邪霊か清神か性の蝕

死ぬれば死神
さかみかさかみかしむのむし

 チチチ、小鳥が囀さえずる田舎盆地の昼日中。陽光を浴びる男の真っ直ぐな長髪は、金糸さながらに照り映えていた。
 男は軒下でひっくり返っていた古臭い縁台を頭より高く持ち上げ、それを日当たりのいい土羽どはっ縁ぷちまで運んだ。がさがさとささくれた座板にそのまま座るのは少々躊躇われ、目を薄ら閉じて思案する。


「アーァ……」


 青い苔こけがぼうぼうと陣取り始めた茅葺かやぶき屋根が目に入り、たいそう気怠げな声が漏れた。男は絵に描いた山のような猫背になって玄関に向かい、草履を履いたまま膝立ち歩きで屋内に消えていく。
 暫く経ち、もぞもぞと出てきた男は、仏間から厚ぼったい座布団を掻かっ払ぱらってきたらしかった。そしてさっきの縁台の真ん中にぼんと置き、やっとそこに腰掛ける。


「どォ〜っこいしょ……アァー……」

「ちょっとちょっと!真子シンジ!さっきからまるでお爺さんじゃない!?」

「やかましのォ。ええから早よ切ってくれ」


 男――平子真子は親指と人差し指で握り鋏ばさみを模し、顔の横でチョキチョキと空を切りつつ催促した。乞われた方の男もこれまた長い金髪を揺らしているが、こちらは満遍なくうねっていて、これより何十年か先に現世で発明される即席麺に似ている。


「そんなに憂鬱になるなら、やっぱり切るのやめておくかい?」

「構かめへんて言ゆうたやろ。どうせ貧乏暮らしで手入れもロクにでけへんのやし」

「安い油から手作りした石鹸じゃどうしても限界があるよね」

「せやで。ローズは切らへんのん?」

「悩んだけど……まだこのままでいいかな。ボクは真子と違って、多少荒れて枝毛とかできても誤魔化しがきくから」


 ローズこと鳳橋楼十郎は、自分の髪を紫染ふしぞめの太い紐で束ね直しながら言った。お洒落好きな彼にしては何だか地味なこの紐は、実は別の空き家の箪笥たんすに眠っていた巾着袋から引っこ抜いてきたものである。


「さて、どれくらい切るの?いっそのことツンツンさせてみようか?」

「こ、ここまで伸ばすのにどんだけ苦労したと思てんねや!せめて肩のチョイ下くらいで……!」

「未練タラタラじゃない……でも真子ならどんな髪型でもきっと似合うよ。どれどれ、じゃあじっとしててね」


 ローズは平子の背後に立ち、彼の髪をすくう。「仲間内じゃ一番オレの気持ち分かって丁寧にやってくれそうやから」という理由で指名を受けたのでこうして理髪師の真似事をしている訳だが、あまり自信はない。――この辺りか?いや、もう少し下だろうか?ご希望の長さにしてやるべく、慎重に鋏を入れんとする。


「ん?何やええ天気やったのに急に暗なってき……アァ!?」

「うわあぁ!?言ったそばから!」


 バツン。右後頭部のかなり毛根に近いところから切れてしまった。平子が首の後ろに物を挟めるくらい思いっきり上を向いたせいだ。あと少しでもズレていたら友人の耳を切ってしまっていタタタタタ、ローズの心臓はマーチの小太鼓のように細かいリズムを刻んでいる。


「もう!どうしたっていうのさ!」

「上!空や空!お天道さん隠すほど仰山ギョーサンいてるで!?何やアレ!?」


 ローズが空を見上げると、そこに先程まで広がっていたはずの青空は無かった。類似するものに喩えるなら、それは蝙蝠こうもりの大群。規模を言い表すなら、星の数ほど、といったところか。盆地に蓋がされて上空どこを見ても虚、虚、虚。悪い冗談みたいな光景だった。


「なっ……見たことないよあんなの!何が起きてるんだ!?」

「チィ、こっち下りてこられたりしたら面倒やな……!」


 平子は勢いよく立ち上がり、反動で倒れた縁台がローズの脛すねに直撃しようと左右で頭の重さが何だか違う気がしようと脇目も振らず走った。縁側に土足でダン、と片足を掛けてスゥッ、と肺いっぱいに空気を吸い込む。


「――ハッチィ!!中にいてるか!?今すぐ結界や!!開発途中でも何でもええ、俺らの霊圧やら気配やら遮断できるようなやつ!!」

「は、はいデス!」


 姿は見えないが声は届いたらしい。大きさだけはあるこの襤褸家ぼろやの敷地を囲う様にして、地面から薄黄色の膜が徐々に迫り上がっていく。ハッチこと有昭田鉢玄が独自に開発中の、外側からの認識と探知を阻害する結界である。


