窮まる灯の守り何を噛む

死ぬれば死神
きわまるひのもりなにをかむ

 限りなく人型に近く、圧倒的に高い霊圧をもつ虚――桃色髪の最上級大虚ヴァストローデがこの場から去った途端、この身に掛かる見えない負荷もフッと消え失せた。

 もう何分も呼吸ができていなかった気がする。引き攣つった肺が強引に酸素を欲し、唾液まで引き込んで噎せ返った。生理的な涙で視界が滲んでいく。
 状況は昨夜よりも最悪だ。また山ほどの虚に囲まれているうえに、弓親と二人だけという明らかな劣勢。仲間との合流を試みようにも近くには誰もいないし、この足では瞬歩で敵を撒くことも難しい。だからといって、このまま奴の“迎え”をただ待つなんてのは絶対に御免だ。いつまでも地に這い蹲ってはいられない。

 ――まだ酸素が足りず頭がくらくらしているのに、早く立ち上がろうとしたのがいけなかった。狂った平衡感覚に左足の痛みも加わり、顔から地面に倒れ込みそうになる。


「っ、沙生!」


 まだ自分だって息苦しいだろうに、弓親は縺もつれる足に鞭打って駆け寄ってきてくれた。限々間に合ったものの、私は伸ばされた彼の左腕に腹を預ける恰好になってしまい、鉄棒の前回りみたいにぐるんと回りかける。危うく脳天を地に打ちつけるところだったが、弓親が咄嗟に襟を掴んでくれたおかげでどうにか止まった。……ちょっと首は締まったが、土に口付けするような無様を晒すよりはマシだったと思うことにしよう。


「破道の三十一 『赤火砲』!」


 弓親はコンマ数秒で私を支え直した後、こちらに迫っていた虚に赤火砲をお見舞いした。振り向いてみれば、手を伸ばしてきていた虚の頭部は見事に粉砕されていた。詠唱破棄しても十分な威力だ。弓親はもう「鬼道は苦手」などと言っていい死神ではなくなっている。桜の時季からおよそ一月半の間、七番隊でどれほどの修練を積んだのだろうか。


「すご……」

「……ほら、立てる?まったく、もっと気を付けなよ。顔に傷創ったりしたら承知しないから」

「ありがとう……あ、伏せて」


 言われた通りすぐに屈んでくれた弓親の頭上で居合抜刀し、水平に振るった。彼に噛みつこうとしていた虚はきれいに真っ二つになり、粒子となって消滅していく。噛まれそうだった当人は涼しい顔のままでいるから、気配には気付いていたんだろう。私も何だかんだ信頼されている。


「……奴ら、一斉には掛かってこないみたいだね」

「最上級大虚さっきのに指示されてるんでしょう。私を殺さずに弱らせるのが目的らしいからね。……でも、弓親は……」

「そんなの大人しく喰われてやるわけないだろ?……フン、虚が闘技会の真似事か。僕らをじっくりいたぶろうって?冗談じゃない――咲け『藤孔雀』」


 じりじりと寄ってくる虚を一匹、また一匹と二人で交互に斬り捨てていく。互いが互いの背中を護ろうとしていたからか、いつの間にか弓親とは背中合わせになっていた。
 そんな戦いの最中、不意に背中同士がトン、と軽く触れた。そしてすぐに離れたと思ったのも束の間、今度は向こうから態とくっつけてきた。ほんのりとした温もりと一緒に気遣いまで伝わってくるようだ。一呼吸の間を置いて、彼は落ち着いた声で言葉を紡ぐ。


「耐えよう。応援が来てくれるまで」

「……隊長ってば方向音痴だけど、これだけ虚が一ヶ所に群がってればきっと……来てくれるよね」

「ああ。……帰るよ、絶対に」


***


 三日月も消えて残影だけが浮かぶ夜空の下、どこまで行っても砂漠しかない世界。
 今、そこに二人の死神が降り立った。


「あっ、やっとお外に出たみたい!」

「よお!糸を引いてやがったのはてめえか!?」


 訂正。降ってきた。
 四肢も首も白い糸にぐるぐる巻きにされて引っ張られている更木は、純白の蜘蛛型の中級大虚アジューカス――ロカ・パラミアの姿をその目に映すなり、ぐわっと口角を吊り上げて豪快に笑った。獲物を見つけたことからくる昂たかぶりで、彼の纏う霊圧は急激に上がっていく。他の死神たちが斬魄刀や鬼道を使ってやっとどうにかしたその糸を、なんと膂力りょりょくだけで引き千切り、霊圧で形も残さず滅けし飛ばした。刃毀れした斬魄刀は主と共鳴して甲高かんだかい悲鳴を上げ、霊子濃度の高いこの世界の空気に斬り込みを入れていく。
 雑魚の虚であれば、一撃を喰らう前に圧だけで消えていたことだろう。しかし相対するは大虚メノスグランデ、しかもその中級位。一見華奢きゃしゃな蜘蛛の細腕は、更木の刃に抉られることなくそれを押し止とどめてみせた。


