の一口を放り込んで、指についた粉も惜しむようにぺろりと舐めとった。


「俺、現世で死んだのって二十三年とちょっとくらい前なんですけど――あ。けっこう年上じゃんか〜って思いました?」

「……そうだね」

「尸魂界ってその辺ややこしいから気にするとキリないですよ。見た目と位で通しましょ」


 となると、金矢の年齢は四十は超えているということか。とてもそんな風には思えない……色々な意味で。だが、自分でも自分の見た目に気持ちが引っ張られる、というのはありそうな話である。仮に私がここ尸魂界で百年後まで死ななかったとして、おそらく見た目は今とそう変わることはない。せいぜい少し大人びるくらいで、お婆さんにはならないだろう。そう考えると、百年後でも気持ちは若々しくありそうな気はする。


「生前は、父について本州から北海道開拓しにいってたんです。そんとき母は身籠ってたので、父と俺とで毎日毎日開墾して狩りして家のこともやって……ええ、俺も嫌でも力はつきました」

「土地をひらくってとんでもない重労働でしょう。大変だったね」

「でも楽しかったですよ。やった分だけ日に日に見違えていきますから。無事に弟が生まれて……それから五年後の正月に、北海道に行って初めてのもち米が手に入りましてね」

「成程、それであんころ餅」


 開拓のための屯田兵制度が始まったのは、私が生まれるよりも何年か前のことだ。戊辰戦争が終結し幾許か経ったことで世も落ち着いてきていたものの、政府が発足してからも倒幕と佐幕の溝はそう簡単に埋まらなかったと聞く。屯田兵として本州を出た者たちは、多くは嘗ての佐幕だったという。倒幕に逆らわない意思を見せるだとか、新天地で返り咲こうとか、複雑な思惑も交錯していたらしい。
 ……全部、当時の用心棒業のために情勢把握にいそしんでいた爺様から聞いた話である。私は山育ちで町に出ることも少なかったから、そんな激動を超えた直後の世であったという実感はあまりない。


「家族みんなで鏡餅つくったんです。弟にとっては初めての餅。鏡開きの日が来たらあんころ餅にして食べようなって楽しみにしてたんです。けど……」

「おっと?雲行きが怪しくなってきた」

「へへ。まぁ楽しい話じゃありませんが、ここまできたら最後まで聞いてやってくださいよ」


 こらそこ、笑うところなのか?金矢は自分の膝に肘をつき、その手に顎を乗せて猫背になった。篝火の燃えるぱちりという音の後、続きを話し始める。


「丁度その日は天気が良くて……まぁ北海道の冬なんで気温は氷点下なんですけど。晴れていて気持ち良かったんで、弟と近所の山にそり遊びしに行ったんです。積もった粉雪がきらきら光って滑りも良くて。五歳の弟より、もう大人だった俺の方がはしゃいでたかも」

「……今でもそういう顔になるんだから、とびきり楽しかったのね」

「ええ、そりゃそりゃ。いっぱい滑って『あと最後にもう一回やりたい』ってねだられたんで、橇に弟を乗せてずいぶん高い所までのぼりました――」


***


「にぃやん、帰ったらあんころもちっしょ?たぁのしみ!」

「おう、兄ちゃんが餡子つくっといたかんな。くれぐれも餅ひっかけねぇようにすんだぞ」

「うん!」


 坂の上から麓まで木が一本もない、絶好の橇滑り場。辺り一面の銀世界。弟を乗せた橇を引っ張って、上へ上へとのぼっていく。弟がやっとこさ歩けるようになった三歳から毎冬きていて、もう今年で三回目になる。北海道に来て始めた畑や猟は辛いこともあるが、こうして年々大きく重たくなっていく可愛い弟のためを想えば屁でもなかった。
 ふと、パァンと乾いた鉄砲の音が何処からか聞こえた。誰か兎や鳥でも獲っているんだろう。そうだ、もし来年ももち米が手に入ったら、兎肉と芹で雑煮にしてみようか。


