発たされし帰路

死ぬれば死神
たたされしきろ

 ひたり、ひたりと揺れては左足につく人の血が風にあたって冷たい。腕や脚に創った切り傷に擦り傷は、じっとしていようとぴりぴりする。体力も霊力も残っているのは絞り粕のようなものだ。自力で動こうものならきっとあっちもこっちも攣ってしまう。……眠ってしまおうか。でも、志波隊長も蒼純副隊長も弓親もみんな疲れているのに、私だけ休むというのも何だか悪い気がするなぁ。

(馬鹿。悪いものか、あれだけ白焔を使ったのだ。一番疲れているのは間違いなくお前だ。余計なことは考えるな、さっさと休め)

 いやぁでもハク、そんなこと言ったってね?
 意に反して下りてこようとする瞼と格闘する。……うつら、うつら――。


***


「綾瀬川、やっぱ交代してやるぜ?脇腹の傷もっと開いちまうぞ」

「お断りします。志波隊長は沙生のこと俵担ぎにして走り回ったそうじゃないですか」

「あのなぁ、流石に怪我して寝てるそいつをそこまで雑に扱ったりしねぇよ」

「一心殿。目的地も程近くなってきたことですし、彼に任せておきましょう」

「あ、それか蒼純が運べばいいじゃねぇか。俺よか丁寧だぜ?なぁ?」

「私は構いませんが、それも野暮というものでしょう。ね?」

「……いえ、その……」

「あ?……お前ってそうなの?」

「ですから、野暮ですよ」

「はぇ〜……ほぉ〜……綾瀬川みたいなのがこんなじゃじゃ馬を……へぇ……」


 かっ、勝手に納得された!え、なに?僕ってそんなに分かり易いのか?
 先月志波副隊長に色々言われてからやっと自覚してきて、今日はじめて認めたものを、こんな初見で看破されるなんて何かの罰でも巡ってきたのだろうか。鈍そうな金矢にまで意味深なことを言われたばかりだし、これでも気を付けているつもりだったというのに。


「……実は、で言ってみたまでだったのだけど――」


 朽木副隊長は僕に向かって微笑みかける。優しく、それでいてどこか悪戯っぽく。


「――本当にそうなんだ?ふふ、悪いことをしたかな。すまなかったね。ただ、私はひとの恋路に関しては邪魔も助けもしないから、安心していいよ」


 裏のない美しい笑顔だ。申し訳ないという気持ちも、関与しないというのも本心で、その言葉にきっと嘘はない。けれど、もし自分が“当事者”として巻き込まれたとしたら、彼はその場合どうするつもりだろうか。僕の勘違いや杞憂である可能性も高いが、さっき彼と彼女が言葉を交わしていたとき。たぶん僕のそれが彼女にとってもそうだったように、ゆっくりと高鳴っていく鼓動が僕には筒抜けだったのだ。


「……そうしていただけると助かります」


 ほろ苦い水をかけられた気分さ。


***


「志波隊長!朽木副隊長も!」
「良かった、戻られて……!」
「おぅい更木隊長もお見えだ!」
「市丸副隊長も一緒よ!」
「ヒェッ、斑目三席、西五辻三席!?お二人ともその怪我で歩いてていいんですか!?」


 歓声が聞こえて目が覚め、見るともう朝陽が昇っていた。眩しくて目がチカチカする。数度瞬きして漸く慣れさせ、横を向いてみればそこには私と松本さんの崩れたままの天幕が転がっていた。どうやら眠っていた間に野営地に帰り着いたらしい。隊長格の帰還を待ち侘びていた様子の隊士たちは表情を明るくし、バタバタと動き始めている。


「楠山四席、綾瀬川五席!」
「お帰りなさいませ!よくご無事……?」
「ってよく見たら酷い怪我だァ!?」
「うおぉ治療できるやつら早くしろ!」
「四番隊の増援はいねぇのかよクソ!」


