渇けば切るが良し

死ぬれば死神
かわけばきるがよし

 六月二日、夕刻。
 夏の始まりは陽が長い。おかげで、合同遠征部隊の帰還組は日暮れ前に瀞霊廷に辿り着くことができた。死神ではない住人たちの中には、「出立から僅か一日で半数がとんぼ返りしてくるとは」と呆れて皮肉を言ったり、両隊長の指揮の手腕を疑問視する者もいた。しかし、既に技術開発局からおおまかな霊波観測結果や報告を伝え聞いていた一部の死神たちは、「最強の戦闘部隊がこうも被害を受けるとは只事ではない」と感じ取っていた。

 四番隊綜合救護詰所二階、炊事場。
 三席の虎徹勇音は、つい先ほどにどっと増えた入院患者たちのために芋の皮を剥きながら考え事をしていた。患者の問診と並行して行われた聴取により、事態の詳細も徐々に明らかになってきている。虚の大量出現、自身の霊圧を消す虚の存在、統率が図られていたとすら感じられる虚の戦い方、そして剣八でさえ苦戦を強いられたという事実。帰還した負傷者の中に沙生がいなかったことにほっとしたのも束の間、事態を把握した今では「軽い怪我でもして帰ってきてくれたら良かったのに」などとらしくもないことまで思う。


「虎徹、手が止まっているよ。そんな調子だと夕飯に間に合わなくなるじゃないか」

「わっ、山田副隊長、いつの間に背後に……す、すみません」

「どいつもこいつも考え事、いつもなら怪我人の癖に暴れて文句をつけてくる十一番隊の奴らでさえ今は上の空さ。僕まで調子が狂ってしまいそうだ」

「珍しいですね。山田副隊長が他人に流されそうだなんて……」

「奴らを言い負かした後に縛道をかけて回るのは、良い暇潰しになるんだけどね」

「……あ、そういう……」


 一瞬でも心配して損をした気分になりつつ、勇音は芋の皮を剥く作業を再開した。早くしないと夕食の時間が押してしまう。今日の献立は芋の煮っころがし、ツルムラサキのお浸し、鯖の竜田揚げ、サヤエンドウと麩の吸い物。煮る芋の数は普段の倍、炊く米の量はそのまた倍だ。ただでさえ普段から他隊に雑用を押し付けられて忙しくしているというのに、急に大勢の入院患者が押し掛けて、四番隊隊士は皆やることに追われているのである。こんな状況で堂々と暇そうにしているのは清之介くらいのものだろう。


「……君は、十一番隊の楠山とも親しいそうだね」

「は、はい。よく一緒にお茶もします」

「僕が言えたことではないんだが、彼女は人ができているように見えてそうでもない。無事に帰ってくるかどうかは怪しいところだね。どうも無茶ばかりする性質のようだし」

「どういう意味ですか……?近頃出現する虚は何かと厄介ではありますけど、沙生さんは強いですよ。今四番隊にいないってことは昨晩の戦いも乗り越えられたってことですし、きっと……」

「常識的には、無事に帰ってくるように祈っててやるのが良いんだろうけどね。ああいう人間は、怪我しないなんて土台無理ってものさ。だから君も、心の準備はしておいた方がいい。彼女がどんなに酷い姿で帰ってきても、できることをしてやれる準備をね」

「どうして……そんなことを言うんですか……」

「僕としては当然のことを言ったまでなんだけど、人から見ればどうも違うらしいね。でも、僕に人の心がないってことは、もうとっくに知っているだろう」


 清之介に人の心を期待することこそ土台無理な話で、勇音は悶々もんもんとしながらもそれ以上は言い返さなかった。個々人の性質というのは、そう簡単に変えられるものでもない。しかし何だか感情に波風が立ってしまって、つい皮剥きも途中な芋を持つ手に力が入ってしまった。すると芋はずるっと滑って手から逃げ、派手にボコッと音を立てて流し台に落ちた。暫しの沈黙が流れる。


「副隊長は急せかしにいらしたのですか?それとも、態々お邪魔しに?」

「……御厨、いつからいたんだい」

「あら、私がこの時間に炊事場にいないことの方が珍しいですよ。お暇なら副隊長も手伝ってくださいませんか?今日、特に大変なので」


 四番隊隊士の御厨貴子は、鯖のはらわたを取り除きながら、いつもと変わらない含みのない笑顔で言った。聞き手からすれば若干の含みも勘繰れるような物言いだが、それに真っ向から反発できる者は殆どいない。なんと清之介もその例に漏れないわけで、彼にいびられがちな四番隊隊士にとって御厨は心強い味方なのである。卯ノ花隊長に対してと同じように、御厨にも憧れている女性隊士は割と多かったりするらしい。


