火蓋と血路の露払ひ

死ぬれば死神
ひぶたとけつろのつゆばらい

[待ってください。……見られてる]

[え?]

『――ジ……キュー、ガ、ガガ』


 記録はそこで途絶える。最後に映し出されたのは、血のように赤い死神の目だった。
 モニターの映像がプツンと音を立てて消え、照明のない部屋の中はより一層暗がりとなった。壁際に並ぶ妖しく光る液体の入ったガラス張りの円柱型装置だけが辛うじて室内を照らし、椅子に腰掛けている男の横顔を緑や紫に染めている。


「……で、これがそいつの左腕か。腕だけあっても別に面白くないな」


 手駒に回収させたらしい死神の左腕を片手で放り、振り回し、いいように弄もてあそぶ。非道なこの男は、反対の手で頬杖をついて至極つまらなそうに吐き捨てた。それを聞いた大柄な別の男は、意味が分からないという調子で口を開く。


「それならもっと送り込んで弱らせて、諸共捕まえちまえば良かったじゃねぇか」

「そうしたかったけど、予想以上に体力馬鹿が揃っていたからね……甘く見ていたよ。僕の大切な実験材料ペットを殆ど消費してしまった」

「ケッ、よく言うぜ!脳みそぶっこ抜かれててめえの言うこと聞くだけの凡骨共に、これっぽっちでも愛着があったのかよ?」

「その凡骨共を僕に引き渡して遊んでいるやつの台詞とは思えないね。フフ……」


 常人が見れば吐き気を催もよおす程度には兇悪な笑顔、狂った思考。しかし彼らにとっては、弱い虚や死神の命を弄ぶことなど、ただの暇潰しの児戯に過ぎないのである。この行為において彼らが背負う罪悪感は精々、万年筆で団子を串刺しにして食べずに道の真ん中に置いてみるのと同程度だ。つまりは無意味。行動原理不明のいたずら。まさに人でなしの強者だけが持ち得る感覚であり、今こうして述べている内容を諸氏が理解できないのも至極当然のことと忠言しておく。


「さてと。指示だけ出して、僕は鬼道の解析で席を外していたからね。十一番隊隊長が僕の力作を派手に壊してくれるより前の記録も見直さないと……」

「ハッ、残念だったな。完璧に霊圧を消せる第一号だったんだっけ?」

「試作品に過ぎないけれどね。強い固有能力を付加したうえに戦闘力も高くしようと欲張ると、なかなかうまくいかないんだ。ロカのやつみたいに一点特化に絞れば成功率もいま少し高くなるんだろうが……せっかく改造しても使えないんじゃ意味がない」

「今回みてぇにやられちまって終わりじゃ確かに意味ねえな!ぐはははは!!」

「……五月蝿いぞ。これからやることがあるから、さっさとまた掻き集めてきてくれ。報酬はやるから」

「何?まだちみちみやんのかよ?俺が直接いったほうが手っ取り早くねぇか?」

「君こそ何を言ってるんだ。僕が『生かして捕らえろ』と言ったのに勢いで殺してしまうようなやつには、もう二度と頼まないよ」


 そう言うと、男は椅子から立ち上がってこちらに歩み寄る。戸を叩くのと同じようにコンコン、と人差し指の関節で俺が・・入って・・・いる・・ガラス装置を叩いた。


「おかげでやりたかった実験もできなかったし……こうして霊子化した魂魄を霧散させずに保存しておくだけで限界だった」

「はぁ?それ、俺が殺やったやつだったのかよ!?形も残ってねぇじゃねぇか!」

「君のせいだぞ。ほぼ粒子みたいなものさ。果たして塵ほどでも自我があるのかどうか――ま、ないだろうね」


 男は装置の中身の少し上あたりの虚無をぼうっと見つめる。
 そうさ。この頭のイカれた野郎でさえ、こんなモノにまだ自我が残っているなんて微塵も考えない。今お前が見つめているあたり、もしかしたら俺の尻かもしれんぞ?……なぁんて、俺自身も人としての体の感覚なんてとうに忘れてしまっていてどこが尻なのか、そもそも尻だった部分が残っているかどうかも分からないのだが。