「どぉれ、ここらでいいか。最後は思いっきしだ!」

「わぁたかい!すっごーたっかい、こっからすべったらもぅぴゅーんって行っちゃうね!」

「へっへん、振り落とされんなよ?」


 押して助走をつけようとしたときだった。背後から、重たい足音がドシャッ、ドシャと走ってくる。いったいなんだ――そう思って振り返ると、突風を連れてくる程の速さで目前に迫るものがあった。次の瞬間には、もう視界いっぱいが黒に遮られる。
 『咆哮を聞いたらすぐさまその場から立ち去れ。万が一にも遭遇すれば生ここまでと思え。念仏を唱えて逝く暇があれば万々歳だ』
 ……あーあ、集落の爺さん婆さんが口癖のように言っていたっけ。


『――オオオォォォォ゛!!』

「に、にぃやん!?にぃやん!!」

「ぐァ、が……こんクソ……がッ」


 こりゃあ年貢の納め時かね。一から自分らで切り拓いた土地で、年貢を納める相手なんていねぇんだけど。足元の真っ白な雪に、おびただしい血の雨が降る。左肩から先は一噛みで食いちぎられた。飛びそうな意識は歯を食いしばることで何とか保たせ、余計に血が出るのにも構わず全身に力を入れた。すぐに倒れる訳にはいかない。今、俺の背には一番大切なものがあるのだ。
 ……まだある方の腕で、力いっぱいに橇を押し出した。


「にぃやん!!!」

「当分山にゃ入んでねぇぞ!!来ちまったら兄ちゃん化けて出っかんなー!!達者でやれよー!!」


 こんな時だってのに何だか笑えてくらぁ。こうなると分かっていれば、出てくる前に一口だけでも食っとけば良かったなぁ、餅。
 今日、俺、誕生日なのに――


***


「……そういうわけで、俺の成れの果ては北海道の大地のちょっとした肥やしです。あのとき聞こえた鉄砲の音は、誰かが冬眠中のひぐまを撃ち損じた一発だったんでしょうね」

「どう反応したら良いものかな……」

「いやいや。別に今はこうしてぴんぴん死神してるんですから、何も気にするこたない昔の話です」

「そ、そう。壮絶な最期だったのね」

「でも、楠山四席なんて巨大虚ヒュージホロウにやられたって聞きましたよ?俺を食った羆はあっても精々ニメートルでした」


 確かに、大きさは私の命を奪った奴の方が倍はあっただろうが。ぐさりと胸を穿たれるのと、がぶりと身を食われるのではどっちが嫌かと訊かれれば……どっちも嫌だが、がぶりの方がより嫌だ。


「ま、俺は今でも羆の方が怖いんですけどね!」

「羆……もしかしたらその辺の虚より強いのかも……」

「そんなこんなで最後に食い損ねたせいか、生前はそこまででもなかったのに今じゃあんころ餅は大好物です。大福も、中と外が入れ替わったあんころ餅みたいなもんなんで大好きですよ!」

「ははあ……そのオチをつけたくてこの話をしたってことね?」

「へへへ……まぁ、はい」


 金矢は少し照れたようにへらりと笑った。大好物だというなら、草鹿副隊長の目を盗んでとっておいた甲斐もある。喜んでくれたようで何よりだ。彼の話は長かったが、丁度いい具合に退屈な見張り番の時間を潰すことができた。そろそろ交代の時刻になる。話に聞き入って少し丸くなっていた背中をぐっと伸ばし、床几から立ち上がった。


「次は一角と弓親だっけ。呼んで来るから、金矢はここで待って――」

「……、楠山四席!!」


 さっきまではいつも通りへらへらしていた金矢が、血相を変えてこちらに手を伸ばしてきた。私は腕を掴まれて引き寄せられ、倒れ込みながら彼の目線の先――後ろを振り向いた。そこにあったのは、視界いっぱいの歪んだ深い黒。目を開けているはずなのに、まるで瞼の裏を見ているかのような光景だった。刹那、金矢は庇うように私の背中に手を回し、また強く引き寄せる。