「ハゲェ!!うちら中に入れてから張らせんかい!!」


 鬼の形相で突っ込んで来たのは、隣の襤褸家で寝起きしている猿柿ひよ里だ。続いて飛び蹴りしながら久南白が、ハードル跳びの美しい姿勢で矢胴丸リサが、上に伸びていく結界を限々で超えて内側に入ってきた。ひよ里は突撃の勢いを殺さずそのまま平子を打ぶちに行ったが、間一髪のところで避けられる。


「ッぶな!!何すんねん!風圧だけでピリッとしたわアホ!!」

「よけんなハゲ!!……ってナンやその髪型!ぶぁはははは!!」

「やっ、やかまし!あとで挽回してカッコよくなんねや!なァローズ!」

「…う……うん……」

「もうちょいナントカ言ってや……!」


 蹲うずくまってプルプル震えているローズと悲壮感たっぷりに立ち尽くしている平子を不思議そうに見遣りながら、ハッチが縁側から姿を現した。大きな立方体の結界が天井まできっちり閉じたのを確認すると、術のために組んでいた両手をそっと解いて口を開く。


「あの、お三方……先程もし結界の縁ふちに触っていたら、怪我をしていたかもしれまセン……強度はまだまだ改良中デスが、切れてしまう可能性がありマシタ。あまり無茶しないでくだサイネ……」

「心配性やなハッチは!うちがそんなヘマこくワケないやろ!」
「ごっめーんハッちん!でもひよりんの言う通り大丈夫だよ〜」
「そんなら張ってからも出入口くらい作れるようにしときやあ」

「スミマセン……が、頑張ってみマス……」


 気のせいか巨体がいくらか縮こまった。そうして男性三人が静かになっていると、計ったように残る二人がこの場にやって来た。鍬くわを携えた愛川羅武と、手拭いを首にかけた六車拳西だ。


「何だ何だ?こりゃあ大変なことになってんな」

「おい、オマエら巫山戯てるくらいなら畑やれ、畑」

「羅武!拳西!よかった、裏におったんか……それより上や上!なんやのアレ!?見たことないやろ!?」


 気を取り直した平子が両手でぴっぴと上を指せば、二人はつられて空を見上げた。羅武はサングラスの下で目を眇すがめて嫌そうな顔をした。


「ああ、只事じゃなさそうだ。しかし……奴ら屯たむろするばっかりで、なかなか下りてくる気配がねえな」

「人を襲いだすようなら、あたしは出るからね」

「そんなん放っといたらええやろ!もうウチらの仕事やないねんぞ!」

「ヒヨリの言うことも分かるけど……あれだけの虚が向かってきたら、それは寝覚めの悪いことになるだろうし……」

「でもでも、あたしたちまだ虚化を実戦でも制御しきれるか分かんないんだよ?」

「せやなァ。こんな状況で結界の外で暴走したりしたら、マユリあたりにすーぐ見つかってまうやろなァ」

「……拳西サン?どうかしマシタカ?」


 どうするべきかと仲間たちが次々に発言していくなか、彼だけは無言でじっと空を睨みつけていた。「あぁ」と上の空に返事をしてからも微動だにしなかったが、そろそろ首が疲れてきた頃、やっと仲間たちの方を見てこう答えた。


「俺は見たことあるぜ。一度だけな」


――――――


「アラ〜〜これは……嫌な雲海だ」


 同時刻、高い山の天辺にある屋敷の屋根裏部屋の窓から身を乗り出している男が一人。誰に見せるでもなくパッと扇子を開いて口元を隠した。


「麓のお天気、午後からは厚い虚に覆われ行楽には向かない空模様となるでしょう――って、いやぁ……我ながらシャレにならないっスね……」


 さて、この男の知る記録では以前にも一度だけ同じような現象が起こっている。それは1881年1月28日未明、九番隊からの報告であったと記憶している。前触れのようなものもなく突如局地的に発生したそうで、目撃者といえば当時その地区で駐在任務に当っていた平隊士と、その平隊士が慌てて助けを求めた上司のたった二人だけだったとか。技術開発局も伝令神機もない時代で、しかも結局は被害らしい被害もなかったため、事の証拠となるのは二人の証言のみ。そうなると「白昼夢でも見ていたのでは」と真に受けない者は多く、調査も碌ろくに行われることなく本件は流れたという。

 今になってみれば余りの杜撰さというか適当さに呆れてしまうが、一応これにも已むを得ない事情があった。

 その当時、護廷十三隊は別件により混乱の最中さなかにあって、皆その対処に追われていたのである。情報は足りないのに被害は甚大になってゆくばかりで、それに比べれば他のことなど全てが些事といえた。向ける目も傾ける耳も、とてもとても足りていなかったのだ。