「ンなモン、とっといてどうすんだよ」

「構想はあるんだ。良質な材料が揃えば、いつか面白いものができるだろうさ……ああそうだ、コレ、要らないから出ていく前にそこの水槽にでも入れておいてくれ」

「? おう」


 宙に死神の左腕が放られた。大柄の男がそれを掴み、そのまま近くの水槽に投げ入れる。すると左腕は液体に触れたところからジュッと音を立て、一瞬で無形と化した。


***


[……ああ――――……、…らないか――……前に……の、――……入れ……い……れ]

[―― ……]

『ジュッ …………』


 音声はそこで断絶される。きちんと聞き取れたのは『改造』という一単語のみ。あとは通信不良による雑音ばかりで、誰かが会話しているということだけは分かったものの、その内容は全く掴めなかった。


「局長、今のは……」

「フム……これは予想外の収穫だネ」


 涅はそれだけ言って、さっさと奥の実験室に行ってしまった。一言も返答を貰えないままその場に残された阿近は、起きたことを順に整理し、自力で理解してみようと試みる。

 昨日……いや、もうとっくに日は跨いだから一昨日か。一昨日、技術開発局を訪れた金矢克廣という十一番隊隊士に、涅が開発した“監視用の菌”入りの茶を飲ませることに成功した。
 試作第一号のこの菌は、まず半日かけて被験者の血中に入り込んだ。そして被験者の周囲にある霊圧や発したり聞いたりした音声を逐一観測し、その記録を技術開発局にある機器に順調に送信し続けていた。ところが、或る時を境に急に通信不良に陥り、被験者自身の霊圧さえも計測不能となってしまった。

 この試作品第一号の菌には二つの欠点がある。一つは、記録容量や寄生部位の問題で鮮明な映像は撮れないということ。そしてもう一つは、幾つかある菌にはそれぞれ役割分担がされており、菌はすべてごく近くに存在していなければ菌同士での情報交換・処理が難しくなり、真面に機能しなくなるということだ。実はこの二つ目の欠点を補うために、菌は被験者の血中にあっても常に一か所に密集するように調整されていたのだが――これが仇あだとなった。

 鼓動が一つ脈打つ度に、血管を巡り回って全身を一周していたごくごく小さな菌の塊。それが左腕を通過しようとしたまさにその瞬間、なんたる非運か、ドンピシャでそこが切り離されてしまったのだ。
[ッ、……別に、また持ってけって前振りじゃ……なかったんだけどなぁ]
[金矢!君、腕が――]

 何が起きたのかはその音声ですぐに分かった。楠山沙生の能力の秘密の解明をまだ諦めていなかった涅は、彼女本人ではなく彼女に近しい者に”監視用の菌”を感染させることで、例の通告書の穴を掻い潜ろうとしていたわけなのだが……その結果がこれ、二日と持たずおじゃんである。このときの涅の罵りっぷりといったら、八つ当たりもいいところだった。
「な……何!?こいつよりにもよって!ンンン糞間抜けめ!どうせなら、虚に丸呑みにされてしまった方がまだデータとしては有益だったヨ!」
 涅の癇癪は今に始まったことではなかったが、このときの研究室内の空気の重さといったら、それはそれは。沙生に代わって頻繁に技術開発局を訪れるようになった金矢とは、局員たちもそこそこ懇ねんごろになりつつあったから……話が逸れた、戻そう。

 兎に角、菌は被験者から切り離された。北流魂街の森の地面に転がったソレは、その周りで交戦している十一番隊と虚の喧やかましい音声だけを拾って送信してくる役立たずに成り果てた。小一時間待ってみても霊圧計測機能が回復する兆きざしは見えず、涅はもう菌との通信を遮断してしまおうとした。必要以上に音を立てて鍵盤を叩き、設定を書き換え、そうして最後に『決定』のスイッチを押そうとしたところで、ある異変が起きた。
 交戦の喧騒が急にぴたりと止んだのだ。左腕が乱戦の中で完全に消し飛んでしまったのかとも考えたが、そうではなかった。通信不良に陥おちいってはいたものの、機器を見る限りまだ断絶してはいなかったのである。
 暫くして、ひどく雑音混じりの中で人の会話らしき音声を微かに拾い……一瞬だけ計測機能が復活して示した霊圧は、限界値を遥かに振り切っていた。