「お二人は全然似た者同士ではないですから、そうやって食い違うのでしょうけど。沙生さんのことを心配しているのは一緒じゃありませんか。喧嘩なさる必要はないはずですよ」

「えっ!山田副隊長ってこれでも心配してるんですか!?」


 驚きの勢い余って言ってしまい、勇音はすぐにハッとして口を噤つぐんだ。別に清之介を馬鹿にしようという意図は無かったが、上司に対して流石に失礼だったかもしれない、と思ったのだ。一方、清之介は涼しい顔でこう答える。


「滑らせるのは芋だけにしておいたらどうだい?まぁ、別に気にしないけどね。それに、僕が人を心配してるって?御厨は本気で思ってるのかい?」

「沙生さんは二度も入院されて、それから完全に元通りとはいきませんでした。診た私たちが一番分かっていることです。少しでもご自分に不甲斐なさを感じていらっしゃるなら、それはつまり沙生さんを心配している、と言い換えられるかと存じます」

「……君の屁理屈には飽き飽きするね」

「お認めにならないなんて強情ですこと。それで結局、お暇でないなら此処は私たちに任せてくださいな。油なら足りていますから、もう結構ですよ」


 勇音をはじめ炊事場にいた四番隊隊士たちは、どこか堅い空気をひしひしと感じつつも、折れるどころか笑顔のまま清之介を追い出しにかかる御厨に感心した。清之介もまた、生まれつきの悪い目つきを更に細めて微笑している。そのとき、一匹の地獄蝶がちょうど窓からひらりと入って来た。
 地獄蝶とは、現世でいう黒揚羽に似た蝶で、護廷十三隊の死神はこれを各隊で飼育している。現世と尸魂界を行き来する際には必ず一人一匹の地獄蝶をつける決まりになっているうえ、廷内ではよく伝令役として扱われる。死神にとってはごく身近な生物だ。
 地獄蝶は清之介の肩の上にとまり、羽根を開いたり閉じたりした後、またひらりと飛んで出ていった。それを見届けた勇音は、こちらに背を向けた清之介に尋ねる。


「えっと……山田副隊長、どういった伝令ですか……?」

「全隊長副隊長を一番隊隊舎に召集。僕にも来いってさ。そういう訳で、僕は暇ではなくなってしまった。手伝ってやれなくて残念だよ、御厨」

「ええ本当に。志波隊長から増援要請もあったそうですし、きっとその話でしょう。行ってらっしゃいませ」

「……僕は、どうせ送られないだろうけどね」

「そんな、まだ分からないじゃないですか」

「虎徹、君だって知っているだろう。総隊長はそういう人だよ。救護専門の隊なんて設けておきながら、それを前線に送ることはいつも渋る。増援だって小出しにして、可能な限り事態に割く人員を少なく済まそうとするんだ。そういう出し惜しみのせいで被害が大きくなったことも一度や二度ではないのにね」


 この場にいる隊士たちは皆、目を伏せて押し黙った。過去の例を鑑みるに、全くその通りであるからだ。


「僕にしてみれば、救えるはずの命をみすみす取り零すようなそんな愚かな行為、正気とは思えないけどね。戦いで死ぬことを美徳としているせいで、見栄を捨てきれないんだろうさ。……本当に、僕はあの方とは気が合わないよ」


――――――


 全隊長副隊長に召集がかかる少し前――


「何だネこれは……罪人の分際で、私のコンピューターに勝手にこんなデータを残していただと!?」


 技術開発局、霊波計測研究室。
 浦原喜助が残していった記録、フォルダー名『Diablo rosa』。その存在を遂に知ってしまった現局長の涅は、部下たちの予想通り、未だ影をちらつかせる忌々いまいましい前局長の痕跡など抹消してしまおうとした。しかし、そこに阿近が駄目元で待ったをかけた。


「局長。その中にある『玲瓏山もゆらやま』ってフォルダー、志波副隊長によればその山は楠山沙生が生前に暮らしていた土地だそうですよ。まぁ他にも何か知っていそうだったんですが、それきり考え込んで帰られてしまいましてね……とにかく、消す前にもうちょっと調べてみませんか」


 あの娘が生前に暮らしていたからそれが何だ!と怒鳴りつけそうになったが、「何故そんな山のデータを浦原が採録していたのか」という疑問が涅の中に発生した。偶然だとは考えにくい。
 更に、鵯州が阿近を援護するように言った。


「そのデータはまだ精査する余地があるかと。金矢克廣の左腕を持ち帰らせた最上級大虚ヴァストローデと同じ個体のものと思われる霊圧データもありますし、もしかしたら出現予測にも使えるかもしれません」