 私たちが来たのと反対方向から走ってきた十一番隊の部下たちが慌てて騒いでいる。彼らの方こそ怪我を負っているにも拘わらず私たちを心配してくれるなんて、やっぱり見た目と違って優しいやつらが多い。嬉しくなってちょっとだけ笑ったら首の筋と両方の脹脛ふくらはぎを攣った。つらい。そして、あれれ、なんだか急に気が遠く……


「よぉ弓親、沙生。生きてたか」

「ざ、らき……隊長……」


 更木隊長がこちらに歩いてくる。最後に見た時よりだいぶ汚れた羽織を着ていて、髪は何故だか砂まみれだし、死覇装の袖や裾は焦げて襤褸ぼろになっている。どういう戦いをしてきたんだろう。それと彼が一歩寄ってくるほどに苦しいのだけど、私ってばどうしてしまったんだ?


「更木!今こいつらに寄るな!なんだその霊圧ふざけてんのか!?」

「何だよ志波、ンな血相かえやがって」

「垂れ流すのやめるか、できねぇならあっち行ってろ!シッシッ!」

「はあ?訳の分かんねえことを――」

「馬鹿野郎うしろ見てみろ!前にもやらかしたっていうじゃねぇか、また繰り返す気かよ!?」


 何が何だか、といった顔のまま更木隊長は後ろを振り向いた。私もそちらに目を遣ってみれば、さっきまで元気に騒いでいた部下たちがひっくり返ってピクピクしていた。あぁそうか、私がどうかしたのではなく更木隊長がどうかしたのだ。彼の霊圧は昨日の彼とは比べ物にならないほど上がっている。今の私もあてられて当然か。


「あ?……あー、そうかよ」

「分かったか!?分かったなら離れろ!」

「へいへい」


 更木隊長は面倒くさそうに返事をして背を向けた。そして、そこには私の可愛い上司がしがみついてぶら下がっていた。彼女は頭をぐんと後ろにやり、上下逆さまのしゃちほこ体勢でにぱっと弾けるような笑顔をみせた。


「ゆみちーりんりん、また会えたね!あとでいっぱいお話ししようね!」


 やっとの状態の私は何とか頷くことで応えた。それから増援で来てくれたらしい他隊の隊士の誘導に従って移動し、弓親に背中からゆっくりと降ろしてもらう。片足立ちでなら動けないこともな……いと思ったがそんなことはなかった。何とか支えてもらいつつ、屋外にぼんと敷かれている毛布の上に足を伸ばして座る。天幕はどれも潰れてしまっているから、迅速な応急処置のために仕方なくこうしているようだ。


「ありがとう弓親。ほんと助かったよ」

「どういたしまして。でも、怪我したせいで運ぶことになるのは、もうこれきりにして欲しいけど」

「は、はぁい……」

「じゃ、男はあっちみたいだから僕も手当てしてもらってくるよ。また後でね」


 「うん」と私が返事をするより先に、彼は近くにあった綺麗な毛布を手に取り、私の肩にさっと掛けてくれた。そういえば今は袖なしだから、温かいのはありがたい。


「体、冷やさないようにしなよ」


***


「綾瀬川お前……やるなぁ」


 女性たちがいる場所から離れると、志波隊長がにやにやしながらススッと隣に来た。朽木副隊長はともかく、この人にまで知られたのは痛手だったかもしれない。絶対この先もこうやって絡んでくるんだろうな。


「何がですか」

「見かけによらずさらりと男前なことすんなぁって感心しただけよ」

「志波隊長こそさらりと失礼なこと言いますね」

「それに怪我したせいでは、だっけ?」

「……ほんと、そういう余計なとこだけ透かさず突っ込んでくるところ、志波副隊長にそっくりです」

「何よ、海燕のやつも知ってんの?」

「ちょっと前に色々あったんですよ。……僕、揶揄われても恥ずかしがったりしませんからね」


 「なぁんだつまんねぇの」と呟くその反応も表情も、先月の志波副隊長とまったく同じだ。貴族様というのは皆こうも俗っぽいものなのだろうか。それとも志波家がこうなのか。


「それより、志波隊長は僕なんかに構っていていいんですか?」

「警戒なら市丸がやってるし、戻ってないやつらの霊圧補足なら蒼純がやってる。で、俺は結果が出次第でる。それまでは暇なんだよ」

「でもほら、あるじゃないですか。ご自分の部下に声かけたりとか」

「一理あるな。あるんだが……」


 随分と間を空けるものだ。彼の顔を見てみれば、もうにやにやはしていなかった。笑ってはいるがそれも弱々しい。そんな表情になるくらいなら、まだ僕を揶揄わせてあげていた方が良かったような気がして、少し後悔した。


