せいきょうするしろべやのあるひ
体が“無い”。現世で死んで霊になったあのときとも違い、まるで意識だけが水底に沈んでいるかのような不可解な感覚だ。いや、重力も風もそれから温度も、感じ取る器官が“無い”のだから「感覚」と言えば語弊が生じるかもしれない。有るのは不可解だ、という「思考」だけ。
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そう、私はその波を
取り戻した体で一番はじめに感じたのは「寒い」ということ。氷点下のなか、上着も羽織らず小一時間ずっと棒立ちしていたみたいに寒い。二番目に感じたのはかかる波が「温かい」。この波をもっと被ることで体温を取り戻さないと、また意識だけの存在に逆戻りしてしまうという危機感を持った。
どれくらいの間じっとしていただろう。全身の小刻みな震えも治まって、やっと平熱になってきた。おかげで危機感だけで埋まっていた思考も落ち着いてきて、この温かい波の正体を思い出す。これは回道の霊力だ。喜之助が私の軽い怪我を治してくれたときのものと同じ、治癒効果のある霊力が私の中に流れ込んできている。誰かが瀕死の私に回道を施してくれているに違いない。そんなことを考えながら無意識に瞬きをすると、次にその瞳に映ったのは見慣れた精神世界の風景だった。微かに星々が輝く東雲の空に、白い焔の海と、その中から
(おかえり沙生。危ないところだった)
(あれ?ハク?……た、ただいま……?)
(瀕死だったが、安定してきたようだな。深層に沈んでいたお前を漸く引っ張り上げることができた。意識をとばし過ぎれば帰れなくなると言ったろう)
(
危うく二度目の死を迎えるところだった相棒に、それはないんじゃないか。実質自分で自分の首を絞めて殴って燃やして……それだけ聞けば狂人以外の何者でもないが、相当な覚悟を以てやり遂げたのだから。
(“燃やす力”は諸刃の剣だ。その強力さと引き換えに、霊力の消費が馬鹿にならない)
(そうみたいね。思い返せば初めてこの力を使ったとき、片はすぐ付いたのに立っていられないくらい消耗してたし)
霊になってすぐに無茶したせいかと思っていたが、そうではなかったようだ。例えるなら、最高に燃費の悪い蒸気機関車の火室とか。スコップで休みなく給炭するだけでは足らず、大きな雪かきダンプで絶え間なくやるくらいじゃないと走らない。それだけやれば当然、燃料はあっという間に枯渇してしまう。この場合、燃料とはつまり霊力のことだ。霊力の枯渇は死に直結するから、そう易々と使うには
(あの白焔は、己の命を
(私それやったよ、刀に纏わせてから振り飛ばしたの)
(馬鹿。出したものを纏わせるのではなく、斬魄刀から発せられるようにするという意味だ)
(斬魄刀としてのハクの能力でってこと?なに、名前教えてくれるの?)
(始解か。そうさな……早いところ会得してもらわんと、また瀕死になられては我も困るが……)
(が、ってことはまだ駄目なのね。うん。自分でも、まずは地力を上げないといけないなって思うよ)
あの達磨のような虚が現れたとき。真っ先に加勢するという判断力と、的確に頭を狙い斬る技量さえあれば。今の私は白焔の力に頼る前に、もっと基本的なところから何とかしなくてはならない。ハクもそう思っているはずだ。
(む?これは――)
ハクはそう言って東雲の空を仰いだ。気になって私も同じ動作をしてみたが、特に気に留めるようなところもない。ああ、けれど。言うなら、ほんのりじわりと心があたたまってきたような気がする。僅かではあるが、雲間も晴れていくような……
(これも回道なのかな?なんだかほっとする)
(似た質ではあるな。……そら、体力もだいぶ回復したろう。あとはぐっすり寝ておけ)
(そうだね……起きたら、治療してくれた誰かにちゃんと…お礼も言わなきゃ……ね……)
心地よいあたたかさに包まれて、私はそのままゆっくりとまどろみ落ちていった。
シャッと短い音がして目が覚める。周囲の様子を確認しようとして体に力を入れると、足にじくりと痛みを感じた。腕や首にも包帯が巻かれている。頬をさすってみると、そこにあった切り傷は跡形もなくなっていた。寝ている割に視界が高いので、敷布団ではなくベッドに寝かされているとも分かった。壁も床も家具も全てが清潔感のある白色で、脇の机の上には私の斬魄刀が置かれている。眩しい方を
「お目覚めになられて良かった。おはようございます。ここは四番隊の綜合救護詰所ですよ」
「おはようございます……私、どれくらい寝てましたか……?」
「ええと……40時間ほどですね。貴方がここに運ばれてから、今日で三日目になります」