「…………分かったヨ。削除はやめておこう」


 いくら癇癪もちの涅でも、ここは分別をつけることにしたらしい。「そこまで有用なデータであるなら」と何とか堪えて思い留まった。浦原の残したデータを抹消するのではなく、利用してやろうという気概に切り替えたのである。
 珍しく意見が通ってデータの抹消阻止に成功した阿近と鵯州は、自分らで進言したくせに暫く信じられず、目を点にして固まっていた。そして心の中では密かに高々と拳を上げ、大いに喜んだ。研究者の端くれとして、まだ謎の多いデータをろくに調べられないまま捨てるなんてことは、惜しくて仕方がないと思っていたのだ。


「ありがとうございます局長。早速なんですが、その最上級大虚が出現したっていう二十年前の当時、何があったかご存知ありませんか」

「馬鹿阿近、局長だってその頃は俺らと同じで"蛆虫の巣"にいたはずだろ?」

「あ……そっか、すんません」


 涅は過去、囚人の中でも特に危険視されていた。洞窟の奥深くにある管理者以外立ち入り禁止の暗がりの牢に、たった一人だけ鎖に繋がれていたのだ。対して阿近と鵯州がいた所は、そこと比べればずっと広く明るく、そこそこの人数が同じ空間にいたうえに、洞窟内であれば割と自由に歩き回ることも許されていた。蛆虫の巣の中で二人が涅に会うことは一度もなかったのである。故に、同じ穴の狢むじなであったということがしばしば頭から抜け落ちてしまうようだ。……どこからどう見ても危険人物だろ、とかツッコんではいけない。彼らからすれば涅だって尊敬すべき上司に違いないのだから。


「確かにそうだが、調べようはあるヨ。誰かの脳を覗いたり拷問したりせずともネ。況してや、当時の隊長格に尋ねたり大霊書回廊に忍び込んだりする必要もない」

「? じゃあ、一体どうやって……」

「簡単なことだヨ。取り掛かりとしては、そのデータが作成された1881年1月29日、またその前後に死んだ者を調べると良い。殉職者名簿は一般隊士でも閲覧できるからネ」


 涅がそう言い終えたとき、廊下に繋がっている方の鉄扉からギィと音がした。隙間から顔を覗かせたのは局員の久南ニコだった。彼女の右の人差し指には地獄蝶がとまっていて、通れるくらいに鉄扉が開くなり、ひらひらと涅の方へ飛んでいく。


「あの〜ここ締め切られてたせいで入れなかったみたいで……伝令です、局長」


 寄ってきた地獄蝶のために涅が右手を胸の前に上げると、地獄蝶は彼の中指の一際長い爪の先にとまった。指ではなくそこにとまる辺り、この地獄蝶は少々お茶目らしい。


「フム……私まで隊首会に召集するとはネ」

「初めてですよね?やっと総隊長殿にも局の情報が重要だって分かっていただけたってことですかね……」

「隊首会の最中でも、何か動きがあれば通信してこい。私が戻るまで席を外さない様にし給えヨ」

「了解です」


 涅の背中を見送った後、阿近と鵯州は言われた通り席に着き、再びモニターの監視を始めた。廊下にいたニコはおずおずと研究室に入り、そんな二人の顔をひょこりと覗き見る。


「うわっ、隈。二人とも、あの後ちゃんと寝なかったんでしょ?」

「……だってまさか、局長があのフォルダー消さないでいてくれると思わなかったからよ……」

「そーそー……鵯州と二人でどうにか局長にバレずにバックアップ取る方法の模索もしたし、無理だなって悟ってからは見つかる前に解析とか済ませちまおうとして躍起こいたしな……」


 今朝、去り際にも「お前らさっさと寝ろよ」と言ってくれた海燕の顔をぼんやりと思い出しながら、阿近は眠気を覚ますために苦い茶を口に含んだ。いつも楽しそうにしている彼の表情に翳かげりが差して見えたのは、恐らく気のせいではなかっただろう。それに、先ほどの涅の「死んだ者を調べると良い」という言葉。阿近はそれを言われて漸く気付いたのだが、流魂街に最上級大虚が出現したともなれば、死神が出撃しなかったはずもない。加えてあれほど高い霊圧を持つ個体を相手にしたのなら、十中八九、多くの死人が出たことだろう。


「……再演にならなきゃいいんだがな」


 小さな声で紡がれた憂いは、誰の耳にも拾われないまま解けていった。

 同時刻、十三番隊舎渡り廊下。
 仕事でたまたま此処に来ていた六番隊副隊長の朽木蒼純は、隊首室“雨乾堂”の一歩手前という所で地獄蝶からの伝令を受け取り、嫌な予感に駆られていた。このように緊急の隊首会が開かれるときは、どうせろくなことが起こっていないのだ。過去を辿れば、苦い記憶が喚よび起こされる。


