星になりせば

死ぬれば死神
ほしになりせば

 実家のような安心感!


「あイタッ」


 ふと気が緩んだ瞬間、おきまりのように脳天にずどんと手刀が落ちてきた。


「なんか実家みたいで安心すんな〜とか考えてたろ」

「な……どうして分かったんですか……!?」

「顔見りゃ何となく分かるわアホ」

「こわ……海燕さんに隠し事できないじゃないですか……」

「おん?俺に隠し事するつもりなのか?」

「いいえ。寧ろ白焔のこととか、未だに赤火砲以外すかしっ屁なこととか、一切隠してないのは海燕さんにくらいで……あイタッ。なんでまた叩はたくんですか」


 海燕さんは私の目を覗き込んでにかりと笑った。まったく。乱暴で困った副隊長である。
 此処は四番隊の綜合救護詰所三階にある例の白い病室だ。出たと思えばまた入って、すっかりお馴染みの場所になってしまった。隊舎にある私室の布団よりも、この白いベッドに体を預けている時間の方が長いことだろう。初夏のそよ風を入れている窓辺では、彼が持ってきてくれたばかりの黄色い禅庭花ぜんていかが花瓶の縁でころころと踊っている。


「どうだ、昨日はよく眠れたか?」

「はい。あれから今朝までぐっすりと。その間に治療も施していただいたようで、もうそれほど辛くありません」

「そりゃ何よりだ。怪我の数は多いが酷いのは足だけだっていうし、今回はそう何週と掛からなそうだってよ。御厨みくりやに感謝しねぇとな」


 霊圧の名残からしてそうだろうとは思っていたが、やはりまた御厨さんが担当してくれたらしい。彼女には何度もお世話になってしまっているし、私の体のことについて私自身より詳しそうだ。


「本当に……あの、蒼純副隊長の容体は?」

「ああ、ちっと貧血だそうだがまぁ元気だ」

「良かったぁ……」

「あの場に清音の姉さんが来てくれてて助かったな。すぐ血止めできてなかったら危うかっただろうし……あ、でもその清音の姉さんはちょっと体調崩しちまったとかで」

「え、そうなんですか?勇音さん大丈夫かな……」

「あの化け物の霊圧を間近で浴びたせいもあるだろうが、あそこにいたやつらの中でも特に、殺気とかああいう空気そのものに慣れてなさそうだったからなぁ。無理もないだろ」


 「こんにちは」と現れた、椿色の髪をもつ人型の虚――虚にも男女の区別があるならおそらく女の、あれも最上級大虚ヴァストローデだろうか。血も凍るような重く冷え冷えとした霊圧、敵と分かっていても見惚れてしまう美しい微笑み。今でも目の奥にこびり付いている。霊圧知覚と視覚では感じられるものがまるでちぐはぐで、奇妙な恐ろしさがあった。


「あれは、どうして私を殺すのをやめたんでしょうね」

「『ニルが言ってた』とかなんとか言ってたな。“ニル”ってのが何だか、俺にはさっぱりだ。でも“ヒトセ”はどっかで……どこでだったか……」

「……干歳ひとせというのは、私の母様の名です」

「は?……あ〜そっか!お前んちの家系図で見たな、そういや!ぱっと見じゃ千歳ちとせかと思ったんだが、脇にご丁寧にフリガナ振ってあったから印象に残ってたんだ」

「母様の名前は、初見だと必ずと言っていいほど間違えられるので……後々、子孫にも誤って伝わってちゃ悲しいですからね」


 訛なまっていたり滑舌があまり良くなかったりすると、分かっていても正しく発音できない場合もある。爺様のお弟子さんの中にも呼びづらそうにしていた人がいたっけ。「シトセさん」とか。


「でも……お前が死んで途絶えちまったよな。家系図なんて見るやつも、もう……」

「あっ。海燕さん眉間にシワ!そういうこと考えるの禁止ですよ。もう過ぎたことですし、今はこうしてぴんぴん死神してるんですから」

「……ハッ、どこがぴんぴんだァぼろぼろなくせしてこの嘘っ八パチ助!」

「痛つぁ!デコピンも禁止です!」


 こないだの金矢の真似して言ってみただけなのに。照れ隠しで手が出るとか、ほんとに困った副隊長殿だ。また笑ってるし。


「それにですね、道場は潰れたかもしれませんが、別に血筋まで途絶えちゃいませんよ。母様には弟がいたそうですから」

「なんだ、お前の叔父さんが生きてんのか?その口振りだと会ったことなさそうだが」

「生まれつき体が弱かったらしくて。お医者様にかかるために、麓の良家の養子になったのだと聞いたことがあります」

「あ〜成程、山のテッペンに暮らしてたんじゃ難しいわな」


 この話は幼少の頃に一度聞いたきりで、その人の名前も今や忘れてしまったが、私の親戚がまだ現世にいるのは間違いない。こんなことを考えていると、何だか……未練はもうないつもりだが、人が住まなくなった屋敷や道場が荒れたりしていないか心配になってきた。でも五年も経つし今更か。山の獣たちの遊園地とかになっているかもしれない。