「でも……実際、目の当たりにしてみると……まぁ、夢かな〜って思いたくなるのも頷けますかね…フフッ……」


 と、思い出し笑いしている彼もまた、そんな風に手一杯になっていた一人だ。だから現世で怪現象が起きていたらしいと知ったのも随分と月日が経ってからで、暇潰しの一環でたまたま過去の報告書漁りなんてしていなければずっと知らないままだっただろう。目撃者本人の直筆によるそれが『以上、私と隊長が一緒に見た白昼夢の御報告。〜完〜』とヤケクソの殴り書きで締め括られているのを見たときは、申し訳ないながらも噴いた。
 だが勿論、今この目でも見たものをまさか蔑ないがしろにしたりしない。この怪現象が現うつつの実まことであることは疑う余地もない(嘘だ、実はさっきちょっと頬を抓つねっていた)。

 過去のあの日と今日の共通点は?
 または逆算して導き得る仮説は?
 この現象を引き起こす原因とは?

 答えを探しに、暫し思考の海に身を投げる。


――――――


 半刻前、本日午前。所も変わって瀞霊廷内中央一番区、真央図書館。
 ここは死神に限らず区民であれば自由に立ち入り、本の借り出し・閲覧ができる公共の場である。平日のしかも涼しい内から訪れている者といえば、概おおむねお気楽な本の虫――失礼、貴族の子か研究者で占められている。死覇装の黒が見掛けられるのは昼休みか夕暮れ時ぐらいで、それも生真面目そうな一番隊隊士がぱらぱら来るのが精々なのだが、司書は珍しく珍しい死神から声を掛けられていた。死覇装の上に白衣を纏った少年、阿近である。


「すみません、殉職者名簿って何処で読めますか」


 ぶっきらぼう且かつ素っ気ない声。眉毛がない、のに角はある。そのせいで背丈はあまりないのに迫力があって、柄の悪いのとはあまり縁がない司書はたじろいで目を泳がせた。しかし彼女はそこまで小心者でもないらしく、手元の本をぱたんと閉じると、おっとりと落ち着いた声で応えた。


「はい、十番隊十一番隊の合同遠征部隊さんのでしたら、えんばんと……四番隊さん、かい、しもてきなした方の確認もまだ途中で。仕上がっとりゃんのです」

「あ、いや。今月のとかそんな最近のじゃなくて」

「かんにん、しゃーままげたった……ほね、あの通路突き当たるまで行かしゃって、一番奥の棚のはじ……東っかわ……?…あっ、西やわ。ほっこりすまんなぁ、二五八にごはちで……」

「そうですか、どうも。あー……あそこ奥に進みきった棚の左端……で、合ってます?」

「そうそ、あっちねー」


 司書は柔らかく微笑んでピカピカの受付机に肘を突き、横を指差す。あまり聞き慣れない上がり下がりをする緩い話し方は、なんだか阿近の体の力を三割くらい抜いていった。
 阿近がここを訪れた理由は他でもない、“二十年前”について調べる、その取り掛かりである。金矢に義手を作ってやる約束もしているが、あの手の輩(主に一角とか一角とか)は「失っても替えが効く」と分かるとすぐ調子に乗る。着手するのは態と遅らせようという訳だ。


「名簿、名簿……真っ直ぐ行って……」


 自分の背を優に超える棚の迷路。もし急に倒れてきたりしたらぺしゃんこだな、等と可能性の低い危険予測をしながら進んでいく。脇目には『ちょっといいかのォ』と達筆で書かれた背表紙がずらりと並び続き、それは棚を十くらい過ぎた頃にやっと止んだ。妙に圧がある通りだった。多分、表ここに出ていないもっと昔の既刊もあるはずで、全巻だと棚を幾つ占領していることやら。

 ――単行本、別にあんまり売れてないでしょうに。長期連載も総隊長権限かね?

 突き当たりを左に曲がり、シンと静かな本たちに見られているような気になりながらまた進む。
 そういえば、我らが局長も東仙より瀞霊廷通信での連載執筆を依頼されていたが、結局どう転んだのか。あの人はああ見えて毎号隅から隅まで読んでいる愛読者だし、満更でもないのかもしれない。今度さり気なく探ってみるとしよう。


「さて、名簿……この辺りか」


 紙が日焼けないように陽光が遮られているのならまだ分かるが、この一画は蛍光灯からも見放されていた。ひんやりとした温度のない棚は、殉職者たちの名前が眠る棺のようだ。
 阿近はさっそく寄り道とばかりに一番新しい一冊を手に取り、ぱらと捲る。最後尾に書かれているのは今年二月に二番隊隊士が二名。死因が濁されているのが少々気になるが、二番隊であればそういうことも茶飯事だろう、と流し見に留めておく(そこらの案件に首を突っ込むのは色々と覚悟が必要だ)。その前は現世駐在任務で虚に喰われたらしい平隊士が各隊にぽつぽつ。そして昨年六月までくれば、あの魂魄消失事件で欠いた隊長格が並ぶ。中でも特に『猿柿ひよ里』の文字列がどうにも其処に相応しくないように思えた。いったい誰が書き込んだのか、一字一字がやたらと活き生きして見える気さえする。