「……一番声かけたかったやつが戻ってなくてな」

「……そうですか」


 見ていられなくて目を逸らした。辺りを見回せば、それぞれやるべきことをやっている仲間たちがいる。ざっとみて八十人。増援部隊員を合わせても、だ。昨夜此処にいたはずの人数には及ばない。


「どれ、俺は市丸とでも話してくるか。お前も酷い怪我なんだからとっとと行けよ」

「引き留めたのは誰でしたっけ」

「…………俺だな!」


***


「あんたも派手にやられたわね」


 弓親と入れ替わりに来た松本さんは、私を見てさっそく頭を抱え、救急箱から色々と出して広げていく。その消毒液って沁みるから嫌いなんですよね。そうも言ってられないのは百も承知なんですけど。苦い顔をしているのがばれたのか、彼女は「諦めなさいよ」と言って血で汚れた私の草履と足袋を脱がせた。


「ぎゃィ、った、優しくやさしく!」

「うわちょっと何よコレ!あんたよくコレでそんな平気そうな顔してるわね!?」

「平気なんかじゃないですよ……開けっぴろげに痛がったり喚いたりする気力がないだけで」


 左足首にある暗赤色の輪の痕は自分が見てもこれは酷い、という有り様だ。おまけに戦闘でそこらへんを虚に噛まれたり斬られたりしたものだから爪先まで赤い。密集してある怪我の中でも、松本さんは甲の真ん中にある黒ずんだくぼみに目を留め、そっと手を添えた。


「ひどい……可哀想に、痛むでしょう」

「あ……そこは前からですよ。遠征の前からあるものですから、手当ての必要はありません」

「前から?そう……でも、痛まないはずないでしょうに。うら若い乙女にこんな痕を残すなんてどこのどいつよ!死んでいようが無駄に生き返らせて、あたしがもっぺん粉微塵にしてやりたいくらいだわ」

「はは……物騒ですね。でも、ありがとうございます、松本さん」


 すると彼女は手を添えたまま、ぱっと顔を上げて真っ直ぐに私を見た。何だか不服そうに眉根を寄せている。気に障ることでもあっただろうか。思い当たらず首を傾げたら、彼女は「ねぇ」と私の鼻先を指でつっついて詰め寄ってきた。


「その『松本さん』ていうのやめにしない?あたし、あんたには名前で呼んでもらいたいわ」

「え?い、いきなりですね」

「呼び方をどうやって徐々に変えてもらうってのよ。こういうのはいきなりなのよ」

「はぁ……」

「それに一角や弓親のことは名前で呼んでるでしょ?なんか負けてる気がして嫌なのよね。あたしの方がもっと仲良くなりたいって思うの」

「それは……嬉しいですけど……」


 松本さんってグイグイくるなぁ。仲の良い女の人が増えるというのは願ってもないから申し出はとても有り難いのだけど、私には生前そういう人が本当にいなくて、不慣れなせいかちょっと戸惑ってしまう。御厨さんに勇音さんとはゆっくり仲良くなっていったし、清音さんは向こうからいっぱい話し掛けてくれたからいつの間にか気を許していた。沢子とニコさんは見た目が若干幼いのもあって、変に構えることなく打ち解けられた。草鹿副隊長も然り。
 こういうと失礼だが、松本さんは派手だ。年上の美人さんだ。華やかで、人目を惹く大人の魅力があって、私からすれば雲の上にいるような……そんな感じがしていたのだ。自分でも知らぬ間に壁を作っていたかもしれない。