「家系図なぁ……なぁ、お前を魂葬こんそうしてから俺らが事後処理したって話は、前に少ししたよな」

「あぁ、お墓とかの話」

「そうそれ。あん時は家系図のそこが空白になってたことも、墓がなかったことも、人には色々事情があるもんだってことで特に気にしないようにしてたんだが……」

「それは……私の父様の話、ですよね」


 名前も顔も知らない父。もしかすると、もう知らなかった・・・になっているかもしれない人。大蛸型虚から助けてくれた志波隊長の背中と重なって見えた、古い記憶の中の彼かの人が、そうなのではないかと思い始めている。
 母様には爺様という父がいるのに、どうして私にはいないのだろう。物心ついた私にはそれが不思議で、何度か母様に尋ねたことがあった。けれど母様は父様の名前も、思い出話も、はぐらかして何ひとつ教えてくれることはなかった。幼心おさなごころに「訊いてはならぬことなのかもしれない」と思うようになり、いつしか父という存在そのものを御伽噺や幻の類に振り分けていた始末だ。


「私は私の父様のことを何も知りません。ですが……母様は父様を愛していました。数あった結婚の申し込みも、それを理由に全て断っていたのを覚えています」

「不躾なことを訊くが……離縁したとか、或いは死別したとか、そういうのも全く聞かされてないのか?」

「……昔、これだけはよく言っていました。『父様はお星様になって、いつも私たちを見守ってくれているよ』……と」


 当時の私は、今思えば馬鹿みたいだが、そのままの意味で受け取っていた。

 高い山の天辺より更にどこまでも高い空。

 そこにはお星様になった父様がいて、遠くから静かに見守ってくださっているのだ、と。


「……やっぱり浮竹隊長を問い詰めてみるしかないと思うんです、私」

「だよなぁ。もう十分に待ったよなぁ、俺も」

「副官なのに何も話して貰えないまま振り回されてきたんですから、海燕さんはちょっと怒っていいと思いますよ?」

「そうさな……でもそんなに嫌じゃなかったぜ?多分、お前に会えたのもそのお蔭みたいなとこあるんだろうし」


 海燕さんの右手が私の頭に伸びてきた。また叩かれるのかと思って目を瞑ったが、ぽこ、と優しめに頭を鷲掴みにされた。それから私が五郎にやるみたいに、わしゃわしゃと撫で回される。


「退院すっときは迎えに来てやるから、そしたら一緒に隊長んとこ行くぞ」

「……了解です」


 お互いぼんやりと像は見えてきているのだろう。しかし、真相を知る人の口から直接聞かなければ、いつまで経ってもはっきりしないままだ。
 もう髪がめちゃくちゃですよ。あ、笑ったって許しませんからね。


***


「失礼します、具合の方は……っと。まだ食事中でしたか」


 あ、と開けた口にほぐした煮魚を入れるところだった蒼純は、動作を巻き戻していったん箸を置いた。そして病室に入ってきた人物――山田清之介に向かって微笑みかける。いつもより少し自由な黒髪がふわりそよぎ、外されている牽星箝けんせいかんは窓の前に二つまとめて無造作に置かれていた。高価なそれが何かの拍子に落っこちやしないか、と要らぬ心配で肝を冷やすこちらの気など知りもしない。だが、喉を笛にされて死にかけた翌日にそんな穏やかな顔をしてみせる貴顕紳士そちらの気の方こそ、庶民こちらには理解不能なものである。


「喉を気遣っていたら、自然と時間が掛かってしまってね。昼食は抜きにして貰おうかな」

「まぁ、昨日の今日で普通に食べろって出されて何となく落ち着かないのは解わかります。飲み込むときに違和感とかありますか?」

「ほんの少し。内側の形が変わったからかな?」


 蒼純は平静に、一音ずつ確かめるようにゆっくりと話した。聞く限り声は変わっていないが、切られた傷は声帯にも及んでいたため、殆ど治ったとはいえまだ違和感があるのも仕方ないだろう。刻みつけられた虚の霊圧を完全に拭い去るのにも時間が必要だ。