「……あのうるさいの、殺しても死なんでしょ」


 理不尽を呟きながら棚に戻し、次こそは目当ての年代のものを探すことにする。
「そのデータが作成された1881年1月29日、またその前後に死んだ者を調べると良い。殉職者名簿は一般隊士でも閲覧できるからネ」
 涅の言葉を思い出しながら、棚の適当なところから一冊引っこ抜いては書かれている日付を確認する作業を繰り返す。そうしてだんだん左に上にと遡さかのぼっていき、「大体こんなペースで死んでいる」というのも把握できてきた。ならば二十年前の分はあの辺に仕舞われているだろう――と、分かったは良いが。


「…………。」


 届かない。手が! 届かない! 爪先立ちをして中指をぴんと伸ばしても掠りもしない。今、阿近の脳内では海燕が「ほら見ろ〜寝ない子だから育たねぇんだぜ〜」とか言いながらゲラゲラ笑っている。己が想像の産物ながらキレそうだ。そのとき、近くに踏み台でもないかと振り返った阿近の目にはとある人影が映り込んだ。


「こっ……小鬼」


 こっち見て間抜け顔で突っ立っている死神がいる。軽く睨むと、そいつの撫で付けていた寝癖が丁度ぴょんと戻った。阿近は察した。こいつもまた厄介人間の部類だ、と。


――――――


 再三と所は変わり、こちら今度は虚圏ウェコムンド。
 天蓋もない城の玉座に御座すのは、この世界の神であり王である。王は、常と違って静けさが潜ひそめられた砂上――つまり言ってしまえば至上に騒がしい砂漠の有様を、杯を片手に眺めていた。


「クソ!クソクソクソクソ!!ア゛ーーーッ゛!!ああ…ぁ……クソ!!どいつもこいつも!!死ね!!」


 王に鼓膜があったなら、疾うに劈かれていたに違いない。谷を超えた先の遠く離れた地点から、まるですぐ隣にいると錯覚させるくらい大音量の奇声が絶え間なく聞こえてくる。そして何やら粉塵と血風も漂ってきた。それらの発生源、手当たり次第に悉くを滅して暴れているアレは、ザエルアポロである。
 戦いでは滅多に本気を出さない彼だが、何か気に障ることがあって癇癪を起こすとああ・・なる。とはいっても、霧か靄みたいに不確かに揺れる何かで体が分厚く覆われているようなので、姿を確認するのは困難だ。人型を保っているかも分からないし、大きさだって変異している、かもしれない。濃い霊圧が湯水どころか激流の如く広範囲に放出され、片鱗でも触れてしまえば形あるものは総じてミクロの砂粒に変えられる。もうこれは天災みたいなもので、流石の王でも施す手は“放置”一択だ。時を以て鎮まるのを待つのみ。


「貴様等程度が此処にいれば直に潰されるぞ。そのまま儂に身ごと供きょうする気か?」


 王は傍に控えている配下たちに目もくれぬまま、呆れたように言った。彼らのように比較的強い中級大虚アジューカスであっても、この距離で皮膚を掻いてくる禍々しい霊圧にはこれ以上耐えられそうもないからだ。
 窺うような沈黙のなか、やっと口を開いたのは大きな牙をもつ虎に似た姿の虚だった。