「沙生、ねぇいいでしょ?」

「……じゃあ……えと、乱菊さん」

「ええ、ええ!それでいいわ!あんた可愛いわね!」


 むぎゅりと豊満な胸が押し付けられる。こんな風に抱き締められるのっていつ以来だろう。抱えられたり背負われたりはあったけど、考えてみたら死んでからはこれが初めてかもしれない。温かくて、柔らかくて、いい匂いがして、嬉しくて恥ずかしい。そして、


「あい、たたた!乱菊さん痛い!」

「あらごめんなさい!でも嬉しくてつい……うふふ!さ、手当てしなくちゃね」
 

 花が咲くように笑った彼女はやっぱり美人さんである。火照るからあまり見ないでほしい。


***


 むつまじく女同士で抱き合っているのを遠目から盗み見る男たちの多いこと。野営地の周囲の警戒を引き受けて陣の端に立っていた市丸も、久し振りに聞く幼馴染の笑い声にちらと目玉を動かした。意図して無感情である目の奥に何を隠しているのか、それは当人にしか知り得ない。


「よぅ市丸。おつかれさん」


 そんな市丸の目の裏に、予期していた声が掛けられた。労りの言葉に裏はないというのに、彼は勝手に消えぬ自戒キズをその心に刻みつけてから顔合わせに臨む。今ばかりは笑わない。


「えらいすんまへん、十番隊長さん。ボクから行かんと、って思てましたのに」

「そうか。……まぁ、報告こればっかりはちゃんと聞いておかないとな。俺がちゃんと受け止めるためにも、な」


 一心は市丸の足元の草のあたりを見ながら、覇気のない小さな声で言った。一度ゆっくりと目を閉じ、腹をくくる。そうしてから、真っ直ぐに市丸と向き合った。誰かと違って真摯な目だった。


「俺がお前に預けた部下たちは……死んだんだな」


 市丸はすぐには答えられなかった。感傷に浸ってのことではない。ただ、予想外だったのである。予め用意していた答えはこうだ。「“死し”死なせてしまいました」。そしてこう問われるつもりでいた。「部下たちはどうした」。
 一心は市丸の口から“死”という音を引き出すまいとしているのである。預けられた部下たちを、きっとあの手この手を尽くしても護りきれなかったのだろうと推して量り、市丸を慮ったのだ。仮令たといそれが無意識下だったとしても、必要以上に辛くさせたくないという優しさが滲み出ている問い方だった。ならば、ここはその優しさに甘えるべきなのだろう。蛇が見てもちゃんちゃら可笑しい茶番であるとしても。
 市丸はやや下を向いて、一心が暗に提示してきた二文字のみを口にする。


「はい」

「……分かった。市丸、悪かったな。俺が抜けたりしなきゃ、一緒に何とかできてたかもしれねぇのに」

「……もしもの話なんて始めたら泥沼ですよ」

「そう、だな。あいつらだって常日頃から覚悟が無かったわけじゃねぇんだ。俺だけウジウジしてっと笑われちまうか。不甲斐ない隊長だってのはどこまでも変わんねぇけどよ」


 一心は顎に手をやりながら尻すぼみに話した。市丸は黙って聞きつつ、内心では「確かにあんたがいたらあの人らは死なずに済みましたね」などと思う。

 市丸が藍染に頼まれた仕事というのは、何が何でも今日中に遂行しなければならないというものでもなかった。何せ実行条件を全て満たすのが中々厳しい。一つ、五番隊の部下以外から一般隊士複数名を確保、それも市丸一人で制圧できる範囲内であること。二つ、誰にも不審がられずに確保した隊士を連れて人目のつかない場所まで離脱できること。三つ、技術開発局の観測が及ばない抜け道を他の死神に遭遇することなく進めること。四つ、辿り着いた目的地に例のが変わりなく配置されていること。そのうえで、今回は特に朽木蒼純の優れた霊圧探知能力にも警戒し、感知されないよう十分な距離をとれること。
 そんなん絶対無理やろ――市丸はそう考えていた。しかし向かってみれば合同遠征部隊は流魂街中に散り散りになっていて、早々に蒼純とは別行動になった。一心に合流して部下を預けられた際には余りに都合よく事が進むものだから気味が悪かった。普段から信じていない“運命”というものまでが後押ししてくるようで、つい目を伏せた。それでも、例の蟲は霊圧を探って見つけ出すのは困難な存在であるため、移動されていたらその時点で実行は断念するしかない。だから「虚がいるみたいやね」と嘘を吐いて連れていった手前、その先で蟲が見つからなければ「帰ってもうたかな」とでも誤魔化して戻るつもりでいた。ところが、蟲は市丸を待っていたかのように木の上に鎮座していたのだった。