「けっこう経ってた……」
「おなかも空いたんじゃありませんか?今、朝ごはんお持ちしますね」
女性は部屋を出る前に、水差しから水を
「ふふ。それなら良かったです」
「あれ、もしかして声に出てました?」
「ばっちり」
「ひ……ちょっと恥ずかしい……」
私がご飯をいただいている間、彼女はこの病室の隅にある白い机で書き物をしていた。ちらりとだけ見えたが、私の怪我や健康の状態に関する書き物らしかった。この人が私を治療してくれた担当医さんなのかもしれない。私が食べ終わったらお膳を下げてくれるつもりで待っているんだろう。仕事の邪魔をする訳にもいかないし、食べながらお礼を言うのも失礼だ。平らげてからお話ししてみることにして、今は久しぶりの真面な食事を味わおう。
「ごちそうさまでした!とっても美味しかったです」
「お粗末さまでした。沙生さん、本当に美味しそうに召し上がりますね。作った甲斐があります」
「四番隊さんって、回道に加えて体に良くて美味しいお食事作りもお上手なんですね。尊敬します。あの、お名前を伺っても宜しいですか?もうご存知みたいですけど、私は楠山沙生といいます」
「ええ、斑目三席と綾瀬川五席から教えていただきました。私は
「みくりやたかねさん。ありがとうございます、治療を施してくださって。意識がない最中でも、回道のあたたかい霊力を感じたんです。おかげで助かりました」
「そうだったんですか?私自身は回道を受けたことがないのでその感覚はよく分かりませんが……一助になれたのであれば嬉しいです」
彼女はふわりとした優しい笑顔を浮かべて、あくまで謙虚に返してくれた。この人、できる人だ。というか、三席と五席と仰いましたか。十一番隊は隊長が更木剣八になってから、そう経っていない。だから恐らく彼らも席次に就いて浅いのだろうけど、私はそんな死神を相手に、不可抗力とはいえぶん殴ったり呼び捨てにしたりしてしまったということになる。あの二人はあまりそういうことを気にしない類でありそうだが、些か自分が気にする。
「沙生さんはまだ数日の安静が必要です。毎日きまった時間に包帯の交換と手当をして、お食事もここに運びますね。あ、お手洗いは部屋を出て右の突き当りに。基本はずっとここで過ごしていただくことになりますが……何か、暇潰しに本など如何ですか?」
「じゃあ今月の瀞霊廷通信と、鬼道の基礎的な本とかあったら……」
「分かりました。四番隊は回道含め鬼道の得意な者が多いですから、四番区の図書館もそういった本が豊富なんですよ。何冊か見繕ってお持ちしますね」
「ありがとうございます、お願いします」
そうして御厨さんが部屋を出てから半刻ほど経った頃、がやがやと楽しげな数人の話し声が廊下を通って近付いてきていた。自分には関係ないものと思ってぼうっと窓の外を眺めていたのだが、足音はピタリとこの病室の前で止まり、コンコンと戸が叩かれた。
「沙生さーん、沙生さん起きてますか?」
「その声――もしかして」
「着替え中などではありませんか?開けても大丈夫でしょうか」
「あ、大丈夫です!どうぞ」
「おーし、邪魔するぜ!久し振りだなぁ楠山!」
白い戸をガラッと勢いよく開けて入ってきたのは、現世で縁のあった十三番隊の面々だった。沢子、見坊さん、志波……副隊長と、その他数名の隊士たち。
「海燕さん邪魔じゃないでしょ、お見舞いです!沙生さん、はいこれ!」
「俺らからだ、貰っとけ」
沢子はお見舞いの定番である色とりどりの果物が入った籠を、志波副隊長は乱暴に肩に担いだ細めの花束を、私の目の前にずいと差し出した。
「わあ、ありがとうございます」
「花瓶これか?挿しとくぞ」
「志波副隊長、それは水差しでは……」
「げっ、もうやっちまった」
「あーあ。海燕さん、後で自分で水差し洗って花瓶も持ってきてくださいよ」
「花のエキス香る水ってことでどうだ」
「「駄目です」」
見事に同時にあしらった沢子と見坊さん。渋っ面で了承する志波副隊長を見て、隊士たちは肩を震わせて笑っている。彼らがここに来て僅か数秒だというのに、空気の変わり様が凄い。愉快でこざっぱりとしていて、十三番隊の隊風がありありと伝わってくるようだった。
「四番隊と十一番隊が騒いでてよ。昨日には楠山がここにいるらしいって分かったんだが、まだ絶対安静だって追い返されちまって」
「ええ、ですが意識が戻られて安心しました。足はまだ痛むのでしょう?お大事になさってください」
「ねえねえ沙生さん、なんで斬魄刀持ってるのか〜って色んな憶測の噂が飛び交ってますよ。霊術院の倉庫からかっぱらってきたとか、平隊士と一騎打ちした戦利品だとか。聞いてもいいですか?」
「そ、そうなの?