 そして冒頭に至る。

 類推するに、被験者の左腕は虚によって虚園ウェコムンドに持ち去られたのだと思われる。虚の世界である虚圏という所は、未だに広さも景色も霊子構造も不明で謎が多い。行って帰ってきた者も誰一人としていない。そんな所に持っていかれたのだとすれば、“監視用の菌”との通信が不安定になるのも当然だ。
 人と同じ言葉を使う虚は決まって知能が高く、霊力も強い……これは教本にも載っている。だが、あの振れ幅は尋常ではなかった。それこそ王族特務の管轄とされる基準を優に上回っていただろう。


「おい阿近。ちょっとこれ見てみろよ」


 鵯州に声をかけられ、阿近は目の前に意識を戻す。モニターには過去に出現した強力な虚の一覧が映し出されており、特に霊圧が高かったとされるものは別途拡大表示されていった。どうやら二人してほぼ同時に同じ答えに至ったらしい。


「虚圏全域にも数体しかいないとされる、か。最上級大虚ヴァストローデともなると流石にそうぽんぽん出現しちゃいねえと思うが」

「ああ。少なくとも技術開発局創設以降は一度も観測されてねぇ。だがこの古いデータ……」


 フォルダー名『Diablo rosa』。作成日は1881年1月29日。作成者は浦原喜助。


「何だよこれ、こんなのあったか?」

「ついさっき勝手にポンと画面に出てきた。失踪後の調査では何にも見つかりっこなかったってのに、あの人ァ一体どういう隠し方してるんだかな」

「局長が見たら怒り狂って削除しそうだな……今のうちに見ておくか」


 中にあったのは二項目。とある虚の残存霊圧解析データと、『玲瓏山』という名前のフォルダーだった。


「二十年前ってことはあの人がまだ二番隊だった頃の記録か。だがえーっと……『れいろうざん』?ってやつは最終更新が五年前になってるな」

「まずはこっちの虚のデータから開いてみるぞ」


 当時はまだ技術開発局がなく、現在のように虚の出現位置や霊圧の観測も行われていなかった。解析できた霊圧が残存のものしかないのはそういう事情によるのだろう。浦原喜助といえど、設備もない環境下で個人でできることには限界があったということだ。


「そういうことか……阿近、さっき監視用の菌が最後に送ってきた霊圧とこの解析データにある霊圧、同質だ」

「じゃあ、左腕を持ってった虚はあの人が昔から目を付けてたヤツだったってことか?」

「恐らくそうだろう。で、このフォルダーはそいつの霊圧を観測した場合に自動で開かれる設定になってたみたいだ。この最上級大虚が出現したのが二十年前のことなら、何か知ってるやつが近くにいるかもしれねぇな……なぁ、話きけそうな心当たりねぇか?」

「……鵯州こそ、誰かいねえのかよ」


 十年前に浦原によって技術開発局に引き抜かれるまで長く地下洞窟に隔離されていたものだから、二十年前の出来事など全く知らない。そう、二人とも元は“蛆虫の巣”に押し込められていた変わり者である。内輪では良くも悪くも遠慮がない付き合いをしているが、局外に一歩出ると気兼ねなく話ができる相手など皆無に等しい。ここ最近だと十一番隊とはそこそこ交流があるといえなくもないが、彼らは今遠征中であるし、そもそもあの隊の上位者は揃って死神歴一年未満だから訊いても仕方がない。


「…………。」

「…………。」

「……俺らって……」

「くそ、惨めな気分になってきた……」


 そのとき、廊下に繋がっている方の鉄扉が少し雑にゴンゴンと叩かれた。開けたままになっていたのに一応ノックするくらいだから、局員ではないだろう。太陽も顔を出したばかりのこんな朝方に、部外者が何の用だろうか。


