逆巻ひて逆捩ぢ

死ぬれば死神
さかまいてさかねじ

 家に帰るまでが遠足です。高山登頂を果たしても下山中に命を落としては何にもなりません。戦争で生き残っても故郷に帰れなければ功績も残りません。遠征もまた、行って返るまでが遠征でありましょう。
 脱落おちるならば杪葉うれはから。か弱き傷兵、晒し、間引き、末端の執とる陣頭。
 巣に戻るまで気を抜いてはならない。抜けば即ち、それは此方わたし。暴虐の被害者、名もなき駒の集合体、破壊から生まれた死の末路。同類を求めて融け合う、形ばかりは人らしい虚。それが此方わたし。

「彼方あなたは此方わたしですか?」

 もしそうであるならば、塞がらない胸の孔の渇きを、彼方あなたが埋めてくれますか?


***


 六月三日、早朝。
 もくもくとした夏らしい大きな雲が、形を変えないまま紺青の空を東へと往く。吹く風は時間が進むにつれ熱を上げていくから、いっとう暑い昼の到来を予感させた。

 十番隊と十一番隊の合同遠征部隊の他にも、睡眠をとることなくこの朝を迎えてしまった死神がいる。俺だ。


「寝られっかっての……」


 叔父貴、楠山、斑目、綾瀬川、蒼純殿。みんな無事でいるだろうか。
 庭園をぐるぐる散歩していると、足元にある白い夏椿の花が目に留まった。何となく拾って、池にぽとりと落とし直す。餌と勘違いした鯉につつかれ、音を立てて水の中に引き摺られてゆくそれが、ゆっくりと見えなくなっていく様をじっと眺めた。

 先刻、深夜のことだ。技術開発局から地獄蝶を通じて各隊に伝えられた流魂街の概況はまさに異常で、一度閉じたはずの隊首会も再び開かれる事態となっていた。合同遠征部隊の壊滅も危惧され、山本総隊長は大規模な討伐隊を再編成して送ることに決めた。それから人選は如何するかと問い掛けてきたから、俺はまた立候補し、また即却下された。向かいの列にいた隊長たちの何とも言えないような視線がちとキツかった。
「では、僕が引き受けます。五番隊に行かせてください」
 藍染隊長が立候補して話はすぐに纏まった。至極妥当というか、そもそも二と四は大人数で直接出向いて戦闘するのに適さないし、三と十二は隊長格不在だから論外、総隊長のことだから六と八は最後の砦みたいな扱いで出し渋る。一番隊はこういう任務に出たって話をまず聞いたことがない。……十三はいつも通りですが何か?
「カァ〜っ!端っから行かす気ねぇんならまた俺まで呼んでくれるなよなぁ!?」
 隊首会を終えたら渡り廊下の隅っこめがけて一直線。我慢ならずに植木に向かって独り言をぶちまければ、
「まったく同感だよ。お互い苦労するね」
と、いつの間にか背後にいた山田副隊長に同情された。妙に年季が入っているように感じられる言い方だった。
「……たまには勝手に動いてみるのも気分転換になって良いかもよ。僕はもう眠いから別にやらないけど」

 すっきりしないまま隊舎に帰って雨乾堂に寄ると、意外にも浮竹隊長はすうすうと寝息を立てていた。駄々を捏ねるのをやめた線は薄いから、おそらく清音がどうにか誤魔化して睡眠薬でも盛ったんだろう。血で汚れた布団は清潔なものに取り換えられていて、隊長の顔は布団より白かった。今日明日は歩くのも無茶だと思うが、楠山に何かあったと耳に入れば、そんなものは押して跳ね起きて駆けつけかねない。というか前例もある。

 どうしてそこまでするのか。
 理由は未だに聞けていない。

 浮竹隊長と京楽隊長、それに砕蜂隊長と見坊も、絶対に何か隠している。楠山が現世の玲瓏山もゆらやまで危機に瀕したとき、担当死神は見坊で、俺たちを急に応援として送り出したのは浮竹隊長だった。
「今すぐ現世に向かってくれ!済まないが詳しく説明してやれる暇はないんだ」