斬魄刀を手にした経緯を簡約して話してみる。魂魄消失事件の先遣隊として出動した九番隊隊士のことは皆も報告で知っていたようで、私が消失後の現場に遭遇してしまったと言うと一斉に顔を青くしていた。もし辿り着く時間が少しずれたりしていれば巻き込まれていたかもしれないのだから、思い返すとやはり血の気が引きそうになる。気味悪さがぶり返す前に話を進め、その場で一夜を過ごし、翌朝に六車隊長たちと虚を倒したこと、そして「死神になるならくれてやる」と言われて彼の部下の形見である斬魄刀を譲り受けたことを順に説明した。これより後のことは秘密にすべきことだ。明かしてしまえば、私自身も聞いた彼らも危うい立場になる。話はこれで終わりでいいだろう。
「六車隊長は調査に行ったきり帰ってこなかったから、最後に会ったのが楠山ってことになるな」
「その後の六車隊長の動向はご存知ありませんか?」
「いえ、そこで別れたきりです。六車隊長には『九番隊に来とけ』ってお誘いいただいたんですが……残念です」
「ええ!沙生さんたら直々に九番隊に勧誘されちゃったの?でも、六車隊長はもういないし……もし迷ってるなら、希望は十三番隊って書いといてください!」
「南舘は気が早ぇよ。確か霊術院の入学試験って来月だろ?願書受付も始まってるんじゃなかったか?」
「あっ。そうだ、やらなきゃと思ってたんだっけ」
受験に関する日程は瀞霊廷通信で確認済みである。治安の良い地区であれば、流魂街にも書店が存在する。入学願書はそこで取り扱われるため、そろそろ寄ろうと考えていたのだが……その前にあの達磨型の虚に出会し、ここに入院する破目になってしまったという訳だ。
「じゃあ俺が貰ってきてやるよ。花瓶のついでだ」
「沙生さんなら試験も余裕でしょ!頑張ってくださいね」
「筆記は死神に関連する漢字問題だったり尸魂界の歴史などから出題されますが、大丈夫そうですか?」
「ここ数ヶ月はずっと旅してましたけど対策はばっちりですよ。幸運なことに、家に教本がたくさん揃っていましたから。私の前に住んでいた方は死神になったそうで……西流魂街三地区の鯉伏っていう所なんですけど、ご存知ですか?」
「ああ、西流魂街の半分は庭みてぇなもんだからな。その家のことは知らんが」
「某にも心当たりはありませんね」
「私も分からないなぁ……でもいろんな人に聞いてみます!」
「ありがとう沢子。もし誰か分かったら、お礼が言いたいの」
他の隊士たちも周りに聞いてみると約束してくれたのでお礼を言うと、「あのとき戦ってくれてありがとう」や「全滅を
その後は全員から「お大事に」と言葉をもらって、病室を出る彼らを見送った。仕事の合間を縫ってお見舞いに来てくれたことには感謝しかない。志波副隊長だけは「また午後に来る」と言い残して、花が挿された水差しを持っていった。
入れ替わりに御厨さんが入って来て、今月の瀞霊廷通信と鬼道の本を届けてくれた。彼女は昼食作りの手伝いがあるからと、また仕事に向かう。優しくて料理上手で働き者とは、非の打ち所がない。
さっそく瀞霊廷通信を頭から読んでいく。未だに多くの隊長副隊長を欠いたままで、各隊の業務にも支障が出ているらしい。しかしそこは流石の護廷十三隊、嘆くばかりではなくこれからの方針についても明瞭な文章で宣言していた。今後、隊長に推薦されたり隊首試験を受けるだろうと目されている隊士たちのインタビューも掲載されていたので読んでみると、よくもまあいけしゃあしゃあと。五番隊副隊長の藍染、九番隊第五席の東仙もそこに名を連ねていた。本性を隠すのが上手いのか、周囲からの支持は厚いようだ。それから、たった一年で真央霊術院を卒業し早々に五番隊第三席となった『期待の星』として、あの糸目で白髪の若い死神の記事もある。彼は市丸ギンというらしい。要注意人物として覚えておくことにして次のページを
「失礼するぞ。楠山沙生だな?」
「!? は、はい」
