灘難風ゆくりなく

死ぬれば死神
はやせなんぷうゆくりなく

 夜更け早さ更けの空に浮かぶ下弦の月は、黒くろ水面みなもを往く舟に似たり。肩肘解ほぐした様子の君もまた、穏やかに舟を漕いでいる。

 二月、死にかけで瀞霊廷私の中に戻ってきた。
 四月、十三番隊の敷地で殺されかけた。
 六月、門のすぐ外で死ぬところだった。

 もっと用心するべきだ。私と違って知る由もないのだから防備が万全でないのも仕方ないとはいえ、あまりにも無防備ではないか。再び君を浚さらおうと迫る荒波を、果たして目を閉じたまま迎えて無事に越えられるものか。

 これから巻き起こる騒動など知りもしない。
 巻き込まれる変わり者達を見ることもない。

 瀞霊廷の遥か地下からこうして見聞きしている私の存在すらまだ知らぬ君だが、君が私に出会う時はいずれ確かに来るのだろう。ならばこの山場もどうにか越えるのだろうが、まさか本当にそのまま、寝たまま越えるというのかね?……人の気など露ほども知らぬ、安らかな寝顔をしてみせるものだ。緊張感の欠片もない。心配だ。
――排除する。


***


 瀞霊廷六番区内貴族街のとある御屋敷、その一階の隅にある一室。障子越しに揺らぐ蝋燭の火は、庭園の小池周りをちらちら飛んでいる蛍の光に紛れて余り目につかない。
 部屋の中からは、紙の擦れる音が微かに聞こえてくる。何処ぞの御令息が御伽草子でも読み耽って夜更かしを……ということであれば、ただの微笑ましい夏の夜の一幕で済んだのだが。


「……ククッ、“友”だと?心にもない事を……」


 意地の悪そうな嘲り声がしたかと思えば、蝋燭の火が急速に伸び太り、障子に映る影は強かに濃ゆる。男が一人、手にある書状を躊躇なく焼べている。火の粉と燃え滓がチリチリと漂って畳や障子を点々と焦がし、庭の蛍はその音に驚いたのか、直に散り散りに消えていった。
 その代わりというように、何処からともなく降って現れた人影が縁側沿いの玉砂利を鳴らした。そいつは異様な影絵を前にしても全く臆面もなく、流れるようにその場に跪く。


「時灘様。只今戻りました」


 見るに彼は貴族に仕える密偵、忍の類。そういう者は得てして主人には仰あおぎ謙へりくだり平身低頭、粛々として寡言であるものだが、彼は違う。


「ああ、御苦労だったな。どうだった?やはり流石に沙汰止みか?」

「いいえ。敢行すると」

「ッはは!揃いも揃って拙速好きめ、大叔父上も他の利きけ者共も忍耐力がなくなってきたな!かつて室月むろづき誠まことという思わぬ競合に一族の『所有物』を幾らか先取された失態が尾を引いているのか?だとしても、今は取るより庇えというのに」

「いえいえ何を仰います。寝て待つだけでは何千年かかるやらという不ふ善業ぜんごうで御座いますから、血気お盛んに決起強行、盗らねば獲れぬ、とでもお思いになったのでしょう」

「御本家様だからと愚か者をそう無理に……ん? クハハッ、お前はまたそうやってスラスラと、慰なぐさみのように言い誹そしるから油断ならんな。言っている内容ことは私と同じではないか」


 五代貴族筆頭の綱彌代家。その分家とはいえ末席に名を連ねておきながら、京楽春水に暴かれたとある旧悪のため長らく蟄居中の男――綱彌代時灘は、それはそれは愉しそうに嗤った。
 尸魂界ソウル・ソサエティの政まつりごとにおいて四十六室に雁行がんこうする絶対的権力を持つ綱彌代本家を、庇うどころか一緒になって堂々と罵るとは、地獄の扉に屋台ごと体当たりしてチャルメラを吹き鳴らしてみせるようなものである。馬鹿は馬鹿でも糞度胸の大物と評さざるを得ない。時灘にとってこの密偵の男はまさに盲もう亀きの浮ふ木ぼく、他に誰も加わりたがらないような禁忌の笑話に興じ合える希少な命知らずだった。


「だが“ケッキ”とは、せめてまだ熱意と行動力のある者に掛けてやるべき言葉だぞ?大叔父上は御自分が責任を持って動かれるでも、直属の暗部の者に命じるでもない。どうせ今回も鉄砲玉使いの突っ掛け者に過ぎないだろう」