 しかし現れた虚の強さは慮外で、俺たちは楠山の命を守ってやれなかった。それから五年経って今年、斑目と綾瀬川が怪我したあいつを瀞霊廷に連れてきた。浮竹隊長は妙に嬉しそうに世話を焼いた。
「なんだ南舘?死神候補の子に隊舎で色々教えてやりたい?ああ、勿論いいぞ!」

 涅局長が楠山を研究したがっているという話が出回ると、京楽隊長があの奇天烈な通告書をこさえてきた。その翌日には砕蜂隊長が十三番隊舎を訪れ、通告書に署名していった。
「真っ先に賛同してくれるとは嬉しいよ。ありがとう砕蜂、見坊の頼みを聞いてくれて」

 そしてその通告書を持って隊首会に行くという年度末のある日、新隊長になる叔父貴をひやかすのを割かし楽しみにしていた俺に、浮竹隊長は「欠席してくれ」と頼んできた。
「今日だけ、というか今日まででいいんだ!海燕、頼む!沙生についていてやってくれないか」

 トドメに、あいつが十一番隊の尾焼津って奴らに酷くやられたときのこと。死神同士で戦っている霊圧を感じて駆けつけてみると、隠密機動の男を強大な縛道で封じ、霊圧だけで圧殺してしまうのではないかという程に怒りを露あらわにした浮竹隊長がいたのだ。
「貴様……貴様、貴様!!許さん!!絶対に許さんぞ!!」
 情けない話、俺は吃驚びっくりしすぎて動けなかった。砕蜂隊長と見坊が来てくれてなかったら本当にやっちまってたんじゃないかと思うんだよなぁ。危ねぇ危ねぇ。

 その後、浮竹隊長は自分の具合も芳しくないなか、入院中の楠山のことをずっと気に掛けていた。……俺、春の間はあっち行ったりこっち行ったり忙しかったな。隊長からは楠山がどんな様子か四番隊に行って見てきてくれと何度も頼まれたし、砕蜂隊長や東仙からは聴取や取材を受けた。十二番隊への書類は楠山がウチに来てくれたときに序でに持っていって貰うことが多かったから、仕事で十二番隊に行かなきゃならない機会も少し増えていた。閉じきった研究室の扉の前で立ち尽くしている金矢に何度か遭遇したっけ。それと綾瀬川には鬼道を教えてくださいって頭下げられちまって、七番隊の裏山に通って基礎から中級までとことん鬼道を教えてやった。
「近頃の十一番隊って鬼道は好きじゃねぇってやつが多いんじゃなかったか?どういう風の吹き回しだよ」
「……だからこそですよ。もし僕が鬼道を使えていたら、避けられた結果もあったと思うんです」
「何だソレ?もしかして楠山のこと気にしてんのか?別にお前のせいじゃなかったろ」
「せい、とかそういうのではなくて……僕がそうしたいだけですから」

 このとき俺は「ふぅ〜ん真面目だな」とか「さては気負いやすい質だなこいつ」とかそんな風に解釈したんだが、ちょっと揶揄ってみたくなっちまってな?冗談のつもりでこう言ったワケよ。
「自分の手で守りたかったってことか。ははぁん……さてはお前、楠山のこと好きだろ」
 いやぁ、あのときの綾瀬川の顔といったら――……ってそうじゃねぇや、回想の方向が逸れるところだった。今これは関係なかったな。

  関係あるのはこっち、昨日の技術開発局でのことの方だ。
「二十年前に出現したという最上級大虚ヴァストローデについて、何かご存知ですか?」
 阿近のやつがそう訊いてきたとき、モニターには玲瓏山が映し出されていた。楠山と白い鳶が庇ってくれなければ、俺も見坊も南舘も他の仲間も、あそこが死に場所だったかもしれない。だが、あそこと二十年前がどう絡んでくるのかがさっぱり分からない。今のところ見出せる共通点は――どっちも俺が死にかけた話だってことだけだな。