「ハッハッハ!随分と硬かてえなァ!最高に愉しめそうじゃねえか……!!」


 ギリギリと競り合い、両者弾いて一旦は距離が開く。舌なめずりする更木に対して、ロカは一切の感情を表すことなく佇むばかりだ。


「てめえは口が利けねえのか?強え虚ってのは大概、言葉を話すと聞いてんだがな」


 ロカは応答しない。怯むでも驕るでもなく、目の前の敵対者から視線を逸らさないまま静かに糸を吐き、縒より合わせて頑丈な得物を形成していく。


「まぁどっちでもいいか、そんなことは。俺は斬り合いができりゃそれで満足だ」


 ふと、ロカの足元で何かが動いた。よく見てみると、そこには大きな繭まゆのようなものが幾つか転がっていた。丸と言うには凸凹し過ぎている形。そして隙間から覗く黒、白、肌。


「……何だよ、俺より先にてめえんとこに辿り着いたやつらがいたんじゃねえか。暢気に横になりやがって……ハッ、まったく……だらしねぇったらねえなァ!!」


 吼えると同時に、噴き出す霊圧が足下の砂を盛大に巻き上げた。
 寂寥せきりょうとした景色に囲まれていながら、彼は自分が虚の世界に来てしまったということに気付いていなかった。この場で徒いたずらに霊圧を放つことは、敵地の直中ただなかで狼煙のろしを上げる愚行に等しい。上等な魂魄の気配を感じ取った虚たちが、空から、地平線の向こうから、そして砂の中から続々と姿を現した。数え切れないほどの虚たちはロカを押し退のけ、我先に奴を取り込まんと迫りくる。


「わざわざ俺の肩慣らしのために雁がん首揃えて差し出してくれるたぁな!付き合い良いじゃねえか!」

「剣ちゃん剣ちゃん!あたしこのままじゃ虚にうもれちゃう!ちょっともらってもいーい?」


 更木の背中から降りて白い瓦礫の上から見物していたやちるであったが、どっと押し寄せた虚たちの所為で足場すら失っていた。辺り一面、少しの隙間もなく虚の絨毯じゅうたんが広がっている。仮面の額や顎を蹴って進み続けることで難を逃れているものの、一歩でも踏み外せば一巻の終わりだ。そんな状況でも、少女は笑顔を絶やさない。


「しゃあねえな……ただし俺に斬られねえようにだけ気ィ付けろよ!」

「わかったー!わーい!」


 いつの間に手にしていたのだろうか。やちるは斬魄刀を抜き、邪魔な鞘は虚の絨毯の上に投げた。鞘が口に当たったある一匹の虚は、それが何であるかも理解しないままガリガリと噛み砕く。


「そんなの食べてもおいしくないよ?」


 ならば、何をくれるのか。群がる虚のうち、特に口のでかい一匹がやちるに飛び掛かっていく。小さなボールにコップを被せるようにして、少女は頭からすっぽりと口の中に納められてしまった。しかし、次の瞬間には虚の喉の内から項を突き破り、ぴょこんと外に出てきたではないか。


「あたしは金平糖がすき!でもお友達にしか分けてあげないもんね!」


 懐にしまってある小さな菓子袋を握りしめ、ぷりぷりと頬を膨らませるやちる。自分の身をまるごと喰われるところだったというのに、それよりも「懐の菓子を横取りされるところだった」ということで怒っているようだ。少女は青白い霊圧を身に纏い、突風を連れて群れに突撃していく。虚の絨毯は今、海を割るかの如くに分かたれた。


「もう、ゆるしてあーげない!」


――――――


「もう許さないもんねー!スネちゃったもんねー!」


 一方、こちらは北流魂街四十二地区にある山の中。いい大人が下あごをムッと突き出し、そっぽを向いて拗ねていた。この調子のまま、たった今この場に出現した数十体の虚を一人で焼き斬ったのだと言ったら、果たして何人が信じるだろう。


「志波隊長、機嫌直してくださいよー」
「俺らが悪ぅございました」
「とんでもなく頼りになることはもう分かりましたから!」
「でもそんなこと言ってる間にも……」
「山火事ぼんぼん燃えてますね」
「この中に氷雪系か流水系の斬魄刀もってるやつ……いないか〜」