「使い捨ての鉄砲玉とはいえ、貧しき流魂街の民なら兎も角、独自に隠密を抱える貴族は数に限りが御座いましょう。『如何いかばかりか残弾数にも御気を払い給え』と進言なされては?」

「何だお前は、日に日に底意地が捻くれていないか?鼻をつまんでやっとどうにか私を蚊帳の外に追いやった本家の連中が、異見に耳を貸すものか。無駄と判りきっている進言を進言するな、無礼なやつめ。誰に似た?」


 書状の燃えゆく音と、通り風の声が空虚に響く、無言の間。

 無礼を指摘されたというのに、「失礼致しました」や「申し訳御座いません」の一言も返さない。いとも簡単に人を処す貴族相手に従者風情が礼を欠けば、本来なら命が幾つあっても足りなくなるところだ。しかし、この場にある二人は違う。
 手中の物がすっかり塵芥になると、時灘はゆったりと脇息きょうそくに凭れて、人知れず兇悪なまでに口角を吊り上げた。


「あくまで不敬を貫くか。まぁ、既にお前は綱彌代に仕える身でもなく、そもそも『敬われ貴ばれるような存在ではない』と教えたのは私だからな。寧ろ私の方こそお前を尊敬すべきかもしれないな?賢者も貴族もみな日和ひより見みばかりして、姿勢の一貫しないものだからなぁ」

「その点、時灘様は一貫しておられます。清々しいほどです」

「おお、それはお褒めに与り光栄だな。で?清々しいほどに何なんだ?」

「言うまでもなく明白に御座います。御自身も甚いたく御承知であられましょうに」

「くはッ、クハハハハ!いやぁ参るな、お前くらいだぞ?この私に気後れせず煽り返してくる頓狂も、私が煽った者に追い打ちをかけにいく酔狂もな」


 時灘は一頻り笑うと、目を閉じて霊圧知覚を働かせた。少なくとも六番区のこちら半分側には、まだ特に気になる反応はない。哀れなる鉄砲玉が放たれるのはもう少し後か――。 


「天下の綱彌代が、どうして流魂街出身の死神の小娘などを欲するのか……肝心な事は何一つ知らされぬまま、家の存続を懸けて闇々やみやみ人掠いの特攻を命じられてしまうとはなぁ。我が学友は実に気の毒なことだ。『沙汰止みにするよう本家に口添えしてくれ』と私に嘆願状まで寄越してきたが、微塵も力になれず無念だよ」


 微塵も力になる気などなかった時灘は、微塵にして消し去ったばかりの書状の無味乾燥だった文面を記憶からも抹消していく。或る意味では確かに無・念・。恨み言の一つでも綴ってあれば、何度か読み返して娯たのしんだかもしれない。


「おや、此度の玉は御学友ですか。すると、失すれば浮竹隊長や京楽隊長がまた御顔を曇らせることになりそうですね」

「浮竹はそうだろうが、奴は……どうだろうな?なにせ、綱彌代こちらに平伏しておきながら京楽あちらにも尻尾を振ってきたような輩だぞ?昔々の『無駄な集まり』にも喜んで都度応じていた事など、諸々とっくに筒抜けだとも知らずにな」

「あぁ、時灘様が少年の砌みぎりに御当主がよく開かれていた、志波天鷹を呼びつけては何故か毎回辻斬りが入り込んだとかいう……」

「そうそう、それだ。春水は彼あれのことになると恐いぞ?それこそ、害する者は刺し殺す勢いだ……くはッ、クハハ……!クハハハハハ!!」


 まるで本当に誰かが刺された場面でも思い起しているかのように、時灘は目元に掌を押し当てて笑う、嗤う、嘲笑う。


「ククク、アははッ……おっと、いかんいかん。蟄居の身では思い出し笑いがいい暇潰しでな、つい話が逸れてしまった。今夜の楠山沙生の件とは全く関係のない話だったな」

「そうですね。昔話は程々に願いたいものです。思い出し笑いも結構ですが、同じ過去の御話ばかり擦こすっておられますと、『時灘様もそろそろ御年寄を揶揄し得なくなりゆかれるやも』と拙せつめも暗鬱として参ります」

「おぉひどいひどい、この私をボケた初老扱いか?確かにお前より年嵩としかさはあるがな、まだまだ壮年だよ。というか流石に口が悪いな、死に急ぎに拍車をかけてまぁ、相手が私でなければ切腹でも打ち首でも文句は言えんぞ」