「よぅ邪魔するぜー……って、何だそのツラ。通夜でもやってんのか?随分どんよりした空気だな」


 やって来たのは紙束を担いだ志波海燕だった。阿近はいったん機器から離れ、渋々と応対に向かう。


「志波副隊長でしたか。こんな時間に何のご用です」

「今ならいるかと思って書類回しに来ただけだ。ちゃあんと昼にも夕方にも来たんだぜ?でもみんな戸締め切って籠ってるか寝てるってどういうことだよ、どうにかしろー」

「あー……どうもすみません」

「お前まだ若いクセにひっでぇ隈ついてんぞ。どうせまた徹夜したんだろ?もう寝ろ寝ろ」

「まぁそうしたいとこなんですが……」


 阿近は助け船を期待して、奥にいる鵯州の方にちらりと目を遣った。しかしぷいと視線を逸らされ、カタカタとパネルを叩く作業が再開される。「この鯰野郎」と思ったが、少し間を置いてからその鯰野郎が囁き声で言う。


「……阿近、さっきのこと志波副隊長に訊いてみろよ」

「は……いやいや、この人も二十年前のことなんて――」

「ん?何だ?二十年前って……まぁ駄目元で訊いてみろよ!ほらほら、お前ら何が知りたいんだ?」


 海燕は軽い足取りで勝手に奥へと進み、モニターに向かっている鵯州のすぐ後ろを陣取った。「この野次馬副隊長め」。阿近は諦めたように溜息を吐いてから、その後に続く。


「お〜、ここの機械をこんな間近で見るのは初めてだぜ。暗い所でもペッカーと光って便利なこったな!」

「……じゃあ一応お尋ねしますけど、二十年前に出現したという最上級大虚について、何かご存知ですか?」


 暫くの沈黙。海燕からの答えはない。
 それはそうだ、訊く人を間違えているのだから。志波海燕は入隊からたったの五年で副隊長になった凄腕だが、経歴が浅い。十年と少しといったところか。技術開発局ができるより昔の最上級大虚の情報ともなれば、当時の隊長格か現場にいた当事者くらいしか知る訳がないのだ。彼が知っているはずがない、時間を無駄にしただけだ。
 ――阿近はそう思って、隣に立つ彼の横顔を見上げた。


「……志波副隊長?」

「その“二十年前のこと”と“これ”とは、何か関係あるのか」


 海燕は真剣そうに、しかしどこか困惑したような表情で、モニターのある一点を指差しながら言った。そこに映っているのは何処かの山中の映像だ。どうやら、阿近が外していた間に鵯州が『玲瓏山』というフォルダーの中にあった様々なデータも展開していたようだ。山中には至る所に色々な角度でカメラが取り付けられているらしく、九分割された画面は様々な場所を映している。その隣に表示されている霊波グラフは、現在進行形でその場所の霊圧を計測しているようだ。


「『れいろうざん』ですか?これは……鵯州、何だか分かるか?」

「現世の何処かだ。現在のそこの様子を確認できる監視プログラムみたいだな」

「違う。『れいろうざん』じゃない」


 海燕ははっきりとそう断言した。阿近と鵯州は驚いて動きを止め、思わず海燕の顔をじっと見る。


「『もゆらやま』だ。十三番隊管轄の現世にある『玲瓏山もゆらやま』……俺が、五年前に死ぬはずだった場所だ」


***


 りぃん、しゃららん。
 鈴の音に似た清らかな響きがきこえる。空は東雲、地には白焔。私は黒の巨塔を取り巻く螺旋階段を上っていく。この精神世界にある中でも一番高い塔の天辺には、白銀に煌めく大珠たいじゅがある。大珠は風が吹くと微かに震え、綺麗な音を鳴らすのだ。


(沙生、今は仮眠の時間なのだろう。散歩などしていて大丈夫なのか)


 ハクが塔の周りをゆったりと旋回しながら言った。器用にも、私が階段を上っていくのに合わせて少しずつ上昇し、常に私の目線の高さについて来る。此処はいつ来ても夜と朝の境で止まったままの空模様だが、現実だと今はちょうど人々が目を覚ます頃だ。


(疲れて眠いのは確かなんだけど、まだ戦いの気が抜けきらなくて。暫く此処にいたら落ち着くかなと思ってさ)

(小僧は出発は正午とか言っていたな。それまでにはしっかり休んで疲れをとっておけよ)

(はいはい……ふふ、ハクにかかれば誰でも小僧になっちゃうのか)


 更木隊長なんて何百歳かも知れないのに、それでもハクからすればまだ青いらしい。この神使の白鳶はどれほどご長寿なのだか。疲れた頭でぼんやりと考えながら、遠ざかっていく眼下の白焔の海を眺める。