「駄目です!隊長は休んでてください!さっき血吐いたばっかじゃないですか!俺だけで行ってきます!」


 ふと雨乾堂の中から大声が聞こえてきて、蒼純は顔を上げた。スパァンという小気味良い音と共に御簾が開かれ、中々にお怒り気味の海燕がすぐ目の前に現れた。海燕もそこに蒼純がいるとは予想外だったらしく、お互い思わずギョッとして目を丸くし、じっと見合う。


「ま、待ってくれ!今は別に、もう……」


 海燕の陰から苦しそうな声が聞こえたので、蒼純は身を傾けて中を窺ってみた。するとそこには真っ青な顔で辛そうにしている浮竹がいて、無理をして布団から上体を起こしたものの上手く力が入らないらしく、ぐったりと項垂れてしまっていた。そして次の瞬間、浮竹は「フッ」と息を漏らしたかと思うと、真っ白い布団の上に真っ赤な血を吐き出した。蒼純が「あっ」と声を上げると海燕も振り返り、その光景に「わっ」と驚く。


「ダァーッ!?やっぱりどう見ても駄目です!頼みますから安静にしてくださいよ!……清音ー!清音どこだー!?今すぐ来てくれ!」

「――はいただいまー!!」


 海燕が叫ぶと、雨乾堂とは反対側にある棟から返事が聞こえた。続いてガラガラと金属の盥が落ちたかのような音とドタドタと階段を上り下りする音、「ドワーッ!」という男の叫び声と「ごめんあそばせ鼻糞野郎!」という女の元気な声、そしてバタバタという足音が聞こえ、間もなく色々と道具を担いだ清音が走ってやって来た。彼女もそこに蒼純がいることに驚いた様子だったが、軽く会釈をしつつ急ぎ足で雨乾堂の中へと入っていった。


「清音、治療もそうだが隊長が勝手にどっか行かないように見ててくれよ。頼んだぞ」

「分かったわ、任せて副隊長!」


 海燕は頷き、今度はゆっくりと静かに出てきた。


「……すみませんね蒼純殿、騒がしいとこお見せしちゃって」

「いや……海燕くんも大変だな」


 二人は苦笑いしてから、どちらともなく並んで歩きだした。海燕は蒼純の手の中にある紙束に気が付くと、さっと奪い取って軽く目を通し、それをすれ違った平隊士に押しつけ、そして何事もなかったかのように口を開いた。


「叔父貴が増援要請したらしいですね。はーぁ、行く前は『十一番隊なんかオマケだ』とか『俺だけでも楽勝』とか言ってやがったのに。何やってんだか」

「私は更木隊長の戦いぶりも目にしたことがあるが……剣八を名乗るに相応しい実力だと思っているよ。その彼と一心殿が揃っていながらあれだけ被害を受けたということは、余程の事態なんだろう」

「実は俺、今朝技術開発局に行ってきたんです。そしたら、そこのやつらに訊かれたんですよ。……『二十年前に出現したという最上級大虚について何かご存知ですか』って……」


 海燕は、片手だけ上げてやれやれという仕草をしながら、弱々しく言った。それを聞いた蒼純はつい歩みを止め、ぎこちなく首を動かして庭園の方を見遣る。暗くなりつつある空には、ほぼ真ん丸の月があがり始めていた。


「……今の事態に、それが関係あると?」

「はっきりしたことは分かりませんが……残念なことに、無関係じゃあないんでしょうね。外れていてほしい勘ほど当たるもんもないですよ」

「昨晩出現した虚についての簡易報告では、その中に最上級大虚がいたという情報はなかったが……」

「ええ、合同遠征部隊と最上級大虚が交戦したわけではないみたいです。……じゃあどういうわけだって話なんですけど……あいつら、そこまで教えちゃくれませんでした」


 実は阿近も鵯州も、何か知っている風な海燕から話を引き出すためにも、教えても問題ないなら教えたいとは思っていた。しかし、何故その二十年前に出現した最上級大虚に行きついたのか話すには、金矢に仕込んだ“監視用の菌”のことまで話さなくてはならなくなる。当人には無断で行った人体実験のことをまさか他隊の副隊長に明かすわけにもいかず、二人は答えを濁にごしたのである。そんな黒い事情を知る由もない海燕は、自分も答えを濁して去ることで些少な仕返しとしたのだった。