 全くその通りであるが、時灘はそうしない。ここまで無礼を尽くされても彼が許す訳は、「心が広いから」ではない。寧ろ逆だ。但し、この場合は「心が狭いから」という単純な対義語では不正解ノ・エス・エサクトとなる。本人は否定するかもしれないが、「心が欠けているから」だ。持ち合わせているべき人の心の一部が無いせいで、不正ただしからず、歪なのだ。
 人の心とは千変万化、一瞬も同じ時はない空模様のようなものであり、定型に嵌めるのは野暮ともいえるが、人は人の心を言葉にしてきた。最たるものが大別しての四つの型、喜怒哀楽といわれるものである。それでいうと、時灘には怒哀が欠けていた。彼の中には喜楽しかなく、彼の行動原理も全て喜楽に集約される。

 彼の喜びとは人を貶おとしめることであり、
 彼の楽しみとは人を弄もてあそぶことである。

 そして彼に向けられる怒りは彼を喜ばせ、彼に引き起こされた哀しみは彼を楽しませる。これは不可逆であり、何人なんぴとたりとも、彼を心から怒らせることも、悲しませることも出来ないのである。「この人でなし」と言いたくなるが、「人の心が半分ない人」が正解エサクタとなる。

 道徳を持たず、道理を守らず、道義に悖り、
 道楽のために人道を逸れて非道を成す道化。

 他人ひとの大切なものを奪い、汚し、穢し、澱に沈めて嘲笑うことを最上の生き甲斐とする、外道を地で行く彼かの悪ひとの名は――綱彌代時灘。

 彼は尸魂界の歴史を代々司ってきた綱彌代家が生んだ曇りなき“悪”であり、星を覆い隠して人の目も歩みも雲らせる闇であり、水には油を、石には葉を被せて火のない所に煙を焚きに行く放火魔であり、小さかろうと火種があれば煽りに煽る扇動者であり、冥々たる濁流を懸命に進む隣人の心を削る岩石であり、摩耗させる水流そのものであり、底に引き摺り込んで冒瀆ぼうとくする糞野郎であり、当まさに忌々ゆゆしき時の灘なだである。
 時灘が怒りや哀しみに駆られて人を処すことはない。するとしたら、それは「今やったら最高に楽しそうだ」と判断したときだ。だから今ここでは許された男も、いつか「今こそ殺し時」などと思われたらどうなるか、もうお分かりだろう。時灘は培った義理よりも刹那の快楽を喜んで采とる。必ずだ。
 だが、男もそんなことは分かっていた。


「お戯れを。時灘様が、ただ殺されて喜ぶ者をただ殺す筈もない」
 ――貴方は人を絶望させるのがお好きだが、既に絶望している者には困惑を与えるほうがお好きだろう。

「自害せよと命じられて喜んでそうする者にそれを許す筈もない」
 ――貴方は自らの喜びのためなら何でもするが、他人を喜ばせてしまうのは何としても避けたいだろう。

「そしてこのように慢心する不逞者には不意打ちするも一興とお考えでしょうが、拙めは来きたるその時すらも楽しみにしておりますので」
 ――貴方は事が筋書き通り運ばずともそれを面白がるが、他人の思惑通りになるのは面白くないだろう。


 言い終えると、男は人知れず口元を緩く弧にして微笑んだ。時灘と違って兇悪さは雫しずくもなく、悦に浸るような素振りもなく、まるで吹かれれば散る儚い花のように。
 障子を挟んで背を向けている時灘がその微笑みを目にすることはない。これまでも、これからも、男が時灘に見せることはない。そんなにきれいに笑っているとは知らぬまま、時灘は彼を自分と似たもの同士であると誤認し続けるだろう。


「ああ、その通りだ。いやはや可笑しなことだ、春水といいお前といい、私の本質を見透かしてくる者はどうしてそう類を見ないほど無礼なんだ?ククク……」


 ゆえに時灘は気付けない。命知らずにも貴族に対して不敬を貫き、譬え死ぬ事になっても無礼に対する謝罪はしない、その心に。
 壊された玩具の、腹の中に隠されし一物に。
 轢き潰された砂粒の、僅かに残されし芯に。
 澱に沈められた隣人の、潜められし魂胆に。
 無礼な態度を取り続ける理由なんて単純だ。普通なら簡単に理解わかるものなのに、時灘は普通なら人にあるそれを持たないばかりに理解りかいできない。