(隊長はやっぱり凄かったなぁ。みんな無事とはいかなかったけど、乗り越えられて良かった)

(そうさな。死人が出なかったのは何よりだったが……戦いに身を投じていれば、いつかはそういう時も来る。覚悟はしておけよ。肝心な時に力を鈍らせ、お前まで死なないようにな)

(死神になるって決めたときから覚悟はしてるつもりだけど……誰かが死ぬときの覚悟を決めるより、まず死なせないために強くなりたい……かな)

(それは難しいことだぞ。恐らく、お前が思っている以上に)


 声は優しいが、それは遠回しの否定だ。しかし彼も私も頑固だから、今は何を言っても平行線になるだろう。それはお互いに分かっている。この話はさて措おくこととしよう。
 巨塔の天辺に辿り着くと、ちょうどまた風が吹いた。目の前の煌めく大珠がそれを受けて鳴り、私は目を閉じて音色に耳を傾ける。


(ねぇ、精神世界の真ん中の天辺にあるくらいだし、この大珠も『鳶絣とびがすり』の力と何か関係あったりする?)

(――“珠たま”という字は、丸いという意味の他にも幾つか意味を持っている)

(あ、また言霊の話?)

(宝珠ほうじゅとは価値のあるもの。珠玉しゅぎょくとは美しいもの。明珠めいしゅとは曇りなく優れたもの。これらに共通するのは、人にとってかけがえのない大切なものであるということだ)

(ふむ。何となく分かる)

(人が何かを大切にするために必要なもの。そして、人が人であるために最も大切なもの。それは何だと思う?)

(……えーと……うーんと……今までで一番難しくないかい、その質問)

(答えられぬなら、今はまだ教える時ではないな)

(ええーっ、自分から語り出したくせに)

(はい、この話は終わりだ終わり)


 ハクは澄まし顔で塔の縁をとことこ歩き、本当にもう教えてくれる気はないらしい。せっかく大珠の清らかな音を聴いて心が落ち着いてきたところだったのに、これでは気になってすっきりしないではないか。


(ああそうだ、そんなことより)

(…………何ですか)

(あの小僧、どうも我は会ったことがある気がしてならぬのだが)

(どの小僧よ。名前で言って)

(お前が金矢と呼んでいる小僧のことだ。今度、彼奴に相棒の名を訊いてみてくれ)

(金矢の?一緒に戦ったんだからハクも聞いたでしょう、『八葉鏑やひらかぶら』って)

(馬鹿、それは斬魄刀の名だろう)

(また馬鹿って言っ……え?……それって、どういう……)

(『斬魄刀の本来の名とは別に愛称でも付けていないか』とでも尋ねてみろ)

(……分かった。取り敢えず訊いてみる)


 ハクは小さく頷くと、塔の縁から飛び立っていった。ハクが金矢に会ったことがあるかもしれないとは、それは生前の話だろうか。そうだとして、斬魄刀に愛称を付けていたら何か関係あるのだろうか。「しっかり休め」みたいなことを言っておきながら気になることばかり中途半端に話していくなんて、まったくハクも人が悪い。……ん?鳶が悪い?ああもうどうでもいい!今はちゃんと眠って、疲れをとらなければ――。

 正午まであと半刻という頃。私は仮眠から目覚め、私専用の天幕を出た。死覇装の両袖は取っ払ってしまったものだから、ちょっとスースーする。隊士たちもそれぞれ天幕から出てきて片付けを始めている。ふわぁと欠伸をひとつして、私も天幕の留め金具を外しにかかった。


「楠山四席、おはようございます。ちゃんと眠れましたか?」

「おは……よう。昼にこの挨拶って何だか変な感じするね……まぁそこそこ。金矢は?」

「死んだように眠ってたらしいですよ。さっき『紛らわしい!』って斑目三席に怒られました」

「そんな横暴な」


 幸い十番隊隊士の中に少し回道を使える者がいたため、彼の左腕の切り口は一応薄皮で塞がっている。肘から先を失ってしまったというのに、彼はへらりと普段通りみたいに笑う。それが私としては救われるような、苦しいような。