「でも……そんでも、十番隊長さんは」


 自分なんかに預けなければ良かったのに、そうすればボクも仕事せんで済んだのに。そう思わないわけではないが、もし彼があのまま自分と一緒にいたら、向こうで笑っている彼女は今いなかったことだろう。まだ友達にもなってくれていない、同類かもしれないあの子も。


「楠山ちゃんのこと助けてくれはったんやろ。命の数で秤にかけるんやとしたら、ボク最低なことゆうてますし……こういうんも変ですけど、その。ありがとうございました」


 言ってすぐ、変なことを口走ってしまったと思った。何なら撤回しようと下がっていた視線を前に戻してみると、きょとんとしている一心と目が合った。ぱちぱちと大袈裟に瞬きした彼は、腕組みを解いて市丸の肩にぽんと手を置く。


「すまんな気ィ遣わせて。ありがとよ。……で、さ?お前もしかして楠山のこと好きなの?」

「はぁ…………て、えぇ?いやいや。何でそんな話になるんです」

「違うのか?なぁんだ面白いことになるかと思ったのに」

「おもろいて。そんなんで人のこと揶揄いはるの、感心しまへんなぁ」

「ちぇーうるせえうるせえ。……ん?なんか蒼純が呼んでっから俺いくわ。それとさっきの、詳しいことは報告書に書いてくれりゃあいいからよ、謝りに来たりすんなよ。んじゃな!」


 一心は軽く首を沈ませ、顔の横で開いた右手で一回窓を拭くみたいにチャッと動かすと、蒼純のいる方へと走っていってしまった。市丸は「ほな」と手を振り返して、ふと気付く。深刻な話だったはずなのに、どうして彼も自分も暢気に手なんか振ったりしているのか。ああいう底抜けのお人好しに毒されると後味の悪さは中和されるらしい。
 だからといって、自分の背負う罪が軽くなることはないのだが。市丸は剥がれかかってきた仮面を張り付け直すように片手で両の目元を覆い、深呼吸した。そして笑みを浮かべ、上がった口角をぺたと触って確認する。――異常はない。

 ひょこひょこやって来た一心に、蒼純はさっそく地図を広げて見せた。川と等高線と各地区名しか書かれていないものだが、広大な流魂街をざっと把握するにはもってこいである。


「どうだ、補足できたやつはいたか?」

「はい。全部で十二名。朝になっても自力で帰って来られないのを鑑みても、危うい状態の者ばかりと思われます。ですがここと……ここと、ここの三地点にいる者については後回しでよいでしょう。特に遠い場所ですから、ただ単に歩き疲れて休んでいるだけかと。霊圧も安定しています」

「じゃあまず九ヶ所だな。向かう方角ごとに分けると最低五班ってとこか」

「そうですね。それと……」

「? なんだ?」

「もうすぐ藍染隊長と五番隊の皆さんがこちらに到着するようです。こんな状況ですから、技術開発局の報告でも受けて、総隊長がまた送られたのでしょう」

「藍染?あいつもう遠征一回やっただろ。何度も大変なこったな」

「二周目にでも入ったのでしょうかね?」

「笑えねぇからや・め・ろ。だとしてもまた更木とってのだけは勘弁だぜ」

「冗談ですよ」

「知ってらァ」


 涼しい顔でいる蒼純に対して、一心は何故だか負けた気分になって肩を竦めた。序でに瀞霊廷方向の霊圧を探ってみれば、かなりの人数の死神が向かってきているのが感じ取れた。これだけ送ってくるということは、彼らは合同遠征部隊への増援ではなく、この場を引き継ぐ人員なのだろう。