一体どうやって音も立てずに入ってきたのか、いつの間にか小柄な女性がベッドのすぐ隣に立っている。心臓に悪い。危うく悲鳴でも上げるところだった。そして彼女の顔と、着ている羽織を二度見した。たった今、私が開いている見開きの特集にでかでかとお写真のある方ではないか。
「ん?なんだ、私の記事を読んでいたのか。なら自己紹介は必要ないな」
「隊長殿が私に何のご用でしょうか……」
すっと目の前に差し出されたのは、以前にも目にしたことのある包み――清乃の塩大福である。突然のことに驚いて無言で受け取ってしまった。砕蜂隊長はうむと頷くと、近くにあった白い丸椅子に腰掛けてからまた口を開く。
「現場に向かわせた部下と、斑目に綾瀬川からも話を聞いた。うちの腰抜け……ああ、副隊長の大前田のことだ。奴は以前、お前が倒した虚に遭遇したが死を恐れて逃げ帰った。ソレは部下の尻拭いの礼と、お前の健闘を讃えての見舞いだ」
「ありがとうございます、光栄です。そういえば……あの虚は『逃げ果せた男がいる』と言っていましたが、大前田副隊長のことだったのですね。なら、火傷を負われてしまったのでは」
「ここの副隊長に治療を受けてすっかり治っている。心配は無用だ。寧ろ何かの間違いで奴だけくたばれば良かったのだ」
腕組みをした砕蜂隊長は憎々し気にそう吐き捨てた。死神の中でも二番隊の刑軍は特に、死を以てでも任務遂行に重きを置く組織として有名である。部下に示しを付けるべき立場の副隊長が逃げたことに、相当お怒りの様子だ。
「しかし厄介な虚をよく倒したな。白い焔を操っていたと聞いたが、お前の斬魄刀の能力か?」
「ええと、それは――」
(そういうことにしておけ。神力を借り受けているなどと知れ渡ったら面倒だぞ)
「はい、そうです。虚と共倒れする覚悟でしたが、どうやら私の焔は燃やす対象を絞れるみたいでして」
本当のことを話すか話すまいか迷ったが、ハクがそう言うならここは従っておくのがいいだろう。万が一やってみせろと言われても、纏わせればそれらしく見せることは可能だ。霊力の使い過ぎで倒れて、ハクにはまた馬鹿とか言われそうだけれど。
「お前も自分の能力をそのときになって知ったということか。すると、その焔は無作為に飛ばしても、標的以外の人間や家屋に被害を与えずに済むのだな」
「はい、そうなりますね」
「炎熱系の斬魄刀はそう珍しくもない…が、その能力は希少だ。技術開発局の涅などが知れば放っておかないだろうな」
砕蜂隊長は顎に手を当てて暫く思案する仕草をした後、私の顔をまじまじと見つめて言い放つ。
「楠山は院生だろう?入隊希望には間違っても十二番隊とは書くな。もし配属されそうになったときは私に言え。なんとか他に回すか、最悪うちで引き抜く」
「ええ!?いや、それは」
「お前は覚悟も十分だからな。二番隊でもやっていけるだろう」
砕蜂隊長は壁の時計にちらりと目をやると、「では私は職務に戻る、大事にしろ」と告げて病室から去ってしまった。院生であるという誤解も解きたかったのだが、それもまたの機会にするしかない。
時間はあっという間に正午。御厨さんが持ってきてくれた昼食もとても美味しかった。空いたお膳は机の上に置いたままで良いと言われたので端の方に追いやって、今度は鬼道の本でも読もうと手を伸ばす。目次を開いたところで、また訪問者がやって来た。
「楠山ー、願書とか持ってきたぞ。入っていいか?」
「はい、どうぞ」
願書と水差しと花瓶を一遍に抱えていて戸が開けづらそうだ。待てども片足が入るくらいしか開かれていない。どれか床に置いても構わないのに、と思ったそのとき、志波副隊長の手からつるりと水差しが滑り落ちる。
「! やべ、」
「――っとォ〜!危ねぇ!」
「そんなに持ったままじゃ無理ですよ。その花瓶、寄越してください」
「おお!斑目に綾瀬川!悪いな」
間一髪で斑目三席が水差しを受け止め、綾瀬川五席は花瓶を引き抜き、片手が空いた志波副隊長はやっと戸を引ききって中に入って来た。続く二人は、私とおよそ同じ部位に包帯が巻かれている。
「お二人とも、もう歩いて大丈夫なんですか?」
「僕らは足は怪我してないから大丈夫さ。今度は卯ノ花隊長の許しも貰ったしね」
「?? 今度は?」