「……考えても分かんねぇことを考えても分かんねぇな!」


 中々に阿保みたいな独り言だな。
 ふと、さっき沈んだはずの白い夏椿の花がぬうっと水面に浮かんできた。鯉の頭に載ったそれは、次第に水の流れに乗ってくるくると回りはじめる。
 どうせ今から寝る気にもなれないし、勝手に動いてみるか。

 ――という訳で、朝一で黒陵門の下まで来てみたのだが。


「いやぁ〜まさか射場さんに清音の姉さんまで来てるとは思わなかったな!」

「合同遠征部隊のことは狛村隊長も気にされとったからのぅ。儂が一番に出迎えて報告せんとと思ったまでよ」

「わ、私は……その…沙生さんが怪我してないか心配で……」


 門まで出向くくらいで兎や角いうやつはいないだろうし、上司に迷惑を掛けることもないだろう。とはいえ、特に仲良しでもない三人が揃って同じことを考えて集まるなんて、奇遇なこともあるもんだ。


「でも……あいつらが帰ってくるのってたぶん昼過ぎか、下手したら夕方ですよね?」

「……ちぃと早過ぎたかもしれんのぅ」

「そ、そうですね……」

「朝飯くらい食って来りゃ良かったなぁ……」

「考えが足りんかった……儂もじゃ……」

「あの、それなら……この辺で朝からやっている美味しい食堂を知ってますよ」

「お、そうですか!じゃあ申し訳ないですが案内頼めますか?」

「はい。実は私もお腹が空いてて……」

「腹拵はらごしらえじゃな!財布なら持ってきとるけぇ、儂が奢おごっちゃろう」


***


「腹ぁ減ってきたっス……」

「自前の兵糧丸ひょうろうがんでも摘まんでおけ」

「まぁ一応持ってきてますけど、材料費かかる割に美味くねんスよね。戦ってる最中に腹減ったら仕方なく食う用なんで今は我慢するっスよ……」


 銀一色の傘の下、ガタゴトと荷車に揺られること数時間。引っ張ってくれている二番隊の持地もちじさんと太てんとの会話が聞こえて、そういえば私もお腹が空いていたんだっけ、と思い出してしまった。そしたら何だか無性に胃の腑がきゅうきゅうしてきて、とうとうぐうと鳴ってしまった。派手に。


「ありゃ、閃センセンパイも腹減りっスか?随分でかい音しましたね」

「……俺ではない」

「あ、今のは私の」
「俺の腹の音だぞ」

「……俺の両隣だ」

「あっはは!斑目三席も沙生ちゃんも、食欲は問題ないなら早く元気になれそうっスね」

「もうお昼だからね。そろそろ黒陵門に着くから、あと少しの辛抱だよ」

「蒼純副隊長!どうしたんスかこんな最後尾まで。何か伝令っスか?」


 人の背より高く荷が積まれている荷車の上で横になっているから様子は窺えないが、蒼純副隊長が近くにいらっしゃっているらしい。いま一角と合奏してしまったお腹の音を聞かれていたのかと思うとじわじわ恥ずかしくなってきた。自己申告なんてするんじゃなかったな。


「特にそういうのはないよ。何となく、私が殿しんがりを務めた方が良い気がして」

「……先頭は大丈夫ですか?更木隊長と志波隊長の霊圧、また変な感じがしてますけど」


 最後尾に回った蒼純副隊長にそう声をかけたのは、彼と向かい合った状態になっているであろう弓親だ。確かに、ずっと向こうの方から隊長二人の尖った霊圧が漂ってきている。また小競り合いでも始めたのではなかろうか。