「どうかな、痕は残りそうかい?」

「景気よくざっくりやられてましたから、残るはずだったかもしれませんね。でも、運ばれてきてからは僕が担当したので」

「残らない?」

「残念ながら。というか、普通は残ったら残念なんですよ。残らないのを残念そうにしないでくれますか」

「見透かされてしまったか。相手が君だとやりにくいな」


 包帯が巻かれた喉に触れるか触れないかというところに手指を添えて、蒼純はまた微笑んだ。首の真ん中に横一文字。その傷痕が消えていくのを惜しむように。


「喉を切られて死に損なうなんて中々ないだろう?」

「そんなところでお揃いになったって何にもなりませんよ」

「これは“生きたがりの証”だと言っていたのを思い出して、つい、ね」

「痕なんてもの残すから勲章扱いしたくなるだけですよ。傷は負わないのが一番です」

「おや、それは本心?怪我人がいなくなったら、それはそれで君は『暇だ』と嘆きそうだけれど」

「…………それはそれです」


 トントン交わしていた会話に自分の番で間を空けてしまい、清之介は少しばかり胸に霞を抱いたかのような蟠わだかまりを覚えた。対する蒼純は変わらず穏やかにして目を細め、それから窓の外で揺れている木の葉をちらりと見遣る。


「ところで、楠山さんの容体はどう?」

「……別段どうもしません。彼女の場合、霊圧まで絞りきったような状態で此処に来るのが恒例になりつつあるので、今回はあれで軽い方ですよ」

「君を投げやりにさせるとは。ふふ、困ったものだ」

「ただ、よりによってまた左足でしたから、御厨が懸念していましたね」

「そうか……何も差し響くことがないと良いのだけど」


 沙生の左足、といえば災難の代名詞になりそうなくらいである。思い出されるのは、あの木の洞みたいな痕が残った足の甲――体の前面をズタズタに切り裂かれて死ぬところだった彼女を無理矢理生かすため、已やむ無く治療を後回しにした部分だ。心臓近くからの大量出血に加えて気管や内臓も抉れていたため、優先順位は火を見るより明らかだったし、あの状況でやれる限りの手は尽くした。しかし清之介からすれば、それらは言い訳にしかならない。ふと、御厨に言われたことが脳裏を過る。
「少しでもご自分に不甲斐なさを感じていらっしゃるなら、それはつまり沙生さんを心配している、と言い換えられるかと存じます」

 ――馬鹿を言え。心配しているのは君らだけだ。

 厭あきた苛立ちが燻くすぶって消えない。清之介は何も無い空中を睨むようにして眉根を寄せた。


「どう取り繕おうと、やっぱり傷痕なんて見ていて気持ちのいいものじゃない」

「君がいう傷痕それって、何も施さなかった場合より余程ましに済ませられた結果でもあるだろう?我々患者は感謝しているよ」

「それでもです。人目からは隠せても、自分自身には毎日朝晩と晒すことになる。足だろうと何処だろうと、目につく度に思うことがないはずもない。況してや首になんて以ての外でしょう」

「……はて、君に『人の心がない』と最初に言ったのは誰だったのかな」

「さぁ?的を射ていると思いますけどね。僕にとって傷痕は“治せなかった証”でしかない、そういう話です」


 己の腕前が未熟であることの証拠がいつまでも他人の体に残り続けるとなれば、それは恥であり、罰であり、罪に他ならない。剰あまつさえそれを恰あたかも勲章のように扱われては、居た堪れないどころではない。比喩的にいえば公開処刑にさえ等しいと彼は考える。


「あくまで我々を慮っているわけではない、と?」

「ええ、買い被りです」


 傷痕のある人間を見ると、同情や憂慮より苛立ちが先立つ。それも、相手に対してではなく、治療を施した者に対してだ。それが自分であれば尚更、清之介は自らを心の内で叱責し、治療技術を向上させんと邁進まいしんする。そうして進む道は、時に患者の気持ちすら無視するものだ。


「死にたがってる患者を無理矢理生かすような僕が何を優先しているかなんて、解り切ったことでしょう?」

「なに、それが君の芯であるというなら否定しないさ。どうあれ、私は君が思うまま進むその過程で救われたのだから」

「……そうやって僕を甘やかしていると、いつか何やら仕出かさないとも限りませんよ」

「予感でもあるのかい?ならば君は、君とは気が合わない人を頼りにしておかなければね。少なくとも、私でないことは確かだな」


 つまり、私と君とは気が合うと。道を阻むつもりはないと。蒼純は清之介に対してそのように思っているらしかった。清之介は「彼の気は確かか?」と疑ったが、これほど誠実に、しかも嫌がりもせず、真面に取り合ってくれる者はそういないことに漸く気付く。


「じゃあ総隊長殿や我が隊長ですね」

「そこで迷わず即答でお二人を挙げるあたり……ふふ、本当に、君という人は」


 微笑むのとはまた違う、面白可笑しくて仕方ないといった風に笑う蒼純は珍しい。清之介はくつくつと喉の奥を震わせている彼をじっと観察する。問題なく快方に向かっているようだと結論付けると、僅かに口角を上げ、態とらしく肩を竦めてみせた。


