止め柝の打たるる前の廉

死ぬれば死神
とめきのうたるるまえのかど

※以降、話中の各所にある『追想』から登場人物たちの昔話を聞くことができます。見つけたら押してみてください。




 明るい灰色の日が続いた。どんより曇天という程ではないけれど、見えそうで見えない空の先。花瓶の縁にもたれている黄色い禅庭花も、「あったかい太陽が恋しいよう」としょんぼりしているようだった。それでもこの一週間、私は君の華やかさには励まされたとも。
 着替えや見舞いの品を鞄に詰め終わり、もうじき花生役目を終える花に再び目を遣った、ときだった。

 ぼうっ、と。
 黄色い禅庭花は白焔に掠われていった。


「…な……なんで……?」


 見ただけだ。燃やそうとか意識したつもりは全くなかった。入院中にいちばん長く一緒にいたから情でも移したか、たかが花一輪、されど花一輪。突然なくなってしまったことに動揺して、伸ばした右手は空になった花瓶にも触れ損ねてさ迷う。

(ハク――)

 相棒なら何が起きたのか分かるかもしれない。心の内で問おうとしたが、コンコン、と戸を叩く音に気を取られた。無視するわけにもいかないし、落ち着かないけどひとまず後回しだ。


「はい、起きてます。どうぞ」

「卯ノ花です。おはようございます」

「おはようございます。……本当にお早いですね、あの、どうかなさいましたか」


 只今、朝の五時を回ったところである。外も廊下も私たちの他に人気はない。お叱りを受けるような心当たりといえば今回は一つだけ、許可を得ず中庭に出たことくらいか。考えている隙にも、彼女はにこにこと微笑んで歩み寄ってくる。訳も分からないまま緊張して、体が勝手に叱られる体勢に入った。


「ふふ、そちらこそ。帰る準備はもうばっちりのようですね?」


 卯ノ花隊長は私の手元から鞄を取り上げ、机の隅に置きなおした。それから近くにあった白い丸椅子に腰掛けると、貴方も座るようにと手で促してくる。彼女の意図が読めず、思いの外かたそうな掌と御尊顔を交互に凝視しては目を屢叩しばたたくことしかできない。


「そ、そんな……腰を据えるほどですか?」

「あら、なんのことでしょう?」


 お互いにきょとんとして見合っていると再び戸が叩かれ、今度は御厨さんが入ってきた。彼女はまるで「こんな状況になっていることはお見通しでした」とでもいうようにウフフと笑っている。そして熱いお茶を淹れた湯呑を二つ、お盆ごと棚の上に置くと、何か言い残すこともせず出ていってしまった。


貴子たかねも同席しても良いと言ったのですが……今日は譲ってくれるようですね。はい、どうぞ。熱いのでお気をつけなさい」


 差し出されるまま徐にお茶を受け取る。そしてそのままぼうっと立ち尽くしていたらどうやら見兼ねられて、卯ノ花隊長はまた私の目の前に立った。さっと挙げられた右手に思わず身構えたが、その手は優しくぽんと頭にのせられた。左右にさすさすと……な、なな……撫で……!?卯ノ花隊長に撫でられている!?


「ふふ、そんなに丸い目をして声を呑んで、おかしな子ですね。何度か死線を超えてきたと聞いていますよ?それなのに、そう可愛らしくては……ふふ、ふふふ」

「う?ぇ、えっと」

「沙生さん。大きくなりましたね・・・・・・・・・

「……ほ…」

「さぁ、お座りなさい。今日も早い内にお迎えが来るのでしょう?それまでは、私がお時間をいただきますね」


 どういう話なのか少し見えてきて、私は漸く腹を据えて腰を落ち着けた。一方、卯ノ花隊長は「さて何から話しましょうか」と浮き立っていらっしゃる。


「では、いきなりこれを渡してしまいましょう」

「それは……?」


 彼女の懐から出てきたのは桐の小箱だ。特に封はされていない。その中身とは、いったい――


へその緒です」

「へ?」

「そう、臍の緒です。貴方と干歳ひとせさんの」


 どうしてあなたが、なんで母の名を、何故それが此処に?
 確かに私の知りたい話に係ることには違いないが、どうも何段階もすっ飛ばして頭から核心にぶつかった気がする。しかし、彼女は私に心の準備をする猶予もくれない。
 お茶を濁さず、勿体も付けず、彼女はとある過去を語り始めた。