「……なら、一心殿は知らずにいるわけか……仇がすぐそこに迫っているかもしれないということを」

「……蒼純殿」

「早く一番隊舎に向かおう。隊首会が遅れれば増援も遅れることになる」


――――――


 半刻後。瀞霊廷にいる隊長格十五名と隊長権限代行一名は、一番隊舎の隊首会室に顔を揃えていた。


「それではこれより隊首会を開く。皆も知る通り、十番隊と十一番隊の合同遠征部隊の半数が負傷し帰還した。志波隊長からは、更なる襲撃が予想されるため増援を送られたしとの要請があった。その人員のことで、儂は隊長副隊長を招集したはずじゃが……砕蜂隊長」


 この場にある目玉が一斉に砕蜂の方を向いた。砕蜂の後ろに控える大前田は、気まずそうに身じろぎした後、自分の右隣に立つ男を見た。そのもう一つ隣にいる清之介も、面白がるように僅かに口角を上げつつ、左隣に立つ男に目をやった。
 大前田と清之介の間には、刑軍の黒い装束に身を包んだ男が立っている。両脇の二人とも背が高いせいでやや子供のように見えるが、砕蜂よりはまだ少し高い。髪型は短くツンツンしていると見せかけて、項の辺りから一つに結った黒髪は腰まで細く伸びている。隊長格たちの視線を一身に浴びせられても全く動じておらず、そのジトッとした目付きからは感情を窺うのも難しい。


「承知の上で私が連れて参りました。お許しください」

「ふむ。理由を述べよ」

「合同遠征部隊への増援として適役と考えたのです。この者は一対多戦闘を得手とするうえに、我が刑軍の中でも特に夜目が利きますゆえ」

「うん、確かに適役かもしれないねぇ。それにキミは、固有能力を持った虚との交戦経験もあったよね?」


 被っている笠を上げつつ、京楽が口を挟んだ。ところが刑軍の男は眉一つ動かさず、口を閉ざし続けている。その様子を見た京楽は思い当たったようにはっと目を丸くし、続けてこう言った。


「あ。あの、閃センクン?隊首会だからって、三席は口を閉ざしてなきゃいけないなんてことはないからね?」

「はっ。仰る通り、今年二月、他の魂魄に寄生し融合する虚と交戦しました」

「はは、相変わらずお堅いねぇキミは……まぁそういうとこ嫌いじゃないけどさ」


 笑ってしみじみとする京楽とは対照的に、閃と呼ばれた刑軍の男は冷厳な表情を崩さないままだ。この場において彼を知らなかった者も、何となく閃の人柄を理解した。実に刑軍らしく、副隊長の大前田とは何もかも正反対でありそうだ、と。その中で、藍染が遠慮がちに口を開いた。


「僕も彼が良いと思います。斬魄刀の能力からしても、ここにいる誰より夜間の大量殲滅戦闘に適しているでしょう」

「そうそう。大量の虚を相手にするってだけならここにいる皆適役って言えるけど、夜だし、流魂街だしねぇ。志波隊長と更木隊長がいるのに更に隊長をつけちゃったら、強すぎる霊圧だけで近隣の魂魄への被害だって出かねないし」

「……そもそも、あの二人は加減を知らなすぎるのだ。くだらぬ小競り合いで気が立っただけでも、阿呆のように霊圧を垂れ流すからな」


 砕蜂の発言に、一同は新隊長就任式直後のこと、そして記憶に新しい二日前の鬼ごっこ騒動を思い出して苦い顔をした。そんな二人を組ませた張本人である山本は、暫く待っても反対がないことを確認すると、持っている杖を一度だけカツンと軽く鳴らして話を区切る。


「そこまで推されるならば、一人目はおぬしにするとしよう。西五辻にしいつつじ閃セン」

「御意」


 閃は短く返事をして頭を下げた。このとき、清之介は前に立つ隊長たちには聞こえない小さな声で、大前田に向かって「君、本当によく副隊長になれたね。やっぱり七光りかい?」と言った。大前田は口の端をひくつかせながらも、隊首会で怒鳴るわけにはいかないと何とか堪え、しかしあまりにむかついたので思わずグフンと鼻が鳴ってしまった。頭上でそんなやり取りをされても顔色を変えない閃と興奮した猪のようになっている大前田を見比べて、清之介は内心で「面白いものを見た」と独り言ごちた。
 そんなおふざけを唯ひとり目撃していた蒼純はやれやれと小さく嘆息してから、引き続き隊首会に集中しなければ、と視線を山本の方へと戻す。


「さて、では最初に話してもらうつもりだったが――涅、昨晩の虚について報告を」

「おおまかなことは、既に簡易報告にあげた情報と変わらないので省きますがネ。奴らは数による力押しだけでなく、部隊の陣営を隙間なく囲み続け、まるで統率されているような動きを見せました。各個体の霊圧はそこまでではありませんが、これまでただ害虫駆除のように行ってきた戦闘と同じに考えてしまっては足を掬すくわれかねないでしょう。少なくとも、極めて高い智慧を持つ頭が一匹は関わっています」