「それは大丈夫。もし本気で喧嘩でもしようものなら、もう瀞霊廷も近いことだし――」


***


「――総隊長にまた怒られてぇのかてめえは!」

「五月蝿えな!そもそも、俺が俺の部下に会って話すことの何がいけねえんだ!」

「何のためにあいつらを最後尾にしたと思ってんだよ!?お・分・か・り?更木さん?お前から引き離してんの!その馬鹿みてぇに出しっぱなしの霊圧ちったぁ絞ってから言え馬鹿!」

「どうしろってんだ!別に俺はこれで普通にしてんだぜ」

「普通でそれなら余計に駄目だろうが!歩く公害か!お前は四番隊にも行くな、直帰だ!自分の隊舎に帰って暫く大人しくしてろ。それでも霊圧馬鹿垂らしのまま下げられねぇようなら涅にでもどうにかして貰え」

「チッ……だからって何でずっと俺と並んで歩きやがんだ志波!もっと先か後ろ行けばいいじゃねえか鬱陶しい」

「そうしてえよ!?そうしてえけどお前一人じゃ瀞霊廷に戻れやしないくせに偉そうなこと言ってんなよ……いいか?嫌だっつってもっつうか俺も嫌だけど十一番隊舎まで送ってくからな!迷子になって廷内うろつかれただけで何人病院送りになるかわからねぇからな!」

「クソ面倒くせえなやってられっ…テェ!やちる!いま髪ひっぱったろ!」

「剣ちゃんと心しんちゃん、すっかり仲良しだね!」

「「誰が!!!」」


***


「あっ、きたきた……えぇ!?」


 射場さんと清音の姉さんと並んで待っていると、叔父貴と更木隊長の姿が見えてきた。そしたら二人とも俺が思っていたよりだいぶボロボロな体してたもんだから驚いた。そんなに怪我してるとか普通に予想外だろ!?だって、見えないくらい遠くにいるうちから二人の霊圧はここまで届いてきていて、バリバリ元気そうだったのだ。隊長たちは軽傷なのか流石だな、とか思っていたのに。


「なんであんな怪我してんのにこの霊圧なんだよ……おかしいだろ」

「おぉ……更木隊長はまた更に強くなられたようじゃのぅ」

「志波隊長もこんなに圧ありましたっけ……?」


 まだ距離はあるのにビリビリ響いてくる。特に更木隊長は自分で自分の霊圧を制御できているかどうか怪しい。これだとそこいらの平隊士は簡単にあてられちまうだろう。
 その先頭二人からは大きく離れて後ろに続く平隊士たちの列も見えてきた頃、叔父貴はこっちに気付いて手を振りながら寄ってきた。無視するのもアレだから控えめに振り返す。それまで二隊長はまた喧嘩でもおっ始ぱじめそうな雰囲気だったりしたのか、更木隊長から俺に意識が向いた叔父貴を見た平隊士たちは、皆がみんなホッと胸を撫で下ろしていた。


「海燕じゃんか!どうしたよ、出迎えなんてしてくれるような真面目なやつだったっけ?心配した?」

「ようお帰り。別に叔父貴のことはそこまで心配してねぇ」

「ハッハー?つまり俺の強さには全幅の信頼を寄せていると」

「あーそういうことでいいや」

「しかし何だ、七番隊の副隊長とそっちは四番隊の子だろ?変わった面子めんつだな」


 話しながら瀞霊廷内に一歩入った叔父貴は、俺の後ろにいる二人にちらと視線をやった。確かに何だと思うだろうな。でも一緒に飯食ってきたし、ここで待っている間に色んな話もしたし、そこそこ親交は深まったと言えるだろう。