「ッ、……別に、また持ってけって前振りじゃ……なかったんだけどなぁ」


 ……何だ?何が起こったのか分からない。私の視界は、今度は金矢の死覇装の黒でいっぱいだ。――血の匂いがする。


「交代しに来てみりゃ、早速お出ましか……!」

「金矢!君、腕が――」


 呼びに行かずとも一角と弓親が来てくれたようだ。金矢は私を連れて瞬歩で退がると、やっと手を放してくれた。顔を上げて状況を確認してみると、さっきまで私が立っていた場所には黒腔ガルガンタが開かれていた。縦に細長くぱっくりと空間が割れ、高さは優に森の木々を超すほどだ。そしてその裂け目の足元には、人の手が落ちている。金矢の左肘から先は、無くなっていた。


「は、はは、切り口はきれいですけど…痛いもんは痛いですね……」

「馬鹿!笑ってないで止血!」


 私は急いで自分の死覇装の左袖を裂いた。歯も使っていくつかに分けて包帯替わりを作り、金矢の左腕の傷口から流れ出る血を止めるためにきつく、何重にも巻いて縛る。駄目だ、こんなんじゃまだ足りない。……そうだ、血止め薬。御厨さんから貰った薬がある。これほど酷い傷には雀の涙かもしれないが、塗らないよりマシに決まっている。小さな腰巾着から薬を取り出し、巻いた布の上から塗りたくる。そして迷わず死覇装の右袖も取っ払い、更にぎゅっと縛った。
 彼の腕を落としたのは、恐らく私が昼間に倒し損ねたあの竹節型虚だ。自分の背後の気配に全く気付けなかったのだ。霊圧を完璧に消せる虚がそういるとは思えない。それに奴の鎌腕なら、こんな風にすっぱりきれいに切断するのもお手の物だろう。昼間に受けた傷は掠り傷だったが、我が身で感じたあの切れ味は斬魄刀とも良い勝負だったはずだ。


「オイオイ……金矢、てめえも寝てる場合じゃねぇぜ……!奴ら、わんさか湧いてきやがる!」


 一角の言う通り、黒腔からは大小様々な虚が次々と姿を現していた。弓親は見張り番用のかねをカンカンと強く叩き鳴らし、皆に敵襲を知らせている。


「十番隊の天幕まで行けば、きっと回道を使える人もいると思うから……!」

「っそんな、大丈夫ですよ。幸い右利きなんで、俺も……加勢、します」

「無茶いわないで!そんなことしたら、血が――」

「沙生、いいから金矢の好きにさせておけ!どうせ退路は塞がってんだ!」


 そう言われて初めて気付いた。落ち着いて周囲の霊圧を探ってみると、十一番隊野営地は既にぐるりと囲まれてしまっていた。眠っていた隊士たちも皆飛び起きてきて、もうあちこちで戦いは始まっている。彼らは虚に負けず劣らず獣のような咆哮をあげ、森中に木霊させていた。一角と弓親もとっくに斬魄刀を抜き、近くにいる虚と攻防を繰り広げている。
 雑魚の群れに紛れてあの竹節型も暴れ回っているようだ。何もないようなところから斬りつけられ、既に何人か負傷している。ただでさえ、あのほんの少しの歪みしか目印にならないのに、夜の闇が拍車をかける。竹節型が何処にいるかを把握するのは非常に困難だ。
 ……私は何をやっているのだ。ここはもう戦場だ。仲間のことを想うなら狼狽えている場合ではない。一刻も早く虚を殲滅せんめつし、真面な治療を施してやらなければ。


「金矢。最後に大福食べられたからって、ここで死なないでよ」

「あっはは……はい。終わったら、また、一緒に食べましょ」


 二人同時に斬魄刀を抜いて別方向に走り出し、それぞれ虚を相手取る。こんなときでも一対一にこだわるあたり、彼も立派な十一番隊だ。
 自分の体より大きな拳を避け、懐に入り込んで下から顎を斬り上げる。胴に巻き付こうとしてきた舌を断ち、わめいている隙に眉間を突く。横から突き刺そうとしてきた巨大な爪を刀で受け流し、跳躍して頭蓋を割る。しかし倒しても倒しても、次から次に虚は現れ続けた。