「そういえば、尾焼津亢夜はどうなった?本家の連中も悔しかろうなぁ、実力も意気も足る良い手駒が、まさか仕損じるとは思いもしなかっただろう。死に餌エサに釣られた哀れな傀儡くぐつといえばそれまでだが……数打ちゃ当たれの鉄砲玉よりは、本命の一矢であったろうに」

「更木剣八に代わられるまでは十一番隊の頭とも言えるほどの男でしたからね。何故小娘一人拐かどわかせなんだか、思い返してみても不思議ではありませんか?」

「ああ、理解に苦しむな。それこそ奴なら一人でも遂行できただろう。足手纏いを五人も道連れにして、何がしたかったのだか……で?焦らすな焦らすな、本家連中から話がいく前に四十六室が蜂家の九代目に一任してしまったらしいが、結局どうなったんだ?」


 まだ生かされているのか、もう殺されているのか。どちらに転んでいたとしても、時灘は悦よろこべる。いつかに撒いて育てた種がどのように無惨なことになったのか、丁寧に丁寧に想像を膨らませて、蟄居中の安い娯楽として消費するつもりだ。


「いくら映像庁でも、四楓院家直属である隠密機動の暗部は虎の穴だからな。そのためにお前を潜り込ませていると言っても過言ではない。中でも特に檻理隊は厄介だ、浦原喜助が漸く失脚したかと思えば、後任の部隊長は西五辻にしいつつじ閃センときた。奴は弄あそび甲斐はあるが、懐柔するのはどう考えても無理だしな。だがお前なら調べもついたのだろう?さあ、早く教えろ」


 催促されて、男は淀よどみなく吐いた。


「処刑は既に執行されました。尾焼津亢夜はもうこの世の何処にもおりません」
 ――人を怒らせた大嫌いな人にん非ぴ人にんに、本当の事を教えてやる気も義理も、微塵もない。


――――――――――――

――――――

―――

…

 人払いは完璧だった。
 というより、綱彌代時灘は本家にとって疾うにお払い箱だから、態々払うまでもなく誰も寄ってこないのだが。彼に構いにいく変わり者は唯一人、あの密偵なのか何なのかはっきりしない男のみである。瀞霊廷にて、彼ら二人の会話を盗み聞き出来たものは存在しなかった。

 ただ一人の、例外を除いて。

 『瀞霊廷』の範疇に入るかどうかすら定かでない、限りなく『無』に近い暗黒の空間にて聞き耳を立てていた、もはや『瀞霊廷同然』といっても間違いではない『反則級の大罪人』が一人。


――【無間むけん】――


「…………」


 その『大罪人』は、無む暗やみに言葉を放つ事もなく、ただ、薄く目を開いただけだった。だが、その僅かな動きを合図として、彼の耳に喧かまびすしい女の声が響き渡る。


「キハ、キハハハハ! もう最近どうしちゃったんだい? 百年二百年ずうっと目を開かないでいたくせに、ヒデ、じゃなかった沙生ちゃんがボロボロに火傷して十一番隊第三席の斑目一角と第五席の綾瀬川弓親に瀞霊廷なかまで運び込んで来て貰ってからもう何回目だよ! キハ、キハハハ、キハハハヒハハハハハ!」

「……私がここに封じられてから、まだ二百年も経っていない」

「あれぇ!? そうだっけ!? キャハ、キハハハハハハ! だってここ、どこよりも真っ暗で時間感覚なんてなくなるんだもん! 百年も二百年も大して変わらないよ! あーあ早く出たいねこんなトコ! まっ、無理だけどさ!」


 円まるい瀞霊廷の真中には、護廷十三隊一番隊舎が位置している。その意義は、中央で威厳を示すため、権勢を揮うため、堂々たる護廷の司令塔として在るため等山々あるが、体裁や面子を抜きにしても残る重要な意義が一つある。