 話の内容がそういうものであったから、卯ノ花隊長はつられるように表情をころころと変えながら語ってくれた。特に『御見逸れしました』の下りでは、恐いくらい綺麗な笑みを浮かべていた。当時、これの本元を実際に向けられた浦原元隊長の心中をお察しする。
 私にとって浦原元十二番隊隊長という人は、藍染隊長に陥れられてしまった元隠密機動の何だか凄い人……というだけだった。ところが話を聞くと、私の父様とずいぶん親しかったみたいだし、私が無事に生まれるよう尽力してくださった恩人ではないか。

 たった一度きり顔を合わせた、あの夜。彼の手から逃げていなかったら、私は今頃どうしていたかなぁ。
「なっ…誰っスか!?いや、ちょっと、待っ……」
 豪快にぶつかっておきながら、一言謝ることもできなかった。それに今になって思い返してみると、あの時の彼の言葉尻からは、不審者を捕まえようというよりも、知人を引き留めようという感じがし……てなくもなかった。私の正体が“天鷹サンの子”であることに気付いたのか、どうなんだか。
 いつか彼に再会することができたら、まずは謝りたいと思う。それから感謝も伝えて、あとは父様との思い出話をお聞かせ願いたいものだ。


「私……現世ではなく、尸魂界が出生地だったんですね」

「ええ。霊子変換器を通った干歳さんをこちらに招いて、私と浦原三席とで容体を診ていました」

「でもそんな風にこっちに来てしまったなら、母様は“旅禍”ってことには……?」

「あら、入隊試験のためによく勉強したのですね?厳密に言ってしまえばそうなります。ですが、その辺りも浦原三席は用意周到、そして巧妙でした」

「な、なるほど。コッソリの達人……あの……卯ノ花隊長は、もし浦原元隊長にまた会ったら……どうされますか?」

「彼は今や大罪人です。見つけた場合には、それは直ちに捕らえなくてはなりません」


 卯ノ花隊長は淡々と述べた。それはそうだ。彼が無罪であると知っているのは、藍染隊長に東仙隊長、市丸副隊長といった黒幕と、虚化の被害に遭った皆さん、そして私という極微力な一隊士。藍染隊長の能力が厄介すぎるせいで、対抗できる打開策は未だ無し。分かってはいたことだが、些か気落ちしてしまう。


「沙生さん」

「はっ、はい」

「捕らえなくてはなりませんよ。見つけた場合には。ええ。もし、見つけた、場合、には……ね?」


 何とも態とらしく、切り口上のように、一語一語をゆっくりと。同じことを繰り返し言われただけなのに、彼女の隠された意思は十分に伝わった。少なくとも「乗り気で嗅ぎ回ってしるしを挙げてやろう」とはお考えでない。お互い瀞霊廷内で下手なことは言えないけれど、それで十分だ。私が頷くと、彼女も小さく頷き返してくれた。
 姿をくらました彼がどうしているのか、今でもふとした時に心配に思う。が、きっと無事でいるだろう。四楓院元隊長に握菱元大鬼道長という心強い味方もいるはずだし、何処かでうまいことコッソリしているに違いない。


「産後、大事をとって貴方も半年程はこちらに暮らしていたのですよ」

「そんなに!?んー……残念ながら覚えていませんね……」

「ふふ。それはまあ、赤子でしたから」


 卯ノ花隊長は片手でそっと口元を隠して上品に笑った。向けられる眼差しには慈愛がたっぷりで、どうにもこそばゆい。


「ち、因みに何処にいたのでしょう?いくら何でも、半年も廷内にいたとなると……バレてはいけない人にバレたりしませんでしたか?」

「そうそう、そのことですけれど。実は、瀞霊廷内でも全く人が寄り付かず、いつも閑古鳥が鳴いていて……そのうえで、人が暮らすのに不便でなく、何かあれば私もすぐに駆けつけられる……という、打ってつけの場所があったのです」