「しかし……これしきの圧にも抗えず、陛下を置いて逃げる、など……」

「くだらん意地じゃな。いて何になる?賑やかしなら彼奴きゃつだけで飽くほど間に合っておるぞ。無駄に死ぬのが望みと抜かすのであれば別に構わんが」

「……いいえ。陛下に仕え続けることこそ我等の喜び、望みでございます」

「ならほれ、さっさと行かんか。アレはそのうち勝手に冷えて大人しくなる。儂も誰も出る幕じゃアない」

「では……暫しお傍を離れます。不甲斐ない我等をお許しください」

「行った先で羽目を外すでないぞ。死神共と全面的にやる頃合いでもないからな」

「はっ。徹底いたします」


 王の配下たちは深々と首こうべを垂れると、牙で空を裂くようにして開いた黒腔ガルガンタの奥へと消えていった。


「小童こわっぱが滓カスになって戻ってきたかと思えばこれだ。手に負えん。しかし……前回よりは、まだマシか」


 王は追憶する。嘗てもああなったザエルアポロの今以上の荒れ様と、その原因となった死神の散り様を。とうとう誰の麾下にも加わらなかった美しい虚の最期と共に、鮮明に。


――――――


「へ〜それで殉職者名簿なんか。いやぁごめんねなんか、君からはさ、なんかこうすっご〜く良いネタもってそうな感じがバシバシして」

「はぁ……じゃなくて。もういいすか、それ」


 阿近は相手の手中にある殉職者名簿に目を遣った。悪びれもせず目当ての一冊を質に取ってにこにこしているこの人物は、瀞霊廷通信編集部の甘竹あまたけ梓弦しづるである。手が届かない様子を見て親切に取ってくれたのかと思いきや、急に「名前と所属は?」とか「技局の人っていつの間にか湧いてたけど前は何処いたの?」とか「涅局長のすっぴん見たことある?」とかあれこれ質問してきたのだ。のらりくらりと誤魔化していたら「で、なんでコレが要るのかな?」ときた。答えるのが面倒で逃げたくなっていた阿近だったが、もしかしたら何か手掛かりになる話を聞けるかも……という可能性を無視できず、「二十年前のある事件について調べている」と正直に答えたのだった。好奇心には勝てない性だ。しかし、甘竹は何もぴんときてなさそうに見える。


「二十年前って何年だっけ?えー、今が1年だから……81年?あー……」

「だから、貴方も知らないならもういいでしょう。それ返してください」


 情報が貰えないなら用はない。阿近は予備動作抑えめで跳んで彼女から名簿を奪い返そうとしたが、二回連続でさっと躱された。とろくさそうなのに意外と反射神経が良い。


「少年、その年の何が知りたいのか知らないけど、調べるのはなかなか骨が折れると思うよ?」

「はいはい、いいからほっといてください」

「だってあの一夜でたくさん亡くなったもんねぇ。志波隊長とかもさ……」

「はいは――……なんて言いました?」

「いやいや、“桃色の悪魔”の事件はもちろん知ってるでしょ?だからその年の何か別件を調べるとなると、色々と情報は埋れちゃってるんじゃないかなーって……当時のボクの報告みたいに、なーんて……」

「それです」

「え?ボクの?」

「違います。悪魔のことが知りたいんですよ。ちょっとでも何でもいいので教えてください」

「う、うそォ。あの日のこと知らないなんて、君ってば当時どこに潜もぐってたの?それとも意外と現世で死にたて……とか?」

「俺のことはいいですから、ハイ、あっちに座って話しましょう。それとも外で一服おごりましょうか」


 目に喜色を宿してせがんでくる阿近に、今度は甘竹がたじたじになる。けれども、そんな風になるのはきっと知識欲と探求心の化身である証左で、どこか自分と似ている気がした。ネタ探しのためにぶらついていたのにまさか提供する側になろうとは思ってもみなかったが、これはこれで良い縁となるかもしれない。


「ふーん?……仕方ないなぁ、付き合ってあげようじゃないか。その代わり、今後ネタ提供よろしく!」


――――――


「むぅ…………おや?おやおや」


 男がふと思考の海から浮上すると、眼下には先程よりまた少し虚が増えていた。それも、霊圧を探るに中級大虚級だ。あのクラスの虚が現世に出てくることはまずない。何故なら、中級大虚とは他の魂魄を多量に取り込み続けなければ下級大虚ギリアンへと退化してしまう存在だからだ。退化を恐れる彼らには、現世で人間の魂魄を一つずつちまちまと吸うより、一体で数百から数千の魂魄を有する虚圏の同類を喰らう方が、効率としても見合うのである。
 となると、考えられるのは已むを得ない退避。虚圏で強者による激しい争いが起きているか、何者かが荒ぶっているか。

 ――答えは実は単純で、巻き込まれると死んじゃうんで挙こぞってコッチに逃げてきた、てことなんスかねぇ。

 次に、彼らがこの近辺に集中している理由。それは「ここら一帯が今の“重霊地”だから」でだいたい説明できる。霊なるものとして、引き寄せられる何かがあるのだろう。しかし、一向に下りてこない理由まではよく分からない。

 ――あそこにいるリーダーっぽい虎型の彼に訊けば早そうですが……危険ですし、やめときまショ。

 過去、便宜上“桃色の悪魔”と名付けた最上級大虚ヴァストローデが突如複数の大虚メノス級を率いて流魂街を急襲したとき、戦いは各地で丸一日以上続いた。現場中枢にいた者たちに聞いた話から推測すると、奴が尸魂界ソウル・ソサエティから退去した後も、虚圏の方で大規模な戦闘が続いていた可能性が高い。過去のあの日と今日の共通点は、恐らくそこだ。
 現在、虚圏はあれだけの虚が逃げてこなければならないような悲惨な状況に陥っているのだとして、そんな状況を創り出せる程の力を持つ個体もまた限られているだろう。知る限りでは、やはりそれも奴だ。すると、逆算して導き得る仮説は「またあの“桃色の悪魔”が暴れている」となる。
 詰まるところ、この現象を引き起こした原因とは――


「死神風情・・・・にまたもしてやられた、とか?……アレ?じゃあボクのあのファイル、とっくに涅サンに見つかって……」


 ……こ、玲瓏山ここに来てすぐあのカメラに細工しといて良かったぁ〜!