 それは、蓋である。

 一番隊舎の真下には、“中央地下大監獄”が存在している。現世でも名の通る八大地獄に準なぞらえられた八階層からなる、尸魂界最大にして最古の監獄である。たったの八と侮る勿れ、一つの階層でさえその深度は常人の杓子定規で測り知れる程度ではない。気が遠くなるほど地中深く、幾重もの結界が織り重ねられ、どんなに強大で特殊な能力を有していようとも脱獄不可能とされる。しかし念には念を入れ、護廷十三隊発足以来最強の死神としてあり続ける一番隊隊長兼総隊長山本重國を真上に常在させることで重し・・としているのだ。
 中央四十六室に断じられて投獄された罪人の魔窟・巣窟・澱おり溜だまりの檻おり。そんな“中央地下大監獄”の中でも、処刑したくともそれが不可能でどうにも扱いに困って途方に暮れられた大罪人が最終的に封じられる最下層。入れられた僅か数名のために尋常ならざる労力を費やして維持されている無限の空間。それこそが【無間】という場所である。中のものに世界を感じさせず、世界から隠し、永劫の時を以て忘れさせ、存在しないものとする。
 ――そう、本来は。


「キヒヒッ、いっそ何も感じなくなった方が楽かもね? どう? 私の能力解除しちゃう? 瀞霊廷との融合なんて解いちゃう? お先真っ暗でも享受しちゃう? 瀞霊廷で起こる何でもぜぇんぶ手に取るように感じちゃうとさぁ、気になっちゃってしょうがないんだろ? 市丸ギンも、御厨みくりや貴子たかねも、尾焼津おやいづ亢夜こうやも、三師みもろ太てんとも、風張かざはり迅丞じんしょうも、沙生ちゃんをどうしたいんだよって! ねぇ? ねぇねぇ!」


 無言でいる男の目の前で、女はくるくると激しく踊りながら高い声で騒ぎ立てる。本来は闇しかない空間で、その女だけは緩やかな明かりに包まれている。黒革の帯で目を隠し、派手な装飾の付いた白装束を纏う女は、喋っているのが自分だけだろうと構うことなく、更に続ける。


「四番隊第五席だった下汐見しもしおみ依里えりが綱彌代家とか西五辻家とか十一番隊のクズ隊士達のせいで死んじゃってからすっかり精神ブッ壊れて綱彌代時灘にハイハイ従うだけの道具にでもなっちまったモンだと思ってたのにさぁ! アイツどうしたの!? 何考えてんだかサッパリ分かんねぇよ! 『尾焼津亢夜はもう処刑されました』ってスッゴイ嘘吐いたよ!? あんたちょっと前まで蛆虫の巣でお話してたじゃん!? キハ、キハハハハハ! ヒャハハッ! いやあ、私ら見聞きはできても頭ン中や腹ン中までは覗けないもんねぇ。どういう事なんだろうね? 気になって夜も眠れないよ! なぁ剣の字! 今夜は寝かせないぜ!? キャーッ! なーんてね! キャハハハハハハハハハ!」

「……黙れ。静かにしていろ」

「……んー? キャーッ! おいおい剣の字、沙生ちゃんがピンチだよ! 綱彌代の鉄砲玉が誘拐しに来るとかいう命の危機にゃ及びもしないけどさ! 貞操の危機!? 十番隊隊長で実は沙生ちゃんとイトコな志波一心はさァ、さっき八番隊隊長京楽春水には『絶対ぜってーそーゆー手は出さね』とか言ってたのに! まーでも沙生ちゃん可愛いもんな! 仕方ないっか! 据え膳だもんな! どうするよ剣の字、沙生ちゃんの唇が奪われちまうよ! 接吻キッスのその先も見せつけられちゃったりして!?」

「お前は邪魔だ。失せろ」

「おーっとォ!? キハ、キハハハハハハ! ヒャーッハッハッハ! やべぇ、やべぇよ剣の字! あんたヤベェよ! 今のセリフもしかして私じゃなくて志波一心に言った? ねぇどうなんだよ! 黙るなよ! キハ、ヒハハハハハハハ! 無間には斬魄刀の力を弱める封印が何重にも施されてるってのに、今ちょっと外で私を使ったろ!? こんなの初めてじゃん! よくできたねぇ! 愛の力ってやつかー? 凄い凄い、もっと頑張ったらこっから出られっかもな!」


 女の言う通りだ。【無間】にいながら斬魄刀の力を用いて僅かなりとも瀞霊廷に干渉してみせた大罪人は、恐らく尸魂界史上初。前人未到の快挙だろう。成し遂げた理由がなんとも俗っぽいような気もするが、そこに余人が迂闊に触れれば男によって即座に粉微塵に切り刻まれる……かもしれない。