 剡月の飛び火で山林は赤く燃え猛たけっている。せっかく虚を退しりぞけたのにとんだ災害になろうとしていた其処へ、一つの人影が降り立った。人影は一心の真横に着地し、また跳ぶために両脚をぐっと曲げて屈み込む。そのとき、目が合った一心は思わず声を上げた。


「市丸!?」


 呼ばれてニッと笑った市丸は、次の瞬間には上空に跳びあがっていた。満月の真中に影を浮かばせ、狐目を薄く開いて辺りの様子を確認する。


「あぁ、これならまだ何とかなりますわ。射殺せ『神鎗しんそう』」


 再び着地した市丸は矢庭に斬魄刀を始解した。まさに瞬く間に、刀身が何度も伸び縮みを繰り返す。燃え盛る木々を一気に何本も突き貫いては薙ぎ倒し、引き抜きざまに器用に積み上げていった。そうしてすっかり平地となった其処の中央に出来上がった焚火は、火の見櫓やぐらがまるごと燃えているのかと見紛うほどの巨大さである。


「これでもう燃え広がりませんよ。あとは頼んます」

「何だよ、手ェ出すんなら最後までやってくれたっていいじゃねぇか」

「ご自分の火の始末ですやん」

「へーへー。破道の五十四『廃炎はいえん』」


 ぴっとデコピンする仕草で炎の円盤を飛ばし、積み上がった木々はそれが触れるなり灰塵となった。火を消すのではなく更に火を焼くべて燃やし尽くすという荒業で、山火事は無事に鎮火した。これで一安心だとほっとしたのも束の間、白黒でぱりぱりとした大量の燃え滓かすが風に煽られて舞い上がり、この場にいる死神たちの口や目玉を攻撃する。


「ぷわぇっ、ぺっ……そ、そこ、斬魄刀でやるんやないんですね……」

「実を言うとぐぇっほ、ぷ、ぷっ……こっちの方が霊力消費が少なくて済むんだよ」

「えほ、ごほ……そらまた、燃費の悪い話で大変ですね」

「まぁな。げほっ……そんで市丸は増援で来てくれてんだろ?他は誰だ?」


 目の中に塵が入ってしまったらしい一心はパチパチと瞬きを繰り返し、滲んできた涙と共にそれを追い出すのに躍起になっている。強いのは確かなのにどうもいつも恰好がつかない一心に、市丸は呆れを通り越して寧ろ感心してしまった。場の緊張感を解ほぐすために天から授かったある種の才能ではないかとすら思えてくる。


「筆頭はボクと六番副隊長さん、それと二番隊の三席さんです。あとは経験豊富な隊士三十名」

「珍しいな、蒼純が前線に送られんのは随分と久し振りな気が……あれ?ここに来てんのはお前ひとりだけか?」

「ずっと手前で三手に分かれました。で、ここに来るまで左右別方向からそれぞれ死神の霊圧が感じられましたんで、ボクが預かった十名は半分に分けてそっち向かわせてます。合流できたら即、四十地区の野営地まで戻るように指示しました」

「まぁそれが妥当だろうな。ありがとよ、市丸。ついでに此処にいるやつら全員連れて野営地に戻っててくれねぇか?更木も蒼純もいなけりゃそこの指揮はお前に任せる」

「構いませんけど……志波隊長はどうされるんです?」

「一人になっちまってるやつらを拾いに行く。虚も湧いてきてるみてぇだし、急がねぇとな」

「分かりました。ほな、気ぃつけて」

「おう」


 一心は「心配いらない」とでも言うように、にっかりとした笑顔で応えた。そしてやや煤すすけた「十」の羽織をはためかせると、瞬歩で颯爽とこの場から去っていった。その背を見送る市丸が一瞬だけ目を伏せていたことは、神のみぞ知る。

 ――この場に残された死神の中に面識のある者がいなかったことだけが、彼にとって唯一の救いであった。


「……ご免な」


 呟かれた事前の謝罪は、風に消されて誰の耳にも入らない。


――――――


 東流魂街四十八地区に出現した大量の虚は一角が一手に引き受け、今もなお足止めしている。しかし、いくら泣く子も黙る十一番隊第三席といえども、あの数が相手ではそう長く無事でいられる保証はない。

 息を切らせて区境の森の中をひた走る乱菊は、元いた北流魂街四十地区に戻る道を最短距離で突き進んでいた。一角は彼女に「逃げろ」とは言わなかった。「俺に任せて退け」「後は頼んだ」と言ったのだ。ゆえに彼女は、一刻も早くあの場に応援を連れて戻ることこそ自分の使命であると考えていた。
 道中はよく何処からともなく虚が現れ、乱菊はその都度応戦しなければならなかった。一人で倒せる程度の雑魚に一体ずつしか遭遇しなかったのは不幸中の幸いと言えるだろうが、それも何度も続けば当然疲弊していく。