「あ、あの、志波隊長!」

「おう。何だ?」

「すぐに治療が必要な負傷者はいますか?」


 清音の姉さんがやや早口で問うと、「あ」と口を開きかけた叔父貴をどんと強めに押し退けた更木隊長が彼女の間近で答えた。


「最後尾だ。暫く放っといても死にはしねえ程度だが、重傷のやつらは後ろの方にいる。……沙生もそこだ」


 そんな威圧感たっぷりに言って、怖がらせちまうんじゃないですか?……と思ったのだが、予想に反して清音の姉さんは殆ど動じていなかった。動じる代わりに顔に「やっぱり!」と書いてあった。分かる分かる、俺も今「やっぱり!」ってなった。


「ありがとうございます、すぐ向かいます……!」

「ああ。頼んだぜ虎徹」


 更木隊長が清音の姉さんの苗字をちゃんと知ってるのが意外すぎる。今日一番の吃驚はコレで決まりだろ。
 さて、コケて足の裏が空を向いている叔父貴は射場さんが構ってやっているから無視するとして。帰還した合同遠征部隊の列は細長く、最後尾はまだここからだと見えない。どれ俺も行ってみるかと踏み出そうとしたら、更木隊長が急にガッと左肩を掴んできた。危うく叔父貴の二の舞になるところだったが辛うじて耐えた。


「うお……!?更木隊長、何かご用ですか?」

「お前も後ろに行くんならあいつらに言っといてくんねえか。『四番隊に見舞いには行かねえ』ってよ」

「分かりました、伝えておきます」

「…………。」

「まだ他に用件でも……」

「…………。」

「…………。」

「…………いや、無ねえ。じゃあな」

「はい、いえ、どうも」


 更木隊長は漸く俺の肩から手を離し、緩慢な動きで背を向けた。けど、え?今の何だ?というか俺、更木隊長と真面に話したのって今のが初めてだったはずだよな。気付かない内に失礼でもしちまってたか?そうこう考えていると、叔父貴が手を使わずにびょんと立ち上がった。


「あっ、てめ、どこ行こうとしてんだ更木!そっち禁踏区域方面だぞ!カッコつけて去ろうったって方向音痴なんだから自重しなさいよ!?こっちだこっち!草鹿も『ゴー』じゃないよ!ったく……あぁそうだ、海燕」

「ん?」

「見ての通り非常識な霊圧したあいつの守りしなきゃなんねぇからよ。すまんがまだ瀞霊廷に入ってない部下たちのこと頼めるか?」

「おぅよ、任せてくれて良いぜ。元々そのつもりだ」

「ありがとな。まぁ最後尾には蒼純がいるはずだから大丈夫だとは思うんだけどよ。じゃ、また後でな!」


 叔父貴が走り去ったのを見届けて、一歩、瀞霊廷の外に出る。この内と外の境界を超す一歩というのは、何時も心に僅少の陰りを生じさせる。虚が侵入不可能な守られた内地である瀞霊廷と、虚がその気になれば自由に出入り可能な郛外区ふがいく。ここ数日の虚の出現率がおかしいだけで、普段の流魂街はそこまで危懼きくすべき場でもない。しかし、これは保障された安全圏から出て、漠然とした危険域に入る一歩だ。気を抜いて良い理由にはならない。


「今の一歩で顔つき変わったな」

「射場さん……」

「良ええことじゃ、流石は志波副隊長。命知らずの馬鹿たれ共に見習わせにゃならん」

「そうかもしれませんねぇ。やっぱり斑目と綾瀬川も大怪我してきたみたいですし」

「『死なんかったツイとる!』やらほざく連中じゃけぇ、何も悪い思うて無さそうでどうしようもないな」

「ははは!まったくですよ、困った後輩です」


 ――だから可愛いってのもあるけどな、あの三馬鹿。


***


「沙生さん!ど、何処ですか?この上にいるんですか?」

「おや虎徹さん。こんな外まで楠山さんを迎えに来たのかい?友達思いだね」

「朽木副隊長!こ、こんにちは」

「こんにちは。そう、この上にいるよ。持地さん、太くん!もう一人上がっても問題ないかい?」

「はい。虎徹三席、お気をつけてどうぞ」
「お嬢さん一人増えるくらい何てことねぇっス!」


 というやり取りが下から聞こえてきた。私が仰向けに寝転がっている左手の方から「よいしょ」と登ってきた勇音さんは、私を見て開口一番「やっぱり……」なんて呟いて悲しそうな顔をするものだから、心にまた一つ針をくらったような気がした。不甲斐ない。私の足元にある荷に腰掛けた勇音さんは、さっそく両手を翳して回道を施し始めてくれた。