「……その場所とは?」

「十一番隊舎の女性棟です。あの頃は草鹿副隊長もいませんでしたから、本当に空っぽで」

「ウチですか!?というか……あれ?あの、もしや」


 初めて棟に足を踏み入れた時のことを思い出してみよう。空っぽの部屋がずらりと並ぶなか、一つだけ様子が違っていた部屋があったのではないか。そこまで骨董品ではなさそうな鏡台、衣桁、火鉢、文机といった家具が、何故か……そう、何故か揃えられていた部屋が。


「入隊試験を受けた貴方が、そのまま彼処に落ち着くことになった……と耳にしたときは、驚かされたものです。あの家具一式は元々貴方が相続すべき物ですから、今後も遠慮なく使ってくださいね」

「はい、あっりがとうご、ござます?」

「まあ、一度に詰め過ぎたかしら。楽になさいな。お茶もどうぞ」


 って私は折箱のお寿司か何かで?……はぁ、はぁ。いや。驚いて混乱しかけてどもってしまった。落ち着こう。しぶいお茶、おいしい。


「――そういえば先程、御厨さんも、と……彼女も関わっているのですか?」

「貴子は……当時は十二番隊に所属していたのですが、少々問題児で。そのとき彼女の上司だった桐生きりお――今は王属特務にいる曳舟桐生隊長が、少しお節介を焼いたのです。赤子の誕生と成長を近くで見て、その尊さでも学ぶと良い、と」

「桐生さんという方も私のことを知って……というか御厨さんが問題児、ですか?とても想像がつきませんが……」

「貴子も貴方の耳にはあまり入れたくないことでしょうね。これより詳しいことは、私も口を噤むとしましょう。貴子本人が貴方に話そうと思える日が来るのを、どうか気長に待ってあげてくださいね」

「……はい。分かりました」


 お料理上手で仕事もデキる、あの才色兼備の御厨さんが問題児とな。綺麗な花には朿がある、とかそういうのではなくて?ううむ、人の過去とは分からないものだ。
 でもこれで、私が四番隊のお世話になる度に担当医が御厨さんであった理由もよく分かった。万が一というとき、私の出生の事情を把握済みの人であれば、柔軟に対応できそうだ。


「浦原元隊長と、卯ノ花隊長と、桐生さんと、御厨さん……その他に、私と母様のことを知っているのは何方どなたですか?」

「妊娠中の干歳さんがこちらに来た時点では、それで全員ですよ」

「えっ。私はてっきり、浮竹隊長や志波隊長――今の、ですけど。他にももっといらっしゃるものと……」

「貴方が生まれてから、そして現世に帰ってから……といった時期に、天鷹さんから明かされた方なら何人かいらっしゃるようです。その辺りは、当人たちに直接訊いてみると良いでしょう。私も仔細答えられる自信はありませんし」

「そうですか……」

「あぁ、でも……よろしいですか?これから言うことを、よく心に留めておいてください」


 卯ノ花隊長は一度きゅっと口を締めると、真っ直ぐに私の目を見つめた。真面目な雰囲気に、自然と背筋が伸びる。


「貴方のお父様は、優しく、強かで、義を愛する立派な御方でした。偶に変な所で不器用だったり、隠れて規則を破ったりもしていましたが……」

「はは……はい……」

「彼は五大貴族の志波家に生まれました。しかし、その人生は決して安寧ではなかったでしょう」

「先にも少し仰っていた、『差別されてきた』……というお話ですか?」

「ええ。迷信、悪習、未知のものに対する恐怖――そういったものは、時に人々を狂わせます。天鷹さんは、その矛先を向けられてきました。突き立てられたこともあったでしょう。現在でも、風評に惑わされて彼を厭う者がいます。辛いでしょうが……貴方が天鷹さんの子であると公にするのは、あまり賢明ではありません」