「つーか何だよ、敬語なんか使って」
「だってお二人は先輩にあたりますし、あのときはヤケになってたというか……」
「ほら楠山、入学願書とついでに霊術院の冊子も持ってきてやったぞ」
「ありがとうございます、志波副隊長」
受け取ると、『来たれ!輝ける未来の死神』と書かれた表紙の文言が一番に目に入った。そしてよく見ると、右下に小さく『題字:藍染惣右介(当学院書道講師)』とある。何だかわくわくしていた気持ちが一気に失せた。顔に出ないように気を付けながらぱらぱらと捲っていると、斑目三席が眉間に
「何だぁ?霊術院?お前、これから入学すんのか」
「そうですよ。元々そのつもりで故郷を出たんです。まさか、霊術院に行く前に護廷隊舎に来ることになるとは思ってませんでしたけど」
「君のレベルで一回生になりにいく訳か。すっ飛ばして入隊試験を受けてもいいんじゃない?」
「おっ、綾瀬川の言う通りかもな。霊術院を卒業しないと受けられないなんて決まりもないし」
「そっすね。俺と弓親なんかは、更木隊長を追っかけてきて指名って形で入隊させてもらったぜ」
「でも私は鬼道がからっきしで。他にもいろいろ、ちゃんと学んでおきたいですし――」
冊子を適当に開いてちょうど目に入った教育課程の欄には、書道の授業は選択式だとある。ひとまず藍染副隊長の授業は受けなくても済むと分かって、胸を撫で下ろした。
「鬼道なんてウチには使えない奴がごろごろいるよ。それに虚との戦いだって、斬れれば十分だ」
「楠山の斬術が並み以上なのは俺も知ってる。鬼道は入隊しちまってから覚えても問題ないと思うぞ」
「志波副隊長、沢子には『気が早い』って言ってたのになに掌返してるんですか」
志波副隊長はいたずらな笑みを浮かべると、机の上にあった今月の瀞霊廷通信を手に取って後ろの方のページを確認し始めた。斑目三席と綾瀬川五席も両側からそれを覗き込み、三人揃って文章に視線を滑らせた後、同時ににやりとしてこちらに顔を向けた。
「良かったな楠山!入隊試験は今月末だってよ。まだ受付もしてるみたいだぜ」
「じゃあこれで入隊したら、沙生は僕らとほぼ同期みたいなものだね」
「やっぱ敬語は無しにしろよ。あと呼び捨てでいいぜ」
「俺は副隊長だからなー。じゃあ敬語はそのままで、でも気軽に海燕さんって呼んで良いぞ!」
「は……はぁ。て、何言ってるんですか!今月末って再来週でしょ!?無理、ムリです」
入隊試験となると、受験するのは大半が霊術院を六年かけて卒業した人たちだ。何百時間もの授業を受け、鬼道の訓練を積み、実習も経てきた優秀な人材だらけ。この三人は、私にその中に飛び込めというのか。無理、やっぱり無理だ。無理があり過ぎる。
「受けてみて駄目だったら入学試験を受けりゃ良いだろ?確かその辺のことは七番隊管轄だったな。副隊長の小椿刃右衛門さんは俺の部下の親父さんなんだ。愛川隊長が行方不明になってから、依願除隊の手続きを進めてっけど……今年度いっぱいは引き継ぎ業務もあって辞めないらしいから、部下伝いでお願いしとくな!」
「じゃあそこは志波副隊長にお任せしよう。沙生は回復に専念しなよ。試験までには余裕で間に合うでしょ」
「ええと、それは御厨さんに聞いてみないからには」
「御厨ならさっきすれ違ったときに一週間で退院できるって言ってたぜ?観念して受けてみろって」
「そんな……うーん……分かりました、受けます、受ければいいんですね」
「だから敬語」
「うっ……わ、分かった」
あれよあれよと流されて、本当に霊術院の入学試験の前に護廷十三隊の入隊試験を受けることになってしまった。話が落ち着いたところで、私が砕蜂隊長からいただいた塩大福がちょうど四個入りだったのでそれを皆で食べることにした。絶品の塩大福に舌鼓を打ちながら、暫くのあいだ三人は入隊したての頃の思い出話に花を咲かせ、私はそれに耳を傾ける。
入隊試験で鬼道の実技があったらどうしようか。いや、十中八九あるのだろうが。せめて退院するまでに、御厨さんが持ってきてくれた鬼道の本をすべて読み込んでおこうと心に決めた。