「俺はお役御免かねぇ……」

「いえ、一心殿はよく務められましたよ。あんな奇襲をされては、仮に部隊長が父や京楽隊長だったとしても後れを取ったに違いありません」

「お前が言うならそうなんだろうが、やっぱ運のせいにはしたくねぇ」

「あなたならそう言うと思いました。……そろそろお見えになりますね。私は藍染隊長に説明して参りますから、皆への帰還指示は頼みます」

「……おう」


***


 この場でできる限りの処置を施してもらい、松……乱菊さんの肩を借りてけんけんで進む。志波隊長の指示で部隊は帰還することになった。流石に瀞霊廷まで歩いては帰れないから、重傷者は片付けた天幕と一緒に大きな荷車の上で世話になるしかない。乱菊さんにお礼を言って別れ、よっこいしょ、と上がってみれば其処には先客が横になっていた。


「貴女は……」

「あ、確か……」


 刑軍装束に身を包んだ小柄な男性。腹に穴でも開けられたのか、胴に巻かれた包帯は大部分が真っ赤に染まっている。たぶん貧血なせいで今は顔色が悪いが、その目付きには見覚えがあった。


「試験官さん……でしたよね?」

「はい。お久し振りですね。今もう少し脇に退きますからお待ちください」


 そうだ、入隊試験で白打の試験官だった人だ。私から見て向こう側、彼にとって右手にある白い物――ちらっと見えた感じではおそらく束ねた天幕のようなモノ――を奥の方に転がすと、


「イッッてェな阿保刑軍!!」

「わっ」


 天幕の束が喋っ


「貴様が自力で動けないのだからこうするしかなかろう」

「いやいやい゛…テェつってんだろ!金太郎飴みてぇに転がすな!」

「なるほど飴か。てっきり今度はミイラ男になったものと」

「だから五月蝿ぇよ!?」

「喧しいのは貴様だ斑目。叫ぶと傷が開くぞ。また人の手をわずらわせる気か?」


 ……たと思ったら一角だった。白い包帯でぐるぐる巻きにされていて、鼻と口しか出ていない。満遍なく体中を怪我したばかりにああなったんだろう。それにしても目は出しても良かったと思うんだけど、相当雑な人がやったのかなぁ。とりあえず、試験官さんの隣にお邪魔して寝転がる。


「一角も随分とやられたんだね。声だけ聞くと元気そうだけど」

「お、その声は沙生か。お前の方も大変だったらしいな。さっき弓親から聞いたぜ」

「うん。ここが死に場所かな、とか思った。……実際、行方不明になったり、死んでしまった人もいるって聞いた」

「……お前、何か馬鹿なこと考えてねぇか?それでも俺らは生きてんだ、ツイてるぜ。戦いで運ってのは大事だ。何か一つ違ってりゃ死んだのは俺らだったかもしれねぇ。死んだやつらのことはとむらってやりゃあそれでいいんだ。お前が責任感じることじゃねぇ、これっぽっちも」


 これっぽっちとか言う割に指で表しているわけでもないから、どれっぽっちなのか分からないけれど。そんな声音だけで見透かされるほど私は分かり易かっただろうか。一角に説教されるとは思わなかった。
 自分の命を守るのもやっとだった。まだまだ一人ではろくに何も守れないし、縁を繋いだ人を誰も死なせないなんて無茶なんだと痛感してしまったのだ。ハクに昨日言われたことが胸を衝く。
(そうさな。死人が出なかったのは何よりだったが……戦いに身を投じていれば、いつかはそういう時も来る。覚悟はしておけよ。肝心な時に力を鈍らせ、お前まで死なないようにな)
 誰かが死ぬときの覚悟を決めるより、まず死なせないために強くなりたい――そう言った私に、ハクはこうも言った。
(それは難しいことだぞ。恐らく、お前が思っている以上に)
 その内こうなると分かっていたんだろう。それにしても、なにも昨日の今日じゃなくたっていいのに。神様というのは意地悪だ。