 これではキリがないと焦りを感じ始めたそのとき、凄まじい剣圧が目の前を通り過ぎていき、何匹かの虚が一瞬にしてまとめて消え失せた。出元を辿ると、それは更木隊長だった。危うく巻き添えを食うところだ。


「あ?そこにいたのか」

「暗いし虚だらけで視界が悪いとはいえ、気を付けてくださいね。私もできる限り邪魔にならないようにしますが……部下もまとめて斬っちゃ駄目ですよ」

「おう。すまねえな」


 言いながら、更木隊長はまた一振りで数匹の雑魚を斬り捨てた。彼は髪を振り乱しながら豪快に剣を振り、至極愉しそうである。おかげで私の周囲にいた虚はあっという間に全部いなくなった。それから更木隊長は歩みを止めることなく進んでいき、行く先にいる虚を片っ端から斬っていく。目の前の虚が全て片付くと進行方向を変え、また進み、斬る。
 更木隊長という火によって、野営地を囲んで列になっていた虚は導火線のように消費されていった。隊長に相手を横取りされた隊士たちは皆一様に「ちょっと隊長」と文句を言いながら彼の後ろについて歩き、その列はいつの間にか結構な長さになっていた。戦いの最中にも拘わらず、鴨の親子が頭を過る。

 ところが、まるで頃合いを見ていたかのように上空から虚が再投入された。志波隊長の言っていた“親玉”のような存在がいるとしたら、これもそいつの指示だろうか。十番隊の野営地もここから近い所にあるはずなのに誰も此方に来ないのは、彼方も囲まれて苦戦しているからかもしれない。各個体の戦闘力はそこまで高くないことを考えると、大量の捨て駒による人海戦術――いうなら虚海きょかい戦術で以て、消耗戦を強いる魂胆だろう。
 隊長の後ろで文句を垂れていた隊士たちは瞬時に散開した。平隊士といえど、殆どは私より場数を踏んできた戦い好きの猛者達だ。波のように虚が押し寄せようと、その目から光が失われることはない。寧ろ、闇の中でも爛々と目を、刃を光らせる。
 ……しかし更木隊長ときたら、また懲りずに人の獲物を横取りしていった。そして虚もおかわり、空からぼとぼと降ってくる。まるで終わりが見えない。


「チッ、たらたらと勿体ぶりやがって。親玉はどこで油売ってやがんだ」

「なら隊長は見物しててくださいよ!俺らはまだ暴れ足りないんで!」

「見えない虚ならまだ近くにいるんじゃないですか?ほら、何人か刀で斬られたみたいな傷つくってますし。そっちはお任せしますから」

「……二人とも元気だね。でも、その通りですよ。雑魚の少しくらいは私たちに分けてください」


 更木隊長の愚痴に一角、弓親、私が反応すると、隊長は斬魄刀で自分の肩をトントンと叩き、口をひん曲げて不服そうな顔をする。……その直後だ。背後から禍々まがまがしい霊圧を感じた。振り向いてみると、空中で妖しく弧を描く巨大な黒腔が大口を開けていた。そこから三体の巨大虚が現れ、霊圧でびりびりと大気を震わせる。隊長は一変して愉しそうに口角を吊り上げ、悪い顔でわらって言い放つ。