「さて、そろそろその煮魚を平らげてくれませんかね。食事が済んだら、首の傷痕をすっかり消して差し上げますので」


――――――


(――消えたものは戻らぬ。器子より抜けて霊子となった時とは異なるのよ。儂はお前の目の他は再生する力を持たぬで、残る身精々大事にせい)

(ごめんなぁハヤ。けどこれで死神引退なんてしたくないし、こっからは片腕でも十分戦えるようにしてかねっかなぁ)


 山脈に囲われているだだっ広い銀世界。真上には天を覆い隠すようにして巨大な真円の鏡が浮かんでおり、その平らかな銀の面は、地と、そこに座す一人と一羽を写している。


(よくもへらへらしおって。当人がそんな調子では、周りの者が反応に困るろ)

(だって、それでいいよ。心配してくれる優しい人は好きだけど、心配されるのは俺がヘマしたからで、恰好悪いかんな。「何だコイツ」って笑ってくれた方が胸も空すくや)


 左肘より先を失った男――金矢かなや克廣かつひろはいつものようにへらりと笑った。鳥は黒斑のある褐色の羽を搏はばたかせて彼の方へ飛んでいくと、嘴でこつんと頭をつつく。


(いて、ててて)

(まぁ何を思うも手前の勝手さね。但し、近頃お前に寄って来よるのは変わり者ばかりぞ?一歩引いて遠ざけたつもりでいるろうが、根負けするのはお前が先よ)

(引くとか遠ざけるとか、別にそんなつもり――)

(は、抜かしおる。儂がお前の心象に明るいこと、よもや今更信じぬ等と言うまいな。此の精神世界に最も長く居るは儂ぞ)


 鳥は偉そうにして胸を張り、嘴にある小さな鼻穴から息をふんすと追いやった。実際より何だか大きく見えて頼もしい。金矢は相棒のそんな姿を見て、また懲りずに顔をふにゃりとさせて笑うのだった。

 くぁ、と小さな欠伸をしながら現実の身の目を開く。まず映るのは白い天井。それから左側に薄ぼんやりと人影が見えたような気がして、金矢は右手で右目をこすりつつそちらに首を回した。


「あ、起きたんですか。どうも」

「……いやぁ悪いね阿近くん、せっかく来てくれてたのに寝ちゃってて。いつからいたの?」

「別に、ついさっきですよ」


 丸椅子から少々腰を浮かせていた阿近は、すとんと座って素知らぬ顔で言ってのけた。手の中から垂れていた巻き尺をしゅるしゅると手早く回収して懐に仕舞うと、机上にある紙にささっとペンを走らせる。何の書類か知らないが、隅っこの余白以外は訳の分からない数式(金矢にとって)と難解な単語ばかりでろくに読めない文章(金矢は)が混ぜこぜに詰められていた。


「技術開発局は暫くてんてこ舞いだろうなーって思ってたんだけど、大丈夫なの?俺のお見舞いなんてしてて」

「局長も他の局員も、各自で気になるデータの解析に没頭中です。あの様子なら一人抜けてても気付きもしないんじゃないっすか」


 阿近はいつの間にか重たそうなDリングバインダーを取り出していた。それを膝の上で開き、紙に平手打ちするみたいにして雑に捲っていく。


「金矢さん、左腕のことなんですけど」

「ああ、これは――」
「オーッス克廣!!起きてっかー!!」


 ガラガラドン!引き戸が勢いよく敷居を滑って縦枠に激突する音がした。仮に眠っていたとしても、今ので起きないやつがいるものか。ここは病室だというのに、ここまで喧しく登場するとはいったいどんな馬鹿だ。阿近は二重の意味でびっくりして、一瞬だけ思考が無になったが、気を取り直して入口に立つ者を見てやろうと振り向いた。


「んぁ?いたのか先客!何だよ友達できてたのか?ちっさいけど」

「太てんと!」


 金矢は慌てたように彼の名を呼んだ。呼ばれた男は悪びれずに呵々と笑って、今度は全く音を立てずに後ろ手で戸を閉める。阿近は「友達」と言われたことより、大してデカくもないやつに「ちっさい」と言われたことが少々腑に落ちなかった。


「聞いたぜ、沙生ちゃん助けるために腕くれてやったんだろ?やっぱお前、どうしようもなくお人好しだよ」

「だから、別にそういうんじゃなくてさぁ」

「まーた『自分のためだ』か?……あのなぁ、世のなか大半の奴は誰のためだろうとそこまで身ぃ切れねんだっつの」

「そうかなぁ……」


 太は部屋の隅にもう一脚あった丸椅子を持って寄り、躊躇いなく阿近のすぐ隣にそれを置いて座った。それから当然のようにそこで胡坐を組み、次いで腕も組む。


「残った腕と足まで失くしてくれんなよ。あんまり良いやつなもんだから、その内あっちこっち欠けてもへらへらしてそうでオレが気が気じゃねえや。な!お前もそう思うだろ?」