『キシャアァルルル!!』


 上空から巻き舌気味の虚の鳴き声が響いてきた。その虚は尖った口と骨張った翼をもち、バサバサと空を飛ぶ姿はまるで太古の恐竜だ。
 虚は乱菊めがけて一直線に急降下を始めた。彼女はよろけそうになる足にぐっと力を入れ直して迎え撃とうとしたが、突如、虚は横からの衝撃で脇にすっ飛び、轟音と共に地に叩きつけられた。そこは隕石でも落ちてきたかのように凹み、虚はもうピクリとも動かない。驚いて目を凝らすと、前方にはいつの間にか小柄な男が立っていた。左の片足軸で真っ直ぐに立ち、消滅してゆく虚をジトリとした目で睨みつけている。どうやら彼が虚を蹴っ飛ばしたらしい。
 死覇装とは違う黒。袖も裾も振れるような無駄な布が省かれた身軽な装束は、隠密機動刑軍たる証である。


「二番隊……てことは、増援ね。こっちの方に来てくれたのはあなた一人かしら?」

「……虚の霊圧を感じたため先行して参りました。直に部下二名が此処へ馳はせ着きましょう」

「そう……じゃあ、揃ったら一緒に来てもらいたい場所が――」

「! まだ……こちらに来るようです」


 彼が顔を向けた方角に乱菊も注意を向けた。強い霊圧だ……が、虚のものとは少し異なっているように感じられた。森の木々が月光を遮っているせいで周囲は暗く、視界は悪い。やっと乱菊が視認できる距離まで迫ってきたその正体はしかし、やはり虚に違いなかった。白い仮面に胸の孔。常人の五倍はあるかという巨体で、本来なら二足歩行する生物が敢えて四足歩行しているような歪な動きで、こちらに疾走してくる。


『オン、ナ……オ…ンナだっ!』


 狙いのあからさまな呻きが聞こえたため、刑軍の男は乱菊を庇うように前に立った。腰部に取り付けた斬魄刀を逆手に抜き、堂々と構える。すると虚は急に走るのを止め、駄々をこねるように暴れ出した。


『ドケよころスゾ!ペットにほシイノは、おんなダケダってよ!』

「……貴様の頭目の台詞か?愚劣で済度し難いな。さて、付かぬことを訊くが」

『 ? 』

「その仮面、右目を覆う辺りが欠けて見える。敵に割られたのか?それとも……自ら剥はいだのか?」

『ンン?オまえもシカシてしッテル?おいのドウルイニでもあッタコトあったカ?』

「――その答えは、後者と取って構わないな」

『ハナシきけヨ!オイはあるじサマニやってモラッたんだ』

「ほう。主とやらについて何か教えてくれる気は?」

『アルわけねェダロ!!しね!!』

「そうか。こちらも、これ以上貴様に用はない」

「西五辻三席!」
「閃センパイ!」


 刑軍装束に身を包んだ二人の死神が後方からやってきた。片方はそこそこ老齢の白髪の男、もう片方は少年とも青年ともいえそうな赤髪の男だ。「直に馳せ着く」と言っていた彼の部下だろう。二人は上司である閃と視線を交わすと無言のまま頷き、左右からそれぞれ縛道の四『這縄』で虚の両手足を拘束した。閃は目の前の巨体を睨みつけながら、その場で鬼道の詠唱を始める。


「散在する獣の骨。尖塔せんとう・紅晶こうしょう・鋼鉄の車輪――」

『グッ!……コンなもの、スグニ……!』

「鉄砂てっさの壁、僧形そうぎょうの塔、灼鉄熒熒しゃくてつけいけい、湛然たんぜんとして終ついに音無し」

『ぐぉおラアァ!!』

「動けば風、止まれば空、槍打つ音色が虚城こじょうに満ちる。縛道の七十五『五柱鉄貫ごちゅうてっかん』」


 虚は剛腕を唸らせて這縄を千切り、閃に噛みつかんと身を乗り出した。そのとき、ちょうど虚の頭上には連なった五本の重たい柱が現れていた。柱はすぐに降りかかって虚の背を潰し、地に縫い付け、その衝撃に従って巨体は大きく仰け反った。


『ガア゛!?かっハ……デモてめえ、しばルバッカじゃ――』

「破道の六十三 『雷吼炮らいこうほう』」

『 !? 』


 死神の鬼道には二重詠唱というものがある。異なる二つの鬼道の詠唱を重ねて交互に謳いあげることで、間隙なく連続して発動させるという高度な技だ。
 そんな技を見るのは初めてだったらしい虚は見事に不意を衝かれ、雷の如き霊圧の波濤を真面に食らう結果となった。光は胸の孔を貫き、森の中を一筋に徹とおって照らしていく。