「ほう。じゃ、アレも雑魚か?」

「雑魚っすよ!」
「雑魚ですね」
「雑魚ですとも」


 三人揃って少しの見栄を張り、束の間だけ顔を見合わせた。


「延びろ『鬼灯丸』!」
「咲け 『藤孔雀』」
さらえ 『鳶絣とびがすり』」


 一斉に始解して迎え撃つ。
 私の前に立ち塞がる巨大虚は猿面に似た仮面をつけ、脚より腕が長かった。その長い長い腕でブオンと風を切り、小さな私を捕まえようとしてくる。巨体が繰り出す一撃というのは、それだけ重く脅威である。奴の指先一寸でも当たれば命取りになるだろう。
 幾度も攻撃を躱した末に、やっと好機が訪れた。一段と大きく腕を振りきったために、その反動で隙ができたのだ。
 私は鳶絣の柄から伸びる黒い鎖を持ってぐるぐると回し、勢いをつけて投げた。先端の吊り灯籠が引っ掛けとなり、奴の伸びきった右腕に巻き付く。忍者が鉤縄を使って屋根に上るように、鳶絣の鎖を伝って巨体に登り、そうして腕の上に辿り着いた。奴は暫く私のことを見失っていたようだが、自分の右手の甲の上をちょこまかと走る私を見つけるや否や、まるで蚊を叩く人間のようにバチンとやろうとしてきた。素早く鎖を解いて跳んで逃れながら、つい敵に共感してしまう。


「その気持ち分かるなぁ、私も蚊は嫌いだからさ」

「ブハハッ!おっお前、いくら何でも自分を蚊に例えるかよ、普通」


 おっと、近くで別の巨大虚の相手をしている一角に笑われてしまった。人の戯言を聞いている余裕があるなら、そっちもさっさと片付けられることでしょう。
 そして私の相手は今、自分の右手の甲を左手の平でバッチーンとやったところだ。残念、外れ!虚にも虚しく思う気持ちがあるなら、まさにそんな気分であることだろう。この瞬間、奴の両腕は前に伸びきり、両手は重なっている状態だ。私はすかさず右足に霊力を集中させ、奴の手の甲の真ん中に向かって急速落下し、轟音と共に白打の一撃を叩き込んだ。海燕さん直伝の必殺踵落としである。まさか使う日が来るとは思わなんだ。少々足がヒリついたが、霊力で覆っていたから大したことはない。
 巨体は衝撃で前につんのめり、跳び箱を跳んでいる最中の人のような恰好になっている。巨大な頭が、こちらに降ってこようとしていた。

 鳶絣に霊力を注ぎ、限界まで研ぎ澄ます。黒い刃を覆う白い光は、視覚化された霊力なのか焔なのか……自分でもよく分からない。おかげで一回り大きく見える鳶絣を両手で持って掲げ、意識を集中させる。


「ハク。いくよ」


 目前に迫る猿面に、力強く鳶絣を振り下ろした。すると白い光はその方向に放たれ、翼を広げた鳶を象った斬撃となって飛んでいく。巨体を鋭く裂き、斬り口からは白焔が燃え上がっている。弱点の頭から真っ二つになった巨大虚は、直に砂のようになって消滅していった。


燎呵煽丞りょうかせんじょう。我の、斬魄刀としての技の一つだ。覚えておけよ)

(あら、名前まで考えてくれたの?)

(言霊は強い力を持つ……その字の一つひとつにも確かな意味があるのだぞ)

(はいよ、胸に刻んでおく)


 丁度、一角と弓親も相手を倒したところだった。それぞれ軽い傷は負ったものの、どうにか張った見栄は破られずに済んだわけだ。


「おうおう、俺たち蚊の大勝利だな!」

「ちょっとやめてよ。蚊なんかに例えるなんて、美しくな……あっ。一角、頭に蚊が……」

「ふふ、ほんとだ。てっぺんに」

「あぁ!?」

「つるりんあぶなーい!とおっ!」


 急に現れた草鹿副隊長が一角の頭をぺちん!と思いきり叩く。しかし虚しい哉、危険を察知した蚊はぷぅんとそこから離れ、一角の頭には意味もなく可愛い手形がついただけだった。


「何すんだこのチビ……!」

「まぁまぁ、本当にいたんだから。そのくらいで怒らない怒らない」

「あれ?副隊長、隊長は?」

「あのね剣ちゃんはね、見えない虚をやっつけようとしてるんだけど……どこにいるか分かんないし、大変みた」

「ぐわあぁ!」

「先輩!!」


 草鹿副隊長の言葉を遮ったのは、平隊士の叫び声だった。急いで声がした方を見ると、彼は竹節型虚に背後からざっくりとやられて倒れ込んでいた。追撃を食らわせまいとその前に庇うように立ったのは、今は隻腕の金矢だ。地に伏す先輩の首の辺りが狙われると直感で分かったのか、見えない鎌腕を何とか斬魄刀で防ぐことに成功する。