 涅は話しながら手指を軽く動かし、隣の京楽は一際長い爪の動きを目で追いつつ相槌を打っている。その向かいの東仙はひょいひょいと目を動かす京楽が真剣なのかそうでないのか測りかね、若干余計な方向に思考が逸れそうになっていた。当の涅はそんなことには気付かないまま、話を続けていく。


「部隊と交戦した訳ではありませんが、付近にて非常に強い虚の霊圧が観測されました。これは他に出現した虚とは一線を画すもので、恐らくは大虚メノス級であると推測されます。反応は一瞬で消えたため、詳細なデータは取れておりませんが……奴は様子を見に来た、とでもいったところでしょうかネ。他の虚に指示したのもこの個体でしょう。しかし今後この個体が部隊の前に現れ戦闘になるかどうかといえば、そうはならない確率の方が高いかと」


 何とも婉曲な言い回しで、報告しても問題ないよう少々事実を歪曲して述べた。大前田などはそろそろ涅が何を言っているのかも分からなくなってきていたが、反して特に真剣に聞いていた狛村が疑問を口にする。


「何故そうだと言える?強力な虚ならばこそ、死神の魂魄を求めて姿を現すのではないのか?これまで討伐されてきた巨大虚ヒュージホロウ然り、固有能力を持つ虚然り、幾度となく死神の前に出現した例がある」

「それはそうだが、今回の個体に限ってはそもそも目的からして異なっているのだヨ。死神の魂魄を喰らおうとしていたのなら、昨晩の時点でとっくに交戦していたことだろうネ。乱戦の中で弱った者から連れ去ることだってできたはずだが、行方不明者や死者は出なかった。しかも明け方に撤退したというのも解せない。一晩中戦闘し疲弊した死神相手であれば、奴にとっては恰好の餌食であったはずだヨ」

「ならば貴公は、奴の目的は何であるとみているのだ?」

「それを訊かれると、私個人の推論を述べるしかなくなってしまうのだがネ。奴の目的は恐らく“観察”そのものだ。そう考えると、とった行動との辻褄も合うのだヨ。……“死神と虚の試合観戦”と言い換えれば、奴の趣味の悪さが諸君にも伝わるかネ」


 突飛なようでいて、聞いた者に「そうなのかもしれない」と思わせる論述であった。ある者は顔を顰め、ある者は感心し、ある者は考え込む仕草をした。そうして暫く続いた静寂を破ったのは、砕蜂だった。


「……成程。僅かな情報からそこまで推測できるとは流石だな。貴様、性根がその虚と似通っているのではないか?」

「その減らず口はどうにかならないものかネ?しかしまぁ、一応納得いただけたようで何よりだヨ」


 懲りずにまた険悪になりかけたところで、睨み合う二人の目線を遮るように、卯ノ花がそっと半歩前に出た。


「私からも宜しいでしょうか。出現した虚について、涅局長の報告に補足したいお話があります。四番隊では、負傷者の皆さんに治療を行いながら、昨晩の戦いの様子について伺いました。すると皆さん口を揃えて、霊圧を完璧に消す虚がいたというのです」

「それは何と……本当だとしたら非常に厄介だ。やはり、特殊な固有能力を持つ虚がここ最近になって急に増えてきているのは確かなようですね」


 卯ノ花の話に東仙が相槌を打っていると、間髪入れずに涅がまた口を出した。


「虚が霊圧を消す?完璧に霊圧を消すことなど死神の私たちでさえ不可能だと言われているのに、信じ難い話だネ。そんなことを言っているのはもしかして十一番隊かネ?霊圧知覚能力の低い集団が、揃いも揃って微弱な虚を察知できなかった、というだけなのではないかと思うがネ」

「いいえ。十番隊の皆さんも仰っていましたし、志波隊長も確認したそうです。何より、あの更木隊長が苦戦するほどの強さを持つ虚が目の前に居ながら霊圧は感じなかったというのですから、疑う余地はないでしょう」


 にこりと優しい笑顔で返した卯ノ花を見て、涅はいやに憎たらしい気分になった。こちらがむかむかしているのに余裕そうにしているというのも癪だが、自分の上げた報告に補足をされたという事実が気に食わなかったのである。
 霊圧を完璧に消す虚のことなど、通常の手段では観測のしようもない。他人より己の機器に頼ったことが仇となった訳だが、方針を変えるつもりも毛頭ない。そうなるとやはり、一度失敗した”監視用の菌”を改良し実用する他ないだろう。