「……やはり、ただの虚よりは頑丈だな。これを耐えるか」

『がホッ、グ……』

「しかし此れ迄。希こいねがわくは、安らかに輪廻次を待て」


 虚の仮面は砕け散り、焦げた体は炭のように罅割れている。閃は確かな足取りで巨体の虚に歩み寄ると、跳躍して一息に首を斬り落とした。高い位置から落下していく首は、地に着く前に首以下と共に消えていった。


「三席、やりましたな」
「流石っスねセンパイ」

「……二人とも、助かった。ありがとう」


 戦闘中は引き締まった表情を終始崩すことのなかった男が、このときだけは僅かに微笑んだ。彼の第一印象からは懸隔した一面を見て、乱菊は狐につままれたような気分になった。強張っていた肩の力も抜けていく。ひとまず礼を言おうと口を開きかけたが、彼女より先に声を発した者がいた。閃の部下の若い方だ。三白眼の目尻に赤い目張りをすっきりと入れ、前髪は羽根つき玉の羽根みたいに跳ね上がっている――そんな歌舞いた出で立ちの彼が驚いたように言う。


「えっ、閃センパイ?今オレにありがとうって言いました?」

「……何を珍しそうにしている。これまでのお前が礼を言うに値してこなかっただけだ」

「てことは御眼鏡に適ったってことっスね!ほら、オレ実動の任務ならちゃんと有能なんですよ」

「不要な私語は慎め。調子に乗るなら撤回するぞ。……さて、貴女は何か言いかけていたご様子でしたね。伺っても宜しいでしょうか」


 部下から乱菊へ、閃は体の向きと態度を百八十度変えて言った。それでも全くめげない赤髪の男と、その様子を微笑ましそうに見守っていた白髪の男も、乱菊の方を見遣って返答を促す。


「え?あ、ええ。おかげで助かりました。二番隊三席殿といえば西五辻家の……あの、そうとは知らず、失礼な口の利き方を……」

「お気になさらず。戦場におけるやり取りで重要なのは早さ、そして正確さ。礼の有無などどちらでも結構です」

「そっスよお嬢さん!センパイが丁寧なのも相手が隊長格か女性のときだけで、こう見えても結構口わる」


 ジトリとした目を鋭利にさせて、閃は赤髪の部下を睨み据えた。すると彼はお喋りをぴたりと止めたものの、頭の後ろで手を束つかねて閃の咎めもどこ吹く風、軽快に口笛を吹いて実にわざとらしく誤魔化し始めた。


「……コホン。それから、先ほど仰っていた『一緒に来てもらいたい場所』というのは斑目一角のいる場所ではありませんか?」

「! はい、そうです。どうして……」

「貴女はその方角から真っ直ぐ来られましたから。朽木副隊長が掴趾追雀で彼の位置を補足なさったので、我らはそこへ向かう途中だったのです」


 それなら話が早くて僥倖だと思った乱菊は、改めて瞳に光を宿した。彼らと共に急ぎ東流魂街四十八地区へ行き、孤軍奮闘している一角に助太刀しよう、と――


「しかし“一緒に”という訳には参りません。私一人で向かいます」

「え……どうしてですか!?虚の数は昨晩にも匹敵するほどで、一人でも多い方が……」

「敵が多く油断ならない戦場であるなら尚更、貴女は行くべきではありません。……部下二人に供をさせます。北流魂街の野営地までお戻りください。散らされた者は皆そこへ集っていることでしょう。持地もちじ、太てんと。あとは任せる」


 閃は起伏も付けずに淡々と述べると、得心がいかない様子の乱菊に構うことなく、彼女の横を通り過ぎていった。


「ま…待ってください、西五辻三席!」

「私が待てば斑目一角への増援が遅れますが、まだ用件がおありですか?……ないのであれば、戻りなさい」


 諭すような目が乱菊を射抜いた。
 「貴女は足手まといだ」と直接口にしないのは彼なりの慈悲だろうか。乱菊自身も、頭の何処かでは薄々理解していた。ただ、その現実を突き付けられて素直に引き下がれるかどうかは別であったというだけだ。
 閃は今度こそ背を向けて一人で行ってしまった。その姿が闇の奥にすっかり消えてからも、乱菊は金縛りにでも掛かったみたいに暫く動くことができなかった。唯一、握りしめた拳だけは、少し震えていたかもしれない。