「そこか!?」

『ギシャァァア!』


 更に、金矢の前に更木隊長が躍り出た。彼が野生の勘で以て刀を振ると、どうやらちょっと掠ったらしい。しかし、昼間とは違って竹節型はこれでも撤退せず、次の瞬間にはまた別の隊士が奴の鎌腕の餌食となっていた。


かてえし、存分にりがいもありそうな虚なんだが……見えねえせいで斬れねえのはつまんねえな、くそ……!」


 近くにいることは確かだから、更木隊長が近辺で無闇矢鱈に暴れれば竹節型だって倒せるだろう。私たち部下が邪魔にならないように退くことができたら良いのだが……生憎、まだ増え続ける雑魚に囲まれているせいで逃げ場はない。私がさっき言ったことも気にしているのか、更木隊長は部下を巻き込まないように戦っているため、好き勝手する敵の後手に回ってしまっていた。


「楠山四席、ちょっと」

「その声、金矢?なぁに……というか、そろそろ血足りなくなったりしてない?」

「処置が良かったので、まだ大丈夫……それよりあの竹節型、協力すれば……何とかできるかもしれません」

「……策、聞かせて」


 少し遠巻きからこちらの様子を窺っていた一角と弓親は、私たちの方に虚が来ないように牽制してくれている。気が利いて助かる、今のうちに策応を定めなければ。


「単刀直入に言いますと、俺が始解した斬魄刀に、楠山四席の斬魄刀で火を点けてもらいたいんです」

「……は……それは、纏わせるってこと?」

「はい。俺の斬魄刀の能力を今ぜんぶ説明しようとすると長くなるんで……とりあえずやってみますけど、その……」

「どうしたの、歯切れ悪いけど。短所でもあったりする?」

「ええと……できれば……恐がらないで、ください」

「? ……ん。何だか分からないけど、気をしっかりさせとく」


 金矢は頷くと、持っていた斬魄刀を軽く上に放り投げて解号を口にする。


くさぎれ 『八葉鏑やひらかぶら』」


 放り投げたおかげでくるくると宙で縦回転し、言い終わると同時に再び金矢の手に納まる。抜き身の刀を投げて掴むなんて危ないことを……と思ったが、彼の斬魄刀は既に刀としての面影は一切なくなっていた。握られているのは、一本の大きな鏑矢かぶらやだった。四立羽の矢羽根に、先端には蓮の蕾にも似た鏑飾り。やじりはよくある鳥の舌の形。
 しかし、これはどうやって使うのだろう。弓はどこにも見当たらない。標準的な矢と比べれば大振りで槍に近いとはいえ、これはどう見ても鏑矢だ。


「そりゃ振ったり刺したり投擲とうてきしたり色々ですよ。ただしやっぱり刀の方が扱いやすいので、普通に戦うなら始解しない方が良いんですよね、コレ……ははは……」

「……まだ何も言ってないけど」

「………………そ、そうでした?」

「……それで、これに火を点けるってことは火箭ひやにするってことで合ってる?」

「あ、はい。お察しが宜しいようで。お願い……できますか」


 私の白焔が燃やす対象を絞れる特性を持つということは、金矢にも話したことがあった。八葉鏑に火を点け、しかし燃やさないようにする。それくらいは簡単なことだ。私は鳶絣から白焔を出して八葉鏑に点火した。
 闇の中で白焔が揺らめいて金矢の顔も照らしたとき、私は彼の目に目が釘付けになり、息を呑んだ。右目の瞳が血のように赤いのだ。更に虹彩には八花形やつはながたの紋様がある。そして左目は閉じて頑なに開かないでいるかと思えば、どうもそこにあったはずの眼球らしきものがふよふよと付近を漂っているではないか。一体どういう始解なんだ……?
 ふと自分の目を見られていると気付いた金矢は、眉尻を下げて下手くそに笑った。