「……一角のそういうところ、見習わなきゃならないのかも」

「おう見習え。それでも難しいこと考えちまうんなら動きゃいい。鍛えてるときは無心になれるからな」

「それで強くなれれば一石二鳥ってわけだ」

「そーいうことよ」


 話が一段落つくと、荷車がガタッと動いた。そろそろ出発するのだろうか。軽く体を起こしてみれば、向こうにいつの間にか藍染隊長と無傷の死神がぞろぞろいて、志波隊長と話しているところだった。場を引き継ぐのは五番隊か……あの人に任せるというのも複雑だがどうにもならない。誤って目が合ったりする前に、すぐにまた横になった。
 がらがらと進み始めた荷車が木陰を抜ける。燦燦と照り付ける太陽がおはようございます!してきて堪らない。良い天気にこれは……き、きつい!目を閉じても瞼の裏が赤くて眩しい!腕で覆ってもジリジリ熱い!


アツアツ!チクショウ、舗装された道に投げ出された蚯蚓みみずか俺らは!?」


 一角の言うことがいちいち面白い。ぷは、と笑って横を向いたら、隣にいる試験官さんと目が合った。彼もこれはきついみたいで、眉間に皺が寄っている。


「……楠山さん、申し訳ありませんがそこの斬魄刀を取っていただけますか」

「ちょっと待ってください。……よっと。どうぞ」

「有り難う御座います」


 何をなさるつもりだろうか。不思議に思いながら私の足元に置かれていた斬魄刀を取って渡すと、彼は寝たままの体勢で徐に抜刀し、鋒を空に向けた。


「……すずれ 『汞旁みなかた』」


 すると、先の方から斬魄刀が銀一色の流体になって宙に浮かぶ。それから突然ひゅるんと揺れて大きな傘になり、しかも寝ている私たち三人の上に浮いたまま追尾してくるではないか。どういう能力なのかとても気になるが、これは快適……!


「凄い……!」

「お?そうか、また傘か!てめえの斬魄刀ならそんな芸当もできるな!便利だなオイ、刑軍やめて便利屋にでもなったらどうだ」

「一言多いとどうなるか身を以て知りたいのか?殊勝なことだな」

「……おァっ、てめえ!ズラすんじゃ……アチッ!やめろ悪かった!」


 ……何なんだろこの人たち。元々知り合いだったりしたのかな。仲が良いというのともちょっと違う気がするけど。


「一角、漫才やってないで安静にしてなよ」

「ん?弓親か?どこにいんだ?」

「君たちが寝転がってる荷車の後ろに座ってるよ。僕も『もう歩くな』って志波隊長に言われてしまってね」


 私たちの足元の少し下の方から、やや呆れ気味の声が届いた。しかし、あの怪我でまだ歩こうとしていたのか君は。そんなの誰だって止めるに決まっているだろう。
 そしておっと、荷車の車輪が大きめの石ころでも轢いたのか、ゴッとねて一瞬だけ体が浮いた。


「おや、申し訳ございません。大丈夫でしたか?」


 今度は頭の方から、渋くて落ち着いた男性の声が聞こえてきた。そういえば誰かが引っ張るか押すかしてくれているからこれは動いているんだよな……当然のことを失念していた。ここからだと顔を見ることもできないが、お礼は言っておかなければ。