 去年の今頃の自分を褒めてやりたい。なんだか無性にバタバタ動きたくなって、暑くもないのに持っていた扇子でバサバサ扇いだ。そしたら窓際にある落下防止の手摺りに引っ掛けてちょっとボロになった。数秒前の自分を諌めてやりたい。
 それはさて措いて。ひとまず引っ越しについてはまだ考えなくても大丈夫だと分かったが、彼の心配事は他にもあった。藍染惣右介が虚化実験を行い、自分が濡れ衣を着せられたあの夜・・・、あの場で言葉を交わすことが叶わなかった人。ある一つの特徴を失っていたために、認識するのが一瞬だけ遅れてしまった、あの子のことだ。


「沙生チャンは無事っスかね……あ〜あ、夜一サン早く戻ってこないかな……」


――――――


「おう戻ったぞー」

「何が『戻った』だ、此処は貴様の巣じゃないんだヨ!恭うやうやしく『失礼します』と入って来給え」

「お前……そんな調子でずっとカリカリしてて疲れねぇのか?ほらよ、採寸してきたぜ」


 有って無いような定時をちょうど過ぎた頃の技術開発局内、とある奥まった実験室。
 やれやれと肩を窄すぼめた一心は、幾つか数字の書き込まれた紙をピッと放って涅に寄越した。


「ったくよーなんで忙しい俺がこんな雑用しなきゃなんねぇんだか」

「早急さっきゅうにどうにかしろというのが総隊長殿のお達しだろう?その役目は、あの状態の奴に近付いても平気な者で――」

「そりゃ俺は更木の霊圧なんか屁でもねぇけどよ」

「コンマ粍ミリ単位で正確に巻き尺を扱える器用さを持ち――」

「まぁ、狛村とか東仙にゃ確かにちょっと厳しいか……?」

「不健康であったり不真面目なせいですぐに取り掛かれない・取り掛からない者は論外」

「なに?急に浮竹さんと京楽さんの悪口?」

「そして、私が顎で使っても問題にならなそうな者が望ましい」

「何考えてんの!?俺!隊長!お前!隊長権限代行!だ・い・こー!」


 一心は自分と涅をビシビシと交互に指差して地団駄を踏んだ。涅は無視を決め込んでいる……割には、寄り目になって舌を出して煽っている。そんな上司二人を遠巻きから眺めている局員たちは、苦笑いしつつ内心では飛び火が降りかかってこないことを全力で祈っている。


「あんま変顔ばっかしてっとそういう顔になんぞ!……にしても、よくこんなモン考えるなぁ。バケモノに霊圧を喰わせるんだろ?」

「ハ?我ながら単純で何も面白くない発想だヨ。昨日、奴の副隊長が勝手に入り込んで菓子を貪り喰っていたのを見て浮かんだだけだ」

「ふーん……でも目ェ怪我したわけでもねぇのに眼帯って邪魔そうだな」

「奴の希望だ。戦いで自らに枷をし霊圧も抑えたいのなら、目玉の一つでも刳くり抜けば良いと思うのだがネ」

「おっそろしいこと言うなよ……」

「五月蝿いヨ。これから作業に入るんだ、呉々も邪魔しないでくれ給え」

「へーへ、あばよ」


 一心は踵を返し、涅の視界から外れたところで口を思いっきりイーッとさせた。おまけにお尻もペンペンしておく。


「……何してるんですか」

「うっわびっ、ス、ストレッチ!お前もっと気配だして歩け!」


 一心の背後にぬうと現れたのは山田清之介である。「見られてちょっと恥ずかしくなるくらいならやらなきゃいいのに」と書かれた顔で、そのまま横を通り過ぎていった。


「涅君、ちょっといいかい?」

「……君が此処に来るとは、珍しいこともあるものだネ。用なら手早く頼むヨ」

「此処の方が設備があると思って。皮膚の培養をしたいんだ。場所と道具を借りてもいいかな」

「隅の実験室なら空きがある。勝手は分かるだろうし、好きに使えばいい」


 一心は中腰の中途半端な姿勢のまま清之介を見遣る。相変わらず喜怒哀楽の分かりづらいやつだ。
 「皮膚の培養」と聞いて、一心には心当たりがあった。春に沙生が入院していたときにも、こいつはそんな話を少ししていた。結局は回道で事足りたから必要なくなった、とも言っていたが。