「ああ、これ。……ぎょっとするでしょう?」

「あのね。私ってば、お化け屋敷は怖くなくてもびっくり箱には弱いの」

「ぁ……へへ、うん、そうでしたね。楠山四席はそういう人ですね」


 無理に笑顔を浮かべていた金矢だったが、徐々にてれてれと嬉しそうになっていった。

 ……何となく予想はつく。「恐い」とか「気持ち悪い」とか言われたことでもあるんでしょう。驚きはしたけど私はそんな風には思ってないし、この窮地を打開するためにその能力を使ってくれたんだろうから、引け目を感じたりしなくていいんだからね。それに多分……その力、まだ自分でもうまく制御できてないね?何でも・・・視え・・過ぎ・・ちゃう・・・ものだから、こうして私の思ってることと口に出してることの区別もつかない、と。


「わっ……!?あ、ありがとうございます。お披露目して間もない内にそこまで察してくれる人がいるなんて、夢にも思ってませんでした」

「どういたしまして。さて、その目によると竹節型は何処にいる?」

「――いました、あそこに。忙しなく動き回っていますが必ず中てて見せます。でも、外皮が硬いなら今の俺の力じゃ刺さるかどうかは怪しいところで……そこで、楠山四席の出番というわけです」

「ふむ。当たった矢先から焔を燃え移らせて全身燃え上がらせちゃえば、皆にも竹節型がどこにいるか分かるようになる……そういうこと?」

「御名答です!じゃあ一緒に……何とかしましょう」


 金矢は今までになく真剣な顔つきになった。失った左腕だって痛むだろうに、凄い集中力だ。私の白焔を纏った八葉鏑を肩の上に構え、赤い右目でただ一点を見詰めている。金矢の周囲を浮遊していた左眼球はその方角に向かって飛んでいき、それから何かを追跡するように……目追っている。


「あれがまさに“目印”になります。始解した八葉鏑は必中の矢です。どんなに適当に投げても目印に引き寄せられます」


 何そのトンデモ能力……いや、待てよ。投げた矢が“目印”めがけて飛んでいくということは、その矢は最終的にどこに刺さる?


「か、金矢」

「……よぉし!羆よか……恐くないッ!!」


 金矢はそんな矢叫やたけびと共に、槍投げの要領で八葉鏑を投擲した。ひゅんと風を切って高く昇り、それから目印に向かって勢いを増しながら降下していく。あの矢は、姿も霊圧も消している竹節型に必ず中ってくれる。そうしたら私が焔を燃え移らせて何処にいるか明白にしてみせる――大事な役目を任されたのだ。彼が覚悟を決めているなら、私のせいで失敗するわけにはいかない。
 間もなく、何もないように見える空中に矢が突き刺さった。


「楠山四席!!」

「――、燃えろ!!」


 金矢のおかげで私にも分かった。そこだ、竹節型はそこにいる。八葉鏑の先から白焔を燃え移らせ、奴の全身に広がらせる。燃え上がる焔は徐々に巨大な竹節ナナフシを象り、姿も霊圧も消す虚の居所は遂に誰の目にも明らかとなった。
 奴が熱さに暴れたため、硬い外皮に辛うじて刺さっていた八葉鏑は外れ落ちゆく。そして近くを浮遊していた“目印”に引き寄せられ、鏃は案の定それに突き刺さった。金矢は私の隣で短く呻き、中身が出張中の閉じられた左目を右手で抑えている。


「金矢!左目……やっぱり痛むの?」

「ハ……八葉鏑ったら酷いんですよ。人には過ぎた力だからって、代償も割引してくれないんです……あ、でも始解を解けば目は元通りになりますんで」

「そう……復元はされるんだね」

「そんな顔しないでくださいよ、大丈夫ですから。それにほら、俺の心配よりあっちです。まだ終わってませんよ」


 夜闇の中に突如として顕れた白焔の火柱。巨大な竹節型虚は全身を焼かれながらもまだ倒れてはくれず、六本ある鎌腕を激しく振り回して暴れている。私は意識を集中させ、焔に込める霊力を上げてみる。戦闘が長引いて疲労してしまっているせいか、中々うまくいかない。このくらいで音を上げているわけにはいかないのに。