 突然話を振られて、阿近はたじろいだ。そして察した。こいつは遠慮というものを知らない人種だ。


「はぁ。そうですね……?」


 適当に相槌を打つと、太はもう一度「な!」と言って阿近の肩を叩いた。もっとバッシバシ叩かれるかと思って身構えていたが、流石にそこまではしないらしい。太は急にぴたりと動きを止めて視線を落とすと、阿近の膝の上にある物をじっと眺めながら口を開いた。


「なに、義手とか作れんの?」

「……はい、まぁ。今日はそのために来てますので」


 開かれたバインダーのそのページには、義手の設計図――といっても、手首部分のみの展開図であり、白黒で色も着いていない。脇に書かれているのは関節可動域の計算式と、必要な部品や使用する素材・薬品の略語の羅列である。これを見て義手のそれだとすぐに見当がつく者は、果たしてどれ程いるだろう。阿近が呆気に取られていると、金矢がベッドから上体を起こして太と一緒に設計図を覗き込んできた。


「うわ、ぜんぜん分かんないけど……阿近くん、俺に義手つくってくれるの?」

「ええ、貴方にこのまま引退する気がないなら、ですが」

「ないない!うそ、本当?助かるなぁ〜ありがとう!」

「あとは仕様に関する要望とかあれば聞いて擦り合わせておきたいんですけど……」

「良かったな克廣!鉤縄とか火炎放射器でも仕込んで貰ったらどうよ?」

「貴方の要望は貴方が腕なくしたら聞きますんで」

「あ、伝令神機とか埋め込んじまえば?」

「…………。」


 ――アリだな。とか思えたのが何故か少し癪な阿近であった。

 小一時間話し合った結果、仕込み武器はナシにする方向で決まった。重さは変に軽くしたりせず元の程度、見た目や感触は義骸技術を応用して人肌に近付ける。関節は万が一おかしな方向に曲がったとしても壊れにくいように。因みに、伝令神機埋め込み案は採用である。
 阿近は「んじゃね!」と笑顔で手を振る金矢に一礼してから、結局最後まで付き合っていた太と共に病室を後にした。二人しかいない綜合救護詰所の廊下はひんやりと涼しい。外はもう暗くなってきていて、長い廊下の奥まで真っ直ぐ続く蛍光灯の光がいやに眩しく感じられる。そこを並んで歩いていくが、鳴る足音は一人分だけだ。


「ありがとな。克廣はあれで危なっかしいからよ、腕一本になっても無茶はやめねえだろうし?どうせなら二本揃ってなきゃなぁ。ま、良いの作ってやってくれよ」

「当然です。駄目なモンは作りません」

「ッハハ、頼んだ!あぁそれと、一応言っとくけどな」


 太は阿近の猫背を正すように後ろからぽんと一回押すと、何てことない普通の顔で、しかし確と目を合わせてこう告げた。


「監視機器類は埋め込むなよ。技術開発局そちらさんの黒い噂はまぁ聞くからな〜、やったら傑作だろうと叩き壊しちまうぜ?」

「……心配ご無用ですよ、勿論ちゃんと作りますんで」


 目を逸らすことなく答えてやれば、太は「おし」と言って今度は阿近の頭を静かに一撫でした。警戒しているのか、子ども扱いしているのか、実に微妙なところだ。


「あ、沙生ちゃんめっけ。じゃあな阿近、仕込み武器やる気になったら教えろよ!」


 階段に差し掛かった所で外に沙生の姿を見つけたらしい太は、窓を開けると枠に足を掛け、そのまま颯爽と飛び下りていった。阿近はまた呆気に取られて開いた口が塞がらなかったが、取り敢えず窓を閉めることにする。


「太さんて悪い人じゃなさそうだけど……読めないなぁ……」


 喧しいばかりの馬鹿かと思えば、局員にしか分からないような資料もするする解読するし、三階から飛び下りたのに物音ひとつ立てないし、隙が全く見当たらないんだもんなぁ。
 独り言でも律義に矯正された呼び方で言ってやり、忠告通り監視機器類は着けない方が良さそうだと思案しつつ、阿近は暗がりの階段を下りていく。


***


 海燕さんが帰ってからずっと、どうもすっきりしない気分だ。考えても分からないことを考えても分からないし、浮竹隊長を問い詰める算段もやっとついたのだから、その日が来るまで一旦忘れてしまえばいい。それなのに思考は勝手にぐるぐると巡るんだから困りものだ。