「百年くらい昔にまだ二番隊隊長でも隠密機動総司令官でもなくて隠密機動隊員でしかなかった四楓院夜一と、十二番隊隊長でも技術開発局局長でもなくて二番隊隊士でしかなかった浦原喜助が、双殛の丘の地下にコッソリ馬鹿デッカイ“地下訓練場”を造って、そこに持ってきた“転神体”って霊具に私が入り込んで具象化して能力を教えてやったときには『瀞霊廷内の様子を自由に見聞きする事はできても物を動かしたり攻撃したりはできない』って言っちゃったのにさ! アレ嘘になっちゃった! 頑張ると実はちょっと鎌鼬だせる! キャハ、キャハハハハハハ!」


 女は変わった性癖の持ち主で、かつて夜一に「無駄に自分の能力を明かして使い手が危機に陥る事に快感を覚える」と宣った。男が四十六室から詰問されても一切誰にも明かさなかった能力の秘密を、訊かれてもいない内から夜一にベラベラ喋り明かしたのだ。当時の男の心労は如何いか許ばかりか。夜一も浦原も、会った事もない過去の大罪人の心中をお察ししたことだろう。
 因みに、バラされた秘密を知る者は現在の瀞霊廷には四十七人いる。夜一から報告を受けた当時の隠密機動総司令であった先代四楓院家当主と、その先代から報告を上げられた四十六室の四十人の賢者と六人の裁判官だ。四十六室は護廷が徒いたずらに恐慌状態に陥るのを危惧して『他言無用』とした。ゆえに、現在の護廷十三隊には「無間のとある大罪人には瀞霊廷の全てが現在進行形で筒抜け」という大変な状況が続いていると知る者は一人もいなかったりする。無間の真上に御座おわす山本総隊長ですら何も聞かされていない。
 ――より正確に言うなら、実は瀞霊廷内には現在もう一匹・・いたりするのだが……それは今は措いておくとしよう。


「キハハハハッ! キヒヒ、ねぇ見なよ、見てみなよ剣の字。これ結構ヤバいんじゃない? ……スヤスヤ眠ってる女の子一人誘拐するのに何人動員してんの? どうしよどうしよ、沙生ちゃんが危ないよ! 志波一心と三師太だけでどうにかできんの? ほら、なんか六番区からだけじゃないよ! うわ! 処刑場跡のアレ、運び込んでた奴らがなぁんにも喋ってなかったからまさかアレも沙生ちゃん誘拐大作戦の策の一つだったなんて知らなかったよ! 口頭じゃなくて書状か何かで指示されてたのかな? げっ、また思わぬところで私の欠点が露呈しちゃった! 見聞きは出来ても暗号文なんて読めねぇよ!」


 同じものを見聞きしている男に実況解説は必要ないのだが、女のくるくる回る口と体が止まる気配は一向にない。


「あっ丁度いいぜ! ナイスタイミング! 藤坂とうさか、じゃなかった逆藤さかふじ公彦きみひこが近くにいんじゃん! アレに気付かないワケないし、多分アイツも力になってくれるよ! ま、沙生ちゃん絡みっては全然気付いてないみたいだけどさ! 運も実力のうちってね! 私好きなんだよね、逆藤! 真っ直ぐだし頑張り屋さんだしメチャクチャイイ男だぜアイツは! なぁ剣の字も好きだろ? アイツ昔っからホント変わんないよねぇ!」

「…………そうだな」

「……エェ!? ……やだビックリしちゃった! 剣の字が『黙れ』みたいなことじゃないこと言うの久しぶりじゃない!? 久しぶり久しぶり! あんたにそこまで言わせるなんてサッスガ逆藤だぜ! あ、見て見て! 最近“二十年前”の事件についてあっちこっち嗅ぎ回ってる技術開発局局員の阿近もそっちの方に行っちゃってる! アーア、余計なコトに首突っ込んでるから余計なトコで巻き込まれんだぜ! キハハ、キハハハハハヒハハ! 精々死なねェように気張れよ!」


 瀞霊廷の遥か地下から、地上の全てを見聞きしている稀代の大罪人――痣城双也は、人知れず小さく肩を竦めた。彼の斬魄刀である『雨露うろ柘榴ざくろ』の彼にだけ聞こえる騒々しい実況は、【無間】の闇をものともせずに引き続く。今夜、彼は本当に彼女に寝かせてもらえそうにない。
 しかし仮に彼女が黙って大人しくしていたとしても、きっと彼は楠山沙生の行く末を案じて眠れぬ夜を過ごしていた。一人で見守るよりは二人の方が、無駄に不安にならずに済んで良かった……の、かも、しれない。


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表紙・家