「あぁもう、しぶとい!もっと、もっと火力――」


 ぽん、と頭の上に大きな手を置かれた。いつの間にか傍に来ていた更木隊長だ。撫でるでもなく掴むでもなく、すぐにその手は離れていく。


「沙生、金矢。お前らのおかげか?よく見えるようになったじゃねえか。後は俺がやるぜ」

「隊長……」

「つうかてめえ、あいつは俺に任せるってさっき言ってたろうが」

「え、それは弓親が勝手に言っただけなんですが」

「……まァいい。姿が見えるようにだけ、そのまま火つけてろ」

「はい、分かりました」

「……ちゃんと見てろよ」


 更木隊長は最後に小声でそう呟くと、一歩前に出た。そして愉しそうに(凶悪に、ともいう)嗤い、走って白焔の火柱に突っ込んでいった。彼が放つ霊圧は、先程までより数段は跳ね上がっている。雄叫びと霊圧が大気をびりびりと震わせるから、私の心臓まで余計に跳ねるようだった。


――――――


 更木隊長が竹節型虚を倒すと、野営地を囲む虚の増援も止んだ。やっと戦いが終わった頃には空はもう白んできていて、一晩中戦いに明け暮れてしまったのだと知る。幸い死者は出なかったが、負傷者は多い。倒れている者を運んで最低限の処置を施して、散らかった物資を回収して片付けて……それが終わったら皆に仮眠もとらせなければ、とても行軍は不可能だろう。


「流石に疲れたかも……金矢、あっちの天幕でもう少しちゃんと治療しよう」

「待ってください。……見られてる」

「え?」


 まだ始解したままでいる金矢は引き返して走り、とある木の下まで行った。そして枝の上に“何か”を見つけたようで、握っている八葉鏑を今度は投げずに直接握ったままそれに突き刺した。私も駆け寄り、何だったのか確認してみる。


『――ジ……キュー、ガ、ガガ』

「何、それ。小さい虚?」


 鏃に刺さっている変わった虫のようなそれは、機械音に似た鳴き声を発していた。すぐに動かなくなり、粒子となって掻き消える。


「斬魄刀で刺して浄化された……ってことは、そうみたいです」

「小さいせいか、霊圧も大したことなかったから気付かなかったなぁ。金矢の目は凄いね」

「ほ、褒めても何も出ませんよ……綺麗とか正気ですか」

「うんうん、そこまで言ってないけどそう思った」

「う゛……も、もう解きます」


 若干顔を赤らめつつ金矢は始解を解き、久しぶりに左目を開けた。潰れたはずのその目は本当に元通りになっていて、曇りなく私を映す。右の瞳の血のような赤も引き、黒に戻っていた。


「何でも視えるし必中とは……強力だけど、毎度目が潰れる痛みを伴うってのが酷だね」

「投げて使わなければ目が潰れることもありませんが、それだと始解する必要性がまず……今回みたいによっぽど特殊な窮地でもなければ、俺は始解しませんよ」

「それでいいと思うよ。かっこよかったから、できればまたお目に掛かりたいけど」

「かっ……」

「あ、ところで。君の左腕、くっつけるのはもう無理でも一応回収しておこうと思ったのに……どこにも見当たらないの」

「虚に拾い食いでもされちゃいましたかね?ははは……。楠山四席が気に病むことはないんですからね?俺、目の前の誰かを護れない方がずっと苦しくなるっていうか……結局は、自分のためにやったことなんで」

「…………うん」

「さ、俺たちも天幕に戻りましょう。十番隊の方はどうだったかーとか、確認もしなくちゃいけませんし」

「うん。……金矢、ありがとう」

「いえいえ、こちらこそ。どういたしまして」


***


――夜は去った。
東雲の空に朝陽が昇る。

闇に提灯曇りに笠、備えあれば憂いなし……だが、忘れてはいけない。夜は何度でも訪れるということを。

くれぐれも、憂患に生き安楽に死すことのないように。


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