 お手洗いに行くとき用に貸し出された松葉杖をついて、病室からこっそり抜け出した。四番隊隊士の目を掻い潜って一階の窓から中庭に出ると、ちょうど烏の群れが頭上を越していった。今日は夕焼けが綺麗なのか、四角く切り取られた空は紅葉のように赤い。
 この中庭は真ん中に一本の立派な橅ぶなの木があって、その木陰には真っ黒な石で造られた椅子(仮)が生えている。というのも、これは椅子というよりか大きな賽子サイコロみたいで、かといって転がそうとしてもびくともしない。なにせ「生えている」のだ。ここを掘ったらけっこう深くまで石が埋うずまっていることだろう。果たして用途は「座る」で合っているのか謎だが、一枚だけ載っかっていた木の葉を何となく手に取り、そこに腰を下ろした。

 父様のこと。母様のこと。浮竹隊長のこと。志波隊長のこと。蒼純副隊長のこと。ハクのこと。
 ――私のこと。

 葉柄ようへいを摘まんでくるくる回しつつ、だんだんと冷えゆく空気を感じながら物思いに沈む。


「…………。」

「よっ。こんなとこで何してんの怪我人ちゃん。風邪ひくぜ?」

「っわ、太」


 不覚、すぐ目の前に太が立っていた。見渡せば辺りはもう夕闇に包まれていて、彼の太陽みたいな赤髪だけがさっきまでの空と同じ色をしている。


「何、と言われても……見たままだよ」

「葉っぱくるくる?」

「うん」


 ……ん?葉っぱくるくるしてるだけってなんだ。私は童わらしっ子か?くそ、適当に返事するもんじゃないな。ちょっと恥ずかしくなってきた。


「ふーん?まいいや、沙生ちゃんにも教えとくよ。阿近が克廣に義手つくってくれるって」

「誰そ……れってあぁ、金矢か」

「あらら?まさか名前知らなかった?」

「いや、単に聞き慣れてなくて。十一番隊じゃ下の名前で呼んでる人いないからさ。でも……そっか、阿近少年が作ってくれるなら安心だね。朗報どうもありがとう」

「どういたしまして。……まだ浮かない顔してんね?」

「……いっぱい考え事しちゃって。知りたいような、知りたくないようなこと」


 私は真実を求めている。しかし同時に拒んでもいる。知らなければ先に進めない気がするが、知れば後には戻れなくなる。どちらも私という個を守るための二律背反、心が二つに割れそうだ。
 無知蒙昧でいた方が“今の私”であり続けることができるのではないか。己の価値観や人間関係が揺らいでしまわないか。これまでの私の人生に、知らない誰かによって新たな意味が加えられるのではないか。自分は何者なのか――その答えとなる鍵を自分以外の人が握っているという現状は、ひどく不安定なものに思える。
 浅学のくせに難しいことを考えてしまい、顔は無意識のうちに下を向いていたが、太はそんな私に視線を合わせるようにして跪ひざまずいた。


「そういうのは多分……知らないでおくことにしても結局気になっちまって、また悩める沙生ちゃんになるだけじゃねえの?今みたいにぽーっと上の空で葉っぱくるくるしてさ」

「く、くるくるはもういいから」


 太は憂鬱なんて祓い除けそうなカラッとした笑顔で続ける。


「知ればいいよ。知ってそんで受け入れたくなきゃ無かったことにしちまえ。それでもなんか困ったらオレを頼ってくれりゃあ掃除洗濯火事炊事、工作拘束諜報暗殺お手のもの、ってね!」

「だいぶ物騒なの混じってなかった?」

「ハハハ!しかしまぁ、冗談抜きで。オレってば忍しのびの申し子みたいなもんだから!」

「堂々言うね……」


 なぁんか戯言に聞こえないんだよなぁ。不思議だ。面識をもって間もないのに、やけに馴れ馴れしくて、でもその割に掴み処がないような。


「沙生ちゃん人脈最強なんだからもっと楽にしなよ。頼れる同期もいることだしな?オレに克廣にオマケで白哉のお坊っちゃんとくらぁ、恐いモンなしだぜ」

「お坊っちゃん」


 しかもオマケ扱いって。恐いモンなしは君なのでは?……しかしそうか、三人は私と同じ入隊試験を受けて今年入隊したのだから同期か。霊術院時代の彼らはどんな風に過ごしていたのだろう。同期といったら、私より何ヶ月か先に更木隊長の指名で入隊したという一角と弓親をまず思い浮かべていたけど……いや、こっちの二人はアレだ。『同類』の方が相応しいかな。