***


 ……いつになったら、この虚の壁に穴を開けられるのだろう。斬っても斬っても数が減っている気はしない。波打ち際の砂を延々と掘り続ける不毛さに似ていると思った。

 始めのうちは多少の無理もきいていたのだ。走って跳んで、屈んで、踏み込んで……だが、今はもうそんな風に立ち回れる状態ではない。左足の痛みは悪化し、肩は鋭い爪で刺突され、膝は転んだせいで擦過した。我ながら情けない有り様である。終わりの見えない浄化作業は、じわじわと私の体力と精神を蝕むしばんでいく。刀を振るって力む度、攻撃を躱して動く度に傷が痛み、米噛みから伝う汗を拭う頻度も上がっていった。これが一騎打ちとかだったら、まだ熱く燃えられるのだが。

 相対する虚の強さは徐々に上がってきている気がする……と、そこまで考えてそれは違うのだと気付いた。別に虚は強くなっていないし、どいつもこいつも雑魚ばかりである。

 ――私が、弱ってきているのだ。


「はっ…はっ……もう、キリがないったら……嫌になるね」

「……沙生は少し休んで良いよ。その間、全方位……僕が引き受けよう」

「何さ……弓親だって、かなり無茶してるのバレバレだよ」


 この窮地に置かれてもなお「腕っぷしだけで戦い続ける」なんて意地を貫き通すには、私たちはまだまだ力不足であることは明白だった。


「! しまっ――」


***


 狂者にとって、他者が足掻く様ほど面白いものはない。次第に勢いが衰おとろえていく死神二人。それをモニター越しに観察しているザエルアポロは、笑いと昂りを抑えられなかった。


 弱い、弱い!

 嗚呼、なんと哀れなのだろう!

 どんなに力を振り絞ったところで貴様らに勝ちの目はない。そら見ろ、女は雑魚の触手に捕まってもう身動きすらとれないではないか。この見世物もそろそろ終わりが近い。さあ、早く絶望に呑まれてしまえ!その瞳から希望の光が失われる瞬間が、たまらなく待ち遠しい!

 ……の、だが。

 先程から通信機の受信音がピーピーピーピーと鬱陶しい。耳障りだ。
 ロカには、虚圏に引き摺り込むことのできた死神は女であれば生きたまま保存、男であればどうでも良いから好きにしろ、と命じてある。連絡を寄越してくる必要はないはずだが、ここまで執しつ拗こいとなると想定外の事態が起きた可能性もなくはない。どうであれ、この僕の観察の邪魔をして苛つかせたのだから仕置きは必要だろう。


 ――ザエルアポロは、鳴り続ける通信機に仕方なく手を伸ばした。


『ご報告申し上げます。十一番隊隊長がザエルアポロ様の研究棟の方へ向かっております。私共の力が及ばず、申し訳ございません』

「…………は?」


 地響きと轟音が聞こえてきたのは通信機越しではなかった。間もなく、彼は観察を中止せざるを得なくなる。


***


 私は少し前から、鬼道や鬼道系斬魄刀である鳶絣の能力を用いて戦うことに若干の抵抗を感じるようになっていた。何故かって、“十一番隊の暗黙の了解”について思い知らされる機会は度々あったからだ。ずっと気にしていない風を装ってきたが、残念ながら私も普通の人間だった。
 入隊から春の事件を経て今日、嫌な風当たりはもう消えたも同然であるし、「斬魄刀は直接系に限る」「鬼道や搦からめ手は恰好悪い」なんて更木隊長が言ったわけでもない。一角も弓親も、私の戦い方に口を出すような狭量なやつではないことは重々承知している。それでも、そういう意地を持つ者ばかりな隊であることは事実としてあるわけで……だから偶に考えてしまうのだ。私もそうした方が良いんじゃないか、とか。

 実力の伴わない半人前が、そんな中途半端な考えのまま戦場に立った結果がこれである。


「ぐっ……待ってなよ沙生、すぐそっちに……!」

「弓親!?どこやられ――もう、もうこっち来てくれなくて良いから!」


 私は虚の触手に四肢を捕らえられて宙に磔はりつけ状態、しかも手に持っていた鳶絣は弾かれてだいぶ離れた向こうの地べたに転がっている。生憎、私の腕力ではこの拘束はどうにかなりそうもない。弓親は全方位から襲いくる虚を往なすだけでも手一杯であるのに、何とかして私の元まで来ようと無理をしては傷を増やしていく一方だった。そんな私たちを嘲るかのように、無数の虚が高い声でキシキシと吠え続けている。
 奴らは私と弓親の間にどんどん立ち塞がっていき、陰になったせいでお互いの姿もよく確認できなくなってしまった。ただ、足元を縫った先に垣間見える地面が赤く血濡れていく様が、彼の傷の深さを物語っていた。一帯を囲う虚の壁はじわじわと狭せばまりつつある。このままではどん詰まり確定だ。
 私一人の自業自得で済むならまだいい。でも、ここを持ち堪えて脱出できなければ、弓親は――