 継続して強力な虚が出現している今、「近辺の流魂街の民を護るためにもまだ全員で撤退するわけにはいかない」というのが志波隊長の判断だ。金矢を含む重傷者には、負傷していない隊士数名を護衛に付けてこれから瀞霊廷に帰還させることになっている。重傷者は二隊合わせると結構な人数に及ぶため、そうすると合同遠征部隊は戦力半減となる。もし昨夜と同規模の奇襲をかけられたらまずいことになってしまうだろう。だから、志波隊長は帰還する彼らに「少数精鋭の増援要請」の言伝を頼んでいる。


「……遠征初参加で途中棄権なんて恰好つきませんね。次こそは最後まで隊長に随伴したいものです」

「昨日の今日でそう言えるだけ、大した気概だと思うよ」

「そうですか?へへ、ありがとうございます」

「ところで、付かぬ事を訊くんだけど……金矢は斬魄刀に愛称とか付けてたりする?」

「愛称ですか?……あれ?俺もしかして昨日の戦いで口に出てましたかね」

「え……えーっと」

「ああいえ、別に隠すことでもないですから。普段は斬魄刀の名前よりそっちの名前で呼ぶことの方が多いので、咄嗟に出てたような気もしますし……はい、付けてますよ。愛称」

「……訊いてもいい?」

「俺は『八葉鏑やひらかぶら』のことは“ハヤ”って呼んでます」

「へぇ、そうなんだ。教えてくれてありがとうね」


 “ハヤ”。はてさて、これはハクが求めていた答えなのかどうなのか。しかしうんともすんとも反応がないから、今ハクは外を見ていないのかもしれない。ふと良く通る声が聞こえたので向こうを見てみると、志波隊長が負傷者たちを集合させていた。もうじき正午になる。帰還組も続行組もそろそろ出発の時間だ。


「じゃ、俺は一足先に瀞霊廷に戻ります。どうかご無事で」

「うん。帰り道も気を付けてね。腕はちゃんと四番隊に診てもらいなよ」


 金矢の背中を見送りながら、昨夜の共闘を思う。主の目を何でも視える目に変えてしまう力と、それによる必中の矢。金矢の相棒ハヤは一体どんな斬魄刀なのだろう。それにしても「何でも視える」か。これはひょっとすると、私とハクの“隠れる力”も彼には通用しないかもしれない。仮にそうだとすると、目眩ましや幻覚、催眠だって効かないだろうし――……


「っ、金矢!ちょっと待って!」


 声を上げ、いったん遠くなった背中に走って追いついたはいいが、そこらに集まっていた隊士たちの目も集めてしまった。近くにいた弓親や志波隊長も驚いている様子だ。


「ど、どうしました?何か忘れ物でも……」

「あの、一分でいいからちょっと来て」


 今からする話を他の誰かに聞かれることは避けたい。金矢の右手を掴んでそっと引き、集団から距離を取った。


「君が今まで始解の能力を教えたり見せたりした相手って、どれくらいいる?」

「え?えーと……昨日まで大勢の前で使うのは避けてましたから、十一番隊を除くと霊術院の同期だった何人か……十人もいないくらいですが」

「そう……あの、お願いなんだけど……今後どうしても使う場合でも、せめてその“何でも視える”って能力だけでもバレない様に……してほしくて……」

「楠山四席。手、震えてますよ」

「あ……ごめん、掴んだままだったね」


 何をやっているんだ、落ち着け私。これはまだ可能性の話だ。だが――金矢に藍染隊長の『鏡花水月』の完全催眠が効かないとすると、それは藍染隊長にとって脅威となり得る。もし能力がばれてしまえば、平隊士である金矢はすぐにでも始末されてしまうかもしれない。そんなことにはなって欲しくない。
 言葉ははっきり伝えなければ、本当のことを言っていても嘘っぽさが混じってしまうものだ。胸に手を当てて呼吸を整え、金矢の正面に向き直る。