「沙生さん、今すぐ、少しでも痛まないようにしますからね……!」

「ありがとうございます。それと、ごめんなさい。またご心配とご迷惑お掛けしちゃって」

「そんなの良いんです!帰って来てくれたから……私、報告を聞いたら、悪いことばかり考えちゃって……沙生さんにもう会えなかったらどうしよう、って……」


 勇音さんの目から、はらりと涙が溢れた。傷が痛むけれど無視して上体を起こし、勇音さんの涙を拭う。これが私のために流されている涙なら、人差し指にのった雫もとても尊く思えた。本来の意味で“有り難い”ものだ。有り難すぎて恐れ多い。


「あーあ沙生、女泣かしたな」

「なっ……何さ。そりゃ、私は一角も泣かしたことある悪い女だけど……」

「ばっ、てめえ滅茶苦茶あらぬ誤解されそうな言い方すんじゃねぇよ!あ、ホラー!見たか今の阿保刑軍の目!」

「『見たか』って……いつの間に包帯から目だせてたの?」

「さっき笑い転げてたときにちっとズレた」

「さっきって大分さっきだね……」

「わっ……斑目三席もそこにいらっしゃったんですか!そんな全身包帯で……よく見たら西五辻三席もお腹に酷い怪我を……あの、いま術式広げますね!じっとしていてください」


 勇音さんも先刻の私と同じで、全身真っ白で横たわっている一角を天幕の束か何かと勘違いしていたようだ。驚いたせいで引っ込んでしまった彼女の涙が、ほんの少しだけ口惜しく思えた。


***


 進む荷車の上で泣き笑いする若者たちの声は、聞く人の心も頓とみに解ほぐしてくれるようだ。これを愛しく思わない者がいるだろうか。人の親ともなれば尚のこと。
 息子の大切な友人である彼女は、外貌こそあまり似ないが、心性はままとある人を想起させるところがある。浮竹隊長や京楽隊長はまだ明言してくださらないが、私は私の勘に信を置いているし、何より特に浮竹隊長の態度は白地あからさまという他ない。彼女が真実を知る日も近いだろう。

 今年もそろそろ実がなる頃だ。あの梅の木の下で見た彼女の笑顔を思い出すと、ほうっと胸が温かくなる。白哉のため、浮竹隊長のため、そして何より天鷹てんよう殿のため。私は、彼女を――。

 不意。

 前方、空中に鉤かぎの手が連なったような亀裂が走ったのが見えた。

 列の先頭にいた二隊長の姿が瀞霊廷内に消えて我らも帰還目前という時。常在戦場と心に留めていたとしても、誰もが気を緩める場面。黒き洞から飛び出した人影は、脇を見ず、真っ直ぐにこの最後尾に狙いを定めていた。完全なる人型の虚。仮面は無いに等しく、はっきりとした明眸めいぼうが白日の下に晒されていた。


「こんにちは、戦帰りの傷兵さん。病葉わくらば、朽ち葉、桑原くわばら々々くわばら。ねぇ、彼方あなたは此方わたしですか?」


 あまりにも唐突な窮地に辺りが粛然とするなか、細身の女型の虚は見目と違わぬ美しい声で語り、青い空から風と共に下る。艶のある椿色の髪を靡かせ、胸の孔は笛のように音を籟ひびかせた。両腕を一瞬で銃剣と化し、この最後尾の荷車の上にいる彼ら彼女らに向かってくる。一連の動作は流れるようで、嘘みたいに俊敏だった。
 敵の姿が荷車の陰になって見えなくなり、私は咄嗟に地を蹴って上に一飛びした。そこでは楠山さんが虎徹さんを庇う様に抱きすくめ、敵から目を逸らさずにいた。そうか、君はこんな時でも先ず誰かを護ろうとするのか。やっぱりあの人に似ているよ。
 抜刀も詠唱も間に合わない。跳んで中途半端な体勢の今、胸に突き立てられようとしている刃から彼女を護るには、このまま私が身を倒す他に道はない。