「はい……」

「けれど。それでも――」


 卯ノ花隊長は、やや下を向きはじめていた顔をゆっくりと上げた。そして、まるで花が咲くような、おひさまみたいに穏やかな笑顔をみせた。


「どうか、貴方は誇ってください。自分のことも、お父様のことも。お父様を愛した、お母様のことも」

「はい。……はい、勿論です!」


 父様のことは本当に朧気にしか覚えていない。「十」の背中と、優しい笑顔だけ。顔の左半分に大きな痣があって、左目には瞼を閉じると上下が繋がる傷痕がある。両の瞳は血のように赤くて、下睫毛はちょっと長め……そうか、下睫毛は志波の血か。そりゃあの椿色の最上級大虚ヴァストローデも間違えるわ、海燕さんも下睫毛だもんな。そこんとこ、私には色濃く出なかったようだが。
 父様と交友があったと思われる人達は、今のところみんな私に優しくしてくれる人ばかりだ。「あの人の子だから」と、多分それだけの理由で良くしてくれた。大切に見守ってくれた。ならば、そのあの人たる父様が嫌な奴であるものか。浮竹隊長の友人で、志波隊長の師で……なんといっても、私の大好きな母様が私の他にただ一人、愛した人だもの。


「私、母様の人を見る目は一等信用しておりますので!……馴れ初めが気になるところです」

「ふふふ、そうですね。唯一その場に立ち会っていたであろう彼は、いま何処にいるか分かりませんし、訊くことは叶いませんが……私から見ても、とてもお似合いの二人でしたよ」


 にっこりと笑い合って一息つく。残り少なくなったお茶は、もうすっかり冷めきっていた。湯呑をくるくる回して沈んだ濁りを溶かし、最後の一口をぐびっと呷った、そのときだった。


「邪魔するぜ!どうだ準備できてるか楠山ー!」

「っぐぶ、海燕さん!」

「あれっ、卯ノ花隊長!?もしかしてお邪魔しちゃいました……?」


 ババーン!と入ってきましたよこの人!危うくお茶が器官に入るところだった。邪魔しに来ておいて邪魔でしたか、というのもこれ如何いかに。


「あらあら、もうお迎えが来てしまったのですね。話は尽きないところですが、区切るには丁度よいところです。本日の懇談はここまでにしましょうか」

「すみません、海燕さんたらノックもできない副隊長で……よく言って聞かせます」

「なんだソレお前も俺の母ちゃんかよ!……って、失礼しました、卯ノ花隊長」

「ふ、ふふ……おかしいこと。あらまぁ志波副隊長、そんなに申し訳なさそうな顔はしなくて良いのですよ?ちょっと昔のことを思い出してしまっただけです……ふふふ」

「い……以後気を付けマス」


 笑う卯ノ花隊長を見て、海燕さんは戦々恐々ピシリと固まっている。『昔のことを思い出して』というのはぼかしでも何でもなく本当のことだと思うが、彼の自縄自縛で面白いので何も言わないでおこう。沢子からも何回も注意されていたというのに、改めないからこうなるのだ。


「では、私はお暇しますが……沙生さん?またお話がしたくなったら、いつでも会いに来てくださいね」

「はい、ありがとうございます。お話できて嬉しかったです」


 海燕さんがぎこちなく道を空ける。卯ノ花隊長は肩肘張ってギョッとしている様子の彼に「肩の力を抜きなさい」とでもいうように、そこをポンと叩いてから去っていった。二人で彼女の背中を見送った後も、たっぷりと静かな間が置かれる。
 窓の外からの「チュン」という鳴き声で覚醒した海燕さんは、何とは言わないがアレみたいに、カサコソと俊敏に迫ってきた。顔が引き攣っている。


「なぁ怒らせちまったかな?今夜枕元に卯ノ花隊長が立ってたりしないよな?」

「何だと思ってるんですか。寧ろそれ聞かれた方が怒られますよ」

「うっ。ソウデスヨネ……浮竹隊長がよ、『卯ノ花隊長だけは怒らせるな』ってよく言うもんだから」

「ふーん……さては怒らせたことがあるんでしょうね。何したんだか」

「ん。――で?何の話してたんだ?」


 さっきはあれだけでかい声だったくせに、こしょこしょと耳元で囁かれた。早朝に隊長と二者会談なんてそうそうない。何の話だったか、彼もおおかた見当はついているだろう。


「父様の話を。……私はですね、やっぱり、志波天鷹という人の娘なんですって」

「……マ?」

「ジ。真面目ですよ。大真面目」

「ああ、そう。……そう……そっか…………そっ、かァ〜!!」

「ィたっ、げぇ!ちょっと!」


 ぐわしわしと雑に頭を撫でられたと思ったら、抗議する間もなく両脇の下をしっかり持たれてぐるんぐるん。足、浮いている!この年になって高い高いはキツいですよ!