「クソ、こうなったら……せめて、君だけでも……!」


 私だけ助かってどうする?
 駄目だ。それだけは、絶体に。


「『帰る』って言ったでしょう!一人だけ死んで恰好つける気!?」

「……沙生………」

「狡ずるいったら!そんなことさせない!弓親死なせるくらいなら、形なり振り構うもんかっての……!」


 誰かが死ぬときの覚悟なんてまだ決められない。死なせない、死なせたくない。使える力は惜しまず使う。隠すべき力だって、隠し通したせいで穴が二つになるくらいならいっそ公にだってしてやる。誰かを道連れにしてまで墓まで持っていくようなものではないのだから!


(――今はそれでいい。兎角、お前がお前の命を諦めずに足掻こうと思えるのなら)

(ハク、直接やるよ)

(ああ。やらねばどの道お前は連れていかれる。ここにきて腹を決めぬようであれば我が勝手にやるところだ)


 ハクの左翼が司る“燃やす力”の白焔は、私の魂にハクの心が飛び込んできたときから借り受けている神力である。この力が死神の力とは違う何かだと知っているのは、あの場にいた海燕さんたちだけだ。斬魄刀が手の中に無い今、それを介して霊力消費を抑えることはできないし、弓親には斬魄刀なしでも白焔を出せるとばらすことになる。この状況で使うのは博打に近い。
 とはいえ、二の足を踏む猶予もない。虚が一斉に爪や牙を光らせ、片膝を突いた弓親に肉迫しているのが見えた。
 弓親を助けるためには、まず私と彼の間を遮るように群れている虚を一気にまとめて排除する必要がある。障害物があっては白焔を彼の周りに届かせることは難しいからだ。手先から、なんて今まで通りの規模ではちっぽけ過ぎる。この辺り一帯を燃やし尽くすつもりで、全身から、有らん限りに火を――!


「燃えろ!!!」


 視界が白く染まり、熱で揺らめく。手加減することなく発した白焔は一瞬にして辺りを包み込み、私の近くにいる虚から次々に消していく。そうして立ち塞がる虚が全ていなくなって拓けた先に、弓親の首を背後から掻こうとしている一匹の虚がいた。


「させるものか!!」


 無我夢中で腕を振り払うと、白焔はその虚めがけて勢いを増す。虚の爪が弓親の首に触れたと同時に焔は届き、奴は瞬く間もなく燃えて失せた。


「……間に、合った…良かった……」

「沙生……その焔、どこから――」

「いま見たことは他言無用で……お願いしたいかな……」


 ああ、もう、疲れたなぁ。これだけ力を使ったんだから無理もないか。体に力を入れることが億劫で仕方なくて、もうどうにでもなれ、と立っていようとすることを諦めた。夜空を仰ぎながら、後ろ向きに身投げでもするように倒れていく私の体。しかし、衝撃はこなかった。地面にぶつかる寸前にまた抱き留められたのだ。腕に触れる弓親の死覇装の裾はしっとりとしていて、血の匂いが鼻を掠める。


「……何度もごめんね」

「本当にね。僕に無理するなっていうくせに、自分は無茶苦茶に無茶して……その焔、始解した鳶絣がないと随分霊力を消費するみたいだし」

「ん……意識があるだけ良いっていうか……」

「……実を言うとさ。初めて君の白い焔を見た時から引っ掛かっていた点はあったんだ。そういうのって一角はあまり気にしない質たちだから、僕しか分かってなかったと思うけど」


 ガサ、と繁みから音がした。目だけそちらに向けてみると、そこそこの霊圧をもつ数体の虚が姿を現した。一帯の虚は倒せたと思っていたが、焔が届かないくらい離れた場所に潜んでいた奴らが残っていたらしい。


「弓親……まだ動けるなら、逃げ……」


 繁みに向けていた目を戻すと、弓親は上から私の顔をじっと覗き込んでいた。そのまま暫く固まっているものだからこちらは困惑しかけたが、彼はぱっと右手を挙げ、それから私の額をぺちっと叩はたいてきた。


「い゛っち、」

「それこそ狡いってものだよ。沙生を置いて自分だけ逃げるなんて、そんなことできる筈ないだろ」

「……でも、」

「でもじゃない。そっちが僕を死なせたくないなら、こっちだって同じなんだよ。だから――」


 弓親は動けない私をそっと地面に寝かせると、立ち上がって藤孔雀の鋒を虚へと向けた。肩の傷から肘に伝った血がぽたり、ぽたりと滴り落ちていく。気丈にも、彼の背筋は真っ直ぐだった。