「……ふっ、ふふふ」

「あ、笑った。うんうん、やっぱ女の子は元気でいてくれるのが可愛い」

「かっ……」

「さぁて、オレもそろそろ帰んねえと。メシ抜きで夜間訓練はキツイからな!……じゃあそこの人!沙生ちゃんのこと、あと宜しくお願いしますよ!」


 太はすっくと立ちあがると、私の後方をビシッと指して言った。それから「んじゃまたね」と小さく敬礼し、そしてなんと橅の木の天辺まで垂直に駆け上がり、中庭を上から脱していった。


「やれやれ。君の知り合いは皆ここの窓や上を出入口と思っているのかい?」


 声がした後方に向き直れば、中庭の本来の出入口である戸の前に山田副隊長がいた。彼は星が見えるようになってきた空を見上げたまま、近くの壁に寄り掛かる。


「皆……と言いますと?」

「まず君のところの副隊長殿。それと三席五席はまだ退院許可が出ていないのにここを通って脱走しようとしたことがある。志波家の隊長殿と副隊長殿も、受付が面倒だとかでここから窓に入って勝手に見舞いに行くし、十三番隊のやつも階段より早いとか言って何人か。あとは朽木白哉にさっきの三師だね。そのうち金矢も飛び下りるんじゃないかと思うね」


 想像以上に皆だった!


「それはそれは……しかし多少は大目に見ても……」

「脱走以外はね。それで、君はまだ出歩いていいと言われていないはずだし、『あ』とか言った伊江村につられて見てみれば一階の窓から出てきていた訳だけど。やはりベッドに縛り付けておくべきだったかな」

「ぐっ……それは勘弁してください……」


 初めてここに入院した際の退院前日の惨劇を繰り返すのはご免だ。惨むごいというより惨みじめであったわけだが。山田副隊長の『這縄』を食らうくらいなら、土下座した方がなんぼもましである。


「別に僕は加虐趣味がある訳じゃないからね。あぁでも、君は被虐趣味なんだっけ?」

「違います、断じて違います。……もしかして巫山戯てますね?」


 あれか、今度は二度目の入院時の話から引っ張り出してきたか。そこまでして揶揄ってくるような性格の悪さだと、本当にそういう趣味であると誤解されても仕方ないところがあると思います。その悪い笑みなんて悪魔のソレですし。


「……フ、大人しく戻るならそこまでする気はないよ。あとは、幾つか質問に答えてくれるならね」

「…………?」


 雰囲気が茶化したものから若干真面目なものに変わった気がして、口を挟むのはやめて彼の言葉を待つ。中庭の短い芝生のどこかから聞こえる虫の声だけが、暫し鼓膜を震わせた。


「――楠山。今回の遠征で“桃色の悪魔”と呼ばれる最上級大虚に遭遇したというのは本当かい?」

「……おそらくは。その虚の姿を知る人と一緒に確認したわけではないので、断言することはできません。でも、霊圧や特徴からして、他にあんな個体はいないと思います」

「成程。危うく、本当に縁起の悪い法則になるところだった訳か」


 山田副隊長はまるで自嘲するように口元を歪めて嘆息した。


「それで、奴と会話はしたのかい?」

「ええ、少しだけ」

「……よく生きて帰って来られたものだね。覚えている範囲で構わないから、言われたことを話してくれるかい」

「えっと……だいぶ距離があったうえに、私は死にかけみたいな状態だったので本当に曖昧ですが……『不用意に寄ってくるな』とか……『前にも死神を捕獲しようとしたことがある』とか……『力尽きたら迎えに来る』……だったかな」

「君のことを『昔から知っている』とか、『ずっと狙っていた』とか、『腹いせだ』とか、そういうことは言ってなかった?」

「……言ってなかった、と、思います」

「ふぅん、そう。となると…………ふぅん」


 何だかとても考え込んでいらっしゃる。私のことは置いてけぼりか?一人で納得されると更に釈然としないな。


「……まぁ、災難なことに変わりはないけど、一番の最悪は回避できたってところか」

「あの、どういうことですか?」

「おっと、質問するのは僕だよ。まだ何も知らない今の君に質問攻めされる役はお断りだね」


 んきいぃ……人を見下して笑うのが似合うで賞をくれてやろうか。また緩やかに茶化す方の空気になってきたような。というか、どうして彼にまでそんなことを言われなくてはならないのだ。私が知らない“二十年前”とやらについて知っているっぽい人の中に彼が含まれていたとか、最大の誤算である。これは一筋縄ではいかないぞ。
 「〜ですか?」の形式で話せばまた同じことを言われるに決まっている。それならこう言ってやろう、私も一人で納得してやるまでだ。