 ――喉のどぶえから呼気が漏れた。


***


「……そ……蒼純副隊長……!?」 


 潑ぱっと顔に血飛沫がかかって漸く何が起きたのか理解した。突如出現した人型の虚が言葉を発してから石火、私は至近距離に迫った虚を認識することすらできなかった。彼が、蒼純副隊長がその身を盾にしていなければ、私は穴を開けられていた。


「蒼純副隊長!のど…のどが……!」


 私の胸に突き立てられるはずだった剣と私の間に横から倒れて割り入ってきたために、彼は首のほぼ真ん中を横一文字に斬られていた。これではきっと呼吸もできない、抑えて差し上げなければ。触れて余計に痛くならないだろうか。傷口から汚れが入ってしまわないだろうか。血が止まらない。死……


「身を挺してまで傷兵さんを護るなんて優しいのね。普通、足手纏いは捨て置くものなのに。彼方あなた、羨ましい子」

「……あ…」


 傍に立たれているだけなのに思うように身動きが取れない。息が詰まって、意識が飛びそうだ。存在を保つので精一杯。近くにいる皆もきっとそう。銃剣になっていた虚の両腕はいつの間にか元に戻っていて、華奢な指が私の頬に添えられた。


「でも、それでも共倒れ。なら、それなら此方わたしが増えた、それだけ。ねぇ、一緒に――」

「『捩花』!!」


***


 悪寒と冷や汗が止まらない。しかし己に鞭打ち、無我夢中で長柄となった捩花を高く掲げて片手首で廻し、巻き上げた波濤を虚めがけて振り抜いた。虚はこちらを見ることもせず攻撃を躱したが、楠山から離すことには成功した。タン、と跳んで何もない空中に立ってみせた虚は、やっと俺を目に入れてゆっくりと口を開く。


「――お迎えさんも来てたのね。帰りを待っていてくれたんだ。気を抜かずにずっと、ずっと。報われている。愛されているね。良いな、此方わたしにもそんな人がいてくれたら」


 綺麗な顔で綺麗に微笑み綺麗に語る。しかしこいつは、霊圧も速さも力も化け物級だ。それに完全なる人型、目に留まる鮮やかな色の髪――まさか、こいつが。


「……二十年前の“桃色の悪魔”……あのとき出たっていう最上級大虚ヴァストローデはお前か?」

「二十年前?桃色?……ああ、それなら違う。それは困ったザエルのことね。ニルが言ってた、彼は桃色、此方わたしは椿色」


 違う?敵の言葉を鵜呑みにするつもりもないが、仮にそうだとしたら、何故こうまで強力な人型がよりによって今また出てくるんだ。


「ところで、ねぇ、勇敢な彼方あなた。遮るということは、代わりになってくれるの?」


 虚はまた両腕を変形させた。今度は右は直刀、左は小型大砲のような火器。攻撃に備えて構えようとしたが、それより早く背後から声がした。


「止まっているかのよう。それでは彼方あなたも此方わたしになるだけ――っ、」


 穿たれると覚悟した瞬間、キンと金属を弾いたような音がした。後ろを振り返ろうとすると、


「振り向きんさんな志波副隊長!背中は儂に任しとけ!」

「すみません射場さん!」

「もう一人……用心しているのね。素敵なこと。でも、用があるのは初めから傷兵さんにだけなの」

「! しまっ――待て!」


 虚は俺と射場さんにあっさりと背を向け、また荷車の方へと飛んだ。蒼純殿の喉の止血をしていた清音の姉さんがそれに気付いて目を見開く。そして、その間に立ちはだかるように楠山が両手を広げて立った。