「はい、大丈夫です。こちらこそ乗せていただいてしまってすみません。重たいでしょうに……ありがとうございます」

「いえいえ、これくらい軽いものです。どうという程もございません」

「持地さん、そんならオレもう一緒に引っ張んなくても大丈夫スか?」

「馬鹿者。お前は目を離すと勝手にまた何をしでかすか分からん。文句を垂れる暇があるなら、帰ってからの始末書の文でも考えろ」

「始末書〜?結果悪い事も無かったんスから、そんな固いこと言わないでくださいよ」


 さっきの男性の他にもう一人いるらしい。こちらも男性だが、若くて元気で少し高めの声だから少年っぽさがある。


「いやぁしっかし、沙生ちゃんよく怪我するよなぁ。名前聞く度に怪我したってな話ばっかで心配しちまうぜ」

「……ん?私?」

「なに訊き返してんの。沙生ちゃんっつったら沙生ちゃんっしょ」

「えと、君……だれ?会ったことあったかな?」

「あるけどまぁ、分かんなくっても仕方ないっちゃないよ。顔みしてやろうか?」

「あっ、こら!太!」


 咎める声がしたかと思えば、寝転がっている私の頭の横、色々な荷物が積まれたその上に、ぴょんと跳んできた人影があった。身のこなしが軽いからか、荷車はそれほど音を立てず揺れもしなかった。刑軍装束の彼は蛙みたいな姿勢でそこにしゃがみ、私の顔を上から覗き込んだ。目尻に赤い目張りをすっきりと入れた三白眼が、確と私を写している。


「どう?オレのこと覚えてっか?」

「…………あ。ああ〜!」


 赤い髪、そして前髪は羽根つき玉の羽根みたいに跳ね上がっている小柄な彼。あのときは別に外見の特徴をよく観察したりはしなかったが、そうだ。あそこには確かにこの人もいた。


「入隊試験で赤火砲爆発させてた男の子だ!」

「そんな覚えられ方なのオレ?」

「その前髪って爆発したせいじゃなかったんだね……」

「そんな覚えられ方なのオレ!?」


 隣では試験官さんが目を閉じてじっとしている。もしかして笑いを堪えていらっしゃるのだろうか。そしてもう一つ向こうでは、一角がアヒャヒャと声を上げて大笑いしている。
 鬼道の実技試験では彼の爆発を見たおかげで気が引き締まったのだ、寧ろちょっと感謝している。というかじわじわと思い出してきたが、彼の白打は滅法綺麗で強かったし、歩法なんて班を二つに分けた先発の組の中で一等賞だったのではなかったか。多分、後発の組で一番だった白哉さんよりも速い記録だったはずだ。……斬術の試験は更木隊長が来たせいでナシになったみたいなものだったが。


「そっかぁ、君は二番隊に配属されてたんだね。白打も瞬歩も凄かったし納得だ」

「あ、何だそっちも覚えててくれてた?ならいいや!オレ三師みもろてんとってんだ。宜しくな沙生ちゃん!」

「うん。宜しく、三師くん」

かてぇよ固ぇって。太でいい」

「そ、そうなんだ?」


 乱菊さんといい、何だか今日はグイグイ押される日だな。また戸惑っていると、試験官さんが横からそっと口を挟んできた。


「……自分の名前を気に入っているそうですから、呼んでやらないと執拗いですよ。私も日々付き纏われて催促されて、面倒でしたので」

「面倒とは何スか!てんとふといの一字でてんと!つまりお天道てんとう様、太陽っス!流魂街の爺ちゃんが付けてくれたオレだけの名前なんスよ!」

「へぇ、太陽のたいって書くのね。心太ところてんとは関係ないんだ?」

「あ……それを言うと……」


 試験官さんが気まずそうに言った。それを言うと何なんだろう、と思って赤髪の彼にまた目を向けると、見るからにしゅんとしていた。気のせいか跳ね上がった前髪の勢いも少し無くなったような。


「……こいつ凹むんです」

「…………。」

「ご……ごめん、ごめんて。良い名前だよ、最高だと思う、太」

「…………そう?沙生ちゃんホント?真面目に?」

「大真面目に」

「……そか!じゃあ特別に許してやら!」


 彼はしなびた芽みたいにしゅんとしていたが、褒めたら途端にしゅっとした。赤い前髪が嬉しそうにぴょこんと揺れる。この髪型も何となく太陽を意識してたりするのかなぁ、なんて思った。


「アヒャ、あひゃひゃひゃ!」

「って斑目三席はいつまで笑ってんスか、ツボ浅いっスね!?」

「だってよぉ、ひ、あひゃひゃは!」

「流石に怒りますよ!?口にも包帯巻いてやりぁしょうか!?」


 ……成程。一角に包帯を巻いてやったのは君か。やれやれと溜息を吐くと、他の三名のそれとほぼ同時だった。


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