「情報は共有できたかの。さて、副隊長からあと数名選ぼうと思うのじゃが……何ぞ意見はあるかの」

「総隊長。俺に行かせてくださいませんか」


 手を挙げたのは海燕だった。こういうとき、普通は隊長が自らの部下を推薦するものだが、浮竹が病欠である今は自ら立候補するしかない。


「ならぬ。おぬしは浮竹の側におれ」

「……今、隊長には清音がついています。俺がついていなくても大丈夫なはずです」

「ならぬ。もし更なる増援が必要となった場合には考慮もしようが、今は隊舎にて待機せよ」


 海燕はぐっと悔しそうに顔を強張らせ、周囲はそんな彼の様子を珍しそうに見つめた。そんな中で、海燕とは反対側の列に立ち並ぶ京楽と銀嶺の二人だけは、確信にも似た何かを感じ取っているようだった。


「ねぇ山じい。まだボクや東仙隊長は副官を決めていないし、副隊長からって言って海燕クンが駄目なら、あとは五人しかいないよ?」


 その五人とは、大前田、清之介、市丸、蒼純、射場のことだ。大前田は差し置かれた自分が選ばれるはずもないと暢気に突っ立ち、清之介も既に興味なさげに冷めた目をしている。市丸は張り付けたような薄笑いのままで、蒼純は肩を落としている海燕を心配そうに見つめ、射場はいつもと変わらず背筋を真っ直ぐに伸ばし、狛村の背中だけを目に入れていた。


「総隊長。我が副官、蒼純に行かせましょう。廷内守護以外の任につかせぬこと久しく、後継を育てる身としては此度厳しさの予想される地へこそ送ってやりたく思います」

「……良いじゃろう。もう一人は朽木蒼純を向かわせる」

「はっ。拝命致します」


 蒼純は普段よりも力強く返事をした。前を向いたままの父の背中に一礼し、顔を上げたときに目が合った海燕には真剣な表情で頷いてみせた。


「総隊長殿。増援は二人だけで良いのですか?もしものときのため、救護専門の人員も必要ではないかと考えますが……」

「四番隊は待機。もしもはあってはならぬ。帰還した負傷者の治療に専念するのじゃ」


 東仙が意見を述べたが、山本は考える素振りすら見せずに一蹴した。実はこれは隊長が入れ代わる度にみられる光景で、過去の新隊長たちも似たようなことを進言してきたのだが、結果は変わったことがない。長年隊長を務めている者ほどそれを分かっているため、彼らが意見することもないのである。四番隊の救護班が前線に送られる時というのはいつだって手遅れで、幾人の命が取り零されたかも分からず仕舞いで今に至っている。


「でしたら、せめて隊長格の戦闘要員をもう一名くらいはつけた方が良いと思います。僕は隊長として、副官の市丸を推薦します」

「よかろう。では此度の増援要請、二番隊第三席西五辻閃、六番隊副隊長朽木蒼純、五番隊副隊長市丸ギンの三名を筆頭とし、更に三隊それぞれ十名の隊士を伴わせ先遣とする!昨晩に引き続いて夜間の襲撃がないとも限らぬ。すぐに出立の用意を整え、合同遠征部隊に合流せよ!」


 隊首会はこれで解散となり、各々隊舎へと帰っていく。
 一番隊舎の廊下では副隊長たちが足を止め、少々言葉を交わしていた。扉の割と近い辺りでは、蒼純と海燕、射場が話している。


「蒼純殿……どうかお気をつけて。俺の分までなんて言いませんが、叔父貴や楠山のこと、よろしく頼みます」

「確と頼まれた。一緒に行けないのは残念だが、必ず務めは果たしてくるよ」

「シャキッとせんかい志波副隊長!儂らだって気ィ抜かずに待機、廷内守護の仕事はあるんじゃ。地味じゃからとへたれとったら肝心なときに失敗しかねんしの」

「……良いこと言ってくれますねぇ。射場さんだって、斑目や綾瀬川のことが心配なんじゃないですか?」

「あいつらは戦い好きの馬鹿じゃけぇ、別に死んだって本望じゃろう」

「っはは、ひっでぇ。楠山もそんなとこあっからなー……無茶しないといいんですが」

「私がさせないよ。楠山さんは白哉の大切な友人だ、死なせたりしないさ。それに――……」

「どうかしたんですかい?朽木副隊長」

「――いや、これは今話すべきことではないな。では、あまり遅くなると一緒に行く二人を待たせてしまうからね。もう支度しに行くよ」


 小さく首を振り、話を濁して去っていく蒼純の背中を見送る海燕もまた、彼と同じく沙生のことを思い浮かべて首を振った。複雑な事情や因縁が交錯していることは間違いない。
 射場に眉間に皺が寄っていると指摘された海燕は、空元気に笑ってみせたのだった。