「楠山!!!」


***


 なんにも考えてなんかいない。金矢に、弓親に、蒼純副隊長に庇われて永らえた命をまたすぐに放り出すなんて、私はなんて馬鹿なんだ。でも、こうして立ったのは殆ど反射だった。


「楠山!!!」


 チクリ。胸の真ん中に直刀の鋒がほんの数ミリ刺さって止まった。もう死んだような気になっていたが、こんな掠り傷なら当然まだ死んでいない。あの速さで突き出した剣を止められるなんて人間業ではない……と感心するのもいいが、何故、止めた?向かい合って立つ虚は、じっと私の顔を見ている。


「楠山……楠山、ヒトセ?」

「……え……?」

「ニルが言ってた、『ヒトセは駄目だ』。……ねぇ、そこの、勇敢な彼方あなた」


 虚は首だけ回して、向こうにいる海燕さんを見つめた。海燕さんは瞬きもせずに虚と目を合わせる。


「ありがとう。彼方あなたが叫ばなかったら、ニルとの約束、破ってしまうところでした。ヒトセと一緒にいる下睫毛は……テンヨウ、だったかな?」


 虚は腕を引きながら変形を解除し、人の形に戻った手で私の頭を優しく撫でる。もう殺気はないが、強すぎる霊圧が全身の肌まで逆撫でてくるようで、恐ろしく感じた。


「顔は覚えました。今度から気を付けます。さようなら、ヒトセ」


 最後にするりと私の頬を撫でると、虚はトンと軽い足音を鳴らして高く上へ飛ぶ。青空に開いた黒腔ガルガンタに宙返りで飛び込みながら、私に向かって私の母様の名を呼び掛けて、消えた。


「……な……、な………」

「楠山!!」


 体全体からがっくりと力が抜けてしまって、荷車の上から転げ落ちる。海燕さんは手に持っていた斬魄刀を放り投げて駆け寄り、ザっと滑り込んで砂埃を上げ、私が地面に衝突する限々の所で受け止めてくれた。


「……っ、…はっ……」

「楠山、大丈夫か!?ゆっくりでいい、ゆっくりちゃんと呼吸しろ」

「はっ……、はぁ…はぁ……大丈夫……大丈夫です」


 海燕さんは、ゆっくり、ぽんぽんとあやすように背中をさすってくれた。おかげで徐々に落ち着いてきて、生きているという実感がやっと戻ってきた気がする。


「……ったくよ……ワケわかんねぇよな。俺とお前だけ蚊帳の外で。いい加減、浮竹隊長とか叔父貴とか、問い詰めてやろうかと思うんだよなぁ」

「私も……あの人たちに訊きたいこと、いっぱい……あるんです」


 瀞霊廷の中の方から、ざわざわと騒がしい人の声が集まってきている。流石に近場にあんな大物が出たとなればこうもなるか。海燕さんは私を軽々と抱き上げて「よっこらせ」と立ち上がり、そのまま歩いて進む。私は自分の両手にべったりとついている蒼純副隊長の血に今更気付いて、ひゅっと喉が閉まった。


「大丈夫だ。射場さんに、なんたって清音の姉さんもついてるからな。蒼純殿も命の心配はいらねぇよ」

「……はい」

「あぁそうだ、あとな」


 一歩。海燕さんはわざとらしく軽やかに跳んで、それから両膝を曲げて確と着地した。何事かと思って彼の顔を見上げると、そこにはいつも通りの優しい笑顔があった。


「おかえり、楠山」


 泣き出してしまいそうなのをぐっと堪えて、久し振りの「ただいま」を言った。




あとがき(memoの追記に飛びます)


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表紙・家