「私が色々知ってからなら、少しは答えてくれる気があるってことですね。分かりました」

「勝手に決めないでくれるかい?別にそうも言ってないだろう」


 っきいぃ……駄目だ口じゃ勝てない。このままではいずれ猿と化す。嗚呼、いま猛烈に「剣で一本取ったら〜」みたいな賭けに快くノッてくれる一角や射場さんと喋り倒したい気分だ。なんなら長い呑みにも付き合う。無様な私をアヒャヒャと笑い飛ばしてほしい。


「我が愚弟より苛いびり甲斐があるとか、正直どうかと思うよ」


 何だやっぱり虐めにきてるんじゃないか。加虐趣味はないとかほざいたその口を縫い付けてやりましょうか、とは思っても縛道のお縄につくのは嫌なので黙るしかない。
 話し込んでいる内に、お互いの顔もよく見えないくらい、すっかり夜になってしまった。二階の炊事場からは、味噌と醤油のにおいが漂ってきている。


「さて、この辺にしておこうか。締めに忠告しておくよ。もしまた“桃色の悪魔”やその仲間らしき虚に遭ったら、戦おうとしない方がいい。なにしろ、君を殺すのではなく連れ去ろうという意図なのだからね。真面には相手してこないだろう。そういう敵が一番、やりにくい」

「……奴らを放っておいて被害が出るようなら、私は死神として斬る覚悟です」

「力の差を考えなよ。……君みたいなやつは厭きるほど見てきた。自分を犠牲にして他を守れるならそれで良しとする。けど、庇われて生き残った人間がどうなるか、真剣に考えたことはあるかい?ないんだろう?『お前を庇ったせいであいつは死んだ』とか、言われ続けるんだ」

「なっ……そんな言い方ないじゃないですか。私はそこまで自分の命を軽んじている訳ではありません」

「そうかい?僕にはそうは思えないね。少なくとも、君は人命が懸かっていなかった場合ですら自分を盾にした」

「、っ…………」


 いつも平坦な調子を崩さないあの山田副隊長が、些かとはいえ語気を強めて放った言葉を、私は切り返すことができなかった。


「……まぁ、もう過ぎたことだけれどね。僕が何か言ったからってどうこうなることでもない」

「……なん……何なんですか……やけに、ムキになるんですね」

「仮に、君がまた懲りずに死にかけたとして。運ばれてくれば僕は君を治す。でも、運ばれてこなかったら僕じゃどうしようもないんだよね」

「……は、」

「息絶えてから長い時間が経っていたり、敵に連れ去られてしまっていたら、当たり前だけど僕は治せない」

「つまり『僕が・・治せなくなるから連れ去られるな』ってことですか?」

「そうだよ」


 即答。そうかこの人は――どこまでも自分本位だ。
 呆れるあまりに大口開けて腹は捩よじれて捻ひねくれて、仰け反った体は頭からひっくり返って地面に転げてしまいそう。まぁこれはぜんぶ比喩だけれども。しかし、そんな性分は少し羨ましくもあるかもしれない。変だな私、絆ほだされでもしたのだろうか。何より一番に自分を据えて貫き、他人なんかは至極当然のように差し置ける図太さ、結構、結構。


「ふ、ふふっ。ひひっあははは!ははっ、はぁ、っあ゛ー!……笑かさないでくれます?」

「前にも思ったけど、楠山って笑い方も笑いのツボも随分おかしいよね」

「ははは、誰のせいだと」

「人の所為にしないでくれるかな?」


 笑った序でに天上を仰げば、濃藍に浮かぶ星々が美しく輝いていた。お星様が空から私たちを見守ってくれているのなら、こんなところを見られて恥ずかしいったらありゃしない。あの中に父様がいないことを祈っておこう。
 ガラリ、と何処かの窓が開けられる音がした。ちろりと目玉を動かしてみれば、三階のとある部屋の窓から手を振る人影があった。中の明るさに目が慣れない。何秒かじっと凝らして、やっとその人の顔が見えてくる。


「楠山さん、そんな所にいたんだね。もう夕食の時間だよ。戻っておいで」


 昨日に首の真ん中を横一文字に斬られた人のものとは思えない、優しく朗らかな声が降ってきた。傷痕はもう見当たらない。それだけで、さっきまで澱よどんでいた心も晴れていくようだ。手を振り返して、松葉杖をついてゆっくりと立ち上がった。


「山田副隊長、ご面倒をお掛けしました。大人しく自分の病室に戻りますね。ご忠告は肝に銘じておきます。……それでも、その時になってみないと自分がどうするのか分かりませんが」

「そうかい?君の芯はもう見えたような気がするけれどね。僕には理解できないが、君は体が先に動くってやつだろうから」


 中庭から出入口に足を踏み入れた山田副隊長がこちらを振り返る。逆光の中の彼は意地の悪い笑みを口元に浮かべて、他は殆ど真っ黒な影になっていた。


「生憎、君みたいな馬鹿につける薬は持ち合わせていないんだよね」


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