「申し訳ないけど、理由はまだ話せない。勝手な頼みでごめんなさい。でもお願い。私は、私を護ってくれた君を護りたいの」

「……そんな顔で言われたら、はい以外はとても言えませんよ」

「……どんな顔?」

「何て言ったらいいんですかね……あっ、分かった。優しくて悲しい顔です」


 その表現は前に海燕さんからも言われたことがある。自分では見て確かめられないから、言われてもどういう顔だか分からないけれど。


「俺の目のことを知る人を不用意に増やすなってことですよね?了解です。元々大っぴらに使う力でもありませんし、特に支障もないですよ」

「金矢……」

「おお〜い!金矢、楠山!帰還組もう出発させるぞ〜!!」

「今行きます!」
「今返します!」


***


「……沙生がずいぶん百面相してたけど、何の話してたの?」

「すみません秘密です!でも綾瀬川五席が考えているような話とはきっと違いますので、ご心配なく!ご武運を!」

「なっ、……え……はぁ?」

「弓親。金矢は深く考えてねぇと思うぜ」

「それ昨日の僕の真似なんだろうけどさ、そのときのと今のとじゃ何か違くない?……え?違くない?」


***


 ――どうやら狙い通り”大物”が釣れそうだ。

 五番隊、七番隊、九番隊と続き、そして今回の十番隊と十一番隊の合同部隊。あまり間を空けずに数百人規模の討伐隊を派遣しても怪しまれなかったのは、新隊長四名同時就任という異例を経たおかげだろう。巷ちまたでは「総隊長が新隊長たちに経験を積ませようとしている」とか「新隊長に課された最初の試練だろう」とか噂されている。こちらにとっても都合の良い憶測を広げてくれているようで何よりだ。「中央四十六室の賢者たちにちょっ・・・と・した・・完全・・催眠・・をかけて総隊長にそう指示するように仕向けた」とは、誰も考えていない。


「どうも昨晩はぎょうさん出てきはったらしいやないですか。ウチと九番隊の番が先だったんは惜しいなァと思てるんちゃいます?」

「そうだな。私か要が出ていれば、もっと自由に手出しできていただろう」


 昼下がりの五番隊執務室。
 隊長副隊長としての通常業務をこなしながら、世間話のように交わされる会話。藍染は泰然として机に向かい、市丸は少しばかり猫背になって紙束を整えている。唐突に部下の誰かが此処を訪れようと、二人は焦ることもなく普段通りに迎え入れることだろう。

 更木剣八の力量や思考を未だ読み倦あぐねていた四十六室は、彼の入隊試験のときのような勝手な暴走を防ぐために、十一番隊を遠征に行かせる場合には守もりを付けさせる方針でいた。当初の予定では、その任には藍染の五番隊が就くはずだった。近くで更木の戦いを観察し素質を見極め、自分と更木の強大な霊圧で以て大物の虚を釣り、接触を試みる……一石二鳥の計画になるはずだった。ところがその矢先、新隊長に正式に任命された隊首会の直後に志波一心と更木剣八が餓鬼みたいにポカスカやって、それを見た総隊長が意向を翻してしまった。
 これまで藍染の立てた計画に予定外が起きることはまず無かった。それが何とも妙な理由で狂わされ、五番隊単独で討伐遠征の先陣を切らされたときには、藍染はおかしくて笑いを堪えられなかった。今でも思い出す度につい口元が緩むほどである。


「フフ……確かに予定が少し狂いはしたが、あの隊長二人に討伐される程度の虚なら交渉も必要ない。別に構わないよ」

「なんや楽しそうですやん」

「楽しい、か。死神でありながら虚と繋がろうとしている背徳感のことをそう呼ぶなら、そうかもしれないな」

「またまた。でも、これからどないします?せっかく大物が釣れても、合同遠征部隊とドンパチやって満足したら暫く引っ込んでまうかも」

「霊波計測研究室の様子を見るに、部隊が昨晩に受けた被害は小さくない。直に増援要請がくるだろう。その時はギン、君に頼みたいことがあるんだ」

「ボクに?なんですか?」


 市丸は人に意図を読ませない目付きのまま飄々と返事をした。藍染は仕事を続けながら、虚と手を組むための第一歩となる計画を述べていく。それに用いる手段を聞いても眉一つ動かさず口角を上げたまま「はい」と了解する市丸を見て、藍染は彼と初めて会った十年前のことを思い出していた。まるで仮面を張り付けているかのような笑顔のまま、当時の五番隊三席を斬り殺したあの夜。その時と同じ顔をしている、と思った。

 ――相変わらず、面白い子だ。


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表紙・家