「それって前に言ってたやつか?人工の皮膚を移植してどうとかいう」

「覚えていらしたんですか。そうですよ、僕も初めてやってみるんですが」

「初めてとか聞くと不安になっちまうな……楠山のなんだろ?やっぱ今回の怪我……」

「今の所、軽く動く分には大丈夫そうですけどね。放っておけば後々に響きます。命を落とす確率は下げておきたいでしょう?」


 さらりと言ってくれる――と思ったが、少しばかり怒気が含まれていた気がした。「おや」と思って表情を盗み見てみるも、別にいつもと変わらない。簡素なこけしみたいだ。気がしただけで、気のせいか。一心は今度こそ実験室を後にしようとする。


「ん……悪わり、けど頼むな。よっ!山田大先生!」

「……はぁ。そういうノリ、しないではいられないものかい?」

「いやさ、お前が敬語だとむず痒がゆくってよ……」

「局長〜!例の最上級大虚が、また――志波隊長!?」

「うおっ危ね、今度は何だ?」


 走って滑り込んできたのは久南ニコである。戸口から入ってすぐの場所で、出会い頭にぶつかるところだった。奥にいる涅はまた盛大に溜息を吐き、渋々と言った様子でそちらを振り返る。


「ハァ……奴が、また物見遊山に来たのかネ?何処にだ」

「はい、それが……北流魂街の辺鄙へんぴな山の方に出たらしいのですが、一瞬のことで今は何処にも……各観測機器が設置されている場所からもとても離れていたので、正確な地点もまだ……鵯州が割り出しています」

「全く以て、可笑しな事をする奴だヨ。あまり意味のない奇怪な行動を取られると、上に一々報告するのが面倒なんだがネ」

「んー、何だろうな。ゴミ出しとか?」

「えっ、現世でいう汚物掃除法違反をしにわざわざ……?」

「……久南、そいつの言うことを真面に聞くんじゃないヨ。莫迦が伝染うつる」


 一心が頭上にハテナを浮かべて「じゃあ小便?」等と引き続き頓珍漢なことを言っている脇で、清之介はひとり静かに考え込んでいた。神妙に「違うと思います……」と返している久南の律儀さには感心するが、二人の会話を遠慮なくぶった切る形で問う。


「……今出ている五番隊との距離はどうなんだい?」

「あ、はい。藍染隊長たちが野営されている地点からは随分と遠いです。あの辺りだと、一般の魂魄もあまりいないかもしれません……」

「ふうん……ひとまずは良かったね。鉢合わせすることにならなくてさ――」


 清之介の発言を聞いて、一心はまた彼の顔をじっと見た。そしたら今度は気付かれて、ばちりと視線が交わる。目が笑っていないくせに、口元は弧を描いているから不気味だ。


「皮肉かよ」

「いや、別に?」


 一心には「僕みたいに」と聞こえていたのだが、空耳だったらしい。


――――――


 静寂な森の中で、無地の外套が三つはためいている。ところが、その存在が無いものであるかのように、近くを野兎が通り過ぎていった。囲う木々の上にある巣に帰ってきた親鳥も、鳴き声をあげやしない。


「成程、これは面白い。こちらに出てきて早々に地味な布を投げ被せられた時には何かと思ったが、こういうことか。姿や霊圧を消す技術は僕でも研究途中なのに」

「先程は失礼をした。だが、こうして会っていることを誰にも気取られたくないのでね」

「へぇ?」


 ザエルアポロは、目の前に立つ男を見定めるようにして足元から頭頂まで視線を這わせた。こうすれば大抵の生物は恐れ慄くのだが、まるで微動だにしない。昼下がりのコーヒーブレイクと何ら変わらない、とでもいうような態度でそこにいる。


「後ろにいる君。君だろう?僕の録霊蟲の前で見せつけるように仲間殺しをしていたのは」


 前に立つ男と比べれば背が低いもう一人に向かって声をかけた。彼は人を食ったような態度でニヤニヤとするばかりで、何も言葉を発さない。それでも、ザエルアポロは不機嫌にはならなかった。

 ――この僕を前にしてそんな風にしていられるのは、評価しようじゃないか。

 先刻、見境なく大暴れして存分に鬱憤を晴らしたので、気分がすっきりしているというのもあっただろう。この悪魔を相手取って何の害も被らずにいられるかどうかは、運が大きく左右する。彼らには運も味方したという訳だ。