「――裂き狂え 『瑠璃るり色いろ孔く雀じゃく』」


 それは私の知る解号と名前ではなかった。彼が言い終えた直後、元々四枚あった刃は瑠璃色に輝く何本もの蔦つたと化し、ひゅるひゅると伸びては虚に巻き付いて動きを封じた。そして今度は瑠璃色に混じって淡く赤くも光り始め、その赤い光は蔦の先から弓親の手元の柄へと螺旋状に回転しながら遡さかのぼっていく。刀で戦っているとは思えない、静かで美しい光景が広がっていた。


「……それ……卍解……?」

「いいや。『瑠璃色孔雀』はこいつの“本当の名前”だよ」

「本当の――じゃあ、『藤孔雀』は“嘘の名前”なの?」

「そっちは僕が勝手につけた渾名さ。こいつは“瑠璃色”が好きなんだけど、“藤色”は嫌いみたいでね。七番隊の裏山で修行してたとき……どうも馬が合わなくて、嫌味でそう呼んでやったらあの形になったんだ。拗ねると途中までしか始解しない捻くれ者ってワケ」

「そう、なんだ……そっか。瑠璃色孔雀のこと、一角は……」

「……知らないよ。一角が僕の始解を見たのは、沙生もいたあの時だけだから」


 弓親が“本当の始解”を隠していた理由は何となく察しがつく。“十一番隊の暗黙の了解”――ついさっきまで、私もそれで葛藤していたわけだから。裏山でお互いの始解を披露し合ったとき、弓親が私と一角に見せてくれたのは『藤孔雀』だった。見るからに鬼道系斬魄刀の『瑠璃色孔雀』のことは最初から誰にも明かすつもりはなかったのだろう。


「……私に見せて良かったの?」

「ここで何もせず沙生を死なせたりしたら……後悔するどころじゃ済まないって、思ったんだよ」


 いつの間にか淡く赤い光は消え、代わりに蔦のあちこちから瑠璃色の蕾が芽生えていた。蕾はみるみるうちに大きく膨らみ、輝きを増していく。


「さて、そろそろ終わりだ。この花は捕らえた対象の霊圧を奪って成長する……勇ましく傷を負って死ぬことすらさせてくれないのさ。君らも、僕も、ただ見ているしかない」


 どこか皮肉交じりな宣告の後、一斉に蕾が開いた。百合にも似た瑠璃色の花が美しく咲き誇り、夜の闇に浮かび上がる。花の養分として霊力を吸い尽くされた虚たちは、絡まった蔦が解けると同時に倒れて消滅した。弓親は柄を引いて花をいくつか手に取り、刀を鞘に納めると、寝転がっている私の傍まで戻ってきて膝を突く。


「沙生……口を開けて、これを。この花を噛めば霊力チカラの足しになる。純粋な霊力しか含んでないから心配は要らない」

「……持ち主以外が……良いのかな」

「『君なら良い』ってさ。ほら」

「あ、ありがとう……」


 差し出されるまま瑠璃色の花弁の端を噛んでみると、確かに私の中に霊力が流れ込んできた。油断すれば気絶しそうだった頭がはっきりとしてきて、動かせなかった四肢には少しだけれど力が入るようになった。舌には仄かな甘みも感じる……ような。弓親も同じようにして花を噛み、彼にしては非常に珍しく乱雑に髪をかき上げた。何だか苦い顔をしている。


「何だよコレ……沙生は舌とか痺れない?大丈夫?」

「へ?……寧ろ甘くて優しいというか……」

「は?……まさかこいつ……ああクソ、やっぱりむかつく……!」


 ははあ。彼にとっては、まさに苦かったわけだ。瑠璃色孔雀はどうも変なところで器用な斬魄刀らしい。


「まぁまぁ。霊力は分けて貰えたん……だよね?」

「そうだけど……何と言ってくれようと、僕がこいつを好きになることは絶対にないよ。……もう死んでも使うことはないかもね。今回みたいに、沙生を助けられるなら躊躇わないだろうけど……十一番隊の他の誰かには見られたくないんだ」

「……弓親がこの先もずっと瑠璃色孔雀のことを秘密にしたいって言うなら、私は誰にも言ったりしない。約束する。でも……でもね、死ぬのは駄目だ」

「……分かったよ。善処はしよう」


 弓親は優しい口調でそう言って頷いてくれたが、それまでずっと合わせていた目が逸らされた瞬間でもあった。

 ――浮竹隊長、あなたの気持ちが分かった気がします。


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