 一方で、渡り廊下の真ん中辺りでは、大前田と第三席ながら今回の任務に抜擢された閃が、清之介に絡まれていた。


「どうして君が副隊長じゃないんだろうね?砕蜂隊長殿も、大前田副隊長殿なんかより君の方を信頼しているように見えたけど」

「何だとテメェ、あれ以来もうほんっとズケズケ言ってきやがって……!」

「いえ、私は人を纏めたりするのは苦手ですから副隊長には向きません。それに、私費で隊舎の修繕や改装ができるほど裕福でもありませんので。その点でやはり副隊長は大前田さんでなくては」

「ほほぅ……君、さっきは目上相手だとやたらと遜へりくだる人柄のように思えたけど、結構言うね。今のは後半だけが本心だろう?」

「私はあくまで刑軍、護廷十三隊に編入されようとそこが本質です。地位に興味は御座いません」

「へぇ。じゃあ刑軍ってのは死んでも任務を果たすことを本懐とした組織だろう?今回の任務も、命を捨てるつもりで臨むのかい?」

「まぁそりゃそうだろ、閃はウチで一番刑軍らしいやつだしよ」

「……山田副隊長。死を覚悟することと死にたがりはまた別と考えます。いざとなれば命も惜しくはありませんが、死ねばそこまで。生きて帰れば果たせたはずの多くを別の者に放り投げるのと同義です」

「ふぅん……謝るよ、西五辻。どうやら、君は僕が思っていたより真面なやつだ」

「ハッ……山田が謝った!?え、幻聴じゃなくて?オイオイ、じゃあ俺様にも謝れよ!今まで散々好き勝手貶しやがってよ〜」

「では、私はこれで失礼いたします。義務を果たすべく」

「ああ、行ってらっしゃい。僕はもう戻って休むとするよ」

「大体、俺様のこと馬鹿にしやがるテメェは胸張って良い副隊長だって言えんのかっつー話だぜ!なぁんか四番隊に行く度に下っ端のやつらがこそこそテメェの愚痴こぼしてるのだって聞こえてくるしよぉ………………って、オイ!誰もいねぇじゃねぇか!俺様に断りもなく先に帰んな!!」


***


 チカチカと点滅する反射光。室内の壁や天井は明るくなったり暗くなったりを繰り返す。鬱陶しくてたまらない。休まらないし、目なんかないのに目が悪くなりそうだ。円柱型・・・ガラス・・・装置・・の中に・・・いる俺・・・という同居人の自我などとうに消えていると思っている男は、今は録霊蟲が記録した映像を見直している最中である。
 そこへ、あの大柄な男がやって来た。乱暴に戸を開いて入って来た彼は、返り血の驟雨しゅううを浴びてきたようだった。


「ふぃ〜終わったぜぇ。言われた通り、掻き集めて例の部屋ん中にぶち込んでおいてやったぞ」

「御苦労様。本当に言われた通りのことだけしたなら、そんな血塗れになるはずもないと思うがね」

「仕方ねぇだろ!何匹かムカつくやつがいたんだよ」

「……頼んだより数はあるようだから、別に構わないさ」


 言うや否や、男は立ち上がって壁に貼られている薄っぺらい機器を操作し、丸くて赤いボタンを押した。すると、何層か隔てた地下の方から、鼓膜を劈くかのような虚の悲鳴と絶叫が木霊してくる。真面に聞いてしまえば、それだけで気が狂いそうな声だ。


「で、またそうやって聞き分けの良い実験材料ペットなんか増やして、何するつもりだ?昨日と同じか?」

「いや、今日は遊ぶだけじゃない。面白そうなやつを見つけたからね。ダメージが確かに残っている内に追い打ちをかけてやるんだ。そして――」


 男はある場面でモニターの映像を一時停止した。更に、昨日より過去の映像から同じ人物が映っている場面を切り取って映し出していく。
 ……待て、誰だ……よく見てみると……そいつは……


「――狙いはこいつだ。見た覚えがあると思って最近の記録を洗ったら、達磨型虚ロダルポスを倒したやつと同一だったのさ。斬魄刀の能力も気になるし、そのうえ女だ。命を生むことができる人間か死神の女の体は、僕が求める“完璧な生命”の研究と実験の母体としても使える」


……世界は残酷だ。時に、縁はこうも悪い方にばかり繋がっていく。

お前に、闇が迫ろうとしている。
逢魔が時が再び狂気に染まりゆく。
備えよ、有らん限りに火を灯せ。
足掻け、決して呑み込まれるな。

黒き洞うろに葬られれば最期、友の顔を見ることも叶わなくなるのだから。

どうか、俺と同じになってくれるな。
沙生――。


「さあ、開演といこうか。今宵は満月だ……ククッ、血の色がよく見えるぞ……!」




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