「映像は見てくれたようだね。既にお分かりと思うが、あれは我々が研究している“死神の虚化”だよ」

「あぁ。どの被験体も、自らの急激な変化に耐え切れず死んだようだけれど。でも、一匹は惜しかったかな?」

「胸を張れる成功例を示せなかったのは、こちらとしても心苦しい。それでも、まずは君のような見識ある虚に会って話をしてみたかったんだ」


 先月――九番隊が遠征に出た際、東仙が山中で僅かな霊圧を感じ取り、超小型虚ともいえる蟲・を発見した。報告を受けた藍染は、それを知能の高い個体が扱う記録道具の一種であると推測した。近頃は映像庁や技術開発局も似たような物を扱っているからだ。以前から虚と手を組むことは考えていたが、その蟲を発見したことによって、直接交渉が現実的となったのである。藍染が働きかけるより先に、息のかかっていない部隊と目的の虚が邂逅したことは予想外であったが、最終的にはこうして漕ぎ着けることができた。
 ここ最近になって急激に増えた“固有能力をもった虚”たちと、数体確認されている極秘の存在“破面アランカル擬もどき”。それらは、きっと自然発生したものではない。彼らを生み出した親玉がいるはずだ――死神の虚化を研究していた藍染は、虚の側にも虚の改造・強化を目論む者がいると直感していたのだ。


「死神と虚の境界を取り払うことで、その魂魄は霊圧・身体共に大幅に強化される。死神の虚化、虚の死神化……君も、高みを目指して私と同じような研究をしているのではないかな?」

「死神にもその考えに辿り着くやつがいたとはね。それで……僕と手を組みたい、というのかな?こんな外套を作る技術があるなら、そんなことをしなくても君たちには難しくないように思えるけど?」

「残念ながら、それは我々が作ったものではない。我々と敵対する優秀な科学者が、誰からも隠れて開発していた代物だ」

「敵、ねぇ。将来的には、何を敵として闘うつもりだい?虚と手を組み、護廷と死神に反旗を翻すのかい?」


 お互いに微笑を浮かべて腹の探り合いだ。外套の作用で三人は姿も霊圧も外界から消しているが、動物の第六感とは強あながち馬鹿にできないもので、辺りにいた動物たちはいつの間にかいなくなっていた。


「――私の上に立つ者、すべてだ」


 男は揺らがず、どしりと言い放った。特別大きな声でもなく、霊圧も消えたままであるのに、ザエルアポロは肩を抑えつけられたような圧を錯覚した。本能で風格を感じずにはいられない。


「……あぁ、こう言うと、気分を害してしまうだろうか。もし君が、力を得て虚圏の頂点に立ちたいというのであれば、それを邪魔したりはしない。約束しよう」

「フ……フフフ、誤解しているようだから言っておくよ。僕は別に、強大な力を欲している訳じゃあない。形ばかりだが、今は虚圏の王の下についている立場でもある。そのことに不平も不満もないし、今後も覇権を争ったりする気はないんだ」

「そうなのか。では、今度はこちらが尋ねよう。君の最終目的は?何を目指しているのかな?」

「決まっている。“完璧な生命”だ!僕は、死すらも過程の一つとし、死によって存在を分断されることのない、循環し続ける生命となる!そのためであれば僕はどんな手も使う。逆に言えば、それさえできれば僕は上に立たずともいいのさ」


 即答で言い切ったザエルアポロは、両手を挙げて満足気に夜空を仰いだ。故にこの時、対面している男の目に蔑さげすみの色があったことには気付けなかった。
 ザエルアポロが理想とする生命の循環と、男が愛している生命の歩みは、まるでかけ離れている。死によって存在を分断されることがなくなれば、なるほど生命は死に対する恐怖を克服し、悠久の時を流れてゆけるだろう。しかしそうなれば、生命は恐怖に立ち向かう勇気を忘れ、進化の機までも永遠に失うだろう。ある同じ段階を循環ループし続け、次の段階に歩すすむことをやめるのは、生命としてこの上ない堕落だ。一瞬とはいえ発作のような嫌悪が表情に出たのも仕方のない事だった。然りとてこれ以降はそんな内心を噯おくびにも出すまいと、歓迎の姿勢を演じてみせる。只々、目的のために。


「ならば、お互い不都合はない。どうだろう?我々に協力してくれるかい?」

「良いだろう。その代わり、こちらの要求もある程度は飲んでくれよ?……僕は虚の死神化を研究する。君たちは死神の虚化を研究する。お互い完成とまではいかなくても、せめて及第点を与えられるくらいの成功を遂げてから、改めて話をしようじゃないか。住む世界が違うんだし、そちらとしては頻繁に会うと危ない橋を渡ることになるんだろう?」

「ああ。それでいい。どうしても連絡が必要な時には、また蟲を通じて君に呼びかけよう。……君のことは、何と呼んだら良いかな?僕は五番隊隊長、藍染惣右介だ」

「ザエルアポロ・グランツだよ。呼び方はお好きに」


 ザエルアポロはたおやかにくるりと回り、深々と一礼して恭順の意を示す。


「是非とも良い関係を築いていきましょう。藍染様・・・」


 月の光の下で、道化が嗤っている。


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