「目ェ回ります!やめやめ、あぶッ、」

「ぶぅわぁ!?っとォ、いやぁ危ねぇ危ねぇ!ハハハ!」

「ハハハじゃない!」

「いてぇ゛!!」


 足元がふらつくのに耐え、いつもとは逆で私が海燕さんの頭に手刀を落とす。まったく、何をしてくれるのだ。色んな意味で危なかった。あと少し止まるのが遅かったら、出入口の引き戸に激突して戸ごと廊下にぶっ飛んでいただろう。それこそ卯ノ花隊長の雷がぴしゃりだ。


「っは〜……そうかぁ。お前、天鷹のおお伯父貴おじきの……ん?」

「……なんですか」

「……ンフッ、ふ、ぶはははは!お前、俺のおばさんってことじゃねぇか!」

「え!?」

「楠山が俺のおばさん!ぎゃははは!」

「なっ……う、うるさいですよ!甥っ子がやいやい言うんじゃありません!」


 等と言っておきながら、私もおかしくって腹がひくついているのだが。海燕さんなんて、床に胡坐をかいていたのにひっくり返るように倒れて、更に笑い転げている。
 海燕さんにとって父様が大伯父さんだというなら、その娘である私は伯従母いとこおば、私にとって海燕さんは従甥いとこおい……と、こうなるわけだ。年は彼の方がずっと上だし、全然しっくりこないけど。
 床に円を一周描いてやっと起き上がった海燕さんは、ひぃひぃと息を整えている。笑いすぎて滲んできた涙を拳で拭って、やや潤んだ目のまま言う。


「ひひっ、まぁ……お前は俺の親戚で、おばさんだってこたぁ分かったけどな?」

「えと、はい」

「そんなの関係なしに、知らないまま会って、お互いのために戦ったろ。だから、お前は俺の命の恩人。そんで――ま、後輩だ。これからも。……それでいいよな?」


 ――そうだ、これだ。私が望み、欲していたこと。何処で生まれた誰の子であれ、一緒に過ごして、話して、喧嘩して、支え合って築かれた縁は、その過程でしか得られない特別なものだ。誰かとの関係に、後になってから何か名前がついたとしても変わらない。過去は不変で、今に繋がっている。


「……ふふ、海燕さんは海燕さんですね!」

「オイオイ、なんかもっとねぇのか」

「そう言われましても……恩人や先輩というより、“海燕さん”なので」

「え〜〜?」

「不服そうにしないでくださいよ。……ちゃんと、心から感謝しておりますとも。ありがとうございます。死に際に会えた死神が海燕さんで、本当に良かったって思います」

「え〜〜……」

「照れないでくださいよ」


 若干顔を赤らめた彼は一旦そっぽを向いて、それから不意打ちとばかりに手刀を繰り出した。だが、そういつまでも直撃を許すものと思って貰っては困る。ぱしん、と手刀取りに成功だ。


「おお!できた」

「んなっ!?くそー、一丁前に見切りやがって」

「次は振り下ろされる前に無刀取りを目指しますよ」

「やらせるか。ほら、もう出るぞ!まだまだ分かんねぇことはあるんだ、浮竹隊長んとこ行くぜ」

「はい、根掘り葉掘り聞きましょう!枝葉末節、根こそぎ!」

「……跡形も残す気ねぇな?ま、隊長の自業自得か!」


 からからと笑い合ってふと気付けば、海燕さんはいつの間にか私の鞄をひったくっていた。当たり前みたいにさり気なく優しいのは、彼の良い所だ。遠慮なくお任せして、手ぶらで身軽な道中とさせていただこう。


「よし。行きましょう!」

「おう!」


 二人そろって「やあっ」と軽く拳を上げつつ、揚々と白い病室を後にする。
 何か忘れている気がしたが、大して私物は持ち込まなかったし――鞄に入れ忘れた物なんて、ないだろう。


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表紙